
2004年 boid日記 3月
Text by 樋口泰人
3月28日(日)
2月以降ずっと架かりっきりになっていた諸々の仕事がようやく落ち着き始めた。
ワイヤー以来、テンションは上がりっぱなしだったので、あまりつらいとは思わなかったが、とにかく寝る時間も含め、他に何かをする余裕がなかった。
それでもその間、いくつかの映画を見た。
以前、この日記でも映画を見ないままケチをつけてしまった「しあわせの法則」は、予想よりずっと普通の映画で、怒ることもなく普通に見ることが出来た。
すでに中年の域に達してしまったものの未だにかつての時代のライフスタイルを続ける女性プロデューサーと、その息子で、彼女の自由奔放な西海岸ライフに反発してストイックな学生生活を送る男とそのガールフレンドの物語。
世代、人種、性、貧富の格差などなど、現代アメリカが根本的に抱える問題を、一つの家族の問題として描こうとする、ごく普通にまじめな映画であった。
物語の語り方も奇をてらうことなく堂々としていた。
10年ほど前なら息子役がジョン・キューザックでガールフレンドがジュリア・ロバーツといった組み合わせで作られても不思議はないような。
だから逆に、どうしてこれが、いわゆるインディーズで作られなければならなかったのか、そのあたりが気になった。
リサ・チョロデンコという監督のスタンス、そして彼女を取り巻くアメリカ映画の現状が。
ちなみにboidの爆音イヴェントのシリーズ名、「Sonic Ooze」は、この映画の中で、母のプロデュースするバンドのボーカリストで母の愛人の発言の中からいただいたものだ。
ロン・ハワードの「ミッシング」は、なかなかよかった。
でもどうやら評判は悪いらしい。
それを反映してか、試写室はガラ隙。
しかも、西部劇ということもあってか、年齢層も高い。
すでに亡くなった、田中小三昌さんや野口久光さんとかがそこにいても全く不思議ではない。
気分的には、彼らの亡霊と共に鑑賞、という感じ。
映画もまたそのようなものであった(詳しくは「インビテーション」4月10日売り号を参照)。
あと、子供につれられて行った「ブラザー・ベア」が収穫。
冒頭のティナ・ターナーのテーマソングで、ちょっと熱くなる。
アレンジがそのまま「リヴァー・ディープ、マウンテン・ハイ」なのだ。
誰がどこで歌っているのか分からない、乱れ飛ぶ歌声。
重ねられた音の数々。
でも確実にティナ・ターナーはそこにいて目いっぱい歌っている。
30数年前の自分の歌が「ティナ・ターナー」というメディアによって時を越えてしまった、と言ったらいいか。
残念なのは音の解像度がよすぎて、モヤモヤした全体がいまひとつ浮かび上がってこないところ。
映画館の音響の問題もあるのだが。
内容は、思い切りサイケデリックなイニシエーションの物語。
そこに、映画音楽の常識を超えたパーカッションが鳴り響く。
音楽を担当したフィル・コリンズは、20数年前のピーター・ゲイブリエルとスティーヴ・リリーホワイトに、この音楽を捧げているのではないか。
あるいは単に、美味しいところをいただいているだけか。
などなどいろんな思惑も含め、面白く見ることが出来た。
本日は、佐向大君のDVで撮られた自主制作「まだ楽園」を見た。
会場の設備のためか画質がボロボロで、さすがの私も気になった。
内容をひとことで言ってしまうと、80分で作ったヴェンダースの「さすらい」、ということになるか。
だが、いわゆるシネフィル的な過剰な熱はなく、その距離感が清々しい。
車の走行シーンにも音楽は流れず、俳優達も、過剰な演技をせず、しかしそれがごく当たり前のしぐさであるように極めて普通。
ストイックであることにも過剰さはない。
そうなると、いつ走行シーンに音楽を使うのかが興味の的になるのだが、最初に車から音楽が流れるタイミングもよし。
さらにいいのは、その曲が終わるタイミングと、その曲の終わり方。
まさにその終わり方のためにこの曲をそのタイミングで流し始め終わりにさせたのだろうという、そこだけは確かに熱のこもったシーンのように思えた。
