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2001年 boid日記 8月

Text by 樋口泰人

8月31日(金)

朝寝たはずなのに朝目が覚める。
低気圧のせいか。
とりあえずやることは山ほどあるので、ビデオジャケットの文字関係のデータをデザイナーに送り、印刷所とのやりとり。
今回は2カ所で見積もりをとった。
ともに格安でやってくれるところなのだが、ジャケット2000枚で、片方は3万数千円、もう片方は6万円強。
格安印刷所といってもこれだけの差がある。
この差は何かというと、印刷までのやりとりを、すべて省いて一気にデータ入稿し、しかも色校正もなくそのまま出来上がり、というのが前者である。
極論すれば、システムだけを貸しますよ、という値段である。
いったん印刷所に入ってしまえば、それっきりで、何とも味気ないのだが、何度かこの印刷所を利用したところ、印刷所の人間は昔気質の人がいるらしく、時々文字の細さや色についての確認の電話がかかってきて、その時はようやく印刷所と仕事をしている気になる。
彼らが世代代わりして、印刷所にプロの人間がいなくなると、この印刷所は本当にシステム賃貸業になってしまうかもしれない。
一方後者の印刷所は、対応の人間もベテランで、こちらの話を聞くところから始めてくれる。
色校もある。
チラシなら前者でもいいが、ジャケットを作るなら後者にするべきでは? という妻の意見もあり、今回は後者の印刷所に決める。
貧乏だからといって安さばかりに目を奪われていると、やがてシステムの奴隷になる。

一方JASRACは相変わらず、そのシステムだけを強調する。
昨日の件で、どうして海外のものには特例が認められて日本のものには認められないのかと質問したついでに、そのようなそれぞれの権利が何を持って決められたのか、例えばどうして日本の楽曲はの基本使用料や複製使用料は一律でなければならないのか、そういって説明が書かれている文書はないのかと尋ねると、「ない」という返答。
でもいくら何でも「権利」というあやふやなものを扱っているんだから文書の一つや二つあるでしょうと食い下がってみた。
するととにかく、この件に関しては後から連絡すると言っていったん電話を切ったのだが、後にかかってきた電話によると、やはりないとのこと。
どうしてそれくらいのものがないのかと尋ねたら、要するに、そういったことに関してはほとんどの人が尋ねたりしないし、JASRACは権利を管理しているだけで、その管理のシステムを分かりやすく会員や利用者に伝えるだけだとの答え。
つまり、システムは作ったからそのシステムに乗る人は会員になってくださいね、ということだけなのである。
確かに「権利」という商品を売り買いする業者としては、正当な主張であった。
後は、我々が<どのように>それに乗るか、あるいは乗らないかということであるだろう。

午後は渋谷ブックファーストに「恐怖の映画史」と「ユリイカ・スペシャル」の納品。
ここは、阪急デパート系列の会社であるため、個人商店からの納品は直接できない。
いったん個人商店向けの流通業者を通す、つまり、流通業者が代理納品してくれるのだ。
当然精算金額の流れも、大回りになる。
気が遠くなりながら渋谷を抜け、知り合いのいる代官山駅前の文鳥堂書店へ。
ここでは、boidのビデオを売ってもらっている。
でもさすがに映画関係のCD-ROMまでは手が回らないので、CD-ROMはパス。
注文しておいたエリクソンの『真夜中に海がやってきた』をようやく入手する。
90年代後半に出た2冊がまだ翻訳されないうちに最新作が出てしまったのはなぜか、どうやら9月には翻訳の越川芳明氏に会う機会があるようなので、その時に尋ねてみよう。

夜は、キャメロンのテレビシリーズ「ダーク・エンジェル」の第1回分。
アルノー・デプレシャンにインタビューしたとき、アメリカのテレビ・シリーズが、中身が濃くてとても面白い、と言っていた。
その時彼の名前を出したのは、「ER」や「NYPDブルー」といったおなじみの番組だったが、さすがに「ダーク・エンジェル」の名前は挙げられなかった。
そのはずで、これは、中身が薄くて大雑把である。
しかしそれがキャメロン。
『チャーリーズ・エンジェル』の詰め込みぶりに対して、この長閑さは、それなりによい。
音楽は誰がやっているのか?
バイクに乗ったり、アクションシーンになると、必ず、ダウナー・ビートになる。
この物語の薄さと大雑把さは、確信犯であるだろう。
まだまだ先は長い。
第2話も借りてみることにしよう。
本当はそんなことしている時間はないのだが。

