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2005年 boid日記 7月~8月

Text by 樋口泰人

8月31日(水)

地上に帰還したものの、症状は一進一退。
地上には地上の苦しみがある(笑)。

月曜日には、久々の試写。
『ダーク・ウォーター』。
「仄暗い水の底から」のアメリカ版なのだが、これが案外いい。
いわゆる「ホラー」というのとはちょっと違う、完全にヨーロッパ・テイストの心理サスペンス、みたいになっている。
派手なCG処理はほとんどない。
ひたすらカメラワークだけで、恐怖感を演出する。
ペドロ・アルモドバルのカメラマン、アフォンソ・ベアトの繊細なタッチ。
『私の秘密の花』とかを思い出す。
あるいは、『アメリカの友人』や『まわり道』といったヴェンダース作品。
アメリカでは受けなかったのはよく分かる。
思い切り焦点深度の浅いレンズを使っていて、母と子供がふたり並ぶシーンなど、どちらかがちょっと動くたびに、どちらかの焦点がボケ、その輪郭の鮮明さと危うさの往来によって、恐怖のリズムを作っていく。
ただまあ、ホラーにしなくても、って感じではあった。
普通のサスペンスの方が、見る方も戸惑わないのではないか。

本日は、福岡芳穂さんの『愛してよ』。
福岡さんは、数年前、『ダンジェ』のプレスを作ったときに初めてお会いして、その時以来、時々やりとりしていたのであった。
久々の作品。
『ダンジェ』もそうだったのだが、これもまた、繊細な空間のとらえ方がよくて、ドキドキする。
空と、地上との間に生きる人々の物語といったらいいか。
屋上でのシーンが多いこともあるのだが、子供たちが遊ぶ広場みたいな所の上には、大きな陸橋のようなものが架かり、彼らの頭上を覆う。
『ダンジェ』でも、高速道路の高架下を延々と走る冒頭のシーンが印象的だったのだが、ふたつの大きな層の間に広がる皮膜のようなものを映し出したいという幽かな欲望が、映画を動かしているように思う。
物語上では、それがおそらく、主人公たちの人生を動かす何ものかとして現れてきているはずだ。
だから例えば、離婚もして子育ても好きではなく生きる目的も定かではないく、かといって人生を諦めるにはまだ若すぎるどうにも悲しいだけの母親の日常が、こんなにも愛おしいものに見えるのだ。
つまりその、微妙で曖昧な皮膜は、あらゆる人の人生を価値あるものにしている何かでもある。
それを見つめる視線が、福岡さんの映画を作っているのだと思う。
だからそれは、いわゆる「人生の目的」や「幸福」や「生き甲斐」みたいなものをポジティヴに主張する映画とは、確実に一線を画す。
しかもこれは、新潟で撮影されていて、そこで語られるさまざまなエピソードのひとつひとつが、新潟の歴史や政治を寓話化しているようにも思え、かなり危ない作品でもある。
赤い服を着た幽霊が、あちらの世界に人々を誘惑するってエピソードは・・・

8月28日(日)

本日は、朝日取材第3弾で、バウス。
『ステップ・イントゥ・リキッド』の音響調整風景を写真撮影。
といっても今回は、急遽組まれたものだから、とりあえず上映してみる、といった程度。
でもこれが、やってみると、案の定迫力満点。
「アメリカ映画へのステップ」、というこちらの意図を超えて、単に、ただひたすら気持ちいい。
最前列で見たら、しばらく戻って来られないんじゃないか。
毎日、限定50人、という入場制限をして、とにかく好きな場所で見る、というやり方で上映したい欲望に駆られる。
まあ、今回はそれほどの混雑は見込めないから、入場制限しなくてもそれくらいか。
となると、来場者にとってはこれほど贅沢な鑑賞はないかと思う。
陸サーファーの視線とサーファーの体感とが一緒くたになって、アメリカの最深部へと連れ去ってくれるはず。
うーん、こうなると、『ダウン・バイ・ロー』も一緒に上映すれば良かったか・・・
あのバイユー地帯をグルグルとボートで廻る酩酊感と同様の何かが、そこにはあるのだが。
急遽、1日だけ追加上映してもらおうか・・・
もちろん、最初の3週の入場者限定(笑)。

8月27日(土)

ようやく体調が回復する。
セミ1匹。
ついに、船酔い状態から解放され、約2ヶ月ぶりに地球に帰還。
長い宇宙への旅であった。
この間、私に会った人は、案外元気じゃん、とか思っていたかもしれないが、とんでもない、頭は完全に閉鎖され、低周波震動装置によって常に存在の輪郭を揺るがされていて、中身はどこかにトリップしていたのであった。
地球にいることがこんなに気持ちいいとは・・・
まあでも、何が変わる訳でもないのだけど。

本日は、昨日の続きで、青山取材。
時間、場所が2点3転して、青山宅地下室仕事場にて。
「調子悪い」と言うだけあって、本当に具合悪そうな青山。
こんな事で仕事の邪魔をして申し訳ないとは思いつつ、まあ、それはそれ。
爆音にまつわるあれこれの話をしてもらう。
その果てに、私が子供に仕事の手伝いをしてもらったお小遣いとして50円しかやらなかったという事実に、皆から大ひんしゅくを浴びる。
親としては当然の額だったのだが、それはもう、まったく問題額の額だというのだ。
で、結局、我が家の姫にと、カレーパンをもらって帰る。

