Welcome to boid.net!

  • 爆音サーフ・フィルム・フェスティバル

recent

diaries

2005年 boid日記 9月~10月

Text by 樋口泰人

10月24日(月)

ゴダール・ナイトは毎晩100人前後の来場者という嬉しい限りの日々。
まあ、これらの映画をあの状態で見られるなんて、それはそれでもう至上の幸福でもあるわけだから、もっともっと多くの人に来てもらいたい、という気持ちもある。
まあそれはそれ、本日までの『新・ドイツ零年』は、とんでもなく凄かった。
ロードショーで見たときは、いたって重く、地味な映画という印象で、これを爆音でやるとどうなるかという、今回のプログラムの中では一番の実験だったのだが、これが大正解。
アナログ録音の広い音のレンジを目一杯使っていて、その音の大小、高低の落差はもう、果てしない。
さすがのバウスのサウンドシステムでも拾いきれない。
あの倍くらいのサイズのスピーカーで低音を出さないと。
高音は、フィルムが傷んでいるためか、入っている高さまでだそうとすると、無音部分でノイズが出てしまう。
あの鐘の音はもっと脳髄に突き刺さるはずだとか、あの鳥の鳴き声は頭上でグルグルと渦巻きを作るはずだとか、そこにあるのに出なかったはずの音を思って見るのも楽しいことではあるのだが。
とはいえ、これらの音が、通常のシステムではまったく表に出てこなかったのである。
ああもったいない。

本日は、ようやく仕事が一段落したので、見逃していた『ステルス』『ファンタスティック・フォー』のどちらを見ようか迷いつつ、今週で終わってしまう後者を歌舞伎町にて。
アメコミの怪人ものだが、たぶん、シリーズ化されるのだろう、彼らが怪人になるまでのエピソードや悪役誕生のエピソードなど、「ビギンズ」な物語がメインで、退屈する。
『X-men』とか、もっといきなり何かが始まってしまう、そんな展開だったはずなのだが。
4人組の怪人の中に当然のように入っている女性キャストが、私の好きなジェシカ・アルバだったのが救い。
『ダークエンジェル』の頃より、ずいぶん迫力が出てきた。
『シン・シティ』とどちらが先の出演だったのか分からないけれども、こういう女優にはこういう役を、という目配りは、まだまだアメリカ映画ではちゃんと活きている。
ただまあ、演技はほめられたものではないが・・・

その後、HMVにて、ようやくニール・ヤングの新作『プレーリー・ウィンド』を手に入れる。
DVD付き。
これも大貫さんが編集をしているので、いつか諸々尋ねてみようと思う。
今回は、クレイジーホースではなく、ナッシュビルのカントリー・ミュージシャン達と。
アナログ・レコーディングの 圧倒的な空気感。
まさに、プレーリー・ウィンドが、全編から吹いてくる。
しかも、何というか、世界を破滅させる閃光によって地上に焼き付けられてしまったかつてあった世界の風景から吹き出てくる、とてつもない絶望と悲しみによって作られた穏やかな風。
その他、リル・キム、フィオナ・アップル、マッドリブなどなど。
考えてみたら、久々のHMVであった。

ああそうそう、書き忘れていたが、明日からの『ヌーヴェルヴァーグ』は、音響調整の時、あまりの音の分離の良さに、てっきりドルビーSRかと思っていたら、何と、ドルビーA。
つまりアナログである。
確かに製作年は『新・ドイツ零年』の前だからアナログでおかしくはないのだが、それにしてもこの分離感。
しかも、センターから出ていた台詞が気が付くと左右のスピーカーに広がっていたり、その逆だったり。
こんなことができるなんて。
映画の音作りを考えている人は、これを見ないでどうする、というような実験的なことを次々にやっている。
この分離の実験を徹底してやった挙げ句の『新・ドイツ零年』のアナログ全面展開だったのだ。

10月14日(金)

本日は、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の完成披露試写。
もちろん行く予定で時間を空けていたのだが、寝坊。
まあ、昨夜の音響調整で、高揚したのが失敗。
すでに2度見ているというのもあったのだけど。

で、終わり頃に会場に。
終了後、大寺と打ち合わせの約束をしていたのだ。
当然、スタッフの人々からは、また遅刻かと、叱責を受ける。
考えてみれば、今日のような日は、いわばお祝いというかハレの日な訳で、そういうときにけちをつけるようなことをするのは、やはり大人としては非常にまずいのだと、さすがに反省。

その後、大寺と、ダグラス・サーク企画について。
本を出すだけではなく、映画の上映も行い、できる限り多くの人にサークのことを知ってもらう。
そして、普段、普通に映画を見ることのベースを何とか変えて行けたらと、そのようなあれこれを。
その一環として、1月末から2月にかけて、映画美学校でのサーク講座4回、というのを企画中。
リュミエールの時代からずいぶん時間がたってしまったが、その間、忘れられたり失われたりした何かを、少しずつ回復して行けたらと思う。
もはや、こちらが当たり前だと思うことが全然通用しない時代になっていることを実感。
だがそれは悪い兆候ではなく、可能性に満ちた兆候でもあることを。

ああ、それから、大寺に「今日は輪郭がはっきりしている」と言われる。
ちょっとはげんきになってきたのかもしれない。

そうそう、送られてきた『アワーミュージック』のパンフに、菊地成孔さんが、ゴダールの音使いについて書いている。
めちゃくちゃ繊細に分析していて、うなずくばかりなのだが、これを読むと、今回の爆音ゴダールがバカみたいに思えてくるから始末が悪い(笑)。
というわけで、ちょっと言い訳を。
今回のセレクションは、フランソワ・ミュジー以前と以降を知ってもらうというのが、まず第1の目的。
『勝手に逃げろ』が以前で、その他が以降なのだが、実は90年代までのものしか集めていない。
おそらく、『ヌーヴェル・ヴァーグ』あたりで、ミュジーの音作りはひとつの頂点を迎えている。
で、それ以降は下り坂なのかというと、まったく違う位相に飛んでいるのだ。
『フォーエヴァー・モーツァルト』で、まずそれがかなりはっきりしたように思う。
したがって、それ以降は#2で行う予定なのである。

ただ、それ以降のものは、更に繊細さが過激さを増しているので、果たして爆音が適当なのかどうか、迷うところなのだ。
昨年、オールナイトで『フォーエヴァー・モーツァルト』をやったときに、これはしばらく待ってからにしようと決めたのだが。
でも一方で、そういう過激な繊細さをこそ、爆音でぶっ飛ばしたいといういたずら心もあり・・・
それもゴダールの映画は許してくれると思うのは、単にこちらのわがままなのだろうか・・

10月13日(木)