8月30日(木)

昨夜、ビデオ編集の最中に、87年のPhewバンド・ライヴの中からエルヴィスの「ブルー・ハワイ」をカヴァーしている部分を収録することを決意する。
あのころのPhewバンドの印象は、私の中ではある種の強烈さで残っていたのだが、その印象をこのビデオの中でどのように出すべきか、あるいは出せるのか、ということについてはここまで迷いっぱなしであった。
だがようやく、「これだ」という感じになったのだ。
既成の価値をどのように捕らえるかというそのとらえ方において、70年代のパンクは、例えば50年代のフリー・ジャズや映画で言えばヌーヴェル・ヴァーグとは微妙に違ったとらえ方をしていたと思う。
その微妙な違いは、先日の青山選曲による青山・樋口・大友鼎談の時に出たような、アイラーの「ゴースト」と「ニュー・ゴースト」の違いに近い。
あれほど確信犯的でない分だけさらに痛々しくもあり、かすかなものであったとは思うが。
そのかすかさの中で活動してきた「Phew」というミュージシャンの80年代後半を示すのに、エルヴィスのカヴァーは最適なものであった。
どうしてそれにもっと早く気がつかなかったのかと、反省しきり。

ただこれをビデオに収録するとなると、全く別の話が浮上してくる。
著作権の問題である。
早速JASRACのホームページで調べると、使用に際して、通常のJASRACの使用料ではなく、出版元との交渉が必要で、金額も異なるということが書いてある。
JASRACに問い合わせて日本における代理出版社に電話を入れると、通常の日本の楽曲では1分800円の基本使用料(その他に複製使用料というのが定価と製作本数によって決まってくる)が、この曲に関してはとにかく1曲で75,000円、という返事が返ってくる。
海外の楽曲に関しては、だいたいこれくらいが相場みたいなのだ。
あまりの値段に呆然としていると、電話の向こうで出版社の人間に笑われてしまう。
大量販売のビデオではどうということもない値段なのかもしれないが、2800円という超格安値段で、何とか1000本くらい売れないかともくろむ製作者にとっては、これは手も足も出ない。
しかし、翻って考えてみると、では日本の楽曲の1分800円という基本使用料は一体どこから出てきたのだろうか。
これが高いのか安いのかはよく分からないが、こうやって例外が堂々と存在しているのに、まるで例外は認めないかのような、というか、この例外も規定もすべて決められたことですとでも言いたげな、おそらくそうでもしなくては処理ができないのだろうが、JASRACの事務的な扱いに対しては、使用者も、権利所有者も、もっとわがままを言った方がいいのではないか。
他人の作った音を聞いたり使ったりすることは決してネガティヴな行為ではないわけだし、それまでは聞き手だった人間がある日突然演奏者になっているという境界侵犯こそ、少なくともポピュラー音楽の分野ではパンクの功績であり、それ以降の音楽の流れを作り出してもいるわけだから。

まあとはいえ、現実問題として、一度問い合わせてしまった以上、75,000円を支払わなければ、曲は使えない。
どうなったかは、ビデオでのお楽しみ。

8月28日(火)

このところのハードな生活の付けがきて、すっかり体調を崩す。
4時近くに寝たものの7時には目が覚め、朝食後から胃腸が痛み出し、何もできない。
こんな日は何もしないに限る。
とも言っていられない現実が、さまざまな形で降りかかってくる。
とりあえず、本日、アテネフランセで上映された『EUREKA』での、「ユリイカ・スペシャル」出張販売は、アテネの泉に任せることにする。

