
2004年 boid日記 12月
Text by 樋口泰人
12月28日(火)
ここに来てさらにあれやこれやが次々に起こり、唖然とする日々。
本当にすごい。
一体何が幸せで何が不幸なのか、良く分からない。
あまりのことに、さすがにこれでは愚痴も出ない。
仕事で、もうすぐ発売になるローリング・ストーンズのDVD『ロックンロール・サーカス』を見た。
68年のストーンズはやはり最強である。
バックで一定のリズムを持続するニッキー・ホプキンスのピアノに痺れる。
あの酩酊感。
それはまさに、サーカス一座の歩む長い長い道のりのような。
若く強いミック・ジャガーは、その酩酊感に身を任せることはなく、より鋭角なアクションと歌で、それに応える。
そのふたつのリズムが生み出すグルーヴ。
本日は、バウスシアターの西村さん、キングレコードの長谷川さんと、来年の爆音企画についての打ち合わせ。
青山からの提案も話す。
やるべきことはあれこれある。
唖然としているわけには行かないと思っていたら、叔父が脳卒中で倒れたという知らせが。
正月は帰省もせず、ちょっと休もうと思っていたが、予断を許さない。
そうそう、今朝は朝の6時近くから、青山やビターズエンドの定井君とのメールのやり取りが始まる。
一体この時期のこの時間にいい大人が何をやっているのかとも思うが、それぞれ皆仕事をしているのだから仕方ない。
8時近くになって、さすがに眠らなくてはと風呂に入り、出てくると、青山からはさらにメールが。
返事を書く気力もなく、倒れるように眠り、昼過ぎに起きると、定井君からは10時過ぎにメールが来ていた。
一体彼らはいつ寝ているのだろう・・・
12月24日(金)
この時期はあれやこれやと本当に大変である。
ドッペルゲンガー、5人くらい欲しい。
仕方ないので、いろんな人に手伝ってもらうことになるのだが、その分のギャラを支払ってもらってはいない、というのが現状。
手伝ってはもらいたいが簡単には頼めないという堂々巡りの中で鬱々となっているところに、いろんなイヴェントや家族行事が重なるからたまったものではない。
とりあえず目先のものを次々に片付けていくのみ。
だから相手の反応が悪いと本当にムッとする。
友人達の忘年会で我が家の子どもが配ってくれたフォーチュン・クッキーには、「怒ったら負け」と書いてある。
確かに。
しかし来年も「怒ったら負け」な出来事ばかり続くということなのだろうか・・・
いい加減うんざりだ。
とまあ、やけになってはいけないということなのだろう。
『グリーンデイル』を見に来ていた知り合いの占い師からは、このような映画に付き合うには気力と体力の充実が必要と諭される。
たぶんそういうことなのだろう。
だが、気力と体力の充実なしに、『グリーンデイル』に付き合うことは出来ないだろうか。
それには多くの人の助けが必要で、ふりかえるともう、かなりな助けを受けていて、それはそれですごいことだと思うのだが、それでももっと助けがほしいと思ってしまう身勝手な欲望に、我ながら呆れる。
昨夜は大晦日のオールナイトで上映する「Rust Never Sleeps」の音響調節をやった。
バランスがなかなか決まらず、調整室はかなりの混乱状況だったようだが、日付が変ってからようやく決まる。
ハードでワイルドなライヴ音響。
見ている人は覚えていると思うが、巨大な音叉を抱えてきたネズミ男が床にその音叉を叩きつけ、共鳴させるシーンが2回ほどある。
知る人ぞ知る「床下のリバーブ」がそれに共鳴し、本当にバウスの床全体が揺れる。
これは無茶苦茶すごい。
演奏もいいが、この音叉は聞きものだ。
DVDじゃ絶対に味わえない「床下のリバーブ」を体感できる。
この響きによって、地層の下の霊が呼び起こされるのだ。
2005年は、この音叉の響きによって始まる。
12月8日(水)
仕事やる気にならずとはいえ、大人なので、仕事をする。
リチャード・リンクレイター『ビフォア・サンセット』の試写。
『スクール・オブ・ロック』ではなく、『恋人たちの距離』の続編である。
主演も、イーサン・ホークとジュリー・デルピーの二人。
あれから9年後という設定。