夜、文芸座ゴダール・オールナイトに、爆音ゴダールのチラシを持って向かったアシスタントから、超満員との報告が。
凄い。
しかしということは、爆音ゴダールも相当入らないと、「人が来た」ということにならないのかと、ちょっと緊張する。
普通に爆音をやって普通にゴダールをやって普通に人が来てくれればいいと思っていたのだが・・・
どうもそういった、「普通」の感覚において、どうしていいのか分からないほどのギャップを感じる。
爆音サーフも、私としては、アメリカ映画を見るなら当然でしょ、という感覚があったのだが、どうもそれはまったく通用しないみたいだし・・・
うーん、真の帰還までの道のりは遠い。

8月26日(金)

ようやく少し、体調回復の兆し。
頭の中にセミ4匹と低周波震動装置1台。
東京湾内を走行するフェリーに乗った気分。
常に微妙な船酔い感覚につきまとわれるが、外に出られないほどではない。

夕方、朝日新聞が記事にしてくれる爆音上映の取材のため、朝日依田さん他と阿部君を訪ねる。
私にとっては鬼門の田園都市線に乗る。
駒澤大学を過ぎてからのカーブに何かがいることだけははっきりしているのだが、本日は、こちらにもセミと震動装置があるので何とかなるだろうと。
いざ乗ってみると、以前のようなカーブでの軋みがない。
たぶん、例の事故で、カーブでのスピードを落としているためだろう。
そのことと、同情したboidアシスタントのバカなネタのため、余計なものを聞かずにすむ。
アシスタントの名誉のため、ここではそのバカな下ネタは秘す。

阿部君は、爆音上映の要点を的確にまとめて話してくれ、大いに助かる。
記事の中ではほんのひとこと、ということになってしまうだろうが。
こういった宣伝活動が今後どういった影響を及ぼすかは分からないが、まあとにかくやれるだけのことはやる。

そうそう、昨日の日記で、例によって愚痴ってしまったためか、いくつかの励ましのメールをいただく。
それぞれ返事はできないが、こういったお便りは本当に励みになる。
この場を借りてお礼を。
というか、今後の企画の充実こそが真のお礼であると考えている。
まあ、そのますますの暴走のためにも、まずは体調の回復をと思う。

それから、昨夜、ヴェンダース・ナイトの英語サブタイトルを、「Wenders meets "America-3"」ということに決めた。
これは、もう、おわかりのようにスティーヴ・エリクソンのアメリカ1,アメリカ2からいただいたもので、「1」でも「2」でもない更にもうひとつのアメリカと、ヴェンダースは向き合い始めた、というような意味だったのだが、今朝の新聞を見たら、エリクソンの新作が翻訳発売になっていた。
この偶然に、当然のことだが、すっかり気をよくしたのであった。

8月25日(木)

低気圧のため、身体が動かない。
仕事をしては、眠る。
体外気圧が下がったため、耳も調子悪く、ブォーンと左半身を痺れさせている。
予定では、夕方から、マリオとメルヴィンのヴァン・ピーブルズ親子の来場するシネセゾン渋谷に駆けつけて、『バッドアス!』を再度見ることになっていたのだが、どうにもならず。

昨夜アップした、ヴェンダース・ナイトの予約が入り始めている。
今、ヴェンダースをやって果たしてどれだけ注目してくれるのかと心配していたのだが、この分だと何とかなりそうな気配。
予約だけで満席にできたら、ちょっとは配給会社も、権利を放棄せず、『夢の涯てまでも』も『エンド・オブ・バイオレンス』も上映できるようになるかもしれない。
とにかく今回は、上映したい作品がことごとく権利切れで、プリントさえないという状態。
小さな配給会社なら、経営上それも致し方なしとは思うのだが、それなりの規模の会社でもそうだというのは、悲しい。
まあ、そういう厳しい経営方針があるから、生き残っているのだろうけど。
でもねえ、ヴェンダースもまともに見られないなんて、さすがに唖然とするけど。
ただまあ、逆に、やれば満員になるよ、という実績を作れば、やる劇場も増えるだろうし、配給会社も考え直すきっかけにはなるだろう。
こちらは、地道にそういうことをしていくしかないからねえ。
というわけで、ヴェンダース・ナイトは早く予約しないと売り切れです(きっと<笑>)。

それに比べて、サーフ・ナイトの反応は予想以上に鈍い。
『エスケープ・フロムLA』とオールナイトは、映画好きの人たちから「行きますよ!」と言われてはいるのだが、その前の3本が・・・
別に、今のサーフィン・ブームに乗っかったわけではなく、アメリカ映画を見るためのベースとして欠かせないジャンルとしてのサーフィンを、これまでバカにして見てもいなかった人たちに見てもらいたいという企画だったのだが・・・
いっそのこと、この3本のうち最低2本分の半券を持ってこない人は、最終週とオールナイトには入れない、という暴挙に出ようかとさえ思う。
絶対に、映画の見方が変わるから、と、ぶつぶつ呟いても、そうは通じないだろうし・・・
まあでも、爆音企画は商売でやってる訳じゃないから、案外本当に、最終週とオールナイトは上映中止とかあるかもねえ(笑)。
それくらい危なっかしい企画だということだけは、分かって欲しいと思う。
ただ、どうやら、チラシを配りを手伝ってもらっている若者たちの話によると、一部、スケーターの人々が盛り上がっているらしい。
こうなったら、バウスをスケーターでいっぱいにできたらとか、また勝手な妄想が・・・
『クリスタル・ボイジャー』、後半25分のピンクフロイド「エコーズ」が延々と流れるシーンなど、遅刻してそれだけ見に来てもOKだし。
あれを爆音で見られるだけでもねえ・・・

