Welcome to boid.net!

  • 爆音サーフ・フィルム・フェスティバル

recent

diaries

boid日記 2007年11月~12月

text by 樋口泰人

12月29日(土)

送られてきた「アイスクリーム」誌の記事によって、シスコ閉店を知る。
12月10日をもって、渋谷地区に残っていた全店が閉店。
70年代から80年代前半までは、ユニオンとシスコが輸入盤店の2大ショップであったのだが、うまいこと大人買いの店へとシフトしていったユニオンに対し、時代の流れに乗って若者たちをターゲットにし続けたシスコは、結局更に大きな時代の流れによって歴史を閉じられた、ということになるのだろうか。
70年代末から80年代全般にわたって、1週間に1度はシスコに通っていたはずの私も、90年代以降、おそらく数回しか行っていない。
大晦日恒例のオールナイト・バーゲンをやっていた新宿三丁目店が閉店したのは80年代後半だったと思う。
あの時は、その代わりに新宿アルタの中に出店という「成り上がり」のムード満々だった。
まだ、新宿にはタワーもHMVもヴァージンもなかった。

いずれにしても、この数年は一度も足を運んでいない私は、特に困ることも悲しみもないのだが、この時期にそれを知ると、やはり、オールナイト・バーゲンのことを思い出し、ちょっと寂しくなった。

とはいえ、HVM3ポイントデー。
本日は私ではなく、子どもの依頼により。
ウーバーワールドのアルバムを、というリクエスト。
阿部君の『映画覚書』の表紙をもっとえげつなくしたようなジャケットの「シャカビーチ」の入っていると思われるニューアルバムは来年1月発売なのだが、その前の「シャムロック」が入っているアルバムを、ということであった。

shaka.jpg

私の方は、ルーペ・フィアスコ、ワイクリフ・ジョン、ウータン・クランの新作を。
アメリカの知的な監督たち、ロック・ミュージシャンたちがどんどん「闘争の最小回路」(コピーライト=廣瀬純)を目指す中、ヒップ・ホップのスターたちは、かつてのアメリカ映画にあったはずの尊大さを一手に引き受けているように思う。
世界のすべての苦悩を背負ってしまったかのような大風呂敷の広げ方は鬱陶しくもあるのだが、こういうことは誰かがやらねばならない。
アメリカ映画で今これができるのは、スピルバーグとサム・ライミとトニー・スコットくらいではないか。
その意味で、『アメリカン・ギャングスター』は頑張っていた。
最小回路と最大回路を繋ぐ新たな回路を不器用に手探りしているようにも見えた。
だから本来は、一緒にジェイZの『アメリカン・ギャングスター』も買えば、この1年分のアメリカ映画を堪能出来たのではと妄想するが、資金不足という現実によって消滅。
もちろんこういった音が何か新たなものをもたらすわけではないのだが、「最小回路」へと入っていったアメリカの映画やロックが、どこか「細分化されてお終い」というふうにも見えるのはなぜか、間違った「最小回路」へ入ってしまったのではないか、ということを考える意味で、非常に重要なのではないかと思っているのである。

ワイクリフ・ジョンには、ポール・サイモンとのデュエットもある。
これがなかなかいいのだ。

lupe.jpg wyclef.jpg wutang.jpg
ルーペ・フィアスコ →     ワイクリフ・ジョン →     ウータン・クラン →

12月28日(金)

バタバタと慌ただしい、本年の事務所営業最終日。
各所に連絡、振込、請求書送付などなどをこなし、夕方、元フィルムアートやスタジオボイスの飯嶋君との打ち合わせ。
飯嶋君とは先日、数年ぶりに会い、その間はほぼ連絡が途絶えてしまった状態だったのだが、会ってしまうと、まるで昨日の続きみたいになるから、不思議である。
来年のboidの運営体制に関する相談と、ネット絡みでの仕事について。

この数日、あれこれと来年の仕事の打ち合わせをいくつかやったのだが、そのうちどれが実現するだろうか。
全部実現してどれもうまくいくのに越したことはないのだが・・・

その後、出来上がった年賀状を受け取りに荻窪、そして吉祥に向かい、年賀状の宛名貼り付け作業を。
500通ほどの宛名貼り付け作業をデザイナー大塚と二人で。
一人250通弱だから、1時間かからずに作業は終わったのだが、気がつくと肩がこっている。

更にその後、バウススタッフたちと、爆音映画祭の企画会議。
いろんなアイディアが出た挙げ句、やはりロッキー・エリクソンのドキュメンタリーをやりたいというオチ。
まあ、来年は無理だからその次か、あるいは、キングに何とかしてもらうか・・・
いずれにしても、企画の大枠が固まる。
年明け早々にも、具体的な動きを開始。

ただ、こういった企画内容自体はあれこれ知恵を絞ればいいのだが、一番の難関は、爆音調整作業。
1週間の映画祭期間中に少なくとも20本は爆音上映を行う。
その調整のために、一体どれだけの時間がかかり、どのようにやればいいかをはっきりさせねばならない。
とにかく最低8日くらいはオールナイト作業が必要となる。
バウスの映写&音響ミキサーのK氏への負担は相当なものとなるはず。
こればかりはバウス内での調整をお願いするしかないのだが、K氏にはひたすら頭を下げるしかない。
Kさん、今度めちゃくちゃうまい鶏鍋おごります!

そして更にその後、雨降りの深夜、杉並郵便局に出向き、年賀状の発送。
しかし、事前に数えておいた枚数とまったく違っていた(笑)。
いや、これは、ちゃんと数えたわけではなく、宛名を貼らなかった残りの年賀状の枚数を数え、印刷枚数から引いて、発送実数を出したのだが、どうやら、印刷枚数が予定より50枚ほど多かったようだ。
印刷所も結構大ざっぱなんだね。

12月27日(木)

本来なら、朝からポール・トーマス・アンダーソンの試写。
やはり10時に六本木は無理であった。
来年がある。
といって、来年早々から見なければならない映画が既に山積み・・・
とはいえ、来年からはあまりそういうことを気にしないで行こうと思う。
見なければならない映画などない。

夕方から、友人に会って、あれこれ。
毎年、この時期の恒例の会合。
その場で、衝撃の話題も出て、動揺する。
いつも冷静な友人なので、こういう衝撃の話題も冷静に話すものだから、余計にどう反応していいか分からなくなる。
とはいえ、それも含め、来年の活動について、そこそこ具体的な話となる。

