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2005年 boid日記 6月

Text by 樋口泰人

6月30日(木)

本日は「ドリーマーズ」の音響調整があるので、夜はバウス。
木曜日は、通常のレイトではかなり動員が落ちる日らしいのだが、今週で一番の動員。
多くの人に見てもらいたいと心から願っているので、とにかくいろんな人が来てくれるのは、本当に嬉しい。
『右側に気をつけろ』を提供してくれた、ハピネットピクチャーズの山岡さんもやってきてくれて、挨拶をする。
で、その場で、重大事項が判明。
『右側に気をつけろ』『勝手に逃げろ、人生』『ヒア&ゼア』などが、9月いっぱいくらいで上映権が切れてしまうのだそうだ。
『右側』再上映どころの話ではない!
『勝手に逃げろ』も絶対やりたいと思っていたのに。
契約の延長があるかどうか、権利元のGAGAに確かめてくれるということで、ただ、もし、延長なし、ということなら、おそらく『右側』は今回が最終上映になるかも。

とはいえ、そこまで知って黙っているわけにはいかず、早速バウスと、9月末の最終上映を交渉。
『勝手に逃げろ』をメインに、爆音最終上映週間を。
ただ、延長された場合は、いずれゆっくり改めて。
念願の『リア王』と共に。
いずれにしてもはっきりしたらすぐに、このページで告知するので、お楽しみに。
もし、最終上映ということになったとき、サーフ・ナイトのすぐあとになるので、もうこちらも宣伝活動をする気力体力、そして何よりも経済力が残っていないと思うので、チラシを作ったり出来るかどうか。
そうなると、boid日記を読んでくれている人と、サーフ・ナイトに来てくれた人たちの口コミだけが頼りである。
一人30人くらいに言いふらしてくれたら何とかなるかなあ。

『ドリーマーズ』の音響調整は、簡単なような、難しいような、不思議な感触だった。
というのもこの映画が、普通に見たら最も爆音らしくない映画だからだ。
部屋の中がメインなので、周囲の物音も少なく、こちらが「こんなことで爆音でいいの?」 と聞き耳を立てながら見る、という状態にどんどんなっていく。
しかしそこがポイントであることが、はっきりと分かる。
いわゆる映画音楽はなく、既成曲だけが使われ、環境音も特に主人公たちの感情を示すような音はつけられず、小さく、部屋の外の車の音などが聞こえてくるだけだ。
ある意味で、非常にリアルな音がつけられているだけなのだが、それもまた作られたものに過ぎないということが最後になって判明する。
そこにあるもの、作られたもの、かつてあったもの、今あるもの、などなど、「こことよそ」とが共鳴することでようやくそこに幽かな実体が現れる。
この企画の初日「デーモンラヴァー」のトーク・イヴェントで、雑誌『群像』の最新号に書いている青山の小説『死の谷95』が、今回の企画の意図をついていると、私は言ったのだが、それに倣って言うと、『ドリーマーズ』は、12弦ギターの主弦ではなく共鳴弦なのだと思う。
この『ドリーマーズ』があることによって、今回の企画は12弦ギターが奏でる爆音だ、ということを明確にすることができた。
その初日のトークの時に青山がレッド・ツェッペリンの「丘の向こう」という、12弦ギターを使った曲を流したのだが、『ドリーマーズ』の中盤、カフェの中で幽かに流れてくる(他の曲はどれも堂々と聞こえて来るにも関わらず)ミッシェル・ポルナレフの「ラヴ・ミー、プリーズ・ラヴ・ミー」のバックをやっているのも、レッド・ツェッペリンなのだ。
『ドリーマーズ』における共鳴弦がミッシェル・ポルナレフであると想定すれば、この映画の意味や豊かさを理解することが出来るのではないか。
生理的な好き嫌いを取っ払って考えれば、本当にいい映画だと思うのだけど。
ロードショー時の不人気を承知の上で、あえて今回この映画をセレクトしたのは、以上のような意味があった。
映画好きの人から見ると、この映画での映画の引用の仕方や、主人公たちの態度がやたらと子供っぽく見えるかもしれないが、そうではなく、あれは、映画の共鳴の結果なのだ。
ホークスやフラーの映画の共鳴としてのヌーヴェルヴァーグの映画、それに共鳴する主人公の双子、そしてそこに紛れ込んでしまった場違いで、もしかすると時代さえ間違えたかもしれないアメリカ人という、それらの共鳴の共鳴が織りなす物語。
ベルトルッチはダメになったのでも弱くなったのでも年老いたのでもないと思う。

6月29日(水)

ここに来ての暑さと湿気により、完全にへばってしまった。
昨日は、起きたものの頭がグラグラ。
黒沢さんの目眩が伝染したのか、とにかくうまく歩くこともできず、そのまますべての予定をキャンセルして寝込む。
いろんな意味でテンションがあがりっぱなしだったから、少し落ち着きなさい、ということなのだろう。
夕方まで寝込んでいて、ようやく気分も直ったので、夜のT.REX、および、サーフ・ナイトのデザイン打ち合わせには顔を出し、そのまま『右側に気をつけろ』を堪能。
最初に公開したときの字幕とは変わってしまっていて、こちらの方が確かに分かりやすくていいのだが、以前の字幕(柴田・蓮實)の「ギターのむせび泣き」とか「光は背後から闇を撃つだろう」という言い回しを、懐かしく思い浮かべる。
この映画を見て以降の10数年、私があれこれやってきたことや考えてきたことが、なんだかすべてここに詰まっているようにも思えて、ほろりと来た。
今回見逃した人のためにも、またいつか爆音上映したい。

