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2004年 boid日記 11月

Text by 樋口泰人

11月19日(金)

『レッツ・ロック・アゲイン!』最終日。
この上映にこぎつけるまでも、上映が始まってからもとんでもないことがあれこれ起こり、一体どうなることかと思ったが、とにかく無事、最終日を迎えることが出来た。
今週に入ってからは毎日かなり込み合っていて、本日はほぼ満員。
3種類作ったポスターも1種類は完売、残りもほとんど売り切れ状態で、パンフレットも大勢の人に買ってもらった。
何はともあれ、会場にやってきてくれた皆様、そして、自ら手伝いを申し出てポスターやチラシを配布してくれた皆様、普段の仕事の隙に仕事のふりをしながらこっそりと時には堂々と宣伝活動を展開してくれた皆様、そして、いつものことだが、宣伝予算ゼロのむちゃな自費上映企画に喜んで付き合ってくれた上にさらにあれこれ過激な企画も繰り出してくれるバウスのスタッフの皆様、などなど、この映画に関わってくれたすべての人に、御礼を。
このようなDo It Yourself な形で上映活動が出来ることが、今後あるかどうか分からないが、たぶんまた、わがままな企画を立てて、バウスシアターの皆様を困らせることになると思う。
それもまたよし、というところだろう。
DVDの発売が停止されていて、海外の権利問題の処理が済むまで上映もしばらく出来ないが、すべてクリアになった際には、再び爆音レイトをやりましょうという話で、とりあえず今回は幕を下ろす。
2週間後には『グリーンデイル』が待っている。
こちらはさらに爆音絶好調なので、今回の上映で味を占めた方は、是非知人・友人に言いふらしていただきたい。

しかし、こうやって終わってみると、それなりに気が抜けているのが分かる。
気がつかなかったが、たぶん、張り詰めた2週間、というか準備も含めると2ヶ月間だったように思う。
普段の仕事とは全く違う事をやっていたから、逆に面白くもあり、つらくもあり、あれこれ勉強になった。
時にはいいものだと思う。
この状態で『グリーンデイル』へ突入できるといいのだが。
本当に不思議で、いい映画なのだ。

11月18日(木)

昨日は、『エリ・エリ・レマサバクタニ』の撮影に、早朝から参加したため、その後は何も出来ず。
徹夜明けの早朝からの轟音ノイズはさすがに体に悪い。
それに中原、身体に悪い音ばかりを出すからねえ。
おそらくそれが、この映画の狙いでもあるだろうけど。
この身体に悪い音から、北海道の大草原での癒しの爆音への「銀色の遥かな道」(『カナリア』より)ということだろうか。
『カナリア』と『エリ・エリ・レマサバクタニ』の「遥かな道対決」2本立てというのはどうだろう。

本日は、夏からずっと連続公開されていたマーティン・スコセッシ製作のブルース・シリーズのボーナス・トラックとも言える、全員大集合ライヴ・フィルム『ライトニング・イン・ア・ボトル』。
全員大集合だから、まあ、つまらないわけはないのだが、メディアボックス試写室の音が悪いのにはちょっと、閉口。
低音と高音が全然出てないのだ。
中音域だけで何とか体裁をとっている。
せっかく登場したジョン・フォガティの高音が延びない。
あの高音がジョン・フォガティなのに!
それに、ルース・ブラウンのリハーサルのシーンで、それが終わった後、血相を変えたオデッタだったかが、ミキサーに向かって「あんた、この偉大な歌手をなんだと思ってるの。バンドと対決でもさせよっていう気!」と怒りまくり、リハーサル会場が一瞬凍りつくのだが、バンドの高音と低音が試写室では再生されていないため、見ていてもどうして彼女がこんなに血相を変えているのか全然ピンと来ない。
つまり、ブラスの高音、パーカッションやベースの低音がガンガン出すぎていて、ルース・ブラウンがそれらよりさらに大きな声で歌おうと必死になっている、ということなのだとおもう。
ミキサーがそれらのバンドの音とルース・ブラウンの声とのバランスをとっていないことに、彼女は怒っているのだ。
でも、試写室では中音域だけだから、見ているほうには、多少、目いっぱい頑張りすぎかな、程度にしか聴こえない。
音と声への敬意がここでは問題にされていて、その問題は、この映画の冒頭で、アンジェリーク・キジョーによって「黒人の声だけは誰も搾取できなかった」というようなことが語られているわけだから、確実にこの映画の核心に触れる「怒り」であるはずで、それが伝わらないような試写室の音響になっているのだった。
あるいはまた、インタビューでは、多くのミュージシャンが「ブルース」を音楽の形式ではなく、彼らの中に突如として下りてくる、彼らに音楽を演奏させる何か、自分ではコントロール不能の何か、というようなことを言っているのだが、この中音域の中で適度に調整された音では、結局それらミュージシャン達を突き動かす「ブルース」に触れることは出来ないだろう。
結局、「ブルースっていいよねえ」とか「BBキング、カッコいいねえ」程度のこととして消費されていくに過ぎない。
そこでは、われわれは、体よく与えられたものだけを聴いているだけだ。
公開されるシネマライズの奮闘を願うばかり。