本日のアルバムは、結局今年も、おそらく一番聴いてしまった、ジェイソン・モリーナ=マグノリア・エレクトリック・カンパニーの3枚のアルバム。
これに関しては、私にとっての前を向くための支えみたいなものとして機能してきたので、どーのこーの言うべきことはない。
来年以降は、こういうアルバムを聴かずに、ひたすら歩を進めたいと思うばかりである。
と言うか、まあ、なんで自分の中に流れているものをこうやって何度も確認しないと倒れてしまいそうになるかなあと、腹の立つくらいガタガタな1年であった(まだ過去形ではないのだが)。

magnolia1.jpg magnolia2.jpg magnolia3.jpg
Songs : Ohia →        Trials & Errors →       What Comes After Blues →

12月26日(水)

というわけで(昨日の日記参照)、本日は昼から廣瀬が事務所に。
来年の仕事の打ち合わせも兼ねて、あれやこれや。
「詐欺師」の件は、本人言わせると、まだまだ「詐欺師度」が足りないとのこと。
ただ、どの方向に詐欺をするか、そこが現在の課題でもある。
とにかくboidのやってきたようなことさえも台無しにする方向でやって欲しいと、私の希望を伝えた。

その後、ジョイ・ディヴィジョン=イアン・カーティスを素材にした『コントロール』を見に行く予定が、諸事情あり、中原の所に、3月にboidから出す日記本の原稿データを受け取りに。
雑誌「アイスクリーム」に連載していたやつである。
ただし、雑誌に掲載されていたものは、本来の日記の一部を抜粋したもの。
単行本ヴァージョンは、その全文、完全版である。
相当な分量になりそうで、ページ数、値段、予算などなどのバランスをどうとるかが一番の課題。
まとめて読むと、これまた、一種の音楽・映画のガイドブックとして完全に成立している。
ただ、こちらは、データその他は一切入れない。
相当レアな固有名もガンガン出てくるが、各自自力で探し当てていただきたい。
日記を読むと同時に、宝の山の中で迷子になる感覚と言ったらいいだろうか。

で、本日はMark Wirtzを。
いまだにWirtzというのをどう発音するのかよく分からない。
モンド系のカタログ本などを見たら、カタカナ表記が載っているかもしれない。
どうしてこの人なのかと言えば、『宇宙の柳~』で迷子になった結果。
12月1日の新宿タワーでのイヴェントの際に、直枝さんがかけたレコードの中に、キース・ウェストのものがあった。
『A Teenage Opera』からの曲なだったのだが(『宇宙の柳~』53ページ参照)、そのレコードを見ていたら、Mark Wirtz氏の名前を発見。
オペラは彼のプロデュースによるものだったらしい。
私は、何枚か彼のアルバムを持っていたので、その音を聴いて妙に納得。
素晴らしくドリーミーなサウンドであった。
以下の2枚も同じテイスト。

 love_is_eggshaped.jpg philwit.jpg
   love is eggshaped →          philwit & pagasus →

『LOVE IS EGGSHAPED』は2005年の録音で、なんと、イギリス人だったはずなのにアメリカ録音で、どうやら既にアメリカに住んでいるようでもある。
しかも、ジョージア州サバナ。
イーストウッドの『真夜中のサバナ』、アルトマンの『相続人』、サム・ライミの『ギフト』のロケ地である。
以前にも増して洗練された音の向こう側に微かに見える歪な風景は、おそらくサバナの空気のせいでもあるのだろう。

もう1枚の『Philwet & Pegasus』は1970年の作品。
ジョン・カーターなどがヴォーカルを務め、なんとなくフラワーポット・メンの「レッツ・ゴー・トゥ・サンフランシスコ」をも思わせる。
35年後の作品と比べ、音の空間としてはやはりこちらの方が捻れている。
どこかコントロールしきれていない部分が面白いと言えばいいのか、あるいは、そのコントロール不能な部分もコントロールされているその面白さと言うべきか。

いずれにしても、ジョー・ミークやフィル・スペクターとも比べられる人ではあるが、35年後もやり続けているということからも分かるように、あくまでも普通の人として、その極地まで行った人なのではないかと思う。
その普通さ、常識人的な部分が、オペラや絵本(『LOVE IS EGGSHAPED』は絵本のサウンドトラックとして作られている)といった、「別の物語」を必要としているのだろう。
自爆しないで生きていく方法を、常識人としての聡明さによって探し続けた人、ということになるだろうか。
その意味で、ついに紙ジャケット日本盤発売になったヴァン・ダイク・パークスより、今の時点で聴く意味がある人ではないかとも思う。
などと言ったら、ちょっと言いすぎになるだろうか。

12月25日(火)

昼過ぎ、事務所に長嶌が遊びに来る。
いつものようにしょうもない話となるのだが、爆音映画祭のやり方に関してはちょっとしたアイディアが出る。
要するに、無理しないということで、バウスとboidでやるときのいい意味での緩さの中で「適当」にやる。
「コンペ」部門も、それに見合ったものとなると思う。
もちろん、我々の「適当」がどのようなものか、実は我々にも分からない(笑)。
結果的にとことんハードなものになったりすることもある。
まあ、何が起こったとしても笑って許してくれるような大らかさで、爆音映画祭に参加していただきたい、ということである。

先日、大阪での青山特集の中で行われたダウザーのライヴ(長嶌は参加せず、音源を提供、それに寺井君がライヴ音を付けた)に、更に後から長嶌が音を加えたCDが、本日の長嶌のお土産。
これは、1曲の中の大きな展開といい、その広がりの解放感といい、素晴らしい出来。
どうやったらこういう曲を多くの人に聞いてもらえるのか・・・

その後、子どもと、クリスマスプレゼントを買いに吉祥寺に。
さすがに平日だと空いていて助かる。
しかしまあ、子どもの買い物は大変。
あーでもないこーでもないと、ウロウロするばかり。

帰宅後、先週末に送られてきた「週間金曜日」をパラパラと見る。
一体どうして送られてきたのかまったく謎で、封を解くのもためらっていたのだが、見てみたらなんのことはない、廣瀬がインタビューされていた。
しかも、堂々6ページ!
読んでみると、もう立派に詐欺師としての風格あり。
いや、もちろん真面目なインタビューでどこまでもアカデミックかつ実践的な話をしているのだが、その言葉の細部に漂う吹っ切れた強さは、これは詐欺師のものだろう。
けなしているのではなく、例えば、ゴダールを詐欺師と呼べるなら、という意味での詐欺師である。
これくらいでないと人は何かをキャッチしない。
ガンガン行って欲しい。

