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boid 日記 2007年1月

text by 樋口泰人

1月31日

気がつくともう1月も終わり。
この頃にはすっかり体調もよくなっているはずだったのだが・・・
本日も、2夜連続の爆音の疲れなのか、身動きとれず。
ひたすら自宅作業を。
高音の金属音が頭の中を駆けめぐる。
1月に入って以降、この金属音がなかなかとれない。
酷い人は、逆に、ノイズ装置の付いたイヤホンを耳に付けるのだそうだ。
つまり、ノイズをノイズで消して、頭の中の音を気にならなくするという、「それって治療か?」という処置。
漢方医も、まだまだ時間がかかるという診断。
致し方なし。
ゴーストフェイス・キラーを聴きつつ元気を出す。
数々のソウル音源ばかりでなく、ノヴァリスまでもサンプリングしている。
こういうのって、単にネタとして何でも聴いているのか、それとも本当に好きなのか、どっちなんだろうねえ。

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Ghostface Killah "More Fish"

1月30日(火)

爆音調整2日目にして、すでにヘロヘロである。
バウスのスタッフは、日曜日の高田渡生誕会もあったので、先週からずっとハードワークが続いている。
いつかこういう苦労が報われる日が来ることを願うばかり。

とはいえ本日は、朝から、さまざまな現実に直面する。
昨日の占いにもあった、金銭問題。
これじゃぁ、事務所どころではないなあと反省すれども、だからといって預金残高が増えること無し。
今後のスケジュールを厳しくチェックしなければ・・・

爆音『憂鬱な楽園』は、狂暴な映画に変身。
音楽映画のようなノリで見せてしまうものと違い、音のないところ、会話の部分、それらの環境音、それから環境外の音の組み合わせによるアンサンブルで、物語が語られる。
語られた挙げ句、どこでもない場所に見事に連れて行かれるという次第。
そしてそのどこでもない場所から聞こえてくる音が、この映画を常に後ろ側から支えている。
この映画は何度観ても、狂っている。
固定で取っているかと思った部分も、変だと思ってよく見るとゆらゆらと揺れている。
憂鬱な揺れ。
こんな映画が作られてしまう豊かさを満喫。
7時のNHKニュースでやっていた「日本映画が海外映画を抜く」というニュースの淋しさとは正反対の喜び。
まあ、こちらの喜びを喜びと感じる人がどれだけいるのか謎ではある。

でもとにかく、本当にもったいなくて。
特に今回は、今後のことも考えて、ごく簡単な告知に留めているので、果たしてそれでどれくらいの人に伝わるのか、はなはだ心配ではある。
一体どんなことになっているのか気になった方は是非、知り合いたちを誘って駆けつけていただけたらと思う。

「今後のこと」とは、極端に言えば告知無しで爆音を定期上映したい、というようなことだ。
「爆音でこの映画を観たい」という見方とは別に、いったい何をやるのか分からぬまま、どうやらこの日に何かやるらしいといって集まって、訳も分からずいろんなものが上映されて驚きつつ爆音を堪能する、という、一種のパーティに近いノリでの上映。
あまりに贅沢な試みではあるのだが。

1月29日(月)

午後から、占い師のところに出向き、事務所の相談。
いきなり盛り上がって事務所事務所と騒いでも、そう簡単に資金繰りは付くはずもないし、今後の家賃はどうするという問題もある故、神様のお言葉により頭を冷やしてもらおう、というのが第1目的だったのだが、なんと、神様も事務所づくりを後押し。
しかも、私が探していた場所がなんと、今年の運勢にもぴったり合っていて、NGを出した場所はやはり最悪の場所だったということが判明。
世界のすべてが事務所づくりに向かって走り始めてしまった、という感じ。
頭を冷やすどころか、すっかりその気になって帰ってくる。

その他、破産の相もあり、しかしこの数年で金は儲ける、その時に絶対にいい気になるのでそこが運命の分かれ目、とのこと。
破産のパターンは二つあって、ひとつは、本当にいい気になってしまい乱費の果てに破産。
もうひとつは、手伝いや社員にギャラを支払いすぎて稼ぎがついて行かなくなる。
共に大いに思い当たる節有り。

でもまあ、そうならない可能性も大いにあるとのことで、やるなら今年というわけで、早速ネット上で物件探し。
いやあ、いろんな物件がある。
なんと、プール付きの事務所とか(笑)。

