
2001年 boid日記 4月18日~30日(ヨーロッパ編)
Text by 樋口泰人
4月18日(水)
結局ほとんど眠ることも出来ず、成田へ。
出がけに、妻は鍵がないといって大騒ぎ。
やっと見つかって電車に乗ったら、今度はカメラを忘れたことが発覚。
この旅のすべての準備は妻がやり、私はほぼ他人事のように、しかしそこここでわがままな注文を出していただけなので、さすがにカメラの一つや二つ忘れたところで、特にどうということもない。
しかし、フィルム1本買うにも、出来るだけ安いところで買うように計画を立てていた妻は、それなりにショックなようだ。
どちらにしても、子供は関係なく、すでに飽きてしまっている。
しかし7年ぶりくらいに乗ったエールフランスの座席は、なんだか狭い。
おまけに、リクライニングのストッパーが壊れているらしく、背をあずけていると、次第に背もたれが倒れていく。
その上、座席脇の壁面の下のパネルがはずれていて、どうやら子供の筆箱が、その中に落ちてしまったらしい。
いくら探してもないので変だと思っていたら、とんでもないところに穴が開いていたのだった。
運賃の値下げ競争の果てがこんなところに現れたのかとなんだか感慨深いものは感じたのだが、その話を、シャルル・ドゴール空港まで迎えに着てくれていたyttレーベル主宰の対馬さんにしたところ、エールフランスとしては、だからボーイング社はダメなんだということを言いたいんだとのこと。
たしかに、子供の筆箱が穴の中に落ちたということを乗務員に言ったときも、妙にさっぱりと、そこに落ちたらもう拾えないと言われただけだった。
それは確かにそうなのだが、このまま飛行機が解体したらどうしようと靜かにふるえていた私の恐怖のやり場はない。
と、いきなり「樋口さん」と声をかけられる。 目の前には廣瀬君が立っている。
サンミッシェル大通り。
パリは狭い。
ホテルに着き、寝てしまった子供を置いて食料を仕入れに出たところだったのだが。
しかも何の違和感もない。
ごく当たり前のように立ち話をしている、この感じはいったい何なのか。
これがインターネット時代の距離感とでも言うのだろうか。
飛行機の中で、妻は、3年前の時に比べて全然実感がないとこぼしていた。
たしかに、どこに行くかを決めるときも、3年前はほとんど迷いもなくアイルランドにしたのだが、今回は最後まで迷い通しだった。
何年か二一度、海外に出ることのためだけに生きているような妻でさえ、そのていたらくである。
子供の成長に会わせた日常の暮らしが、生活のほぼすべてになっているということや、ネット時代の距離感の崩壊や、理由は様々考えられるのだが……。
とはいえホテルに帰ると、ネットにアクセスできない。
昨夜、朝までかかってすべての設定は間違いなくやり、何度か試しの受送信も行ったのだが。
おかげで、海外版boid日記の連日更新の予定は、初日にして早くも崩れ去る。
これこそ、ネット時代の距離感というべきか。
4月19日(木)
パリは寒い。
予想してはいたが、少し甘く見ていた。
最高気温7度だなんて、東京では真冬並である。
その上、時差ぼけの子供が、深夜3時頃からすでに絶好調で暴れ始める。
寝やしない。
子供というものはそういうものらしい。
まだはっきりとした人格が出来ていないので、とにかく日常のペースを守ることが、アイデンティティとなっているようなのだ。
これには逆らえない。
3年前にきたときは、まだ、昼寝の習慣があったので、昼寝と夜の睡眠とを逆転させるだけで折り合いがついたのだが、すでに昼間はアクティヴに動き続ける日々を送っている今となってはどうにもならない。
それでもまあ、元気に動き回っている午前中までは何とかなっていた。
ところが昼食後、今度はいきなり眠気に襲われ始め、そうなるとさらに始末が悪い。
もはやこちらの思惑はすべて台無し。
さらに、数日前から腫らしていた口内炎が本当に痛み出してきたらしく、ビービーと、泣き始める。
ホテルに戻って寝かしつけたのだが、それでもやはり痛むらしく、目を覚ましては泣き続ける。
これは悲しい。
親はこんな時、抱いてやるくらいしかできないのだ。
一昨年だったか、O-157が日本中で大流行したとき、病院の中で泣き続ける子供を抱いてやるしかない親の姿がテレビに映されていて、胸が痛んだ記憶があるが、まあ、程度は違うが、同じような痛みに襲われる。
ただまあ、途方に暮れてばかりいるわけにも行かないので、薬屋に行って薬を仕入れ、痛み止めで何とか子供は立ち直る。
しかし、本日は、13区にある「ハワイ」という名のヴェトナム・レストランの東京では絶対に食べることの出来ない絶品のラーメンを3年ぶりに食しようとしていた我々の計画は、すべてチャラになってしまう。
明日もダメだったら、本当に私は何のためにパリにきたというのか。
