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2006年 boid日記 8月~9月

Text by 樋口泰人


9月22日(金)

引きずっていた仕事のいくつかが終わる。
しかし、まだ残る『AA』関係あれこれが難関。
もはや病人に出来る範囲ではないのだが、引き継ぎ作業がまだまだ続く。
耳鳴りは再び復活し、脳細胞をガンガン殺している。
昨日は声まででなくなった。
誰の話も聞きたくないし、こちらの話もしたくない、ということなのだろう。
それでもこうやって仕事をしているというのは、いったいどういうことなのか、自分でもよく分からない。
とりあえず、一切の電話にはでないので、お許しを。
あと、メールの返信が出来なかったり、出来たとしても無愛想なものになっているはずだが、それもお許しを。

それから、唯一残った最後の原稿の「某誌」編集者から連絡があり、宣伝になるので雑誌名を書いてくれとのこと。
まあ、書かなくてもほとんどの人が分かるとは思うのだが念のため。
『ハイファッション』の10月末売り号。
当初は、この日記に書いたのとまったく別のものにしようと思ったのだけど、さすがにもう他に考えるだけの力が残っておらず、予定通りの内容を書いた。
結果的に新首相への皮肉になってしまった、というか、日本のほとんどの人を敵に回すようなことになってしまったかもしれないが、まあ、それはそれで良し。
ちょうどその原稿を書いている時に、「電通のアンケート」とかいう年配の婦人が尋ねてきたのだが、広告会社のためになんか何一つやる気はないと、とにかく追い返す。
かなり強く追い返したつもりだが、こちらは廃人状態の病人でもあるので、全然力強く思われなかったみたいで、かなり粘られてしまった・・・

9月19日(火)

完全休養宣言をしたはずなのに、どうしてこんなに仕事をしなくてはならないのか・・・
これで「宣言」をしていなかったらいったいどんな目に遭っていたかと思うと、ちょっと恐ろしい。
やはり「宣言」は危機脱出のための非常手段だったことが分かる。
ただとにかく、会議や電話連絡みたいなことはすべて堂々と避けているので、それだけでも本当に違う。
籠もって地味に何かしている分には、結構何とかなる。

本日は、結局キャンセルできなかった某誌の連載のために、ベルイマンの新作『サラマンド』を見る。
めちゃくちゃ厳しいホームドラマ。
デプレシャンへの影響がはっきりと見て取れる。
ただしこの映画に関しては、そういった系譜を見るよりも、9.11以降のアメリカ映画と一緒に見た方が面白いのではないかと思った。
例えば『イカとクジラ』とのセットで。
というわけで、原稿もそのようなことにしようかと思ったのだが、編集者に連絡する気になれず、本日までにと言われていた原稿の内容の報告はしない。
そういう病気なのだということにしておいて欲しい。

耳鳴りはだいぶ治まってきたが、頭の左半分が死んでいる。

ああ、あと、お知らせし損ねていた10月7日のジュンク堂池袋本店での、『映像のカリスマ』トーク(黒沢清&篠崎誠)は、すでに満員御礼になっていた・・・

9月13日(水)
 
ついに身体に限界が来たのと、ちょっと思うことあって、すべての仕事をキャンセルすることに。
その連絡だけで疲労困憊。
こんなことならやった方がマシとも思えるのだが、その一時の疲労感に惑わされていては断るものも断れないので、あらゆるものを断る。
来年の分は、その間に、他人頼みでジワッと進めるという予定。
電話も一切出ない。
最悪の状態になる前に、という予防手段でもあり、もういい加減遊ばせてくれ! という怠惰な本性の爆発でもある、という風にご理解を。
 
したがってこの日記は、これから単なるグータラな日々の日記になるはず。
 
しかし、倒れてはいない以上、やりかけの仕事はやらねばならず、その仕事と、今後の仕事をキャンセルするための引き継ぎなどで、2週間くらいは十分潰れるわけだから、実質的に休めるのは1ヶ月くらい。
これって、普通のサラリーマンの年間の休日を考えると、あまりに少なすぎないか、そのわずかな休みを取るためにこんなに辛い思いをするのかと思うと、なんだか馬鹿馬鹿しくなる。
 
9月8日(金)
 
昨日は、何とトリプルブッキングをしていて、あたふた。
中原から誘われていた噂の『ホステル』にも行けず。
夜は仲俣暁生君や八幡書店オーナー武田氏などと、高円寺某所にてboidの今後も含め、あれこれ話し合うが、とにかく日本は今、各ジャンルでとんでもないことになっている、という現状が、当然のように浮かび上がる。

本日は、某誌掲載予定の『レディ・イン・ザ・ウォーター』対談を中原と。
テーマはこれまでと同じだが、物語の作られ方や展開が逆、というこのシャマランが選択した態度をどう見るか、というのがこの映画のポイント。
これまでの作品のような、語りの上での「手続き」がかなりあっさりとすっ飛ばされているこの映画を、嫌っている人も相当いるとのこと。
確かにそれは分かるような気もするが、もはやそれが問題ではない、という場所にシャマランは立ってしまった。
その、シャマランが立ってしまった場所を見るだけでも、この映画が公開される価値はあると思う。