夜は、週末に控えた爆音調整第1日目。
本日は、5.1チャンネル版ピクシーズとオールナイトの秘密の1本。
5.1チャンネルになったピクシーズは、先日の試写用の2チャンネル・ヴァージョンと全然違う。
音が出た瞬間からニコニコする。
秘密の1本にも、呆れる。
これは凄い。
当日はたっぷりと堪能していただきたい。
などなど、ワーワーしているうちに夜は更ける。
こうやって、段々生活が元通りになっていく。

1月26日(金)

昨日は、午前中から六本木にて、6月に爆音公開するカーネーションのライヴ・ドキュメンタリーに関する打ち合わせ。
映画だけではなく、直枝氏の豊かな音楽体験をそのままたっぷり伝えるための書籍も作ろうという算段。
しかし、その時受け取ったファン・クラブの会報を見るとすでにそのようなことが着々となされており、世の中決して捨てたものではないと、希望が湧く。

その後、HMVに寄ってジョニー・キャッシュのサン・クエンティンものではない、70年代に作られたドキュメンタリーDVDを買おうとするが、すでに店頭在庫無し。
こんなに物が溢れているのに肝心なものはなかなか見つからない。
仕方ないのでゴーストフェイス・キラーの『モア・フィッシュ』を。
デフ・ジャムもJAY-Zが前線復帰してしまったので、こういったロックっぽいノリの音は、これから少し変わっていくのだろうか。

本日の昼食は、隣の家の3人の子どもの父が作ったジャマイカン・ジャーク・チキン。
これが美味。
隣の父は、趣味がレゲエDJで、2年くらい前からサウンド・システムを購入し、ほぼ毎夜、自宅DJ大会をしていて、我が家にもその低音が12時過ぎまでブンブンと響いてくるのだが、音楽だけではなくついに料理にまで突入して、このところよく、ジャマイカの名物料理を作っていたのである。
昨夜も何だかものの焼ける焦げ臭い匂いがあたりに漂って、「火事か?」と思っていたら、隣の父が炭をおこしていて、これから鳥を焼くのだという。
というわけでその余りをもらったのである。
どうやら出来上がったのが夜の9時過ぎだったらしく、我が家に届いたのは10時前。
さすがにその時間にまた食事をし直すわけにもいかず、本日の昼食にしたという次第。
めちゃくちゃ辛いが、うまい。
いやあ、いつの日か隣がジャマイカン・レストランになってくれないかと、妄想。
でもまあ、こういうものを食ってしまうと全然仕事する気になれなくなるねえ。

とはいえ現実は厳しくもあり、そのためにも事務所事務所。
月曜日には占い師のところに行くことにする。

それから、ピクシーズの映画のポスターは増刷しないことに決める。
バウスに残っているのがたぶん10枚ほど。
それだけが劇場販売分。
ポスターが欲しい方は初日に行くか、吉祥寺タワーのチケット・セットを買うしか方法なし。
あとはまあ、街角や店頭に貼ってあるポスターをこっそり剥がして持って帰っていただきたい。
あと、初日のTシャツ・プレゼントは、整理券番号順だけだと、最初に一人10枚の整理券をもらう人がいたらそれでお終い、との指摘があり、整理券をもらいに来た人、一人に付き一枚、ということにする。
お間違えなく。

1月24日(水)

本日はスクリーンにて、アルトマンの『今宵、フィッツジェラルド劇場で』を堪能。
もっと長くとか、もっと暴れてとか、もっと下品にとか、あれこれ思うことはあるものの、とにかく映画はこれでいいのだ。
徹底して現在形を貫く映画。
誰と闘うべきか、どこで暮らすべきかを、この映画ははっきりと示している。
したがって、いかにも遺作にふさわしい物語の映画が『遺作』として流通してしまうことだけは、避けたい。
『遺作』として流通することで少しでも多くの観客を集めるならそれも我慢するが、今や偉大なるアメリカ映画監督一人の死くらいでは、日本人は動きはしないだろう。

アルトマンは70歳を過ぎて、心臓移植をしていたらしい。
若い女性の心臓だったということだ。
その女性の人生を引き受けた一人の老人の晩年・・・
何かが終わってしまうことが悲しいのではなく、何かが終わってしまうのを悲しいと思うことが悲しいのだ。
アルトマンは常に、そのことをあざ笑ってきた。
こちら側に残された者としては、このあとこの日本の状況の中でどのように何をするべきか、ひたすら頭をかかえるばかり。
とりあえずは劇中の話題にも出てきたジョニー・キャッシュのサン・クエンティン刑務所でのライヴCDを買いに行こうと思ったのだが、なんと、3月7日に日本盤も出るではないか→
BBC制作の「ジョニー・キャッシュ・イン・サン・クエンティン」のDVD付き。
字幕付きとのことだし、そうなるとこれを待つしか無し。
中原より情報があった74年につくられたドキュメンタリーのDVDを明日、買うことにする。

それはそれ、タワーレコード新宿店のチケット・セットが残りわずか。
先週、再度の通過納品をして、それが売り切れたらお終い、という予定。
購入予定の方は、お早めに!