最初、いきなりジュリー・デルピーの歌う「An Ocean Apart」が流れるんで、びっくり。
いい歌なんだよなあ。
まるでその歌のような物語。
その曲の後、小説家であるイーサン・ホークが、自分の小説の解説を、インタビューに答えながらするのだが、およそそこで、この映画のテーマがあらかじめ語られる。
安井君の言うタランティーノ以降の映画を、そのままやっている。
その後は、すでに物語は説明されてしまっているわけだから、その説明された構造に乗ったふたりが、構造から外れない限りにおいて自由に自然に振舞う。
かのように見せる、というところがポイントだろう。
すべてがあからさまのようであり、すべてがベールに包まれているかのようでもある。
イノセントであるゆえのそれではない。
もはや元には戻れないということをお互いはっきりと知った上で、しかし、もし元に戻れたらという舞台を互いに少しずつ築き上げていく会話劇。
お互いのズルさと諦めと諦めきれない欲望とをひた隠しにしながらむき出しにして、全力で時間の永遠を獲得しようとする。
すでに若さには程遠い40代半ば過ぎの私にとって、ちょっと胸の痛くなるような物語なのだが、何か肝心のポイントをはずしている気がしてならない。
つまらないわけではない。
痩せたジュリー・デルピーと、冒頭でちょっとだけ挿入される『恋人たちの距離』の時の彼女の若さとの落差に、ちょっとドキドキする。
そういえば、先日、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』で相川君が撮った宮崎あおいの、岡田茉莉子さんが運転するカートの後ろに乗る写真を見ながら、ちょっとジュリー・デルピーみたいになってきたねと話していたばかりだったのだ。
いずれにしても、この映画の秘密はすべて、ジュリー・デルピーの歌の中にある。
いいアルバムなので、気になる人は買って聞くように。

12月7日(火)
本日は、ついに試写が始まったオリヴィエ・アサイヤスの『デーモンラヴァー』やジム・ジャームッシュの『コーヒー&シガレッツ』に行く予定だったが、結局一日中、『グリーンデイル』を見に来てくださいというお誘いのメールや電話や手紙に明け暮れる。
自分が何をやっているか、よく分からなくなる。
どんなに面白かを説明するうち、本当に面白かったのかどうかさえよく分からなくなる。
完全に仕事を超えているが、まあ、こんなこともある。
したがって本来の仕事はずぶずぶに遅れるはず。
全然やる気にならず。
編集者の皆さん、ごめんなさい。
12月6日(月)
本来なら『グリーンデイル』の初日も終わり、この間サボっていた通常の原稿仕事に頭を切り替えるはずなのだが、『グリーンデイル』をもう少し何とかしなければと、あれこれ動く。
稲川さんからの指摘があり、見落としていた方向へのアプローチも。
とにかく6週間は上映するので、これから2週間は「試写期間」ということにして、あちこちに連絡を入れる。
とはいえ、こればかりをやっているわけには行かない。
夕方からランブルフィッシュにて『エリエリ・レマ・サバクタニ』の取材記事のために、相川君の撮ったスチール写真ポジを端から見ていく。
約40日分の写真なので、見るだけで大変。
でも、これがまた、かなりいけるのだ。
これらを見ているだけでも、なにやらただならぬ気配が。
そのただならなさを増幅させるのではなく、当たり前のように捕える相川君のバランス感覚が余計に危うさを加えている。
中原の「ご愛嬌」は、ある種の照れなのかもしれないが、「芸」の域も超えて、何か存在そのもののアイコンみたいになっている。
個人的には、真野裕子の背中と岡田茉莉子の表情、およびサングラスにすっかりやられる。
サングラスをかけた岡田さんは、まるで『悲しみは空の彼方に』のラナ・ターナーである。
果してサングラスを落としたりする芝居はあるのだろうか。
写真集を作りたいねえと言う話になるが、こればかりは映画次第。
写真集も、サントラも、メイキングもひとまとまりになりながら世に出る、大きなうねりとなって欲しいものだ。
まるで『グリーンデイル』のような展開。
AVIDを使っての編集作業もちょっと覗く。