昨日はようやく『ロード・オブ・ドッグタウン』を見に行く。
爆音サーフでやった『Dog Town & Z-Boys』のフィクション版である。
確かドキュメンタリー版もそうだったような気がするのだが、いきなりジミヘン。
でも、もう、音が小さい。
悲しくなるくらい小さい。
まあでも、それはそれ。
特に知り合いでもないのに、もう何度も見た物語なので、まるで知り合いが出ているような、そんな気分になる。
みんな、結構よく似ているんだよなー。
それに、サーフィンもスケボーも、ごく自然に乱暴にこなすし。
これは、サーファーを俳優にしたのだろうか、それとも俳優の卵たちにサーフィンやスケボーを教え込んだのだろうか。
サーファーで俳優の卵を見つけてきたのだろうか。
いずれにしてもアメリカには、そんな若者たちはゴロゴロいそうな気がするのだが。
ドキュメンタリー版との大きな違いは、ドキュメンタリーの方には最後の方でちょっとしか出てこなかった、金持ちの病気の息子が全面的にフィーチュアされているところ。
平衡感覚がなく(後に脳腫瘍だと分かる)、サーフもスケボーもまともにできず身体も弱く、ただひたすら不良少年たちに貼り付いているだけの金持ちの息子。
結局彼は死んでしまうのだが、この、常に揺らめいている若者の視線が、この物語を見つめている。
その揺らめく視線が、どこにでもあるような不良少年たちの物語を記憶の陽炎の中に封じ込め、逆にそれを誰の記憶なのか分からないものにする。
それを見た人すべての記憶とも言えるような。
これまたマーク・マザーズボーが監修している音楽は、かなりの曲がドキュメンタリー版と重なっていて、ドキュメンタリー版の音楽の使い方を徹底して洗練させる。
とくに、ニール・ヤング「オールドマン」、ロッド・スチュワート「マギーメイ」。
チーム・ゼファーのサーフボード作りのボスが、しょぼくれて仕事をしつつ、ラジオから流れる「マギーメイ」を一緒に歌う所なんか、本当にいい。
悪ガキたちを利用して儲けることしか考えていないかに見えたいかれた男が落ちぶれて、でもそこもまた、かけがえのないひとつの生きる場所であることを、そのシーンは告げていた。
一瞬、そのしょぼくれた男が、ウォーレン・ジヴォンの歌の主人公のようにも見えた。
しかし、何と言っても、「Wish you were here」。
ピンクフロイド版ではないのだが、これが3回流れる。
1回目はイントロのギターだけ。
まさに「Wish you were here」な場所でそのイントロだけが小さく流れ、物語のトーンを決めておいて、ここぞというところで2回。
爆音サーフのオールナイト来場者は、すべて涙するだろう。
理由は来場者しか分からない。
時期も場所も違い何の関係もなく作られた映画がこうやって共鳴するのを見るのは、本当にいいものだ。

本日は、夕方から、いよいよ2月に再公開されることが決まった『レッツ・ロック・アゲイン!』の宣伝協力をしてくれる、ルーディーズというアパレル、ショップの担当者と打ち合わせ。
2月といっても、その間にやらねばならないアコレを考えると、もう全然時間がない。
でもとにかく、やることをやるだけだ。

夜は、週末からの爆音ゴダールの音調整。
『右側に気をつけろ』はすでに調整済みなので簡単な確認のみ。
『勝手に逃げろ/人生』がメイン。
フランソワ・ミュジー以前のゴダールの狂暴な音。
しかもモノラル。
これまでの爆音は、モノラルにはかなり酷い目に合わされてきたのだが、しかしこれは違った。
確かにモノラルはモノラルなのだが、雑踏のシーンなど、飛び交うさまざまな音が共鳴し合って、確実に目の前にその空間を作る。
前半は台詞も多く、そういった地味な展開に目を見張っているだけなのだが、最後の20分ほどはもう、ただひたすら唖然としながら打ちのめされる。
何が音を出しているのか、どこから音が出ているのかよく分からぬままその音の重なり合いに目眩するばかり。
恐るべし。
これなら、文芸座でやったあれこれをやってもまったく違うものを聞いているように思えるから、いくらでもできるなあと、ひとり悦にいる。
と思ったら、スタッフみんながニコニコしているので、誰もが同じ思いだったのだろう。
ただ、『勝手に逃げろ』を見るとき、どこに座ろうか迷ったら、前の列の場合、できる限りセンターに。
一番前の方だと、ひとつ席がずれただけでも、左右のバランスが狂ってしまう。
それに耳が慣れるまで待つしかない。
それがいやなら、真ん中より後ろの席。
モノラルの音が壁に反射して空間全体がざわめきたつような感じになる。
やはり爆音はいい。
嘘のように元気になる。

10月11日(火)

いやあ、さすがに疲れた。
あれやこれやの仕事の上に、オールナイト。
誰とは言わないが周りに私より働き者がいるために意識はしていなかったのだが、やはり働きすぎ。
原稿を書くスピードが一段と落ちる。
こうなると、少し休むしかないのだが・・・

土曜日は、本当に大勢の人たちが集まり、いい感じだった。
こちらの準備不足や現場での連絡ミス、対応不手際で多くの方に迷惑をかけた。
結局入場できなかった方、入場できてもかなりの時間を待たされてしまった方、本当に申し訳ない。
次回は、諸々改善して、臨みます。
しかし、改善してもなお更に混乱するくらい多くの方に集まってもらいたいものだと、またさらなる欲望が・・・

しかし、今週末からはゴダールである。
さすがに立て続けだなあ、と思うもののまあ、致し方なし。
木曜日の音響調整はきっとまた盛り上がることだろう。
そうそう、どこかのブログで、ゴダールを爆音でやるならどうして『ワン・プラス・ワン』をやらないのか、ということが書かれていたそうな。
ふふふ、爆音=音楽と思ったら大間違い、というのが今回の狙い。
ドルビー以降、ミュジー以降のゴダールの音響を爆音で聞かずしてどうするのか、としか、私には思えないのだが・・・
まあ、『ワン・プラス・ワン』は、そのうちおまけでやろうと思うが、単に音がでかくなるだけのような気もして・・・

10月1日(土)

昨日の日記に書き忘れたのだが、確認のため、『ミリオンダラー・ホテル』をビデオで見た。
唖然とするような記憶違いをしていた(笑)。
いやあ・・・
これは、オールナイト当日に懺悔。
しかし、今見ても面白い、というか、今こそ見るべき作品。
主人公ふたりが部屋の中で話をしている何気ないシーンが、何とも言えずいい。
窓の外の黄昏れた風景は、もう、50年代にひとっ飛びである。
『ビガー・ザン・ライフ』がこんな色合いをしていなかったか。
あれも、都会の中の人間関係の物語なのにシネスコだった。
これもそうなのだが、ビデオではスタンダードサイズにトリミングされている。
ああ。
したがって、屋上の上の「RW」のネオンサインが見えない。
なんて事だ!!!
やはり、フィルム上映の意義はあった。