1月23日(火)

試写通いを始めると何故か昼食がまともにとれなくなり、そのために何だか妙に腹が減ったまま夜まで過ごすことになり、何となく気ぜわしい余裕のない一日となってしまう。
まあ、ギリギリまであれこれしていて、結局昼食の時間を逃してしまう私が悪いのだが。

というわけで本日は、見ようと思っていた『叫』には間に合わず、まあこれは2度目ということで気が緩んだのだが、しかし3時30分からのトニー・スコット『デジャヴ』に慌てて駆け込むことになる。
事前に青山から、「ペキンパー亡き後はトニー・スコット」という趣旨のメールをもらっていたので、一体どうなっているのかと思ったら、次第に監視カメラの物語になり、おおこれは『バイオレント・サタデー』か、などと思っていたら、物語はさらに予想外の展開に。
「巻き戻せない」「繰り返す」というのがこの映画のキーワード。
つまり、これはビデオやDVDとは違って映画なのだから巻き戻すことはできないし、分かってくれるまで繰り返し上映するだけだ、というわけだ。
それを登場人物たちが実践してしまう。
まさに映画の終わりに立ち現れた、アメリカ映画そのもののような映画。
しかも、先日のPere Ubu のアルバムジャケットのように、二つの映像からひとつの映像がガツンと立ち現れてくる。
主人公たちは常にそのどうしようもない現実に立ち向かわざるを得ない。
ドキュメンタリーや実話を元にした映画がもてはやされる今、つまり、生きていることの確実さを誰もが欲している今、そうではなく、徹底して不確実なものと向き合うばかりのこの映画に生まれる確実さこそ、我々にとって本当に必要なものであると思うのだが。
最終的には誰もが皆、『コンタクト』のジョディ・フォスターのような立場に置かれる、というのがこの映画のメッセージでもあるのだ。
しかもそれをニューオーリンズの人々に捧げてしまう過激さ。

終了後、やはり見に来ていた中原とお茶。
余裕はなくても、グズグズすることはできる。

1月22日(月)

体調はともかく、ようやくあれこれが落ち着きを取り戻し始め、ついに試写に。
4ヶ月ぶりである。
18本の短篇からなる『パリ、ジュテーム』
ガス・ヴァン・サントは、繊細さと大胆さを併せ持つ大巨匠の風格十分。
数分間の作品の演出は、これだけやれば十分という適度な力のいれ具合と、それを支えるための十分すぎる配慮が、最後に音楽が鳴り始めるその一瞬の永遠を作り出す。
オリヴィエ・アサイヤスは、夜の町を撮るならこれ、という確かな感覚を確実に身につけたのだろう。
その光とフレームを見ただけで、これは誰のものでもないオリヴィエの映画だし、しかしそれこそパリの町が作り出している風景なのだということを伝えてくる。
場所がどこになっても、確実にその場所の映画を作ることができる。
一人の女の後ろ姿のとらえ方も町のとらえ方と同様だ。
この映画のマギー・ギレンホールの後ろ姿は、そのまま『デーモンラヴァー』のクロエ・セヴニーの後ろ姿である。
肩の揺らし方まで、どこか似ている。
それはマギーでなければならないし、それ故にクロエに繋がっている。
映画を撮ると言うことはこういうことなのだと、その女の後ろ姿が語る。

しかしまあ、その他のいくつかの作品は、対象により過ぎたり奇をてらったり音がクリアすぎたりと、苛立たせるものも多し。
まあ、それもまた楽し、という「映画の国」故の余裕の映画。
ジーナ・ローランズは貫禄十分。
お相手のベン・ギャザラが何だか痩せて見えて、ドキドキした。

しかし、試写に行き始めると結局そこそこの時間を取られ、その他の時間が慌ただしい。
こちらの余裕のなさだけが身に染みる。

夜は、日本版が発売されたジャック・ニッチェの『ジャック・ニッチェ・ストーリー2』。
何度聞いても素晴らしく、何と言っていいのかよく分からない。
『パリ、ジュテーム』を見ても、ジャック・ニッチェのような人が世界的に求められていることがよく分かる。
それぞれの音の鮮明さとバランスをほんのちょっと変えただけで、世界を作り替えられてしまう人、と言ったらいいのだろうか・・・
でもやはり、こういう人は長生きできないんだよねえ・・・
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THE JACK NITZSCHE STORY VOLUME 2 →

