
2002年 boid日記 6月
Text by 樋口泰人
6月30日(日)
1ヶ月間のワールドカップが終わった。
とりわけサッカーを好んでいるわけでもない私にとっても、なんだか異様な1ヶ月であったから、サッカー好きにはたまらない1ヶ月であっただろう。
ただ私としては、本日の決勝戦でブラジル・リードとなった時点で、ドイツのウディ・ハレルソンことヤンカーの登場をひそかに期待したのだが、どうやら昨日腹痛を起こし本日は出場できないとのこと。
やはりあの表情の中に潜んだネガティヴな血が……。
仕方ないので、アメリカ70年代の伝説的なサーフ・チームのドキュメンタリー『DOGTOWN & Z-BOYS』を。
この間のごたごたで試写に行き損ね、ビデオを送ってもらったのだ。
これがまた、要するにかつてのバッドボーイズの思い出話を、当時の映像と爆音ロックに乗せてガンガン語りまくる、という代物なのだが、なかなかよい。
見ているうちに、そこに映っている人々はすべて実在しない人のように見えてくるのだ。
つまり、全員が役者で、かつての映像、写真などもこの作品のために作られたものではないかと。
もしかすると1枚や2枚、本物の写真があったのかもしれない、その写真に写る、そこに映っていないものの気配を、この作品の製作者たちがひとつのドキュメンタリーとして作り上げたのではないか。
若き日のジョージ・ルーカスが『アメリカングラフィティ』を作ったのとちょうど同じころ、同じカリフォルニアの空の下で、まったく別の青春を送っていた凶暴な若者たちがいたのだという、そんなどこか心くすぐる物語を、製作者たちはあっけなく夢想したのではないか。
もちろんそんなことはまったくなく、それは、かつてあったものを写した映像と、現在の彼らと、そして、かつてあったものを真似て新しく作られた映像とで構成されているに過ぎないのだが。
だが、ビデオエフェクトを駆使したそれらの編集は、もうほぼ完全に対象との距離感を欠いていて、そこに映っているいかれた70年代は今もまだ目の前に広がっているのだという境界侵犯が、あっけなく遂行されてしまう。
それは、60年代にはカリフォルニアの子に―・アイランドとまで言われたヴェニス・ビーチの施設が、あるときあっという間に廃墟になってしまったという、彼らの誰だったかの証言と同様、見事にあっけなく世界は壊れ、映画と現実との境界も壊れたのだ。
その見事な崩壊の中で、この映画は作られている。
昨日見たイーサン・ホーク初監督作品『チェルシーホテル』が、その崩壊を多少の郷愁をこめてロマンティックな物語にしているのに対し、こちらのほうは、どうせ壊れてるんだからこんなもので十分というニヒリズムぎりぎりの普通さで、しかし笑ってしまうほどの執拗さで、それらのフィルムやビデオや写真や音楽を構成している。
やはりアメリカにはサッカーは似合わない。
6月27日(木)
ここまでくるとちょっと本当に病気ではないかと我ながら心配になるのだが、またもや訂正。
昨日の日記の『チョコレート』。
モス・デフの役柄は死刑囚ではなく、看守の隣人であった。
死刑囚をやっていたのは、パフ・ダディことショーン・コムズ。
毎度のことながら本当にあきれるばかりである。
本日は終日ガレルcd-romの仕上げ作業。
本当は、フランソワ・オゾンの『まぼろし』の試写に行くはずだったのだが、パス。
一日中こもっているものだから、低調さに拍車がかかる。
まあそれもよし。
6月26日(水)
梅雨のためか、体調は相変わらず低調。
サッカーも、さすがに1ヶ月も興奮状態が続くとなんだかいよいよどうでもよくなる。
選手たちも大変だろう。
昨日は、ドイツ-韓国戦をサボって『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』へ。
『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』の続編、という触れ込みだし、ヴァンパイアの女王役で出演しているアリーヤはセスナ事故で死んでしまったし、きっとそれなりに混むだろうと踏んでの、サッカー裏の時間帯を選んだのである。
それが見事にあたったというべきか、元々それほどの話題作ではなかったということか、会場の渋谷東急は4分の1か5分の1程度の入り。
しかし、100年の眠りの退屈から目覚めたヴァンパイアが退屈しのぎにロックバンドのヴォーカリストになるという設定は、なんとも大胆ではある。
それも、目覚めた場所はニューオーリンズで、大ブレイクしたバンドがライヴをやるのはデスバレー、そして、ヴァンパイアの血脈を守り続ける一家が住むのはモハヴェ砂漠。
これは、アメリカのロックの聖地で撮影したいという製作者たちの欲望の結果なのか?