個人的には、非常に生真面目なこのライヴの中で、最も不埒な態度を見せるメイシー・グレイ、不敵なクレランス・ゲイトマス・ブラウン、そして、明らかにその場には違和をもたらす「反ブッシュ、反戦」をアピールする替え歌を歌い、そのひんやりとした空気の中でそこだけ熱いチャックDが気に入った。
しかし、デヴィッド・ヨハンセンは・・・いや、すごくいいんだけど、やはりここに出演するのは反則ではないかと・・・
そうそう、メイシー・グレイは、シャウトするわけでもなく、Tweetのようなウィスパー・ヴォイスとも違って、音の間を漂うように歌う、あの歌い方がいいのだが、アルバムではどうももうひとつうまくいっていないような気がする。
アメリカ・ブラック・ミュージック界のビッチなUTADAとして、一体何人が歌っているのかよく分からないような、遍在する歌声を聞かせてもらいたいものだと思う。

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11月16日(火)

ゼメキスの新作『ポーラー・エクスプレス』を見る。
クリスマス用のファミリー映画で、「パフォーマンス・キャプチャー」と呼ばれているらしい、とにかく最新のCG技術を使って、限りなく実物に近いフル3Dアニメである。
限りなく実物に近いが偽者、というのがこの映画のポイント。
物語はほとんど『コンタクト』で、『フォレスト・ガンプ』以来のゼメキスのエッセンスが反復される。
キーワードは「見ることは信じること」。
これが何度か繰り返し発話されるのだが、われわれが見せられているそれ自体が、実物に近い偽もの、というわけである。
しかも丁寧にも「見えないものの中に真実はある」とも語られ、当然、「音」の物語となっていくのである。
『コンタクト』が「音」で始まった事は、さすがの私も記憶している。
見ること、その場にあること、いることへの不信と危機があからさまになっている今、限りなく宗教に近いレベルで、ゼメキスは語ろうとしているのだということがよく分かる。
ただ問題は、子どもが「北極号」での旅から帰還した、その後がないことである。
『フォレスト・ガンプ』以降、ゼメキスの物語には、必ず「その後」がついていた。
旅の経験と「その後」の世界とのバランスを欠いた関係のシニカルな描写が、それらを特徴付けていたはずだが、今回はそれがない。
「ファミリー映画」として撮られたからだろうか。

昨日見た塩田君の『カナリア』も、最も気になったのはその点だ。
常に何かを求め続け、しかし失敗し続ける、そのことの途方もなさに対する敬意と恐れが、そこにははっきりとかけていたように思う。
いくつか印象に残るシーンはあったが、しかしわれわれは、何かを信じ、そしてそのこと自体が信じることを危うくさせる、そんな危うさの中でようやく生きられるのではないかと思う。
DVENDRA BANHART の新作『NIÑO ROJO』は、そんなことを思わせる1枚だ。

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11月14日(日)

オール・ダーティ・バスタード、死す。
ようやく出所して、スタジオでの録音作業の途中での急死だったとの事。
まあ、いつどうなっても不思議ではなかった人だから、特に驚きはしないが。
だがやはり人は死ぬ。
これがラスト・アルバムということになるのだろうか?
久々に鬱々とした日になったが、まあ、これは彼の死とは関係ない。
ニール・ヤングのディスコグラフィを、日々仕上げていくことにした。
アルバム10枚くらいだったら楽なんだけど、公開までに、最後まで行き着くだろうか?

