
2006年 boid日記 3月~4月
Text by 樋口泰人
4月24日(月)
いったい何をどうしていいのやら訳も分からずオロオロしているうちに1日が終わってしまうのだが、先日の日記に書き忘れたことがひとつ。
あれやこれやの末、ようやく『キングス&クイーン』の予告編のプリントが出来上がったのだが、内容はともかく、とにかく画質が悪い。
テレシネしたビデオを編集してそれをさらにキネコ、という行程のため、画質は諦めてはいたのだが、それにしても・・・
これを観ると、試写もやらず、チラシもポスターも作らずただとにかく予告編だけをフィルムで作っておけばよかったと、ひたすら胸が痛む。
誰が悪いのでもない。
画質が悪いのだ。
GAGA/USENが、ライヴドアを買い取る金の百万分の1くらいでいいからこの映画に予算を出してくれたら、と、今回だけはひとこと言わせてもらう。
ただよく考えると、テレシネしたビデオを、DVに落とし、それを自宅で編集して、テレシネしたベーカムを再編集してキネコするという、そういう作業がただみたいな値段(もちろん、関わった人間はボランティアに近い)で出来てしまうこと、それ自体が問題なのだろう。
出来なければ、この映画はもうちょっと違う道をたどったはずなのだ。
でも、この映画のためにはすでに間に合わないが、次回何かする時には、こういった場合どうすればいいかということは学習したので、私としては次に繋がったことにはなるのだが・・・
それからニールさんの件。
ファンの方には、もしかすると過剰な期待を抱かせてしまっているかもしれない。
しかし、そうは簡単ではないことだけは、再度書いておく。
これもまた、次に繋がる、ということで考えておいていただきたい。
それから、今週は、神戸で「レッツ・ロック・アゲイン!」が上映されている。
あと、地方初の爆音上映のT.REX、ニール・ヤングが広島にて。
はっきり言って、爆音で観るのとそうでないのとはまったく別物だから、広島近郊の方々、是非一度お試しを。
DVDで観てるのがばからしくなるはず。
4月21日(金)
仕事を終えて家に帰ると、50通以上のメール。
まあ、大体いつもこんなものだが、スパムメールも含めると、簡単に200通以上になってしまうので、それらを削除するうちに必要なものも消してしまったりして、全くどうしたものかと思う。
日々、メールの返事を書いていると明け方近くになり、それからようやく仕事が始まり、朝になり、昼になり、昼から打ち合わせだったりすると、もう、ひとたまりもない。
本日も1時からの打ち合わせのために11時起床(寝たのは9時くらい)、正式決定したダニエル・ジョンストンのドキュメンタリー、『悪魔とダニエル・ジョンストン』の、第1回宣伝会議。
私は、さすがに今回は宣伝に廻らず、プレス、パンフの文字部隊。
宣伝は過酷だ(笑)。
9月末公開、ということだったので甘く見ていたが、プレスもやるということは試写に間に合わせなければならず、ということは、5月中には仕上げなければならない。
もろに、『キングス&クイーン』とかぶる。
恐ろしい。
どうしたことかと思い悩んでいたら携帯が鳴り、黒沢さんの『LOFT』の公開が決定したとの知らせ。
これも9月半ば。
これもプレスを手伝うことに。
待ち望んでいた作品の公開なので、出来るかぎりのことはしておきたい。
ただ、物理的にすでに限界が・・・(笑)。
夜の『キングス&クイーン』の試写は、補助席まで出す盛況。
先週から、いろんな人が来てくれはじめ、何となく動きが出てきたのを実感する。
本日は、西島秀俊君に、ちゃんと挨拶が出来た。
以前の日記でも書いたように、人の顔をアイデンティファイすることの出来ない私は、エレベーターで一緒の時も気づかずにいてしまったのだった。
しかしその代わり、クイックジャパンの山田さんを、知らない人扱いしてしまう。
ああ。
全く宣伝には向いていない・・・
その後、青土社宮田君たちと食事をして、家に帰って、大量のメール処理が始まったという訳なのだが、その中に、アメリカの大貫さんからのメール。
