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2004年 boid日記 7月

Text by 樋口泰人

7月29日(木)

本日は終日デスクワーク。
映画祭用のパンフ、カタログ作りが二つ重なって、大混乱なのである。
都合よく雨も降り、外に出る気もしないので、とにかく整理、整理。
すぐに面倒になる。
でもやる。

夜11時過ぎにバウスシアターへ。
『ジギー・スターダスト』の爆音調整である。
スタンダードだった。
もしかして、16ミリ撮影の35ミリブローアップなのか?
輪郭のボケ方も16ミリっぽいが・・・
音のほうは最後まで左右のバランスが安定せず、ひどいときは1曲のうちにどんどんと変る。
基本的に右チャンネルの音が小さく、ちょっとひずんでもいる。
これの調整にかなり苦労するが、結局最後まで安定させることは出来なかった。
だが、それでもよし、という感じにはなった。
というか、その不安定ぶりも含めて見事なロケンロール・サウンドになったと思う。
ミック・ロンソンのギタープレイがこんな形で見れるなんて、もう最初で最後ではないか。
奇跡的にバランスが取れた曲では、ロックの至福の瞬間がやってくる。
それが数曲くらいはあるだろうか。
ロックを見るということがどんなことであるか、デヴィッド・ボウイを見つめ、絶叫する女の子たちの姿がすべてを示している。
こういうときは本当に、女性に生まれてきたかったと思う。
あの一瞬だけで、一生分の幸福を胸いっぱいに詰め込んで、彼女たちは今も生きているのだろう。
その後の人生がたとえどんな悲惨なものであっても、くだらないものであっても、あの一瞬がすべてを許す。
グラム・ロックはそんな一瞬を、視覚とともに、世界に差し出したのだと思う。

girl.jpg


そんなわけで、本日の1枚は、すべての女性に捧げる、とか言ってるしょうもない男たちの脳天に一撃を食らわす60年代ガールズ・バンドのオムニバス。
Ace Records からリリースされているこの手のオムニバスは、どれもあたりが多く、手当たり次第買っても間違いがない。
このオムニバスに納められているのはどれもシングル2,3枚で消えていったバンドたちだが、だが、「その後」を含むすべての時間を「一瞬」に変えてしまうマジックを、彼女達は持つ。
だからシングルでOKなのだ。
昨日、青山が女性ホルモンが多いほうが蚊に刺される問題で、「時々マッチョと言われる」と笑っていたが、これは、青山とたむらさんの映像の持続力と関係があるように思う。
それを「マッチョ」と呼ぶかどうかは別にして、その「持続」は、彼女たちの「一瞬」と、確かに対極にあるものではないか。
だがそれがあることによって、彼女たちは「一瞬」を手に入れることができるのだ。
青山には、堂々と「持続」の道を歩んでいって欲しいものである。

7月28日(水)

本日は長山のCDジャケット撮影。
朝9時30分過ぎに長嶌から電話で起こされる。
一体長嶌、いつ寝ているのか。
たぶん、われわれの中で一番寝ていないのが長嶌だ。
寝ぼけていて、肝心の用件はすべて忘れてしまったが、「他人事だと楽しい」とは一体どういうことなんだよ、普通なら怒るよ、あんた、性根が腐ってるねえ」と笑う長嶌の声が電話口で響く。
いやいや、申し訳ない。
でもねえ、本当にこの暑いのにご苦労様なのである。
で、そのとき長嶌から、どうせ青山は遅れるんだろ、と言われていたのにすっかり用心を忘れ確認の電話をかけ損ねたまま、12時待ち合わせのHMVへ。
カメラマン鈴木、nobody結城は来ているのに青山だけが来ない。
さすがに心配になり電話をすると、寝ぼけ声。
致し方なし。
我々は昼食をとりつつ待つ。
約2時間遅れで青山到着。
新玉線に乗り、長嶌宅へ。
しかし途中、「駒澤大学」「桜新町」間の急カーブで、嫌な音が・・・
『回路』なのである。
常人にはカーブできしむ車輪の音のように聞こえるらしいが、あれは完全に「助けて」と囁いている。
あまりにその音が大きいので逆に普通のきしみ音に聞こえてしまうのかもしれないが、あれこそ幽かな音なのだ。
その「助けて」の声にしばらく左半身が痺れ続ける。
とはいえ、長嶌宅に到着する頃にはすっかり忘れているから、私もいい加減なものである。