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11月13日(土)

ジョー・ストラマーもニール・ヤングもいいが、ウォーレン・ジヴォンも忘れてはいけない。
ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、デイヴィッド・リンドレー、ライ・クーダー、スティーヴ・アールそれからピクシーズ、アダム・サンドラー、ビリー・ボブ・ソーントン、あと、ジョーダン・ジヴォンというのは息子だろうか(声が本当に良く似ている)、とにかく、みんながウォーレン・ジヴォンを歌う。
ああ、ドン・ヘンリーがいいのだ。
イーグルス、行けばよかった。
ディランを歌ったバーズのように、ジヴォンを歌うドン・ヘンリーのアルバムを、作ってくれないだろうか。
もちろん本人の方がいいに決まってるんだが、でも、こうやって何かが伝わっていく。
ちょっと感傷的になっているのかもしれない。

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『ジャー、ジョー』の方法とは違って(11日付け日記参照)、こちらは、ストレートにウォーレン・ジヴォンをとらえようとする。
メインストリームでやる人たちの堂々とした演奏である。
だが、ウォーレン・ジヴォンで3曲を選ぶと迷わず、「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」「センチメンタル・ハイジーン」「ブーム・ブーム・マンシーニ」を挙げる私の好みは、このアルバムには反映されていなかった。
参加メンバーで気になったのは、やはりニール・ヤング、リンダ・ロンシュタット、REMの不参加。
ニール・ヤングには「センチメンタル・ハイジーン」をやって欲しかった。
リンダ・ロンシュタットにはアダム・サンドラーとのデュエット。
REMに「ブーム・ブーム・マンシーニ」といったところか。
『グリーンデイル』の中に、「ダブルE」という言葉が出てきて気になって仕方がなかったのだが、ジャクソン・ブラウンとボニー・レイットが演奏する「Poor Poor Pitiful Me」の中にも同じ言葉が出てきた。
これが収録されている『さすらい』の日本盤の歌詞カードを見ると「複式機関車」という訳。
『グリーンデイル』では、主人公たちが住む農場の名前だから、日本語訳ではなく、そのまま「ダブルE」となっている。
うーん、彼らの農場はその前は「ダブルL」だったということだが、では、「ダブルL」とは何か?
英語堪能な人に尋ねないと分からないなあと思っていたところに、映画『グリーンデイル』の編集をやった大貫さんからメールが。
今月末に来日するとの事。
いい機会なので、あれこれインタビューしてみようと思う。
ついでに大晦日オールナイトの上映作品のお願いもしよう。
うまいことインタビューが出来たら、『グリーンデイル』ページに掲載する予定(本人の確認を待たず先走る妄想)。


11月12日(金)

テレビをつけたら細木数子さんが映っていて「占いに翻弄されるのはバカ。運命は変えられるのよ!」と怒っていた。
占い師さえこう言っているんだから、全く問題なし。
とはいえ「神の怒り」問題。
恐るべし。
一体どうなることやら。
本日も次々に余波が。
まあもちろん「神様」とはまるで関係ないレベルの問題なのだが。
boidの運命やいかに?

11月11日(木)