あれこれ交渉したものの、どうしても思うに任せない「ハート・オブ・ゴールド」(ジョナサン・デミ監督)を何とかしたいと、こちらの状況を逐一報告していたのだが、ついにニールさん本人に届いたとの知らせ。
とにかく会社同士の契約で縛られているものなので、本人が動いてくれたことでどうなるかはまるで分からないのだが、とりあえず、可能性は出来た。
もし、どうにもならなかったとしても、ニールさん本人には、日本のファンの気持ちはしっかり伝わっているので、次回はあらかじめ何とかしてくれるだろう。
いずれにしても、こちらもそれに応えなければと思うと、それはそれで大変なことをしてしまったと、緊張。
4月12日(水)
疲労困憊。
過労死はこうやって訪れるのだろうと思う。
あまりにハードな日々が続く中、一方では『レッツ・ロック・アゲイン!』も地方公開中である。
先週までの大阪はかなりの人の来場があり、一安心していたら、今週からの札幌は、あまりに酷い数字。
北海道にはジョー・ストラマーのファンがいないのではないかと思えるほど。
これはあんまりに酷すぎる。
このページを見ている北海道の方、あるいは北海道出身の方、北海道に知人・友人が住んでいる方、とにかくあと2日、見に行かないと2度と見ることができないと、知人・友人その他の人々に伝えて欲しい。
北海道ではやらないのかと、メールなども来ていたので、すっかり安心していたのだが・・・
上映していることすら知らないジョー・ストラマー・ファンがいたら、あまりに悲しいので。
4月8日(土)
またもや日付の感覚が分からなくなっている。
いやあ、慣れないことをやると本当に疲れる。
いつも、宣伝会社が日本をダメにしているとしか思っていないため、自分が宣伝をやるとなると、どこにどう気持ちを落ち着かせていいものやら、オロオロするばかり。
ひたすら地味にやりたいのだけど。
ただ、『キングス&クイーン』の場合、一般に広がる可能性も十分に持っている映画なので、どうにももったいなくて・・・
とはいえ、本当にメディア関係のデプレシャンへの評価は全く地に落ちているらしく、あるいは単にみんな忙しいのか、試写への動員があまりに悪い。
見てもらわないと話にならないので、私の手の届く範囲には連絡しているのだが、そんなものは知れているので・・・
予算がなくて8回しか試写ができないので、ギリギリになって来場されても対応ができないし・・・
ただまあ、そうなってくれたら幸いである。
とにかく、もうすぐ、チラシ・ポスター・予告編など、主な宣伝物が出来上がる。
あと、パンフ代わりの「デプレシャン映画について語る(仮)」という小冊子も製作中である。
そこで語られているいろんな発言を読むと、是非とも『ロスト・イン・アメリカ2』に参加してもらいたくなる。
おそらく、アメリカの外側にいながらアメリカを見ようとすると、基本的にはこのようなことになる、ということなのだろう。
常に通訳付きで映画を見ている状態と言うべきか、それ故に、直接触れる人にはできない間違いや混乱を引き寄せて、結果的にそこに何かが生まれる、と言ったらいいか。
次の映画まで時間がかかるのは、そのせいもあるはずだ。
このコンヴィニエンスな世の中において、そういう時間と、間違いを受け入れてくれる状況をいかに作るかが、boidの課題でもある。
3月29日(水)
本日は『キングス&クイーン』の2度目のマスコミ試写。
皆さん忙しいらしく、なかなか見に来てくれない。
その後、聞いた話によると、今年は日本映画が700本程度公開されるのだそうだ。
昨年は350本で、それでも呆れていたのだが・・・
その700本が、あの手この手で宣伝する中、一体どうしたらいいのだろう。
とにかくまずは、試写の動員をどうにかしないかぎり、出発点にも立てない。
上映中、HMVに行くと、中原がいる。
水曜日のHMVは、まあ、いろんな人に会いやすいのだが。
ちょっとお茶を飲み、試写室に戻る途中、「今日の試写には誰が来ているのか」と尋ねられ、中原の知っている人は、佐々木君くらいかなと答え、ヘッズの方の佐々木君ではないと言おうと思った瞬間、中原が大声を上げるのでその視線の先を見ると、ヘッズの佐々木君がいる。