ついに創刊なった「nobody」1号が送られてくる。
現物を見るまで私はすっかり勘違いしていたのだが、これって学内の同人誌ではなく、「売り物」として作られたものだったのか。
よく分からないのだけど、nobody の態度としては、どちらにするつもりなのだろう。
雑誌全体への大雑把な印象で言うと、「佐藤公美インタビュー」が、今号のヒットである。
彼女へのあのようなインタビューができるのは、多分彼らだけだろう。
あのインタビューは、彼らが大学生であること抜きには考えられないものだ。
また、この雑誌がある程度の号数を重ねていったときにこのインタビューを行ったとしても、あのようなインタビューになったかどうか。
それを承知で、彼らはあのインタビューを行ったのか、それともどこからか天の声が「インタビューやるなら佐藤公美ちゃん」と囁いたのか。
どちらにしても、本日一日中、アルノー・デプレシャンへのインタビュー・テープと苦闘していたものとしては、うらやましい限り。
だが一方で、boidはもっともっと歪にやろうと決意(するまでもないが)。

彦江からメール。
「ユリイカ・スペシャル」の目次のところで、彦江の名前が間違っていた。
お詫びして訂正する。
「智宏」→「智弘」です。
しかしなぜか、彦江の名前だけ、この間何度か変換ミスしてしまう。
「智宏」なんて、絶対に使わない文字なのだが、なぜこの字が出てしまったのか。
校正ができて、事務ができて、営業と宣伝ができる商売上手な人はどこかにいないだろうか。

8月27日(月)

boidの通信販売のシステムをもうちょっと何とかしなければと、ここ数日インターネットバンクのシステムをあれこれ調べている。
カードでの支払いは、それなりの売り上げがないと手数料がかなりの額になって無理なので、ネットバンクならと思い立ったのである。
ソニー銀行、イーバンク銀行などは、個人のネット取引決済に焦点を当てたものなので、案外使えるのではないかと思ったのだ。
調べてみると、boidがソニー銀行やイーバンク銀行に口座を持ち、boid通販の利用者もどちらかに口座を作れば、振り込み手数料は無料。
しかも、口座維持費も無料である。
これは明らかに、双方にとってカードより都合がいい。
だが問題は、両銀行とも専用の窓口があるわけではないので、預金の出し入れは他の銀行のキャッシュディスペンサーなどを使わなければならない。
両銀行の振り込み手数料が無料でも、結局そこへの現金の出し入れの時点で、手数料がかかってしまうのだ。
なーんだ都市銀行が儲けるだけじゃないか、という本当につまらない結論。
ただ、利用者が頻繁にネット決済を使う場合、一度にある程度の額を両銀行にプールすることにしておけば、手数料も一度で済む。
ネット決済のハードユーザーのためには、boidも両銀行に口座を作ろうという気になる。

ただ、他の都市銀行のネットサーヴィスも含めて気になるのは、これらのサーヴィスを利用できるのは個人に限られているということだ。
boidのような個人商店の場合、個人商店名では口座を持つことができない。
法人は別のサーヴィスがあって、そのサーヴィスを利用するにはそれなりの資本力がいる。
つまり、ここでも世界は、個人か、資本力を持った企業かに2分させられるのである。
システムはすっかりできあがっている。

8月26日(日)

実家に遊びに行っていた子供が帰ってくる。
3日ばかりいなかっただけなのだが、やはり何だか調子が狂う。
子供も妙に甘えた感じになっている。
おかしなものだ。
夜、本日から始まった高円寺名物阿波踊りを見に、妻と子供は出かけていったのだが、なぜかすぐに帰ってくる。
どうやら本日は前夜祭で、JRの高円寺駅周辺でしかやらないということである。
本番は明日と明後日。
なのだが、子供はすでにベソベソしている。
明日と明後日が本番なのだし、今日見られなかったからといってどうってことないじゃないか、という大人の論理は通じない。
何をいっても無駄である。
無駄ではあるが、いいたくなるのが大人の論理である。
もちろんそれでどうなるわけではない。
しかし本日は、ほとんど寝ていないこともあってこちらもゲロゲロなので、こちらも子供みたいにブリブリ怒る。
こんなときもある。

8月25日(土)