昨日の神様発言の効果(バチ)がいきなり現れて、本日は、昼から大トラブルが発生。
うーん、神様をなめたらいけない。
あまりのことに今後のboidの展開を真剣に考えるが、それでどうなるわけでもない。
ただまあ、今回の問題に関しては、まだ私のところまで被害はやってきていないところが唯一の救い。
もちろん いつきてもおかしくない状態。
恐ろしい。
だがまあ、この件に関しては、そういったことに対応するためにこそしっかりした基盤が必要なのだといわれているようでもあり、それならますます、神様のお言葉に逆らうことになる。
だが、一方で、徹底してアンオフィシャルな立場を貫き通すというやり方もあるように思う。
『レッツ・ロック・アゲイン!』のチラシやポスター、パンフのデザインをやってくれた倉茂君も参加しているジョー・ストラマーに捧げる自主制作盤『ジャー、ジョー』を聞くと、絶対的にこれは正しいのだ、という思いが募る。
形式としては、最近流行の、多くのミュージシャンが参加して、トリビュートする人物の曲をそれぞれのやり方で演奏するというものだが、その態度として決定的に通常のその手のアルバムと違うのは、参加している人々の徹底した無名性である。
アンオフィシャルな有名性と言った方がいいかもしれない。
瀬々君の『SFホイップクリーム』のわけの分からない登場人物たちが、他人に伝わるぎりぎりの言葉を駆使して、クラッシュの曲のありえたはずの可能性をそこで展開している。
歴史と政治が、つまり、音楽と言葉が、誰も思いもしなかったやり方でクロスする、そんなことをやったのは、70年代のレジデンツやタキシードムーン、スネイク・フィンガーといった人達が有名だが、日本にもいろんな場所、いろんな時代に同じようなことをやった人達がいた。
これに関しては、横浜国大・大里俊晴講座であれこれと展開して欲しい。
いずれにしても、このやり方は、絶対にありだ。
もちろん非売品。
というより、今の法律では売ったら犯罪。
しかしこれに限らず、こういった読み替えは、絶対に行われるべきだ。
『レッツ・ロック・アゲイン!』も、そういった読み替えとともに公開される日が意外に近いも知れない。
「自分で探すんだよ」というジョー・ストラマーの言葉が、にわかに現実味を帯びている。

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先日、PORT CUSS というバンドのDVDを知り合いから借りた。
公的なものとして作られたのだが、諸事情で発売中止となったものだ。
諸事情が何かは、アルバム・タイトルを見れば、分かる人には分かる。
その他にも理由はあったのかもしれないが、私の想像のつく範囲では、おそらくこれだろう。
まあ、それはともかく、このバンドがいい。
「元裸のラリーズ」のということでどうしても語られてしまうのだろうが、もちろんそれは確かにしっかりと土台として残しつつ、晴れやかにふらつきながら千鳥足で世界の昼間に躍り出てきた感じなのだ。
その晴れがましさ、千鳥足な感じは、ジョナサン・リッチマンと双璧をなすのではないか。
彼らの掛け声は「ワン・トゥ・ロックンロール」だが、これは、もちろんリッチマンの「ワン・トゥ・ベースマン」を意識してものだと、そういう話を聞いた。
今発売中の「クイック・ジャパン」のラリーズの特集コーナーに、インタビューが載っているらしい。
それからキーボードの、どこかありえない場所から降り注ぐ太陽の光のような清々しさは、ニール・ヤング『トランス』のそれを思い起こさせる。
それまでは誰にも見えなかったアンオフィシャルな者たちの足音のようだ。
地の底から聞こえてくるのではなく、地上で、光り輝きながら、それはその足音だけを聞かせるのだ。
しかも千鳥足。
こういう音を聴いていると、昼間のトラブルがまったく持って馬鹿馬鹿しいものにしか思えなくなる。
いやいや、でもそれをおろそかにすると本当にひどい目に遭うので、気を引き締めなくては。

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11月10日(水)

昼過ぎ、ついに帰国した彦江に会う。
新宿の某所の2階で待ち合わせをしたのだが、その1階に何故か黒沢さんの顔が。
奥さん(弘美さん)と待ち合わせているとの事。
『ココロ、オドル』みたいだから絶対見て下さいと言って『グリーンデイル』の招待券を渡したのだが、「一体どこが似てるんですかねえ」と、ブツブツ言われるに違いない。
確かに、いくらすごい映画とはいえやはり本業はミュージシャンの作った、素人であることを武器にした作品と一緒にされてはたまったものではないだろう。
ただ、何をどのように語るか、あるいは、どこかで語られている何かをいかに語りなおすか、という語りの姿勢において、ふたつの映画には、非常に近いものを感じるのだ。
たとえて言えば、『ココロ、オドル』は"人類の歴史"、『グリーンデイル』は"アメリカの歴史"と言えるように思うのだが。
まあそれはそれ、弘美さんがやってきて、来年に向けてのわれわれの活動基盤体制作りの話を少し。
黒沢さんたちがヨーロッパから帰国後、そして、『グリーンデイル』公開後に、作戦会議を持つことにする。
友人の占い師にはしばし待て、とは言われているが、神様のいうことをいちいち真に受けていては事は進まない。
いやいや、真摯に受け止めつつ、しかし、でも、やることはやる、という感じか。
まあ要するに、今回は逆らうことにさせていただきます、ということなのだが。
都合のいい事だけ真に受ける、というのが占い師に占ってもらうときの心得である。
なんて、こんなところで堂々と書いてしまうとバチが当たるか・・・
まあ、それもよし。
というか、それほどたいした事をするわけではないのだ、実は。
いや、何がいいたいのかというと、私の周りであまりに占いを信じている人間が多すぎるので、時々それがどうしたと言いたくなるだけのことであった。
そのくせ、困ったときにはすぐに占いに頼ったりする私でも、まあ、それほどひどいバチは当たっていないよ、というのを見せるための人体実験というか・・・
言い換えると、占いによる具体的な指示自体は、案外自分の置かれた状況と周囲の物事の動きと気配を十分に察知して論理的に考えれば、至極妥当なことを言っているだけなので、ではそれをさらに乗り越えてその状況を変えるにはどうするか、ということを考えればいいことだから、そういった挙句のこちらの行動は、神様にどうこう言われる筋合いはないという判断なのである。