痛み止めでとりあえずの痛みは治まった子供はそんなことも知らず、クロスワードパズルをやってはしゃいでいる。
手に負えない。 これできっと、薬が切れる深夜くらいになって、また、ビービー泣き出すのだろう。
言い方はよくないのだが、幼児虐待をする親の気持ちは本当によくわかる。
あれは、子供を虐待しているのと同時に、自分と、そして自分の親とを、つまり、自分の歴史そのものを虐待しているのだ。
言い方を換えれば、痛いといって泣き続ける子供に対して何もしてやれない親を責めているのだ。
しかし、「ハワイ」のラーメン。
4月20日(金)
子供の時差ぼけは、2時間分ほど解消。
本日は5時くらいからテンションをあげ始める。
口内炎は何とか快方に向かいつつあるが、まだ、食事は思うに任せない。
午前中、ぶらぶらと散歩しながらポンピドーセンターに向かうのだが、やはり寒い。
ポンピドーセンターでは、「ポップの時代」と題された特集。
子連れだとさすがに見ることも出来ず、カタログの見本をぺらぺらめくって、その内容を想像するばかり。
基本的にはアンディ・ウォーホルを中心として、全盛期を見晴らしているという感じだろうか。
特にこれは、という感じもしなかったので、それなりに厚く重く値段も張るカタログを買うのはやめる。
と、すでに子供が眠いと言い始める。
結局その後しばらくは、20キロの荷物を背負って移動する羽目になる。
さすがに重い。
シャトレ駅構内で、前を行く妻がいきなり振り向いて、斜め後ろの少年達に何か言い始める。
足早に去っていく少年達。
何かと思ったら、妻のリュックが開けられていた。
少年達が開けたところで妻が気がついたらしい。
油断も隙もありはしない。
彼らはまだ、中学生くらいの年齢だろうに。
この多様さがこの町のエネルギーでもあるのだろうが、のんきな東洋人にはそう簡単には受け入れられない部分でもある。
仕方ないので、ホテルに戻り昼食をとっていると、いきなり雨。
それにしても大粒の雨だと思ったら、霙である。
何ということだ。
以前、スコットランドに行ったとき、確か5月上旬だったにもかかわらず、いきなり雪が降り始めたかと思うと、今度は一気に晴れ渡り、虹が出てさわやかな初夏になり、それもつかの間今度は雨、というようなめまぐるしい天気の変化が1日のうちに繰り返されたのだが、今回のパリも同様である。
昼食後、妻と子供は、妻の仕事がらみで外出。
私は、彦江に案内して貰い、ヴァージンメガストアのビデオコーナーへ。
ペドロ・コスタのビデオを仕入れようという魂胆だったのだ。
赤坂大輔氏から、メガストアに行けばパウロ・ブランコ・コーナーがあって、そこにビデオが並んでいると聞いていたので、もう、すっかり買ったつもりになっていたのだが、行ってみると、もはやそんなコーナーはない。
彦江の説明によれば、ビデオ売り場がDVD売り場になって、ビデオコーナーは縮小されてしまったとのこと。
言われてみれば、映像関係のメインの場所は、完全にDVDが占拠している。
この転換の早さは東京以上だ。
fnacに行っても事態は同じ。
しかも東京より1000円ほどは確実に安い。
今後、boidもDVDを視野に入れなければならないだろうと確信するのだが、しかし、そこでもまた、各国でのシステムの違いがあり、ドメスティックなものにせざるを得ない。
メディアが変わり、ハード会社はそれなりに儲かるのかもしれないが、ソフトの制作側は、選択肢と苦労が増えるだけで、ろくなことにはならない。
一方で、ヴァージンやfnac、HMVといった量販店は各国で大にぎわいである。
新譜コーナーは日本と大差ないが、推薦盤のコーナーはかなり違う。
ただ、日本のように店員達が書いたコメントなどがないので(まあ、書いてあってもフランス語だから私には全く役に立たないが)、ある程度情報がないとまるでわからない。
その代わり試聴のシステムは充実していて、試聴機にCDのバーコードをあてるだけで、たいていのアルバムを聴くことが出来る。
この音源の入力作業は、いったいどうやっているのだろうか。
などなど、とりあえず諸々試聴したあげく、特に買うものもなく、吉武美智子さんとの待ち合わせのカフェに。
プロの手配師(?)である吉武さんに、ユーロスターの安売り券を頼んでおいたのだ。
吉武さんは、霙の中、バイクに乗って試写に向かっていたのだという。
パリに住むと、みんな元気になるのだろうか。
その後、彦江に駅まで送ってもらい、妻子の待つ対馬さん宅へ。
10年前、初めてパリにきたときは、3週間ほど滞在していたこともあって、パリの地下鉄はほとんどただ乗り専門でどこでも勝手に行っていたのだが、この数年ですっかり弱気になり、一人ではほとんど何も出来なくなってしまった。
多分どこかで、人にすがって生きようと心に決めてしまったのだろう。