妻と下北沢へ。
下北沢へ行くのはもうどれくらいぶりか。
久々に降り立った下北沢は、すっかりおしゃれな町になっていた。
まあ、元々その気配はあったのだが。
だが、我々が住んでいた10年前は、こんなこぎれいなカフェや雑貨屋ばかりではなかったぞ。
とくに、北口方面。
あまりのことに頭がクラクラする。
買い物のため南口方面に戻ると、さすがにこちらはかつての下北沢。
こんなことでほっとしてどうするという気もするが。
このところ、店頭販売のためのCD-ROMの製作(物理的な)や梱包、配送などで、すっかり気が滅入っていたためか。
輸入盤店へのビデオの納品と違い、本屋さん関係への納品は買い取りではなく委託扱いなので、いくら納品しても売れなければ現金にはならない。
単に返品されるだけである。
納品作業をしているうちに、これらのCDが、配送費分も売れなかったらどうしようという、そんなネガティヴな思いがどんどん膨らんでくるのだ。
まあしかし、相変わらず「新雪園」の料理はうまい。
これだけいろんな店があるのに、結局ここにきてしまうのは、ちょっと情けない気もするが。
夜は、「ハーパース・バザー」11月号に載せる『ピストルオペラ』ルポを書いているうちに朝になり、昼になる。
レイアウト先行の原稿は、最後の仕上げがやっかいなのだ。
本日も10行分間違えて短くしてしまい、苦労して削った挙げ句、再び増やすという何とも情けないことになる。
トホホ。

8月23日(木)

本日から子供が、私の妹一家とともに実家へ。
子供がいない夕方から夜はまるで別世界である。
だいぶ楽にはなってきたと思っていたのだが、いないとなると、本当に仕事がはかどる。
子供のために費やした時間の大きさを、あらためて実感。
失った時間も大きかったが、それなりに得たものもあるので差し引きゼロというところか。
子供が生まれなければ、レーベルを始めるというようなこともなかっただろうし。
まあ、やっかいごとをさらに背負ってしまったとも言えるが。
「しっかりした家族関係がしっかりした国を作るのだ」とテレビで大江健三郎がしゃべっている。
いや、これは大江氏の見解ではなく、「新しい歴史を作る会」の「公民」の教科書の見解なのだそうだ。
当然、大江氏は、そんな考えがすべての家族に重荷を乗せ、さらに人間関係は崩れていくだろうと、意見を述べる。
私の母の自律神経失調症も、そんな重荷によって引き起こされている。
例外を嫌う田舎の人間関係を拒否すればするほど、自分もまたその関係の中にすっかり飲み込まれていて、気がつくと自らのコントロールを失っている。
今更田舎を離れるには、歳をとりすぎてしまった。
コントロールを失ったまま、月日を重ねていくしかないのだろうか。

JASRACのホームページを見ると、JASRACの管理曲を知ることができる。
データベースになっているのだ。
今回のビデオに収録するいくつかの曲を調べたのだが、すべて登録されている。
しかし作詞作曲者のところで、指名は載っているものの、「無信託」という表示がある。
これは何なのかと問い合わせたところ、要するに作詞作曲者はJASRACの非会員であるということだ。
この場合どうなるかというと、曲を登録した出版元に、すべての著作権料がJASRACから支払われることになる。
それ以上の責任は、JASRACは負わない。
JASRAC非会員の音楽家は、出版元との関係を常にアクティヴにさせておく必要がある。
うっかりしていると企業間だけを資金が巡り、個人の手元には何も還元されない羽目になる。

8月21日(火)

昨日は本屋巡りをして、『恐怖の映画史』と『EUREKA Special』の営業。
午後からは、池袋ジュンク堂。
ついでに西武の中のリブロも見ていこうと中にはいると、1年ほどこない間に、何だか売り場が狭くなっている。
実用書ばかりが並んでいるのはいったいどういうことだ。
変だと思いつつ、かつては芸術書などが並んでいたブロックに行くと、店内が曲がりくねり、小説がずらっと並んでいる。
しかし映画のコーナーはない。
と、さらに通路には、「書籍館」という案内が。
そのビルへと向かうと、なんとそこが丸ごと書籍売り場になっている。
リブロは売り場縮小したのではなくて、拡張していたのだ。
しかしその本の数に圧倒されて、映画のコーナーには行かず、そのまま外へ。
目の前がジュンク堂である。
道路を挟んで二つの巨大書店が並び立つこの風景は、さすがにどこか寒々しい。
活字業界の行き場のなさが、この風景の中に浮かび上がっているようにも思えた。
とはいえ、1年ぶりに会った副店長の田口さんから、あまりに儲からないことばかりやっているので本気であきれられた私は、活字業界のことを憂えている余裕はまるでないのだった。
しかしその甲斐あって、9月末くらいから、この2枚のCD-ROMのちょっとした特集をやってくれることになる。
池袋ジュンク堂の4階、登りエスカレーターを上がったあたり。
boidのいくつかのアイテムとともに、青山・黒沢両名が選んだ書籍が並ぶ。
10月上旬には、それらの選ばれた書籍について、青山・黒沢対談のイヴェントも行うことになる。
詳細は、決まり次第報告する。

