
boid 日記 2006年12月
text by 樋口泰人
12月30日(土)
大掃除である。
何年か前まではかなりちゃんとやっていたのだが、さすがに寝たのが6時過ぎで起きたのが昼だと、何も出来ない。
ギリギリ、担当の掃除区域だけはこなすものの、仕事部屋は荒れ放題。
まあ、致し方なし。
昨夜、バウスのスタッフから、今バウスで上映中の『鉄コン筋クリート』の観客たちにピクシーズの映画を告知しているのだが、どうも反応が悪いという話を聞く。
「悪い」というより「無い」らしいのだ。
ファッションは明らかにパンクスでも、ピクシーズを知らない。
どうやら日本のバンドしか聞いていないのではないか、という話になる。
あるいは、あまりに情報が多すぎて、ピンと来たもの以外はすべて「無い」ものにしてしまう自己防衛が極端に進んでいるのか・・・
あるいは、今の日本のバンドの音の中に、彼らが危機育ってきた音楽的背景を示すものがほとんど無くなってしまってきているのか・・・
だとしたら余計、このドキュメンタリーを見て欲しいのだが、それを伝えるのは、本当に難しい。
やはりバウスで上映中の『悪魔とダニエル・ジョンストン』の観客にも、同様。
ダニエル・ジョンストンが「個性」を創出することでそこにいるとしたら、ピクシーズは自分たちが育ったアメリカの歴史を読み替えることで、ジョンストンが生きるアメリカを映し出していると言えるのではないかと思うのだが、その意味でこの二つの映画はセットなのだ。
前世紀半ばに生きた人々が想像した未来のアメリカからの視線で現在のアメリカを見て、さらにそれを、前世紀半ばに生きた人々のように歌うピクシーズのアメリカの住人であるダニエル・ジョンストン。
それぞれの音楽について、あれこれそれぞれの思いはあると思うのだが、そんな関係性の中でこの二つの映画を観てもらえたらと思う。
12月29日(金)
昨日は、昼から篠崎に会い、夕方は、5月くらいに行うカーネーションのライヴ・ドキュメンタリー爆音上映の件でコロムビアの担当者に会い、その後は青土社の宮田君と。
その間に、溝口健二シンポジウム本の直しを延々と。
文字を読むのが極端に遅いという致命傷を抱えつつ、細々と、そして大胆な直しをあれこれ入れていく。
1ヶ月ほど前も、この直し作業を行ったのだが、その時はまだモニタを見ることが苦しく、プリントアウトして赤を入れるというやり方で、でも体調が戻ってこうやってモニタ上で直しを行うと、やはり全然違う。
私の場合は、プリントアウトよりモニタ上の直しの方が俄然ちゃんと出来るのだ。
人格が、話者の人格へと変貌できるというか。
根本的なところでまったく違う。
校正・構成能力の問題ではなく、これは電子機器のもつ、危うい力の問題でもあるだろう。
本日も夕方まで直しを行い、その後は、新宿某所にて、タワーレコード用のチケット・セットづくり作業を、バウスのスタッフも交えて行う。
タワーでチケットを発売し始めて10日くらいが経ったのだが、すでに売り切れ間近との知らせが来たために、追加納品を行うのだった。
少しでも売れるのだろうかと、当初は心配していたのだが、この売れ行きにみんなニコニコである。
用意した缶バッジがなくなるまで売れてくれるといいのだが・・・
その後、とりあえず今年のピクシーズ宣伝打ち上げも兼ねて、某所に移動。
席に着くと、別席に柳下君の姿が。
こんなところで会うなんて。
何はともあれ、手術した左肘を見せてもらう。
さすがに凄い傷痕。
半袖の季節になったら、みんなに自慢できる。
耳鳴り&目眩だと、こういった迫力ゼロ。
ちょっと寂しい。
帰宅後はさらに直し。
シンポジウムの会場で出席者の話を聞いた時と、こうやって直しの作業を行っている時では、その言葉の意味や重さがまた違う。
しかし、他人の話を聞いている時、人はいかに多くのことを聞き逃し、自分勝手な解釈で聞いていることか、ということを、こういう作業ではひたすら思い知らされる。
とはいえ、とにかく本日で、シンポジウムのまとめはほぼ終わり。
あとは、先日行った蓮實・山根対談のまとめと直しを残すのみである。
12月27日(水)
いよいよ今年も時間切れになりつつある。
もう、目眩している時間もない・・・
目も回らない忙しさである。
どうやらどこもそのような状態らしく、各地から、混乱の連絡やSOSの連絡や催促の連絡が入る。
