
2004年 boid日記 10月
Text by 樋口泰人
10月28日(木)
延々と仕事をやり続け、そのまま釧路行きの飛行機に乗る。
しかし私は飛行機が死ぬほど嫌いなのだ。
ほんとに参る。
ただひたすら我慢するのみ。
釧路は思ったほどは寒くない。
といってもちょっと外にいるだけでは、という留保条件付。
青山はすでに風邪声。
北海道移動前後に熱を出していたらしい。
一方、一番心配していた阿部君、青ざめながらメイキングを撮っているのかと思ったら、思い切り顔色よし。
つやつや。
なんということだ。
ほとんど休みもせず、カメラを回し続けているらしい。
中原も同じ。
いつもの病気っぽい顔色とははるかに違う。
私も数日後には、このような状態になっているのだろうか。
しかし、夕食にいった若鶏唐揚屋で、唐揚にむしゃぶりついていたら、いためていた前歯をやられる。
思うまもなく、差し歯が取れ、間抜けな歯抜け状態に。
ああ。
明日からが思いやられる。
しかも、中原、言いたい放題。
あまりの暴言、誠意のなさに、明日からは中原に隠しマイクを取り付けてそれをすべて録音し、DVDのおまけとして中原語録をつけようということになる。
私が物覚えがよかったら、ここに具体的にすべて書き付けるのだが・・・
10月26日(火)
月曜日から延々と作業をやっていたので、ほとんど気が遠くなっている。
雨が降っていたようだ。
寒い。
北海道は、東京の真冬並だそうだ。
少しは気合が入るだろうか。
10月24日(日)
いよいよあれやこれやが切迫してきて、本日はすべての予定をキャンセル。
疲労困憊、というのもあるのだけど。
28日から北海道行きが決まった。
青山の新作撮影の取材である。
阿部君がメイキングを撮っている。
その手伝いも兼ね、また、俳優中原、音楽家長嶌などなどのご様子伺いも。
面白がってはいけないと思うが、皆さん、どんな顔してやっているか。
とはいえ、今の疲労度では、北海道の寒さに出会った瞬間、倒れそうでもある。
スタッフの皆さんに迷惑かけないようにしなければいけない。
そうそう、ちょっと前の京都国際学生映画祭に出席したとき、ダウザーの片割れである寺井君が始めた古本屋(というか、古本をメインにしたセレクトショップのようなもの)に寄って来た。
これがまた、なかなかいい雰囲気で、妙に馴染んでしまった。
「書肆 砂の書」という店。
http://www.sablelivre.com/
サイトを見れば分かるように、1冊1冊に関するコメントが、気がきいている。
これだけで本を買いたくなってしまう人も多いと思う。
青山ブックセンターの倒産と再開が世間では話題になっているが、こういうサイトを見ると、青山ブックセンターは単に、文化バブルの中で弾けてしまった本屋としか思えない。
何と言うか、かつては「書肆 砂の書」みたいだった本屋のなれの果て、みたいな。
再開署名とか、郷愁にしか思えないのだが、いかがか。
現在進行形の「文化」は、たぶん、もっと見えないところで花開いている。
京都で開店した小さな店は、そんなことを教えてくれた。
もちろん青山ブックセンターの再開にけちをつけるつもりはないし、郷愁もまた良し、と思う。
社員を始め、取引先、顧客その他、多くの人がその再開を喜んでいるだろう。
ただ、それ自体にもはや文化的意味はないのではないかと思うだけだ。
「自分で探すんだよ」って、ジョー・ストラマーも言っている。
10月23日(土)
青山ではないが、まるで日付の分からない日々を送っている。
さすがに疲労困憊。
ちょっと背中を押されればそのまま崩れ落ちそうな感じでもある。
本日は、六本木ヒルズにて東京国際映画祭のレセプション。
白鳥あかねさんが「功労賞」と言うのをもらい、文化庁から表彰されるのだ。
篠崎と6時に待ち合わせ、ヒルズにつくと、エスカレーターのところのスクリーンに、レセプションの様子が映し出される。
小泉首相の挨拶になる直前、エスカレーターに乗っていた私は分からなかったのだが、結構な揺れがきたと、司会者達がうろたえている。
別に『華氏911』に思い入れがあるわけではないが、見ることもせず「偏向映画」呼ばわりするような首相をそんなところに呼ぶからだと、中指を立てる(そのおかげででもないのだが、森ビルのエレベーターが止まり延々と待たされる羽目になる)。
映画祭の主催者たちは一体何を考えているか?
そんな奴に挨拶をもらって何が嬉しいのか?