彦江は相変わらずというか、何年もあっていない、という気がしない。
メールでのやり取りがあったからか。
彦江の今後のことをちょっと尋ね、あとは、映画や映画を巡る状況の話をあれこれ。
オリヴィエ・アサイヤスに対する彦江の認識を面白く聞く。
いずれ何らかの形で原稿にして欲しいものだ。

その後、GAGA試写室にて『ニュースの天才』。
ニュースを捏造することによってスター・ジャーナリストになった男を巡る物語である。
たびたび映画の物語を無意識に「捏造」してしまう私にとって、身につまされる物語でもあるのだが、その物語はともかく、脚本をそのまま映しただけの映画になっていて、ああもっと長くクロエ・セヴニーのトロッとした目を映してくれたらとか、場面の気配が変わる時にスイッチを押したように聞こえてくるこのピアノの音は一体どういうつもりでつけているのだろうとか、細かなことが気になって仕方がなかった。
同じ捏造者の物語でも『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のような時間がねじれて誰が誰を追いかけているのか分からなくなるような、目くるめく瞬間がないのが何とも残念であった。

その後、またもやバウスへ。
本日は、昨日の忘れ物を受け取りに行ったのだが、ちょうど『レッツ・ロック・アゲイン!』の会場時で、待ち人の中に友人の顔がある。
ちょうど1年ぶりくらいに会った友人から、元気になるクスリを薦められる。
今度試してみることにする。
月に2000円程度で済むのだそうだ。
それで元気になるなら儲けものである。

そうそう、11月27日に冨永の特集上映が行われる。
詳細は、トップページの「other ivents」のコーナーからジャンプして欲しいのだが、新作「シャーリー・テンプル・ジャパン」の初上映があるようだ。

本日の1枚はエリオット・スミスの新作。
というか、遺作。
ストラマーといいエリオット・スミスといい、気がつくとどんどん死んでいく。
元気とは程遠い。
これは、かなりの数、本人が録音していたものから厳選してのアルバムらしい。
当初は2枚組みになるはずだったとか。
曲は相変わらずいいが、ミックスがどうも気に入らない。
自宅録音だから仕方ないことかもしれないが、こういった曲はもっと繊細にそれぞれの音を際立たせた方がいいように思えるのだが。
逆に言うと、遺作として残されたライヴ・アルバムのようでもあり、そのねじれ具合ににやりとさせられたりもするのだけど。
うーん、深夜も爆音を出せる仕事場が欲しい!