その後、お茶を飲みつつ、最近買ったCD、DVDの話など。
その時、話題になった、ジュディ・シルがコーラスとキーボードなどで参加しているアルバムがこれ。
ピーター・アイヴァースみたいな人は、まだまだアメリカにはいたのだ。

tommysill.jpg

Tommy Peltier "Chariot of Astral Light" 

その後、新宿にて『AA』のためのブックレットの打ち合わせ。
対象が対象だけに、深く入り込んだらとてもではないが公開までには仕上がらないので、とにかくこの映画で初めて、間章と彼のやったこと、そしてその今日への影響などについて興味を持った人をまず念頭に置くことで、こちらの踏ん切りもつける。
単行本未収録の原稿なども掲載できそうではあるので、そういった初心者でなくても満足してもらえるものにはなるかと思う。

帰宅すると、ヴェネチアから画像が送られてきている。
女優たちと黒沢、青山画像。
青山も無事、入国が出来たようで何より。
黒沢さんは、すでに帰国して、明日はもう、『LOFT』の初日である。
映画に関わる人たちの気力・体力には、本当に恐れ入るばかり。

9月6日(水)

昨夜からの続きで昼過ぎまで仕事。
で、しばし睡眠をとり、夕方から、『ハート・オブ・ゴールド』の件で打ち合わせ。
いよいよ、某社が上映権を買って配給、という話になってきたのだが、最大の難関はこれからである。
要するに、商売として成り立つかどうか、こちらの許容範囲内で上映権利料を決められるかどうか。
通常の映画でも、今の日本の映画状況では、劇場での上映だけでペイするのはほとんど無理。
ヒットするとかしないとかということではなく、使った予算と配給収入のバランスがとれていればいいのだが・・・
いかに多くの人に見てもらうかということと同時に、どれだけの予算で済ませられるか、ということも、ものすごく重要な問題なのだ。
そういったことをちゃんと見せられなければ、この映画を上映する意味はなくなる。
話題ではなく、小さな映画の日本公開のための上映システムを作る。
そういったことが可能であることを、各配給会社の買い付け担当の方々に何とか分かってもらいたい。
もちろん映画は水商売でもあるのだから、大金を使っての賭けがあっても全然問題はないのだが。
ただ、それぞれの映画に則した配給・上映の仕方を見つけていくのが配給会社・宣伝会社の仕事ではないかと思う。
もちろんこういったことに関してのマスコミの責任はものすごく大きい。
ちょうど発売になったばかりの『文學界』が大々的に黒沢清特集をするというアナーキーな動き、それ自体は非常に面白いのだが、逆に言うと今、黒沢清特集をまともに出来る雑誌が他にない、ということでもあるのだ。
このことは、雑誌編集者の方々だけではなく、映画配給・宣伝に携わる方々にとっても非常に重大な問題であると思う。
今や、売れそうな映画しか売れなくなっているわけだから、そろそろ覚悟を決めた方がいいのでは?

しかし、やることの多さと時間と体力と経済力の限界に、ちょっとうんざりもする。
もうちょっと人使いがうまかったら、少しは楽になるのかもしれないと反省はするのだが、いずれ人使いのうまい人がboidにやってきてくれるだろうと、楽観を決め込む。
その上で、それぞれが勝手にboidを名乗って好き放題やってくれる人々が増殖してくれることを、一方的に望む。

それから、『ハート・オブ・ゴールド』公開祈願Tシャツが、あと何枚か残りあり。
SとL。
そのどちらかのサイズがちょうど良くて、例えば、ステージで着ますよ、というミュージシャンの方々、あるいはその関係者・知人・友人の方々、boidまで連絡いただけたらと思います。
無名・有名問いません。

あと、京都みなみ会館で『レッツ・ロック・アゲイン!』が再映中。
前回見逃した方、再度見たいという方、7日までです。
爆音でないのが心苦しいが、耳をフルボリュームにして、見ていただけたらと思う。
みなみ会館は縦長なので、出来る限り前方の座席にて見て下さい。
音がかなり違うと思う。


9月5日(火)

耳鳴りが酷く、寝てられない。
というわけで本日も朝から起きてはいるもののボーッとしていて、予定のデ・パルマ『ブラック・ダリア』はキャンセルか、という状態ではあったのだが、『ブラック・ダリア』に関しては、ずっとキャンセル続きで、これを見逃したら本当に見なくなってしまうかもという畏れもあり、決行。

いやあ、見て良かった。
原作を読んだのは、もう10年くらい前で内容はすっかり忘れていたのだが、それに加えて、あの長さの本を2時間に短縮しているから人間関係の説明をはしょっている部分もあり、それぞれの背景がほとんど分からない。
だが 逆にそれ故、どんどんとわけの分からぬ場所へ迷い込んでしまう物語を、こちらも実感できる。
『虚栄のかがり火』にオーソン・ウェルズの『黒い罠』の血が注入された、という感じだろうか。
まさに「ビッグ・ノーホエア」な場所が、最後に露出する。
何度も出てくる階段のシーンがいい。
デ・パルマの階段は、常に大ロング、という印象が強いのだが、今回は家の玄関口や、屋内の階段なので極端なことはしていない。
だが、ある場所と場所を繋ぐ宙に浮いた空間、という意味も込めての宙吊りの場所=サスペンスとして、それが堂々と機能する。
「ビッグ・ノーホエア」への階段、あるいはそここそが「ビッグ・ノーホエア」・・・
そして最後の、ドキッとする、陰鬱な階段のシーンに向けて、それらがジワジワと積み重ねられていくのだ。
『宇宙戦争』の最後の階段のシーンと、この階段のシーンは、今年のアメリカ映画の記憶として、目に焼き付けておくべきだろう。
女性たちに囚われてしまう、という意味では、前作『ファム・ファタール』の続きでもある。
デ・パルマには、このまま、『ビッグ・ノーホエア』の映画化にも向けて、奮闘してもらいたいものだ。