その後、朝まで、というかほとんど「午前中」というような時間まで仕事。
某パソコン雑誌での、ヴァージョンアップした動画編集ソフトの使い方講座。
どんどん使いやすくなってきているが、その分、基本的な構造が見えにくくなってきている。
まあ、テレビとかだってその構造を知らなくても誰もが使えるわけだから、それでいいのかもしれない。
そうやって物事は流通していくのだろう。

ニールさんはニュー・アルバムの録音も終わり、どうやら今回もDVDオーディオも製作していて、DVD担当の大貫さん(『グリーンデイル』の編集者)は、毎日その新作を聴き続けているとのこと。
この間、ジョナサン・デミがその様子をずっと撮影していて、8月にはその撮影のためのライヴもあるらしい。
年末くらいには、ニュー・アルバムも映画も到着、みたいなことになるといいのだけど。

本日は、起きあがったもののやはりダメで、ようやく夕方、原宿にある「ズート・サンライズ・サウンズ」というレコード屋さんに、T.REXのポスターとチラシを持っていく。
原宿の端っこにあるレゲエとパンクが中心の小さな店だが、なんだか、80年代に高円寺でやっていたレンタルレコード屋を思わせる風情もあって、何度行っても気持ちがいい。
レコード屋、やりたいなあ、と思う。
まあ、儲からないだろうけど。
店にいたカップルが、最近発売になったマーク・スチュワートのベスト盤のレコードを買っていく。
レゲエ、パンク好きの人は、原宿に行ったら一度行ってみるといい。

ズート・サンライズ・サウンズのHP

帰宅後、青山から連絡があり、バウスに中原と一緒にいるとのこと。
青山にはサーフ・ナイトのチラシの相談、中原には某企画のための正式依頼をも含めた口説き、など、用件はあるのだが、身体が動かない。
明日も、「ドリーマーズ」の音響調整で朝までになるだろうから、本日は身体が動かぬままにしておく。
バウスから、「ドリーマーズ」に関する緊急事態の報告あり。
すべては明日の音響調整で判明する。
しかし、一体こんなことってあるのか???

動かぬ身体と共に、羅針盤の新作『むすび』(8月15日発売)を聴く。
こういう状態の時の羅針盤は胸にしみる。
低音の広がりがちょっともやっとしているのは、まだCD-Rだからなのかな。
あるいは意図的なものか。
DVDオーディオとか、SACDとかで出してくれないだろうか。
羅針盤のような音には絶対合っていると思うのだけど。
そういう贅沢って、やるべきだと思う。

そうそう、我が家の姫が友人から借りてきた『NARUTO』というアニメのサントラCD、1曲目が矢沢永吉、2曲目がポリス、3曲目がレッド・ツェッペリンだった。
どれも日本人の若者がやっていて、一応すべて「オリジナル」曲である。
確かに歌詞は違うし、メロディもちょっとずつは違っているのだが、これって一体・・・
堂々とカヴァーをする力量のない人たちが「オリジナル」と称する時代ということなのか。
オレンジレンジみたいな人たちは、まあ、「芸」のひとつとして笑えるのだけどねえ。
まあ、子供にとっては余計なお世話極まりなし、というところだが。

6月25日(土)

いつものことであるが、ヘロヘロである。
昨日のように、満席・立ち見ということになると、妙に緊張して、完全に強ばっていたことが、本日になって判明。
せっかくのチャンスを生かし切れない悲しい性を、呪う。

とにかく、昼はぐったりしていた。
そのまま、バウスへ。
昨日はあんなにいっぱいになったので、本日はその反動で20人くらいだったら岸野君にほんとうに申し訳ない、2日続けてのイヴェントというのは今後はやめよう、などとグズグズ思いながら到着。
しかし、予想に反して、十分な人たちが来てくれた。
ありがたい。

岸野君の講座は、美学校での講座のように、理路整然とした非常に分かりやすいもので、しかも諸々のサンプル付きだから、いちいち納得。
久々に見たフラーの「ショック集団」に付いているさまざまな音の重なりに驚く。
その話の時に、「サミュエル・フラー映画祭のパンフに、ジョン・ゾーンが『ショック集団』の音について書いていた」と、ボソッと言ってしまい、そのままになっていたのだが、今回の岸野君の講座と重なり合うので、パンフをスキャンした画像を載せておく。
ここをクリック
全文を載せてしまって、著作権に触れるかもしれないが、まあ、これはお許しを。
翻訳、安井君だし。

『右側』の音には、喜んでいただけたのではないかと思っている。
というか、再度みたい、何度でも見たいという気分になってくれたのではないかと。
私としては、これを人に見せずにおくのはもったいなさ過ぎて、いても立ってもいられない、という気分なのだ。
もし、本日の来客者でそんな気分になられた方がいたら、精一杯周囲に言いふらしていただきたい。
それが世のため、というものである。

それから、黒沢さんから連絡があり、無事回復とのこと。
ファンの皆様ご心配をおかけしました。

6月24日(金)

帰りが朝だったため、昼過ぎにヨロヨロと起きる。
こういう暮らしは長くはできないと、反省。
夕方、黒沢さんから電話。
久々に目眩の症状が出て、動けないと。
一昨年くらいから、時々目眩が出て大変だったのは知っていたが、最近はスポーツジム通いですっかり元気になっていたのに、こんなところでぶり返すとは・・・
しかし、無理してさらに酷くなっても、その方が大変である。
とにかく何とかしましょう、ということで、「ココロ、オドル。」の爆音リミックス・ヴァージョンの上映で、お詫び、ということにする。

バウスはほんとうに満席、立ち見になった!
素直に嬉しい。
いろんなことがうまく重なった結果だと思う。
協力してくれた人々、関係者、バウスのスタッフ、そして会場に詰めかけてくれた人々に感謝。
私は、映画や音楽で世界は変わると信じているので、こういったこと、そしてバウスの爆音上映で映画を見た人たちが持ち帰った何かが、さらに次の展開を生むことを期待してやまない。
それぞれがそれぞれの力でできることをするだけで、全然違ったものになるはずなのだ。