いったい、みんな、昼から何をやっているんだか。
佐々木君にも、見に来てくれと試写状を渡す。
試写終了後もあれこれと打ち合わせ。
やることは死ぬほどある。
3月28日(火)
昨日は、リチャード・フライシャーの訃報、そして本日は、ニッキ・サドゥンの訃報で目が覚める。
フライシャーはさすがに歳なので、「ついに・・・」という感じだったのだが、ニッキ・サドゥンは私より1歳上なだけ。
しかも90年だったかの初来日のライヴでは、新宿あたりにあった200人くらいはいればいっぱいになってしまうような小さなライヴハウスで、しかも100人くらいしか人が来ていないにもかかわらず、目一杯のパフォーマンスで盛り上げてくれた、そのうれしさのあまり、結局全日通ってしまった(1日さぼったかも)思い出もあり、何とも言葉がない。
あの不安定な歌声・・・
TVパーソナリティーズが復活したと思ったら・・・
ちょうど先日、ヴァージン・インサニティーという70年代初頭のテキサスのバンドのアルバムを聴いて、帯には「スラップ・ハッピー」と書いてあるけど、これはスウェル・マップスだよなと、ニッキ・サドゥンのことを思っていたばかりなのだった。
こういった音を作る人間も、それを好む人間も、ふと消えるように死んでしまうのだろうと、その存在の弱さを思う。
最近のSSWブームのいろんな音を聴いても、あの揺れは聞こえてこない。
ホームページを見たら、なんと、ヴェンダースのプロデュースした「Egoshooter」という作品に、本人として出演しているではないか!
確か、2年ほど前、友人のところに「今、ドキュメンタリーを撮影中」みたいな知らせが届いて、いったいそれはなんなんだと思っていたのだが、もしかするとこれのことだったか・・・


ニッキ・サドゥン
それやこれやでガタガタしていると、あっという間に時間が過ぎる。
悲しんでいる間もなく、働き続ける。
デプレシャンの『キングス&クイーン』のあれこれも、なかなか思うように進まないのだが、それでも、少しずつ形になり始めている。
とにかく全く予算がないので、通常の映画なのに通常の映画のようなことができない。
いったい何をやっているんだと思われている方もいるかもしれないが、もうしばしお待ちを。
ほんとに、身体が10個くらい欲しいのだから。
いてもたってもいられなくなった人は、とにかく、周りの人々に『キングス&クイーン』は凄い、と言いふらしていただきたい。
実はそれだけが頼りという、情けない状態でもある。
本日は、泣きながら、プレスやデプレシャン・ブック、ホームページなどに使用するカットを、パソコンに入れた全編データからいちいち抜いていく作業。
60カットくらい抜くだけで、全力を使い果たす。
そのあげく、かなり過激な予告編のイメージを妄想するが、果たしてうまくいくか。
いずれにしても、やはり身体があと10個くらい・・・
あと3個くらい、にはなったと思ったのだが・・・
ああそれから、ニール・ヤングに関して、もしかするとちょっとしたいいお知らせができるかもしれない。
それに、ダニエル・ジョンストン・ファンの皆様にも。
「Clean」も、可能性が・・・
『レッツ・ロック・アゲイン!』は、博多と仙台でも上映が決まった。
3月9日(木)
いよいよ時間と日付と曜日の感覚がなくなってきた。
時折ソファに横になり仮眠を取るだけで、あとは延々とパソコンに向かい続けている。
「忙しくしているのはよくない」と反省したばかりだというのに、とにかくまったく身動き取れず。
しかもその上、不慮の事態が続々と起こる。
このまま消えてしまいたいが、そうも行かず。
あと4日くらい、まったく眠らずに働き続けたら、ようやく通常生活に戻ることが出来るのだろうが、そんな体力・気力はどこにもない。
「アメリカ特集」のライナーの原稿が、頼んだ人間のほぼ半数から、「間に合わない」との連絡。
みんな忙しい。
ただもう、こうなると、次回からは他人頼みはできない。
これまでは、他人の力を頼ってナンボと思いつつ、あれこれをやってきたのだが、もうそういうわけには行かないところに来ているのだろう。