今回も、彦江を始め、対馬さん、吉武さんなど、様々な人々のお世話になり続けである。
4月21日(土)
子供の口内炎も回復し、ようやくハワイのラーメン。
3年ぶり。
やはり美味。
どうやら廣瀬君はもっと凄い店を見つけたということだが、それはそれ、これはこれ。
いつまた食すことが出来るかと思うと、胸が痛む。
とりあえずその充実感のまま、大荷物を抱えロンドン行きのユーロスター始発駅である北駅へと向かう。
出国審査を終え、改札口へと向かうと、すでに改札時間を過ぎているのにまだ改札は始まっておらず、大勢の人たちが立ちつくしている。
パリ市内以上に雑多な人種がうごめくその場所にいると、なんだかこのままずっと、こうやって一家3人でおろおろと生きていくような気分になってくる。
スティーヴ・エリクソンの『黒い時計の旅』に、このような情景はなかっただろうか。
時差ぼけのため、すでにすっかり眠気に襲われている子供が、リュックサックをを背負って頑張って立っている後ろ姿に、思わずほろりと来る。
なぜなのかよくわからないのだが、うちの子供は、親の顔色を見るのが上手というか、良く言えば状況判断ができていて、辛いときでも親が途方に暮れているときなどは、ぎりぎりまで我慢する。
その子供の判断に甘える形で、出来る限り我慢して貰うことにする。
まあしかし、特に事故が起こったわけでもないので、20分ほどの遅れで列車は出発。
いやはやこれで何とかと思っていたら、リールあたりでいきなり列車が止まってしまう。
アナウンスによれば、イギリスで電力関係の事故があって1時間ほどストップするとのこと。
しかし、われわれはロンドン到着後、友人の住む、ロンドンから列車に乗り継いで1時間30分ほどの場所に行かねばならないのだ。
あーあと思っていると、発車後からずっと携帯電話を使ってメールのやりとりなどをしていた女が、さらに頻繁に電話でのやりとりを始める。
後ろの席でも同じような事態になるし、斜め前の子供はゲームボーイを始める。
電磁波と電子音に囲まれながら、仕方なく読みかけの本を読んでいるうちに眠ってしまう。
ロンドン、ウォータールー駅には1時間30分ほどの遅れで到着。
すでに午後7時をすぎている。
慌てて乗り継ぎの列車を探すと、7時35分発。
お腹を減らして泣きそうになっている子供のために、フライドポテトを仕入れ、列車に飛び乗ったところで発車。
フライドポテトに他にお茶でも頼んでいたら乗り遅れていた。
ユーロスターは、この1時間30分の遅れのお詫びに、次回利用の際には50%引きというアナウンスをしていたが、あらかじめ往復切符を買ってしまっている我々には関係ない。
ヨーロッパでは何があってももう腹も立たないが、やはり子連れでの移動の際にこういった事態になると、本当に疲れる。
渋滞になっても、多くの家族が車を利用するというのは、およそ何があってもとりあえず自らの力でコントロールすることが出来るからだろう。
で、イギリスで最も高い大聖堂のあるソールズベリーの駅に、かつての妻の同僚であるマーチン・コブ氏が迎えにきてくれていて、無事、マーチン宅に到着。
引っ越して広い家に住み始めたという報告は聞いていたが、あまりの広さにあきれる。
掃除と暖房費は大変だろうなあと、漠然と思う。
4月22日(日)
イギリスもパリに負けず、寒い。
予想通り雨がしょぼしょぼ。
パリでこれだと腹立たしいが、イギリスでこれでも何とも思わない。
マーチンも、何事もなかったかのように車を出し、3,4世紀前の家が建ち並んでいる一体へと、我々を連れて行ってくれる。
そのスタイルは、現在のイギリスの家とはほとんど変わらない。
それもまた恐ろしいことだが、確かに、そのたたずまいがまるで違う。
映画などでの歴史物の撮影には、たびたび使われるのだそうだ。
雨はひどくなり、風まで吹き始める。
それでも誰も傘を差そうともしない。
まあそんなものだろう。
帰宅後、パリではどうにもならなかったメールを確認すると、こちらでは大丈夫。
ロンドンのアクセスポイントもパリのアクセスポイントも同じ設定なのに、いったいどういうことか。
この数日間にたまったメールを確認するが、これだけ多いとすでに処理しきれない。
すでにこちらはホリデイモードである。
まあそんなものだ。
明日はいよいよマン島に向かうのだが、この雨と寒さで大丈夫なのだろうか。
ホテルでじっとしているのもいいか。
すべては子供次第である。
と、ここまで書いたところでメールを送ろうとしたら送れない。
多分セキュリティの問題で、先に受信をしてから送信しないと受け付けてくれないのだが、いったんそれに失敗すると、ある一定の時間はどうやっても受け付けてくれない。
やり直すと今度は、サーバーから応答なしとのメッセージ。
こうなるとどうにもならない。
あきらめて近所のパブへ。
