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「BLACK SNAKE MOAN」  猪股東吾

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去年の今頃、おれは吉祥寺の弁当屋で配達のバイトをしていた。
70歳にして現役で中華鍋をふるトヨちゃんaka社長の母親がある日つぶやいた言葉をふいに思い出した。

「近頃、季節がばらばらだねえ、風情も何もありゃしないよ」
トヨちゃんは空襲で片眼を失っている。しかし「あたしはなんだって見えるんだから」と時々不敵につぶやいてた。

ブラック・スネーク・モーン、
この映画のタイトルは盲目のブルースシンガー、BLIND LEMON JEFFERSONの名曲からつけられたものだ。

それから一世紀ほど過ぎた2007年、BLACK SNAKE MOANと名づけられた本作は文字通り、黒い蛇がうめき、這いつくばるような異様な存在感を放つ怪作だ。


老婆の言葉を借りるまでもなく、今の世界は、ばらばらである。
親と子供、夫と妻、父と母、都市と郊外、心と体、法と秩序、自由と不自由、罪と罰、金持ちと貧乏人、生産者と消費者、生と死、季節も流行歌も、当然見つかる死体もばらばら。
安い居酒屋に入れば、生モノと揚げモノの出てくる順番さえもばらばらである。

すべてをつなぎとめる役割を押しつけられた語り部としてのニュースキャスターは皆、次々と表舞台を去った。

世界は、ばらばらである。軽薄なラッパーが、いかに愛を歌おうと、
安直な日本映画がどれだけ人々を泣かそうとも、皆、薄々気づいている。
もはや取り返しがつかないほど、世界はばらばらである。

ましてや、80年代生まれの我々の世代にとっては、あらかじめ世界はばらばらであった。純度の高い愛など、見たことも触れたこともありゃしない。


セックス中毒になるしかなかったクリスティーナ・リッチ演じるレイも、そんな傷を抱えた恋人を置き去りにしてまで兵役に行くしかなかったジャスティン・ティンバーレイク演じるロニーも、まさしく僕らと同じ世代、80年代、ヒップホップとともに生まれ育った世代なのだ。
そんなばらばらのふたりをつなぐ安っぽいデジタル時計が同時刻、世界の表と裏で鳴り響くとき、この物語の悲壮感は決定的なものとなる。

彼や彼女の抱える闇は、太平洋などまるで無いものかのように、黄色い肌の我々が見る闇とおそろしいくらい地続きに思えた。

劇中には終始、ブルースの名曲が散りばめられている。しかしこの劇中で流れるブルースは、人々の表情、履いているスニーカーのカタチ、服用されるドラッグの種類などのせいで、おれにはすべてヒップホップに聴こえた。

そしてヒップホップとブルースが大して違わないと誰もがすぐに気づくだろう。
どちらもぐつぐつ煮えたぎっているのだ。

いや、この物語はブルースが現代のヒップホップになりえるか、ヒップホップが現代のブルースになりえるか、そしてその両者の何が決定的に違うのかを、カーハートのジーンズを履き時代を超越したブルースマン、サミュエル・L・ジャクソン演じるラズが解き明かしていく物語なのかもしれない。

ラズは唐突に、自分勝手に、「俺がおまえを治す」と言い放ち、レイを鎖でつなぐ。

その鎖こそが、あらかじめばらばらになった世界をつなぎとめる、なんの根拠も裏づけも無い、力づくの手がかりなのかもしれない。


それはトミー・リージョーンズの処女作「メルキアデスエストラーダの3度の埋葬」でバリー・ペッパーを引きずりまわした手綱であり、ロバート・アルトマンの遺作「今宵フィッツジェラルド劇場で」においてリンジー・ローハンに死を教えた涙と同質のものに思えた。

これらの3つの作品がほぼ同時期に撮られたことは偶然ではないだろう。

これらの作品は、成熟したアメリカ文化からの、いまだ未成熟な若者文化に対する、強烈なまでの教育ととらえることはできないだろうか。

鎖で縛ってでも、引きずりまわしてでも伝え残さねばならない、このばらばらになった世界への痛烈な遺言といってもいいかもしれない。

ラズの激しいギターの果てに雷は落ちる。
ラズのやさしい歌声の果てに雨は降り、レイは涙を流す。

あらかじめ不在の愛を嘆くより、まず己のなかの悪魔を追い払えとラズは歌う。
それは我々の世代の抱える、普遍的で切実な問題でもある。
誰もがあのジャスティン・ティンバーレイクの吐気を抱えているのだ。何かに追われているかのようなあの吐気だ。

コピー&ペーストのラブ&ピースなど拒絶しろ。
ラズがそう歌っている気がした。

終盤になるにつれ、涙が溢れそうになる。しかしラズのあまりのいかがわしさがその涙を途端に引っ込める。そのへんの素っ頓狂さがまたこの映画の魅力かもしれない。


この夏、空調の効いたオフィスで季節を忘れそうなOLさんたちには、ぜひ劇場に足を運んでいただき、あのアメリカ南部のじっとりとした空気を体感していただきたい。

BLACK SNAKE MOAN、
身勝手で純粋でまがまがしい、ラブコメディだと無責任に言い放っておく。