自分で何とかしろ、ということなのか。
何とか出来そうにない時はやらない、という決断を出来るようにならなければいけない。
安井君からは、土曜日NGとの連絡。
結局、体調が再び悪化したらしい。
致し方なし。
代わりに、『メイキング・オブ・ドッグヴィル』の上映を決める。
とことんフォン・トリアーな夜、ということにしようと思う。
というわけで、本日は、深夜の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』音響調整。
寝る時間もないままの調整なので、漏ろうとしながら画面を見つめると、揺れるカメラに船酔い状態。
ほとんどの時間がセンターのスピーカーのみの音響で、音楽シーンになると突然左右から爆音が飛び出すという仕掛けに、唖然とする。
トロトロと夢見心地になったところで、ガツンと。
しかも最後は・・・
こんな爆音上映があってもいい。
この極端な音の作り方は、明らかに物語に則したもので、最後の歌のシーンだけがそれまでとはまったく違う。
そこがポイントだ。
阿部君が、「第三の層」と呼ぶ何かが、そこで浮かび上がる。
調整終了後、バウスのスタッフたちと、爆音リヴェンジ「アメリカ特集」をしたいねえ、と話す。
『マルホランド・ドライブ』『ウェイキング・ライフ』『ガーゴイル』、それに『アレキサンダー』か、と提案すると、『アレキサンダー』はいかがなものかという指摘。
爆音オリヴァー・ストーンは念願の企画なのだが、まあ、今回の「アメリカ特集」の反応を見ていると、さすがに通じないだろうとしょんぼりする。
そうそう、ジャームッシュの『ブロークン・フラワーズ』を見た。
相変わらずのマイペース。
長編とはいえ、数人の女性たちを尋ねるエピソードの積み重ねだから、基本的には短編。
冒頭の音楽で、スーッと物語に入り込ませる巧みさも相変わらず。
これはこれでよし。
焦る必要はない。
60歳まで、あと10年あるのだ。
3月6日(月)
ぶちぶちと愚痴っていた私がバカだったと、いきなり反省。
いや、疲れ果てながら見に行ったテレンス・マリックの『ニュー・ワールド』が本当に凄いのだ。
アメリカ映画は今、確実に何かが変わろうとしている。
『シン・レッド・ライン』の続きかと思ったら大間違いだった。
この映画を、帆船まで走らせて、自然光だけで、果てしない時間をかけて作ることの贅沢さ!
しかも、語られている声と、そこに写されているものが違うばかりでなく、ショットとショットの前後関係もまったく繋がらない。
ビデオでこれをやったら単なるお遊びだが、シネスコのフィルムでここまでやると、その覚悟と確信について思わざるを得ない。
冒頭のタイトルバックに壁画のような絵が、何層も重ねられていたのだが、まさにそのように、彼らの現実がある。
目の前にいる人へ向かっての言葉、そして心の声が、現実を作り出す折り重なったレイヤーとして、音の層を作り出す。
繋がらないカットは、ひとつの現実を作るさまざまな層の違うレベルを繋いでいるからではないかと思える。
つまり、現実Aから現実Bに移る時、Aを作り出す第2層と、Bを作り出す第5層を繋げている、というような編集なのだ。
それらが作るひとつの現実の中に彼らはいるのだが、そのひとつの現実を作るそれぞれの層の中にも彼らはいて、そのとき彼らは徹底してひとりきりだ。
その空虚の厳しさだけが、後半になればなるほど画面にあふれ出してくる。
音響もまた、同じような作り方をされているから、それは絶対に「お遊び」でも「余裕の産物」でもない、徹底して現実的な思考の果ての産物だろう。
今回のboid企画のアメリカ特集は、この映画に映されているさまざまな「層」の集大成でもあると、言えるように思う。
それらを貫く視線が必要とされている。
そうでないと、この映画も単なる監督の野心作とか独りよがりの映画、ということになってしまう。
そうではなく、これはあくまでもこの現実が作らせた映画である。
この映画を何故もっと早く見なかったかと、後悔しきり。