パブといっても、本当に田舎町のパブなので、近所のおじいちゃん達が集う、のどかな店だ。
天井から名前の書かれたジョッキがいくつもぶら下がっている。
どうやら、マイ・ジョッキらしい。
若者達が次々に町を出ていき、老人達だけがこうやって静かに夜の時間を過ごしているのだという。
パブから出ると雨が上がっていて、雨に濡れた木々の臭いがあたりを覆っている。
子供の頃、私の家の周りもこのような臭いがした。
蛍の臭いではないかと思ったのだが、果たして蛍は英語で何というのか、自動翻訳機状態になってくれている妻もわからなかった。
4月23日(月)
マーチン家の人々に別れを告げ、マーチンの車に乗ってピュージー駅へ。
途中、草原の中に巨大な石が並べられたオカルト地帯を抜けていく。
昨日の雨から一転して、本日は晴天。
さすがに陽が出ると、少しは暖かい。
ピュージー駅から2時間ほどのレディング駅で乗り換えて、リヴァプールへ直行。
イギリスの鉄道のタイムスケジュールがめちゃくちゃになっているという情報は仕入れていたので、マーチンにも昨日電話で確認してもらい、さらにリヴァプールで3時間の余裕を持ってマン島へのフェリーという安全策である。
ところがまず、レディング駅で、リヴァプール行きの直行列車が来ない。
駅員に尋ねると、本日はキャンセルとのこと。
こともなげに言う。
あきれるが仕方がない。
とはいえ1時間ほどの連絡待ち。
その上今度の列車はもう一度乗り換えなければリヴァプールへは行かない。
この分だとリヴァプール散策は出来無いなあと、やってきた電車に乗り込む。
しかしなかなかスピードが出ない。
国鉄のはずなのだが、なぜかヴァージンのマークが着いた列車である。
そういえばヴァージンが鉄道事業にも参入したという話は聞いたが、現在のイギリスの鉄道事情はどうなっているのだろうか。
どこまでも田園地帯が続く。
しかし、いつもならそこにうるさいほどいる家畜の姿が皆無である。
そこら中が口蹄疫でやられてしまっているのだ。
つまり、この線路の周囲のそこかしこにいたはずの家畜たちのほとんどは、処分されてしまっているというわけである。
のどかな田園もまた、血に染まっている。
その血染めの大地に足を取られてでもいるのか、列車のスピードは出ない。
遅れ遅れで何とか乗換駅に着き、乗り換え列車を待っていると、別のホームからリヴァプール行きが発車するというアナウンス。
よくわからないのだが、列車全体がひどく遅れていて、すでに発車しているはずの列車がまだ止まっていたようなのだ。
とにかく一本でも早いほうがいい。
飛び乗ると、2両編成のローカル列車である。
この列車はなかなかのスピードである。
しかしこの音は何だ。
ガーガーゴーゴー凄い音がする。
今にも列車そのものが解体しそうでもある。
やはりイギリスはただものではない。
と、案の定、列車が壊れましたとのアナウンス。
ギャグではない。
またもや途中駅で放り出されることになる。
駅員に尋ねると、リヴァプールまではあと50分ほどだとのこと。
フェリーの出航時間は6時15分。
あと、1時間30分ほどである。
4時53分の列車が予定通りにきてくれたら、何とか間に合う。
ホームのモニターには予定通りとの表示。
しかし、定刻になっても列車は来ない。
モニターを見ると、3分遅れと表示が変わっている。
もちろん3分後にも来ない。
モニターはさらに3分後。
そしてさらに3分。
ようやくやってきた列車は、今度こそ順調に走り始める。
リヴァプールが近づくと、風景は一転する。
完全な工業地帯の風景である。
廃棄されたガレージや住む人のなくなった家、産業廃棄物の集積所、古工場などなどが視界を埋める。
などとのんきに景色を眺めている余裕はない。
すでに6時近い。
駅からはダッシュでタクシーを捕まえ、フェリー乗り場へ。
タクシーの運転手も事情を知って、ブリブリとばす。
しかも「ヘイ・ジュード」のBGMつき。
フェリー乗り場へは7分前に到着。
ところが。
すでに受付は締め切り。
日本からインターネットで予約していたのだが、フェリーはまだそこに泊まっているのに、それでも受け付けてくれないのだ。
列車のルーズさとはうって変わった厳密さに、ここでも手も足も出ない。
まあ、今日到着しなかったからといって何がどうなるわけでもない。
仕方なく、リヴァプールでホテル探し。
ホテルは何とかなったものの、町は完全に死んでいる。
どうやら今日は、セント・ジョージの日という祝日でもあるらしく、官公庁は休みではないものの、店やスーパーなどは休みのところが多いという。
だが、それはいいわけである。
それらが開いていても大差ないはずだ。
パブだけに人が集まっている、他にやることがないのだ。
子連れだと夕食をとる店もほとんどない。
こういうときはフィッシュ&チップスである。