8月24日(水)

酷い夏風邪を引き、更に耳鳴り・目眩がやってきて、しかも仕事は山積み。
どうしていいのかも分からぬまま、とにかく、ひとつひとつ片づけるしかなく、何とか光が。

この間、10月に行う爆音ゴダールとヴェンダースのオールナイト上映のふたつの企画を決めた。
ヴェンダースの方は、ほとんど意地のようなものでもあり、「ロスト・イン・アメリカン・バンド」を集めて、久々の座談会も行った。
さわりの部分は、オールナイト上映のチラシ代わりのフリーペーパーに掲載するが、全文は、オールナイト来場者のみに配布。
さっき、その座談会の文字おこしが上がってきたのだが、48000字以上の文字数があったから、全文掲載した小冊子を作るだけで、その日の売り上げがなくなってしまうかもしれない。
ただやはり、当日は大勢の人に集まってもらいたいので、その小冊子は無料配布するが、その日限定版で他では配らない。
協力してくれたフランス映画社からも心配されるが、まあ、どうしてもやっておかねばならないことはある。
そのうちなんとかなるだろう。
耳鳴り・目眩も何とかなってくれたらいいのだが・・

8月13日(土)

昨日で、「ボーン・トゥ・ブギー」が無事終了。
2週目に入ってからは俄然盛り上がり、場内はライヴ会場のような様相を呈していた。
このままもうちょっとやりたいとの声もあったが、だが、このような後味の良い終わりでいいのではないか。
またいつか、機会があったら、ということで。
それから来年は、フジロックをちゃんと避けて、期日を設定するという、大きな反省を得た(笑)。
いずれにしても、協力してくれた多くの方々に感謝。
いつの日か、金銭面でもお礼ができるようになりたいものだ。

本日は、2,3日前から引き始めた風邪が悪化。
最低の状態で1日が終わる。
周囲の人々からも、体調最悪との声が聞こえてくる。
ひとりやふたりではないから、やはり東京の夏がいよいよ普通に暮らせるようなものではなくなっている、ということなのだろう。

8月9日(火)

朝までかかって、諸々の原稿を仕上げる。
ようやく一区切りついたかと思って寝たのだが、起きてみると、更にもう1本、原稿の催促が。
すっかり忘れていた・・・
愕然とするが、やらねばならぬ。
ただ、昼はあれこれ約束もあり、渋谷にて青山と今後の活動について。
DVD製作の話が持ち上がるが、果たしてどうなるか。
でも結局、こんなに働いているのにこんなに貧乏、という話に終始したような・・・

その後、アテネフランセにて、『エリ、エリ』盛り上げ企画、青山真治大特集の第1回打ち合わせ。
渋谷からアテネに行く場合、半蔵門線の神保町駅を使うことになるのだが、駅からアテネまでの間には、坂と階段と、そしてアテネに着いてからの4回までの階段がある。
弱体化した身体にとって、この暑さの中でのその道のりは、それなりに過酷である。
ヘナヘナになって到着。
とりあえず大特集の方は、大ざっぱにわけて、アテネでフィルム作品、boid企画の方はバウスにてビデオ作品、ということに。
時期をどのあたりにするかが、一番の悩みどころ。
公開日程が決まったら、こちらもそれにあわせてフィックスできるのだが・・・

その打ち合わせの中で、1月発売のダグラス・サーク・インタビュー集の盛り上げ企画についてもあれこれ。
ダニエル・シュミットがサークにインタビューしたドキュメンタリー『人生の幻影』を本当に久々に上映するという話になる。
ただ、現時点では上映権が切れているので、再度、上映許可を取らねばならない。
映画美学校で、サーク講座もやったらどうか、というような話も出る。
とにかく、今の若い人たちはサークの映画を見たこともないだろうから何とかそこからは始めねばと。
サークのインタビュー集は、スタジオボイスの単行本シリーズの、boidセレクションの第1弾として、1月15日発売予定。
お楽しみに。
ファスビンダーの本が全然売れなかったので、そのリヴェンジも兼ねて、何とか盛り上げていきたいと思う。
「サークの本が出る!」と、爆音で叫びたいくらいだが、まあ、煩がられても悲しいので、1月に向けて地道に宣伝活動を始めることにする。

ああそれから、『ランド・オブ・プレンティ』のために、ヴェンダース・オールナイトを企画している。
『ミリオンダラー・ホテル』はできることになったのだが、『エンド・オブ・バイオレンス』はすでにフィルムがないということが判明。
むちゃくちゃ頭に来るが、どうしようもない。
うっかりしていると、何も見られなくなる・・・
どこかに金持ちはいないものか・・・

8月8日(月)

先週の土曜日から京都のみなみ会館で『グリーンデイル』の上映が始まっているのだが、その報告が来て、さすがに苦戦中。
まあ、これだけいろんな映画があって、すでにDVDも発売されてレンタルもされているわけだから、劇場にまでわざわざ足を運ぶきっかけは少ないのは確か。
でもせっかくのフィルム上映だし、自宅でひとりで見るのとはそれなりに違うわけだから、もし時間ができたら是非、駆けつけてみて欲しい。
ほんの少しの愛と優しさで世界を変えられると信じているニール・ヤングのナイーヴかもしれないがしかしそれを30年以上も保ち続ける強靱さに支えられたエネルギーを、がっちりと受け取るいい機会ではないかと思う。
私も上映の終盤には、京都に駆けつけるつもりだ。
沖縄には行けないくせに京都には行けるのかという声が家族から聞こえてきそうだが、まあ、そんなものである。