思い切りむかつく連絡もあったりするが、むかつく余裕無し。
とはいえ本日は妻の誕生日、ということで吉祥寺の竹爐山房へ。
ここの中華はいつも本当に美味しい。
素材の味が、見事に活きているのだ。
それなりに上品な店なので大勢での宴会には向かないが、とにかくうまい中華が食いたいと思ったら、一度は食してみることをお薦めする。
本日の絶品は、デザートに食したピーナッツ汁粉。
忙しさも目眩も混乱もSOSも忘れる味。
ここです→
安くはないが、この味を考えると決して高くはない。
渋谷あたりの雰囲気だけの店の数々とは、比較にならない効率の良さ。
などなど、ちょっと落ち着きを取り戻したものの、しかし仕事は待ってくれない。
正月に誘われていた義母たちとの家族旅行を、私だけ一泊に減らしてもらうことにした。
12月24日(日)
世間はクリスマスである。
こちらはもう、死にそうなくらい働いている。
実は2週間くらい前から、寝る時間がない。
病人なのにこんな事でいいのだろうか。
大勢に迷惑をかけてしばらく休養していたので、このとんでもない仕事ぶりをこの日記で書くのをためらっていたのだが、いよいよいろんなことろに支障が出始めたので、とりあえずお知らせしておく。
私の方は、完全にいっぱいいっぱいです。
いろんなことが遅れておりますが、もう、どうしようもないと思ってください。
とまあ、誰に言うでもなく世間一般にアピールして、もしかするとすでにかけてしまっているかもしれない迷惑、不義理をお詫びしておく。
しかしまあ、今年のカレンダーの悪さといったら・・・
時々お世話になっている格安印刷所はすでに年内の受付を終了してしまい、年明け一番でお願いしても、仕上がりは12日。
急遽決まった『キングス&クイーン』の札幌上映のチラシが・・・
神戸と仙台でツアー終了という風に考えていたので、もう、宣伝素材が何も残っていなかったんだよねえ。
見事に使い切って美しく終了、という予定だったのだが、そんなこちらの思惑を無視して動くのが世の道理。
これで終わったつもりになるなよ、という映画からの叱責でもある。
いずれにしても、札幌周辺の皆様お待たせしました。
すでにDVD発売済みですが、一度はスクリーンで観てみて下さい。
何かまったく違うものが見えるかもしれません。
上映劇場は、蠍座です。
12月23日(土)
昨日は、ZAZENBOYSのマネージャーの森さん、バウスのスタッフとの打ち合わせ。
ピクシーズ盛り上げのために、バウスでライヴをやってもらおうという企画。
しかし、森さんの方から厳しい注文が出る。
ピクシーズのことを好きだということと、その映画を上映する劇場でライヴをすることとのつながりの説明をどうするか、という問題。
これは、現在の映画宣伝すべてに突きつけられている問題だと思う。
いわゆる「オピニオン・リーダー」を求めようとする劇場側や宣伝サイドの思惑と、当事者たちの活動が、いかに重なり合うことが出来るか。
どう見ても宣伝サイドの思惑が肥大しすぎている現状では、「オピニオン・リーダー」にさせられる当事者たち、そしてそれを見させられる観客たちの宣伝に対する不信感は、ますます強くなっていくだろう。
それに加えてboidは、宣伝会社でも配給会社でもなく、単にやるべき事ややりたいことを独自にやるだけの運動体である。
この映画にとって、何をどうするのが一番いいことなのかを、改めて考えさせられる。
とはいえ。
どんな手を使ってでもこの映画をいろんな人たちに見てもらいたいことも、一方の事実なのだ。
もはや食傷気味の、ファンのために作られただけの音楽ドキュメンタリーではなく、この世界で生きることについての切実な問題を孕んだ映画なのだから。
本日は子どものクリスマス・プレゼントを買いに新宿HMVへ。
先日、駅ビル内のHMVに行ったところ、新作が出たという情報を青山から知らされていたペル・ウブのコーナーもデヴィッド・トーマスのコーナーもなくなっていて、その後タワーに行ってもやはりそうで、こうなれば多少売り場面積の広い高島屋のHMV。
もちろん、子どもにペル・ウブを聴かせるわけではない。
子どもにはFLOW。
Company Flow のアルバムなら持ってると言ってみたが、見事に無視される。