フランス人にはこの感覚は理解できないだろうなあと思いながら、久々のフィッシュ&チップス。
子供にチキンもサーヴィスしようと、ハーフ・チキン&フィッシュ&チップスというのを頼む。
3ポンド80(日本円で700円くらい)という値段から、それほど大したものを思ってもいなかったのだが、なんと、チキンは本当にハーフサイズ(つまり1羽の半分)であった。
やはりイギリスはただものではない。
こんな大量の鳥を誰が食うのだろうか。
世間並みの子供のようにチップス好きの我が子は、あきれるほど腹を膨らませている。
なんということだ。
4月24日(火)
妻は船が大嫌いである。
大嫌いなのだが、何かといえば島に行きたがる。
リヴァプールからマン島への2時間の旅でも、乗船前に酔い止め薬を飲む。
飲んでそのまま眠りに落ちて、到着までは動かない。
一方子供は、初めての船に興奮気味である。
小雨の降る中、デッキに出てキャーキャーとはしゃいだまま、中に入ろうとしない。
さすがにそこにほったらかしにしておくわけにもいかず、風と雨の中、ほとんどの時間をデッキで過ごすことになる。
まあ、船酔いして気持ちが悪いと倒れられるよりはマシだ。
おかげで1日分の体力を使い果たすことになる。
昼過ぎ、マン島着。
雨もやみ、とりあえずひどく寒くはない。
マン島の中心地、ダグラスは、海辺のリゾート地である。
しかし季節はずれのリゾート地ほど寂しいものはない。
ホテルやB&Bの大半は閉鎖中である。
そういえば、日本からのB&Bの予約が大変だった。
連絡した大抵のB&Bから連絡が来ず、このような場所であることは想像もしていなかったので、いったいどうしたことかと思っていたのだった。
いやはや、こうしたことだったのだ。
とにかく予約したB&Bに荷物を置く。
しかし、部屋には電話さえない。
その他はまあ、十分な設備が整っているのだが、こんなところにまできて外部と連絡を取るなということなのだろうか。
私ももう完全にホリデイモードなので、あっさりとメール関係はあきらめる。
とはいえ、バウスシアターの河村さんには急ぎの連絡があるのだが……。
でもどうにもならない。
町にはインターネットカフェがあり、若者達が集っているが、日本語が使えないので、どうにもならない(黒沢特集のチラシ原稿を送らなければならないのだ)。
テクノは本当に信用できない。
遅い昼食をとり外に出ると、雨。 寒い。
とても外にはいられない。
町の散策もそこそこにB&Bに戻る。
気がつくと体が揺れている。
船の揺れがそれなりに残っているのだ。
テレビでは「スティングレイ」(「サンダーバード」の続編のようなもの)をやっている。
なぜか子供が面白がる。
何を言っているのか説明を求められ、苦労する。
妻は、薬のせいで再び眠りに。
しかし腹は減るので、妻を起こし、B&Bのレストランで夕食。
レストランといっても家族経営のB&Bのものなので、近所の酔っぱらいのおじいちゃんがすっかりいい気持ちで一杯やっている。
日本からの旅行者が珍しいのか、あれやこれや話しかけてくる。
しかしこれが、酔っぱらっているためとマン島なまりのため、何を言っているかほとんどわからない。
まあ、酔っぱらいなので、適当に返事をしておけばいい。
夕食後、子供はスヌーカ番組に熱中。
普通のビリヤードと違い、得点方法が良くわからないのだが、わからないなりに見ているとなんだか確かに面白くもある。
ある種の神経戦の様相を呈することもあり、イギリスだなあとつくづく思う。
しかしまあ、こういう日は何もせずとりあえず寝るに限る。
4月25日(水)
朝食をとっていると、料理人に声をかけられる。
この料理人、昨日から誰かに似ているときになって仕方がなかったのだが、ジム・ジャームッシュなのだ。
ミカ・カウリスマキの『ヘルシンキ、ナポリ』だったかで、ジャームッシュが確かウェイターかなんかに扮したのだが、その時の姿にそっくりである。
背はジャームッシュよりでかいかもしれない。
ニック・ケイヴ並である。
そのまま映画に出られそうなのだが、こんな世界の果てのような場所で気のいい料理人となっているのである。
で、彼の話によると、彼は10年ほど前、神戸に3ヶ月ほどいたことがある。
どうやら核燃料の再処理のため、日本からイギリスにプルトニウムを運ぶ船に乗っていたのだとか。
なぜそんな船に乗っていたのかは尋ねなかったが、とにかくあらゆる辺境に生きている人であることは確かである。
その刻印が、アクロンのハンガリー移民のタイヤ工場労働者一家に生まれたジャームッシュと同じ臭いを発していたのだろうか。
昨夜の酔っぱらいの爺さん共々、映画に出したい人が、ここにはあちこちにいる。
朝食後は、バスに乗って、マン島の南端へ。
3年前に行ったアイルランドの何とかという有名な崖も凄かったが、この崖も相当なものである。
おまけに季節はずれなので、我々しかいない。
