あすはいよいよPhewの新作が店頭に並ぶのだが、それとは全く関係ない別件でPhewに連絡を入れたら、アルバム作りに呆れるくらいの経費がかかったという話になった。

fivefinger


具体的な金額は聞かなかったが、アルバムを手にとるだけでその違いは歴然。
紙ジャケットの紙、印刷どちらも、圧倒的な贅沢な作りなのである。
手触りとして音楽がそこにある、というわけだ。
20世紀後半のレコードの時代は、常にそんなジャケットの触覚や視覚とともに聴覚が開かれていったと言っていい。

爆音映画祭は同様に、触覚や聴覚とともに視覚があることを示そうとしているわけだが、いずれにしてもどちらもどこか時代遅れな試みであることは間違いない。
だから金もかかるし苦労も多いわけなのだが、そして実際このアルバムにしても爆音にしても、「金もかかるし苦労も多い」という言葉以上の容赦ない過酷さでそれらがこちらを押しつぶしそうになっていて、しかしまあ、目眩しながらもギリギリ何とかそれをかいくぐっていくしかないわけなのである。

スリリングな人生といってしまえばそれはそれで何だか格好いいが、そうでも言っていないとやってられない厳しさに、我々は直面しているわけだ。
でも、それもまた生きているということではないかと、最後は楽天的になる。
そんな人間離れした軽さが、このアルバムにもあるように思う。
目眩の酩酊感とともに体感する人生のスリルのあまりにリアルな手触り。

それがジャケットの手触りでもある。
音楽は記号や情報かもしれないが、しかし一方で確実に物体でもある。
物質である故に傷つきもする。
そういった痛みとともに存在するアルバムを、boidも作っていきたいと思う。

しかし、本日は久々に目眩がきつかった・・・
おかげで夜は、中原たちと飯食いにいく予定をキャンセル。
さっさと帰ってグッタリしていた。

樋口 


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