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2005年 boid日記 1月

Text by 樋口泰人

1月27日(木)

さすがに疲れが出て、夕方までボーっと過ごす。
いよいよ佳境に入っているらしい青山の新作『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の音入れ作業を見学に行く約束をしていたのだが、体が動かず。
夕方になってようやく活動開始。
もう何年も受信料を支払っていないNHKに行ってタダでライヴを見るのだ。
NHK-FMの番組用の公開録音。
2ヶ月ほど前、日記でも紹介したPORT CUSSが出演するのである。
昨年暮れにその情報を教えられ、20年以上ぶりに番組宛に往復はがきを出し、入場券をもらったのである。
さすがに照れたが、まあ、そうしなければ入れないので致し方なし。
7時開演ということで、例によってギリギリにNHKに到着すると、正面入り口辺りは既にシャッターも降り、暗い。
いや、それが当たり前ということでも構わないのだが、渋谷の広大な一角が7時前に真っ暗とは・・・
入場券を良く見ると6時30分に集合と書いてある。
既に入れなくなっているのか?!!!
とにかく開いている入り口を探し、警備員に尋ねると、スタジオの位置を教えてくれる。
ほとんど迷子のようになりながら、グルグルと周り、ようやく到着。

初めて生で見たPORT CUSSはやはり最高であった。
いつも見ているわけではないので、その日の状態がどの程度であったのかは分からないが、ヒロシさんのギターは、なんかもう、全く違うどこかから聞こえてくる音の通路のようでもあり、その意味では、出てくる音は違うがジョン・フェイヒーと同じ。
「個人」のレベルを超えている。
黒沢さんの『LOFT』が徹底した残酷さでそれの語るものを語るとすると、PORT CUSSはその残酷さの輝きとともにそれでも自由はあることを教えてくれる。
そしてもちろん、不自由から自由へという道のりが我々に用意されているわけではないことも。
そうではなく、我々がそこにいることがすでに自由なのだという、『LOFT』における「どんなにすべてを捨て去ってもあなたは呪われる」というメッセージと一体になった自由。
DVDと同じく40分ほどの演奏だったが、十分に堪能した。
PORT CUSSに関しては、東京では元ラリーズの、ということでしか伝わっていないように思えるが、それだけではなく、この見事に明るくよれよれのジョナサン・リッチマン的でもあり、徹底したロックンロールでもある音楽を、多くの人に聞いてもらえたらと願うばかりだ。
とりあえず、以下のURLにアクセスしてみて欲しい。
いろんな音源や映像を聞いたり見たりすることが出来る。
ただまあ、あくまでもそれは圧縮された音と映像であることを承知しておいて欲しい。

http://www2.memenet.or.jp/~ken/hiroshi.html

そうそう、本日のライヴは、2月9日のNHK-FMの「ライブビート」という番組でオンエアされる。
NHKもこういうことをガンガンやってくれたら、受信料支払ってもいいんだけどねえ。
早くペイ・パー・ビューみたいなシステムしてくれるといいんだけど。

1月26日(水)

黒沢さんに電話して、『LOFT』の感想と質問をいくつか。
その中で、またもや私の勝手な思い込みが判明する。
撮影は2キャメで行われたのだそうだ。
その際に、サブのカメラマンには、いい位置がない場合は出来る限りメインのカメラのすぐ傍に位置してそこから狙ってくれと、指示したのだという。
つまり、同じシーンが似たようなアングルから撮られた複数のショットによって構成されているのはテイクが違うのではなく、似たようなアングルに2台のカメラがあったためだというわけである。
ここまでは、私の思い込みはまだ入っていない。
で、だとすると、当然、ユルユルと揺れるカメラは芦澤さんのものではなくなるのである。
考えてみれば、『UNLOVED』の記憶が染み付いていれば、揺れるカメラを芦澤さんのものとは絶対に思わないはずなのだが、どうして揺れる映像を芦澤さんのものだと思い込んでしまったのかには、理由がある。
確か、塩田君が一昨年作ったテレビドラマの試写のとき、撮影をした芦澤さんが塩田君と一緒に挨拶をしたのだ。
そのときの立ち姿と言うか、風情と言うか、そこから漂う空気のようなものが、あのユルユルと揺れるカメラワークを私に思い込ませてしまったのである。
もちろん、私は芦澤さんとは挨拶もしたことがなく、その挨拶の姿を見ただけで、当然、すれ違っても分からない。
それでも何故か、その思い込みだけは残ったというわけだ。
注意していてもこうだから、ちょっとボーっとしていると自分でも何をするか良く分からない。
とにかく訂正を。
でも、ロン・ハワードの映画を芦沢さんが撮影する、というのはなかなかいいアイディアだと思うのだが。
ああそれから、重要だが大変な役割で某女優が出演していて、はまり役といえば思い切りはまり役で、しかしそれなりに大人になり順調にキャリアを重ねつつある彼女が今これをこのようにやるか、いや、監督としてそれをやらせるかという問題で、昨夜阿部君とちょっと盛り上がった一件があったのだが、それを尋ねると、結果的には彼女の起用は黒沢さんからのリクエストだったそうだ。
彼女も、それなりに喜んでやっていたという。
いや、なんと言うか、そのシーンは既視感バリバリなのだが、それでもなお、こうでなくてはいけないという、見事なシーンなのである。