1月21日(日)

注文していたものの到着が遅れていたPere Ubu の新作『Why I Hate Women』が届く。
驚いたのは、ついにPere Ubu のジャケットから風景画像がなくなっていた点である。
表と裏は女性の顔の片面のアップ、そしてジャケットを開くと思わせぶりな花を中心にしたオブジェ。
もはやすべては女の瞳の中、ということなのだろうか。
だとすると、ウォン・カーワイ的な時間と空間の揺らぎの中から今回の音は発せられている、ということになるのだが・・・
どこにもない場所とどこにでもある場所とが女の瞳に映る記憶と未来の中で交わる・・・
しかし、ジャケットの表裏に写った女の顔の片面は、光の感じが変えてあるので別の写真のようにも見えるのだが全く同じもので、横に広げて30センチくらい離してじっとそれを見ていると、見事にステレオ写真の女の顔がそのまん中にくっきりと浮かび上がってくるのだ。
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Pere Ubu / Why Hate Women →

一人の女でもなく別の女でもなく、さらにもうひとつの女の顔。
それが、「二人の女」から始まり「テキサス序曲」で終わるこのアルバムで示された、彼らの音の場所だと言えるだろうか。
すべての音がぼやけていて、それ故くっきりと空間に浮かび上がる。
哀愁とも郷愁とも関係なく、ひたすら現在がそこにある。
『今宵、フィッツジェラルド劇場で』の中に登場して、ほとんどのシーンの中を自在に動き回る白いコートの「天使」にも、アルトマンはこのような明瞭な輪郭を持たせたかったのではないだろうか。

1月20日(土)

ハードワークの疲れが出て、ヨロヨロの土曜日。
夕方、吉祥寺の漢方薬局に行ってあれこれ訴える。
漢方医によると、私の目眩耳鳴りを治める体質改善のための処方と、今回の花粉症の症状を治める処方とは、漢方の見地からは全く相反しているのだそうだ。
ただとにかく、ベースとなる体質改善をやめるわけにはいかないので、それは崩さずにその上であれこれをブレンドしてもらう。
その後、バウスに寄り、4月に行う爆音『エリ、エリ、レマ・サバクタニ』その他の打ち合わせ、そして、吉祥寺駅前テレビジョン用の15秒ピクシーズスポットのためのナレーション録り。
boid営業部長兼ラッパーの猪股による、見事なナレーションを、事務所でいきなりやっつけてしまう。
本作りや映画配給や爆音企画だけでなく、ナレーターも用意できますよ、という営業をしなくては。

その猪股がCDを作った。
ああまだこういうことを平気でできるやつがいるんだ、という美しい佇まいの音。
こういう人間にはぜひSHAGGSを聴いておいてもらわねばと、アルバムをプレゼントした。

SHAGGSに関しては、先日出版された『Songs in the Key of Z』に詳しい。
その中に、ミュージック・セールス・コーポレーションの音楽部編集長ピーター・ピッコウという人の、以下のような発言が載っている。
「メロディやハーモニーを構築していく方法は素朴だが、正直で自信に満ちた演奏が明らかにするのは、きみが耳にしているものが意図したものの結果だということだ」
昨日この日記で私が書いたあれこれは、そのような意味でとらえていただければと思う。
いずれにしても、猪股には、その作りかけの佇まいを意図された結果にしてなおかつそれが天然な行為として行われてしまう強靱な意志を身につけて欲しいものである。
そのCDに関しては、いずれ本人からboidページに告知があるものと思われる。

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この本は、map のサイトで購入できます。 こちら→

それからSHAGGSを聞きながら思いだしていたのは、アルトマンの『ナッシュビル』で、田舎娘のシェリー・デュヴァルがナッシュビルを目指す旅の途中の酒場で歌を歌うのだが、あまりの下手くそさに酔っぱらいたちからやじられるはビール瓶を投げられるはで散々な目にあう、というシーン(記憶ではそんなシーンだったが、果たしてそんなシーンは存在しているのだろうか)だった。
SHAGGSもまた、同じような酷い目にあったらしいのだが、その『ナッシュビル』が、アルトマンの遺作となってしまった『今宵、フィッツジェラルド劇場で』の公開記念放映がされるとのこと。
3月15日から17日、21時より、スター・チャンネル クラシックにて。
我が家はケーブルに加入しているから、おそらく見られるはずである。
これで、上記のシーンが本当にあったかどうかも確かめられる。