ただ、主演俳優たちには、何となく違和感が残る。
キム・ベイシンガーが若かったら、とか、70年代ならエリオット・グールドが、とか、あれこれ思ってしまった。
色々不満はあるもののスカーレット・ヨハンソンは、あの、幸薄そうな感じが決め手になっているのかもしれないと、考え直した。

その後、ピクシーズのドキュメンタリーの打ち合わせをして、帰宅。
たまらずそのまま眠り、深夜に目覚めると、青山から、「明日、ヴェネチアに行くのだがパスポートの期限切れが判明して、イタリアに入国できるかどうか、行ってみないと分からない」というメール。
いやあ、新聞ネタとしては面白いが、どうしてそうなるまで、そして直前までそのままにしていたのか・・・
まあ、それくらい忙しくてもうやってられない、ということなのだろうけど。
「イタリアに行って『ターミナル』状態にならぬよう」というメールを送ると、「その間、日本で革命が起こるのか?」 と返信有り。
あくまでも自分のミスは知らぬふり。
「革命は無理だが、誤射ならあるかも」とメールするが、いったいどこを誤射してくれると世の中が変わるのか???

昨日の日記で、『デッドマンズ・チェスト』の奇妙な面白さを、ジェリー・ブラッカイマーの物量作戦が功を奏しているのでは、と書いたが、どうもそれは違っているような気がしてきた。
大量の物資を使っているということではなく、大量の物資を使っているように見せるB級の手法を、それなりの大予算でやっているというような、変な感じなのだ。
あるいは、デジタルテクノロジーの進化のおかげで、そういったB級映画の手法が、安っぽく見えなくなってきている故に、どこかバランスが崩れてしまっているのだろうか。
そういった部分での、予算、手法、技術の変化などについて、誰か解説してくれないか?

9月4日(月)

本来は、1時からホウ・シャオシェンの『百年恋歌』に行く予定だったのだが、何しろ日曜日から全然寝ておらず、そのまま行っても見ながら寝てしまうだろうということでキャンセル。
日曜日が登校日で代休だった子どもと、『パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト』に。
『百年恋歌』では眠ってしまって、こちらでは眠らないという保障はないのだが、こちらだと、まあ、眠ってしまってもあまりたいしたことはないだろうという判断。
及び、夏休み中に果たせなかった子どもとの約束のお詫び、ということにて。
とはいえやはり、さすがに途中で眠ってしまったのだが、1作目に比べて意外な迫力があった。
プロデューサー、ジェリー・ブラッカイマーの物量作戦が、それなりに功を奏しているという感じ。
雰囲気としては、B級の超大作という、微妙なテイストになっていた。
監督には他に適任者がいるはずだが・・・
ハンス・ジマーも、これでもかとたたみかける音楽。
だがあまりに劇場の音響設備が弱い。
音が小さいとか大きいとかいう問題ではなく、3重くらいに幕が掛けられた向こう側で鳴っている。
私の耳鳴りのためでそう聞こえるのではない・・・

個人的には、占い師を演じたナオミ・ハリスがちょっと気になった。
『マイアミ・バイス』も見に行かなくては。

映画が終わると、子どもが「おなか空いた」と。
上映前にモス・バーバーであれこれ買って、食いながら見ていたのに・・・
寝不足と、久々のファースト・フードですっかり胃もたれしている父は、半ば呆れながらデパ地下食品売り場に急いだのであった。

『キングス&クイーン』の地方公開が始まっている。
上映が決まっていない地方の方から、GAGAの方に、問い合わせが来ているとの知らせが来る。
今のところHP上に発表しているくらいしか決まっていないのだが、もし、どうしても地元で上映して欲しいと思っている方がおられるなら、是非、地元の劇場に問い合わせをしていただきたい。
GAGAに問い合わせても、何かが動くわけではない。
いくつかの劇場には、すでにあれこれの資料やらサンプルを送ってあり何度か連絡もしているのだが、劇場の都合もあってなかなか決まらない。
そんな時は、やはり、多くの観客からの反応が一番。
見たい人が上映環境を作っていく、という感じで考えていただきたい。
事実、『キングス&クイーン』も、劇場所在地の人口を考えると、通常なら上映できそうもない場所での上映が決まっているのは、上映したい、という方々の力のおかげなのだ。
逆に言うと、決まっていない大都市では、未だ、そういった動きが見られないということである。
boidが配給する以上、そういう人のいないところでは上映できない、ということを分かっていただきたい。
業界内の興行システムにのるつもりはまったくないので。
見たい、上映したい、という人が動くことでようやく『キングス&クイーン』は見られるようになる。
そういう不自由な映画である。
それぞれが動いてくれるなら、例えば個人であっても、いつでも貸し出します。