いろんな意味での、緊張と動揺などにより、上映前のトークでは、グズグズと話しすぎて、安井君の紹介も遅れてしまった。
本来なら、安井君と黒沢さんが爆音という上映形態について、あれこれ話をするはずだった。
「野村再生工場」という安井君の比喩は、確かに言い得て妙。
その場では言い損ねてしまったが、それは、上映される映画だけではなく、それを見る私たちの「再生」を意味しているのではないかと思う。
いずれにしても何かを変える、大きなきっかけになってくれたら。

上映後、多くの人から『ジェリー』に関する感動の言葉を聞く。
ほんとうにいい映画なのだ。
こういう映画もまた、ロードショーをやってしばらくしてDVDになって、レンタルされて、という当たり前の映画の消費サイクルの中で埋もれてしまうのが、現状である。
誰が悪いとかいいとかではなく、そういうサイクルの中で、我々は暮らしている。
だから時々こうやって、駄々をこねてみたい。
そして、この映画の本来の音量を超えても、この映画の持つ可能性の限界まで、そこに開示したい。
そういったことによって、誰も抜け出せないサイクルに、ちょっとした傷を付けて行けたらと思う。

明日からは『右側に気をつけろ』である。
こちらはもう、映画を見ること、物語を見ること、音楽を聴くこと、音の渦の中にいることの幸福と苛立ちと喜びと悲しみとに、見事に包まれるものとなった。
つまり、愛の誕生の瞬間に立ち会う至福の時を過ごすことができる。
自分でやり始めておいていうのも変な話だが、こうやっていろんな映画を見てみると、『爆音上映』ってほんとに面白いなあと、他人事のような感想を持った。
もちろんそれがすべて、ということではないのだけれど。
それに、こうやって爆音でありながら、台詞も聞き取れてノイズも載らない、心地よい音を作るためには、さまざまな物理的条件やスタッフの努力が大いに関係していることを分かってもらいたい。
単に、「でかい音で上映する」ということではないのだ。
まあ、そういう乱暴さも面白いのだけれど(笑)。

6月23日(木)

あれこれ細々したことをしているうちに夜。
木曜日は、毎週、次週作品の音響調節の日。
本日は『右側に気をつけろ』。
楽しみにしていたのだが、こんなにすごいことになるとは!
フランソワ・ミュジーとゴダールの、音の強弱、配列、出し入れの作業のリズムやテンポにすっかり載せられて、バウスのスタッフも含め見ていた全員のテンションが一気にあがる。
ほんとうに楽しい映画である。
大笑いしながらひたすら呆れ続ける。
豊かな人生、というのはこういうことなんじゃないかと、つい調子に乗る。
これを見ないと人生損するなどと、マジで思えてしまうようなものになった。
毎日見に来てもいいなあと。

思えば、『右側に気をつけろ』の最初のロードショーの時に、私はシナリオ採録、というのをやった。
繰り返しビデオを見ながら、その動きや音の変化を克明に記録していった。
いかにゴダールがリタ・ミツコの音を変え、どの部分を使いどの部分を使わなかったか、逐一書き上げていって、たぶん、映写の人と字幕の人を除いて日本で一番『右側に気をつけろ』を見ていると自負しているのだが、それでも、何年かぶりでこうやって爆音で見ると、初めて見た映画のようにドキドキする。
念願の爆音『リア王』に向けて、いい刺激になった。
『リア王』は、もはや日本にフィルムがなく、そこから何とかしなければならないのだ。

6月22日(水)

さすがに4週連続の週替わりの爆音上映となると1週間があっという間に過ぎ、あたふたしているうちに次の週がやってくる。
日曜日には、再度音の確認をした。
前半のノイズもとれ、バランスも良くなり、これなら大丈夫。
後半は、魂の在処を巡るひとつの音響作品を見ているような、そんな感じになった。
元々の作品の音響とは、環境音の音量がまったく違うものとなっているが、こうやって映画を読み替えるのも、爆音上映の醍醐味だと思っている。
作者たちには大変申し訳ないことだが。
だが、見たり聞いたりすることもまた、ひとつの創造なのだということを分かっていただきたい。

月曜日には、50分過ぎあたりの二人のジェリーが延々と歩き、それを二人の顔のアップでとらえたまま横移動するシーンの足音の大きすぎて割れてしまっているという、苦情が出たようだ。
確かにこの足音は、映画全体の中で一番大きい音であるだけでなく、音のダイナミックレンジが最も広がっているシーンである。
小さな音と、石をを踏みつぶしているような大きな音がごっちゃになって出てきている。
で、問題の割れた音というのは、突発的に出てくる石を踏みつぶしたらしい大きな音のことを言われたのだと思うのだが、これはこれでいいのだと実は私は思っている。
つまり、通常のレベルでは絶対体感できないそのダイナミックレンジを体感して欲しい、というのが爆音上映のねらいだからだ。
通常の音量では普通の物音にしか聞こえない小さな音の中に、いかに広い世界が詰め込まれているか。
小さなことが小さなことではないことを、この映画は教えてくれる。
一度こうやって体験すると、次回からは小さな音を聴く感覚がどこか違ってくるのではないかと思う。
だがもちろん、映画を見たい人を嫌がらせたり、映画を壊してしまうことが趣旨ではないので、苦情を考慮して火曜日からは少し音量を下げる。
ただ、「デーモンラヴァー」と違って元々が爆音仕様ではない「ジェリー」をこうやって爆音上映した意図は分かっていただきたい。
映画を楽しみつつ、ついでにこちらの身体もどこかで変わるということができたらと、願うばかりである。
それから、上記で分かるように、爆音上映は実は「ライヴ」である。
日々、演奏が違う。
そんなことも気にとめておいて欲しい。