『今宵、フィッツジェラルド劇場で』は、見事な遺作。
あまりに見事な遺作で、アルトマンらしくないといえばアルトマンらしくない。
95分という上映時間も収まりが良すぎ。
『ナッシュビル』くらい、うんざりするほどの時間をかけてやるくらいのことはできたはずなのにしない。
ウォーレン・ジヴォンの遺作となってしまった『ザ・ウィンド』と同じような、聴きたく(見たく)なかった悲しみがあって、思わず泣いてしまうのだが、やはりそれは違うだろうという気もする。
しかし一方で、どうもそれこそ意図した結果であるようにも作られていて、そのポジショニングは相変わらず逞しいわけだから、最も遺作らしい遺作を作ったことにより終わりなのない道へと再び踏み出す力強い映画、ということになるのだろう。
髭面になってほとんど表情が分からないものの、その無表情のまま、演奏するなと言われた下品なカウボーイソングを歌い続けるウディ・ハレルソンに、つい感情移入してしまった。
その挙げ句、『ウォーク・ザ・ライン』『グリーンデイル』、そして『ハート・オブ・ゴールド』というラインナップでのオールナイト上映を妄想するのであった。

『ハート・オブ・ゴールド』の方も、ついに少しの可能性が!
詳細は公開祈願ブログの方に記す予定。

1月19日(金)

朝から慌ただしい。
9時過ぎに大量のピクシーズTシャツが到着。
地方劇場での販売と、boidでの通販分である。
ここでもまた、事務所問題に直面する。
それはそれ、ピクシーズTシャツ、週明けくらいからはboid通販にて発売開始。
お楽しみに。

その後、某カタログの校了のためデザイナーの事務所へ。
といっても、リトルモアに間借りしているので、次々に知り合いに会う。
帰宅後は、ピクシーズのパンフレットの最終確認をしているうちに漢方薬局に行く時間を失い、慌てて新宿に向かい、4月発売のモンテ・ヘルマン『断絶』のスペシャル・ヴァージョンの方につける豪華ブックレットのための打ち合わせも兼ねて、キングレコードの長谷川氏と共に大久保賢一氏に会う。
大久保氏からは、夏くらいに日本でも公開になるはずのオムニバス映画に入っているヘルマンの短篇についての話を伺う。
そしてさらに、ヘルマン自身が撮影した写真集の話も。
ヘルマンは、スチール・カメラマンとしてもプロなのだそうだ。
そして、『断絶』DVD、オムニバス映画、写真集、さらにはヘルマンについての単行本、その他60年代、70年代のアメリカ映画を支えた人々についてのシリーズ、という美しい流れについて。
しかしまあ、具体化していくのは大変である。

打ち合わせ後、本当に久々にディスク・ユニオンへ。
ずっと聞き損ねていたTHE SHAGGSのアルバムを。
今となっては、どうしてこれを聴いていなかったのか不思議でもあり、他の人たちの演奏を通して彼女たちの音を聴いていたようにも思え、その意味では、初めて聴いた気が全くしない。
したがってライナーには、彼女たちの音は他とはまったく違っていて唯一の音楽だ、というようなことが書いてあるが、全くそうは思えない。
ロックの構成力や破壊力を知性によってコントロールしつつ肉体化しているという意味で、メイヨ・トンプソン=レッド・クレイオラ、ファッグスなどとも深く重なり合う。
フランク・ザッパがごひいきだったというのもよく分かる。
思わずブラック・ミュージックを起源に持たないロックだと言いたくなるが、いやそれこそがブラインド・レモン・ジェファーソンなどブルースマンたちの知性が産み出した「半音」をずらすことで自らの存在証明としたテクニックを引き継ぐものだと、『AA』の灰野さんなら言うだろう。

もう1枚、一体どこまで出るのかとは思うもののつい買ってしまうジョー・ミークのプロデュース集。
こちらはひたすら物狂おしく、アメリカ音楽になりきれない自らを呪い続ける。
でも、27曲目のThe Buzz「I Gotta Buzz」の痙攣する不定型なリズムを刻むドラムの音と共に、あるいは30曲目のJason Eddie & The Centremen「Singing The Blues」の震えるギターと共に、その呪いが浄化される希有な一瞬を産み出してしまうものだから、やはり買わざるを得なくなるのだった。

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THE SHAGGS / Philosophy of the World → Joe Meek / freak beat →