8月7日(日)

あまりの暑さと抱えた原稿の処理とで、日々がどんどん過ぎる。
先日は、サーフナイトのチラシができあがったので、東大駒場で夏期講習をしている青山に渡すために20年ぶりくらいで駒場キャンパスに足を踏み入れる。
その帰り、青山に、帰り道分かるよねと念を押され、子供じゃないんだから大丈夫と正門を目指したものの、念を押されたりすると余計に自分に対して懐疑的になり、自分が進もうとしている道より多くの他人が行こうとしている道を選ぶ。
まあ、こういうときは必ずと言っていいほど自分の方が正しいのだが、基本的に他人任せの私はそのままズルズルと人々が歩く方向へ。
と、だんだん人々がばらけていき、どこだか分からない場所に取り残されてしまう。
暑さの中で途方に暮れるのだが、こういうときは正門を目指しても迷うばかりと判断し、どうやら近道をしているらしい自転車に乗った親子連れの後を追う。
たぶん裏門に連れて行ってくれるだろう、という予想通り裏門に着いたのだが、とはいえ、井の頭線の駒場東大前駅はキャンパスを挟んで反対側である。
そこから駅を目指したのでは結局元戻りなので、山の手通りを渋谷方面に歩くことを決意。
あまりに暑いが、途中で休む場所くらいあるだろうと。
心身共に弱り切っている者のやることではないのだが、致し方なし。
それに、たぶんそれほど遠くない。
しかもせっぱ詰まると方向感覚も冴え、近道までして15分ほどで文化村のあたりにたどり着く。
いやはや。

昨日は「ボーン・トゥ・ブギー」の2週目。
今回の上映は面白いことに、土曜日は明らかにT.REXのファンらしき人々が集まり、したがって年齢の幅も広い。
昨日など、3,4歳の子供を連れた夫婦も来ていて、あの子も一緒に見るのだろうかと思ったら、本当に場内へ。
一体彼は、どんな大人になるのだろう。
一方、かつてのファンだっただろうすでに中年過ぎの人々も。
それに対して、平日はほとんどが音楽好きの若者、といった感触。
ただまあ、これは見た目だけの印象なので、実際のところはよく分からない。
ひとりひとりリサーチしてみたい欲望に駆られる。

それから昨日は、浴衣姉妹登場。
昨年のグラムナイトは、妹と友人が浴衣で登場したのだが、今年は彼女たちに加え、松田姉も。
写真を取り損ねたことを悔やむ。
姉の浴衣写真をここにアップしたら、映画業界から一時的にアクセスが増えたかもしれないなどと、ろくでもないことを思う。

本日は一日中原稿書きだったのだが、深夜になってデザイナーの倉茂君から、自転車で転倒して足の中指骨折、との報あり。
1週間前も、某配給会社方面から、やはり自転車で転倒して顔面強打の上に鎖骨骨折との知らせがあったばかりなので、ちょっと呆れる。
炎天下の中、呆然と渋谷まで歩く者あり、自転車にて転倒する者あり、ということか。

8月2日(火)

本日も終日仕事。
夜は打ち合わせも兼ね、音の状態を見にバウスへ。
今後の企画についてあれこれと具体的に決めていく。
バウスのスケジュール、上映権の問題、動員の問題など、クリアしていかねばならないものがあれこれあって、頭が痛い。
だがまあ、こちらも暴走する訳だから、そのための準備はちゃんとしておかないと。
公開中のサーフ映画「ビラボン・オデッセイ」で、とにかく超大波でサーフすることだけを目指すサーファーたちの、それを実現するまでの準備が、何だかやたらと細かくて繊細でテクニカルな作業を必要としている、というのとどこか似ているような気もする。
いずれにしても、10月はまた、予定外のものも入り、盛りだくさんになってしまった。
近々発表できると思う。

「ボーン・トゥ・ブギー」の音の方はいよいよガツンとなってきた。
ギターの音がガリガリと鉱物をひっかくような音で頭の中に入ってきて、脳みそをかき回す。
この音を基準にすべての音を設定したのだということが、これくらいの音になってくるとようやくはっきりしたのではないか。
いい感じになってきた。

8月1日(月)

本日からは、先週末から滞在している家族を追って沖縄。
明るく輝く海の画像と共に8月の日記が始まるはずだったのだが、仕事終わらず、しかも、こんな気分で行くと絶対に飛行機が落ちるに違いないという妄想が膨らみ、久々に本格的大々的な飛行機恐怖症が爆発し、まったく身動きがとれなくなる。
よって、断念。
沖縄で待つ妻子は何と思っただろう。
運賃もホテル代もまったく無駄にしてしまった。
私としては、「最初から、行けないって言ってたのに」という思いもあったのだが、いざ身動きとれなくなってみると、家族旅行を台無しにした果てしない罪悪感が飛行機恐怖症を覆い、ひたすらへこむ。
まあ、当たり前か。
罪滅ぼしのように終日仕事。
だが、そんな最低の気分だから、はかどるはずもない。

7月31日(日)

昨夜は上映に駆けつけてくれた中原たちと、朝まで。
今後のboid爆音上映は、誰もが呆れるほどの暴走あるのみ、との決意をする。
本来なら仕事をしていなければならない時間だったが、まったく関係ない馬鹿話をすることで案外道が開けるものだ。
というか、そういうことにしておこう(笑)。