昨夜は、テレビに出ていたKinki Kidsの片割れの衣装と歌があまりに派手だったので、ファンカデリックのアルバム「Cosmic Slop」の中ジャケを見せたものの、こちらも大した反応無し。
まあ、そんなものだろう。
で、ペル・ウブ。
ここにもコーナー無し。
すでに新宿では、ペル・ウブはミュージシャンとして存在しないことになってしまっていた。
残すはユニオンのみ。
売れるものだけが売れるという状況はこういったことで、ますます進んでいくのだろう。
誰にも止められない。
たとえ店頭に赴いたところで、子どもたちが思わぬものに出くわす機会は予め制限されてしまっている。
まあ、それはそれで、我々とは違う生きる知恵を身につけていくのかもしれないが。
そんなところに、mapから、アンダーグラウンド・ミュージシャンを見事に紹介する『Songs in the Key of Z』が送られてくる。
添えられているmapの小田君の紹介文を無許可で、抜粋。
これまでほとんど語られることのなかった、世界中のアウトサイダー・ミュージシャンたちの真実と、彼らを取り巻く世界観、そしてその音楽自体の力を、400ページ本文9Qのサイズでぎっしりと詰め込みまくった、世界初のアウトサイダー・ミュージック読本です。
とまあ、これがなければ、いなかったことになってしまうミュージシャンから、ダニエル・ジョンストン、ハリー・パーチ、キャプテン・ビーフなどなどまで20人とその他大勢のエピソードや音楽について、私の目では虫眼鏡が必要になるかもしれないくらいの本当に細かい文字で記されている。
もはやタワーもHMVも頼りにならない今、こういった動きだけが、何かの発火点になるのだろう。
この本を片手に、アマゾンで音源を探すという、ちょっと前ならマニアックで単なる個人的な閉じた行為と見なされていたかもしれないそのことが、今や、世界を切り開く一つの方法となるかもしれないのだ。
この本は、map のサイトで購入できます。 こちら→
12月21日(木)
『AA』のアテネ上映最終日。
夕方、江戸川橋にある某社での打ち合わせの後、アテネに立ち寄る予定でいたのだが、某社を出た時にはすっかりそのことを忘れ、帰りを急ぎ、江戸川橋から我が家までの乗り継ぎの悪さを考えて神楽坂まで歩くことにする。
もちろん、「健康」のため、という意味もある。
しかし気がつくと、道路の案内板には「目白」という文字が目に付く。
そういえば周囲には神楽坂の雰囲気まるでない。
あちこち見回してさまざまな表示を見ると、やはり目白方面に向かって歩いているらしい。
参ったなあと思いつつ、しかし引き返す気力もなく、そのままダラダラと歩き続ける。
とはいえ、目白まで一体どの程度の距離なのか・・・。
面倒なので、迷いついでに、歩いていた幹線道路を行くのをやめて、適当なところで左に折れ、後は人の流れに任せることにする。
困ったらタクシーに乗ればいい。
しかし冬の夜である。
呑気に歩き回るような、穏やかな気持ちにもならず。
ただ、黙々と人の流れを追う、というよく分からない状態に入る。
まあ、これも健康のため、ということか。
気がつくと見慣れた風景。
「早稲田松竹」。
最後にここに来たのは、「ビルとテッドの地獄旅行」の何度目かの上映の時だったような記憶が。
もはや閉館したものだとばかり思っていたのだが。
というか、「ビルとテッド」の時点で、劇場の建物自体が、いつ取り壊されても不思議じゃないような状態だったはずではなかったか。
またもや勝手に、記憶を作りあげているのかもしれない。
いずれにしても高田馬場である。
江戸川橋から高田馬場までの距離というのは、一体どれくらいの距離があったのか。
時間にして30分~40分くらいだったと思う。
まあ、1週間分くらいは歩いたかな。
などなどしているうちに、さらに『AA』最終日は記憶の底に沈み込む。
家に帰り、しばらくして、アテネから報告があり、青ざめる。
いや、行かなければいけないという理由はないのだが、やはり気持ちの問題として。
最終日はアテネが7、8割くらい埋まったという。
尻上がりに動員が延びていって最終的にここまで来た。
全体の数字はまだまだだったが、「終わりよければ」ということで、それなりに気持ちは晴れやかになる。
ただ、もっと多くの人に見てもらいたい映画でもあるので、またの機会を画策する。