幸い天気も良くてそれほど寒くはないので、貸しきり絶壁で思い切り贅沢なひととき。
しかしまあ、どうしてこの島の人々はこんな場所で生活しようと思ったのだろうか。
以前行ったスコットランドの北部地方よりはマシだが、それでもとても人間が住む場所とは思えない。
次に行った旧時代の民家の保存地帯で見せられたビデオでは、どうやら、当時のマン島の人々は1年の収入が20ポンド程度しかなく、みんな貧しさのあまりアメリカに移民していったのだという。
それでも残った人々の子孫が、今もここに住み着いているのである。
2階建てバスの2回最前列に乗って眺める風景は、もはや『デッドマン』としか言いようがない。
雲と海との境もなく、切り立った崖から続く斜面には、虫のように羊たちが張り付いて、どこにも人の気配がないのだ。
この、歴史の始まりと終わりとが同時にあるような風景の中で、人々はどのように暮らしているのだろうか。
まあ、そんな思い自体が気ままな旅人の妄想にすぎないのだが。
4月26日(木)
マン島を9時発のフェリーで、ヘイシャムへ3時間30分。
ヘイシャムからローカル線を乗り継いで、ランカスターでロンドン行きの列車に乗って、ロンドンに5時過ぎに到着、というスケジュール。
無事に行けば夕食はロンドンで、ということになるのだが、先日の件があるので、もう全然期待はしない。
どうなってもいいようにという覚悟だけは決めておく。
だが、なんだか今日は順調である。
なぜかイマ・スマックの歌声とともに出航したフェリーはやたらと居心地が良く、乗り継いだ列車もほんの数分の遅れ。
ほぼ予定通りにロンドンに着いてしまう。
となると、先日のあの遅れはいったい何だったのか?
まあとりあえず、無事で何より。
列車の中で、小松成美という人の書いた『中田英寿 鼓動』を読む。
泣けるフレーズがあちらこちらにちりばめられていて、何度もホロリと来る。
中学校の頃、この手のことを書かせたらめちゃくちゃ旨い同級生(女性)がいた。
私の所属していた野球部が、県大会で優勝したとき(1年上の学年)のことを書いたものだったと思うのだが、スポーツと自分たちの現在の揺れる状況を見事に重ね合わせ、自らの運命をボールの行方に任せるしかないスポーツの残酷さと美しさを、思春期特有の繊細さとともに記した文章だったことを記憶している。
もちろんそれにも私はホロリときたのだが、同時に、スポーツをやる人間として、伝えきれない違和感をも抱いていた。
それこそ私たちは、単に野球をやっていただけなのだ。
彼女の言葉で私たちの野球が強くなるわけでも、美しくなるわけでもなかった。
だから嫌だと思うわけではなかったが、これは私たちの野球とは違う、彼女の物語なのだと思った。
『鼓動』では、徹底して書き手の人称が消されていることが、文庫版の解説によって指摘されているが、だからといって書き手の物語がそこに無いというわけではない。
書き手が姿を消したからといって、そこに複数の視線が現れるわけでもない。
しかしロンドンのB&Bでもメールが使えない。
さすがに、仕事がらみの用件がいくつかあって、旅先であまりいらつくのも馬鹿みたいだしと、ダメなままにしておいたのだが、こうまでダメだとさすがに唖然とする。
B&Bのスタッフに何とか電話回線を使わせてもらえないかと頼むが、ダメ。
我が家のような低予算旅行では、やはりテクノは無理なのだ。
仕方ないので、緊急の原稿を子供のノートに書き写し、ファックス。
スタッフにも、いくらテクノが発達しても、結局は紙が一番だねと笑われる。
最初からこうしていれば、こんなにいらつくことはなかったのに。
家に帰ったらパソコンを全部投げ出そうかとも思う。
面倒な人間関係とも離れられるし。
とはいえ、このB&B、いきなりサイババである。
ホールを入った瞬間、聖人の写真がでかでかと目にはいるのだ。
スタッフは全員インド系の人々。
特別何をされるわけではなかったが、どうも気になる。
だがそれにしても、目の前のキャプテン・ビーフハートとウド・キアーはよく食べる。
いったい何語を話しているのか、よくわからないのだが、大量の中華料理をがつがつと食しながらしゃべり続けている。
食後は、中国茶に大量の砂糖を入れ飲んだあげく、まずくて飲めないと、顔をしかめるビーフハート。
地下鉄のクイーンズウェイ駅そばの「フォーシーズンズ」という中華料理店はいつも混んでいて待つのが大変なのだが、それも順番などあってないようなもので、なんだか訳の分からぬまま席に着くことになるのだが、しかし、少々げすな味とはいえ、ここのロースト・ダックは美味い。
その上量も多い。
ビーフハートかウド・キアーかどちらか我が家にいてくれたら、もっといろんなものが食べられるのだが。
しかし彼らはいったい何を話していたのか。
4月27日(金)
