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  • 『中原昌也 作業日誌』受賞

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2001年 boid日記 9月

Text by 樋口泰人

9月24日(月)

3連休は、たまっていた原稿その他でつぶれてしまった。
久々に映画の原稿を書くのと、すっかり体力がなくなっているので、思うようにはかどらない。
出かけていく妻子に申し訳ないと思いつつ、ようやく布団にはいるという始末。
そんな鬱な日々に追い打ちをかける3連敗。
スワローズはまだまだ子供である。
昨日、危うくライトゴロにされそうになった元木が、ライトの稲葉に向かって思い切り怒ったのだが、あのとき一発殴り返してやればよかったのだ稲葉。
今日あたり、元木にはデッドボールの一つもと思っていたら、それもせぬまま更に一発食らってしまった。
ああ。
とまあ、ブツブツ怒りながら、原稿のためにゴダール「映画史」見ていたら、「奇蹟の人」だの「Mアゲイン」だのとタイトルの付いた浮かれたジャイアンツ・ファンからのメールが立て続けにやってくる。
いっそのことジャイアンツも、ゴダールに奇跡の逆転優勝ドキュメンタリーを頼んだらどんなものか。
「唯一の野球」というかというタイトルは、まあ、あんまり面白くないなあ。
などと更にブツブツ、メールを見ると、一人は青山、一人はブラッド・ダーリフ情報の主である。
いやはやまったく。
ところで、大寺から、ダーリフ情報の間違いを指摘される。
ゲームは、「MIST」ではなく「MYST」。
最初のヴァージョンはうちにもあるはずなのに、すっかり間違えてしまった。
訂正。
ダーリフはゲーム本編にも悪役として登場しているらしい。
あと、テロ関係のリンク集を作ったとのこと。
http://dravida.udn.ne.jp/nmv.html
さまざまなものを特に区別せず、ランダムに載せている。
今の私には、ジャイアンツの連勝と、合衆国の報復攻撃とがほとんど同じに見えてしまっているのだが、まあ少し頭を冷やして、リンク集にアクセスしてみることにする。

9月21日(金)

ロクス・ソルスにサンプルビデオ40本を届け、イオセリアーニ『すてきな歌と舟はゆく』。
このタイトルとあまりにかわいらしい試写状故、私には全く関係ない映画だと思いこんで危うく見損なうところだった。
ルプシャンスキー撮影のためか、どうしてもヌーヴェル・ヴァーグの画面に見えてしまうのだが、しかし、そこは果たしてフランスであるのかどうか、固有名を持った場所であるのかどうか、見れば見るほど分からなくなる。
インタビューでもイオセリアーニは、「私がパリで探し求めたものは、多分、まったくパリじゃない」と語っているのだが、「息苦しい地上にお別れだ!」というこの映画の原題から想定される場所が、そこには映されているのだろう。
試写の後、中原昌也君と無駄話。
中原君は、何とかという特殊な8ミリフィルムで映像作品を作ろうとしていたらしいのだが、テロの影響でアメリカの貨物便のスケジュールがたたなくなり、基本的にアメリカでしか現像ができないそのフィルムを使っての撮影は諦めざるを得なくなったのだとか。
代わりにVHSビデオでの撮影を考えているのだが、今時VHSカメラなど持っている人間もいず、中古屋にも売っておらず、あちこちに声をかけているのだがどこにも見つからないとのこと。
8ミリビデオじゃだめなのかと尋ねると、家庭用のVHSカメラの滲みは、8ミリビデオでは出せないと言う。
そういえば、先日下北沢のインド系の店に入ったとき、そこで流れていた音楽のシンセサイザーの音が、どう聞いても70年代末から80年代初期にかけてのシンセサイザーのペナペナな音で、思わずニコニコしてしまったのだが、まあ、それと同じようなものか。
これはJASRACの件と同様、システムだけが先行する現代社会へのささやかな抵抗と言ってもいいのだが、どちらかといえば存在論的な意味での否応なしの行為と言った方がいいだろう。
とはいえ、急いで見つけなければ完成どころか撮影さえできないとのこと。
誰か、未だに使える家庭用VHSカメラの所在を知る人は、boidまで至急連絡を。
boid@pobox.ne.jp
あと、「恐怖の映画史 パート1」の中に出てきたビデオショップ名の間違いを指摘される。
黒沢さんが「生血を吸う女」を買った新宿のビデオショップは「シネモンド」ではなく「モンド」。
シネモンドは元ユーロスペースの土肥悦子さんがやっている金沢の映画館であった。
とほほ。