本日は、ベルリン映画祭用のカタログ編集が校了を迎える。
ギリギリまで出品作が決まらないのと、未完の作品もマーケットに出品されるのでそれらのデータや内容解説がなかなか固定しないのが、厳しいところ。
耳鳴り・眩暈もそのためだったのだが、校了とともにあっさり治るので呆れる。
回復力がついているのか?
校了と耳鳴り・眩暈回復祝いにHMVに立ち寄る。
ビヨーク、U2が昨年出したアルバムを聴いていなかったので、買おうと思ったのである。
だが値段を見ると、輸入盤と日本盤では倍くらい違う。
おまけのDVDにも字幕が入っているのだろうか?
だとすると倍の値段でも日本盤を買うか、しかし3500円くらいもする。
いや、それが払えないわけではないのだが、輸入盤1590円という値段を見てしまうと何とも判断しかねるのだ。
結局それらは買わず、トリック・ダディ、リル・ジョン、ジェイZ&リンキン・パーク。
南部系のヒップホップはどれも長いんでなかなか続けて聴けない。
半分くらいで十分なんだけど、そういうわけにもいかないのだろう。
一方JAY-Z&リンキンは20分そこそこのものだった。
いや、こちらは、おまけだと思っていたDVDの方がメインなのかも。
音楽を聴くのも大変である。

1月25日(火)

昨日から激しい耳鳴り。
本日はそれに加え、ひどい眩暈で、吐き気を堪えながら何とか仕事をこなす。
全世界を呪いたくなるが、まあ、今年は「怒ったら負け」なので、ひたすら気持ちを切り替える。
と言うわけで、仕事をサボり、黒沢さんの新作『LOFT』の初号試写、イマジカへ。
パソコンの前を離れると、多少眩暈が和らぐのだ。
黒沢さんは、昨年の初夏くらいから水泳を始め、「それ以来耳鳴りと眩暈が治った」と言っていたが、私もいよいよ水泳のお世話にならねばならないのか。
耳鳴り・眩暈では私の方が先輩なのだが・・・

イマジカには、高橋さん、篠崎、大寺などの顔も。
篠崎には桜むつ子さんが亡くなったことを告げる。
『犬と歩けば』の時は、桜さんの演技のおかげで、編集の現場がどんなに和んだことか。
もう1年半も前のことだ。