何てことをしている間に、実は私の連絡確認ミスのために大変なことが起きていて、朝日新聞池谷氏に大いなる迷惑をかけた。
なんと、どうやら私のアウトルック・エクスプレスは、時折勝手に送信メールを消してしまうのだった。
先日もそれに気がついて、慌てて送り直したりしたのだが、1度だけではなかった・・・
もしかしたら知らずに迷惑をかけているのかもしれない。
私からの連絡がないと、イライラしている方、そんな事情もあるので、変だと思ったらご一報を。
でも、早くパソコンをどうにかしないとねえ・・・

1月18日(木)

しかしこんな時期に花粉がもう飛び始めているのかと不審に思っていると、知り合いの何人もが、「鼻水が酷い」とか「目がショボショボ」とかメールしてくる。
私は、何年か前までは全く花粉症知らずで、苦しむ妻を笑って見ていたのだが、いざ自分が酷い状態になってみると、とてもじゃないけどこれは耐えられない。
こういうのを我慢して働いていてはいけないんじゃないかと思う。
だって明らかにこれは、人的な災害(大げさ)なわけだから。
というか、いつの日か人類はこれで滅びるんじゃないかとさえ思うほど、辛い(大げさ)。
鼻とか目とかのうちはいいけど、肺やら脳やらがアレルギー反応を起こしたらどうなるのだろう。

まあそれはそれ、本日は『ピクシーズ/ラウド・クァイエット・ラウド』の一般爆音試写である。
某サイトで試写募集をしたところ、相当数の応募が来て、公開後にこの人たちが全員、バウスに駆けつけてくれるなら、もうそれだけで問題なし、ということでニコニコしていたのだが、そのうちの75組150名様ご招待。
20倍以上の狭き門を勝ち抜いたありがたいご招待であるにもかかわらず、出席率悪し。
やはりバウスは遠いのかねえ・・・
その代わり協力者、関係者、レコード店の方々が大勢やってきてくれて、この方たちがあと2週間をそれぞれの場所で盛り上げてくれるかと思うと、心強い限りである。
ただ、本日は、音の方が2チャンネルでしかできず、本番の5.1チャンネルほどの広がりが出せなかったところが心残り。
こういうのは、やり始めると本当にきりがない。

一方、この映画のパンフの校了は明日。
もうひとつ、定例のカタログ仕事の校了も明日。
大勢の人と、明日までにしておかねばならないこととに囲まれて、全く落ち着き無し。

終了後、食事をしながら事務所問題をあれこれ。
私の第一希望の場所は、どうやら近所に美味なる食事どころがない、という話が出てきて、ちょっとしょんぼりする。
まあ、そんなことで事務所の場所が左右されるのもどうかと思うが。
いずれにしても来週には知り合いの占い師詣でをして、最終決断を下そうと思う。

1月17日(水)

風邪をこじらせたかと思ったら、風邪プラス花粉症だったらしい。
本日は朝から熱と鼻水で身動きとれず。
そんなところに、アカデミー賞のノミネート予想で『クリーン』のマギー・チャンが、何人かの記者からリストアップされているという報告が届く。
おお、ついにアメリカでも!
こうなると日本の遅ればかりが目立って、花粉症になってる場合じゃないと、苛立ちが募る。
ここまで来たらぜひともノミネートされ、ついでに受賞して、香港からフランス、そしてアメリカへと活動の場を求めて移動し続ける女優の人生をハリウッド流の美しい物語に仕立て上げて世界中に広めて欲しいものである。
配給会社の皆さん、買うなら今ですよ!
しかし、アメリカでもこうやって少しは受け入れられる映画が、どうして日本では、その入り口で締め出されてしまうのか、まあ、共演のニック・ノルティの知名度の差、という事なのかもしれないけどねえ・・・

一方ピクシーズの方はパンフの仕上げが山場。
何しろ『キングス&クイーン』よりはるかに安い宣伝予算の中で、『K&Q』ではつくれもしなかったパンフをつくってしまおうというのだ。
やれば出来る。
しかし昨日は、予定していた原稿が諸事情で入れられないかもしれないという事態になり、また、ページ構成も考え直そうかということにもなり、とにかくどうなってもいいように4パターンの台割を作り直し、デザイナーに心の準備をしてもらうという大混乱。
しかも金曜日で校了なのである。
結果的に無事、すべての原稿を予定通り入れられることになったので、ほっとする。

本日のティッシュ消費量、1箱と1/4。

1月15日(月)