あとこれは、友人からのブラッド・ダーリフ情報。
「MIST III」というゲームの予告編に、ブラッド・ダーリフが出演しているとのこと。
「MIST」のホームページで確かめたら、本当にそうであった。
ゲームの中にも出てくるのだろうか。

9月20日(木)

朝から、サンプル送付用のビデオのダビング、ジャケット写真の製作、JASRACへの支払い、ダビング・パッケージ会社へJASRACシールの追加分と修正したマスターテープ渡しで、試写はまたもやカット。
それでも気がつくと夕方で、なおかつ、引き受けていたミラノの映画見本市用のパンフレットの製作締め切りが、とんでもなくタイトなスケジュールであることが判明し、もはや手も足も出ない。
こうなると、何をしても無駄なので、とりあえずその時がくるまで何もしないことにする。
この2,3週間、ビデオの製作にかまけていたのだが、私の仕事はビデオ製作ではないのだった。
しかし本日は一時的父子家庭。
子供のピアノへの送り出しは、篠崎・松田に頼んだのだが、すっかり日の暮れるのが早くなって6時には暗くなってしまっている今では、さすがに迎えに行かないわけにはいかない。
それに学校からの報告では、変質者が学童にいたずらをしたという被害も出ているのだという。
先日の発砲事件といい、新聞には載らないが社会のひずみはもはや隠しようもなくはっきりと現実の中に現れている。
小泉首相は自衛艦の派遣を表明。
この首相を選んだのは私たちである。
大寺からメール。
「オープンソース運動を行っている[flora community web]で、今回のテロ事件とその報復としての戦争に反対する[no more violence]という署名運動をやっています。
簡単なリンクページを作りましたので、もしよかったら、どこかで触れてくれる
なりしてもらえるとうれしいです。」
というメッセージ。
リンク先は以下の通り。
http://home.att.ne.jp/gold/dravidian/nmv.htm
しかし篠崎は帰らない。
深夜1時過ぎあたりから、すっかり編集ソフトにはまってしまった。
嫌な予感はしていたのだが。
私の忙しさを見越してか、どうせ朝まで起きていると読まれてしまったか、とにかく夢中になってパソコンに向かっている。
先日までのマウス使いが嘘のように、まるでプロのパソコン使いのような風情さえ漂わせつつ、あれやこれや切ったりはったり。
悪いおもちゃを持たせてしまった……。
しかしドキュメンタリーなのに主観ショットを不意に入れて笑いをとろうとするこの男は、一体何を考えているのやら。
完成ヴァージョンにはこの主観ショットは残っているのだろうか。
結局篠崎の帰宅は午前4時。
明日の予定を考えると、さすがに私も目眩がするが、自衛艦なんかに負けてはいられない。
明日はイオセリアーニを見るのだ。

9月19日(水)