朝食を摂りにB&Bの食堂に行くと、客の数より従業員の数の方が多い。
それも、ほとんどが東欧系の移民らしく、英語は凄い訛りで、私より少し旨いくらい。
よく見ると、『夢の涯てまでも』のソルヴェイグ・ドマルタンがいる。
ナイトポーターは怪しい日本語を操る松山千春であった。
しかもサイババ。
いったいどうなっているのだこのB&Bは。
さらに松山千春に国際ファックス料金3ポンドなりをせしめられる。
これなら20分間約1ポンドのインターネット・ショップにいって、メールを送っていればよかった。
だが、気がつくと、ロンドンにはスターバックス・コーヒーが併設するインターネット・ショップをはじめ、ネットにアクセス可能な有料私設がそこかしこにある。
ホテルのそばにあったショップは日本語も使用可能な珍しいところではあったのだが、これは、ロンドンのパソコン所有率の低さを物語っているのではないかと、妻。
イギリスの若者達は、景気が回復した今も、まだまだ日本より貧乏なのだろうと。
昼はあれやこれやの買い物。
ヴァージンメガストアの地元ロンドンでも、すでにタワーレコードの優位ははっきりしていて、質量ともに圧倒的。
ピカデリー・サーカスのタワーは、ビニール盤の臭いがする。
いや、ビニール盤が大量に置いてあるとかいう物理的な臭いではなく、CDの並べ方の、乱雑さに、どこかかつての東京の輸入盤屋の気配が感じられるのである。
かつて新宿三丁目にあったシスコや、今も西新宿にあるだろう、新宿レコード、エジソンなどなど、こういう店だとつい、長居してしまう。
ただし、やはり目当てのペレ・ユブ90年前後は日本と同じものしかなく、店頭に置かれていたインターネットへのアクセス可能なマシン(有料)で、彼らのホームページにアクセスして、ロンドンでのバックイシューの常備店を調べると、何と1件のみ。
それも全然聞いたことのない地名。
店員に尋ねると、地下鉄の終点からさらに列車に乗り継がなければいけないとのこと。
しかし、パリでの常備店がホテルのそばだったので、明日、パリに戻って確かめてみることにする。
午後からはお子様タイム。
噂のロンドン・アイにも乗る。
ここでもまた、予約の時間に遅刻で駅から猛ダッシュ。
あっという間に、なぜかようやく春になって上着を着ていると汗ばむようなロンドンの1日は終わる。
明日はパリに戻らねばならない。
もう一日ロンドンにいて、そのまま帰国というスケジュールにしておけばよかったと、後悔しても後の祭り。
いくつかの予定が全くなされないまま、やはり子連れの都会は厳しいなあと、肩と腰と足の疲れとともに思う。
こういうときにはのんびり風呂に入りたいのだが、貧乏旅行だとそれも出来ない。
やはり風呂は日本が一番である。
ヨーロッパでは暮らせ無いなあと、毎度のことながら思う。
4月28日(土)
今日は朝食に、いきなりジャン・レノ登場。
通常、B&Bの朝食時にタバコを吸う人はまず見かけないのだが、レノさん、いきなりタバコ片手に現れて、対応する東欧系のウェイトレス、ハンナ・シグラが「コーヒーかお茶か」と尋ねると、思い切りのイタリア訛で「カプチーノにしてくれ」とのたまう。
シグラさんもなかなかなもので、「カプチーノって何?」と、聞き返す。
ギャグではなく、多分移民して間もない彼女は、本当に知らないのだ。
レノさん、この見事な反応に動ずることもなく、作り方を説明。
「それはできない」とシグラ。
仕方なく「じゃあ、コーヒーとミルクを持ってきてくれ」とレノさんはあきらめるのだが、しかしこのままでは終わらない。
「パンは、トーストじゃなくて、ブリオッシュがいい」。
もちろんそんなものあるはずもない。
一体ここをどこだと思っているのか。
サイババ・ホテルをなめてはいけない。
結局当たり前のイングリッシュ・ブレックファストが出され、しかしレノさんもニコニコしながら食べている。
このときもタバコを手放さない。
まるで、豪華ホテルの朝食を食するような貫禄である。
そう見ると、なにやら衣服もそれなりに値段の張りそうなものを着しているようにも見える。
よくわからない。
彼はなぜ、こんな格安B&Bに泊まっているのだろうか。
まあとりあえず、そんなサイババ・ホテルに別れを告げ、ユーロスターに乗車。
今日は、無事、予定通りパリへ。 パリはまた雨模様。
しかし、気温はさすがに上がっている。
とにかく、ホテルそばのCDショップ「ジベール・ジョゼフ」でPERE UBU。
ロンドンのタワーがビニール盤の匂いがすると書いたが、ここもまた同様。
タワーが、シスコやエジソンなら、ジベール・ジョゼフはユニオンか、かつて代々木にあったイースタンワークス。
まあ、妻の知り合いであるジェラールがやっているWAVEというショップが、パリではカイエ事務所のそばにあって、そっちのほうが初期ユニオンに近いのかもしれないが。