本日の1枚は、そんな詐欺師的な動きによって「花のサンフランシスコ」を大ヒットさせてしまったスコット・マッケンジー。
「夢のカリフォルニア」「花のサンフランシスコ」「ホリデイ」「マサチューセッツ」「サムバディ・トゥ・ラヴ」というのが、私の小学時代の洋楽愛聴アイテム。
といってもレコードを持っていたわけではなく、すべてラジオや近所の製糸工場の場内放送にて。
田舎の工場で働くおばちゃんたちもみんな、スコット・マッケンジーやママス&パパスやビージーズやジェファーソン・エアプレインを聴いていたのだ。

scott_m.jpg

スコット・マッケンジー/ステンド・グラス・モーニング→

このアルバムは、「花のサンフランシスコ」の大ヒットのあとに急遽出したファースト・アルバムが全く売れずに砂漠の真ん中のヨシュア・トゥリーに引きこもったのちに作られたセカンド。
ジャケ写も、そのヨシュア・トゥリー辺りで撮影されたものらしい。
残念ながらもう、詐欺師的な輝きはすっかり失せていて、これもまた全く話題にもならなかったのはよく分かるのだが、だからこそいいのだ、これを聴かなくてどうすると、詐欺師的な口調で言いたくなってしまうようなアルバム。
でもそう言ってしまってみると、曲のあちこちにキャッチーな輝きが見て取れる。
ちゃんと売れようとしてるんだよなあ。

12月24日(月)

連休中は、なんだか結局グダグダとするばかり。
まあ、こんなものでしょう。
年甲斐もなく舞い上がった年末とか過ごしたいものだと思うものの、子どもと『アイ・アム・レジェンド』を見に行くくらいが関の山。
内容を全く知らずに見に行ったのだが、要するにゾンビ+ドラキュラ映画だったのね。
人類がほぼ死滅したNYで一人で暮らす男という設定で、日常シーンでは環境音が鳥の鳴き声くらいで極めて静かだから、問題のシーンになるとやたらと音がでかく感じる。
子どもはさすがにビックリしていたようだ。
なぜかボブ・マーリーが大フィーチュアされてもいた。
愛と平和のメッセージがそこに込められているのだが、とはいえまあ、面白いアメリカ映画が見たくなる映画であった。

昨日、『アイ・アム』を見る前に、バウスにて、爆音映画祭について打ち合わせ。
来年5月に1週間、バウスの昼も使わせてもらうことになった。
ついに昼から爆音三昧という願いが実現。
レイトでは上映できない2時間を大きく超える上映時間の映画も、昼ならOKである。
オールナイトは辛い人も大丈夫。
あとは、どのように何をやるか。
やりたいことは既に決まっているのだが、5月ということになるともう、半年を切っている。
boid10周年記念企画でもあり、急ぎで準備に入らねば。

それから安井君に続き、青山から、「勘違い」シリーズの青山編が届く。
こうやってジャケット画像と一緒に音楽が語られるのは、別にジャケットについて何も語られていなくても、実に楽しい。
音楽的なものだけではない、しかしそれこそ音楽と一体になった微かな記憶を刺激されるのだ。
若き日に10年近くもレコード屋の店員をやっていて、毎日ジャケットばかりをいやになるほど見ていたからなのだろうか、とも思うが、それだけではないはずだ。
しかし、今後、ダウンロードばかりになり、アルバムジャケットがない時代になったとき、人は不思議な淋しさを覚えたりしないだろうか。

というわけで本日のジャケットはこちら。

all_things.jpg
All Things Must Pass →

なぜか、この連休中は、ジョージ・ハリスン特集であった。
このアルバムは、アルバムということではなく、「マイ・スウィート・ロード」一発。
中学1年の時の大ヒット曲。
「ハリー・クリシュナ」というコーラスは今聞くとかなり異様なのだが、シングルカットされたものでも入っていたのだろうか、全部が「ハレルヤ」というコーラスに差し替えられていたんじゃないだろうか、とさえ思う。
日本中のラジオから、もうたくさん、というくらいあちこちから流れていて、確かシングル・レコードも買ったはずなのだが、もはや手許にない。
アルバム自体を聞いたのは、それから10年後くらいかな。

12月21日(金)

昨日の日記に書き忘れたのだが、『ダージリン急行』には、とある役でバーベット・シュローダーが出演していた。
いい具合に歳をとり、なかなかな顔になっている。
晩年のロバート・クレイマーと現在のウィルコ・ジョンソンを合わせたような顔。
いや、スキンヘッドだ、ってことだけなんだけど。

しかし映画を見始めると、腰に来るねえ。
本日は何とも辛くて、スローラーナー製作でたむらさんが初めて8ミリカメラで撮影、菊池さんが音響を作った映画を見に行く約束をしていたのだがキャンセル。
夜のウォン・カーワイの新作試写も諦めかけていたのだが、中原に現地でDVD受け渡しとなり、どうせいつかは見なくてはならないのだからと六本木まで。
『マイ・ブルーベリー・ナイト』というトロトロのタイトル。
ノラ・ジョーンズが主演というのは分かっていたが、キャット・パワーがこんなに何度も流れるとは!

cp.jpg
ザ・グレイテスト →

内容の方は、まあ、『天使の涙』がニューヨークを舞台になっただけとも思われるものがメンフィスを舞台にした物語をサンドウィッチ。
キャット・パワーが何度も流れるのはニューヨーク。
ここはもう、『天使の涙』のショットをサンプリングして適当に入れておいても誰も気がつかないのではないかというような雰囲気。
ただ、カメラマンが違うので、なんとなく画角がしっくり来ない。
実は、キャット・パワーもあまり合っていない。
いずれにしてもどこからどこまでウォン・カーワイの映画。

しかしメンフィスに行くと、なんとなくメンフィスの映画になってしまうから不思議だ。
ウォン・カーワイでさえ、南部映画を撮ってしまうのである。

だとすると、何のことはない、アメリカ映画好きの日本の監督たちもこぞってメンフィスに行くべきではないか。
まあ、メンフィスでなくてもいいのだが、ぼやぼやしている暇はない。
そんなものではないかもしれないが、そんなものかもしれない。
ウォン・カーワイやタランティーノだけにやらせとく手はないと思う。
何というか、「どこにいてもやるべきことをやればいい」という言い方もできるのだが、やはりそこに行かねばできないこともある。
あらゆる手を尽くして、とにかく行ってみるべきである。
誰に何と言われようが、行くべき所に行った人を、私は支持する。
ウェス・アンダーソンだってインドまで行った。