しかし仕事は終わらず、午前中からあれこれと。
夕方には、日仏での上映に行くとの約束を坂本としていて、やはりこれは無碍にはできない。
ラリュー兄弟の「描くべきか愛を交わすべきか」。
このタイトルがすべてを語る映画。
盲目の人の出現により、見ることから触れることへの突然の転換に始まり、盲目の人が消えた瞬間から見事な視線劇へと映画が変貌する。
もちろん、その視線劇こそ触覚的なものであることを、この映画は示す。
部屋を移動する登場人物たちをとらえるカメラのパン移動に連れて、焦点が微妙に推移していくカメラワークは、その触覚性を際だたせるためのものだったのか?
いずれにしてもどちらか一方に触れるのではなく、そのどちらでもあることによってどちらでもない地点に向かう物語であった。

その後、バウスへ。
低音を少し上げてもらった成果を確かめに。
だがそれでもまだ足りない。
音響調整の時とはどうしてこう違ってしまうのか謎なのだが、とにかく、まだ足りない。
ただその分、ギターの音はガツンと来ている。
そんなわけで、明日は、低音を更に上げ、そして、全体の音量も更に上げての上映となる。

7月30日(土)

いよいよ「ボーン・トゥ・ブギー」初日である。
今回は、気分的にはかなりゆったりと構えていたつもりだったのだが、それでも初日は嫌なものである。
50人くらいしか来ていなかったらどうしようとか、悪い方に考えればいくらでも考えられる。
それに加えて、月末の締め切り多数。
しかも、月曜日から家族旅行に出るために、3日ほど留守にする分のあれこれもしておかねばならない。
とにかく、家でなければできない、USENでのサーフ・チャンネル用のサーフロック選曲をグズグズしていたのだが、私の好きな60年代のものは、みんな2分くらいと短いので、1時間のものを作るのにとんでもない数の曲を選ばねばならない。
とにかくそれを何とかやり終えて、高円寺「抱瓶」にて沖縄料理を食している友人たちと気合いを入れ、バウスに。
整理券を7時から配っているのでテラスのところには人の気配なし。
それはそれで嫌なものである。
ただ、整理券の数字を聞くとすでにかなりの数となっていて、一安心。
超満員、ということになならなかったが、考えてみればすでにDVD発売されている作品の滑り出しとしては十分な人。
本日は、カメラマンの鋤田正義さんのトークもあるとあって、リアルタイムでT.REXを体験した人たちから若者たちまで年齢層は、これまでの爆音シリーズの中で最も幅広かったのではないか。
この中にはいると、私などただの若輩者である。
来場した、鋤田さんからは、72年の来日時に作ったというバッジをプレゼントされる。
相当な貴重品、とのこと。
ありがたく受け取る。
ただ、初日ということもありこちらも相当緊張している上に、さまざまな関係者の方たちが来場してバタバタしているうちに、ちゃんとしたお礼もしそびれてしまったように思う。
しょうもないやつだと思われたに違いない。
しかも、気がつくと、私は何と! ジョー・ストラマーのTシャツを着ていたのだ。
全くの無意識だったのだが、これには絶対に目をとめられたはずだ
その場で説教されても文句は言えない大失態。


だがまあ、今更どうにもできず。
とにかく、私の仕事は、できる限りライヴに近い状態で、作品を楽しんでもらうことだと思い直し、あとはやることをやる。
上映後、いろんな人に感想を聞くと、低音がもうちょっと出ていてもいいのではという意見が。
音響調整の時には低音が出すぎて心臓が痛くなったりもしたので、かなり抑えめにしたのだが、満員に近い人数が客席に入ると低音が吸収され、ちょっと物足りなくなってしまう。
今回は、ギターのとがった音をどう際だたせるか、というのをポイントに音を決めたので、結果的に低音が弱くなってしまったのだ。
明日は、低音を強めでやってみることにする。

ただとにかく、最後の「ゲット・イット・オン」は、ホームシアターでは絶対に聴くことのできないものになっていると思う。
このめくるめく10数分。
何度見てもいい。


7月29日(金)

あまりにやることが多すぎて、めくるめく日々。
昨夜は、「ボーン・トゥ・ブギー」の再度の音調整をやった。
前回のものより爆音度も増し、高音も脳を直撃するようになってきた。
いい感じだ。
私としてはもっと脳の直撃弾が欲しいところなのだが、どうやらみんなはすでにやられてしまっているようなので、これくらいにしておく。
6月の爆音レイトで、音楽映画ではなく、普通の映画こそ爆音にふさわしいと思ったりしていたのだが、やはり、でかい音で聴くロックはいい!
むちゃくちゃシンプルな感想だが、それに勝るものなし。
最後の「ゲット・イット・オン」で、宇宙の果てまでぶっ飛んで欲しいと思う。

上映に関する情報はバウスシアターのHPにて

trex.jpg

本日は、3時過ぎに日仏学院坂本安美を訪ねて「Clean」の今後についての話。
坂本も相変わらずワイルドサイドを歩いている。

その後、昨夜の音調整で、本編前につける短編の音の質とレベルがあまりに本編と違ったので、それを調整してもらいに長嶌のところに。
グズグズとあれこれ話す。
長嶌はいつものように手厳しくboidの今後を語る。
もちろんこちらもグダグダとそれに逆らう。
でもまあ、とにかくお互い何とか稼がねば、ということで落着。
途中で、これは日記に書くなよ、とか言われたことがあったはずなのだが、記憶喪失者の私はそれしか覚えていないのであった。