アン・ライスの原作ではどうなっているのだろう。
彼らの演奏は、予想通りのゴシックなヘヴィー・ロック。
このパターンは永遠に変わらないかもしれないと、ヴァンパイアの永遠の退屈に思いを馳せる。
それはそれでよし。
一族の記録の管理人として登場するレナ・オリンは、もう数年すると、フェイ・ダナウェイのようになるだろう。
本日は夕方から『チョコレート』。
クレール・ドゥニの『ショコラ』でもラッセ・ハルストレムの『ショコラ』でもない。
原題は「Monster's ball」。
『グリーンマイル』と同じく、アメリカ南部の死刑囚担当の看守が主人公である。
死刑囚役が、俳優に徹するモス・デフで、その妻が、アカデミー主演女優賞をとったハル・ベリー。
夫を亡くした彼女と看守の物語がこの映画の中心となるのだが、この映画の中では、モス・デフだけでなく、次々に人が死ぬ。
同じく看守をやっている主演の看守の息子、そして、ハル・ベリーの息子。
看守の父親は死にはしないが、すでに死人同然の状態で、いや、すでにヴァンパイア状態といったほうがいいかもしれない。
さすがに『悪魔のいけにえ』の爺さんほどではないにしろ、南部の血の歴史がそのままそこにあるといった風情で息子や孫を、その歴史に縛り付けている。
つまり看守はそのまま囚人でもある、というのがこの映画のポイントだろう。
見る者は見られる者であり、その看守には、死刑になる前に、絵を描くと落ち着くという理由で看守たちの肖像を描きつづけた死刑囚モス・デフの視線が、その死後も付きまとう。
看守がその死刑囚の妻と恋に落ち、初めて彼女の家で一夜を過ごすとき、突然カメラが隠しカメラのようになり、そこにいない複数の誰かが、見られるべきでなかった彼らの姿を見ているといった、奇妙なシーンが続く。
それは、看守に張り付いた、処刑された死刑囚である彼女の夫の視線ともいえるし、看守がそれまで見てきた死刑囚たちすべての視線だともいえるし、南部の血の歴史そのものの視線だともいえる。
そのときさらに、彼女のあげる声が、スクリーンに向かって左側のチャンネルだけ、エコーがかけられる。
そのエコーを、そこにはいない誰かが聞いている音といってしまうこともできるのだが、ではいったいなぜ左側だけなのか。
そしてまた、そのときの細かいカットの中に、なぜか、籠の中の小鳥とそれを取り出そうとしているのか、あるいは鳥を籠の中に返しているのか、とにかく鳥をやわらかく包む人間の手のショットが何度か挿入される。
さまざまなことを想像可能だが、その後この映画は、そんな奇妙な一夜のエピソードなどなかったかのように進む。
ただ、看守の息子が死んだのは、看守との諍いが原因で、死刑囚と妻の息子が死んだのは、とりあえず交通事故ということになっているのだが、その現場にいたのは妻だけで、結局それが本当に事故だったのか定かではなく、生活に困った母が愛してはいるが足手まといの息子を衝動で殺したのだと想定することもでき。
この映画は、その母の罪の可能性を認めている。
つまりその夜、二つの罪が交わった……。
映画の中では、「monster's ball」とは、死刑執行の時のことを指すような言及があったと思うが、実は、二人がはじめて交わったこの夜もまた、「monster's ball」であったと言えないだろうか。
二人の罪の背後にある南部の怪物的な歴史の大舞踏会が、そこで行われたのだと。
ただしかしなぜ左チャンネルだけ……。
家に帰るとトルコ-ブラジル戦が始まっている。
ともに相当な疲労の中にあるのだろう、まだ前半だというのに、ダラダラとしていてなかなかよい。
しかしチャンスとなったとき突然テンションを上げるブラジルは、やはり低調な時の戦い方を知っている。
まあ、圧倒的な個人の技術に支えられたものではあるのだろうが。
朝日新聞のコラムで岡田武史氏が、ブラジルにもドイツにも中盤がない、というようなことを書いている。
結局今回のワールドカップは、最前線で戦う王のいるチームと最後方から支える王のいるチームの戦いとなったわけだ。
ちなみに我が家の娘は、オリバー・カーンの大ファンである。
8歳にしてこの趣味はいったいどういうことかと心配は尽きない。
6月15日(土)
またもや訂正を。
いやはや何ということだ。
6月5日付の日記に登場したAさんより電話。