12月20日(木)

何をとち狂ったか、昨日の日付が「8月19日」になっていた(現在は修正済み)。
まあこれも、サプリメント効果、ということにしておこう。

しかしまたしてもキンクスである。
「This Time Tomorrow」。
ガレルの『恋人たちの失われた革命』と同じ。
物語と曲の意味の関連性も似通っている。
過去と未来と現在とをいかに結びつけるかという意味において。
ウェス・アンダーソンは、前作『ライフ・アクアティック』でも、映画の歴史と持続と切断をテーマにしていたように思うのだが、今回の『ダージリン急行』もまた。
ただ、父親が死に、インドの奥地(ヒマラヤという設定)にて布教活動をしている母親を訪ねる3兄弟の物語は、更に未来を向いているように思えた。
父の想い出を胸に母を訪ねる旅は、過去へ向かうと思わせつつ常に崖っぷちの現在を浮かび上がらせる。
その崖の向こうへと歩を進めようという物語だと言ったらいいだろうか。
いずれにしても、キンクスも含め崖の向こうで聴くための極上の音が詰まったサントラを、早く手に入れなければ。

darjeeling.jpg

ダージリン急行 サントラ →

ちなみに本文中の太字の意味は、おそらく来年中にはとあるバンドがデビューするはずなのだが、その時に判明するであろう。
あまりに個人的な理由と偶然のため、思わず太字にしてしまっただけなので、あまり深く考えないでいただきたい。

12月19日(水)

昼から、ティム・バートン『スウィニー・トッド』かソクーロフの『牡牛座』の予定だったが、グズグズしてNG。
朝の微妙な時間に電話をかけてくる鈴木が悪い、ということにしておく。
あと1時間眠れていたら、試写にも行けたかもしれない。
いや、サプリメント3日目にして、既に身体が慣れてしまったのであった、ということなのだが。

昼過ぎに事務所に行き、アマゾンへの発送作業その他。
来年の計画の詰めなどしているうちに、既に夕方近く。

明日から正式オープンのmap運営の「なぎ食堂」へ。
渋谷の桜ヶ丘郵便局の斜め前の半地下。
かつてのビターズエンド事務所のすぐそばである。
ヴェジタリアン食堂。
準備万端の大オープンと言うよりは、まだまだこれからあれこれやりながらなんとなくいろんなものが出来上がっていく、という感じのダラダラ・オープンであるが、出された食い物はなかなか美味。
玄米ご飯を久々に食す。
mapのサイトのnewsコーナーの中にちょっとした告知は載っているが、まだ地図などは載っておらず。
とにかく、ネットで「桜ヶ丘郵便局」を探し、そこにさえたどり着けば四つ角の斜め前の半地下だからすぐに分かるはず。
基本的に食事がメインだが、飲み物だけでも大丈夫。
座敷あり(笑)。

その後、ガス・ヴァン・サントの新作『パラノイド・パーク』。
基本的には『エレファント』『ラスト・デイズ』の流れの中にあるのだが、より『マラノーチェ』に近い。
製作のサイクルが一回りして、限りなく原点に近い場所に立っているということなのだろうか。
一時、大江健三郎がよく言っていた「リ・バース」、「生き直し」みたいなサイクルに入っているのかもしれない。
だから限りなくチープで徹底して私的な視線を持ちながら、どこまでも大人で長い歴史の中にある映画。
しかも、もの凄く繊細に作られた音響=音楽と映像がフィットしていない。
フィットしていないことを効果的に使うわけでもないし、そのことを訴えようとしているわけでもない。
ゴダールのようなインパクトを与えようというわけでもない。
『ジェリー』の中での、二人の歩きの動きと足音のズレを更に洗練させた形での、当たり前のような映像と音の無関係さ。
うまくフィットしていてもいいし、フィットしなくてもいい、という態度といったらいいか。
映画の中で主人公が、「心と体が一致しない」というようなことを言っていたと思うのだが、まさにその不一致が、当たり前のように映画を作っているのである。
爆音ガス・ヴァン・サント特集は是非やらねばと思う。
まだまだ映画の音響はいろんな広がりを示すことができる。
そのことを伝えられたらと思う。

それから、なぎ食堂はカフェだけではなく、CD、書籍などの小さな売り場もある。
そこにも売られているのだが、福田教雄君が出し始めた『Sweet Dreams』という小冊子
音楽業界の大きな流れとも、日本の若者カルチャーの動きとも、ほとんど関係なく、この本が出なければほぼなかったことになってしまうかのようなあれこれが、普通に紹介されている。
この普通さが大事だよなと思う。
ジャンデックの49枚のアルバムを日記としてレビューする記事など、思わずニヤリとする。

その冒頭に着けられたエディトリアルが、この本の性格や、boidがなぜ『宇宙の柳、たましいの下着』を作ったかというようなことも説明してくれているように思えたので、ここに無許可転載する。
私のことだから入力ミス、変換ミスがあると思うので、その場合はなんとなく本文を想像しながら、読んでいただきたい。

 何たるバッド・タイミング。日本の出版不況とやらは言わずもがな、編集作業中の2007年夏、海の向こうでも『Punk Planet』誌と『Weekly World News』誌が、休刊に追い込まれてしまった。果たして雑誌なのか単行本なのか、ムックなのか文庫本なのか、それも音楽本なのかどうかも怪しいが、ともかく、そのようなものを出すには明らかに時代遅れ。印刷代も安くない。資金だって微々たるもの。「ネットでやれば?」と言われたら、まあ、確かにそうだろうと思う。でも、うまく想像できない。結局、ラッダイト運動みたいなものかもしれない。が、だからどうした、という気持ちもある。

 しかし、だ。ビル・キャラハンが、この「スウィート・ドリームス」という名前をくれたとき。『Weekly World News』のエド・アンガーが、その最終号のコラムを「ウェブ・サーフィンみたいかもしれないけど、こっちは現実なんだってことを子どもたちに教えてほしい」って言葉で締めくくっていたことを知ったとき。12年半の歴史を閉じた『Punk Planet』の表紙に「これは最後の号である。このあとは、きみたち自身で闘うのだ」と書かれているのを目にしたとき。ぼくはちっともやりきれてない、と思ったのだ。

 さて、エド・アンガーが、あれだけデタラメを並べた新聞について「こっちは現実なんだ」と書いていることに敬意を払って、この『スウィート・ドリームス』を、こんなエクスキューズから始めるのはどうだろう。