それから、boid.net は、下記URLに移ります(すでに、移行運営中)。
http://www.boid-s.com
現在は、どちらも同じものを掲載していますが、9月下旬からは、上記URLで全面リニューアル・オープンです。
なお、現在のURLは、10月でなくなってしまいます。
10月1日だったか末日だったか・・・
いずれにしても、要注意。
突然消えていても驚かないで下さい。

9月3日(日)

いろんなことが次第に片づいていって、ちょっとは楽になるかと思ったら、そうはいかないねえ。
あまりに辛いんで、何人かに、SOSを出したりしていたんだけど、結局のところまあ、やれることをやるしかない、という結論。
青山からも、来年は休養、というメールが来たのだが、同じメールに書いてあった来年の予定を見ると、いったいどこが「休養」なのか、まったく分からず。
ただまあ、boidは、出来る限り私以外の人に働いてもらう場所として機能していけないかと、いまだに都合のいいことを考えている。
今の倍くらいは稼ぎがないと、ダメだろうけど。

しかししつこい耳鳴りのおかげで、先週末からの予定がほとんどダメになってしまった。
そのまま社会復帰したくないという気分でもあるが、そういうわけにも行かず。

『AA』宣伝のために、短縮版というのを青山組のメイン・スタッフ大田が作ってくれた。
これはこれで十分に面白いが、なんだか、この映画のことが分かった気分になってしまうのが引っかかり、せっかくの苦心作をボツにすることにする。
時間があったら大田と、再チャレンジしてもいいのだが、果たして出来るだろうか・・・

8月21日(月)

本日は、シャマラン『レディ・イン・ザ・ウォーター』、黒沢清『叫』、オリヴァー・ストーン『ワールド・トレード・センター』という試写3本立て。
こんなの本当にいつ以来か・・
まあ、とにかく無理矢理見ないとどんどん見逃してしまうので、寝不足を承知で敢行。

3本も続けてみるとさすがにこちらも混乱してくるので、感想は簡単に。
『レディ』は、中原の言うとおり、これまでと違ってより現実世界との関わりをはっきりと意識しながら作られた映画。
というか、それだけをしている。
それをどう受け取るかは見る方の映画との関わり方次第だと思うが、その真剣さは涙ものだ。
カメラマンがクリストファー・ドイルというのもちょっとビックリした。
しかも、最初の内は、何とも微妙なアングルとサイズで人々を映し出すので、それに慣れるまでは時間がかかった。
微妙というのは、そのフレームの外側が絶対にあることを意識させるにもかかわらず、絶対に外側を映さない、画面の切り取り方のこと。
これは映画の物語自体にもはっきりと関わってくる。
物語も、プールのあるアパートメントの外側には絶対に出ない。
しかし次第に、そのフレームの中、アパートの中に、世界のすべてあることが分かってくる。
そこで何をするか、つまり、それぞれが自分のフィールドでそれまでは想像もしなかったようなことをする、その飛躍力に、この映画は賭けられている。
誰かが何をしてくれるわけではない。
ジャンプするのはあなたなのだと。
だがそれは、世界を変えるためのジャンプなのだと。
しかし、4回くらい流れるディランの使い方はいったい何だろう・・・

『叫』は、久々のフィルム撮影作品。
長編では『回路』以来か。
昨日のトークの内容とも重なっていて、人間と場所の記憶と時間を巡る物語。
要するに人間そのものの物語。
『映画術』の中に、「人間の本質は幽霊である」というフレーズが出てくるが、この映画でも一体誰が生きていて誰が死んでいるのか、そこで動いている者たちがいつの時代を生きている者なのか、よく分からない。
もはや誰もがたったひとりで生きるしかない場所へと、この映画は見る者を連れて行く。
そこから始めるしかない、ことを思い知らされる。

そんな映画を観てしまうと『ワールド・トレード・センター』は普通の小さな映画に見える。
あっという間にビルは崩れ落ち、主人公たちはほとんどのシーンで生き埋めのまま。
ほとんど光の届かない瓦礫の中、主人公たちの顔だけが延々と続く。
これはこれで相当な冒険でもある。
助け出す方も、ほとんど身動きとれないまま、苦しそうに近づいていく。
誰も自由な者はいない。
また、全編を通してそれぞれの名前と名前の話が連なる。
例えば、兵士たちを敢えて番号で呼んだ『最前線物語』のような、国家と戦争への視線と全く反対側からの視線と言ったらいいか。
しかしそれは、反対である故に実は同じものを見つめる視線でもあるような、個への最大の敬意を込めた視線であるように思えた。
したがって、ここには、国家や目的などは出てこない。
埋もれた人々、心の底から彼らの無事を祈る人々がいるだけである。
そして彼らを救うのは、「I need you」という、1対1の関係だけだというのが、この映画の「小ささ」であり、その「小ささ」に、希望の光があることを、この映画は示しているように思えた。

3本立て終了後、篠崎・中原とカレーレストラン、ナイルにてムルギー・ランチ。
土曜日の続きの馬鹿話。

帰宅すると、『ハート・オブ・ゴールド』に関するあれこれの知らせが。
今回は思わぬ展開になりそうな、話。
もう、上映できないかと思っていたのだが、案外何とかなるかもしれない。
いやあ、何はともあれ大騒ぎしてみるものだと、ちょっと心が軽くなる。
だがもちろん、これからが大変。
そう簡単にことが進むとも思えない。