これさえ見ていれば、「アメリカ特集」の打ち出し方も、もっと違ったものになっていたはずだ。
やはり、映画を見るくらいの余裕と時間がないと何事もうまくいかない。
だが、とはいえ、とにかくこの映画を支えているものを見るためにも、是非バウスに足を運んで欲しい。
『ミュンヘン』といい『ヒストリー・オブ・バイオレンス』といい、アメリカ映画では今、何かが確実に起こっている。
この日本の騒がしい環境の中にいるとそんなことはまるでなかったことになってしまうのだろうが、そうではない。
ある視線と文脈を導入して何本かのアメリカに関わる映画を見れば、そのただならぬ変化の大きさが見えると思い、その一例として、今回のアメリカ特集を仕組んだのだが・・・
別にこの文脈に賛同して欲しくてやったのではない。
ただそうやってひとつの文脈をそこにおくことで見えてくるものをはっきりと見極めたいと、そう思ったのだけだ。
だから、とにかくノーギャラのような安い原稿料でも欠いてくれそうな身近な人々に、あれこれ原稿を頼んで、何かを浮かび上がらせようとしたのである。
そのライナーノーツは、したがって、私のでっち上げた文脈を壊したりずらしたり移動させたりするさまざまな「層」として、そこにある。
そしてそれらは確実に、何か大切なものをそこに浮かび上がらせてくれているはずなのだ。
一緒に見ていた中原も、大興奮している。
話すうちに、「黙っていると誰にも見られずに終わってしまうかも」という悲しい予測も出て、中原は早速各所にメールしている。
つまらないと思ってもいいからとにかく多くの人に見てもらいたい。
そうそう、自然光だけで撮ったことばかりに気を取られていたのだが、家に帰ってデータベースで調べてみると、かなりの数のデジタル・エフェクト・チームが関わっている。
「バリー・リンドン」の自然光とは確実に何かが違うと話していたのだが、おそらくデジタル時代のポストプロダクションへの意識も、相当画面に反映されているのだろう。
しかし仮にもこれが、「エンタテインメント」大作の1本として、コリン・ファレル、クリスチャン・ベールといったスターたちを使って撮られてしまうアメリカ映画とは、一体何なのか???
3月4日(土)
本日から「アメリカ特集」昼の部が始まる。
グズグズと昼過ぎに起き、4時30分からの『イグジステンズ』を見にバウスへ。
それまでの上映も含め、覚悟はしていたが現実は更に厳しい。
これではプリント・レンタル料も出ないのではないか。
他人事のようにそう思うが、他人事ではない。
まあ、こういう企画がうまくいくようなら名画座は潰れていないわけで、だからこそ、こういった映画雑誌的な試みも含めて、あるテーマと文脈とともに映画を見る、という企画を立ててみたのだが、残念ながらそれでは人は来ない、という動かしがたい事実だけが残った。
私としては、これこそ何とかしなくてはならない企画ではあったのだが、どうにもならず。
昨年のサーフといい、私がどうしても伝えたいことをやろうとすると、すべて惨敗というこの結果はつらいかぎりだが致し方なし。
3月3日(金)
『レッツ・ロック・アゲイン!』爆音上映の最終日である。
もう3週間が過ぎてしまった。
2度目の上映ということもあり、1度目のような高揚感はなかったが、ただ逆に、ラジオ局に売り込みに行って自分が誰だか分かられなくても丁寧に自分を説明したり、当たり前のようにチラシを配ったりする、ジョー・ストラマーの行動原理を支える緩やかな時間の流れとともにあったような気がする。
それはどこか、ヴェンダースの『さすらい』にも通じていて、前に向かって少しだけ歩を進めるその動きの遅さに苛立ってはいけないことを学んだ。
でもねえ、もともとが思い切り短気だから・・・。
本当は、最後の上映を見たかったのだが、仕事と家庭の事情で終了間際にバウスへ。
多くの人たちが来てくれていた。
最後には拍手も起こった。
知り合いたちも来てくれていた。
これで終わりかと思うと、やはり寂しい。
みんなが忘れた頃、再上映をする予定。
ただまあ、東京で終わっても、地方ではこれから。
名古屋の大盛況のおかげで、各地での上映が決まる。
