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「AA-音楽批評家・間章-」撮影日誌 Vol.4

ユーロスペース・映画美学校製作
青山真治監督作品 「AA-音楽批評家・間章-」撮影日誌

Vol.4 2002 May - June

Text by 製作スタッフ

2002.5.10(金)

 今日は佐々木敦氏の撮影。ロケ地は目黒にある青山さんの仕事場。階段で四階まで上がり(このマンションにはエレベーターがないのだ)、お部屋にお邪魔する。広い。しかもベランダの見晴しが良い。スタンドインなどをしつつ、整然と壁一面に並んだ本とビデオを眺めていると、あるわあるわ、お宝ビデオの数々。セッティングを終えたスタッフは本棚に群がり、いろいろとお借り(おねだり)する。私も『救いの接吻』他をゲット(もちろんお借りしました)。隣の部屋のiMacの上には『シェイディー・グローブ』のギターを持った天使の絵が飾ってあった。さて大里さんが到着し、窓の外を見ての第一声が「目黒エンペラーってどっちの方角」。一同爆笑。エンペラー・ネタでしばし盛り上がる。佐々木さんが到着し、いよいよ撮影が始まる。プロフィール的なことから始まり、徐々に質問は核心部へと進んでいく。
 撮影中、青山さんはモニターを見つつ、足のつま先で1カメと2カメの画面をせわしなくスイッチングしながら、アイ・コンタクトや手を使って、画面のサイズを細かく指示していく。さて佐々木さんによれば、レトリックとロジックが切り離し得ないのが間章の批評の特徴で(それは間が依拠したハイデガーにもそういう傾向があるかもしれない)、自分はそういった「文学性」を回避しつつ批評を書いてきた、とのこと。議論は『テクノイズ・マテリアリズム』で提示されたケージ・モデル(「4分33秒」以後の音楽と聴取との関係)、佐々木さんもまだ全貌が見えないと語る晩年の高柳昌行の実験など多岐に渡った。また音楽を音楽たらしめる条件について、特にそこに「人間」が介在する必要性をめぐって、佐々木さんと大里さんの間にスリリングな対話が交わされた。通常はテープ・チェンジのために休憩が入るのだが、最後の30分はテープが終わってもそのまま続行され、あわててスタッフがテープを入れ替えるほど白熱していた。また、最後の方で青山さんが、音楽家はソロの場合でも例えばサイン波やターンテーブルのような不確定的なものを相手にしている以上、それは「1」ではなくそれ以上(「2」?)なのではないか、と鋭い指摘をしたのには唸らされた。撮影が終わると外はすっかり暗く、雨が降っていた。
(資料/葛生賢)

2002.6.1(土)

 アフリカ・セネガルがかつての宗主国フランスに勝利した翌朝、圧倒的な寝不足で錆びついたゼンマイのような体にツユダク吉牛を無理矢理流し込むと、レンタルしたハイ・エースにありったけの機材を詰め込んで出かけた。新潟へ。
 新潟ビッグスワン・スタジアムでのアイルランド×カメルーン戦。そんな日本におけるW杯開幕戦観戦ではなく、間章の生まれ育った地へと向かって。
 東京―新潟間300km。車中での中心議題「ジダンはプラティニを超えたか? 」
 途中、北陸自動車道で外交官の治外法権ナンバーをつけた黒塗りベンツが猛烈なスピードで我々の車を追い抜いていった。 
 懸念した渋滞もなく予定通りに到着、肩すかし。気を取り直し、ブック・オフへ。ジャン・ルノワールの「トニ」(VHSビデオ)が450円で販売中。隣のガソリンスタンドに寄るも、セルフ式で四苦八苦。
 向かいのスーパーの駐車場で、亀田さん本間さんと待ち合わせ。両氏は、間が地元新潟でプロデュースしたバンド、ベガーズ・バンケットの中心メンバー。間のことゆえ当然、通常のプロデューサーとミュージシャンの関係には留まらないが、この二人に関してはまた特別。間の唯一、心許せる友。そんな存在が、温厚な人柄が外見に滲み出ている亀田さんと、一見強面だがとても真摯な本間さん。
 こんなところで話もなんですからと同敷地内のガストへGo。 壁に確信犯的大型液晶画面ありけり。キック・オフまであと十分。そこへ登場、青山監督。新幹線でやってきた。さすが絶妙のタイミング。我々、泣く泣くロケハンへ。
 青山監督と共にいらしたのは星さんとナシモトさん。星さんは青山監督の学生時代以来の友人で今は地元の新聞社に勤めている。ナシモトさんは地元での映画製作を手助けし、自らの上映スペースも持つP.PROJECTS'の代表だ。両氏には以後新潟での三日間大変お世話になる。
 ロケハン先は、明訓高校、新潟市体育館、海、東港。まるで地中海のような陽気のせいか「北」のイメージとは程遠い。それでも、日の暮れた東港から遠くに見える工場群の撮影敢行。
 突然の豪雨。星さんの案内で「シネ・ウインド」の同人が集まる飲み屋へ。壁には佐藤真氏の「阿賀に生きる」のポスターが。よく見ると鈴木卓爾氏のサインも。「シネ・ウインド」とは市民が会員となることで劇場を運営していくという優れた理念を持った運動体。サッカー/フット・ボールでいうソシエ制度のようなものと言ったら余計わかりにくい。
 はじめは互いに様子見といったところか、些かぎこちない。が、映画/サッカーという共通項があるためか、すぐに打ち解け楽しい時が過ぎてゆく。
 夜半。止んだはずの雨が土砂降りに。そんな中、青山監督を除く我々スタッフは大里邸へ。この「AA」におけるとても大きな存在である大里俊晴さんのご実家がこの新潟だ。大里さんのご厚意で我々はこの実家に泊めさせてもらえることに。夜更けのあつかましい訪問にも、ご両親は大変あたたかく迎えてくださった。
 結局、W杯は見れなかった。それは仕方ない。ダイジェストであきらめよう。しかし、通された客間にはテレビがなかった。