リハビリとは言っても、世間は他人のリハビリを認めてくれるほどのんびりはしていない。
この間、やり損ねていた事務作業や、ビデオやCD-ROMの営業その他で、目を回しているうちに1日が終わる。
今週からは試写にも行けますと、配給会社の人たちにはとりあえず挨拶しておいたものの、本日はすでに起きたときから試写は諦めている。
午後にはすでに息切れ。
その上ビデオにトラブルが発生。
もう一度テープ出しして、明日、パッケージ会社の人間に渡すことになる。
明日の午後5時がリミット。
その前に、行かなければ原稿が書けなくなる試写と、再度JASRACに行って追加の申請をしなければならない。
子供のピアノの送り出しは、編集作業中の篠崎・松田チームに任せることにする。
スタジオboidは格安料金だが、子供の世話付きなのだ。
こうなってくると、いかに他人を頼れるかが勝負である。
まあ、ほとんど人頼みでこれまで生きてきたとも言えるのだが。
とはいえ手首がかゆい。
持病の金属アレルギーが腕時計に反応してしまったのだ。
手首のところが腕時計の形に、丸くポチポチができている。
この腕時計は、今年の誕生日のプレゼントで妻からもらったもの。
ベンツの廃材を利用して、元イエロ(というスイスのバンドがあったのだ)の何とかという人の会社が作ったものである。
地球の環境保護目的のための商品で、ベルトのところは座席部分の皮が使用され、本体の金属は、タイヤのホイール部分だったかが使われている。
だとするとこれはもしかして、私の金属アレルギーというより、ベンツの廃材に何らかの毒素が入っていたのではないかと、漠然とした疑いが持ち上がる。
私の腕はタイヤではないのだ。
まあでも、眼鏡のフレームでもかゆくなるんだから、やはり私のせいか。

夕方、青山ブックセンター新宿店で、ビデオの精算。
カトラー・ビデオはなかなか売れてくれない。
そんなもの作る方が悪いと、一体何人から言われたことか。
でも、カトラーの本(『ファイル・アンダー・ポピュラー』)は、少なくとも2000冊以上は売れているはずなのだから、ビデオだってその何割かは売れてもいいじゃないかと、boidの営業力のなさを呪う。
『恐怖の映画史』『EUREKA Special』の売れ行きは、まずまず順調とのこと。
池袋のジュンク堂書店での苦戦を聞かされていたので、ちょっとホッとする。
まあ、5年くらいのタームで見ていけば、何とかなるだろうか。
しかし私ほど気の早い人間は、そうはいないと思うのだが。
それがどれほどのものか、篠崎・松田と青山だけが知っている。
危うく『Phew Video』が台無しになるところだったのだ。
いい加減なつもりではないのだが……。

夜は黒沢さんに、ジュンク堂でのブックフェアの件で電話。
その強力なセレクションに、本人もとまどっている様子。
黒沢さんが普通に読んでいるものをこうやって並べると、どう見たってどこかかましているようにしか見えないのだ。
そのあたりのズレも含めて、見事なセレクションであるのだが、誰もが読んでいそうで実はほとんどの人が読んでいないかもしれない本という意味では、確かに変化球に見えてしまうのかもしれない。
でも、セレクションされたタイトルを見れば、これこそ王道、というか、ごく普通に読まれるべき本であるはずものであることが分かる。
しかし篠崎ビデオ編集突入のため、『恐怖の映画史 パート2』の2回目のインタビュー・スケジュールが白紙のまま。
11月発売は、ほぼ諦めざるを得ない状況になってしまった。
そのことを報告しつつ、「あんまり編集に夢中にならず、ちょっとは別のことをしようよ」と、茶々を入れに来てくれるよう黒沢さんにお願いする。
ジュンク堂でのブックフェアの黒沢・青山両名のセレクションは、今月末に発表する。
10月から、池袋ジュンク堂書店4階にて、フェアは開催される。

9月18日(火)