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11月9日(火)

ようやく少し時間が出来たのでスピルバーグ『ターミナル』の試写に行こうと思ったのだが、グズグズして外に出られない。
なんとなく落ち着かずどこにいても居心地が悪いのは、『レッツ・ロック・アゲイン!』の動員が常に気にかかっているからだ。
今更気にしてもどうにもならないんだけどねえ。
送られてきた「インビテーション」の星取を見ると『三人三色』のポン・ジュノ作品の評判がいい。
この短編がすごい、という話は前から耳にしていたのだが、見てみると、われわれが『ロスト・イン・アメリカ』で話していたようなことがようやく意識され始めたか、という、落胆ににも近い思いが。
これがこんなに評判がいいということは、『ロスト・イン・アメリカ』がまるで読まれていない上に、『トゥルーマン・ショー』も見られていない、ということなのだろう。
世界で最も見られていない映画は、アメリカ映画ではないだろうかと、つくづく思う。
そんなところへ、北海道の青山から電話。
つい、愚痴をタラタラ。
『エリ・エリ・レマサバクタニ』 の撮影は、どうやら本当に絶好調らしい。
曇って欲しいところと晴れて欲しいところをあらかじめ分かっているかのように、天候が変わるのだそうだ。
うーん、そうなるといよいよソクーロフなみということか。

夜は、石井さんの『鏡心』の試写に。
問題の『三人三色』の一編として作られた短編のロング・ヴァージョンである。
例によって、30分ほどの短編では我慢がならず、1時間ちょっとの作品にボリュームアップしたということなのだが、見てみると、ロング・ヴァージョンの方が時間が短く感じられる。
これは一体どういう事なのか。
短い方で見た部分の時間が、私の頭の中でカットされているというわけでもないだろう。
時間が長くなってはっきりするのは、そこで描かれるふたつの世界が決して明確に分かれているわけではなく、どこかで幽かに繋がっているということだ。
その通路に、この映画は見る者を誘う。
そしておそらく、その通路には、「時間」がないのだ。
別世界の海岸や草原を吹く風の中には、幽かに渋谷の雑踏の音が聞こはしなかったか。
あるいは、渋谷の雑踏や高架上を走る電車の走行音からは、別世界の風の音が聞こえてこなかったか。
たとえば、『コンタクト』のジョディ・フォスターが遥か彼方の星で自らの過去に出会ったとき、その永遠の時間を地球人たちは「一瞬」としてしか認識できなかったが、しかし、その「一瞬」がどこまでも広がっていることを、ジョディ・フォスターだけは知った。
この映画は、その「一瞬」を愚直に描こうとしている。
だが、周囲の石井映画への期待は、別世界への驀進や現実世界での爆裂に向けられているのだろう。
その需要と供給のバランスの悪さにハラハラする。
しかしだが一体、このクリアで解像度の高い音と映像を、どこの映画館が再現できるというのか。
この問題は『エリ・エリ・レマサバクタニ』にも、おそらく言えることなのだが・・・

その後、バウスシアターへと。
『レッツ・ロック・アゲイン!』の様子を見に行く。
数字では、その日の動員がはっきり分かるのだが、そうやって数だけ聴くのと実際に劇場で様子を見るのとでは、まるで感触が違う。
数字だけ聞いていた時点では、もうちょっと何とかならないかと胃が痛んでいたのだが、やってきた人々の顔を見ると、本当にやってよかったと心から思えるから不思議だ。
映画の終わりに拍手が起こったときは、ちょっとほろりと来る。

さらにその後、バウスの西村さんと『グリーンデイル』の方の打ち合わせ。
懸案だったオールナイトを、12月31日にやることに決める。
ニール・ヤングで年越しである。
一体何人の人がやってきてくれるのか、まるで見当も付かないが、たまにはこういうことをやってもいいかと、決断する。
少しでも『グリーンデイル』の宣伝になれば。
これで今年は結局ニール・ヤングに捧げる年となったわけである。
でもまあ、『イヤー・オブ・ザ・ホース』や『デッドマン』で新年を迎えるなんて、それはそれでとんでもなく幸せなことなのだ。

そうそう、久々にHMVに行ったら、つい、あれこれ買ってしまった。
本日の話とは全く関係ないが、その中の1枚を。
こういうのには、まったくもって弱いのだ(笑)。
リュダクリス一派の姉御Shawnnaである。

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11月8日(月)