たいした国家補助が下りているわけでもないだろうし。
まあ、私も時々文化庁がらみの仕事をして生活の糧を得ているわけだから、あまり大きなことは言えないが。
こういうイヴェントを、クソやろうとか言わずに、じわじわと正しい方向に持っていく大人のやり方は確かにあるだろうが、クソはクソである。
似たようなことを、パーティ終了後、少し酔っ払った宍戸錠さんが声高に言っていた。
宍戸さん、いきなり松田さんに話しかけるんで、松田さんは既に知り合いなのかさすがプロデューサーと思っていたら、松田さんも初顔合わせだったと。
こんなところ、パーティをやるような会場じゃない、どうせなら都庁を解放しろと、宍戸さん。
常識ある映画人は皆そう思っているはずである。
とはいえ、白鳥さん始め、その他の受賞者の方々にとっては、それはそれこれはこれだろう。
多くの知人・友人たちに囲まれて、本当に嬉しそうであった。
ビデオ撮影の時代なってスクリプターという仕事の役割も根本的に変わらざるを得なくなった今、白鳥さんが表彰される意味は大きいと思う。
パーティ終了後、某配給会社の友人から、ヘルプの電話有り。
どうやら、この映画祭のために来日予定していた女優が飛行機に乗り遅れたと。
うーん、生ものはやっかいだ。
そうそう、地震でちょっとびびったのは、2日前、バウスシアターでのジョー・ストラマー、ニール・ヤング用爆音セッティングの際、4つずつあったspeakerを、これまでのように2列2段ではなく、1列4段に組みなおして、天井近くまで積み上げていたことだ。
あわてて電話をしたところ、スピーカーは無事。
結局朝までかかった爆音セッティングは、これまでで最高の音響環境となった。
『グリーンデイル』恐るべし、という感じ。
11月5日の試写の反応が今から楽しみではある。
でも、一番来て欲しい、雑誌編集者を初めとする情報の発信にかかわる人がなかなか来てくれないんだよなあ。
これっていくら口で言ってもどうしようもなくて、現場で体験してもらうしかないのにねえ。
まあ、試写になかなか行かない私に言われたくはないだろうけど。
そうそう、クランプスが78年にやった精神病院ライヴのDVDが発売された。
20年くらい前、友人の家でビデオを見て以来の鑑賞。
途中から鑑賞に参加した我が家の姫が、ボーカルのラックスを指差して、「この人が一番おかしい」と。
うーん、ラックス恐るべし。
しかし、本当に、わらわらとたむろする患者たちの中でクランプスが演奏していると、一体誰が正気で誰が狂っているのかまるでわからない。
ある患者がマイクを持って歌い始めたところ、別の一人がそれを止めに入ったから、その人は看護士かと思うと、その人も患者である。
うーん、さすがのラックスも、最後まで全裸にはならなかった。

10月10日(日)
10月は毎日日記を書いてやろうと思っていたのだが、やはりそうはいかない。
あれこれやり終わると、既に朝で、もう、日記を書くとか、そんな感じじゃなくなっているのだった。
本日も、一応日付は10日だが、既に11日朝で、昼過ぎには京都にいなくてはならない。
京都国際学生映画祭というのに参加するのだ。
参加すると行っても私は学生ではないので、コンペの審査をやったのだった。
あまりの忙しさに、断った方がいいかなと思い、周りからも、その忙しさじゃやめといたほうが身のためと言われていたのだが、つい、ズルズルと引き受けてしまった。
こうなってくると、やはり周りの意見の正しさが証明されてわけなのだが、1本だけ、ちょっとすごい作品にめぐり合えた。
もちろんそれがグランプリとなるわけだが、ただ、この映画祭でグランプリをとったからといって何かが保証されるわけではないから、監督は大変である。
法政の学館の解体を巡る映画でもあるので、安井・青山には是非見てもらいたいと思っている。
あと、黒沢さんにも。
こういう映画がちゃんと作られているということを発見できただけでも、無理して審査員をやった甲斐があったというものだと、今は自らを慰めるばかり。
とはいえ、選から漏れた監督立ちの中から後にとんでもない人が現れて、自分の見る目のなさを思い知ることになる、ということも十分に考えられるのだが。
まあ、既に、私には対応することのできない映画の兆しをそれらの中に見たような気もして、いずれにしてもいい経験になったように思う。
しかし果たして、本当に新幹線に乗れるのか・・・
『レッツ・ロック・アゲイン!』のパンフ作りが、いよいよ山場に差し掛かっている。
山場と行っても、これからあれこれあれこれあれこれが追加となるはず。
あれこれいろんなものが集まり始めると、ついまた、じゃあこれもとか思い始め、デザイナーの倉茂君には、もう、相当な負担がかかってしまうはずで、今から頭を下げるばかり。
でもまあ、こんなもんだよなあと。