Aさんが憤慨したのは、「6×2」の上映が中止になったからではないことを、つまりサッカーよりゴダールが素晴らしいと、Aさんが思っているわけではないということをはっきりさせておいてくれとのこと。
確かに。
超シネフィルでありつつ、しかし、映画をすべてのものの最上位におくわけではない、Aさんの映画との関係は、だからこそ常に刺激的だ。
そのことははっきりさせておかねばならない。
今度DVDで発売されるマイケル・チミノの「シシリアン」のディレクターズ・カット・ヴァージョンを見たのだが、20分ほど追加されたこのヴァージョンは、かなりいい。
オリジナル・ヴァージョンの物語を語り急ぐ性急な感じは消え、チミノらしい雄大さがはっきりと示される。
たった20分でこれだけゆったりと語れるものかと、にわかには信じがたいのだが、その20分がたっぷりと物語の時間を引き延ばしてくれるのだ。
ただそれでもなお、語り足りていない部分も何となく見受けられ、多分それらのシーンも撮影したはずに違いなく、おそらくそれらを付け加えて「完全版」を作ると4時間くらいになるのかなあとも思え、ニヤニヤしてしまう。
6月11日(火)
ワールドカップで気もそぞろになっているためか、まあ、いつも通りといえばいつも通りのことなのだが、またもや迂闊なことを日記に書いて、本日もまた前回日記の訂正から。
アンチ・フィーゴ・コムだが、これは、ポルトガル語ではなくカタルニア語で書かれたもの。
つまり、アンチ・フィーゴであり、アンチ・レアル・マドリードのページということになるだろうか。
スペインの持つ複雑な歴史とともにあるページであった。
ポルトガルのひねくれたファンの冗談ページだと、すっかり勘違いしてしまい、おかしな書き方をしてしまった。
荻野の指摘に感謝。
しかし韓国-アメリカ戦を観ることができなかったのは残念だった。
そんなに観たいならスカパー!に入れよ、という指摘はこの際聞き流すとして、共同開催国の試合を中継しないNHKにはどのような事情があったのだろう。
どう考えても腑に落ちないのだが。
誰かそのあたりの事情を教えてくれないだろうか。
それと、アメリカ・チームについての技術的な分析も。
どこかのスポーツ・ジムのコーチのようにしか見えないあの監督の姿を含め、どこかサッカーとはかけ離れたところにいることによってヨーロッパのチームの驚異となるのではないかと、そんな風に感じてしまう私の思いは、単に思いこみに過ぎないのかもしれず、まあ、勝手にそう思っている分にはそれなりに楽しくていいのだけど、さすがに実際のところはどうなのかと、それなりに気にかかりもして。
とにかくまあここは、是非ともポーランドに勝って決勝トーナメントに進出して欲しいと願うばかり。
とはいえ飽き性の私は、すでに何となくサッカーにも飽きてきて、久々にサンスポ・サイトのヤクルト・ページを覗いてみると、あきれたことに、藤井はベルギー戦を見に行って風邪を引き、ようやく戦列復帰、との記事。
そういえばこのところ全然投げていないのは、またもや腰痛かと、心配はしていたのだった。
だがまあ、風邪引いたくらいでは「しょうがないなあ」で終わりなのだが、どうやら藤井はチュニジア戦のチケットも持っているらしい。
記者の質問には「行くかどうかはご想像にお任せします」と応えているようだが、伊東ピッチング・コーチは「そういう人だから」と、あきらめ顔だったとか。
プロ野球は呑気でいいなあと、夕飯を食しながらでものんびり観ることができるスワローズ-ジャイアンツ戦を堪能したのだった。
実はそんなことをしている暇はなかったのだが、ワールドカップが始まって以来、どうも浮ついていていけない。
ちなみに、すでに帰国してしまったカメルーン・チームの監督はどこかルー・カステルのようにも見え、痩せたリチャード・ギアのようなドイツ・チームの監督と試合後の挨拶を交わすとき、いかにも紳士的に振る舞うギアの横で、とりあえずその場の体裁は繕いつつもどうにも居心地悪そうなそぶりを見せるその姿に、グッと来た。
6月5日(水)
アメリカがポルトガルに勝った。
確か、2年前のオリンピックの時だったか、アメリカの「キャメロンの時代」のサッカーはヨーロッパの驚異になると、私はこの日記で予言したのだが、いきなりその日が訪れてしまった。
だが、日本のミーハー放送局の見識のなさにより、この試合の地上波放送はなし。