地方からも連絡が来て、京都と名古屋での上映の企画が進んでいる。
名古屋、京都方面で上映を待っている方々、もう少しです。
あと、ピクシーズの方も、地方上映がバタバタと決まる。
今のところ確定しているのが、仙台、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、沖縄。
それぞれ2月から3月の公開である。
こちらもお楽しみに。
12月17日(日)
風邪を引いたらしく、喉が痛い。
このところハードにやりすぎたので、それもまた致し方なし。
耳の方は、微かに良くなっている気がする。
本日は、アテネではなく、映画美学校第1試写室にて『AA』の上映。
上映前、さすがに何人もから、場所の問い合わせの電話が。
業界人か美学校生でない限り、普通は誰も知らない場所なのだ。
でもとにかく、そこそこの人々が集まり、それなりに賑やかな上映となって、ホッとする。
上映終了後、ロビーのテーブルに『AA+』のCDが置き忘れられている。
どなたかが受付で購入後、テーブルに置き忘れたらしい。
もしこの日記を読んでいたら、映画美学校に電話して下さい。
取り置きしてあります。
そうそう、私も先日、凄い忘れ物をした。
というか、忘れたあとがなかなか凄かったのだ。
確か11月の半ば、ようやく外に出られるようになり、打ち合わせのため某社に出向き、そこでいくつかのサンプルDVDをいただいた。
私が原稿を書いたものや、某人気監督のボックスセットなど、合計6枚ほど。
まだ発売されてないものもあり、病気が治ったら見ようと楽しみに持って帰ったはずなのだが、家に帰ってしばらくして気づくと、DVDを入れた袋がないのだ。
家の中でなくなったのではなく、途中で置き忘れたことにその時気づく。
新高円寺までは持ってきていたはずで、途中で寄った銀行のDCコーナーの脇に、その袋を置いた記憶まではある。
だからそこか、その後に寄ったコンビニのどちらかが怪しい。
いくら何でも諦めるのは悔しいので、翌日、銀行に電話もかけ、コンビニにも寄ったのだがどちらにもない。
そのDCコーナーとコンビニの並びにはブックオフがあり、まさかここに売られてしまったかとショックを受けるが、さすがにブックオフまで問い合わせる気にはならず、さらにその並びの交番に寄る。
もちろん交番にも届けられてはおらず、しかたないので、半分諦めつつも、調書にあれこれを記入して帰ってきたのだった。
その後はやはり音沙汰無し。
すっかり諦めていた先週の月曜日、突然警察から電話があり、落とし物が見つかったというのだ。
一体どうしたことかと、とにかく警察に行くと、封も切られず、私が置き忘れたそのままの状態で渡される。
どうやら、道に落ちていたらしい。
どうして3週間も過ぎてから、そのままの状態で道に落ちていたのか、警察の人もいぶかしがっているのだが、でもとにかく届けられてしまったのである。
中身を出して、すっかり映画を堪能した挙げ句なら話は分かるのだが・・・
一体3週間、それらのDVDはどこでどうしていたのだろうか。
警察に届けるなら、どうしてすぐに届けなかったのだろう。
それとも、誰かが持ち帰り、どうしたものかと迷った挙げ句、何だか面倒くさくなり道に捨てて、それを誰かが拾ったのか・・・
いずれにしても私も動揺していて、一体誰が届けてくれたのかも尋ねず、警察でも何も言われずそのまま持ち帰ってきてしまったのだが、もしこの日記の読者の方だったら、本当にどうもありがとう。
あとでこっそり、秘密を教えて下さい。
12月15日(金)
本日も昼から全速力。
もはや病人のスピードではない、というか、健常者以上のスピード。
息切れする暇も無し。
しかも各地でトラブル続発。
こういう時は自宅ではなく事務所があればと、真剣に思うが、まあ、それはそれ。
事務所だと思って連絡してきた方々、申し訳ないです。
boidは自宅営業です。
子どもも出ます。
『AA』の動員が、少ないながら、日々増えている。
水曜日はどうなることかと思ったが、ちょっと明るい兆し。
昨日の蓮實・山根対談で、お二人が、『AA』の事とはまったく関係なく、せっかくイヴェントや上映をやるなら人を集めないとしょうがない、ということを本気で語っておられたのだが、まったく仰せの通り。