本日は、JASRACとやりとり。
結局著作権料は前払いのシステムということがはっきりする。
売れても売れなくても、作る本数分の料金を前払いしなければ、JASRACのシールがもらえない。
しかもサンプルもその本数に数えられる。
払いたくないわけではないのだが、製作者のところに売り上げが入ってくるのは発売後2,3ヶ月後である。
ギリギリの資金で製作した上に、このシステムによってさらに追い打ちをかけられるのだ。
一方JASRACから、著作権者に著作権料金が支払われるのは、発売後3ヶ月から6ヶ月後である。
つまり、最短でも4ヶ月ほどは、JASRACにプールされていることになる。
JASRACの説明によれば、その間は、その著作権料に間違いがないかどうかを調べる期間ということになっている。
つまり前払い料金とは保証金のようなものであり、その間に訂正があれば、料金が追加されたり払い戻されたりするというシステムになっている。
本日判明したのはこんなところ。
いくつか疑問点が残っているのだが、それまた後日。

8月19日(日)

しばらく日記を休んでしまった。
夏休みをしていたわけではない。
『EUREKA Special』の仕上げと発売、公開boid.net、などなどが重なり、さすがに日記を書く余裕がなかったのだ。
まあ、何とかそれらも無事終了。
といっても、『EUREKA Special』は、これから売らなければならない。
作るのも大変だが、売るのは本当に大変である。
毎度のことだが、自分の営業力と宣伝力のなさを、徹底的に思い知らされる。
いろいろ企画はあるんだけどなあ。
企業の資本力から見たら、ほんの端金程度の資金でなんとかなるのだが、どこか奇特な会社はないのだろうか。
などと、こんなところでいっていても仕方がない。
本日は再びビデオ編集。
タイトル部分をはじめ、いくつかのシークエンスを決めていく。
ライヴ・シーンでは、さすがにカメラ2台だと、うまく繋いでいくのが難しい。
もうちょっとどうにか撮れなかったものかと、自分のカメラワークを呪う。
青山は22日からエジンバラ。
とりあえず、大雑把な青山の指示を元に、帰国までに私が粗編集をしておくことで、ギリギリ発売にはこぎつけられそうな感じ。
だが今週は、最後の難関、JASRACとのやりとりをしなければならない。
著作権料を払わないつもりは全くないのだが、JASRACに支払った料金が本当に著作権者の元に行くのかどうか、その間の金の流れが不明瞭なため、不信感だけが先立つ。
やりとりの様子は、この日記にて報告する。

8月9日(木)