撮影はとりあえず、室内物をひとつ。
その後、問題の外での撮影。
近所の公園での撮影となったのだが、何しろ二人とも、思い切りの厚着。
某グループのジャケットに合わせる以上どうにもならない。
その姿を「暑そう」とか言って笑っている予定だったのだが、気がつくと数匹の蚊がブンブンと飛び回っている。
あれこれ指示を出しているうちに次々に刺され、痒い・痛いで、右腕がボコボコになる。
私が長袖を着たい気分だった。
しかし長袖を着てジャケットまで着ていたはずの長嶌が、あちこち刺されているのは一体どういうことか。
青山によれば、女性ホルモンの多さと関係がある、ということだが・・・

その後、私は南青山のデザイナーの事務所で打ち合わせ。
事務所に入ると、思い切り暑い。
なんとエアコンが故障。
沖縄出身のデザイナーは、まあ、これくらいなら、という風情で着々と仕事をしている。
私は汗だく。
「長山」を笑うつもりが、とんだしっぺ返しを食らう。
朝の長嶌の電話の呪いがこんなところで・・・

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で、本日の1枚はX-ECUTIONORSの「Revolutions」。
2時間も遅刻する青山に、エクスキューショナーズからの鉄槌を。

7月27日(火)

午前中から、BMGファンハウスにて打ち合わせ。
某ミュージシャンの作った映画をboid配給で劇場公開することになりそうなのだ。
来週にははっきりする。
うまく決まってくれると、面白いのだが。
その後、日仏学院にてオリヴィエ・アサイヤスの新作「Clean」。
カンヌでマギー・チャンが主演女優賞を取ったもの。
どうやら現時点でどこも配給がついていないらしく、日本の配給各社に向けての試写である。
したがって、当然日本語字幕なし。
カナダ、フランス、イギリス3カ国を行き来する、前作の「demonlover」と同様の非国籍映画。
冒頭のカナダの工場地帯の風景は、クリーヴランドだといわれても、グラスゴーだといわれても、あるいは安中だといわれても納得する、世界中のどこにでもあるはずのインダストリアル・ロックな風景。
こういう場所からロックが生まれるとジム・ジャームッシュが呟いた、そんな風景である。
そこにさまざまなノイズが重ねられる。
風景ショットが変るとそれらのノイズのベースになる部分は変らずそのまま続く。
単なる環境音ではなく、世界のどこにでも鳴り響いているノイズとして処理されているのだ。
そしてそのようなどこにでもある荒れ果てた風景の中に、黒い皮ジャケットを着たマギー・チャンが立つ。
ノイズは消え、ブライアン・イーノの音楽が流れる。
おそらく『アポロ』の中の曲だ。
80年代半ばの発売時に聞いただけだから、その記憶もはなはだ怪しいが。
荒涼とした風景とはかけ離れた美しい曲。
それはアポロの到達した月の風景なのだ、ということなのだろうか。
あるいは、パリの街中でも、それは流れる。
背を丸め、オロオロするマギー・チャンを、誰も見ない。
彼らは地球に生きていて、彼女だけがたった一人月の上に立っている。
あるいは・・・あとはどこだっただろうか、あと2,3箇所で同じ曲が流れる。
昨日の日記でディランの「I Want You」で書いたことを繰り返せば、「結局は単数の私とあなたでしかないそのことの不安と恐れと悲しさの中」に、常にマギー・チャンは立たされている。
それがどういうことか、まるで工場地帯の風景のように荒涼とした彼女の表情の顔色の悪さがすべてを示している。
だがそこで生きるしかないのだと、この映画は告げる。
『月の砂漠』の川辺の木造家屋はここには無い。
その代わりに示されるのは、録音スタジオである。
マイクを前に、彼女は歌う。
一方でこの映画は、経済の流通の映画でもある。
カフェのテーブルに無造作に投げ出されるコイン。
珈琲の自動販売機に投入されるコイン。
その意味の無い円形の記号が、録音スタジオだったかレコード会社だったかの部屋に飾られているシルヴァー・ディスクに引き継がれる。
彼女はディスクを作り、コインを得ているのだ。
だから彼女は歌う。
マイクの前には、円形のカヴァーが置かれている(これはなんと呼ぶのだろう?)。
これが発生時に生じる摩擦音や、過剰な風圧を防ぎ、クリアな音をマイクに伝え、ディスクが作られる。
つまり、この映画はこの円形のカヴァーが聞いた彼女の物語。
流通する円形のディスクからは確かには聞こえてこない物語を、この映画は聞き取ろうとしているようでもある。
だがそれでも彼女は、ディスクを作ることで生きるのだ。
作ることでしか伝わらない、そこにはない音を聞かせるために。