スタッフ内では、この映画が一体どれくらいの長さになるかで大いに盛り上がっているようだが(シナリオは50ページほどしかなく、監督は100分弱の仕上がりを宣言しているらしい)、気配としては、案外青山の予定通りの時間におさまりそうな感じも。
自転車に乗った浅野・中原が延々と道路を走るシーンなどもあって、そこだけ見ると相当な長さとなるようにも思えるが、シナリオもまだ読んでないのではっきりしたことはいえないが、今回の映画は時間の構成があらかじめかなり厳密に作られているような気がするのだ。
つまり、複数の視線が見たある特定の時間内の出来事として、この物語は語られるはずだから。
ひとつの視線の延長ではなく、延長し得ないもののその固有の時間を「永遠」に変える視線の複数性を獲得する映画として、この映画は想定されているのではないか。
冒頭の、杉山彦々、戸田昌宏、真野裕子の絡みのシーンのカット構成が、そんなことを思わせた。
人が振り向く動作のカットのタイミングをあれこれ変えて、そのつながりを見ていたのも、わかりやすさとか滑らかさとかそういった相対的なことではなく、ある種決定的な時間のジャンプ地点を求めてのことだったのではないか。
ジェームズ・マンゴールドの『ニューヨークの恋人』のような。
まあ、すべて私の妄想に過ぎないのだが。
12月4日(土)
昨日は疲れと、初日の興奮のおかげですっかりテンションが上がっていたが、本日からは少しだけ冷静に。
昨日ブツブツ書いてしまった『CODE46』は、マイケル・ウィンターボトムの映画の中ではもっともフィットした映画であったし、「ステイ・オア・ゴー」を歌うお疲れ親父であるミック・ジョーンズもお疲れ親父として感動的に立派に歌っていたことを、フォローしておかねば。
昼過ぎから、大貫さん(『グリーンデイル』編集者)のインタビューに付き合う。
東京に実家がある大貫さんは、5年ぶりの里帰りということで、仕事ではなく単なる休暇として戻ってきたのだが、快く『グリーンデイル』の宣伝用インタビューを引き受けてくれた。
『グリーンデイル』の配給協力を引き受けて以来、とにかく、いろんな資料や宣伝素材を要求してもまるで送られてこず、一体どうしたものやら頭を抱えるばかりの日々だったのだが、大貫さんに会えたおかげでようやくいろんなことが氷解し始めている。
私がやったインタビューのほか、いくつかのインタビューが、もうすぐそれぞれのサイトにアップされる。
その際はすぐにお知らせするが、とにかく『グリーンデイル』だけではなく、ニール・ヤングが今何をしているか、何をしようとしているか、何をしてきたかに関して、いろんな面白い話を読むことができると思う。
それにしてもそれぞれのインタビュアーたちの、深い愛情と教養には、驚かされるばかりであった。
「宣伝」と言う意味ではもっと別のやり方や媒体の方がよかったのかもしれないが、今回はこれで本当によかったと思う。
一方で、ニール・ヤングとの仕事をやり始めたときは、全くニール・ヤングについて興味がなかったという大貫さんの、ニール・ヤングとの距離感に、ひたすら目を見張らされた。
大貫さんは、「僕が全然興味がなかったのがよかったのだと思う」というようなことを言っていたが、もちろんそれはあるとして、そのようなことをはっきりと把握できている大貫さんのスタンスと冷静さが、ニール・ヤングとの仕事を成り立たせているはずだ。
その後、代官山にある、友人の本屋にチラシを置きに行き、そしてバウスへ。
土曜日なので、何とか昨日よりも一人でも多い動員をと思っていたのだが、まったく手も足も出ないという状態。
冷静には受け止められないが、とにかく、何かしなくては。
まずは確実なところで、手売り作戦を決行することにする。
ジョー・ストラマー状態、というか、篠崎状態か。
明日から私に会う人は気をつけるように。
チケットを買いたくない人は、しばらく私と連絡をとるのを辞めておいた方がいい。
うっかり、「試写に来てください」とか、呑気な電話をよこした日には、それは大変ですよ。
喜んで行かせていただきます。
チケットいっぱい持って。