映画は、もう、冒頭からおかしなカットの連続で目を見張る。
固定カメラと手持ちカメラを組み合わせて何テイクか微妙に撮影位置とアングルをずらしたものを組み合わせているのだろうか?
同じシーンの中で、突然テイク違いのカットとなり、しかも何事もなかったかのように、シーンは続いていく。
それがなんと言うか、22日付の日記で書いた『レイクサイド』 パンフレットの30,31ページのふたつの写真のような感じで、何かありえぬものをそこに立ち上げてしまうのだ。
最初のカットと、それに続けられたほとんど同じアングルでとられた次のカットは、それが連続しているゆえにまったく別の目によって見られたことがそこに露呈されると言うか・・・
物語に即して言えば、現在の視線と、1000年前に湖の底に沈んでミイラ化した女の視線が、同一のシーンの中で繋げられ、映画の現在に置かれてしまう。
その1000年のジャンプの仕方は、スピルバーグ『A.I.』でロボットが海底で過ごした3000年(だったか)を思わせもする。
1000年や3000年もまた誤差のうち、という視線がそこに露出すると言えばいいか。
それはだから、『コンタクト』でジョディ・フォスターが宇宙の果てまで行った3秒間とも言える。
あるいは、『ミッシング』でロン・ハワードが物語全体をかけて緩やかに移行させた語りの視線の位置を、一気にひとつのシーンでやる、いわば、画面分割の別ヴァージョン。
あの、ユルユルと微妙に揺れる「ミイラの視線」のために、カメラを芦澤明子さんにしたのだと思うのだが、どうだろう。
『ミッシング』の前半も、芦澤さんがやっていれば、もっと変なものになったかもしれないと、ふと思う。
それから、これも技術的なことは分からないのだが、光のコントラストの強く撮影したものを極力弱めて現像しているのか、とにかく本来なら明らかにもっと光と影がはっきりしているはずのところが、それはおそらくそうだろうという想像は付くものの現実に見えているものはもっと濃淡が微妙な風景となっていて、人の顔もなんとなく薄暗く見え、どこかそれもまた壁に映った影のように思える。
だから、余計に影の動きにハラハラさせられ、結局もう誰が呪われて誰がミイラなのかよく分からなくなる。
いかにもジャパニーズ・ホラー的なシーンも多用されるが、これらはそれらに比べると全然怖くない。
これは特に怖くありませんよね、と言ってそこに並べられているようにも見える。
1000年前のミイラが蘇って若手監督皆殺し、みたいな映画にも見えるが、でも、そんなことしても誰も救われないとも、語っている。
すべてを捨てて自由になれると思ったら大間違いだとも。
だが、すべてを捨てないとそれも分からないとも。
ただ、分かったからといってそれも救いにはならないとも。
その意味でものすごい残酷なラヴストーリーを見てしまった、ということになる。
要所要所で、ゲイリー芦屋さんのジャック・ニッチェ節全開。

そうそう、「湖」「湖畔の家」「火」「死体隠し」そして豊川悦司と、『レイクサイド』と思い切りネタがかぶっているのだ。
黒沢さんはまだ『レイクサイド』を見ていないはずだから、すぐにでも見てもらって、無理にでも推薦文を書いてもらわねば。
それに、主人公は芥川賞作家ではないか。
阿部君に知らせねば。

帰りのエレベーターでは、映画にも出演していた西島秀俊氏と一緒になったように思う。
いや、いつものことながら、人の顔の判別が、まったく出来ないのである。
何人か一緒だったので、「西島さんですよね」とかも言えず・・・
以前、カサヴェテスの『ミニー・アンド・モスコウィッツ』のビデオを貸すという約束をしてそのままになっていたのが、今でも気になっているのだが・・・
いや、なにしろ、一昨日は、もう20年以上も付き合っている友人とシャロン・ストーンの見分けも付かなかったのである(笑)。
冗談ではなく。
今でもその写真は彼女のものだと思っているのだが、どうやら『キャットウーマン』出演時のシャロン・ストーンなのだそうだ。

imoto.jpg

こうやってここにおいて見ても、判別不能。
今度、彼女の姉に、確かめてもらわねば。
分かる人にしか分からない個人的な話だが、こうまで判別が付かなくなると、さっきまで見ていた映画の記憶も十分に怪しいから・・・

まあそれはともかく、家に帰ると、眩暈はだいぶ良くなっている。
1000年の月日をいきなり注入されたので、逆に地軸が安定したのかもしれない。
眩暈も出来ないくらいの空虚でもあり愛でもあるものが体内に広がったということかもしれない。
その、もはや何ともしがたいものを何とかしようと、3月来日記念に、メイヨ・トンプソンの「Corky's Debt To His Father」を、久々に聴く。
今回は、レッド・クレヨーラだけでなく、ソロの日もあり、その日はどうやら上記のソロ・アルバムの曲をやるのだそうだ。
岸野君も出演するとか。
何10年も前に出した自分のアルバムをこうやってライヴで再現する気持ちはどんなものなのだろうか。
ブライアン・ウィルソンもやったが、でもあちらは、未完のアルバムだったわけだから、物語にはなる。
こちらはそんな物語はない。
そこながんともメイヨ・トンプソンらしくて、やはりライヴには行かねばという気持ちになる。
そういえば、初来日のときは、シャロン・ストーンと行ったのだったか。

1月22日(土)