髪を延ばし、ストレートにしたベアトリス・ダルは、「demonlover」のジーナ・ガーションにそっくりだった。
彼女に対して、いつもはさすがにちょっと引いてしまう私でも、これならまったく問題なし。
というか、積極的にOK。
オリヴィエさんとは、女性の趣味が合うのかもしれない。

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本日の1枚はマイアミを拠点にするアルゴリズムの新作『DAWN OF A NEW ERROR』。
マギー・チャンのその後の、それでも続くつらく悲しい人生を思わせる、重く、しかし甘美な音。
その甘美な音を、オリヴィエ・アサイヤスはイーノの音楽で付け加えようとしたのかもしれない。
何も無い、既に歴史が終わってしまった月の表面でしか聞こえてこない甘美な音。
それは、「こういうところからロックが生まれる」工場地帯の騒音の中に紛れ込む甘美な音と言い換えることもできるだろう。
われわれはそこでようやく生きることができる。

7月26日(月)

昨日、安井君と話していて、今回のboidイヴェント「AV Special」のおまけCDのジャケ写案を決める。
長山の二人に、有名二人組みグループのジャケを真似させようというのである。
青山に伝えると、そりゃ、スーイサイドにしてくれといわれるが、当たり前すぎるので却下。
安井君と勝手に決めてしまった某グループ案をそのまま押し通す。
水曜日にその撮影をするのだが、長嶌も青山もこの暑いのにご苦労様である。
こちらがお願いしておいて、ひどい話だが、こういうのは他人事だと本当に楽しい。
このCDは、31日に来てくれた方にチケットを渡し、それを7日のバウスに持ってきてくれたらプレゼント、という段取り。
なんだ、じゃあ、自分が行かなくてもバウスの日に行く友人に預ければいいじゃん、ということになるが、その通りである。
あまり厳密なことは言わない、というか思い切り大ざっぱである。
CDが欲しい人は、バウスに行くかどうか迷っている友人か、あるいは、シネセゾンに行こうか迷っている友人をけしかけて欲しい。
しかし、果たしてこのCDが「おまけ」として有効か、一体誰がこれをもらって喜ぶのか、という声も聞こえてくるが、まあ、それはそれ。

などなど、今回のイヴェントだけでなく、その後に控えるいくつかの大事のため、あれやこれやの段取りをしているうちに日が暮れる。

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途中、10数年ぶりにディラン&デッドのアルバムを聴く。
ここに納められている「I Want You」は本当にいい。
複数形の「I」が複数形の「You」に向かって語りかけているような、広がりがあるのだ ジェリー・ガルシアとボブ・ウェアーのギター。
複数形とは言っても結局は単数の私とあなたでしかないそのことの不安と恐れと悲しさの中で、ディランが「I Want You」と歌う。
ジェームズ・マンゴールドの『アイデンティティー』とはまた違うやり方で、この曲を使った映画を夢想する。
それから、「見張り塔からずっと」のフィル・レッシュのメロディ楽器のようなベースにやられる。
今のロック・バンドの中で、こんなベースを弾く人はいるのだろうか。
涙に暮れているとある友人のためにこのアルバムをコピーしてあげようかと思い立つが、まあ、それはこちらの勝手な思い入れに過ぎないから、やめる。

7月25日(日)