そのためにいつどこで何をするか、あるいはやらないか、さらに厳しく考える必要がある。
胸が痛む。
『AA』を見てきた知り合いの何人かから、『面白い!』という連絡が届く。
そうなんです。
『面白い!』んです。
なにせ「活劇」だから。
7時間30分、たっぷり楽しめます。
それから、ようやくニール・ヤング『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト』を買う。
もう、いよいよこの耳鳴りを気にしてもいられない。
10月に大貫さんが来日した時、作りかけのDVDの素材を見せてくれたのだが、それがちょうど、このライヴ・アルバムのDVDの素材だった。
例によって動画ではなく静止画が連なっていくのだが、輸入盤を見ても、DVDつきのCDは売っていない。
また、2,3ヶ月遅れで、DVDつきのCDが出るのだろうか。
いや、私が気がつかなかっただけで、すでに出ているのかもしれない。
12月14日(木)
昼からバタバタと、あれやこれやで目が回る。
ピクシーズの映画の地方公開がようやくいくつか決まってきたのはいいが、決まってくると、いろんなものの手配やら、地方での宣伝をどうするかとか、あれこれ細かく動かざるを得ないのだ。
だが、せっかくの機会を逃すのはあまりにもったいなく、とにかく気がついたらすぐにバタバタと動く。
まあ、気がつくのが遅すぎるのだが。
ZAZENBOYSがツアー中なのは知っていたのだから、もっと早くスケジュールを調べて、地方公開地域でのライヴではチラシ配布の手配くらい、さっさとやっておかねばならなかったのに、ギリギリにならないとそういったことに気が回らないのだ。
まあでも、神戸と名古屋だけでも間に合って良かった。
大阪は、なんと、ライヴが本日で間に合わず、何とももったいないことをしてしまった。
……などなどバタバタしつつ、夕方から、銀座に。
倒れる前に引き受けていた、溝口健二シンポジウムの本の仕事。
シンポジウムのまとめとフォローをするための、蓮實重彦・山根貞夫対談の聞き役。
といっても、私に何が出来るはずもなく、お二人がこちらの尋ねたかったことを分かっていたかのように、次々に話を展開してくださる。
シンポジウムのポイントが驚くほど鮮明になり、溝口だけではなく、映画の見方が分かりやすく解説される。
映画の黄金時代の最後期を身体で覚えているお二人だからこそ、このようなことが語られるのだと、その語りの場にいることの出来た幸せを実感する。
残酷な話だが、これは、それ以降の世代の人には絶対に語ることの出来ないものだと思う。
となると、お二人が元気で居られる間に、これはとことん語りつくしていただかないと、映画にとってのものすごい損失になる。
どこかの出版社で、出版の企画を立ててもらえないだろうか。
それらの話とは別に、出来たばかりの『AA+』のCDをお二人に渡したところ、蓮實さんから衝撃発言が。
なんと、蓮實さんは、間章を教えていて、葬式にも出席したのだという。
立教の仏文であの時代、ということを考えてみたら、そういう偶然は、偶然と言うより必然に近い偶然であった。
蓮實さんも、特に驚かせようとしていたわけではなく、当たり前のように仰っていたので、そんなものなのだろう。
こちらはただ唖然とするばかりであったのだが。
12月13日(水)
昨日は『AA』の初日であった。
その緊張のためか、あるいは、木曜日に控えた仕事のプレッシャーのためか、このところの寒さのためか、じっとしてビデオを見る時間が増えたためか、再び体調が悪化して、月曜日にはかなり予断を許さない状態になっていた。
初日に行けないかもしれないという感じにもなっていて、ヒヤヒヤだったが、なんとか駆けつけることが出来た。
残念ながら満員の盛況、というわけには行かなかったが、火曜日の昼、そしてそれから丸1日費やして映画を観る人の数、ということを考えると、まずはこんな感じかな、という滑り出し。
これまた体調を整えるため、そして撮影の肉体労働のため、シェイプアップした青山の挨拶を経て、上映は始まった。
その挨拶の姿に、監督という職業の業の深さを思う。
自ら進んでやり始めたこととはいえ、5年の間、他の作品も作りつつ、どこかにこの作品を抱え、そして、間章や、それに関わった人々、この映画に関わった人々の歴史を抱え、さまざまな人々のさまざまな思いを引き受けつつ、人々の前に立たねばならない。