2002.6.2(日)

 虚空。と、まさにウソのような青空が朝も早くから広がっている。
 大里氏のお母さまが用意して下さった朝食をとる。歯を磨きながら出発。途中、コンビニで水やタバコなどの物資を補給。そのレジには可憐な女性店員が。思わず惚れる。このとき、昨日新潟入りして以来つつましく語られていた「新潟女性美人説」がブレイク。通説となる。
 新潟市体育館でチロチロッと撮影を済ませ、間の母校明訓高校へ。亀田さん本間さんのインタビューの準備に取りかかる。前日のロケハンにより、最上階片側ガラス張りの光差す廊下で行うことに。四階までの機材を運ぶ何往復ものあいだ自然に口からもれる泣言など誰も耳を貸さない。
 昼頃、インタビュアーの大里さんが東京より到着。
 インタビュー開始。亀田さん本間さんは、間との思い出を飾ることなく率直にときに愉快に語ってくださる。「あのときああして間さんに出会えたことで、今も楽しく暮らせている」という言葉が胸に響く。
 続いて屋上へ。かつての新潟大地震のとき間はこの屋上にいた。ここから校舎裏手を流れる信濃川に掛かった橋が崩れ落ちるのを見たそうだ。今ではうんざりするほど頑強な橋の掛かる信濃川。その彼岸にビッグスワン・スタジアムが見えた。
 その後、間のお母さまであらせられる間百合さんにご挨拶にゆく。居間のワイドテレビで流れているのは「スペース・カウボーイ」。そう、我々は一発目でやられてしまった。お手上げだ。あとはもう、百合さんの朗らかな人柄に魅了されっぱなしに。
 さらに百合さんは我々のために一席を設けてくださった。大変な御馳走をごちそうになる。席上、この「AA」における今後の大きな事柄が決まったがここには書かない。
 再びお会いすることを約束して百合さんとお別れする。続いて、星さんが事務局長を務める新潟映画塾へ。映画塾とは映画作りを志す人々が集まったサークル。同じ目標を持った人達と交流するのはとても刺激になる。夜も更けたため、青山監督を人身御供に我々は退散。大里邸へ。
 この日も、カワイイ娘は数多く見れど、W杯は見れず。

2002.6.3(月)

 朝。三日間、お世話になった大里さん御夫婦にお別れを告げながら駐車場を出ようとしたとき、ブロック塀にハイ・エースをぶちあてる。「この石は壊れやすいものだから気にしないで」と、菩薩のようなお言葉に救われる。
 この日の撮影は、N.Y.SENTIMENTALから。ここは、間百合さんの経営する瀟洒なレストラン。センチメンタルから間の生まれた礎町へ。撮影。そして、またセンチメンタルに戻り、またもや昼食をご馳走になる。
 そして、亀田さん本間さんとご一緒に間の墓参りにゆく。近くの花屋のおばちゃんが、「これはウチの特別性でどんなに風が強くても大丈夫」と、凪の快晴にも拘わらずサービスしてくれた赤いロウソク。その燃え上がりかたは尋常ではない。あっというまに燃え尽きた。
 海へゆく。ここで秘密兵器登場。事務局にワガママ言って買ってもらった完全防水小型CCDカメラ。水中撮影だ。本来ならば撮影部の役割だが、美学校随一の出たがり脱ぎたがり男が水を得た魚のように海中に飛び込む。
 ロバート・クレイマーの「ルート1」。その旅路の果て、冒頭ちかくで朗読していたホイットマンの『大道の歌』の通りに「終わりのないものに向かって」海中に飛び込んだ、あの映画。我々はどこへ? ひとつ確かなことは、我々のハイ・エース・ドライバーは朝の事故の証明書を取るため警察に向かったということだ。
 撮影終了。初日のガストへ。時間は五時十五分。まだビッグスワンではメキシコとクロアチアが戦闘中だ。けれど大型液晶画面にはアディダス・サッカー狂症候群のCMが延々と垂れ流されている。ウェイトレスさんにW杯に変えてほしいと懇願。快諾を得る。が、奥から飛んできた店長に「放送内容は本部で一括して管理しているため、W杯への変更は不可能」と丁重に頭を下げられてしまった。
 こうして、多くの方々のご厚意の上に成り立った新潟ロケは終わった。帰路、我々は他の車への迷惑など顧みず、ハイ・エースのライトをハイ・ビームにして夜の高速をひた走った。
 (新潟編日誌 榎本至/撮影)

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