仕事でやってるわけじゃないし。
2002年の来日時に、スタジオボイスに掲載予定で湯浅学さんがインタビューして、結局掲載されなかったインタビューを、今回のパンフに掲載することになったのだが、数あるインタビューの中で最後のインタビューだったみたいで、本人はすっかり疲れている様子。
それが言葉にも表れていて、なかなか面白い。
やらなきゃよかったことなんて、もう、いっぱいありすぎて、みたいな話とか、レコーディング中も演奏中も、一体自分が何をやってるのかよく分からないままやっている、というような話などなど。
しかし、公開までにパンフが完成すればいいのだけど。
10月4日(月)
爆音が身体に来たのか・・・
10日ほど前、左足の小指を箱の角にぶつけ爪をはがしそうになったことから始まり、左奥歯の詰め物が取れて歯医者に行かねばと思っていたら、本日は怪しかった前歯の差し歯が取れた。
しかも、昼食に当たったらしく、夜になってひどい下痢。
何も食べられなくなってしまった。
こんな状態だと、映画公開日には一体私の身体はどうなってしまうのか。
「デッドマン」への道をひた走るばかりなのか・・・
10月3日(日)
ほとんど日付が意味を成さないような状態であれこれ動いているのだが、当然曜日も意味を成さない。
夕方、安井君と電話をしている最中にもあれこれ電話が入り、安井君に笑われる。
これは一体遊んでいる状態なのか働いている状態なのか、まるでわからない。
ただ、何かに背中を押されてる状態であることは確かだから、これでいいのだろう。
その電話の中で、安井君から、DMXがプロデュースした映画の事を聞く。
ほとんど宣伝もされぬまま、現在、お台場のみで公開中。
『ネヴァー・ダイ・アローン』。
スパイク・リーのカメラマンをやっていたアーネスト・ディッカーソンが監督である。
試写状がきたという記憶もない。
何ということだ!
DVDが発売される前に、なんとか爆音DMXナイトをということになる。
その後、バウスに行き、火曜日の『グリーンデイル』爆音試写のための音響調整。
フィルムがまだ到着しないため、火曜日はベーカムSP(当初、DVDでの上映を予定していたが、音の問題でベーカムSPに決定)での上映になるのだが、元々の映像が8ミリ・フィルムで撮影され、それが35ミリにブローアップされているので、ベーカムでも全然問題なし。
最初、音が出てこず、しばらく時間がかかる。
だがようやく解決。
この映画は台詞がなく、すべてニール・ヤングの歌なので、思う存分な爆音が出来る。
さすがに、スクリーン裏のセンター・スピーカーの許容範囲が限界になるのだが、とにかくその限界まで。
そのボリュームとサイドのPAとのバランスをとり、最後に、PAにアナログ・ブースターをかますと、音が一気に耳に飛び込んでくる。
座っているだけで椅子がぶるぶると震え、心臓がバクバクとなる。
いやあ、昨年の武道館がこれくらいだったら。
特にすごいのが、アルバム『グリーンデイル』で言うと6曲目の「bandit」。
アコースティック・ギターをビリビリと震わせながら弾く歌だ。
音域が思い切り広く、その広さが本当の爆音となって身体を直撃する。
おお、この音とともに、クレイジーホースはこの映像を見つめていたのだ。
われわれはアメリカである、われわれはマザー・アースである、われわれはわれわれである、だからわれわれはアメリカもマザー・アースもわれわれも救わねばならないし、救われねばならない、という主客が次々に反転していくフィードバックが、見ている側の身体で起こるのだ。
そのように、音も映像も作られている。
8ミリのぼんやりとした輪郭は、そのためのものだ。
ラストシーンの「be the rain」大合唱(と言っても聞こえてくるのはニール・ヤングの歌なのだが)は、雨にうたれ雨となり雨であるわれわれの大合唱となる。
ティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』のラストに欠けているのはこれなのだ。
『グリーンデイル』のこのラストを見ると、ティム・バートンはまだまだお子ちゃま。
ほんとに、武道館に集まった延べ2万人の人達の一人一人にこれを伝えたい気分だが、いったいそれにはどうしたらいいのだろう。
今度の火曜日の試写はDVD上映というのを告知しているので、映画好きの人はバカにしてこないだろう。
でも バカにしているがいい。
世界中をバウスシアターにしたい気分で帰宅する。
それから下の画像は、アルバム『グリーンデイル』のセカンド・ヴァージョン付録のDVD、『グリーンデイル』の音楽メイキングから抜いたものだ。
壁のスクリーンに映像を映しながら演奏している。
しかもそのスクリーンに何故か『デッドマン』のポスターが反射しているのだ!