こういった作品には、「金のため」という状況はあり得ないから、なんの逃げ場もなく、全身ですべてを引き受けなければならない・・・
ミュージシャンだと、それはすべて自分の才能や生き方の問題として問われてくるのだが、監督の場合は、そこにさらに他人の人生や歴史が深く入り込んでくるから、また別の体力が必要なはずだ。
そういった「映画監督」という身体として、『AA』もまた、見ることができるように思う。
もはや「間章」も「デレク・ベイリー」も「スティーヴ・レイシー」も、単なる「人」として、この映画の中に、歴史と人生のうねりを吹き込んでいるに過ぎない。
この映画について、青山がちょっと前に「1時間20分程度の6本の連続活劇」と称したのは、そのような意味においてだろう。
例えば、「スターウォーズ」の6部作と、この映画を比べて、登場人物たちの抱える歴史や愛や人生のうねりがもたらす活劇性について、考えることができるかもしれない。
大げさかもしれないが、そんな風に見ることのできる作品になっていると思う。
しかしだとすると、「映画監督」とはいったい何なのか?
それについての考察は、今後の青山の映画や小説の中に、はっきりと現れてくるはずだ。
未だ公開が決まっていない『こおろぎ』も、そういった流れの中で作られたものだろう。
この映画、チラシも含め、とにかく若い人たちは、その文章に触れる機会もほとんどない「間章」という人とその仕事、運動、影響などなどを知ってもらおうと、本を作ったり、書店で特集をしてもらったりしてきたのだが、そのことが逆に、「間章」を知らない人にとっての敷居を高くしてきたのかもしれない。
もうちょっと、この映画の「活劇性」について、「映画監督」という身体について、伝えなければいけなかったかと、今更ながら反省した。
ただ、こういうことって、後になってみないと分からないんだよねえ・・・
とまあ、そんなことをグズグズ考えていたら、体調はまた崩れ、今度は夜、まったく眠れなくなる。
コントロール不能。
本日は、漢方薬局に行きその旨を訴え、薬を変えてもらう。
実は先週、結構とんでもない薬を与えられて、その日に会った人には見せて回ったのだが、どうもそれが少し強すぎた嫌いもあり、もうちょっと弱めの方向でブレンドしてもらったのだった。
12月3日(日)
漢方薬が効き始めたのか、あるいは、昨夜たっぷり寝たためか、何となく元気になってきたようにも思える。
だが、そうなると、よせばいいのに働き始めるから始末が悪い。
というか、一昨日は『AA+』が届き、昨日、本日とピクシーズの前売り券やらポストカードやら、チラシやらが届き、部屋の中に置かれたそれらをなんとかしなければと、何となく気持ちが逸るのである。
チラシは予想以上にいい仕上がりで、これはもう、ピクシーズに興味はなくても、ロック・ファンなら手に取らざるを得ないだろう、という自分勝手な妄想がふくらむ。
ピクシーズの映画の方もまた、バンドをやっている人間なら誰でも琴線に触れてしまうような、ある種の時代と空間を共有した者たちの、連帯とその後の運動を見つめる繊細な視線によって作られているのだ。
バンドのキャラクターや歴史的事実ばかりに頼った音楽ドキュメンタリーが次々に作られている中で、この映画はそれらとは明らかに一線を画す。
何しろ、ピクシーズの映画なのに、彼らのプライヴェートな部分の描写にはダニエル・ラノワが音楽をつけ、まるで昔からピクシーズと活動を共にしてきたかのような案配で、前後に繋げられるピクシーズの音楽のリズムやメロディと重なり合いつつ、その世界を広げていくのだ。
ある意味で、70年代のヴェンダースが描き続けた、人々の連帯や感情の絆とその歩みの物語を観ているような気分にもなる。
さすがに、映画を通した歴史認識、というところまでは行かないが、だが、これはこれで、ピクシーズというバンドが歩むだろう、今後の太い道筋を、はっきりと示しているように思う。