 このドラマはフィクションであり、実在する人物・団体とは・・・・・。

 この『スウィート・ドリームス』を楽しんでいただけたなら、とても幸せです。

                                           編集人

12月18日(火)

サプリメントの摂取量を昨日の半分に減らす。
さすがにあの奇妙な感じはなくなり、落ち着き始める。
いずれにしても、頭と身体が軽いのはいい。

本日は、ひるから、ティム・バートン、リドリー・スコット、トッド・ヘインズの3本立ての予定だったが、それも大変なのと、事務所での仕事もあるので、リドリー、トッドの2本に。

『アメリカン・ギャングスター』は製作にニコラス・ピレッジが入っていることから、『グッドフェローズ』のような血まみれのニューヨークの物語かと思っていたのだが、どうやらそうではない。
どちらかというと、やはり製作のブライアン・グレイザーとラッセル・クロウによる、『ビューティフル・マインド』に続くアメリカ物語パート2、といった趣。
脚本のスティーヴン・ザイリアンの取材力を活かした緻密な構成が、二人で一人の物語(デンゼル・ワシントンとラッセル・クロウ)を確かなものにして、ひとつのアメリカの物語に仕立て上げている。
二人の男の物語ではなく、「アメリカ」「合衆国」の失敗の歴史をアメリカ合衆国が暴き立てる、という物語。
もちろん、暴き立てているアメリカ合衆国にも未来はない。

具体的なシーンでは、ニューヨークの街のドラッグ・ディーラーたちの姿をそれなりの時間をかけて映し出しつつ、サム&デイヴの「Hold On I'm Comin'」を流し続けるシーンでは、ホロリときた。
これはもう、製作者のうちの誰かが『ソウル・サヴァイヴァー』のサム・ムーアのインタビューを見て、書き加えたシーンに違いないと、勝手に妄想する。
『ソウル・サヴァイヴァー』の中で、「あの辺りで、ドラッグを売っていたんだ」と復活したサム・ムーアが車中で語り、その車窓の向こうに見える街角の風景に、『アメリカン・ギャングスター』のそのシーンは見事に重なるのである。
あれを見ていなければ、このシーンにサム&デイヴは流せない。
つまり、この映画の中では誰もがサム・ムーアなのだ。
JAY-Zがすっかり感情移入してコンセプト・アルバムまで作ってしまったということなのだが、つまりそういうことだ。
JAY-Zも自分の中のサム・ムーアを音楽にしたのだろう。
そしておそらく、警察側で出演していたRZAも、ギャング側(デンゼル・ワシントンの弟)で出演していたコモンもまた、サム・ムーアとして、そこにいたはずなのだ。

で、それを逆転した形で語ったのが『アイム・ノット・ゼア』、ということになるだろうか。
ディランの分身らしき何人もの人々の物語。
フレーズごとに風景を変えていくディランの歌詞の見事な映像化、というふうにも言えるのかもしれないが、実はそうではなく、ディランの歌詞を「窓」のようなものとして、そこから見たアメリカがここに映し出されているのではないかと思った。
そこからのぞき見られたアメリカの風景は、なんと『アメリカン・ギャングスター』の風景と似ていることか。
どちらの映画でも、離婚した夫婦は子どもの養育権を巡って裁判騒ぎとなり、権力は常に目の前に立ちはだかり、事実とフィクション、善と悪の境目がどんどん曖昧になり、そしてアメリカはどちらの映画でも瀕死である。
一体どちらの映画のテレビの中で、ニクソンが演説していたのか分からなくなり、養育権を巡って争っていたのはシャルロット・ゲーンズブールとラッセル・クロウだったのではないかと疑い始める。

もちろんそれは、このふたつの映画があからさまによく似ている、ということではなく、私が見ようとした物語の要素を共に持っていた、ということに過ぎないのだが・・・

とにかく、それが目当てでもあったケイト・ブランシェット演じるディランは、やはりよかった。
いっそのこと、ずっと彼女だけのディランでこの映画が作られたとしたら、というようなことさえ思った。
おそらくそこには、「アイム・ノット・ゼア」否定形ではなく「アイム・ヒア」という肯定形のアメリカが、浮かび上がってくるのではないだろうか。
前もどこかで書いたように思うのだが、『ドント・ルック・バック』とか『ノー・ディレクション・ホーム』とか、ディランの歌や映画は、どうしてこう、否定形ばかりが氾濫しているのだろう?

ただ、この映画の最後、事故ったバイクが映されるシーンからは、「アイム・ヒア」という声が聞こえてきたような気がした。

12月17日(月) vol.2

下記に書き忘れたことあり。
いつもは書き忘れたことが例えどんな大切なことでも、「書き忘れた」ということを優先させてしまうのだが、今日は、やはりサプリメントのせいなのか・・・

何を書き忘れたかというと、特別なことでもなんでもない。
『4ヶ月、3週と2日』のシネスコについて。
横長の解放感ではなく、なぜかいつも上下が足りない世界の圧迫感が漂う。
それをチャウシェスク時代の空気感、と言ってもいいのだが。

最後のシーンで、ホテル内のレストランにいた二人をとらえたショットがあり、次第にピントがずれたのだったかカメラが少し後ろに移動したのだったかで、それまで二人のそば、つまりホテルのレストランの内部で二人をとらえていたかと思ったカメラは実は外にあって、道路に面したレストランのウィンドウに映る車のライトなどと一緒に二人の姿をとらえだしたとき、音の方もレストランの内部の音から、外側の音へと次第に移っていく。
その時の世界が開けた感じのために、そのシネスコがあったように思えたのだった。

つまり、何かの圧迫への反撥の時代から、外側の世界に自分の足で立つ自己責任の時代への変化が、このような形でとらえられたのかもしれないと思った。

いや、ただそれだけのこと。

それから、サプリメントは味の素からも売り出されているような、あくまでも合法的な「健康食品」です。
念のため。

12月17日(月)

1週間の廃人生活からようやく復帰。
おかげで、のんびりするはずだった今週は、日々試写と打ち合わせの連続。
さすがに今週も廃人になっていると仕事にならないので、ちょっと前にバウスの映写&音響助手のK嬢から情報を仕入れていた秘薬を注入。
秘薬といってもまあ、睡眠時の身体の疲労回復機能の補助サプリメントである。
短時間しか眠れないときでも、眠りの深さによって身体の回復がはかれるという効能があるのだ。

というわけで、本日は9時に目覚めて、どうもその時から妙に頭がはっきりしている。
変だなと思っているうちに、奇妙な覚醒状態に入って、そのまま終日。
心臓に負担がかかっていなければいいのだが・・・