あと、8月下旬からの「クレイジー・サーフ・ナイト」の全体像が、やっとはっきりした。
サーフ映画といってもboidがやる以上、「アメリカ」との関わりがメインである。
私としては「ロスト・イン・アメリカ2」の番外編と考えている。
サーフ・ロックとアメリカ映画とアメリカの狂気、みたいなテーマとして、「アメリカ」を見る4週間。
ただまあ、こういったことは、ピンと来ない人には全くピンと来ないだろうから、何とかうまくそれらのつながりを説明できたらと思っている。
具体的には追ってお知らせする。

「ジェリー」の動員は好調で、ありがたい限り。
金曜日の黒沢さんのトークの時は、かなり混みそうな気配。
どうせなら新作でもないレイトで、200席を満員にしたい、という無茶な欲望がわき上がる。
それができたら、少しは日本映画業界の関係者も、何かを考えてくれるかもしれない。
劇場の環境や配給や宣伝のシステムといった部分がいかに酷いことになっているか、それを今何とかしないと、広告代理店だけが幅をきかし、映画製作者たちはそれらの餌食になるだけだ。
誰もがそれを感じているはずなのだが、誰もそれを公に口にしない。
だから、こういうことで何とか変えていくしかないのだと思っている。
そのためにも、もし金曜日にバウスへと思っている人がいるなら、もう一人でも二人でも友人を誘って駆けつけていただきたい。
ただまあ、その挙げ句、入れない人が出たりしたらどうしよう、などとあらぬ妄想が・・・
いずれにしても、配給会社の人たちは、日々そんな妄想や不安に苛まれていることだろう。
部外者である私が勝手に文句を言って勝手なことをやったりするのは自由だが、関係者の苦労は確かに身にしみる。
今回はたまたまうまくいったからいいが、これで日々がらがらだったりしたらと思うと・・・

6月18日(土)

本日からは『ジェリー』。
黒沢さんの都合で、トークが最終日になったので割と落ち着いた初日となった。
『ジェリー』の音は、だいぶよくなった。
木曜日の調整の時には、かなり気になった声と周囲の音とのバランスの悪さも解消。
こちらも「落ち着き」を見せ始めている。
ただちょっと音は小さめのスタートだったので、途中、2度ほど音量を上げる。
明日、左右とセンターとのバランスをちょっとだけ変えれば、ベストポジションを見つけることが出来るのではないか。

帰宅後、クラフトワークのライヴ・アルバム『ミニマム-マキシマム』を聴く。
アナログ・シンセの時代を思わせる低音の分厚い音に、驚く。
極めてファンキーかつサイケデリックな音。
デジタルの音の分解をものともしない強さで、音が太く繋がっている。
ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのアルバムもそうだったのだが、単に密度が濃いのではなく、音の物理的な厚さ、重なり方が、結果的に表面に出てくる音楽の精神をも形作っているような、そんな意志を感じる。
うーん、来日の時に行けばよかった。


6月17日(金)

さすがにヨレヨレで、昼過ぎに起床。
青山から電話があり、現在進行形の小説の話を聞く。
それから、「縁の下の力持ち」話も。
しかし、これだけ自分のことを「縁の下の力持ちだ」と語る縁の下の力持ちはいないだろう。

夜はバウスにて『デーモンラヴァー』の最終日。
本日もかなり入っていて、驚く。
しかも、会場に集まっている若者たちの姿を見ると、どこかのライヴハウスのようでもある。
ソニック・ユース好きの若者たち、ということなのだろうか。
声をかけられたので誰かと思ったら、斉藤陽一郎であった。
アサイヤス初体験がこの映画で、しかも爆音、ということで、相当衝撃を受けたとのこと。
考えてみれば当然といえば当然である。
だがそれもまたよし。

帰宅後、あれこれ仕事をしているうちに朝になり、とりあえず風呂に入ると、何となくからだがかゆくなる。
風呂から出た後も何となく顔の辺りがかゆいなあと思っていたら、どんどんかゆくなり、気が付くと顔が真っ赤になってボコボコになっている。
急性の蕁麻疹。
昔、カウフマンの『存在の耐えられない軽さ』の死者をヤマハホールで見たときに、あまりの狭苦しさと混雑と熱気で、上映終了後、上半身全体に蕁麻疹が出たことがあったが、それ以来の酷いもの。
呆れる。
その時たまたまメールでやりとりしていた阿部君からは、血液検査を勧められる。
確かに。
しかし、さすがに急性だけあって、しばらくするとだいぶよくなり一安心。
一体私の身体はどうなっていくのか。

6月16日(木)

とりあえず、爆音レイトの出足は好調。
協力してくれた多くの人たちに、感謝。
「好調」と言っても、レイトでの動員のことなので、数字を挙げてしまうとまだ本当に小さな数字ではあるのだが、一方で確実に広がっていってくれそうな数字でもある。
「数字」といってしまうと、ちょっと違う。
メジャーな会社にとって見れば単なる数字だが、バウスに集まってきてくれたのは数字ではない。
少しでも多くの人が、爆音の種を、身近なところにばらまいていってくれたらと思う。
たぶん、そういうことでしか物事は始まらないし変わらない。

本日は、デザイナー倉茂と中原を、占い師に紹介する。
他人が占って貰っているのを見るのは、非常に楽しい。
こちらから見ると、見事に当たっているのに本人は納得しなかったり、あるいは思わぬところでツボにはまったり。
中原を迎えに行っていたため、倉茂君の占いのほとんどを聞き逃してしまったのがちょっと残念。
でもなんだか、妻にお弁当を作ってあげなさいとか何とか言われていたような・・・
一体どういう文脈なのか・・・
一方中原は、もうあらかじめ、他人にものを相談する人の態度ではない。
相変わらず、ひとこと言われるたびにあーだこーだと言い返し続ける。
本人はそんなつもりはないらしいが。
しかしまあ、むちゃくちゃスケールのでかいことを言われ続けていたのには驚く。
具体的には書かないが、ものすごい運を持った人というのはいるものだ。
しかもそれを本人は、すべて不幸の種だと思っているのだから、本当にまあ・・・

