さすがにいよいよ土曜日もへばっていられず、事務所で仕事。
11月末からのバウスでの爆音の準備、「アブラクサスの祭」サントラの仕上げのあれこれ、ヘア・スタのライヴアルバムの仕上げ、それからもちろん爆音横浜・・・ 
午後からは月永が来て、いよいよ入稿が迫って来た黒沢さんの講演集のスケジュール確認やら、内容の確認やら。
大島渚「日本春歌考」の中に出てくる歌の歌詞の確認の話になった。

私ももうずいぶんと見ていなかったので、いい機会だからDVDで私が確認することに。
もうすっかり忘れている。

帰宅途中の丸の内線の込み具合にうんざり。
何かと思ったら高円寺は阿波踊りだそうで、いやはやこの暑さの中お疲れさまです。
人込みと熱気がダメな私はひたすら足を速め、自宅に戻るのだった。

まあそれはそれ、見ましたよ「日本春歌考」。
いやあ、アフレコってホント凄いなあと目をみはるばかり。
撮影中のマイクから自由になったおかげで、映画の可能性が何倍にも膨らんでいる。

というような話は、今度の講演集を読めばあれこれ書いてあるし、昨年のPFFでの講演を聴いた方はご承知の通りなんだけれども、私が思ったのは、アフレコの時代に遅れて来たおかげでこのアフレコ、ということだった。

もし大島渚がアフレコの全盛時代に映画を撮っていたとしても、おそらくこのような映画は作れなかったはずなのだ。
同時録音での映画、トーキーの時代の映画をたっぷりと体内に溜め込んだその力が、それ以前の映画の歴史を「その後」へと浮上させて輝かせる、そんな時間の波のうねりがが今もなおこの現在に押し寄せてくる。

黒沢さんがこの映画を、大島渚の中では一番にこれ、と語る理由がよくわかった。

今度の講演集が、こういった時間の波のうねりを更に増幅させる力になることを願う。
というか私にとっては既にその役割を果たしているのだが。
生きていることがちょっと楽しくなった。

樋口 


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