7月22日(金)

本日は、ゴダールとヴェンダースの2本立て。
その前に、スタジオボイスの品川君と、今後の打ち合わせ。
これに関しては、もうすぐお知らせできる。

ゴダール「アワー・ミュージック」は、完全にサラウンド対応していた。
これまでの音使いとまったく違う。
フランソワ・ミュジーじゃないのかとさえ思ったほど。
高音が全然違う。
ミュジーの場合は基本的に高音のエッジを立たせた「キン」という冴えた音が特徴だったのだが、それがまるでない。
しかも、画面外から聞こえてくる人の声が、常にフラットな音量で聞こえてきたはずが、今回は外側の人の動きが分かるような音量差をつけている。
つまり、人が近づいてくると音量が大きくなり、遠ざかると小さくなるのである。
その部分はアフレコではなく同録でやった、ということなのだろうか。
その他、全体に音が柔らかく、空間全体が音を出しているような印象を受ける。
ただ、水の音だけが、これまでと同じ、冴えた音を立てていた。
「アワー・ミュージック」とはいうものの、画面内で、人々が音楽を聴くシーンはなかったのではないか?
記憶違いでなければ。

ヴェンダース「ランド・オブ・プレンティ」は2度目。
やはり本当にくそまじめな映画。
バカにされても私はこれをやるのだという強い意志によって作られたと言うほかない。
神が愛さなければその時点ですべてから見捨てられてしまうだろう人々と、ヴェンダースは本当に向き合っているのだろう。
豊かな国にもそんな人たちは溢れるほどいる。
だが、現実にその過酷さを生きている人だけではなく、豊かさを享受している我々もまた、常にその危うさと孤独の中にあることをこの映画は明らかにする。
最後、某歌手の「ランド・オブ・プレンティ」という曲が流れるのだが、これがデュエットであるということに泣けた。
我々は最後まで孤独に生きるが、それでもどこかで誰かが支えてくれている。

その後、試写に来ていた青山と新宿に出て、たむらさんと合流。
沖縄食堂にてあれこれ。
boid企画がひとつ決定する。
これもまた、近々お知らせできるだろう。

更にその後、帰国している吉武美智子さんが齋藤敦子さんのところに遊びに行っていて、そこに合流。
爆音フランス版をやろうかという話も出るが果たしてどうなるか。
吉武さんの動きにすべてがかかる。
しかも、ふたりともオリヴィエ映画がダメなので、ガンガン攻められる。
あの、どちらにも行けないグズグズしたところも含め、愛おしいのだというこちらの思いはまるで受け付けられず。
うーん、「Clean」公開までの道のり遠し。

7月21日(木)

あれやこれやで盛り上がったり落ち込んだりしている間に、どんどん時間が過ぎていく。
先日、10月にファスビンダーのDVDボックスセットが紀伊国屋とイマジカからそれぞれ3枚組で出るという話を聞き、おおついに来るときが来たと喜ぶ。
以前勁草書房から出したファスビンダーのエッセイ集もこの機にちゃんと売れたらいいなあと、勁草書房に連絡を取ると、残り59冊とのこと。
刷り部数はたいした数ではなかったが、それでもようやくここまで来たかと思い、しかし59冊しかなくては買えない人も多数出るはず。
何とかしなければと思案する。
ただ、ちょっと気になって、処分したりしたのかと尋ねたら、何と、刷り部数の5分の3がすでに裁断されていた。
何と言うことか。
これには参る。
せめて事前に連絡してくれれば、100部でも200部でも引き取ってboid通販で売ったのに・・・
だが後の祭り。
なすすべもなく我が子を殺された親の心境。

本日は気を取り直してジャ・ジャンクー「世界」とティム・バートン「チャーリーとチョコレート工場」の2本立て。
「世界」は、来週、ジャ・ジャンクーにインタビューするため、2度目の試写。
やはりあれこれ忘れていて、我ながら呆れる。
最後の方でのドアの使い方が2度、それまでとははっきり違う。
それまでは素通しのガラスの向こうに常に風景や人々が映っていたが、そこだけ暗闇で、部屋の中にいる主人公の姿が映る。
もうひとつは、向こうの見えない木のドアで完全に閉められて開けられるのを待っている。
ノックの音は、青山ならエコーをかけたかもしれない。

終了後、試写に来ていた中原とふたりでグズグズとお茶しながら、ティム・バートンを待つ。
中原、とりあえずちょっとは占い結果を実践しているとのこと。
でもねえ、まずは部屋の片づけと本、CD、DVDの処分と言われていた、その肝心な部分は・・・

「チャーリーとチョコレート工場」は、何と立ち見。
エレベーター前で会った柳下君と3人でしょうもなく突っ立っていると、文学界の若き編集者、清水君の配慮で中原は座席に着く。
やはりなるべきものは小説家か。
丸の内ピカデリー2の画面はでかくていいのだが、ちょっと見上げる位置にあり、しかも2階席が前にせり出しているので、立ち見だと、背をかがめ、頭だけ上を向かせてみるという、かなり無理のある体勢。
非常に疲れる。
しかも予告編が何本もあって長い。
すでにその時点で首が痛くなる。
というわけで、ダニー・エルフマンがやりたい放題やってるなあとか、相変わらず無駄なことをあれこれやって、これはこれでいいものだとか、ジョニー・デップのメイクはいくら何でもちょっと寒すぎやしないかとか、そんな程度の感想。
腰と首の疲れをいやすほどの盛り上がりに欠けた。