本日は、夕方、高円寺文庫センターにヴェンダース・フリーペーパーを置き、その後、ついに『NANA』へ。
予告編で、もう、画面や音のことは諦めていたので、それでも気になるもののなるべくそれは見なかったこと、聞かなかったことにして、物語に集中。
でも、やはり、遠い世界の物語にしか思えない。
ただこれがヒットしている(確かに劇場もほぼ満員)ということは、やはりこちらがもう、圧倒的にマイノリティになってしまった、ということなのだろう。
中島美嘉が、あまりに細いので、ちょっとドキドキする。
歩き方をちゃんと教え込んだら、もうちょっと何とかなったのではないだろうか。
しかし、最後はライヴ・シーンで終わるものとばかり思っていたのだが・・・
まあ、まだ長い物語の途中だから、あんなものなのか。
聞くところによると、宮崎あおいの役は、当初、浜崎あゆみで予定していたとのことだが、中島美嘉の役を浜崎あゆみだったらダメだったのだろうか。
いずれにしても、原作を読んだ方がいいようだ。

その後、新宿ピットインにて渋さ知らズのライヴ。
これはもう、言うことなし。
ただひたすら満喫。
しかも3時間くらい。
これこそ「アワーミュージック」というひとこと言えば、それで十分ではないか。
プレノンアッシュも、菊地成孔さんだけでなく、1度くらいは「渋さ」に出動願ったらいかがだろう。
まあ、場内のオヤジ率の高さを考えると、ゴダール的ではないということになってしまうのだろうか。
そうそう、となりでは、若者達数人が、パンクのライヴのようにぴょんぴょんとポゴダンスを。
何度も足を踏みつけられた(笑)。
うーむ、20年、若かったら・・・
最前列では、宮田君がステージに上がる姿も見えたが、さすがに疲れ果て、帰りがけ、渋さのサックス、小森さんに身体を心配されながら帰宅。
疲れ果てはしたものの、一回転して前向きな、そしてひたすらゴージャスな音を聴くと、本当に元気になる。

9月30日(金)

毎度のことだが、疲労と山積みの仕事のため、1週間が消える。
遅れてしまったが、24日のオールナイトには多くの人が集まり、ようやくすべての面で、盛り上がった。
来場者だけが知っていることだが、実は、3本のサーフ短編の他、中原が突如短編に参加することになり、当日ギリギリまで制作を続けたのだが、時間切れ。
ほぼ完成していた音楽部分だけを、場内暗闇の中、爆音再生した。
「プレゼント」としては十分すぎるものだったと思う。
boidの場合、私の性格なのか、あまりきちんとしたことが出来ないので、常にこういう過不足が出る。
それが「プレゼント」になったときはいいが、反対の目に出た場合は、まあこういう事もあると諦めていただければ幸い。
いつかその分の借りは、思わぬ形で返すので(そのつもり)。

しかし、結局レイト作品の方は、来場者の盛り上がりとは裏腹に、動員は延びず。
地味な一歩となった。
最強のプログラムだったといまだに思うのだが、これが通用するようになるまでは、まだまだこちらの根気強い活動が必要だと、思い知らされる。
まあ、『エスケープ・フロムL.A.』がどんなものだったか、例によって友人のブログを参照。
こちら(9月29日付にて)
いずれにしても、こんなわがままかつ訳の分からない企画に付き合ってくれた皆さん、どうもありがとう。
この間いただいた多くの励ましメールは、本当にどれも大いなる励みになりました。
まあおかげで、こりもせずますますの暴走に向かうかもしれないのだが(笑)。
とにかく、今後も多くの人の「爆音での」声援だけが頼り。
次回は知人・友人10人くらいずつを誘ってやってきてもらえたらと思う。
まあ、その際に、友人をなくしても保証の限りではないけれど。


昨日から延々と、「デンタクカタテニ」作業を続けた。
というのも、送られてきた文春発行「Tittle」がうまい肉をガッツリ食う、という特集で、どれもうまそうであり、しかもそれなりの値段がしていて、私も爆音とかしていなければ少しはこういううまいものも食う金銭的・時間的余裕があったのにと、本気で泣けてきたからだ。
いつまでもアバウトなままやっていてもつらいだけ、ってもっと早く気づかねばならなかったのだが(笑)。

で、まあ、そうやって数字をあれこれ出していって見ると、世間の厳しさだけが身に染みるという。
もちろん解決策はなし。
でも、何十万人を動員しなければならないわけではなし、地道な活動あるのみ。
しかし、地道な活動をしようとすると寝る時間がなくなるんだよなー。

9月23日(金)

本日は、最後のお楽しみとして『Dog Town & Z-Boys』を、観客として見る。
もしかするとこれが一番集客するのではないかと思っていたのだが、一番の不入り。
そんなこともあり、最後の日は見届けたいと思ったのであった。
いろんな人へのインタビューがメインで、しゃべりが中心だから、「爆音」で頭の中がグルグルになる、というようなことはないのだが、話の合間合間に突然飛び出すギターの音に、燃える。
だがそれにも増して、いい物語なのだ。
アメリカ映画では何度も語られてきたはずの、若者たちの物語。
この映画自体が、アメリカ映画で反復される「波」のようなものとなる。
その反復する「波」が地層のように積み重なって、「アメリカ」という国を作っている。
彼らがアメリカを代表することは決してないが、彼らや彼らと似た多くの者たちが生まれたり死んだりしながら、どこの誰でもいいが本人自身でしかない誰かとなって、時々アメリカ映画の中に顔を出す。
その繰り返しを見るのをやめたり、その中のひとつに代表させたりしたとき、我々は「アメリカ」を見失うだろう。
この映画がそれだけで何かとんでもなく素晴らしいものをもたらしてくれるわけではないが、この映画を見ることによって、その次の「波」をまた、見ることが出来る。
そんな映画。

終了後、バウスロビーにて、中原とちょっと打ち合わせ。
やはりやってきていた松田姉妹とお茶を飲みに行こうとダラダラ歩いていたら、中原は相変わらずのものすごいスピードでズンズン先を行き、そして見えなくなってしまう。
呼び止める間もない。
まあでも、今日のところは呼び止めない方がいいだろう。
残された我々は、黒沢組・篠崎組で助監督を務めた杉田君と共に、お茶。
来年の爆音企画その他について、あれこれ。
しかし!
呆れたことに、松田姉妹、杉田君共にジャック・ジョンソンを知らず、ということが判明。
いや、単にそれだけのことなのだが、そんな彼らが爆音サーフに皆勤、というのも笑ってしまう。
でも本当に、サーフィンにも、サーフ・ミュージックにも、サーフ映画にも興味がなくても十分楽しめる企画だったのだが・・・
世の中厳しい(笑)。

家に帰り、諸々の仕事をしていると、斎藤陽一郎からメール。
どうやら、昨日の日記の「分かったふりしてるんじゃねえよ」というあの言葉が、陽一郎に向けられたものと思ってしまったらしい。
確かに読み返すと、そうとも読めてしまう。
いや、全く申し訳ないことをした。
陽一郎関係者も、気を悪くしたかもしれない。
ひたすらお詫び。
あれは単に、アメリカのことやアメリカ映画のことを分かったつもりになっている人たちに向けられた言葉。
ただ広い意味では、私も含め、すべての人たちにも向けられている。
この爆音企画で、アメリカやアメリカ映画について、いろんな事を教えられた。
我々は、アラブのこともアメリカのことも知らない。
そのことを、爆音の中で体感できた。
私自身にとっても、本当にありがたい企画である。