このところ立て続けにいろんなことがありすぎて、われながらびっくり。
毎日まめに日記を書いていればあれこれ報告も出来ただろうが、まあ、それはそのうちに。

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本日は新宿ディスクユニオンにて、ついに発売されたDavei Allan & The Arrows の2枚組を購入。
『ワイルドエンジェル』や『デヴィルズ・エンジェル』など、60年代バイク映画の音楽をもやっていたサーフバンドである。
デイヴィーさんは90年代末にファントム・サーファーズと『Skaterhater』というアルバムを作ったり、彼ら自身も昨年、ニューアルバムを出したりして、まだまだ現役である。
しかしこのジャケット。
いきなり『キル・ビル』の元ネタ映画のひとつである「Hellcats」のイラスト。
この映画のサントラもやっていたのだ。
デイヴィーさんの2ネック・ギターがなんとも不気味でいい。
筒井さんの『オーバードライブ』でも三味線とギターの2ネックが登場して「ミザルー」を弾くのだが、この曲自体はディック・デイルが最初にやったものだけれど、2ネックのネタ元はデイヴィー・アランだろう。
などなど、皆さんがつい使いたくなってしまうのも分かるような音。
特に60年代後半録音のディスク2。
ガレージ・サーフものでは、これと、ライヴリー・ワンズとトラッシュメンを聞いていればそれで十分、という気にもさせられる。
90年代の彼らの音をほとんど聞き逃している怠惰を反省。
というか、90年代はそんな余裕がまるで無かったわけで、ようやくその余裕の無さの原因を振り捨てることにして初めて聞けるようになったのだ。
ちょっとした回り道だったような気がする。
その回り道に関して、今や何の感慨もないことに、我ながらちょっとショックを受ける。

あと、8月か9月に発売になるMC5のDVD用の素材を見る。
60年代の映像かと思ったら、昨年ロンドンで行った再結成ライヴがメインだった。
ロブ・タイナーとフレッド・スミスは既にこの世に亡く、残された3人が、ダムドのデイヴ・ヴァニアンやモーターヘッドのレミー・キルミスター、カルトのイアン・アストベリーらをゲストに迎えてライヴをしたのだ。
ウェイン・クレイマーのギターは健在、というか、さらに洗練され、かなりいい。
ベースとドラムスの二人は、これまでの人生がすべて姿になっているという風情。
彼らは、脱退後、工場労働者をやったり南部の牧場で働いていたりしたのだそうだ。
しかしそれにも増して、デイヴ・ヴァニアン!
完全にエルヴィスが乗り移っている。
ブライアン・セッツァーといいデイヴ・ヴァニアンといい、ようやく私と同世代のミュージシャンにエルヴィスが降臨し始めた。
頼もしい限りである。
ついでに私のところにもやってきてくれないか。
まあ、待ち望むものでもないような気がするが。

7月15日(木)

いろんなことが一気に押し寄せてきていて、できればドッペルゲンガー君に大活躍して欲しいところだがそうはいかない。
本日は、昼の試写に行き、家に戻り、渋谷のデザイナー事務所で打ち合わせして家に戻り、それから夜はバウスシアターで爆音上映音響調整に立ち会う。
本当はその時間帯に、原稿の関係で『サンダーバード』の試写を見ていなければいけなかったのだが。
しかもさらに同じ時間帯で『ジェリー』の完成披露試写もあり、例の音問題がどうなっているか気になるところではあった。
その件に関しては深夜、青山からメールがあり、足音もハエの音も共に聞こえたとのこと。
環境さえ整えば大丈夫なのだ。
ただ、前から2列目の席でシネスコ画面を見ると相当な「ぐにゃり」感なのだそうだ。
特にあの映画の場合、例えば、手前のケイシー・アフレックと奥のマット・デイモンを、何か力技でとにかく両方捕らえるのだと、無理矢理画面をゆがめさせているように見えるところもあり、それを前から2列目で見たら、確かにグラグラ来るに違いない。

バウスの上映の方は『ベルリンブルース』の調整を行った。
何しろ、何年も上映されていない上に、16ミリの磁気録音ステレオ。
調整は難航した。
具体的な機材のことはまるで分からない私はただ見ているだけだからその大変さをうまく伝えることはできないのだが、オリジナルのフィルムのサウンドトラックの一部が弱っていて、所々でノイズが出てしまうのだ。
爆音上映だと、そういったノイズもそれなりに耳障りなものとなるから、そのままやるわけには行かない。
それをどう小さくしてしかも他の音を大きくするにはどうするか。
そこからがスタッフの腕の見せ所となるわけではあるが、既にあるものをなくすことはできないので、さまざまな方法を試し、それでも次第に何とかなってくるからすごい。
さすがに他の映画と同じレベルの大きさで音を出すことはできないが、それでももうノイズが気になるということは全くない。
当日をお楽しみに。
映画の内容の方は、もう20年近く前に見ただけだったのでこうやって実際に画面を見ても思い出すところとそうでないところがあった。
もっとミュージカルに近い作品だとばかり思っていたが、どちらかというと演劇に近い。
しかもパンクの時代だから、めちゃくちゃ。
今見るとそのめちゃくちゃさもどこか長閑な感じもするが、当時はノリノリで見たように思う。
ただ、ジェイン・カウンティが「I Fell In Love With A Russian Soldier」をテレビで歌うシーンがあって、このヘナヘナぶりは、かなりいい。
ここまで肝の据わったヘナヘナを、そう見ることはできない。
うーん、単にやけくそなのか・・・