この映画で最も笑えるシーン。
興味深かったのは、「さすらい」とはいえ、物事の因果関係がはっきりしていることだ。
そしてそれが、決して過剰な物語を作ることはなく、この映画が80分で作られたことの枠組みをしっかりと保持しながら、だがあくまでもそれが骨組みとしてそこにあるということ。
その骨組みが作るスカスカな空間に主人公たちは生きていて、しかしそこにこそ彼らの生きる場所があることを、この映画は静かに語っているように思えた。
3月2日(火)
日曜日のライヴですっかり浮ついてしまったツケということになるのか、とにかく仕事の方が完全に身動き取れない状態になっている。
もうひとりではどうにもならないので手伝いを要請。
何とか目先の仕事はこなしているが、気持ちはまったくここにあらず。
月曜日には、Phewさんからも、「生涯最高」とのメール。
彼女は、打ち上げの席で、持っていった1st-3rdシングルやロキシークラブでのライヴ盤にサインしてもらったのだと、すっかり自慢されてしまった。
しかしどうやら1日前の大阪公演では150人くらいしか入らず、東京だってクワトロで1回しかライヴが出来ないわけだから儲かるはずはなく、招聘元のスマッシュは相当大変なことになっているという。
という話を青山にメールすると、「私はその150人にも入れず、今回その程度だからいくら叫んでも2度と来日はしないだろうということを言いたいのか!」という怒りのメール。
いやいや、私が言いたかったのは大阪人こそ鬼で、そうである以上、もう自分で何とかしないとならないんじゃないの、ということだったのだと、返信。
まあそれは半分冗談だとしても、この奇跡的なライヴのために誰かがひどい目にあっている。
2年がかりで企画されたものだということだが、それを支えた愛と努力が、あの日の奇跡のような演奏を支えている。
だがその奇跡は、そういった愛や努力ともまるで関係なくある、そのことを次々に突きつけてくるような音が奇跡を起こす。
ブルース・ギルバートのギターのカッティングはそんな歴史的なもの、人間的なものをすべて断ち切るストロークだった。
あの1回のストロークに、70年代末のすべてが詰め込まれている。
例えば、『悪魔のいけにえ』のチェーンソーが60年代的なものすべてを断ち切っているのだとしたら、ブルース・ギルバートのストロークもまた、それまでのすべてを断ち切り、断ち切られた音の足場のなさだけを足場にここまでやってきたのだと言えるだろうか。
映画のことをほぼまったく知らなかった私が今ここでこうやっていられるのも、そんな音を聴いたからなのだ(ちなみにブルース・ギルバートが始めてギターを弾いたのは33歳のときだそうである)。
だから、ライヴの現場にいたことに関して、その音は「選民意識」のようなもを決して植え付けない。
すべてが断ち切られていることにおいて、その場にいなかった人もそれらの音を聴いているはずで、平等なのだ。
多分だからこそ、青山を怒らせるのだろうけど。
ふふふ。
そういえばつい先ごろ、「リジー・メルシエ・デクルーにインタビューした!」という友人からの知らせで彼女のファーストとセカンド・アルバムが再発されたのを知ったのだが、やはり70年代末に出たファースト『プレス・カラー』の中にも、そのようなギターの音を聴くことが出来る。
ブルース・ギルバートに比べて、それはもっと引き攣っていて、例えば『スクール・オブ・ロック』のジョーン・キューザックの引き攣りと言ったらいいだろうか、より突発的に空間を引き裂いていくストロークなのだが、その後ニューヨークからフランスに戻った彼女がまだ現役で演奏活動をしている以上、やはりここは何とか彼女の来日を実現させたいものだと、切に思う。
まあ、ロケット・フロム・ザ・トゥームスもいるし。
70年代80年代に比べこんなに多くのミュージシャンが来日し、映画も見られるようになっても、結局見たいものはそう簡単に見られないということには変わりはないのだった。