9月22日(木)

とにかくあれやこれややらねばならぬ事だらけでいよいよほとんどのことがどうでもよくなってくる。
うまくいかないときはこんなものだ。
夜は、土曜日オールナイト用の短編の音響調整。
これがまた、3作3様で見事なラインナップとなった。
爆音をなめきった冨永、見事なまでの真摯さで波とその反復に立ち向かう佐向、そして爆音と波の一回性の極地へと飛び上がる青山、という具合。
これが一回しかできないなんて、本当にもったいない。
もったいなさ過ぎるから何とかしようという話で、バウススタッフと盛り上がるが、まあ、こうやって内輪で盛り上がっても今回の集客では次回はない。
こんな最強の爆音プログラムに人が来ないなんてと、自分がいかにマイノリティであるかということとその特殊性を思い知らされた気がして、この2,3週間は果てしなく落ち込んでいるのだが、でも面白いと思うものは仕方がない。
やってきていた斎藤陽一郎から「続けてみるとアメリカが分かりますよね」という感想を述べられる。
まさにそうなのだ。
そのための4週間だったのだが・・・
アメリカとアメリカ映画がいかに日本で理解されていないか、そのことを思うと自分の力不足に更に落ち込む。
でもまあ、「分かったふりしてるんじゃねえよ」、とかって本当は心底怒っているんだけど(笑)。

9月20日(火)

歯医者に行く。
3連休では医者も休みだったから、この3日間、前歯抜けたままのつらい生活。
でも、子供を義母に預け、ほぼ延々と、働き続けた。
というような苦労の甲斐なく 『DogTown&Z-boys』に、呆れるくらい人が来ない。
こうやって名画座がなくなり、フィルムもジャンクされていくんだよなーと、漠然と思う。
悪ガキが集まって成り上がり、そして解散していくという、古典的とも言える、アメリカの物語なんだけどなー。
ドキュメンタリーで、人々の喋るシーンが多いといっても、それが見事に音楽的な構成になっていて、爆音でグイグイ盛り上がる。
その面白さを何とか分かって欲しいと思うのだが、いやあ、言葉だけで伝えるのは本当に難しい。
やってる方がこれだけおもしろがれれば、それはそれでまあいいかと、ちょっと投げやりになるくらい。
それにしても、みんな、ロードショーで見たからいいやということなのか、見る気もしない、ということなのか、ちょっと調査をしたくなるほど。
いずれにしても、まだまだ、爆音の楽しみが浸透していないことだけは確かである。

夜は、再びnobody 黒岩に子守をたのみ、『イージー・ライダー』と『エスケープ・フロムL.A』の爆音調整。
『イージー・ライダー』の方は、さすがにフィルムが傷みすぎ。
手も足も出ず。
95年にリバイバルされているから、もうちょっと何とかなるかと思ったのだが。
したがって、こちらは、「爆音」までは行かず。
ライヴ用のPAを使っての上映、という感じか。
ただ、途中の会話のシーンとか、最後の空撮のシーンは、ほぼ完全にヴェンダースの『まわり道』に引き継がれていることを発見。
別件で、バウスから青山に電話したときにそのことを話すと、「『まわり道』は徒歩でやった『イージー・ライダー』だよね」と。
この2本立てをやると、案外学ぶところ大きいのではないだろうか。
あと、メキシコ人一家との食事シーンは、『エンド・オブ・バイオレンス』にもまったく同じシーンがあった。
こちらはまあ、アメリカ映画によくある風景ではあるのだが。
いずれにしても、10月の「ヴェンダース・ナイト」に、あまりに見事に繋がる1本であった。

で、本日の本命の『エスケープ・フロムL.A』。
これは、まるで調整の必要なし。
爆音音響調整史上、最も調整しなかった映画となった。
つまり、カーペンター、すでにこの頃から爆音仕様の映画を作っていたのだった。
やる人はやっているのである。
まあ、単純に、ロック好きの人はこれくらいやるよね、ということではあるのだが。
そういったものをそういった状態で上映できない、規格に縛られた上映システムが問題なのだ。
システムだけではなくそれは、気づかないうちに我々の身体も縛る。
で、まあ、コンヴィニエンスな政府に一直線、という具合で、こんなに分かりやすくていいのかと思う。
あと、『エスケープ・フロムL.A』の場合、フィルムの状態が素晴らしい。
約10年前のフィルムなのに、どうしてこんなに状態がいいのか????
試写で回してそのままとか????
『イージー・ライダー』とのあまりの違いに呆れるばかり。
1本1本の映画ではなく、それぞれのフィルムの隠された歴史を見てみたい。
まあ、いずれにしても『エスケープ・フロムL.A』は、盛り上がること必至。
爆音サーフの4本を連続して見た人は、最後、カート・ラッセルが「American Spirits」と書かれたタバコを出した瞬間、ホロホロと涙を流すであろう。
とかロマンチックなことを言っていたら、「いや、あそこは爆笑ものですよ」とたしなめられる。
おお、そうか、若者はこうやって親父をバカにするのかと憮然とする。
が、ホロホロでも爆笑でも、とにかく盛り上がればなんでもよし。
『エスケープ・フロムL.A』がこれなら、『ゴースト・オブ・マーズ』もまったく問題なくできる。
『マウス・オブ・マッドネス』もバッチリだろうけど、もうジャンクされてるだろうなあ。
『エンド・オブ・バイオレンス』も、すでにまったく見あたらなくなっているというS社だし。


9月17日(土)

父子家庭は大変である。
こうなるとほぼ絶対に、レイトショーやオールナイトを見ることはできない。
しかも、朝まで起きていて、子供に朝食をやり、その後にようやく寝る、という生活になり、その上で昼間の予定とかを入れているから、結局寝る時間もなくなる・・・
レイトショーどころか試写にも行けない。
更に、家の入り口のところに植えてあったミモザの木が、突然枯れ始める。
妻がいなくなった瞬間、一体どうしたというのだ。
これまで気づかず、たまたま今日、気づいたということだけなのか。

この間、なみおか映画祭の突然の中止に関する青山の文章について、多少の補足が必要ではないか、というメールをいただいた。
確かにもっともな指摘だったので、簡単にその補足をしておく。

今回の問題に関しては、浪岡町が青森市と合併して、これまでのように浪岡町ではなく、青森市教育委員会からの補助金が、映画祭に対して支給されることになったというのが大きなポイント。
したがって補助金の中止を決めたのは青森市の教育委員会であり、昨年までとは別団体である。
浪岡町の関係者の方は、映画祭主催者同様、今回の事件に非常に心を痛めているはずだ、というのが、第1の補足点。

それから、「日活の巨匠」という表現をしたのは毎日新聞であり、青森市教育委員会ではないという点が、第2の補足点。

青山も、その点は承知の上であの文章を書いたのだが、余計な誤解から別の論点に話がずれてしまうのは趣旨に反するので、その点、ご考慮の上、あの文章を読んでいただきたい。

木曜日は、nobody のメンバーに子守をお願いし、深夜の『地獄の黙示録』の音響調整。
前半の壮絶な爆音から、後半の揺らめく爆音へのうねりに頭がグラグラする。
これをオールナイトで見るなんて!!!