金沢、仙台、博多、などなど、もう少しではっきりとしたお知らせができると思う。
まだ、決定、というわけではないので、安心は出来ないが。
バウスには、安井君も来ていた。
先週から連絡が取れなくなっていて、どうしたかと思っていたのだが、毎日早起きして映画を見に行っていたとのこと。
『ミュンヘン』『ウォーク・ザ・ライン』『アメリカ、家族のいる風景』などなどを見たと。
素晴らしい。
私も再度、見に行きたいのだがどうにもならず。
そうそう、篠崎から連絡が来て、黒沢さんと一緒にトビー・フーパーに会ったという報告。
フーパーと黒沢さんとの熱い抱擁に泣けたと。
というわけで、とある企画を発動させようということになるのだが、あれこれ出版社などに掛け合うと、現実の厳しい壁。
新作もまともに公開されない監督の本を出してくれる出版社など、そう簡単にあるわけはない。
確かに経費計算すると、それもまた無理のないこと。
『キングス&クイーン』の経費をどうするかという問題といい・・・。
Excelを前に、吐きそうになりながら夜明けを迎える。
「やらない」という選択は当然ありで、それがまっとうな大人の決断なのだが、それではどうにも収まらないのだ・・・
まあ、これだけ愚痴を言うならやるな、とも言われそうだが(笑)
3月2日(木)
相変わらず瞬く間に時間が過ぎていく。
先週末のヴェンダース・ナイトは、満員まではいかなかったが、多くの人々の来場で、久々の『さすらい』を堪能。
こうやって15年ぶりくらいで劇場で見ると、やはり本当にいい。
この映画が私の中で、いろんな形で発酵していることに、今更ながら気づかされた。
この映画を見て育ったんだなあ、という感慨とともに夜明けの3時間を過ごした。
決して満員にならなくていい、6割から7割くらいの人と、ゆっくりと裾野を広げていく動きの大切さを、再確認させられた。
それはつまり、今の東京のスピードとは違う時間を、どこかで持つということでもある。
2年に1度くらいは、上映しようと決意。
火曜日の追加のダグラス・サーク講座は、翻訳者の明石さんが、戦前のドイツ映画をあれこれ上映しつつの講義。
いわゆる「戦前」「ドイツ映画」という、我々の持つ固まったイメージを鮮やかに解き放つ作品の数々。
グローバル化が進む現在において、各国の独自性、特殊性が求められる映画だが、戦前においては映画であること自体がインターナショナルであった、というような印象さえ受ける。
まあ、それも極端すぎる見方で、実際のところ、ドイツのウーファが、それくらいヨーロッパの映画の中心であった、ということである、というが結論。
それ以外は、まあ、ひたすら働くのみ。
本日など、寝たのが昼の2時過ぎ。
もはや日付の感覚が全然なし。
ただ、ようやくちょっと、光が見える。
そうそう、アルノー・デプレシャンの『キングス&クイーン』は、この邦題で決定。
6月中旬から渋谷のイメージフォーラムにて公開。
但し全く予算がない中での公開なので、目立った宣伝展開はまるで出来ない。
皆さんの口コミだけが頼り。
でももう6月なので、とにかく最初から全速力にて始動。
土曜からの「アメリカ特集」昼の部の、来場者用に無料配布する、「プログラムA」用のライナー・ノーツの概要が決まる。
以下のラインナップ
稲川方人 「21世紀の映画への接近の試み」
松井宏 「He needs me…」
大寺眞輔 「eXistenZ」とは何か
大寺眞輔 「Just Wake Up!」
結城秀勇 『ウェイキング・ライフ』
大寺眞輔 「どこまで行ってもアメリカ」
樋口泰人 「未知のものである反復」
中身は読んでのお楽しみ。
プログラムB以下も、同様な形で、身近な人々からさまざまな原稿を集めている。
そしてこうやってまとめて読んでみると、もはや誰が何を書いているか、ということより、バラバラと個人的に書かれたそれらの総体としての何かが浮かび上がるその感触が、非情に印象的だ。
誰か映画批評誌を作ってくれないだろうか。
そんなことを切に思う。
今回の「アメリカ特集」は、これらのライナー・ノーツを片手に、是非バウスに通い詰めて欲しいと思う。