夜はそのまま、中原とバウスへ。
行ってみると、特に示し合わせたわけでもないのに、黒沢夫妻、松田広子、坂本安美、青土社宮田君、それから阿部君などなどが集合。
ちょっとしたboid同窓会となる。
これから種を蒔く若者たちの集まる場所でもあり、いい大人たちの集いの場所でもあるものとして、「爆音上映」が機能していってくれることを願う。
そしてそれがさらなる展開を生む場所となることを。

上映終了後、今度は『ジェリー』の音響調整。
爆音仕様の『デーモンラヴァー』の音響をすっかり堪能した後だと、未調整の音響はなんだか物足りない上に、それぞれの音がバラバラで、なかなかなじめない。
しかも映像と同様、音の方のダイナミック・レンジが広すぎて、基準にすべき音が見つからない。
その上、左右のチャンネルからホワイトノイズが出続ける。
『デーモンラヴァー』の音響調整で苦労したので、今回はそれをふまえてやればいいかと思っていたのだが、まったく違った。
『ジェリー』には『ジェリー』の音があるのだ。
しかしロング・ショットの広がりにしても、アップでのカメラの位置にしても、尋常ではない。
恐ろしい映画だ。
この映画の音は、ずっと探し続けねばならないだろう。

調整終了後は、中原・阿部、ノーボディ・メンバーなどとデニーズへ。
相変わらずあれこれと中原の今後についての話や、青山の欠席裁判など。
その途中、ちょっといい企画の話になり、私は本気になる。
中原がやる気になってくれればいいのだが。
というか、その気にさせなければ。
何が出来るかは、出来てからのお楽しみ。
まあ、企画倒れ、ということもあるので、今のうちは内緒。

6月13日(月)

昨日は近所のUFOクラブでポートカスのライヴがあった。
5バンドくらい出る最後。
9時過ぎからだというので、終わってからバウスに様子を見に行けばいいやと思っていたら、9時になって始まったのは、別のバンド。
さすがに5バンドもあると、時間がどんどんずれる。
で、ポートカスが始まったのは10時くらい。
会場が小さいこともあり、何か、毎日ここでライヴをしているみたいな親密な空気が流れる。
アイルランドとか、こんな感じなんだよなー。
前に行ったとき、タクシーに乗ったら、義足のおじいさんが運転手で、戦争でやられたとか言っていたのだけど、今夜ここに泊まるならライヴやるから来てね、みたいな挨拶をされたことが印象に残っている。
そんな感じ。
ただ、それももちろんいいのだが、例えば、フジロックとかサマソニとかのでかいところででやったらむちゃくちゃいいだろうし、みんな驚くだろうと、一人妄想に浸る。
その後、バウスに駆けつけ、様子を見る。
さすがに日曜の夜は人が少ない。
でも、さっきまでライヴ会場での生音を聴いていた耳にも、バウスの爆音は心地よく聞こえる。
普通にこれくらいの音響で、映画を見たい。

そうそう、中原から早速、「死体写真多すぎ」というメールが。
そりゃそうだよなー。
でも、「罰」ということらしいから、許可が下りるまでこのまま。
前回の下駄のアザの時も、しばらく酒は飲まないと言っていたはずだが、それでこの体たらく。
許可は永久に下りないかもしれない。

本日は、あれやこれやしているうちに時間が経つ。
バウスから連絡があり、『ドリーマーズ』はロードショーでやったR-15のヴァージョンではなく、DVDと同じ、オリジナルのR-18ヴァージョンでの上映となる。
DVDが出てしまっているので特に貴重、というわけではないが、R-18ヴァージョンはほとんど劇場ではかかっていないので、フィルムの状態が良好。
ジミヘンもジャニスもディランもポルナレフも思う存分楽しめる、というわけである。
ヴァージョンの違いについては、DVDの解説に書かれているのだと思う。
いくつかカットされたところがあり、それが復活しているのだ。

あと、昨日、西岡さん(Ex.レスト・オブ・ライフ)が始めたAmerico のサンプルCDを聞く。
「The Music of 'Tomorrow'」というタイトルだけあって、明日の彼方から聞こえてくるような懐かしくスウィートな音。
この大人な音を、若者たちの耳に響かせるようにする工夫が出来たらと思う。


夕方近く郵便局に行って、boidの郵便振替口座の振り込み確認を。
ただこれが異常に時間がかかり、20~30分くらい待たされる。
しかも、明細を出すのは有料なら出来ると言うから、いくらか尋ねると、それにもしばらく時間が。
あれこれ出来るようにはなっているが、まだ職員がそれを全然使いこなせていない状態。
いろんなことが付加されて結局使いにくくなっている現代社会のシステムと全く同じ状況がここにも。
まあ、こちらも、一分一秒を争っているわけではないからいいんだけど。

その後久々にHMV、タワーをはしご。
お年寄りたちの奮闘ぶりに、ちょっと唖然とする。
あまりに唖然としたので、どれも買ってしまう。
ヴァン・ダー・グラフって、一体何年ぶりなんだ・・・
しかもジャケットデザインのセンス、相変わらず。
2枚組!
ウィルコ・ジョンソンは、あまりの顔にちょっと驚いたので、裏面の方もスキャンしておく。
15曲中、4曲もヴァン・モリソンのカヴァーをやっていた(これがむちゃくちゃ泣ける!!!)。
あと、クラフトワークもあったがこれはいつものジャケットなので省略。

vander.jpg

wilko.jpg

帰って手を洗いながらふと左手首を見ると、ぼんやりとアザが広がっている。
手首に血管注射をして失敗したみたいなアザ。
まるで身に覚えなし。
勝手に毛細血管が切れたらしい。
うーん、大丈夫なのだろうか・・・
せめて、ウィルコ・ジョンソンくらいな顔になるくらいまで生きていたいものだが。