何ということだ。
でもまあ、現実の試合自体はそれほどたいしたことはなかったかもしれず、誰かにビデオを借りるしかない。
次の試合はどうかと調べると、10日の韓国戦だが、やはりこれも地上波中継なし。
先日のイタリア-エクアドル戦の、まるで4チャンネルのジャイアンツ戦中継のようなイタリアびいきのNHK中継に(何しろ試合を映さず、アップしているデルピエロの姿を延々と映すのだ)、今後一切NHKの受信料は払わないと誓ったばかりだが、またもや怒り心頭。
さらに、アメリカの3戦目、ポーランド戦も、中継は未定(韓国-ポルトガル戦のどちらか)という状態である。
何ということだ。
だがまあとにかく、本日の試合を観ないことには……。
ああそうそう、フィーゴは本国ではスーパースターということだけではなく、それなりにオモチャにもされているようで、「アンチ・フィーゴ・コム」というサイトまである。
ポルトガル語なのでまったく分からないが、その金銭感覚を相当皮肉られ、おもしろがられているようで、トップページはフィーゴの顔が描かれたドル札で、それをクリックするとアタッシュケースが置かれたページが現れ、更にそのアタッシュケースをクリックすると、フィーゴ・ドル札が飛び出してきてメニューになる、という仕掛け。
昼、新宿TUTAYAにて、Aさんに会う。
本名を書いてもいいのだが、後述するような問題発言もあり、とりあえず仮名にて。
超シネフィルのAさんは、ワールドカップ開幕日に、日仏学院にて上映予定のゴダール=ミエヴィルの「6×2」を見に行ったのだという。
行ってみると、上映予定の半分がキャンセルされていた。
というのもその上映予定時間はフランス-セネガル戦と重なり、ホールにてフランス人たちが試合を観ることになったため、というのがキャンセルの理由らしい。
憤慨するAさん。
「負けよって、ざまあみろだよな」
とまあ、Aさんを知る人にはあまりにほほえましいエピソードであった。
夕方から、青山が来て、今週末のタワーレコード・イヴェント用のビデオ製作のための準備。
「リア王」「ヌーヴェルヴァーグ」の音の良さにあきれる。
しかし、土曜日までに間に合うか?
その後、ドイツ-アイルランド後半。
妻は当然のようにアイルランドの応援。
ロスタイムの同点で、我が家には歓喜の雄叫びが。
まあ、ここでドイツに負けたら、オランダに申し開きが立たないだろうし。
でもこうやってアイルランドはヨーロッパ予選を戦ってきたのだ。
6月1日(土)
何はともあれ、昨日(5月1日付)の日記の訂正を。
もう、久々に聴いたテレヴィジョン・パーソナリティーズに動揺したためか、無茶苦茶なことを書いていた。
私が買った彼らの新作『Fashion Conscious』は、90年代に発売したシングルを集めたもので、今年になってドイツの LITTLE TEDDY RECORDINGS というレーベルからリリースされたもの。
私の場合、90年代のTVP'sはほぼ空白なので、まったく気がつかなかったのだ。
詳しくは、ファンがやっているアンオフィシャルのTVP'sサイトがあるので、こちらを参照して、私のいい加減な記憶を笑って欲しい。
「パートタイム・パンク」も、ラフトレードの第1弾シングルではなかった。
RT33というレコード番号がついている。
では、ラフトレードの1番というのは何だったか……。
それから、再発がないというのも嘘。
現在出回っているかどうかは別にして、いくつかのレーベルからCDで再発されている。
これも上記サイトを参照。
で、問題は、中心人物であったダニエル・トレイシーが、98年の夏に疾走し、未だ行方不明ということである。
行方不明になったのは、マスターテープではなく、本人の方だったのだ。
なんと、そんなことも知らずにここまで来てしまった私は一体……。
とりあえずいろんな不義理や怠惰を、子育てや貧乏や体調の悪さなどなどさまざまな理由を付けてはみるものの、何とも言葉がない。
特に、上記サイトの献身以外何ものでもない緻密なデータを目の当たりにすると……。
しかしまあ気を取り直し、これまでの不義理のお詫びに『Fashion Conscious』の宣伝を。
この日記で書いたところで一体何人がCDショップに走るのか、どちらにしてもたいした数ではないかもしれないが。