本日、ようやく社会復帰。
この間、『Phew Video』完成のために、朝から朝まで働いていた。
その上先週からは、篠崎・松田チームのビデオ編集も始まり、『Phew Video』の最後の微調整は深夜作業とならざるを得ず、そのドタバタとハードディスクの容量不足その他でギリギリまでトラブル続き。
一時は完成を諦める目前にまで行ったのだが、世の中何とかなるものである。
しかしそんな個人的な事情とは全く関係なく、この間世の中は大変なことになっていた。
ここでは書けない秘密の大事件から始まり、歌舞伎町の火事に台風にアメリカのテロ事件。
我が家から50メートルほど先のマンションでも深夜の発砲事件というのもあった。
しかし、ブッシュ大統領の「善と悪の戦い」というメッセージといい、小泉首相の「できることは何でもする」発言といい、どこの国の政治家も人々の心を煽ることしか思いつかないのだろうか。
ティエリー・ジュスの言っていた「テレビの空間」の政治の時代の極みである。
私としては、テレビモニタに映され続けるジェット機の突入やビルの崩壊シーンの反復よりも、深夜の住宅街に響いた全くリアリティのない爆竹のような10発の銃撃の微妙な発射音のズレに、個人的な恐怖を感じたりしたのだが。
しかし、テレビの中の廃墟のニューヨークはまるで『回路』の1シーンのようであった。
これで『回路』のアメリカ公開も、黒沢さんのアメリカでの『回路』リメイクも、目前で夢と消えたかとぼんやりテレビを見ていたのだが、考えてみれば黒沢さんはトロント映画祭で、確か12日帰国予定であった。
黒沢さんから帰国の報告があったのは、16日だったか。
トロントで3日間足止めを食って、3日目は空港で深夜まで粘っていたら突然日本便が飛ぶとの知らせがあり、あわてて飛び乗ったのだという。
さすがにその日は深夜まで粘っている人も少なく、機内はかなり空いていたと。
飛行機嫌いの私は、あんな事件があったあと、それでも飛行機に乗って帰ってくる人たちの気が知れない(とはいえ、そうせざるを得ないのだが)。

本日は午前中から、いずれはboid第2(規模としてはこちらが第1か)編集室となる青山の住居兼作業場探しにつき合う。
社会復帰のリハビリである。
boid発売のビデオの主作業場となるとはいえ、今の段階ではやはり他人事。
予算のことも考えず、勝手なことを言って帰ってくる。
しかし、某物件の風情と見晴らしは、なかなかなものであった。
ただ私は、静電気から雷まで、電気ものに弱いので、この部屋でひどい夕立には遭いたくないと、少しだけ本気で思った。

その後、映画美学校試写室で、ジャ・ジャンクーの『プラットホーム』を見る予定だったのだが、気がつくと山手線の渋谷方面行きに乗っている。
もちろん渋谷からでも行けるのだが、某物件のある場所からは確かもっと簡単に行けるはずである。
さすがに1ヶ月くらい試写室に行っていないリハビリ状態では、いきなり2時間30分の映画を見るのはきついと、体が勝手に判断したのだということにして、渋谷シネカノン試写室にて『血の記憶』というイタリア映画。
65年オーストリア生まれの監督の2番目の35ミリ長編である。
プレスシートの中で建築家の鈴木了二氏が「映画が躍動している。しかも、最初から最後まで息もつかせずに、だ。 とはいえ、べつに映画の雰囲気がガサガサと騒がしいのでもなければ、カメラワークやカット割りがせわしいのでもなく、あるいはストーリーが忙しく展開するのでもない。むしろ反対だ。信じることのできる落ち着きと余裕が、まずは映画全体の調子を決めている。」と書いている。
しかし私は、これと全く反対のことを感じた。
つまり「映画の雰囲気がガサガサと騒がしく、カメラワークやカット割りがせわしなく、ストーリーも忙しく展開する。何も信じられないいらだちと焦りが、映画全体の調子を決めている」と。
1本の映画でこれほど違う感触を、見る者が持つにもかかわらず、たった数分の映像が繰り返されるテレビの映像ではほとんどの人が同じ感情を抱いてしまうという、この違いはいったい何なのだろうか。
決してつまらない映画ではないが、これをアメリカ映画の70年代においてしまえば、飛び抜けた作品とも思えないだろう、というのが私のこの映画に対する結論ではあるが、ただ、この数日のテレビの映像を見るにつけ、やはりこの映画は映画としての役割を十分に果たしていると言えるように思えた。
だがそれだけでは、やはり何かが足りないのだ。