6月11日(土)

いよいよ爆音初日。
体調は最低だが、まあ、それはいつものこと。
夕方までひたすら「死の谷'95」を読む。
本読みが得意な人にとっては信じられないような遅さだと思うが、文章を書くのを職業にしているくせに、文章を読むのが本当に苦手なのだ。
6弦ギターから始まり、12弦ギターに移り、そして爆音がやってきて、最後に幽かな最初のフレーズが加えられる、という4部構成からなるレッド・ツェッペリンの「丘の向こうに」の構造をふまえた小説。
それはそのまま今回の爆音レイトの4作品が持っている構造でもあるだろう。
ひとつの場所(時間)、複数の場所(時間)、場所(時間)の混在と重なり、そして幽かな帰還であり次の一歩であるようなステップ。
あるいは、今回の4作品、それぞれが持つ役割にも当てはまる。
「右側」と「デーモンラヴァー」を入れ替えてもらえば、はっきりする。

本当は、西荻で7時から始まっているはずのポートカスのライヴをちょっと覗いてからバウスに駆けつけたかったのだけど、さすがに、初日イヴェントの準備もあり、あきらめ、バウスに向かう。
途中で、トークの時にかけるはずだったCCRの「バッドムーン・ライジング」の入ったCDを忘れてきたことに気づくが、まあ、30分なのでたぶんかけることは出来ないだろうとあきらめる。
バウスに付き、しばらくすると窓口前にずいぶんの人が集まってきて、一安心。
「デーモンラヴァー」はつい2ヶ月前までロードショーしていたものだし、特に大ヒットしたわけではない映画だから、一体どれだけの人が来てくれるかかなり心配していたのだ。
やってきた青山は、すっかり疲れ果てている。
理由は最後に掲載する写真を参照。
一体まったく、忙しいんだか暇なんだか全然分からない。
どうやら、昼過ぎに自宅前の道路でぶっ倒れているところを発見され、助けられたらしい。
北海道の冬なら死んでいる。
本人は、まるで記憶がなく、気が付いたらソファで寝ていた、ということなのだ。
で、その罰として、それらの証拠写真を掲載するようにという、とよたさんの要請。
しかし、発見されたとき、助ける前にすぐに部屋に戻りカメラを持って証拠写真を撮る妻とは一体・・・

それやこれやで、トークは、ソニック・ユースの「デス・ヴァレー’69」、レジデンツ「霧のサンフランシスコ」、ペル・ユブ「サーファーガール」、ツェッペリン「丘の向こうに」などを爆音でかけて、上記の小説をネタにした話をあれこれ。
爆音レジデンツが案外いいのでちょっと驚く。
当時のアナログ・シンセの低音の響きがポイントではないか。

上映も無事終了。
今回の爆音は、爆音そのものにガツンとやられると言うよりも、通常の劇映画もこれくらいの音響の中でやるのが当たり前というような、映画の製作と上映の前提を示す、というような意味もある。
見てもらった人には分かるはずなのだが、この音が普通、というところからようやく何かが始まるはずなのだ。
だから本当に、今映画を作っている人、映画の配給や宣伝に関わっている人、劇場関係者には是非見てもらいたいのだが、なかなかそうはいかない。
だから、期待は、本日見に来てくれた、そしてこれから見に来てくれるであろう若者たちの10年後、ということになるのだろう。
それぞれが、いろんな爆音を持ち帰って、それぞれ勝手にあれこれしてくれたらと願う。
それもまた、ひとつの幽かな帰還であるのだろう。

で、下に貼り付けたのは、ぶっ倒れていた青山の証拠写真。
しかしまあ、アルコールアレルギーの私には、全く想像も付かない世界。
この状態じゃあ耳元で爆音ソニック・ユースとかかけても、気づかないんだろうねえ。

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(c)撮影:とよた真帆 2005/6/11

6月10日(金)

爆音調整が終わったのが深夜2時近くで、タクシーには吉祥寺は遠すぎの黒岩、中根、他1名に付き合って、朝までデニーズ。
明け方近く、他1名のたくましい帰り方に唖然としつつ、男子は本当に大変だなあと、とりあえずそういうことには縁のなかった自らの若き日を振り返る。

そんな状態で帰宅して、多少は眠ったが、ボーッとしたまま。
青山と電話で、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」のサラウンド・リミックスが出たら、一発で泣いてしまうというような話。
確かT.REXの「エレクトリック・ウォーリアー」の、トニー・ヴィスコンティによるサラウンド・リミックス盤が出た、というようなことからそんな話になったのだと思う。
グズグズと他愛ないことを話していると、篠崎から電話がかかってきて、今から遊びに行っていいかと。
どうせボーッとしているからいいよというわけで、「刑事まつり」最新版を持って篠崎登場。
ミニDVとカメラを持ってきたのに、ファイヤー・ワイヤーのコードを忘れるという、以前にも一度あった展開。
相変わらずである。
だが、新しくしたHD/DVDデッキにファイヤー・ワイヤーの受けがあり、我が家のコードで無事接続。
高橋洋助演、篠崎も奇妙なメキシコ人として登場。
高橋さん、助演というより独演に近い終始一貫した無表情の演技。
「刑事まつり」にはもったいない孤高の演技と言うべきか(笑)。
篠崎は、またもや坂を転げ落ちる。
呆れるが、これまた孤高のアクション。

篠崎帰宅後は、ひたすら、知人・友人たちに「爆音レイト」や「爆音T.REX」の連絡をして、青山の小説「死の谷'95」を読む。

6月9日(木)