昨日買ったCD、SHAWNNAの『BLOCK MUSIC』の9曲目、「Can't Break Me」は聞きもの。
このとろけるようだがビンビンに緊張しまくったギターは一体誰だ?
と思ったら、バディ・ガイ。
ブラック・ミュージック・ファンは必聴の一曲。
アルバム全体が凄いわけではないのだが。

shawnna2.jpg

SHAWNNA「BLOCK MUSIC」

8月20日(日)

本日は、北与野にある書店「ブックデポ書楽」にて、『黒沢清の映画術』『映像のカリスマ 増補改訂版』の宣伝・営業のための、黒沢さんとのトーク。
北与野といわれても一体どこにあるのか全然認識していなかったのだが、埼京線で大宮の一駅手前。
新潮社の編集担当風元さんと埼京線に飛び乗ったはずだったのだが、どうもその列車は宇都宮の方に行くらしく、車内の路線図を見ても、「北与野」の駅名がない。
どうやら、「湘南何とかライン」という列車だったらしく、微妙に路線が違うみたいなのだ。
大宮には停まるみたいだから、そこから引き返してもいいのだが、何だかそれも怪しいので、とにかく池袋で降りて、次に来た埼京線快速に乗る。
ただ、快速は北与野には止まらないので、その前の駅で降りることになるのだが、駅に降りると黒沢さんの姿が。
黒沢さんも我々と全く同じ列車に乗って、同じ間違いをして、ここにたどり着いたのであった。
3人とも、もう立派な大人のにまったくしょうもない。

まあでも、それはそれ、無事、書店にたどり着く。
話には聞いていたが本当に広い。
大宮ではなくその一駅手前という微妙な場所にこの広さの書店、しかも駅の真ん前。
東京の感覚では考えられないが、これはこれでしっかり成立しているのだろう。

トークの方は、「映画と幽霊」というお題もあって、ホラー映画、怪奇映画の話や、本当の幽霊の話。
黒沢さんの両親の戦後が、結果的に黒沢映画のベースとなっているという話をはじめ、あれこれ収穫有り。
最後の質問の時間の時に、高校生から、「高校で映画を作りたいのだが、その際、最も大切なことは何か?」 という質問に対する黒沢さんの答えは見事なものだった。
まさにそれこそ映画、という答え。
これを聞いただけでも、本日、北与野に集まっていただいた方々は来た甲斐があったというものだろう。
もったいないのでここには書かない。

黒沢さんのサイン会の時に、ひとりの男性に声をかけられる。
埼玉には、芸術総合高等学校というのがあって、そこの「映像芸術科」の先生であった。
今や、高校からこんな学科があるのかと、驚く。
一体どんな人たちが集まっているのかと、思わず尋ねたのは、だって、この学科を選ぶということは中学の時点ですでに映像に興味を持っている、ということであるからだ。
そんな人がそう何人もいるはずはない。
定員は40名とのこと。
で、どうやら映画だけでなく、CGやテレビ、という興味から応募してくるという話を聞いて、ちょっと安心する。
でも考えてみれば、質問をした高校生といい、こういう学科で学ぶ高校生といい、私の高校時代とは雲泥の差で、その頃を振り返ると赤面するばかり。

帰りに新宿で降りて、キャプテン・ビーフハートのリマスター盤を買いにHMVに寄ったのだが、置いてない!
中原から、「こんなのが出てる」と送られてきた写メは、そういえばタワーの棚だった。
HMVは駅ビル内だから、つい、こちらに寄ってしまうのであった。
仕方ないので、ダニエル・ジョンストン、DMX、ジュラシック5、SHAWNAの新作を。

8月19日(土)

昨日、『ハート・オブ・ゴールド』の悪い知らせのことを書いたが、別の映画のいい知らせもある。
この日記でも、あるいは雑誌に連載しているコラムでも取り上げた、オリヴァー・ストーンがカストロを撮ったドキュメンタリーが、ようやく公開されるとのこと(ユーロスペースにて)。
boidサイトのベルリン映画祭のレポートで海老根が書いてくれてから、一体何年経ったのか・・・
そのことを思うと、『ハート・オブ・ゴールド』も長期戦の構えさえしておけばいいとは思うのだが、こちらはうっかりしているとDVDが出てしまうからねえ・・・

本日は、やらねばならぬ仕事を何とか片づけて、夕方からアテネフランセにて、篠崎が映画美学校の学生たちと撮った30分の短篇『殺しのはらわた』の試写。
昼間の古沢健君のイヴェントの流れもあって、多くの人が。
何だか同窓会のような様相も呈する。
このあたりは篠崎の人柄と営業力。
boidの宣伝担当として篠崎を雇いたいくらいだと言ったら、黒沢さんから「いや、そう簡単に他人のためには動きませんよ」と一言。
いや、この発言は、黒沢さんではなかったかもしれないが、すでに私の中では、こんなことを言うのは黒沢さんしかあり得ない、ということで記憶が作られてしまっている。
違っていたらごめんなさい。