その後、食事をしながら、中原から「牧口雄二の「カマキリ夫人の告白」最高」発言。
DVDが出たのだと。
ていうか、今調べたら、本日発売じゃないか・・・
恐るべし。

7月15日(金)

ロックは60から。
とりあえず、本日はこれのみ。
あまりにすごすぎて何も言えない。
昨年のライヴに行き逃し、人生を損した人も得した人もこれだけは。
ワイヤーの昨年のグラスゴー・ライヴ。
夕方見たロン・ハワードの『シンデレラマン』もよかったが・・・

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7月14日(木)

本日は、頭の中に蝉2匹、という具合。
ジージーとうるさいが、まあ、とりあえずいないことにして外に出る。
が、近所のレストランで昼食をたのんだはいいが、財布を忘れたことに気づく。
やはりまだまだである。

その後、車酔い状態のまま朝日新聞へ。
文化部の依田さん、松田広子と3人であれこれ。
80年代末は、よく一緒にあれこれ遊んだのだが、依田さんが朝日で忙しくなったこともあり、しばらく会うこともなくなり、こうやって一緒に会うのはどうも10年ぶりくらいだということが判明。
しかし3人とも10年前と全然変わっていないようだと、それぞれ愕然とする。
昨日会った友人は、半年ちょっと会わぬ間に、彼氏ができて妊娠までしていたというのに。
10年となると逆にスパンが長すぎて、いろんなものが単に「誤差」として処理されてしまうのかもしれない。
考えてみれば、樋口・松田の出会いは25年前だし・・・
さすがにこれには気が遠くなる。

夜はバウスにて「ボーン・トゥ・ブギー」の爆音調整。
爆音だと蝉2匹は誤差のうち。
といっても調子がいいわけではないので、本日はちょっと軽めに。
シンコーミュージックの井口さん、ファンクラブのタバタさん、旧友の河添なども参加。
初日のトーク・イヴェント用の、鋤田さんが撮影された写真やビデオなどをまとめた数分のビデオ映像の中に、あまりにレアなものがあったらしく、タバタさん井口さんが大騒ぎしている。
T.REXに限らずその手のことにはまったく疎い私は、ああそうだ、こうなんだよなーと、熱いファンの存在を実感する。
この感じでガンガン盛り上がっていって欲しいものだ。

7月13日(水)

ようやく身体が動き始める。
だが電車に乗ると、やはり車酔い状態に。
まだまだである。

風間志織「せかいのおわり」を見る。
最初、ひとつひとつのカットの終わりが長く、イライラする。
どう見ても5秒は長い。
普通ならここでカットだろうというポイントが来てもカットせず、次のポイントまで待つ。
逆に言えばそれがこの映画のリズムを作っていて、常に「カットの終わりのその後」がある。
「せかいのおわり」のその後を、この映画はそうやって示す。
空間的には、妙に荷台の狭い軽トラ、ラーメンの器、水槽、鉢、地下室、着ぐるみといった彼らの住む世界の小ささを示す記号が、常にその周囲と共に意識されるよう、配置される。
ウディ・アレンが「メリンダとメリンダ」で、劇作家同士の会話と、彼らが語る物語とで示した、世界を構造化する視線と同じものが、ここにも現れる。
ウディ・アレンというより、エリック・ロメール的な世界のパースペクティヴが、そこには開ける。
その的確な気持ちよさは何物にも代え難いが、その先がない。
もはやいつまでも終わらないかにも思える「せかいのおわり」のその後の持続を主人公たちがすでに生きているのだということが示されるだけだ。
今、映画がやらなければならないのは、そこから始めることではないだろうか。
今作でここまでやった以上、次回は是非そこから初めてもらいたいものだ。
これはスタッフ全員がその気にならねばできぬことだと思う。
このままでは、単に、ちょっとせつなくていい映画を作る才能溢れる女性監督、みたいなことで消費されてしまうようにも思う。
そんなつまらない話はない。

その後、ようやく公開されるヴェンダースの「ランド・オブ・プレンティ」。
完全に5.1チャンネル・サラウンド対応映画になっている。
テアトル・タイムズスクエアとかで上映したらどんな空間ができあがるだろうか。
アクションつなぎのシーンでは、前後のカットの終わりと始まりが微妙に重ねられるクラシックな編集がされていて、その時間の幽かな重なりが、「崩壊後」の世界をかろうじて繋いでいく。
「陰謀のセオリー」のメル・ギブソンと同じくベトナム戦争症候群で世界のどこかに潜む陰謀を暴くことに熱中する主人公の伯父は、しかし思わぬ形で、世界はそのままそこにあるだけなのだということを突きつけられる。
5.1チャンネルの空間は何かの陰謀によってできあがっているフィクションではなく、もはやそこにそうやってある音でしかないし、それは特別なのでも作り物なのでもない。
もはやそれがそのようにしてある世界の中で何が起こっているのかを、この映画を見つめようとしている。
ただひたすら、それに奉仕する。
やりたいことではなく、今、やるべきことを、くそまじめにやる。
その真面目さに、思わず涙が出た。
これはアメリカについての映画だが、アメリカでなくても撮れる。
なぜならアメリカは世界中のどこにもあるからだ。
そのことをこの映画は、丹念に語る。
我がことのように他を見るのではなく、「我がこと」がそのまま「他」である状態を、この映画の主人公たちは生きている。
その意味で、彼らは常に世界の始まりを生きている。
それがどんなに過酷なことかを実感しながら。
これを「Clean」と2本立てで見たら、映画が、どれほど我々の人生を豊かにしてさまざまな可能性を開いてくれるか、そしてそれがどれほど過酷なことか、誰にも実感できるだろう。