ピンク・フロイドの「エコーズ」が延々と流れ、サーファーの背中に乗せたカメラがとらえた波と空とがグルグルと廻りながら映っているだけの「クリスタル・ボイジャー」後半のカメラマンで、おそらく世界最強のヒッピーの一人、ジョージ・グリノーが、イルカの視線になってイルカと波とを撮影した「ドルフィン・グライド」を見に行く予定が、あれこれバタバタしているうちに、遅刻。
とりあえず仕事を片づけ、「そこそこ」の波などもうイヤダと言ったかどうかは知らないが、とにかく大波を求めてどこまでも行く、まるで「ツイスター」の竜巻研究チームのようなサーファーたちが主人公の「ビラボン・オデッセイ」へ。
「ハートブルー」の最後に出てきたあの大波クラス(20メートルほど)のものが、ガンガン登場する。
もはや波と一体になるとか、自然に任せるとか、そういうものではなく、その狂暴な自然の前にただひたすらやられまくる。
だが、さすがにカメラもそこには近づけないので、2台のヘリコプターを使った空撮がメインとなっていて、それはそれでいい感じではあるのだが、ジョージ・グリノー的な狂った歩みが感じられない。
時折、ボートから写したと思われる「近い」視点が登場し、そこではちょっとハッとさせられる。
しかし、この映画制作も含め、彼らの経済活動はどうやって成り立っているのだろう。

その後、ジャ・ジャンクーの新作「世界」。
一体何が「世界」なのかと思ったら、中国には「世界公園」というのがあるのだそうだ。
オランダ村、とかスペイン村とか、そういうローカルなものではなく「世界」。
そこに行けば世界中の名所があるのだ。
エッフェル塔と凱旋門が隣り合わせに並び立ち、モノレールからピラミッドの砂漠を見下ろし、摩天楼には未だにツインタワーが。
まあ、この場所を選んだ時点で、この映画のほとんどが決まったのだと思えるような場所である。
その中で働く若者たちが主人公。
だが、その公園の中と外側との区別がよく分からない。
どこまで行ってもその公園は続いているようでもあるし、気が付くとそこはどうやら外側ではないかと思わせる。
内部と外部との出入りはほとんど描かれず、扉は常に開かれていて、境界線は曖昧だ。
しかもピントもソフトで、どこにも焦点があっていず、薄暗い画面が延々と続いたりもして、すべてがぼんやりとにじんだように広がっている。
閉塞した空間とそこからの脱出が基本テーマとなるアメリカ映画とは正反対の構造が、そこにある。
だが、彼らはそこに安住しているわけではなく、閉まっている扉を、登場人物が開けるシーンがはっきりと映されるのは、記憶では2度だけある。
共に主人公の人生が大きく変わる場面で、そのぼんやりとした「世界」の外側を、この映画がどのようにとらえているかが、そこで示される。
リチャード・リンクレイターを見た後では、なんだか時代遅れに見えてしまうアニメの使い方は、それなりに案外いい。
ぼやけた実写の視界と、クリアなアニメの視界対をなして、ようやく彼らのいる場所を示すからだ。
その意味で、あくまでも誠実な映画であった。
私としてはもう一息、身もだえするほど狂って欲しかった、というのが正直なところだが、まあ、誰もがそこまで行けるわけではない。

その後、「デーモンラヴァー」の爆音音響調整。
音の部分のフィルムの痛みがかなりあり、デジタル再生ではなくアナログ再生にての爆音。
最初はなかなか音が出てこなくて冷や冷やしたのだが、あれこれやっているうちに、ようやく地響きが!
こうなればこっちのもの。
台詞部分とのバランスとバウスの音響設備とを考慮しての、限界ギリギリの爆音となる。
いわゆる通常の劇映画でも、やればこれくらい出来る。
試写室やロードショー時とはまったく違う音が生まれ、以下に普段、貧しい音の環境の中で映画を見ているかを思い知る
しかし考えてみると、1月に「グリーンデイル」が終了してから半年間、爆音なしで過ごしてきたのだった。
忘れかけていた、この感覚を思い出し、いきなり元気が出る。
劇場関係者、配給関係者、映画宣伝関係者には一度でいいから見て欲しい。
音楽映画ではなく、こういった劇映画でもここまで出来ることを知ったら、何かせざるを得ないはずだからだ。
個人的な楽しみでこれをやっているのではない(まあ、それもちょっとはあるけど)のだ。


6月8日(水)

火曜日は一日中電話していたような気がする。
あれやこれや連絡事項も含め。
一人で仕事をしていると、時々こういうことになる。
誰かと話をしていないとやってられなくなるのだ。

その反動がでたのか本日は終日酷い頭痛。
午前中から渋谷で荷物の受け渡しとか、滅多にやらないことをやったためでもある。
その足で風間志織「せかいのおわり」を見に行こうと思っていたのだが、当然、断念。
帰宅して仕事の後、再び試写に。
こちらは仕事上、どうしても見なくてはというもの。
だが、全然ダメで、仕事も断る。
「そこそこ」だの「小ネタ」だのを逆手にとって物語を展開していく手法はさすがに洗練の極みだが、結局はそれだけ。
すべて現状容認の上での笑いと涙でしかない。
ウディ・アレンの過激な「私的世界」とは正反対の立場。
制作者たちは映画で世界が変わるとは信じていないのではないか?
まあ、テレビで見ていればそこそこ面白いとは思うのだけど・・・
そうやって距離を置いて物事を見る、というやり方はある時は非常に有効だろうが、もはや通常の距離感自体がなくなった現代社会では、単に我々を縛り付けるシステムを巧妙に機能させるためだけにしか働かないだろう。

帰宅後、仕事で必要なCDのライナーノーツを探すが出てこない。
昨夜、引っ張り出して見ていたのにどこにもない。
デスクの周辺1mくらいの世界さえ、謎に包まれている。
一体どこにお隠れになったのだろうか・・・

それから、ニール・ヤング情報が入る。
春先に、脳の血管の手術をしたのだとか(動脈瘤)。
だが無事回復。
先日はLAで、某バンドのライヴに飛び入りし、「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」を30分演奏するという暴挙もあり(笑)。
10月のブリッジベネフィットも29日、30日の両日の開催が決定したとのこと。
現代の医療技術に感謝!
しかしこんな話を聞くと、ますますじっとしてられなくなるなあ。
「そこそこ」なんて、とてもじゃないけど満足できないよー!!!