昨日は、『クリスタル・ボイジャー』最終日。
さすがにようやく人が集まり、かなりの盛り上がりを見せた。
私はパパにならねばならないのでいけず、「最後に拍手まで起こりましたよ」というバウスからの報告にウルウルする。
その他、各方面からも、次々に「見たよ!」という報告メールが。
みんな盛り上がっている。
「再上映を求む」という声も各地で上がっている。
更に、この日記で私がなんだかんだと身体の不調を書くものだから、ヴェンダース、ゴダールの予約と同時に私の身体を気遣うメールも、何通かいただいた。
心配ありがとう。
今は、ギリギリ何とか、という感じか。
爆音で、体調を整えている。
爆音のバランスが決まったときには、身体に何かが入ってきた感じになるので、まあ、それで1週間を保たせているのであった。
そうそう、信頼する友人からは、『グリーンデイル』をやって『クリスタル・ボイジャー』もやるなら、『NANA』も見た方がいい、というか見ないといけない、という忠告。
何とか時間をとり、『NANA』を見に行こうと思う。

この調子で本日の『ドッグタウン&Z-boys』も行くかと思ったのだが、やはり世間は厳しい。
まあ、初日だからといって勢い込んで行く、ということでもないのだろう。
スケーターやパンクスの人々がガンガンやってきて場内騒然、というのを期待したのだが(笑)。
疲れと眠さで、ボーッとしたまま、帰宅。

そうそう、ヴェンダース・ナイトのためのフリーペーパーができあがってきた。
都内各地で配布する。
10月8日のオールナイト来場者への全文掲載版も限定だが、こちらのヴァージョンもこれ限り。
配布場所は、追ってお知らせするので、是非手にとって読んでみて欲しい。
これを読めば、『ミリオンダラー・ホテル』を見逃していたなんて、ホント私が悪かったと思わざるを得ないと思う(笑)。
オールナイトの上映にも、駆けつけてもらえたらいいのだけど。
それから、FPとはまったく別の部分を抜粋して、boidページにアップした。
ここ
ヴェンダースの映画についての座談会だったのだが、90年代以降のヴェンダースを語ると言うことは、当然、アメリカ映画全体を語る、ということでもあり、スピルバーグや『宇宙戦争』を巡る話題でも大いに盛り上がったのであった。
次回は、スピルバーグを中心に、『ロスト・イン・アメリカ』座談会をやろうかと思う。

ああそれから、本日、バウスに行くためにあわてて食事をしていたら、またもや前歯を落とす。
うっかり、硬いものを強く噛むと、取れてしまうのだ。
昨年の釧路以来。
週明けまでの、『エリ、エリ』プレス原稿のプレッシャーだろうか。
しかしこうやって原稿を書くだけで、どうしてこうまで身体を蝕まれなければならないのか・・・
ジム通いでもした方がいいのかとも思うが、力を入れて歯を食いしばったとたん、やはり前歯が取れる、ということも十分に考えられ・・・

9月14日(水)

青山から、『エリ、エリ』はルードン・ウェインライト3世と『クリスタル・ボイジャー』の両方を含んでいるということで宣伝していきましょう、というメールが。
確かに。
だが問題は、ルードン・ウェインライト3世は、日本ではまったく無名に近いし、『クリスタル・ボイジャー』は爆音でも全然人が来てくれないという現実。
つまり、「宣伝」としてはなんの効果もなし(笑)。

とはいえ、『クリスタル・ボイジャー』にも、次々に熱烈な便りが。
中原からは、木曜日も金曜日も行きますよ、という電話。
斎藤陽一郎他、何人もの友人たちから、次々に「凄すぎ!」というメールあり。
安井君からは、日記を読む限り、人が入っていないなんて思えないという指摘。
確かにそう見えるかもしれない。
『ステップ・イントゥ・リキッド』も『クリスタル・ボイジャー』も、あまりに凄くなってしまったので、見てしまうとつい興奮して、その勢いで日記を書いてしまうのがいけないのかも。
いや、マジで本当にもったいないので、時間があったらというか時間を作ってでも是非。

昨日の詩人はヴァレリー。
どんどん忘れるからいやになる。

本日からは10日ほど父子家庭。
妻が、巻上公一君一行と、ロシアの果ての、カスピ海沿いの小さな共和国に行ったのだ。
たぶん、音楽のフェスティバルがあるのだろう。
あまりの忙しさのため、詳細は一切知らず。
子供だけが知っている。
しかし父子家庭は、夕方以降の自由がきかなくなるのは仕方がないが、朝、子供を学校に送り出さねばならないのがきつい。
結局、起き続けて送り出し、その後、眠るしかない・・・

9月13日(火)

日記を書く時間の余裕がまるでなくなったので、要点のみ。
以下のジャケットにピンと来た人は買って聞くべし。
日本では、息子のルーファス・ウェインライトの方が有名だが、父は健在。
ウォーレン・ジヴォンは死んだが、ルードン・ウェインライト3世がいる!
9.11以降、アメリカでは、競争的な騒ぎとは別に、極めてプライヴェートな視線によってそれぞれのアメリカ史を語る試みが、静かに成されている。
ニール・ヤングの諸作品、先日の日記にも書いたブルース・ウェーバーの『トゥルーへの手紙』、ヴェンダースの『ランド・オブ・プレンティ』、あるいはティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』もそれに入れてもいいかもしれない。
などなど、それらと太く繋がっている作品。
アサイヤスの『感傷的な運命』が作られた意味とも、どこかで繋がる。
もはや政治はサーヴィス業であるという前提から始まる、全てのものをコンヴィニエンスなものへと変えようとする力への、ギリギリの抵抗としてある「親密さ」と言えばいいか・・・
確か19世紀末くらいに、そういった「親密さ」を、ある種の抵抗の手段として提示した詩人がいたはずだが・・
もう全然名前を思い出せない。
酷いものである。
いずれにしても、その時代と今は違う。
その違いを含んだ「親密さ」の提示が、それらでは行われているように思う。

loudon.jpg


9月11日(日)

起きると、青山から怒りのメールが。
なみおか映画祭問題。
「グリーンデイル」以来、地方の劇場とやりとりをたまにしているのだが、地方での上映は本当に大変である。
私など、地方で何かしようとしたら、数日で音を上げてしまうかもしれない。
これまでいい形でやってこれたこと自体が奇跡的なことではないかとさえ思う。
山形みたいに、国際映画祭というような形にしてしまえば、もしかすると案外、いろんなことがOKになったのかもしれないなあ、と、あまりに呑気なことを思う。
もちろん、映画祭はこれで終了だが、なみおか映画祭が始めたことがそれで終わるわけではない。
次段階に移るために形を変える、という前向きな見方をしておきたい。
関係者の方々は、そんなきれい事ではすまないいろんな思いと歴史をかかえていることだろう。
しかしうっかりしていると本当に何もできない世の中になる。