それから、この間、見逃していたスコセッシ製作総指揮の「ブルース・ムーヴィー・プロジェクト」シリーズのスコセッシ編『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』と、マーク・レヴィン編『ゴッドファーザー&サン』を見た。
スコセッシの方は、ピーター・ギュラルニックが「writing」 というクレジットで載っていたのだが、「監修」とか「構成」みたいなことだろうか。
タイトルはマディ・ウォーターズの曲名でもあり、ギュラルニックの書名でもある(かつて大栄出版から刊行されたそれには『ロックに棲むブルース』というタイトルがつけられていたが)。
映画公開と合わせて発売された『ザ・ブルース』という本もギュラルニックが監修しているから、おそらくこのシリーズ全体をギュラルニックが監修しているのだと思う。
こちらはまだ勝っていないのだが、本棚から『ロックに棲むブルース』を引っ張り出して、拾い読みした。
発売時に読んだときは、どちらかというと「お勉強」的なものにも思えたのだが、このシリーズを見てから読むと、かつての硬派なイメージとは違ってひたすら感情を刺激する。
そしてその感情を刺激する何かに向かってひたすら探求を続けていくギュラルニックの姿勢に圧倒される。
スコセッシ編にもマーク・レヴィン編にも、その強靭な姿勢がしっかりと貫かれていたように思う。
そうそう、スコセッシ編には、もうひとり、アラン・ロマックスという人物が出てくる。
30年代にアメリカのフォークソングやブルースなどを録音し、国会図書館のライブラリーを作った人で、レッドベリーなどの発見で知られているが、彼と一緒にフォークソングやブルースのテープ収録仕事をしたのがニコラス・レイである。
映画狂のスコセッシがそれを知らぬはずはないが、映画の中には一切ニコラス・レイの名前は出なかった。
それは、禁欲的なギュラルニックの姿勢によるものなのか、あるいは、自らをニコラス・レイになぞらえてブルース探求の目と耳になろうとするスコセッシの態度表明なのか。
マーク・レヴィン編では、あの『エレクトリック・マッド』収録のメンバーが一堂に会する。
彼らをバックに、チャックDやコモンがライムする映像はたまらない。

7月7日(水)

暑さの中、午前中からあちこちに行ったり来たりして、すっかり疲れ果てた挙句、とある映画を見て、呆然とする。
悪くはないと思ったのだが、その周りに貼りついたプロの仕事という政治的なシニシズムと映画への善意との交わりのなさに、見終わって時間が経つほどに苛立ち始める。

夜は、『ドリーマーズ』の音探しに没頭。
映画の中で使われているジャニスの「I need man to love」の音源が分からないのだ。
『チープスリル』でないことははっきりとしているのだが、だからと言ってその頃、この曲が入ったレコードは出ていない。
『チープスリル』でさえ68年の9月発売で、68年の4月から5月が舞台となるこの映画には間に合っていない。
音源として一番可能性があるのは、68年4月12日と13日のサンフランシスコでのライヴを収録した『ライヴ・イン・ウィンターランド』なのだが、この音源が始めて世に出たのは98年。
演奏は限りなく『ドリーマーズ』のものに近いが、イントロのギター・ソロが、丸々倍あるのだ。
だれか、耳のいい方はいないだろうか?
40秒ほどのそのギター・ソロを、デジタル処理してつなぎ合わせ、もう1回それを繰り返させているとしか、私には思えないのだが、まさかそんなことをするとも思えず・・・
ただ、冒頭のエッフェル塔を延々とトラックダウンしてくるCGショットを見ると、この映画自体がそういう映画であるとも言えるので、それくらいのことはしていてもおかしくないとも思え・・・
どうやら、ウィンターランドのライヴ盤は8月にリマスター盤が発売されるらしく、そちらでは長くなっているかどうか確かめたい気もする。
まあ、そうなると、一体「ライヴ」とは何かという問題に直面してしまうのだが。
いずれにしても、もしその音源が『ウィンターランド』からのものだったとしたら、98年に世に出た68年の音源を持って、誰かが68年に出向いた、という仮説が成り立つようにも思う。
あるいは、パリから遠く離れたサンフランシスコで、当時鳴り響いていたその遠いこだまが、この映画では流れているのだとも。
こんなときは本当に絶対音階が望まれるが、まあ、それはそれで気持ち悪いだろう。