それはそれ、『AA+』のダウザーの音をとにかくいろんな人に聴いてもらいたいので、試聴できるようにしたいと思っていたのだが、何しろ、このアルバムの音源はすべて映画のために作られたものだから、よくある30秒間の試聴では、その音の連なりやそれがもたらす風景の変化をまったく伝わらず、せめて曲の半分くらいは試聴できるようにしようとしたのだが、boidのサーバーでストリーミングの機能をつけるには更なる出費をせねばならず、ただでさえ9月以降経済活動がストップしているboidにはそんな余裕もなく、人々に尋ねると「マイ・スペース」という答えが返ってくる。
で、問題の「マイ・スペース」を覗いてみると、あれやこれやの音楽、ビデオクリップに溢れていて唖然とする。
そうなると仕事を忘れてつい、あれこれ見たり聞いたりしてしまい、こんなことをやっていては、いつまで経っても病は回復しない。
しかし、そこで見つけたGossip、というバンド。→ここ
全然知らなかったのだが、これがなかなかいい。
2年くらい前に出た1枚目は、ジョン・スペンサーが結局は獲得できなかった知的な野性に溢れたソウルフルなパンク。
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GOSSIP / Movement
今年リリースされた2枚目は、その野性が70年代ディスコと合体した、かつてサートゥン・レイシオやベイスメント5やESGなどなどがやった音数の少ないクールなダンス・ミュージックをさらに一ひねりしてパンクに戻したような音。
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GOSSIP / Standing in the Way of Control
若い人にはどのように聞こえるのかよく分からないが、こういう形で歴史が重なってくるのはいいものだと思った。
キム・ゴードンも関わっているらしい。
ということは、結構知られているバンドかもしれない。
と、まあ、薬のためかテンションが上がり気味なので、そのつもりで読んでいただきたい。
12月1日(金)
『AA+』発売日である。
昨日から各所に発送、連絡など細かい作業があり、慌ただしい。
そのためか朝からおたおたしていて、ゆうパックを出しに行ったコンビニでも、店員というよりゆうパックの制度自体の手際の悪さに苛つく。
コンビニで取り扱えるようになったのはいいのだが、同じゆうパックの用紙でも、コンビニで取り扱える用紙とそうでない用紙があり、郵便局でもらった用紙に書き込んでコンビニに持っていくと、まったく使えないのである。
これは郵便局で確認すると、どうやら何種類もの用紙があって、コンビニの会社が違っても使える用紙と使えない用紙がある模様。
郵便局がやってるんだから、ひとつの用紙でどうして出来ないのか、まったく分からず。
少なくとも利用者を混乱させるようなことは、クロネコも佐川もやってないよ。
で、本日は用紙の件ではなく、郵便番号。
コンビニのレジに登録されておらず、郵便番号簿にも載っていない郵便番号があるのだ。
大きなビルに振り当てられた郵便番号や、本日引っかかったのは日仏学院の郵便番号だが、通常使われている番号なのに、特殊な番号が振られていると、それらはないものと見なされてしまう。
それで、レジでは受け付けられず、店員が郵便番号簿を観て、住所から出てくる郵便番号に書き直すのである。
いくつも荷物を持って行っているこちらからすると、そんなことでいちいち引っかかられては、じれったくて仕方ない。
でも、店員としても、そうせざるを得ないのである。
だって、レジが動いてくれないのだから。
誰でも分かりやすいシステムを作ることが、どんどん人を無抵抗な者にしていく。
しかも、全然便利じゃない、というお間抜けなシステムであった。
単に、特殊な郵便番号も入力しておけばすむことなのにねえ・・・
夜、ピクシーズ絡みで地方の劇場の方々に連絡を入れるため、今、その劇場がどんなことをやっているかとそれぞれのHPを観ていたら、遅ればせながら以下のような報告を発見。
大分のブルーバード劇場のブログである→(11月3日付けを参照)
『キングス&クイーン』の上映に関しては、結果はどうあれ、それぞれの関わり方がそれぞれの今後に影響する形で上映を行えたことが本当に良かったと思う。
残された仙台と神戸での上映で、劇場での上映はほぼ終了するが、まだまだこれからの課題は多い。
マスな動きから取り残された特殊な郵便番号としてどう生きていくか・・・