気を取り直し、とりあえずまず、選挙に行く。
雷が鳴り、不穏な空気満々だが、まあよい。
そしてひたすら原稿を書く。

夜、再度バウスへ。
昨夜のピンクフロイド「エコーズ」の音を、もうちょっと変えたかったのだ。
ただ、ご存じのようにこの映画は別々に作られた2本の映画をくっつけたものだから、前半と、「エコーズ」が流れる後半とでは、音の質がまったく違う。
どちらかにあわせるとどちらかがダメになるのだ。
ただこの映画の場合は、「エコーズ」にあわせる、というのははっきりしている。
それにあわせた上で、前半をどれだけ聞きやすくするか、ということでもある。
本日の設定で、ようやくそのベストポジションが決まる。
好きな人は「エコーズ」から見たりするようだが、しかし案外、トリップ前の前半も、音の悪さも含め、いいのだ。
本日は予告編で流れた『イージーライダー』を初めとする70年前後のある種の感情が、確かにそこにある。
バーズの「イージーライダーのバラード」や「ワズント・ボーン・トゥ・フォロウ」などに流れているもの。
ああこういった感情がひとつの固まりになったとき、『イージーライダー』や『さすらいのカウボーイ』が生まれたのだ、ということがはっきりと分かる。
そして「エコーズ」になると、一気に我々はイルカになる(笑)。
イルカになって、そのまま宇宙の果てまで泳いでいく。
縦横に広がる音のレンジの広さといい、それが作り出す宇宙空間をスティックの一打一打が揺れながら駆け抜けていく速度と奥行きといい、その無限の世界と一体になって何でもできるんじゃないかという気分に一瞬なるから音楽は怖い。
いずれにしても、普通の映画がまだまだ音の広がりを十分に使いこなしていないことがはっきりする。
ゴダールのやり方とは違った形で、我々がいかに制度に縛られながら音を聴いているかが分かる。
もちろんここで聴くことのできる音も「制度」には違いないのだが。
その上で、たっぷりと泣ける。

上映後、バウス・スタッフたちと、思い切り盛り上がる。
そして結局、またもや悪巧みを。
サーフナイトが満員になるまで何度でもやる、という勢い。
誰も懲りてない(笑)。
しかもすでに来年の夏の話にもなり、サーフナイトより更に強力な企画が。
お楽しみに。

9月10日(土)

あまりのことに唖然とする。
『クリスタル・ボイジャー』とピンクフロイドの「エコーズ」のことは、この日記でも何度も書いたし、普通はたいていみんな知っていると思っていたので、ごく当たり前に爆音ピンクフロイドを見に来ると思っていたのだが・・・
これだけのサイズの画面で、これだけの音で見ることができる機会は2度とないんだけどなあ・・・
本日は高音がもうひとつ延びきれなかったので、明日、再度挑戦。
ただ、ピンクフロイドの高音を効かせると、前半がキンキンになるというジレンマ。
でも、工夫の余地はある。

家に帰り、とにかく目先の仕事をやり続ける。
10月末まで、もう目一杯なので、いくつかの仕事を断る。
引き受けているいくつかの仕事も、さすがに全部こなす自信がない。
東京に大津波が来ないだろうかと、夏休み終了前で宿題ができていない子供のようなことを思う。
うーん、いつもは仕事で迷惑かけない私だが・・・
仕事の仕方も含め、すべて考え直すときが来ているのかもしれない。

9月9日(金)

終日仕事。
身動きできず。
昨夜、テンションが上がってしまった反動で、頭痛も始まる。

しかし、そんなところに、各地から『ステップ・イントゥ・リキッド』凄すぎ、という便りが届く。
友人のブログでは、こんな感じ (9月8日付参照)
嘘かと思われるかもしれないが、本当にそうなのである。
この1週間、日記でもずっと爆音史上最強、と書いてきたが、見逃した人は本当に残念でした。
斎藤陽一郎からも、同様のメールがやってくる。
みんな、「!!!!!」とか「ぁぁぁぁぁぁ」とかの乱打。
たぶんそれくらいしないと、この爆音の凄さは伝わらないのかもしれない。
うーん、チラシにも「!!!!!」とか「ぁぁぁぁぁぁ」とか、ガンガン入れておけば良かったか。
ただ、チラシ作りの時は、私もそれを爆音で見ているわけではないからねえ。
これはいいだろうという勘だけでセレクションをしているから、それが本当にどんな感じになるかは、音調整の時まで私にも分からないのだ。
それに加え、はしゃぎすぎ、とか思われるのも嫌だし、とか、すぐ思ってしまうからねえ。
『クリスタル・ボイジャー』のピンクフロイドがはまるのは分かり切っていることだから、何としてでも『ステップ・イントゥ・リキッド』に、多くの人を呼びたかったんだけど。
ただ、私だけでなく、これまでサーフィン映画に何にも興味のなかったいい歳した婦女子でさえこういった反応をするわけだから、このまま終えてしまうのはあまりにもったいなく、ちょっとしたリベンジ企画を思いつく。
まあ、また、自分の首を絞めることになるだろうから余程のことがない限り実現はしないだろうけど。
『エスケープ・フロムLA』を見に来たら、予告せず『ステップ・イントゥ・リキッド』が始まるとか、そういうことではないのでご安心を。
でも、それもいいかもねえ(笑)。

9月8日(木)

昨日、中原から『ロード・オブ・ドッグタウン』がいい、という話を聞く。
今回、爆音サーフでやる『DogTown&Z-boys』のフィクション版である。
アメリカでもかなりなヒットとなったということだ。
不良少年のサーファーたちがスケーターになり、当時のスケート界を荒らしまくって成り上が理、そしてその後、というような物語になっていると思うのだが、それがあまりやりすぎず、いい感じのところでこらえていて、そのスタンスの取り方が絶妙なのだと。
ああ、それがサーフなんだよなーと、うっかり見逃していた我が身を責める。
早く見たいが、あまりの忙しさに、試写状のスケジュールを見ると、13日火曜日の朝10時から、というのしかない。
それを見逃すともう、10月まで見られないのだ・・・
しかし、爆音サーフのためには意地でも見に行かねば。
中原と、来年は『ロード・オブ・ドッグタウン』をメインに、爆音サーフのリヴェンジをすることを約束する。

本日は、ヴェンダースの最新作で、サム・シェパード、ジェシカ・ラング共演の『Don't come knocking』。
まだ字幕なし。
全体のイメージは、サム・シェパードということもあり、『パリ、テキサス』ということになるのだろうが、そうではなく、「女性映画」になっている。
サム・シェパードが何だか主役らしくない感じで映っているので変だなあと、ずっと思っていたのだが、つまり、この主役こそが女性たちの引き立て役だった、という訳なのだ。
こんなに多数の女性たちが登場するヴェンダースの映画は初めて。
タイトルは頑固者の男の物語、みたいな感じだが、実は「シェイディー・グローヴ」というようなタイトルを付けたくなるような、翳りと痛みと癒しの映画。