昨日と今日、連続して2時間ほどのインタビューをやった。
基本的にインタビューは苦手で、苦手だなあと思う分だけ余計に緊張もして、すっかり疲れ果てるというのがいつものパターンなのだが、もちろん今回も緊張と疲れは同じようにやってきたのだが、ともに何というかいつものインタビューとは違う不思議な時間を持つことができた。
昨日はアルノー・デプレシャン。
カイエ・ジャポンの他のメンバーは、彼には何度か会ってそれなりにうち解けているはずなのだが、私は初対面である。
しかも今回は別の雑誌のインタビューなので(ミスター・ハイファッションとユリイカ)、アルノーさんは私がカイエの関係者であることは知らない。
にもかかわらず、最初から、妙に親密な雰囲気が漂っていたのだ。
もちろんそれは、周りの人間から私が彼についてのさまざまな情報を得ているということにもよるだろう。
だがそれ以上に、アルノーさん自身の持つ何かが、そのような雰囲気を作り上げているのだ。
フランク、というのでもない、どちらかといえば単にそこにいるだけ、といった希薄ささえ漂わせつつ、しかし確実に言葉がそこから発せられる。
人と話をすることが好きだと本人も言っていたが、単に自らを主張するためにべらべらとしゃべるのではなく、人と人と関係の中にどのように言葉を置くかというようなことを考えながら話す、むちゃくちゃ理性的かつ人間的な人であった。
本日はboidから9月30日に発売の「Phew Video」のために、Phewさんへのインタビュー。
ビデオ収録なので、通常のインタビュー以上に大変である。
ぼんやりしていると目の前で「五反田」の文字がすーっと動いていく。
さっきは恵比寿だったはずだが、知らぬ間に目黒を通り過ぎ、五反田も通り過ぎようとしている。
五反田で地下鉄に乗り換えねばならなかったのだが……。
仕方なく、大崎で逆方向の山手線に乗り換え、15分遅れで現場着。
Phewさんにインタビューするのは、これまた初めてである。
いつもは世間話や、子育てについての話がメインなので、いざ改まってインタビューとなると、いつもとは違った緊張感が走る。
ただインタビューの内容が、70年代末からこれまでの、「パンク」の洗礼を受けてしまった者の世界とのつきあい方、音楽とのつきあい方、というようなことだったので、同世代の私としては、自分のやってきたとこと重なり合いつつ微妙にズレもするその話の内容に、奇妙な浮遊感を味わっていた。
しかしこうやっていろんな人の話を聞いていると、本当にみんな、早熟というか、中学、高校の頃からやることをやっていたし聞くものを聞き、見るものを見ていたことを思い知らされ、恥ずかしい限り。
しかしまあ、それはそれなので、今できるとこ、やるべきことをやるしかない。
このままではboid.netは単に日記サイトになってしまうのでは、といういくつかの指摘も受けていて、確かそれもそうだと、CD-ROMでの展開もはじめたのだが、さらにネット上で、劇場公開されている映画、特集上映されている映画などについての、短評のコーナーを作ることを決める。
boid日記はboidと私の活動報告にして、映画についてのことはそちらに移すことにする。
来週末くらいから、始められるだろうか。

8月7日(火)

どんな文脈での発言だったかはまるで覚えていないので、本人の意図とはかけ離れたことになってしまうおそれも十分にあるのだが、確かインタビューの中で、ファスビンダーが「子育てが終わると老人問題についてとやかく言い始める凡庸な人々」について語っていたように思う。