映画の方は、一部、ちょっと前に篠崎の事務所で見せてもらっていたのだが、そこにちゃんと音もついて、迫力を増す。
タイトル前の数分間のアクションとカメラの動き、そしてそれによる空間のとらえ方は、学生映画のそれではない。
その舞台となった家を見つけ、そこの特異な構造をさらに際だたせつつ、人間たちの動きを描く、そのやり方について、関わった学生たちは大いに勉強になったことだろう。
30分という時間制限もあって、物語をいかに語るかということではなく、その場で起こる出来事の一瞬の緊張感をどのように見せるかということに終始する作品で、それはもちろん、篠崎の確信犯的な選択でもあるはずなのだが、だからこそこの背景にある物語をもっと見たいと誰もが思うはずだ。
その意味で、ロングヴァージョンを見ないと満足できないという気持ちにもなるのだが、ただ、これはこれで、この後始まる長い長い物語の30分のプロローグ、という風にも考えることができる。
予告編でもパイロット版でもなく、序章であり、助走であるような。
篠崎には、「この続きとして、スティーヴン・キングの『ダーク・タワー』のような地獄巡りの物語を作ってくれ」と、リクエストする。
篠崎はロングヴァージョンを考えていたみたいだが、私としては、そうではなく、とにかくすぐにでも地獄に足を踏み入れて欲しいとリクエストしたい。
地上の物語は終わり。
だって、この映画の物語はそのようにできているではないか。

話を聞くと、最近の映倫やビデ倫は、暴力シーンについての制約が多く、血が飛び散るこのようなアクション映画は、一般向けには公開できないのだそうだ。
確かに最近の残虐な犯罪のことを考えると、映画や物語からは残虐なものを排除する、という見方が出てくるのは分かるような気がするのだが、それって単に、逃避ではないか。
世界の中心で愛を叫んでも、三丁目の夕日を眺めても、この現実は変わらない、ということを、『殺しのはらわた』シリーズの地獄巡りによって、篠崎ははっきりと描いていって欲しい。
とはいえその一方で、本当に世界の中心で愛を叫ぶような映画も撮って欲しいとも思う。

上映後のうちあげの席で、古沢健君からこの映画についての画期的なアイディアが出る。
それが発展して、古沢君の次回作の展望も生まれる。
大いに盛り上がったところで、松田広子による大暴言により、その企画話にはオチがつくことになったのだが、この冗談みたいなアイディアは、マジで考えた方がいいと思う。
それがどんなネタなのか、というのは、実現した時のお楽しみ、ということで。

中原からは、M・ナイト・シャマランの新作『レディ・イン・ザ・ウォーター』がいかに素晴らしいかという話。
現在、この世界で起こっているさまざまな出来事に対して、ハリウッドで仕事をする映画監督としていかに向き合うか、という誠実さと本気さに満ちた映画とのこと。
何はともあれ見に行かなくては、ということで月曜日の試写に行くことにする。

8月18日(金)

もはや日本は熱帯ではないかと思えるような暑さと湿気。
しかし、街はまだ夏休み気分で、場違いな場所に来てしまったという気分が足取りを重くする。
気がつくと、めちゃくちゃ忙しいではないか。
メモ帳に、その日の内にやらねばならないことを書いておくようにしたのだが、どんどん埋まる。
やり残しも出る。
当然寝る時間がなくなるし、この暑さでは眠れない。
原稿のためにTSUTAYAにDVDを借りに行こうと思ったのだが、何と会員証の期限が切れて4ヶ月も経っている。
たぶん、もう半年くらい、何も借りていない・・・、ということを今になって気づいた。

昨日は、ナオミ・ワッツがプロデュースして主演もしている、『ナオミ・ワッツ・プレイズ・エリー・パーカー』 というのを見る。
DVで撮られた、限りなく自主製作映画に近い、めちゃくちゃ真面目な映画だった。
アメリカの俳優たちは、たぶん、ハリウッドの撮影システムに本当にうんざりしているのだろう。
このような形で、とにかく自分自身と自分のやっていることについて、正面から向き合う必要に迫られていることが、よく分かる。
監督も俳優出身ということで、その気持ちを理解しての、この映画となったはずだ。
杉田君の映画の堂々とした映画への向き合い方に比べると何だか妙に子どもっぽくも見えるが、それを比べても仕方ない。
ブロンディの「ハート・オブ・グラス」をカーステレオで流して一緒に歌いながらのシーンで、映像だけでなく音の方も一緒にカットアップしながら一気に見せていくセンスは、ちょっといいなあと思った。
あと、マリファナを吸ってとろっとなるところの時間感覚。
早めるにしても引き延ばすにしても、日常の時間の扱い方が気に入った。

ニール・ヤング『ハート・オブ・ゴールド』絡みで、各所から悪い知らせが入る。
今ここでは書けないが、まったく別のやり方をしないと公開まではたどり着けそうにない。
こんな時に「日本の映画が好況」というような記事を読んだり話を聞いたりすると、「カモン・テポドン」と叫びたくなるが、まあ、短気を起こしても仕方なし。
発想を変えて、別方面にアプローチを始めることにする。
アメリカにも、お願いのメールを送る。

そして本日は、『キングス&クイーン』の最終日。
あまりの忙しさに劇場に行くこともできず、電話とメールで様子を聞いたりしていたのだが、最終回は満員で、しかも補助席まで出るという状態。
いや、本当に良かった。
皆さんありがとう。
これから、場所を地方に移して、ツアーが始まる。
広島は来週いっぱい。
その後、金沢、名古屋と続く。
9月23日からは、東京でも同じく渋谷のシネマアンジェリカで、ムーヴオーヴァーが決定した。
見逃した方、もう一度と思っている方、しばしお待ちを。