終日『グリーンデイル』のホームページ作り。
といってもホームページの製作予算はゼロだから、単に、私の手作りとなる。
もろもろの不備、レイアウトのその他の素人っぽさはお許しを。
パンフレットを作る予算もないので、ホームページをパンフ代わりに機能させたいと思っているが、うまく行くかどうか。
パンフが作れないのは予算だけの問題ではなく、情報がほとんど何も届いていないのである。
スチールも3枚のみという恐ろしい状態。
たとえばさっきまで聞いていた『エルドラド』のライナーを読むと、バンドメンバーの情報さえない状態で、ライナーが書かれている。
まあ、それと同じようなものである。
完全にニール・ヤング時間に翻弄されているわけだが、それもまたよし、というところ。
一方で、金持ちは呑気でいいよなあという思いもあるが、それくらい呑気なのが普通だろうという思いもある。
『グリーンデイル』も数年がかりで、バウスで爆音上映をやってみたらどうかと思う。
地方公開の話もあるのだが、普通の劇場で上映することに、今はあまり興味が湧かない。
シネセゾン渋谷とか、タイムズスクエアとかだったら、また別の見え方がするかもしれないが。
とりあえずバウスは一晩徹夜で音響調整をやってくれるわけだから、それくらいの気持ちでやってくれる劇場でないとねえ。

彦江から電話がある。
本日ついに帰国したとのこと。
長い留学だった。
10年近く行っていたのではないか。
恐ろしい。
過ぎてみると、あっという間に感じるのも恐ろしい。
10年前には戻れないことだけが、実感として残る。
そういえば、すっかり書き忘れていたが、ニッキ・サドゥンが新作をリリースした。
何年ぶりになるのだろうか。
この数年、ニッキ・サドゥンとやり取りをしている友人から、録音をしているという話は聞いていたが、本当実現するとはまるで思っていなかった。
それくらい長い空白だった。
とりあえず、めでたし。
そういえば、彼のドキュメンタリー・フィルムが作られているという、話もある。
これもまた、友人からの情報。
何か、いろんなことが、木霊のように押し寄せているような気がする。

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11月7日(日)

バテバテで、終日寝込む。
頭痛薬を飲み、ようやく日常生活を営むが、ほぼ廃人状態。
バウスに様子を見に行こうと思っていたが、それもできず、電話で確認。
昨日の半分くらいか。
日曜の夜のレイトでこれだけ入れば全く問題なしと、宣伝を手伝ってくれている原田君から励まされる。
だがやはり、気持ちは暴動へと、頭痛薬とともにトリップするのだった。

それから、5日の『グリーンデイル』爆音試写の反響があれこれ届いている。
とりあえず、爆音効果は十分に手ごたえあり。
何というか、こればかりは本当にバウスで見てもらわないと伝えようがない。
自分の輪郭がじわっと壊れていく感覚、あるいは他人の何かが進入してくる感覚を、本当に実感できるのだ。
そういう風に作ってある映画。
とりあえず本日は、頭痛治めにニール・ヤング爆音三昧。

11月6日(土)

雨続きの釧路から帰り、休む間もなく、『グリーンデイル』の爆音試写、そして、本日はいよいよ『レッツ・ロック・アゲイン!』の公開初日。
さすがに胃が痛む。
宣伝・配給を生業にする人々は、毎度このような苦しみを味わっているのかと思うと、頭が下がる。
「慣れる」ということはあり得ないし、開き直ることも出来ない、自分ではどうにも出来ないものであると同時にもう少し何とかできたのではないかという心残りが、胃の底の方にへばりついて離れない。
とまあ、グズグズしているうちに会場時間が近づき、若者たちが劇場の前にたむろし始める光景を見て、ようやく落ち着きを取り戻す。
釧路の青山からも激励の電話が。
『エリ・エリ』の撮影は順調に進んでいる様子。
私のいた、後半の3日間が異常だったようだ。
バウスの客席は9割以上が埋まり、ほぼ満席状態。
この公開までに本当にいろんなことがあり、当初は予想もしていなかった上映権まで買い取ることになり、一体それをいつになったら回収できるかと途方に暮れるばかりなのだが、まあ、そういうこともある。
とりあえずは、初日、バウスシアターに集まってくれた人々に深い感謝を。
しかし、さすがにこれまでのハードスケジュールが堪えたようで、オールナイト上映が終わる頃には完全にヘロヘロになる。
もういい加減、無理はきかない。
ただ、それでも欲深い私は、バウスの前にものすごい人数が駆けつけ、場内に入りきれず暴動が起こるという光景を夢見て、帰りの電車に乗ったのだった。