いやあ、過酷な1週間だった。
気がつくと昨日まで4日間ほど、家の外に出ていなかった。
寝ているか、あとはパソコンの前。
さすがに足腰がガクガクになり、目もショボショボ。
あらぬものを見る。
昨夜、というか本日朝、ようやく作業がひと段落して、『レイクサイド』のトップページをボーっと見ていたら、そこに表示されている湖の底で、マウスを持った片手がゆっくりと動いている。
もちろん、モニタに何かが映り込んでいるのでも、反射しているのでもない。
何か、遠くにかすかにあったものがゆっくりと近くに肥大しながら寄ってきてそのまま湖に滲み出していくような感じ。
肥大しきって湖と一緒になっておしまい。
いや、このショボショボでボロボロの目の状態だから何ともいえないんだけど・・・
その後何度も試したんだけど、同じものは見えず。
あれは一体なんだったのか・・・
それに加え、『レイクサイド』パンフの30ページと31ページの、似通ったアングルから撮られた写真の対にも、どきりとさせられる。
これは、ある種のステレオ写真のような効果といえばいいかもしれない。
左右の似通った写真を同時に見ることでそこにないものが浮かび上がってくると言うか・・・
ただ、正確に「同時」ではなく、一瞬左側が早く、遅れて右側、あるいは逆でもいいのだが、時間と場所の微妙なずれによって、こちら側の地軸がガラガラと壊れてしまう。
もちろんそれは、映画『レイクサイド』にも言えることだ。
パンフ編集者、あるいはデザイナーの慧眼に拍手。

そうそう、まったくもってひどい一週間だったが、いいこともあった。
14日付の日記の続きで、ニールさんの生写真も届けられたのだ。
バウスの音響担当者がプレゼントした、手作りのエフェクターを持つニール氏。
もう一方の手には、鉄道マニアなニール氏らしく、新幹線のトレーラーセットが。
もうほとんどこのまま、夏くらいには家にまで遊びに行っていそうな気分になる。


1月14日(金)

ついに迎えた『グリーンデイル』最終日。
前夜の疲れもあり、ヘロヘロになりながらバウスへ。
60人から70人くらいの人が入っている。
最終日ということもあり、音量はいつもより大きめ。
十分に堪能し、かつ、新たな発見というか、見るたびに違って見えたり聞こえたりするものに、動揺する。
この6週間で、随分自分の中の何かを変えられた気がする。
もちろんすぐに、それが表立ってくるわけではないが、1年後くらいにははっきりと何かが違ってしまったことに気がつくことになるだろう。
だって、今のことを考えてみても、1年前は、今こんなことをしているなんて想像も付かなかったわけだから。
手伝ってくれた方々、会場に駆けつけてくれた方々、本当にありがとうございました。
バウスの人々、協力してくれた人々に御礼をして、やってきてくれていた中原、阿部両名と食事に。
その席で、いよいよ今年は「ロスト・イン・アメリカ2」始動、の決意をする。
それから、芥川賞受賞作「グランドフィナーレ」には、ウェスとポール・トーマスのふたりのアンダーソンの映画が欠かせなかったことを聞く。

そうそう、大貫さんからメールが来ていて、ニール・ヤングが作っている『グリーンデイル』のホームページのトップに、日本版のチラシがアップされたとのこと。
地方公開の際、新たにチラシを作るなら、それをまた、トップに掲載するので送ってくれと言う。
ニールさんからのリクエストなのだそうだ。
あまりの光栄に背筋が延びる。

http://www.neilyoung.com/trailer.html


1月13日(木)