その後、バウスにて爆音調整。
本日は『Dogtown&Z-Boys』。
バウスの爆音は、爆音とはいえむちゃくちゃ余裕がある音で、奥行きと広がりが出る爆音なのだが、今回は、「できるだけ奥行きもなく広がりもない」音にしようと、最初の数シーンを見て判断。
「パリのアラブ人街のカセットテープ屋で流れているシェブ・ハレドとかの、ライの音みたいに」とか、「安ーいヘッドホンで聞こえてくる音みたいに」とか、めちゃくちゃな注文を出す。
要するに、汚くて、その場限りの音に、という感じ。
つまり、パンクである。
パンクな奴らの物語には、これが一番。
爆音史上、最も耳障りな爆音になった!
最高である。
台詞もいちいち耳に触る。
大いに盛り上がる。
しかも泣ける物語。
ラモーンズの『エンド・オブ・センチュリー』と続けて見たい。
ということで、11月の爆音パンク・ナイトでは、それを実現させることにする。

しかしこうやってサーフ映画を見てくると、アメリカとアメリカ映画の歴史がすべて詰まっているようにも思え、しかも爆音史上最強の爆音がどれも鳴り響いていて、こんないいプログラムはないと、自画自賛。
その他の爆音企画でバウスには儲けてもらって、サーフナイトだけは何とかやり続ける決意をする。
などと、いい気になってスタッフに語り、失笑を買う。
でもねえ、私としてはそれくらい最高の企画だと思うのだけど・・・

ああそれから、爆音JLGナイトの4回券予約・購入者には、先着50名(予定)に、『アワーミュージック』のポストカードとポスター・セットをもれなくプレゼント。
『アワーミュージック』配給のプレノン・アッシュのご厚意により。
すでに予約された方も、来場時のチケット受け取りの際にお渡しするのでご安心を。

9月6日(火)

昨日は、ブルース・ウェバーの『トゥルーへの手紙』の試写に。
実は、カメラマンの撮る映画には距離を置いていて、試写はとっくに始まっていたのに、見に行かなかったのだった。
彼の周辺の有名人の人脈なんかもどうにもうんざりで、できれば関わりたくない人でもあった。
原稿の関係で見に行ったのだが、案外よかった。
徹底してプライヴェートな視線。
『ランド・オブ・プレンティ』のヴェンダースや、『グリーンデイル』 のニール・ヤングにも通じる。
これらの9.11を見据えたプライヴェートな映画を、従来の政治的視点から語るのは間違っている。
そういったことを確信できた。
アメリカに住んで、しかも9.11に対して何かを語ろうとしたとき、アメリカ以外の国の人間には想像もつかない、ある種のフィルターが必要なのだ。
それは、彼らの視点の徹底した変更を要請している。
それができなければ、マイケル・ムーアのようにやるしかない。
そのようなことを思った。

夜、CNNを見ていたら、ハリケーン「カトリーナ」の被害救済番組に出演したカニエ・ウェストのブッシュ批判の話題をやっていた。
番組のシナリオにない発言で、中継していたNBCはあわてて画面を切り替えたとか。
そのあわてぶりをも含めた話題。
カニエ・ウェストのニュー・アルバムは、ポール・トーマス・アンダーソンの『パンチドランク・ラヴ』などの音楽担当でもあり、フィオナ・アップルのアルバムのプロデューサーでもある、ジョン・ブライオンをプロデューサーに迎えている。
そんな話を日曜日に、安井君から聞いたばかりだった。

てなわけで、本日は、久々に寄ったHMVにて、カニエさんのアルバムと、カニエ・プロデュースによるコモンの新作や、マッドリブも加わっているドゥワイト・トライブル&ザ・ライフ・フォース・トリオの新作など。
カニエさんに関しては、安井君から「Dr.ドレの「2001」がHip Hop 版スライの「暴動」ならば、カニエの新譜は、S・ワンダーやカーティスが持っている健康なポピュラリティを感じさせてくれる。」とのメールが届く。
まさにそのスタンダードな健康さを示すアメリカ映画は何だろうと考えたのだが、どうも見あたらない。
『身代金』あたりのロン・ハワードにはそれを感じたのだが。
『シンデレラマン』は、好きな映画ではあるが、スタンダードと言うには何かを背負いすぎている感じがする。

HMVに行く前に、ホン・サンスの『女は男の未来だ』という映画を見た。
タイトルはアラゴンの記した一節から。
内容は、アラゴンの小説とは関係ない(「イレーヌ」しか読んだことないから断定はできないが)。
女ひとり男ふたりというありがちな関係の、若き日と何年か後の、時間の交錯。
現在時制で語られるときの彼らは30代前半だろうか。
すでにその日々さえ遠い昔となっている私のような者から見ると、何だか呆然としてしまう。
しかも酒飲みの物語なので、余計に困る。
こういう酔っぱらいのグズグズだけははっきりと拒否してきた思いがある。
拒否というか、逃げてきたと言った方がいいかもしれない。
だから余計に始末が悪い。
だが、何だか最後まで見ることが出来てしまうというあたりは、彼らを見つめる視線がどこか非人間的だからだろう。
映画の作り方は諏訪君と同じような、俳優たちへのインタビューなどを元にしているらしいのだが、結果的に万田さんの『UNLOVED』のような場所へと行き着いているように思えた。
小津の空虚にも似た。
ただ、やはりそこで更にもうひと波起こして暴れましょうよと、寂しがり屋の私は思うのだった。
ホン・サンスさんにも、『NARUTO』のスッカラカンの空元気の暴れっぷりを見て欲しいものである。
子供たちは、すでに、『女は男の未来だ』の主人公たちがたどり着いた場所からスタートしているのである。


9月4日(日)

夏休みのうちに見に行くと子供と約束していた『劇場版NARUTO』。
行こうとしたら、もう、ほとんどの劇場が夏休み終了とともに別番組へと変わっていた。
唯一、吉祥寺プラザ。
バウスシアターの裏の劇場である。
古い劇場だが、まあ、特に気にすることもない。
しかし、上映前の予告編には参った。
東宝系の邦画の予告がいくつかかかったのだが、どれひとつとして、見に行く気にならない。
適当に感動して適当に泣ける物語があって、適当に盛り上がる音楽が流れるんだろうなあと、そういうことだけはよく分かる。
まあ、DVDで十分、というところ。
ピントの甘いあの画面じゃあ、DVDで見た方が余程普通に見られるだろう。
特に『NANA』は酷かった。
宮崎あおいの事務所は、あれに文句つけないのだろうか?
いくら何でもあの照明はないんじゃないの?
予告編であんな画面使うということは、本編もずっとそうということなのか?
別の意味で、見たくなったけど。