昨日は、いつまでも部屋でぐずぐずしているのもなんだし、という事で新宿まで出かける。
やかんが壊れたので新しいのを買おうという事もあり、LOFTへ行って見ると、閉店セールで、本日最終日。
なんか景気の悪い話だなあと思いつつ中に入るのだが、エレベーターから降りるといきなりビニールカーテンである。
もはや「売り場」の体をなしていない。
売るものがなくなってがらんとした広いフロアをカーテンで仕切り、そのカーテンで仕切られた「廊下」伝いに奥へ入って行くと、そこに寂しく売り場があるという状況。
黒沢さんの映画でも、こんなシーンは出てこないだろうなあと思われる、荒涼とした風景。
それが新宿のど真ん中に出現している。
いやあ、LOFT恐るべし。
さすがに黒沢さんの『LOFT』ののろいではないとは思うけど。
ちなみに当然の如く、やかんの姿は跡形もなし。
こっそり、店内撮影してくればよかったと、後悔後に立たず。

そんな外出が悪かったのか、夜になって喉鼻の状態は悪くなる一方。
苦しくてまともに眠れず。
我慢できず、本日はいくつかあった外での仕事の予定をキャンセルして、近所の耳鼻科へと。
熱が無いだけましだが、喉鼻がかなりひどく炎症を起こしているとのこと。
乾燥は厳禁。
うーむ、事務所の前に加湿器であった、というのが本日のオチ。
そのことを友人Aに伝えると、部屋に洗濯物を干すのが一番と言いつつ、次々に事務所物件のデータを送ってくる。
おお、神楽坂13分、牛込柳町2分で一戸建て、楽器演奏、事務所も可能。
妄想は膨らむばかり。

1月13日(土)

どうにも風邪が辛くてへこたれる。
グッタリと寝込んでいてもただどんよりするばかりなので、到着したピクシーズのコメント・チラシの荷造りと発送を延々と。
コメント・チラシとはいっても、ここを見ていただければ分かるように、いわゆる「コメント」とは違う。
これを読んでしまったらもう、見ずにはおれないだろうという珠玉の文章が並ぶ。
魂が触れ合ってしまった人々のこういった感情をなんとかうまく伝えたいのだが、とりあえずはこのような形しか思いつかないのがもどかしい。
しかも、B4の二つ折りなので、重い。
軽く、素早く伝えたい。

しかし、またもや部屋の中がチラシやらポスターやら物販類やらで混乱し始め、至急の事務所・倉庫・作業場開きが望まれる。
常々、事務所の家賃のために働くのは絶対に嫌だと思ってきたのだが、いや、こんな事になるくらいなら、家賃のためにでも働いた方がマシか、とも思えてくる。
まあ、いずれにしても働かざるを得ないわけで、世の中、うまくできている。
どなたか、格安、絶好のロケーション、快適空間をご存じないだろうか?
ガード下とか、潰れそうな一軒家とか、そういうのでいいのだけど・・・
連絡を待つ!

夜、映画のダウンロード閲覧を初体験。
1本480円なら、DVDレンタルと同じだし、電車賃もかからないし、具合悪くて外に出たくない時には最適である。
ただ、気になるところが2点。
ひとつは、人が歩くシーンなどでの動作がぎこちないこと。
1秒20フレームくらいで動いている感じなのだ。
転送レートの問題なのか。
もうひとつは、どうして640X480というサイズなのか?
確かに断り書きに書いてはあるのだが、上下が切れたレターボックスサイズで入っているのかと思ったら、そうではなく、左右を切ったトリミング版。
映画をちゃんと見たいなら劇場に行け、ということなのか?
あるいは、私が登録したダウンロードサイトがたまたまそうなのか?
技術的にそれしかできないのか?
いや、新世代のメディアでしのぎを削るハード・メーカーの圧力なのかもしれない。
ダウンロードで完全版を配信されてしまったら、メディアなんて余程のマニアじゃないと買わなくなるからねえ。
ただいずれにしても、「映画」を見るという私たちの欲望とその意味について、再考せざるを得ない時期に来ているように思える。
溝口シンポの時に「今ある映画の95パーセントは映画じゃない」と言い切ったエリセのように、誰もがなれるわけではない。
「デジタル時代に溝口が生きていたらどのような映像を撮っただろう」というジャ・ジャンクーの発言が、今でも耳に残っている。