おそらく同じ過酷さを、アリ・アップも生きている。
耳がちょっとはまともになってようやく聴くことのできた彼女の新作「Dread More Dan Dead」。
可能性とそれ故の過酷さの中をたった一人でも生き抜くタフな歌が、聞こえてくる。
そこにさまざまな音が吸い寄せられて、爆発しているというような感じか。
しかもポップ。
だが、これがなかなか売れないのだそうだ。
先日紹介したズート・サンライズ・サウンズでは一押しで売り出しているのだが、それでも苦戦中とのこと。
日本盤も出ない。
何ということか。
あふれかえる情報の中で、すっかり埋もれてしまっている。
アメリカの人は世界のことを知らないし、アメリカ以外の人もアメリカの貧困を知らないというエピソードが「ランド・オブ・プレンティ」には出てきたが、音楽も映画も、単に流通しやすいイメージだけが世界に広がっているだけだ。
違う回路を造り出すときが来ていると思う。
しかしその前にとにかく、アリ・アップのCDを買いに走ってみてはくれないか。
HMVでも、結構大きく売り出していたし。

ズートのHPはこちら

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7月10日(日)

先週の日曜朝のニール・ヤング生中継を見て少ししてからいきなりグラッと来て、以来、目眩爆発で、身動きとれず。
途中、1日2日何とか動けた日もあったのだが、動くとまたもやぶり返し、10年ほど前の入院騒ぎの再来。
しばらくおとなしくしていなさい、ということかもしれない。

そんなわけで、報告がすっかり遅れてしまったが、爆音レイトは無事終了。
目標動員の丁度倍の人たちが来てくれた。
その数もそうなのだが、それより、来てくれた人たちの反応や、上映した映画の爆音での変貌ぶりが、本当に面白く、充実した4週間を過ごすことができた。
あれこれ世話になった人々にひたすら感謝。
それから、忙しい中、駆けつけてくれた人たちにも。
ただ、「忙しい中、駆けつけてよかったでしょ」という自負もある。
それくらいに面白い4週間だった。

でもまあ、身体をこわしてしまったら元も子もないので、しばらく休養しつつ、次なる活動に。
サーフ・ナイトの全貌は、もうすぐ発表できると思う。
また、上映ではなく、別のお知らせも、もうすぐできる。
お楽しみに。

7月2日(土)パート1

取り急ぎ、今(7月3日、朝7時)、まだ起きているなら、急ぎで下記のURLにアクセスを。

http://music.aol.com/live_8_concert/live_now

ライヴ・エイドの本年度版で、LIVE8の世界開催が行われていて、そのトロント開場のトリでニールさん登場。
8時くらいからみたい。
生中継。

7月1日(金)

昨日の日記の最後にベルトルッチは年老いたわけではない、と書いた。
だがよく考えてみると、やはり年老いたのだろうと思う。
人が年老いて、ある地点にたどり着いたとき、時間の襞を貫く視線を乱暴に獲得してしまうのではないか。
「ドリーマーズ」の、戦前と戦後とヌーヴェルヴァーグの時代と68年と、そして現代とを一気に貫く、冒頭のエッフェル塔の鉄骨の連なりのような粗野な視線が、たぶん、それなのだと思う。
あるいは逆で、その時間の襞と襞との共鳴によって作られた太い道筋こそ、冒頭のエッフェル塔なのだと言えるかもしれない。
通常だとあり得ない鉄骨のアップのままの下降の持続は、そのように説明できるように思う。
それを、「老い」と呼んでみたい。

本日は、起きあがるとすでに大地が廻っている。
グルグルで足下がふらつき、仕方ないので、またもや昼の予定をキャンセルして、寝込む。

そこに「レッツ・ロック・アゲイン!」に関する衝撃的な情報が入る。
だがまだ、決定的なことではないので、はっきりするまではとくに言うことはないが、もしかすると近々動きがあるかもしれないとだけ、お知らせしておく。
何もないかもしれないので、あまりいろんな憶測、期待を巡らさないように。
いずれにしても、いろんなことがはっきりした段階で、すぐにお知らせするのでご安心を。

夜になり、ようやく気分も回復し、旧友のキャロサンプ野田君と約束していたイヴェント、「Dark Room filled with Light」へ。
幽かに何かが明滅する映像をバックに、Filamentの二人が音楽をつけるのだ。
爆音ならぬ、超微音。
まどろみそうになったあたりで、必ずと言っていいほど大友さんの、スクラッチ・ノイズが、目覚まし代わりに入る。
そのユーモア!
今度バウスで、微音ナイトでも企画しようかと思ったのだが、バウスの広さだとこの音は後部まで届かないかもしれないと、思いとどまる。
Uplink Xの、この広さが重要なのだ。
そして、その狭い空間の中を、低音の震動が伝わっていくとき、まさに音もまた物質なのだということがはっきりと体感させられる。
爆音による低音の震動とはまた別の、実感として身体に伝わる。
一生忘れられないものとして、身体に刻みつけられると言ったらいいだろうか。
微音、恐るべし。

それから、「右側」を見逃した方。
9月いっぱいで権利が切れる場合は、「右側」も追加でやる予定。
ただ、バウスのスケジュール次第で、非常に変則的なやり方になるかもしれないので、要注意。
いずれにしてもboidサイトにてお知らせします。