6月6日(月)

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メンフィス・ブリークの新作がなかなかいい感じである。
ジェイ・Z以後(といってもこのアルバムにもジェイ・Zは参加しているのだが)は、やはりこの人か。
MOPも参加していて、あのパワフルな音がぐいぐいとくる。
しかも全体で40数分という、近年のヒップホップ・アルバムにあるまじき短さ!
これくらいでいいのだ。
というか、これくらいにすべきなのだ。
一緒に買ったプラティナム・パイド・パイパーズのアルバムもそれなりに聴けるのだが、やはり長すぎ。
しかもボーナスDVD付き。
こんなにあっても、まともに聴けないし、見られない。
みんなタフだなあと思う。

午後から、T.REX『ボーン・トゥ・ブギー』の宣伝会議。
boid宣伝部隊の態勢が徐々に整いつつある。
あとは、ちゃんとギャラが払えるようなくらい、稼げれば何とかなるのだけど。
その後、『エレクトラ』か『オペレッタ狸御殿』を見ようかと思い歩いていたら、頭がクラクラしてきて早々に帰宅。
まあ、そんなものだろう。

夕方、8月の「クレイジー・サーフ・ナイト」の、念願の1本がほぼ決まる。
なーんだ、上映権、まだあったじゃん。
これが出来るなら、話は簡単。
いずれにしてもスローなライフ・スタイルと一体になったサーフ・ムーヴィーをぶっ飛ばす企画になる。
究極のサーフ・ムーヴィーとして、ジョン・フォードの『ハリケーン』をやりたいんだけどねえ。
それは無理としても、クランプスの「サーフィン・バード」とデヴィッド・トーマスの「サーファー・ガール」という、サーフ・ロック・クラシックのカヴァー曲2曲が爆音で劇場を揺るがすサーフ・ナイトになればと願うばかり。

そうそう、マーク・ボランが生きていたら、ジェイ・Zはリンキン・パークじゃなくて、迷わずT.REXと共演したはずだと思うのだけど。

6月5日(日)

しばらく間が開いてしまった。
毎年のことながら5月は本当に大変であった。
思い出したくもない。
と、一応は過去形で書いてはいるのだが・・・
「調子悪くて当たり前」と言って乗り切れるほど、もう、若くはない。
乗り切れも出来ないが、そのままぷつんと切れてしまうこともままならず、だが、やはりそのままぷつんと切れてしまいたい欲望だけがようやく心の支えになっているという、どうにもならない状態だけがはっきりと目の前にある。
まあ、それはそれ。
そんなものだろう。

爆音レイトがあと1週間に迫った。
土曜日に、8月に予定しているサーフ・ナイトの準備もかねてK's シネマでレイト公開しているブラジルのサーフィン映画を見に行ったら、観客は7人くらいだった。
サーフ・ナイトは1年越しの企画で勝手に盛り上がっていたが、どうもそう簡単にはいかないだろうということを実感。
そして、爆音レイトの方の不安も高まる。
日々一桁の観客、ということだって十分にあり得るのだ。
いろんな人に協力してもらい、boidなりの宣伝活動はしてきたのだが・・・
だがとにかくあと1週間、知人・友人たちにもう一押ししなくては。
手伝ってくれている若者たちにも、再度のプッシュをお願いする。

それから正式には今週半ばに発表できるのだが、リンゴ・スターが監督した72年のT.REXのドキュメンタリーを7月にレイト公開することになった。
急に決めたことなので、とにかく一気に事を進めていかねばならず、こちらもそれなりに大事になっている。
だが、DVDのボックスセットを買った人はすでにご存じかと思うが、こんなすごい音を爆音でやらないでどうするというような映画。
DVDを持っていても十分楽しめるし、あの音を個人の楽しみにしておくなんて、単に犯罪である。
とりあえずは、DVDの販売促進のため、という名目で上映を許可してくれた、イギリスの製作元、シンコーミュージック、インペリアルレコードに感謝。
ただ、したがって2週間のみの限定公開。
これを見逃したらもう一生爆音では聴けない。
この極上の楽しみに駆けつけないのも犯罪だとも思う。
まあ、生きる楽しみは人それぞれ、ということでもあるのだけど。

そんなわけで、6月11日から7月8日までは「爆音レイト」、7月30日から2週間はT.REX、そして8月下旬からはサーフィンという爆音3連発。
すでにそのための作業量が個人で出来る許容量を完全に超えていて、あちこちに迷惑をかけている。
だが、迷惑をかけるだけかけて皆様の力で何とかやり続ける、というのがいいのではないか。
そんな風に思う。

それから、金曜日に見た「スター・ウォーズ」の最新作は、案外よかった。
もちろん突っ込みどころはあれこれあるものの、あのような形での決着の付け方は、決して悪くはない。
誰もがすごいことを出来るわけではないのだ。
自分の力の及ぶ範囲でやるべきことをやるといった、非常にアメリカ映画的な姿勢を、この映画には見ることが出来た。
スピルバーグの『アミスタッド』と2本立てで見ると、この映画の意図がよりはっきりと見えてくるのではないかと思えた。