7月3日(土)

AV Special のチラシが出来上がる。
今回は、茨城にある超格安印刷所を使ってみた。
あまりに安いので一体どんなものになってくるか心配ではあったのだが、まあ、値段を考えると納得の印刷。
黒が浅かったり、色がちょっとくすんでしまってはいるが、チラシ程度なら問題なし。
バウスシアターからboid分のチラシを受け取った後、西荻にて安井君と午後のひと時。
nobody松井がバイトをしている喫茶店だという。
本日は不在。
しばらくするとちえさんがやってくる。
安井君はちえさんには何も言わず出てきたらしいのだが、あなたの行動範囲なんかたかが知れてるわよと、ちえさんは余裕綽々である。
ちえさんとは1年ぶりくらいに会うのだが、いや、もっと会っていなかったか、とりあえず元気そうで何より。
すぐにエネルギーが切れるとは言っていたが。
とはいえ、あれこれ話を聞くと、私より十分エネルギッシュではないかと思えてくる。
要するに消費のバランスの問題。
しかし、その後さらに衝撃の事実を聞き、唖然。他人事として聞くと、なんともいい話ではある。

AVspecial.jpg

夜、安井君から渡してもらった、ガスヴァン「ジェリー」のビデオを見て、音を確認する。
やはり記憶違いではなかった。
音はある。
しかしあまりにかすかな音で、ヘッドホンでないと聞こえないだろう。
ヘッドホンでも、注意して聞いていないと聞き逃すくらいの音。
劇場の環境では聴くのは難しいかも。
それでもこの音がつけられたという理由は分かる。
そこには聞こえない音がつけられなくてはならなかったのだ。
しかも、そこにはいない人の足音のように。
だがあるものはある。
この音を聴くためには、爆音上映しかないという確信を深める。
いつか「サイレント・ナイト」というのをやろうと考えていた。
つまり、限りなく小さな音を聴くための爆音上映。
爆音の極みである。
これが出来たところで爆音上映シリーズの役目は終わる。

7月1日(木)

迷子になった。
渋谷にあるデザイナーの事務所で打ち合わせ後、表参道から青山ブックセンター本店を目指して歩き始めたものの、いくら歩いてもないのだ。
このあたりは、よく仕事をしているデザイナーの事務所もあって、道を間違えようもないのだが、それにまあ、青山ブックセンター本店への道を間違えようにも、青山通りをまっすぐなだけだから間違うはずもないのだが、それでもないのである。
そういえば、歩いてくる途中、あったはずのパン屋のアンデルセンがなく、この2ヶ月ほどこのあたりに来てなかった間になくなってしまったのか、あんなに繁盛していたし、地下のカフェのサンドウィッチは本当においしかったのになどと思いながらきたのだが、どうも風景が違う。
いやしかし途中に紀伊国屋はあったし、もうすぐ到着するはずだと思うものの目の前にはエイベックスの入ったビル。
おお、表参道から外苑前方向に歩いてきてしまったのだ。
青山ブックセンターは、渋谷方面ではなかったか?
慌てて、デザイン事務所アシスタント兼辣腕マネージャーであるnobody三宅に電話をかけ、ブックセンターの位置を確認。
やはり反対に来てしまったのだ。
うーん、しかし紀伊国屋はどうしてあそこにあったのか・・・
強い日差しの中トボトボとブックセンターに向かっていると、洋一君がいる。
こんなところでひとりで何をやっているのか。
明らかに世界は俺のものと思い信じて疑わないはずのふてぶてしい面構えの腕白な都会っ子。
幼少の頃の梅本さんに瓜二つなのである。
まあ、そのころの梅本さんを知っているわけではないのだが。
蹴飛ばしたらどんな反応をするだろうかと思ったが、私もいい大人だからそんなことはしない。
いい大人でなくてもしない。
信号待ちをしていると、今度は相米さんがやってくる。
一回り小さくした感じか。
生きていて、60歳くらいになったらこんな感じになるのではなかったか。
このあたりは時間もねじれているのだろうか。
紀伊国屋は建て替えで、跡地は大工事の真っ最中であった。
アンデルセンにも人はしっかりと入っていた。
などなど、相変わらずあわただしく時間が過ぎる。