その後、家に帰って『グリーンデイル』CDを聴く。
爆音の後では物足りないが、しかし、爆音とはまったく違う音として聞こえる。
爆音以前では聞こえてこなかった音として。
歌詞にに引っ掛けていえば、「ほんの少しの愛情とやさしさ」のこもった音。
このCDの中に何が秘められているかを、映画『グリーンデイル』の爆音上映が引き出してくれたのではないかと思える。
決してひとつに固定されない音の流れと動きの中に我々すべてがあることを、『グリーンデイル』が教えてくれる。
セカンド・ヴァージョンのCD+DVDや絵本、ライヴでの上演など、さまざまな形をとって広がっていく、過剰とも思える『グリーンデイル』の動きは、それこそ『ラヴ・ストリームス』ということなのだろう。
大貫さんがニール・ヤングの撮影や編集の態度について語る言葉を聞いている最中、私は何度もジョン・カサヴェテスのことを思い出していたのだった。
どうやら来年くらいには発売されるかもしれない、『ヒューマン・ハイウェイ』のディレクターズ・カットは、おそらくカサヴェテスの『オープニング・ナイト』『ラヴ・ストリームス』と見比べらねばならないものになっているはずだ。
12月3日(金)
身体が10個くらい欲しい。
泣きながら、あれこれと働いている。
本当は、『グリーンデイル』のことだけをしていたいのだが、そうもいかない。
でも、そうしなくては。
この間は、いくつかの仕事を突然キャンセルしたりした。
そうでもしないとやっていられなかった。
本日は『グリーンデイル』初日。
もうすっかり疲れ果てていて何をどこからどう書いたらいいのか全く分からないのだが、とにかく、集客はボチボチだったがいい初日を迎えることができた。
映画の編集をやった大貫さんも、5年ぶりの里帰りで帰国中。
諸々面白い話も聞けた。
これは、すぐに、『グリーンデイル』HPのほうにアップする。
大貫さんからは、ニール・ヤング直筆のサイン・ポスターをお土産にもらう。
家宝!!!
本日の上映は、これまで以上に気合が入ったものになった。
もう、無茶苦茶すごい。
映画を見る、というのとは全然違う体験なのかもしれない。
ライヴに近いのだろう。
でもライヴ映画ではなく、形式的には劇映画。
そのあたりのねじれた面白さが、なかなか伝わらないのがもどかしい。
クソみたいなライヴ映画に喜んでいる趣味人達の頭を引っぱたいて、全員バウスに引き連れてきたい気分だが、まあ、そんなことを言っていても仕方がない。
会場のとき、『エリエリ』のスチールを撮った相川君の姿を見かける。
当然こちらに来るものと思ったら、バウス3でやっている、マイケル・ウィンターボトムの映画に入っていった。
なんてことだ!
もう、映画のレベルが違うだろ!
なんて怒っていても仕方ないので、終わったところを見計らって、とにかくこちらにも来る様にと告げる。
ウィンターボトムはDVDになってからでもいいし、ちょっとだけ出ているミック・ジョーンズも、ニール・ヤングに比べたら単なるお疲れ親父である。
なんてこと書いていても仕方ないので、上映終了後、数少ない知人・友人たちにひたすらメールを送る。
知人・友人の数が少なくてよかったのか悪かったのか分からないが、とにかくそれなりの時間がかかり、ますます疲れ果てる。
現在仕事中の編集者には、見に来てくれないなら原稿を落とすと脅す。
冗談みたいに書いたが、申し訳ないが本気である。
一体このboidサイトをどれだけの数の人が見ていてくれるのかまるで分からないのだが、とにかく、だまされたと思ってバウスに駆けつけて欲しい。
夜9時から。
これから6週間はやるので、それだけあれば、たった1時間20分の時間は取れるだろう。
好き嫌いはあるにしても、とにかくこれまでの映画とはまったく違うものだから、1度見て欲しいのだ。
地方の人も、電車代、飛行機代は無駄にはならない。
DVDやCDで、見たつもりや聞いたつもりになっている人も、それは見たつもりや聞いたつもりだったと言うことが、はっきりと分かる。
あるエネルギーの交換の場として、劇場が機能する貴重な体験をすることが出来るはずだ。
でも本当に、こういうことを伝えるいい方法は何かないだろうか。