そうやって一人前の人間として社会問題を語った気になっているその本人こそが、そのような問題を生み出す社会の一員として機能してしまっているではないか、というような批判だったのではないかと、うろ覚えの上にさらに勝手な解釈をしている。
その真偽はともかく、ファスビンダーのように生きられない私は、当然やはり子育てやら、老人問題が降りかかり、それらのやっかいごとに直面してはこうやってぶつぶつ身勝手な怒りをはき出すことになる。
2週間ほど前、母親と祖母が相次いで入院した。
母親は微熱が収まらず、2週間ほど病院に通い続けていたのだが、多量に与えられた抗生剤で胃をやられて薬を飲むことが難しくなり、それなら日に何回かの点滴を、ということで入院したのだ。
病院の判断では、気管にウィルスが入ったための微熱で、抗生剤を投与するしか方法がないということだった。
もちろんそんな怪しい判断を私が信用するはずもなく、母親に、「そんなところにかようのはじかんと体力の無駄だからとにかく違う病院に行け」と言ったのだが、「そんなことをしたら、次に何か病気をしたときに、その病院にかかれなくなる」と、医者に気を遣って病院を変わろうとしない。
「いったい自分の体と医者との関係とどちらが大切なのか?」という私の怒りを気にしつつも母は同じ病院に通った挙げ句入院となったのだった。
しかし当然のように容態は変わらず、当初は3日間の予定が1に延び、さらにまた2日ほど延びて1週間の入院となり、何の効果も見られぬまま、具体的な説明もなく退院となったのだが、その日からさらに病状は悪化、ようやく母はこのままではだめだと思ったらしく翌日別の病院に行き、気管のウィルスではなく、昔手術した甲状腺の影響による熱だと診断され、退院時にもらった抗生剤を飲むのをやめたら熱は1日くらいで完全ではないもののすっかり下がったのだった。
一方祖母は、暑さと高齢のため、貧血を起こして倒れて病院に運ばれた。
それ以外は特に問題はなく、惚けてもいない。
体力さえ戻れば普通に生きていける。
にもかかわらず、病院では、深夜の人手不足のため、というのが理由らしいのだが、夕食後に睡眠剤を与えるのだ。
それがなくても眠れるし、深夜に徘徊するわけでもなく、トイレに行くくらいなのだが、それでも「規則」として飲ませることになっている。
で、とにかく深い眠りに落ち、しかし深夜のトイレは行かざるを得ず、起きあがっていくのだが、足腰が弱っているのと、睡眠剤でぼーっとしているために、転んだりぶつけたりして、あちこちあざだらけにしては、すっかり参っていた。
見かねて、祖母の子供たち、つまり私の母の兄弟たちが交替で泊まるはめになったのである。
たまたま母の兄弟は多く、それぞれへの負担は少なかったのだが、これが一人っ子だったりしたら、もう、大変なことである。
もちろんそうせざるを得ない場合もあるのだが、今回の場合は、睡眠剤一つで状況は大きく変わるのである。
問題は当然病院や、医者や看護婦の不足を招く医療制度にあるのだが、そういった不条理に声を挙げない私の母親や兄弟たちのあり方にも、相当根深い日本的な諦めを感じざるを得なかった。
いや、諦めというのとは違う、やはり彼らもまた、ある種の制度の中にどっぷりと浸かっているのだと、部外者のようにここで私が言うことは、彼らにとっても私にとっても何の解決にもならない。
ただ、言うことは言う、というそれだけのことだ。