8月16日(水)

夏休み&家庭の事情で実家に戻っていた。
この年齢になると、さまざまなことが起こる。
ことの成り行きによっては、boidを誰か他人に任せるか、ということも考えられるのだが、まあ、それは成り行き次第。
今から気にしても仕方ない。

フランスから連絡が来て、boidのCD-ROM『恐怖の映画史』のフランス版が、年末には刊行されるとのこと。
いよいよ世界進出! と、ちょっとだけいい気になる。
というかまあ、単に、フランスでの黒沢人気のおかげなのだが。
版元には、『映像のカリスマ 増補改訂版』も売り込んでおいた。

黒沢さんや篠崎の映画の助監督を務めていた杉田協士君の『河の恋人』(このタイトルだよね?)という映画を観た。
転校する女子高生の1日を追った80分弱の物語。
という、まるで岩井俊二映画のような題材を、ダルデンヌ兄弟のように撮る。
言い方を変えれば、短編小説のような題材を、現実の出来事のように撮る、ということになるだろうか。
いや、それが出来事であるためにこそ、短編小説のような題材を使ったと言った方がいいか。
何度か繰り返されるアパートの階段を使った出ていく者と入ってきた者との交錯や、主人公の歩行や停止などの精密なとらえ方、そして音楽の流れ出すタイミングや、逆回転を使った音と物語の連帯に、何度もハッとさせられる。
しかも不在の父親を巡っての母子の物語であるにもかかわらず、父は単に出ていったと語られるばかりで、一体どうして出ていったのか、母と父とはどんな関係だったのか、まるで分からない。
いや、父は元々いなかったのだとか、出ていったのではなく死んだのだとか、さまざまなことが考えられる。
主人公の周りも女子高生ばかり。
ボーイフレンドがいるのかいたのか欲しいのか欲しくないのか、そういったこともまるで語られない。
とにかく彼女が世界の中でたったひとりになるまでを、この映画は見つめていくのだ。
その誠実さと力業。
手元に資料がないので間違っているかもしれないのだが、カメラは、黒沢さんの『ココロ、オドル。』と同じ人だったと思う。
篠崎も何かの短篇で使っていたように記憶している。
冨永組の月永といい、こうやって素晴らしいカメラマンが育ってくるのを見るのは本当に頼もしい。

しかしこの映画がPFFの1次審査で落とされたとは!
上記のようなちょっと奇妙にも見える父やボーイフレンドの不在の語られ方(語れなさ)が、まったく現代的ではないと思われたのだろうか。
あまりに正統的すぎたのだろうか。

いずれにしても、この主人公をこうやってたったひとりにしてしまった以上、杉田君にはこの次を撮る責任があるように思う。
世界の中でたったひとりで生きる彼女の姿を、堂々と映し出して欲しい。
オリヴィエ・アサイヤスが『Clean』でやったように。
そして『Clean』とは違う方法で。

8月8日(火)

先週末は、アテネでの黒沢8ミリ特集を尻目に、家族旅行。
子どもにつき合って足腰をガクガク言わせている間に、アテネは本当に凄いことになっていたとの報告が各地から。
10年以上前にアテネで同じように黒沢さんの8ミリ特集をやった時は、ガラガラというわけではなかったが、超満員でもなく、まあまあの動員、だったような記憶がある。
上映はタイミングとそれを見極める企画力なんだなあと、常にフライングばかりしている私は、しきりに反省。
まあ、誰かが先走らなければ、道は開けないと思うしかない。

昨日は、日仏にて、『キングス&クイーン』をさらに広げるため、というか、そのベースになるフランス映画の広がりを多くの人に知ってもらうための企画の打ち合わせ。
というか、現在のフランス映画についてわたしがほとんど知らないので、まずは私を面白がらせるラインナップを組むことで、それがさらに外側に広がるといい、というかなり虫のいい企画でもある。
ただ、ほとんどの人が私程度にしか、現在のフランス映画のことを知らないくらい、フランス映画が日本で公開されなくなっている、という事実だけでも世に訴える価値はあると思う。

などと考えているところに、青山から「ダニエルが亡くなった」というメール。
咄嗟にジョンストンかと思ったのだが、シュミットだった。
振り返ると『ベレジーナ』が遺作。
どうやら、「Portovero」という新作の製作に取りかかっていたようなのだが・・・
あんなワイルドかつエレガントな映画を撮れる人は、もう二度と現れないのではないか。
言葉もない。

というわけで、本日は、グズグズするばかり。
ただそうはいっても、予定は立てられていて、ジュンク堂池袋店に行き、『映像のカリスマ 増補改訂版』の営業。
あれこれの企画について、話す。

その後はスパイク・リーの新作『セレブの種』。
タイトル付けは本当に難しいと思うのだが、そして確かに「セレブの種」の物語でもあるのだが、個人的にはこのタイトルだとまったく見に行く気がしない。
原題「She hate me」を、うまく日本語に直せないものか・・・
この後ろ向きに前に進む感じを。