その覚醒した状態のまま3ヶ月ぶりの試写。
本当に、気がつくと3ヶ月も試写に行っていなかったのだ。
『4ヶ月、3週間と2日』という映画のタイトルまでは行かなかったが、3ヶ月も見なければもう、十分である。
しかし、チャウシェスク政権時代の女子大生の中絶の物語をオール手持ちのシネスコにて。
『夜風の匂い』を思い出す。
彼女たちの悲惨さやギスギスした人間関係、それから切り取られる風景の冷たさなどからアニエス・ヴァルダの『冬の旅』も思い出していたことから、なんとなく女性監督に違いないと決めつけてしまっていたのだが、男性だった。
キアロスタミにもフォン・トリアーにも、ダルデンヌ兄弟にもなれる。
いろんな可能性が詰め込まれているのだが、カンヌでパルムドールを受賞したのは、そういった可能性に対してのものなのか、あるいは語られている物語の重さに対してのものなのか。
もちろんその両方に対してなのだろうけど、だったら、10年以上前に『Helpless』がパルムドールを受賞したとしてもおかしくなかったはずだ(今回の佐世保の事件では青山の所にメディアから取材は入らなかったのだろうか?)。
まあ、これは当の映画とは関係ない話。
しかし私は、女子大生たちに説教するもぐりの堕胎医になぜか感情移入してしまった。
いよいよ我が子の問題として、こういう映画を見るようになったということなのだろう。

先日から、アラン・ローマックスの『アラン・ローマックス選集』を読み始めているのだが、そこに入っていたみすず書房の近刊案内を見たら、ピーター・ギュラルニックの『エルヴィス登場』の続編、60年代のエルヴィスについての評伝『エルヴィス伝』の出版告知が。
おおついに、とニヤリとしたものの、値段を見たら8820円!!!!!
確かに700ページを超える分量で、おそらく2段組だから相当なことになっているとは思うのだが・・・
とはいえ『エルヴィス登場』だって560ページ以上あり2段組で3800円だからねえ。
おそらくそれくらい、本が売れなくなっているのだろうとは思う。
先日、ABCのイヴェントの時に直枝さんとグリール・マーカスの『ミステリー・トレイン』の復刊を、という話をしたのだが、それはもう、夢の夢みたいな話なのかもしれない。
あるいは、復刊されたのはいいもののやはり8000円くらいの値段、ということもあり得る。
貧乏人が、普通に本を手にとって読み、それに誘われてなんとなくCDやレコードを買ってしまう、という不思議なめぐりあいみたいなことはあり得ないのだろうか・・・

12月13日(木)

中原からメールがきて、昨日、中原もシティ『夢語り』を聴いていたとのこと。
キャロル・キング恐るべし、というべきか、『宇宙の柳』恐るべしというべきか。
まあ、これだけ一気に紙ジャケCDになれば、目に付くよね。
詰まるところ、メジャーの資本力、恐るべし、ということなのだろう。

アイク・ターナーが亡くなった。
新聞などの記事を読むと、知らない人はロック・ミュージシャンというふうに思ってしまうだろう、というような記述になっている。
なんとなく寂しい。

この数日、半端ではなく急激に体調が悪化しているような気がする。
気のせいのような気もするが、辛い。
辛いと思うくらい余裕ができたとも言える。
本日もコーエン兄弟『ノーカントリー』欠席。

とはいえ、ちょっとは景気のいい話も。
来年は、何とかして「爆音映画祭」なるものをやろうという話になっている。
10分以内くらいの爆音作品を大々的に募集してコンペをやろうかと。
映画作りをしている皆さん、急に作品募集が発表されても大丈夫なように、今から心しておいてもらえるとありがたい。
思いもよらない爆音映画に出会えることを願っている。
とはいえ、もちろんこれは、バウス協力無しにはあり得ないのだが。
果たして本当に実現できるだろうか。

12月12日(水)

本日は訳あって夕方には帰宅、子どもと一緒に食事を作る。
何を作ったかは秘密だが、いつの間にか私よりまともに野菜を切れるようになっていて驚く。

city.jpg
The City 夢語り →

というわけで、昨日の「ローレル・キャニオン」繋がりで、キャロル・キングがニューヨークから西海岸のローレル・キャニオンに移り住んで作ったバンド、シティの唯一のアルバム。
もちろん、リアルタイムでは聞いてはいない。
キャロル・キングの名前を知ったのは「イッツ・トゥー・レイト」が大ヒットしたときだから、70年代初め。
その時は既に西海岸の人であった。
だから分かってはいても東海岸のキャロル・キングにはどこか違和感を覚えてしまうのだが、まあ、その時はパフォーマーではなかったのだから致し方なし。
しかしこのアルバムを聴くと、具体的には言えないが、やはりどこか東海岸の香りがする。
ライナーにも書いてあるように、非常に完成度の高いデモ・テープのような、逆に言えばアルバムとしてはまだ未完成の仕上がりのせいもあるのだろうか、どこか東海岸と西海岸を行ったり来たりしているような、そんな印象を受けるのだ。
キャロル・キングのボーカルがバンドのサウンドと完全に一体化していない、ということもあるのだろうか。
ダニー・クーチが歌っている曲だけが、ひとつの方向をはっきりと示しているのが印象的だ。
ライナーの中で小西康陽氏が、「シティの持ち味はむしろこのジョー・ママに引き継がれているんじゃないですか?」(ジョー・ママはシティのメンバー、ダニー・クーチとチャールズ・ラーキーが、アビゲイル・ヘイネスと組んだバンド)と書いていて、私はジョー・ママは聴いたことがないけれど、本当にそうなのだと思う。

とはいえ、本人たちの意図はともかく、今聴くと本当になにげなくふとできてしまったように聞こえてしまう、そこまでくるのに一体どれだけのことがあったのか・・・
東海岸から西海岸の間には、超えがたい何かがあるに違いない。
キャロル・キングは、それを超えて、ローレル・キャニオンにたどり着いたのだ。
こうなってくると、ジョニ・ミッチェルも聴き直してみなくては・・・、という気分になる。

そして更にライナーによると、オリジナル・ジャケットのレコードは発売された枚数も少なく、非常に高額な中古商品として売られていたとのこと。
しかし、『宇宙の柳~』を読むと、直枝さんはロサンゼルスで、それを1ドルにて購入したらしい。
敢えて値段を入れていたのはそういうことだったのかと今頃になって判明。

12月11日(火)