1月11日(木)

boidを会社にするのだと、とりあえずはポジティヴに本年のスタートを切ったものの相変わらず体調は最悪である。
結局まだ試写にも映画館にも行けていない。
まあ、いろんなことを1ヶ月くらい引き延ばし、boidの年明けは2月3日という中国時間にすることにする。
ピクシーズと「シネマの記憶喪失」ナイトにて新年を迎えようという算段。
ピクシーズはともかく、「シネマの記憶喪失」ナイトの方は、かなり乱暴な企画で、秘密の2本も何をするか決まってはいるものの、中原の気分、boidとバウスの都合次第では変わる可能性もあり。
ピクシーズもそうだがDLPによる初めての爆音である。
画像の鮮明さもそうだが、5.1チャンネルの音がどれだけいい具合に再生されるか、楽しみではある。

ピクシーズの方は、缶バッジとポスターがほとんど無くなってしまい、予定していた物販をどうするかを検討中。
また、グラニフから発売されたTシャツの物販の枚数もどれくらい確保したらいいのか。
そういうことを気にしないでいいほど儲けたいものである。
そんな時にNHK会長のふざけたコメント(「限りなく不払いの人が減り、公平負担といえる状態になれば値下げという還元の方法も考えられるが、厳しい財政状況で直ちには実現できない)とかを耳にしてしまうと、一体お前らどれだけのギャラをもらっているのか世間に公表しろ!と叫びたくなるが、まあ、こんなところで叫んでみても、全く届かぬだろうと思うと、余計に腹が立つ。
新聞の記述によると全国で100万件以上の支払い拒否があるとのことだが、その人たちがすべて、民事訴訟を起こしたら、どうなるのだろう。
まとまってやるのではなく、すべて個別にやれば、NHKは100万件の訴訟を一気に抱えることになる。
いずれにしても、そんなに公共性や公平が大切なら、NHKの職員の給料は、日本国民の平均所得に合わせるべきだろう。
それで、NHK職員の平均所得以下の日本国民は、NHKの受信料割引。
というか、さっさとペイ・パー・ヴューにしてくれればいいだけの話なんだけどね。
そんな話を、以前NHKの受信料集金の人にしたら、「NHKは映像文化全体に対する事業で、単に番組だけを作っているのではない」という説明をされた。
しかしねえ、、、NHKが率先して行っているデジタル放送なんだけど、年末に実家に帰ったら実家もデジタル放送受信可能なハイヴィジョン・テレビに買い換えていたのはいいが、アナログ放送は横に引き延ばされて、気味悪く歪んだ映像を何の違和感無しに、両親は見ていたぞ。
テレビの設定を変えれば通常のサイズに戻せるのだが、日本全国の家庭で一体どれだけの家庭がアナログ放送を4:3の比率で見ているのだろう。
これって、映像文化を「豊か」にしているのだろうか。
要するに、誰も画面をちゃんと見ないようにしているだけとしか思えないのだが。

しかし、体調も悪く風邪も引いて鬱々としながらあれこれしていると腹の立つことばかりが多くていやになる。
本当にしょうもない某配給会社には、もう、あんたのところは歌舞伎だけやってれば!!!と、これまた届かぬ叫びをくりかえし、一日が終わる。

1月9日(火)

謹賀新年。

とはいえ、年末年始のあまりの忙しさで、これほどどうでもよくてひたすら辛い正月は生まれて初めてだったと、ことあるたびに口にしていた。
日記を書いても、きっとそんなことばかり書くはずで、さすがに新年早々それもあんまりだということで、boidの新年をひたすら待ちわび、しかしすっかりうんざりしつつ、鬱々として、体調は狂いっぱなしで、風邪も引き、グッタリしていたところに、新潮社K氏より、飯でも食いましょう、というお誘い。
阿佐ヶ谷の某居酒屋にて、大人な和食を食しつつ、「もはや社長になるしかないじゃないか」と景気付けられる。
その威勢の良さにすっかりその気にもなり、また、このまま独りであれこれしていても身体がもたなくなるばかりでもあり、さすがにそろそろ決断の時期だろうという結論。
積極的に何かやりたいことがあっての起業ではなく、このとんでもない辛さを分散するための(つまり、さらに迷惑の環を広めるための)起業である。
まあ、それもまたboidらしい、ということで。
だが一方で、「世界制覇」との合い言葉も飛び出したりするわけだから、ネガティヴなだけではない。
というわけで、とりあえず新年のboidは、事務所探しから始まるのであった(本当か???)。

それからmap 小田氏より、2月に、ジョアンナ・ニューサム、スモッグ招聘との知らせ。
ニューサム嬢のライヴの素晴らしさは、前回の来日公演で実証済みだが、スモッグは見たいねえ。
耳の具合と相談になるが、あと1ヶ月、まあ、スモッグの音なら耳も許してくれるだろう。
詳細はこちら→

recent diaries


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