といった予告編に比べ、『NARUTO』は面白い。
いかにも日本のアニメ的な、世界制覇をもくろむ悪役の登場の仕方は相変わらずでうんざりもするが、俯瞰シーンの広がりや、そこからアップへのリズムや、カメラポジションなど、さすがに世界マーケットを支配する日本のアニメーション技術の洗練が、はっきりと分かる。
NARUTOのキャラはインターナショナルなものかどうかは謎だが、とりあえずラヴリーなキャラなので、時々思わず笑う。
しかし、爆音後の最初の作品なので、音の小ささに気が遠くなった。
子供まで音が小さかったと言っていたから、これは爆音上映とは関係なく、本当に小さかったのだろう。

外に出ると、かなりな雨。
うーむ、この雨だと、『ステップ・イントゥ・リキッド』に、わざわざ来てくれる人は一体何人いるのかと青ざめる。
まあ、うまくいかないときはそんなものだ。
帰宅してしばらくすると、更に豪雨。
居ながらにして爆音である。
善福寺側周辺に住む知り合いから、「ステップ・イントゥ・リキッド」という件名のついたメールが来る。
どうやら、バウスに『ステップ・イントゥ・リキッド』を見に行って、帰宅しようとしたら井の頭線が止まっており、とにかく自宅近くまで来たら道路が水没していて本当に「ステップ・イントゥ・リキッド」になたと。
そんなメールであった。
同じ杉並でも、川沿いは大変である。

9月3日(土)

いよいよサーフナイト初日。
前売りの無視のされ方からして、下手すると10人くらいかと覚悟を決めてバウスへ。
それでももしかすると何とかなるかもという期待はあったが、やはり淡い期待であった。
まあさすがに10人、ということはなかったが、爆音史上最低の初日。
サーフィン映画が、通常の映画ファンからは「映画」として認識されていないという予感はあったが、それよりも、爆音上映自体がまだまったく浸透していなかったという事実を突きつけられてしまったというショックは大きい。
一からやり直しである。
まあでも80年代のパンクのライヴなんかいつもこれくらいの人数だったわけだから、それを思えば特にどうということもなし。ということにしておく(笑)。

とはいえ、上映は思い切り気合いが入っていて、映画も、ロードショー時に比べて大きく化けてくれた。
欲を言えば音楽を少なくして波の音を前面に出してくれれば最高だったのだが。
サーフ映画製作者たちにこの環境を体験してもらえば、サーフ映画自体の作り方も変わるだろうと思う。
そして、昨日のジョン・フォードの流れで言うと、フロンティアを求める人々の物語があり、共に生きる家族の物語があり、世代間の魂の継承の物語がありと、まさに西部劇的な要素がそこかしこにちりばめられている。
しかも、何にも波のないテキサス湾を走るタンカーの起こす波に乗るサーファーたちの姿は、当然、荒野の乱暴者たちの姿に重なるわけで、そこにブライアン・セッツァーが流れるシークエンスは、私としては俄然燃える。
このシーンは、『エスケープ・フロムLA』の、ピーター・フォンダのサーフィン・シーンとほぼ完全に重なるのだ。
これを見なくて『エスケープ・フロムLA』だけを見るなんて、本当にもったいないと思う。
そういった今回のプログラムの意味を、地道に伝えていかねばならなかったのだとは思うのだが・・・
まあでも、初日がすべてではないわけだし、ということで気を取り直し、バウスを後にする。
いずれにしても、『ステップ・イントゥ・リキッド』は、おそらく爆音上映史上最高のダイナミックな音を出しているのが、一番の救いである。
しかし、それを伝えられない、というのが何とももどかしいのも事実である。
友人・知人たちひとりひとりに声をかけて何とか引っ張ってきたいのだが、さすがにもうそれをやる気力と体力はない。
この日記を読んだ方々、だまされたと思って友人・知人たちを引き連れて一度サーフ映画を。

9月2日(金)

昨日は、ジュンク堂でのイヴェントの前、シネマ・ロサにより、10月8日のヴェンダース・ナイトの打ち合わせ。
その時に、同日新文芸座でゴダールのオールナイトも開催されるという情報を聞く。
いやあ・・・
何も同じ日にならなくても・・・
新文芸座の方もそう思っているかもしれないけど。
しかし、監督名では完全に負けてるからねえ・・・
でももう今更どうにもならず。

ジュンク堂のトークは、予約も1ヶ月前にいっぱいになっていたこともあり、盛況。
青山から、ジョン・フォード「幌馬車」こそサーフ映画、との指摘あり。
DVDでの画面をみて、みんな納得したと思う。
アメリカ映画を堪能するには、サーフィン映画を見て、そのリズムとグルーヴを体得しておかねばならないことが、ここに判明する。
「地獄の黙示録」や『エスケープ・フロムLA」だけを見ても、単に固有名とともにそれを見ているだけで、「アメリカ映画」を見たことにはならない。
「幌馬車」が示したその「アメリカ映画」のグルーヴがサーフロックやサーフィン映画に木霊している、その木霊を見続け、聴き続けることが「アメリカ映画」を見ることに繋がると思う。
初期サーフ・ロックのプロデュースを数多く手がけたリー・ヘイズルウッドが、その作品の中で示した「エコー」と「短いリフの繰り返し」には、それらのすべてが反映しているはずなのだが。
そして、この日中原が持ってきたさまざまな時期のさまざまなバンドによるそれらの変奏のあれこれこそ、その木霊の広がりを示すものであるのだと思う。
まとめると、以上のような話を、ガチャガチャと大騒ぎしながら、CDやレコードをかけながらとりとめもなく行った2時間。

本日は、『ステップ・イントゥ・リキッド』と『クリスタル・ボイジャー』の音調整。
耳の調子がよくなっているので、つい、あれこれ、いろんな要求をする。
音のピントが合ってくると、身体が反応するから分かるのだ。
それが来るまでは、あーだこーだと、いろんなことを試してもらう。
バランスがよくなったところで、最後にもう一押しボリュームを上げてもらうと一気に音が広がり出す。
もう、こうなるとニコニコである。
ともにとにかく、前の方で音と映像を目一杯浴びながら見るのが最高。
これを見ないなんて本当にもったいない。
「アメリカ映画」の広がりが、この波の繰り返しの中にすべて含まれているのに・・・

ああそれから本日、朝日新聞の夕刊に、「爆音上映」の記事が。
これで少しは爆音上映が広がってくれればいいのだが・・・
とはいえ、本日まで、サーフィンに関してはあまりに反応がないので、ちょっと驚いている。
いくら何でもアメリカ映画を見るなら当然でしょうと、サーフィンなどしたこともなく海だって思い切り苦手な私でさえ思っているくらいだから、簡単に通じるかと思っていたのだが・・・
少なくともジョン・フォード研究者は全員、見なくちゃならないんじゃないの???
まあ、いずれにしても、ただひたすら快感、というお楽しみもあるわけだし・・・
ただ、阿部君から、「蓮實さんだって50年代アメリカ映画を広めるまで数年かかったわけだし、見習うべきですよ」という指摘を受ける。
確かに。
今後、いくつか地道なサーフ伝導をして行かなくては・・・