
ZAZEN BOYS 2007. 6.16.日比谷野音ライブレポート text by猪股東吾
その日、日比谷の空は抜けていた。
ほんとに梅雨の最中かと疑うほど爽やかに晴れわたっていた。
不快指数は限りなく0に近かった。
ZAZENBOYS夏の全国ツアーの始まり、野音はもちろん満員。
ゲートをくぐると、いきなりスライの暴動が流れていた。
件のデジタルリマスター盤だろうとすぐに合点がいった。
ほとんどの人が缶ビールを片手にニヤけていて、アルコールか陽射しのせいで顔を赤くしていた。
物販の長蛇の列がようやくひけたころ、まだ夕焼け前の時刻。
ZAZENBOYSの登場。
向井氏は、ふざけているような余裕に満ちた笑顔を浮かべステージに現れた。
沸き上る歓声。
その場のすべての人々が向井氏を見つめた。
向井氏もすべての人々を見つめ返した。
予想に反して向井氏は鍵盤を叩きだした。
「祭スタジオから、祭セッションをひねりあげてやって参りました、ZAZENBOYSです」
「ドラムス柔道二段松下敦!」
次の瞬間、松下氏のドラムの一発がステージの両サイドにそびえるSoundシステムから放たれた途端、なんだかおれはいきなり揺れた。
心か体か脳かどこかはわからないが、おれは揺れた。
言うまでも無いが、日比谷は野外である。
そこに放たれた音はライブハウスの音とはまったく異なり、おれの耳に届くまでの一瞬の間に、たくさんの空気や熱や軋轢を含んでいる。
だからこそ、その不純物を揺らしながら聴こえる音は、なんだか匂いのような、風景のような、たとえば小学校の下校の放送のような、地元の夏祭りの夜の熱い呼吸のような、たくさんの鮮やかなイメージを含んでいた。
「ゆるやかに騙されてるこの感じ」とかつて向井氏は唄ったが、まさにゆっくりとイメージが散らばって広がって重なって、蘇るように、知らず知らずのうちに人々は酔わされていった。
ちょうど良くやわらかい風が吹いた。
すべての景色と共に、人々は祭の渦中に落とされた。
本当に誰もがいい顔をしていた。観客たちの動きに眼を奪われるほどだ。
色とりどりのTシャツが跳ねていた。
皆、思い思いのスタイルで蠢いていた。
新ベース、吉田一郎氏は、まったく緊張感を感じさせないたたずまいをしていた。音とどこまで向き合っていけるか、それ以外のことは二の次だ。というような揺るぎないたたずまいで弾き狂っていて、好感を持った。
ZAZENBOYSは、ひとつの動物に見えた。
向井氏はその顔だ。
あいかわらず、ふざけてるのかマジなのか、わからない表情で笑っていた。
キックとベース、ギターのひっかき傷。このBANDの説得力は強い。
図太く重たいビートの前に時間感覚やカテゴライズなど、瑣末なものはすべて踏み潰された。
あれだけ常識の範疇から解き放たれた、いい意味で人を裏切り続けるビートを一糸乱れぬままの正確さで長時間奏でつづけるというのは、もはやその姿勢、生き様において、個として人間として動物として圧倒され、ひれ伏すしかない。
もはや神々しいグルーヴ。しかしどことなく、いかがわしい。
彼等の前では、このBANDという存在の前では、誰もが素直にならざるを得ない。
自我が溶けるような瞬間。自我と空気と音が混ざる瞬間。
極上の土着のファンクネスが鳴っていた。
我々の民俗の遺伝子に直にぶち込まれる。
無意識下に流れる血脈を熱くする。
祭という名の黄色く、現代的なファンク。
いや、ファンクが生まれるよりもずっと以前から、祭は日常を暴発させ、人々を踊らせ狂わせ、時に殺し、しかし赦してきたのだった。
現代社会は複雑で難解か?
しかしZAZENBOYSは、その複雑さ、難解さのひとつひとつに効果音をつけて、グルーヴにしてくれる。
日比谷のビル街にカラスとヘリコプターがとんでくのを眺めながら、おれは自我が溶けていくのを、この圧倒的音圧、音数の海のなかに溺れゆく己を、ひたすらいとしく思った。
「don’t stay with me」
やわらかい風に乗って向井秀徳の歌声が響いた。
誰もかれもが、赦され、
踊らされていた。