本日は11月の高崎映画祭での上映のためのビデオ作り予行演習で、篠崎誠・松田広子チームが来宅。
Macintoshを使ってのビデオ編集の講習会を行う。
といってもこの二人は、私が知る限りのパソコン使いの中では、最低ランクに属する最強チームである。
それでも使えてしまうパソコンというのは、それなりにすごい機械だなあと感心するほどの使い手であるのだが、やはりそれでも何とかなるわけだから、これは機械がすごいのか人間がすごいのか。
篠崎のマウス捌きは見事なものであった。
もちろん、ビデオの内容はパソコン使いとは全く関係がないので、この二人がビデオ版「Switch」のような美しくかつ腰の据わったドキュメンタリーを仕上げることを夢想しつつ、1日目の講習会を終わる。
編集の本番は9月である。

8月1日(水)

昨日は、黒沢清宅で「恐怖の映画史 part2」のインタビュー。
今回は、トビー・フーパーその他のアメリカ70年代ホラー映画の広がりを、ほとんど中心を欠いたままさまようインタビューとなった。
午後2時過ぎに梅ヶ丘に着。
梅ヶ丘から黒沢家までの思い切り複雑な地図を、黒沢さんが思いきり明快に描いてファックスしてくれていた。
我が家からは、新宿から小田急線で梅ヶ丘へ行く順路と、あるいは環七をバスに乗って南に下る順路と、2種類の行き方があったのだが、梅ヶ丘駅からの地図を描く大変さを考えるとさすがにこれは小田急線経由で行かざるを得ない。
黒沢さんにもそう宣言して梅ヶ丘に降り立ったのだが、地図を開いてみたら、何だか全然違う。
梅ヶ丘の駅が描いてないのだ。
これはいったいどうしたことかと思ってよく見ると、私が見ているのは環七のバス停からの地図であった。
確かに地図は2枚到着していた。
何で2枚も送ってきたのだろう、用心深い人だなあと、その時はもうバスのことなどすっかり頭の中から消えていた私は、そのうちの1枚を何も考えずに手にとってやってきたのだった。
さて困った。
今更黒沢さんに電話して、道順を教えてくれとも言えない。
と、目の前にきたバスの順路を見ると、環七の手前まで行く、これに乗れば目的のバス停までも歩いてたいしたことないだろう。
しかしそれにしても暑い。
降り立ったバス停から環七を歩いているうちにどんどんと汗が噴き出す。
黒沢さんの地図を見ると、どうやら近道が出来そうである。
まあ、間違ってもどうにかなるだろう、目印はあると、近道へと歩を進めるうちにやはり間違っていたことが発覚する。
なんてことだ。
住宅街での迷子は最悪である。
どこをどう見てもどこも同じように見える。
うろうろしても暑いばかりなのでたまたま見つけた小学校の花壇整理をしていたおそらく先生だろうと思われる人に道を尋ねると、もうほとんど目の前が黒沢家のあるマンションであった。
なんだ迷ってはいなかったのか。
到着すると、黒沢夫妻、篠崎が心配しながら待っていた。
どうやら黒沢さんの地図が間違っていたのでは、という話になっていたらしい。
いやはや申し訳ない。
インタビューの内容は、たぶん9月末には発売できるはずの「パート2」にて。
終了後は、遅い夕食。
黒沢さんのちょっとした一言でスイッチが入ってしまった篠崎絶好調。
深夜過ぎまで笑い続け、帰宅後も思い出すたびに顔がゆるむ。
しかしこの内容は門外不出。
ネットでは味わえない楽しみ。
一昨夜、青山とも話したのだが、やはり「空間」を持つことが大切なのだ。
サイバースペースだけでも大丈夫な人もいるのだろうが、そうはいかない人間もいる。
新たな空間作りがこの夏の課題である。
そんな話をした青山との電話の話題のメインは、またもや「プレミア」誌上で水原君が「路地へ」の批判をしているということだった。
その時点では読んでいなかった私は、今日、本屋で立ち読みをした。
水原君の文脈に沿って言えば、この映画は中上が育った被差別部落である「路地」を探求しつつ「路地」を発見するまでの旅の映画であるということになるだろうか。
確かに、被差別部落があった「路地」は地図上からは消えてしまい、中上の残したフィルムにその痕跡を留めているだけではある。
だからその痕跡に出会うまでの旅がここでは描かれているのだと考えるのが、とてもシンプルでわかりやすい。
だが一方で、中上の「路地」は失われたことなど一度もなく、その文学の中にはっきりと存在しているし、それを読むこと自体が「路地」であり、つまり、中上の「路地」とは運動そのものであるということは自明の事実である。
そのことをふまえてこの映画は撮られているのであり、さらに、青山はその痕跡に出会ってしまったことからこの映画を撮り始めたのであり、したがってこの映画の道のりは、その動きこそが「路地」であるような、トマス・ピンチョン的な疑似運動なのである。
だからこの映画では、めくられていく中上の原稿の上に「失われた路地を求めて」というフランス語字幕が被さるのは、この映画には終着点がないこと、「求める」行為こそがその答えであるような永遠の運動をを示しているのであり、つまり、「路地」の幻影を求めてかつて路地にあったところにやってきたら「路地」としての中上の原稿があり、それは何もここまでこなくても中上の本という形をとってどこにでも存在するわけで、ならばこのたびは再び元に戻ってしまい、しかし果たしてその元戻りで戻った場所は果たして本当に「元」なのかどうか分からないという開かれた回帰がそこにあるのであり、そしてそれがそのまま、ラストの海へと繋がっていくのである。
水原君の言うように、古い地図上にかつての「路地」を発見した瞬間に「見出された路地」という字幕が出て、結局そこが終着点になってしまうのでは、全くない。
我々は常に、出発点へと引き戻されるのである。
前進運動が常に出発点へとフィードバックしてそのハウリングの中でようやく何かが姿を現しはじめるという青山の映画の特徴が、ここにある。
水原君は、青山の映画のフィードバックのノイズをよく聴くべきだと思う。
ラストシーンの海は、そこが到着点でもあり出発点でもありそしてあくまでもトンネルの中であるような海なのだ。
坂本龍一の美しい音楽の背後には、冒頭のトンネルの中で流れた大友良英のノイズが、しっかりと貼り付いているのである。
ただし、そんなノイズなど聴きたくもない、という見方はあると思う。
それはそれでいい。
ただそれだけを批判の根拠にしてしまっては、八百屋に行ってラーメンがないと騒いでいるようなものだろう。
ここにはラーメンがないから星二つ(水原君の原稿が掲載されているのは、「プレミア」の星取り表の中である)、という感じだろうか。
だから青山にも、まあ、そうイライラしないでもいいんじゃないの、というメールを送る。