間の悪い日というのはあるもので、昨夜から本日にかけて、すっかり疲れ切ってフラフラになっているところに、なぜか立て続けに仕事の依頼電話が。
ひとつ断るともう、どれも引き受けるわけにはいかなくなり、すべて断る。
ついでに、2月くらいにと予定していたboidのイヴェントも断りの連絡を入れる。
約束していた試写も、すべてキャンセル。
ウェス・アンダーソンもカンヌ・グランプリの『4ヶ月、3週と2日』も行かず、バルト9にてゼメキス。
当然、3D上映の『ベオウルフ』を。
映画館で映画を見るのは子どもと行った『ナルト』以来3ヶ月ぶり。
バルト9は初めてである。
シネコンはいつも、どうやって入ったらいいのかオロオロする。
分かってしまえばなんでもないのだが。
しかし、売店のカフェオレはどうにかならないか。
豆乳で作ったものらしいのだが、粉っぽくてはっきりとまずい。
別に健康のためにコーヒーを飲んでるわけじゃないので、そこまで健康志向にしてもらわなくて結構。
確かにフラフラではあるのだが、だからといって豆乳で元気になるわけではない。
せめて、通常のカフェオレと選択できるようにしていただきたい。

劇場は、スクリーンとの距離が近くて、椅子が結構真っ直ぐなので、前の方だと疲れる。
3Dなので、いつもは座らない前の方に座ってしまったのは失敗。

今回の3Dは、『ポーラーエクスプレス』の時のものとは違い、青と赤の昔からの方式の進化版、といった程度のものだったように思う。
メガネもアイマックス・シアターのような偏光レンズのゴーグルではなく、普通のメガネタイプのもので、左右のレンズの色が微妙に違っていた。
したがって、3Dの精度自体には驚きはない。
旧タイプの3D映画を最新技術でやっている、といったところか。
『スパイ・キッズ3D』のように、それをキッチュなものとして見せようというような鬱陶しい野心がないのがこの映画のいいところだ。
CG合成した人々の動きはまだ不自然さが目に付くが、もう少しの所まで来ている。
数年後には、渾身の3D作品を、ゼメキスは作っているだろう。

物語は5世紀くらいだったかのデンマークを舞台にしつつ、しっかりと現代アメリカのあり方を見つめている。
父親(=王=アメリカ)が生み出してしまった呪いとの闘いの物語。
もちろん、それは誰かが父親になろうとする以上、必ずつきまとう。
ラスト・シーンが『キャスト・アウェイ』を思い起こさせる判断不能の男の顔。
ゼメキスはまだまだ見る価値あり。
しかも、アンジェリーナ・ジョリーが久々にちょっといい感じで登場。

帰りにタワーにて、ようやく、ライ・クーダーの『チャヴェス・ラヴィーン』を。
『宇宙の柳~』190ページにて、ジャッキー・デシャノンの『ローレル・キャニオン』とセットで語られるハリウッドの裏側の物語。
ライナーの翻訳などを読みつつ聴く。
映画の『チャイナタウン』と小説の『ブラック・ダリア』とそしてこの『チャヴェス・ラヴィーン』の三つが一体となった世界がむくむくと湧き上がる。
あるいはまた、『チャヴェス・ラヴィーン』、『グリーンデイル』(N.ヤング)、そして少し強引ではあるがラウドン・ウェインライトIIIの『"HERE COME the CHOPPERS!"』。
40年代、50年代のアメリカを記憶の彼方で知る者たちが、当時のアメリカの失敗を、人々の夢や野心や愛や悲しみと共に語る試み。
もちろん『ベオウルフ』もまた、ゼメキスのやり方でそれを行っている。
今や、ドジャースタジアムとなってしまった「チャヴェス・ラヴィーン」が、5世紀のデンマークと繋がっていたとしても不思議ではないのだ。

chavez.jpg
チャヴェス・ラヴィーン →

12月10日(月)

爆音『Too Tough To Die』開催中である。
この音で聴ける機会はもう2度とないだろうから、この機会に是非。

音の問題だけではなく、ラモーンズ・ファンである各バンドが、ラモーンズ・ファンの目の前で、ラモーンズの曲をやるという緊張感や、バンドをやっていなかったら自分があの客席にいたかもしれないという可能性の広がりの中で演奏することの時間と空間のねじれを堪能できる、いい映画なのである。
つまり、それを見ている我々もまた、もしかすると自分があのステージに立っていたかもしれない、少なくともあの客席にいたかもしれないという可能性を見せてくれるのである。
映画を見るってこういうことだよなと思う。

今週金曜日まで。

12月6日(木)

昨日は、昼、大阪から海老根がやってくる。
海老根に会うのも1年ぶりくらいか。
うっかりしていると1年くらいあっという間である。

夜、中原が、金曜日から始まる「ポケット・シネマ・フェスティバル」という携帯動画による映画祭のための編集をしにやってくる。
携帯で撮影した動画の画質の良さに驚く。
最上位機種の画質はもう、DVとほぼ同じである。
しかも、安くなったメモリカードの容量も増えて、たっぷりと録画できる。
DVで撮影した作品が当たり前のように作られている状況を考えると、画質だけなら、もう、携帯でもOK。
今はまだこうやって「ポケット・シネマ」というジャンルを作って特化させることによって市民権を得ようとしている状況だが、すぐに、それ自体は特別なことではない状態になったりするかもしれない。
ただ、映画の不自由さ、重さ、それにかかる時間といったものは、やはり何物にも変えがたいものとして残っていくだろう。

中原の編集作業は、『AA』チームの今井に任せる。
さすがにもう、自分でソフトを扱うことはできない。
目も見えないし。
ただやはり、動画の編集作業は面白い。
ちょっとしたことで、見え方がすっかり変わる。

作業は結局、深夜3時くらいに終了。
7日からフェスティバルは開始される。
詳細はここ→

本日は、夕方からABC本店での『宇宙の柳、たましいの下着』発売記念のトーク。
本書の中の「音楽の栞」というタイトルが付けられた音楽に関する本について。
本日のお題になったのは下記。