本日は、オリヴィエ・アサイヤス・インタビュー。
4時から東北新社にて、という予定だったのだが、遅刻。
しかも、初めての場所なので、オロオロ。
赤坂見附駅で地図を見ていると、友人に声をかけられる。
東北新社までの道が分からない(分からないと言うような複雑な場所ではなかった)と告げ、結局社屋の前まで送ってもらう。
うーん、いい大人なのに。
フィットする場所では、地図も見ないで全然平気なのに、と言っても誰も信じてくれないかもしれないが、実際そうなのだ。
オリヴィエとは5年半ぶり。
前回会ったときの話から始めたら、『デーモンラヴァー』には行き着かず、『感傷的な運命』と『冷たい水』とソニック・ユースとイーノの話で時間切れ。
こんなこともある。
続きは土曜日の日仏で、ということで。
その後、nobody 黒岩に会い、諸々説教を。
家に帰り夕食をとっていると、デザイナーの宮川さんから阿部君芥川賞受賞、の知らせ。
ひどいことに私は、候補になったことも知らなかった。
だから、今日が受賞発表と言うことも知らず、宮川さんも受賞の知らせに自信がなさそうだったので、とにかく本当かどうか、阿部君宅に電話を入れる。
奥さんが出て、今記者会見中だとの事。
いやあ、ほんとに友達甲斐のない友人で、申し訳ないと謝りつつ、お祝いを。
電話を切ると、青山から、某所でお祝いをしているので来いという電話。
既に10時過ぎだったが、まあ、とにかく駆けつけねばと言うことで、家をでる。
皆さんもう上機嫌で、蓮實さんに受賞報告電話をかけるのだと、阿部君をけしかけ、本当にかけてしまう。
青山説では、蓮實さんはジョン・フォードを見ているはずだとの事だったのだが、電話向こうの蓮實さんは、「今、『グランドフィナーレ』を読んでいたところです」と、見事なお答え。
さすがである。
しかも最後に、「今日ばかりは、新聞沙汰になるようなことでもしでかしてください」という、ご乱行のお許しまで。
皆、2次会に突入し、その後は、新宿の某カラオケ屋にて朝までの絶唱。
青山は絶好調。
阿部君の、受賞後第1曲はクイーン、「ボヘミアン・ラプソディ」。
そうそう、一昨日見た岸野君率いるWATTS TOWERS のライヴも、これで始まっていたのだ。
盛り上がりには欠かせぬ曲。
中原、「あずさ2号」を大絶唱。
凄すぎ。
結局最後には、私まで歌う羽目になる。
カラオケはいつも決然と拒否して、人前で歌うなんて20年以上もなかったのだが、まあ、今夜だけは特別。
分厚いソングリストを渡されても何が何だか分からないので、目に付いた小泉今日子「艶姿なみだ娘」を。
と言ってもさびのところしか知らないので、後はひたすら叫ぶのみ。
いやはや。

そうそう、14日の『グリーンデイル』最終上映は、芥川賞受賞記念上映特別編となる。
いや別に、何をするわけではないのだが。

何だか単にはしゃいだ夜みたいに読めてしまうかもしれないが、中原も青山も、受賞の知らせを聞いたとき、本気で泣いたのだ。
そういうものだ。


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熱唱する巨匠

1月1日(土)

謹賀新年。
今年もよろしくお願いします。

昨夜の爆音ニール・ヤング・ナイトは、100名を越す人々が来場。
無茶な企画だった上、5月の爆音ナイトでも『イヤー・オブ・ザ・ホース』『デッドマン』はやっていて、しかも雪。
何とか50名くらい来てもらえたらと思ったいたのだが、思わぬ来場者に、喜びはひとしおであった。
『グリーンデイル』の音のほうも3週間が過ぎてようやくポイントがはっきりし始めて、ものすごく安定した音になった。
バウス・スタッフの努力の賜物である。
いろいろつらいこともあったが、無茶はやってみるものだと、ほろりとしていたら、いきなり、「Rust Never Sleeps」が出だしで止まる。
まったく原因不明。
フィルムなら対処のしようがあるが、DVDだと、操作ミス以外、完全にお手上げである。
とにかく初期状態に戻して、再度上映。
まったくダメだった場合、ではどうするかを青ざめながら考えていたのだが、どうするわけにもいかず、単に無事の終了を願うばかりであった。
ハラハラしながら見ていたら、今度はさっき止まったところは何もなかったかのようにクリアする。
ホッとはするのだが、こうなると逆に、いつどこで止まっても不思議はないわけで、さらに不安は増し、いい歳をした大人3人が映写室の小さなDVDモニタの前で、タイムコードとチャプターを見ながら、いつどこで止まっても、とにかくそこから再スタートできるように、手に汗握ってじっと見つめること1時間以上。
場内の爆音と、映写室の小さなモニタの前に集まる3人の姿のギャップに呆れるが、致し方なし。
でもとにかくその後は何事もなく終了。
さすがに、すんなりとはいってくれない。
しかしそれも含め、楽しい一夜であった。
こんな大晦日を過ごしたのは一体いつ以来か。
ニール・ヤングと大勢のスタッフや来場者、その他の人々に感謝するばかり。
結局今回を含めたboidの上映で、一番いい思いをしていたのは私なのだろうと思うが、でもまあ、さらに今年はいい思いをしたいと思う。

終了後、上映の途中で帰宅したはずの中原・安井両名が飲んでいる某所へ。
今年の中原の小説のテーマについて、諸々の壮大な構想が練られる。
余りに壮大すぎて、何もないのと同じになるが、そんなものである。
果して中原はこれを形にすることができるのか。

8時過ぎに帰宅。
さすがに本日は何もない休日となった。