しかし、目的のPERE UBUは、さすがにかなりの枚数並んでいるがもちろんそれらは目的外。
すっかり手に入れ損ねていたものでそこにあったのは1枚のみ。
やはり通販を利用するしかない。
その後、妻子は対馬宅へ。
私は、旅前に行った黒沢-篠崎インタビューのテープおこしをしなくては。
それなりに疲れていることもあり、対馬宅はパスさせてもらう。
とはいえ夕食をひとりでというのもなんなので、彦江、廣瀬に連絡を。
廣瀬君は明日、引越しとのこと。
バルベスという、パリでもかなりやばい地域。
アラブ系の人々が多く、ライのカセットやCDを探しに私も何度か行ったが、さすがに危なさは実感として伝わってくる。
実感だけでなく、私も上野のアメ横のような人ごみの中であっという間に周りを若者たちに囲まれてもみくちゃにされた挙句、ポケットの中のものを盗られたという経験をもつ。
そんな私や彦江の心配をよそに、廣瀬君は案外平気である。
今後どうなるか、楽しみではある。
4月29日(日)
パリのホテルに、少し年取って痩せたケヴィン・スペイシーが現れる。
妻によれば、彼はどこかのスーパーでベーコンを仕入れてきたようだ。
たぶん、昼食に、バゲットにはさんで食べるのだろうと妻。
清貧をよしとするイギリス気質の塊のような人である。
と、清貧スペイシー、やおらその袋からベーコンを取り出し、朝食のパンにはさんで食べ始める。
さすがにクロワッサンにははさまなかったが。
要するに、どこに行ってもイギリス式朝食をとりたかっただけであった。
ヨーロッパに住んでいると、国籍地域にかかわりなく、かくも頑なになるものか。
まあ、フランスやイギリスの生活くらいしか知らないが、あの徹底して個人主義的な社会システムの中では、こうなっても不思議はないだろう。
一方、日本の団体旅行者といったら。
飛行機の中の座席ライトが点かないとか、イヤホンが聞こえないとか、機内食がまずいとか、文句いい放題。
エールフランスとしては、これ以上下げられないほどの格安料金で、つまり荷物と同じ状態で運んでいるんだから、それくらいのことは自分たちで席を代わり合うなり何なり解決を見つけてくれと言いたいところだろうが、曲がりなりにも客商売である以上それも言えず、何とか折り合おうとあれやこれや。
ライトの点く空席を見つけて、そこなら大丈夫からというチーフパーサーの薦めには、団体客側は、二人一緒の並びの席でないといやだ、だと。 それなら、団体客同士で席を交代し合えばいいじゃないか。
挙句の果てに「エールフランスもこの程度」などと言い始める。
確かにその程度のものではあるが、おめえら、自分のやってることよく考えろ。
自分じゃ何もできないから、団体旅行してるんだろ。
文句をいうのはかまわないが、飛行機が離陸してしまった以上直せないものは直せないんだから、あほな子供みたいにいつまでも駄々こねてないで、じゃあどうやったら一番いいかを考えろよ。
ああ、不快な旅の終わり。
この前兆は、出発前にもあった。
搭乗手続きを済ませた後、妻が、免税の手続きをしてくると言って、でかけていく。
それはそれで問題なかったのだが、いつまでたっても帰ってこない。
パリ時間13時15分発の便なのだが、13時を過ぎても戻らないのだ。
さすがに私も子供もあせり始める。
フェリーの一件もあり、うろうろするが、パスポートもチケットも妻のバッグの中だ。
残り時間10分をきる。 それでもまだ戻ってこない。
このまま戻ってこなかったらどうしようと、リュックの中に彦江や対馬さんの電話番号のメモがあることとポケットの中にテレホンカードがあることを確認する。
子供は今にも泣きそうである。
と、そこに妻。
どうやら、免税手続き所を見つけるのに、あちらこちらまわされた挙句、ひどいことになっていたらしい。
子供はほっとして泣き出すが、それにかまっている時間はない。
とにかくダッシュ。
もちろん一番最後。
今回はこんなことばかりしていたような気がする。
4月30日(月)
東京は雨。
かなり寒い一日と言うことだが、ようやく春になり始めたパリ帰りのわれわれには、何だか蒸し暑い。
妻の弟の車で帰宅。
子連れの旅はかなりハードで、すっかり疲労しきっているが、まあ、それはそれ。
とにかく、たまりにたまったメールその他の処理。
子供が私の実家に帰国報告をすると、昨夜叔父が亡くなって、私の母はすっかり落ち込んでいる。
考えてみると、我が家が海外旅行をすると、帰国したその日に必ず身近な人の死の知らせを受け取る。
前回は、妻の叔父だった。
その前は、妻の友人の自殺だった。
これは何かあるのだろうか。
あったとしても考えたくはない。
とはいえ、明後日かその翌日には葬式である。
実家まで帰らなければならない。
この間たまった仕事はどうなるのだろうか。
さすがにちょっと休みすぎてしまったかもしれない。