この壁のスクリーンは、後からのはめ込みだから、実際にはこの位置には無かったと思われるが(演奏自体は映像を映しながらやったことがインタビューで語られている)、それゆえに『デッドマン』の映り込みは確信犯だろう。
無許可だが、まあお許しを。
しかし一体誰に許可が必要なのか!

10月2日(土)
1ヶ月なんてあっという間に過ぎてしまう。
あまりに大変なのでサボっていたら、既に一ヶ月以上、日記の更新をし損ねていた。
この間のことを書き始めると大変なので、やめておく。
でも、本当に、映画みたいなことって起きるんだなあというのが実感。
それに、友人の占い師に「働くために生まれてきてはいないのだから、堂々と遊ぶべし」と言われていい気になっていたのだが、今のこの忙しさは一体・・・
まあ、気分的にはこれもまた延々と続く「遊び」の延長でもあるのだが。
したがって、ほとんどの試写にも行けず。
イオセリアーニの助監督だった人が作った『やさしい嘘』(既にタイトルもあやふや、資料を探したがすぐには見つからず・・・)という映画では、『ジェリー』と同じピアニストの、同じ曲が流れた。
不思議な感じがした。
『ジェリー』の遅さとは違う、速さがあった。
イオセリアーニとガスヴァン・サントの違いだろうか。
誰からも振り向かれないような時代遅れの田舎に住む人々と老人たちの物語を、その「速さ」で語るこの映画の持つ対象への距離感は、彼らが住むその土地の「速さ」が持つものでもあるように思え、監督の視線の真面目さを感じた。
アイスランドの女性監督が撮った『陽のあたる場所から』という映画もピアノが決定的な意味を持っていた。
「ストーミー・ウェザー」っていう原題のままでいいじゃんとも思えるが、まあ、その嵐天の中の一瞬の陽光のように、ほんの一瞬、ピアノ曲が流れる。
主人公がアイスランド行きを決意するその瞬間なのだが、その他の音楽は、北野武映画の久石譲の音楽みたいでまったく感心しなかったが、そこだけ、おそらく既成曲の、ピアノの生演奏が、その一部分だけ使われるのだ。
この一瞬のためだけにこそ、その他の甘く安っぽい音楽があるのではないかと思わせる、息を飲むような時が、出現する。
例えば、『CURE』で、独房の中の役所広司を仰角でとらえたその向こうの天井に、いきなりなにやら穴のようなものが開く、それに気づいてしまった瞬間のような、一瞬であり永遠であるような時。
このおかげで、その後の主人公のすべての理不尽な行動が証明される。
いや、すごいピアノの使い方だなあと感心しながら試写室を出て、担当にそれを告げると、覚えていないと言う。
何てことだ!
まあ、どうせ私は、人が見ないものを見たり聴いたりするってことだから、いいんだけど。
でもそうやって安心しているがいい。
あと、ウォン・カーワイの『2046』は、何度か見るチャンスをもらったのに、行き損ねた。
すべて、『レッツ・ロック・アゲイン!』と『グリーンデイル』の宣伝と上映の準備に奔走していたためだ。
こうやってあれこれやってみると、まあ、確かに宣伝・上映は大変な仕事である。
だが、その宣伝のために、一体どれだけの金がばら撒かれ、どれだけ無駄な労力が消費されていることか。
皆バカじゃないかと思う。
うーん、その宣伝費の1割を、誰かboidに寄付してくれないか!
ああそうそう、来年、ようやくオリヴィエ・アサイヤスの『デーモンラヴァー』の公開が決まったという知らせが届く。
長い時間が過ぎてしまった。
たまたま、「nobody」次号に、『デーモンラヴァー』と『クリーン』(こちらもオリヴィエ監督)についての原稿を書いたばかりのところだったこともあり、妙に高揚する。
『イルマ・ヴェップ』や『クリーン』にも参加していたルナも、今月半ばには来日、アルバムも発売になる。
どうやら、マギー・チャンとのデュエットもあるらしいのだが。
『クリーン』に参加していたミュージシャン達のアルバムも発売になるかもしれないという知らせも届き、どうにかしてこういう流れをうまくつなぎ合わせることが出来ないかと、妄想する。
何か久々に書くとと調子が出ない。