近年のスパイク・リーの映画のテーマは一貫していて、ひと言でいうと「気がつくと果てしなく遠くにやってきてしまったが、何もかも振り切れたわけではない」ということになるだろうか。
どんなに遠くに来ても、何かが必ずついてくる、とも言えるが。
その、絶望と希望とが一体になった歩みが、ずっと気になっている。
16ミリでの撮影。
最初の方の白人社会での画面は、全然良くないなあと思ってみていたのだが、主人公のプライベート・シーンに移ってからは、ああ、これがやりたかったのかと、納得。
70年代ソウルのレコード・ジャケットの色合い。
常にその色合いがベースにある中で、物語は新たな展開の中へと突き進む。
そのヴィジョンは明確なのだが、俳優の演出というか、俳優たちにどんな目で観客を見つめさせるか、というようなことについては、スパイク・リーの場合いつも俳優次第なので、今回は、どうもピリッとしない感じもした。
悪役のウディ・ハレルソン(久々!)が、逮捕される時カメラをにらみつける目だけは、はっきりと印象に残った。

家に帰ると、ロカルノ映画祭帰りの知り合いからメールが。
名物の野外上映で、今年は「ハート・オブ・ゴールド」が上映されたのだそうだ!
本当に気持ちよかったみたい。
人生を損したような気がする。

8月3日(木)

ようやく少し時間ができて、この2,3日はいろんな人に会って、今後の打ち合わせやら無駄話やら。
なんだかんだ言って結局今後の打ち合わせがメインになってしまうあたりが悲しい、というか、夏は休もうと思っていたのに実は休めないのではないかという不安もちらほら。

一昨日は、『悪魔とダニエル・ジョンストン』のパンフ編集を手伝ってもらったmap の小田君と、あれこれ。
希望の持てる心強い話となるが、こんなことで希望を持っている我々とはいったい何か、という話にもなる。
うーん、いずれにしても、話の規模が小さすぎ(笑)。
でも、それでいいのだ。

その後、いよいよboid.net 全面リニューアルに向けての打ち合わせ。
9月半ばくらいには、まったく新しくなったboid.net となるはず。
これまではほとんど私ひとりの手でこのページを作ってきたのだが、ようやくHPが私の手を離れる。
技術的にも時間面でも、もう手に負えない。
手を離れた分、更新その他、もうちょっとスムーズに事が運ぶことになるだろう。

昨日は、『AA』宣伝打ち合わせ。
メキシコ帰りの佐向大と。
メキシコでは『ダスト・トゥ・グローリー』で映されていたあたりをウロウロしていたとのこと。
羨ましい。
間章も彼の仕事も、関係者たちの名前もまるで知らない佐向の、「トリップ・ムーヴィーみたいだった」という感想を元に、今後の展開を考える。
何しろ、インタビューされている人々の名前や肩書きが、彼らの映像にはまるで重ねられず、最後のクレジットのところだけにあるだけだから、どの人が誰なのか、分からない人にはまるで分からない。
この映画のそういった意図をいかに伝えるか・・・

帰りがけにHMVにてマウス・オン・マーズの新作を買う。
音フェチな側面と、何かを語ろうとする意思とが、ガツンとぶつかる場所を見つけたのではないか。
しかし、もう完全に、デジタルでアナログ・シンセの音の分厚さを再現できるようになったのだなあと、今更だが、奇妙な感慨にふける。
しかしこの音の多様な変化を聴くには、ヘッドホンがもう耐えられなくなっているのに気づく。

本日は、渋さ知らズ!、高円寺百景の小森慶子さんと新宿にてグダグダと無駄話。
今の日本の映画状況がいかに酷いか、ということをあれこれ説明。
それに比べると音楽は、個人でもあれこれできるので、その分、数が増えて何が何だか分からなくはなっているものの、それでも、やるべき人がやるべきことをやれる状況はあるように思える。
メインストリームからはずれて、しかも、何万という人を相手にしなくても、めちゃくちゃな宣伝をしなくても、自分の力を頼りに何とかやっていける土壌がある。
もちろん、そうではない部分が映画のいいところでもあるのだが。

その後、アテネでの黒沢清8ミリを観るために上京してきたシネマ・エンカウンター・スペース田中君と、『キングス&クイーン』の関西公開のための打ち合わせ。
大阪、京都の映画館事情など、あれこれを聞く。
その際中に、京都での上映を行ってくれるRCSの佐藤さんから電話があり、9月に、『レッツ・ロック・アゲイン!』を京都で再上映したいとの知らせ。
実は、9月には、シネマテークたかさきでも上映がある。
「アゲイン!」は何度でもある。
共に、詳細は追ってお知らせする。

帰宅後、小森さんからもらった高円寺百景のDVD『ライヴ・アット・ドアーズ』を観る。
明日は、家族旅行に出かけるので、ちょっとだけ観てあとは帰ってきてからのお楽しみと思っていたのだが、結局全部観てしまう。
しかし、これを観ると、1度はライヴに行かざるを得ない。
予想はしていたが、音の分厚さが、やはり並ではない。
ただ、それと同時に、音数の少ない静かな曲にも、このバンドの今後の未来が託せるのではないかと思えた。
それから、今後、CDではなくDVDでの新作発売、というのは、絶対に有りだと思う。
画面があって、動きがあると、それを観るために嫌でも音に意識が集中するのだ。
音だけだと、余程意識的に向かわない限り、聞きながら違うことをしてしまう。
映っているのがどんなものでもいい。
高円寺百景のDVDも、カメラワークや編集は、いわゆるプロのものとはまったく違う。
でも、これでいいのだ。
ライヴでなくても、やり方はいくらでもあると思う。

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