『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』ジェフ・エメリック 、ハワード・マッセイ著(白夜書房)
『ボブ・ディラン自伝』ボブ・ディラン著(ソフトバンクパブリッシング)
『グリンプス』ルイス・シャイナー著(東京創元社)
『天使はブルースを歌う 横浜アウトサイド・ストーリー』山崎洋子著
『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』藤本 義一著
『突然訪れた天使の日 リチャード・ブローティガン詩集』リチャード・ブローティガン著
「みちのくの人形たち」深沢七郎著
『サン・ラー伝 土星から来た大音楽家』ジョン・F・スウェッド著(河出書房新社)
『ピントがボケる音』安田謙一著(国書刊行会)
『踊る目玉に見る目玉 アンクル・ウィリーのザ・レジデンツ・ガイド』アンクル・ウィリー著(文遊社)
『ロバート・クラムBEST Robert Crumb's troubles with women』ロバート・クラム(河出書房新社)
『The Push Pin Graphic: A Quarter Century of Innovative Design and Illustration』シーモア・クワスト、スティーヴン・へラー、マーティン・ヴェネスキー著

今後のヒントになるような話がいくつも出た。
来場していただいた方々も、今後の音楽人生にとって大いに参考になったのではないかと思う。

私は、読みのがしていた『グリンプス』が既に絶版だと聞いてショックを受ける。
自分でも信じられないくらい本を読むのが遅い私だが、やはり、買うべき時に買うべき本は買っておかねばダメだと反省。
今思い出すと、何年か前、青山からこの本の話を聞いて、その時とにかく買っておかねばと思った記憶がある。
青山ではなく安井君だったか・・・

その後、バウスにて爆音『エンド・オブ・ザ・センチュリー』調整。
ドルビー・デジタル作品だが、予想通りデジタルデータが既に剥落していて、アナログのドルビーSRでの上映となる。
だが、これはこれで良し。
本当に不思議だが、ラモーンズの音はどんな状況でもへこたれない。

それから、来年1月。
渋谷シネセゾンで雑誌「エスクァイア」主催の特集上映がある。
その、音楽ドキュメンタリー作品の5本を選んだのだが、またもや、私の手の届かぬ所で事故があり、どうなることか、またもや頭を下げねばならないのかとハラハラしたもの、なんとか無事上映ができそうなことになったと、報告あり。
モノラル・ヴァージョンだが『ざ・鬼太鼓座』は上映できる。
めったに見られないものなのでこの機会に是非。
あと、DVDが売り切れになったまま何年か経ってしまっている『ウィルコ・フィルム』や、ついにあのタウンズ・ヴァン・ザントのドキュメンタリーも上映できるかと思う。
アメリカ70年代、80年代の裏側の核を知るためにも、これはとにかく見なくてはならいドキュメンタリー。
SSW、ブルース、カントリー、フォークなどなどに興味のある方々、こぞってシネセゾンに押しかけて下さい。
ただ、ウィルコとタウンズ・ヴァン・ザントは、多分上映できる、という状態なので、はっきりしたら、またお知らせします。

townes.jpg


12月4日(火)

明日はいよいよダグラス・サーク・コレクションの第2弾の発売。
とはいえ、なんだか間抜けなことになってしまった。
→このページ参照
せっかくの『悲しみは空の彼方に』の感動に水を差されたとお怒りの方も出てくるかもしれない。
それに関しては、頭を下げるしかない。
おまけのおまけのおまけ、というくらいに考えていただけたらと思う。

本日は、大阪での写真展に備えて、作業をしにやってきた鈴木と、来年のboidの活動についてあれこれ。
シリーズでやると面白い、というイヴェントのアイディアが。
こういう事を余裕を持ってやれるようになるといいなあと思う。

中原は『宇宙の柳~』を読んで、マーク・ベノを買ったとのこと。
これがまたいいのだ。

  m_benno_1.jpg m_benno_2.jpg マーク・ベノ→

12月3日(月)

午前中の歯医者の治療を終えて事務所に行くと、『宇宙の柳、たましいの下着』の宣伝を手伝ってくれている小倉入院の知らせ。
重度の椎間板ヘルニアの疑い。
とにかく身動き取れないまま、病院に運ばれたらしい。
土曜日のオールナイトの後、日曜日はK-1を見に行くと言っていたので、連絡をくれた小倉姉にたいして、「まさかリングに上がったわけじゃないですよね」と、つい、しょうもないことを言ってしまう。
どうやらその前に、動けなくなってしまったらしい。
いわゆるギックリ腰かと思っていたのだが、椎間板ヘルニアというのは、ギックリ腰とは違うのだそうだ(当たり前)。
とにかく、無事の退院を祈るばかり。

というわけで、いろんなことが少しずつ落ち着き始めていたのだが、まだまだそうは簡単には終わりそうもない。

夜は、ラモーンズ爆音調整。
本日は『It's Alive』。
収録場所も、年代もバラバラなので、音質はそれぞれで本当にバラバラ。
74年のCBGBから始まり、77年のロンドン、78年のドイツのテレビ、そして82年のカリフォルニア、92年のミラノ。
ラインで撮られたものもあれば、おそらくビデオのカメラのマイクに直接ではないかと思われるもの、そしてテレビの音源などなど。
でも、それらの音質の違いなどものともしない、太い音が出てくるところがラモーンズの凄さだということを実感。
悪い音は悪い音なりに爆音で十分堪能できてしまうのだ。
もちろんこちらも、キンキンの耳鳴り付き。

その後、久しぶりの『レッツ・ロック・アゲイン!』。
今回はDVDでの上映。
これまた、これまでのベーカムの音質とはまったく違う。
低音が固まりになって身体に来る。
バイオリンやギターの生音が凄くいい。

いずれにしてもオールナイト参加者は、耳と身体を鍛えておいてほしい。

それから、小倉に連絡が取れない、という方々、とりあえずboidまで連絡をください。

12月2日(日)

もう完全にダメかと思い、タワーのトークもバウスのオールナイトも欠席との知らせを、スタッフ、直枝さんたちに回したのだが、やればできる。
木曜日から3時間くらいの睡眠で土曜日の昼にようやくおおよそが終わり、寝坊したら欠席との覚悟で眠ったのだが、3時間で目が覚めた。

金曜日には、いつもは原稿を頼んでも簡単には書かない安井君から、頼みもしないのにいきなり『宇宙の柳~』の原稿が送られて来た。
こういう事件は本当に嬉しい。
今後『宇宙の柳~』は、安井豊に自ら進んで原稿を書かせてしまった書物として、長らく語り継がれることになるだろう。
そして、リトルモア孫君からも、励ましの電話。
いい歳した大人たちの心をくすぐる本になっているようだ。
というか、それぞれが生きてきた過程と重ね合わせながら読める本になっている。
そしておそらく、これから生きていくはずの人生とも。

いずれにしても、土曜日、無事にタワーのトークも、バウスのオールナイトにも参加。
バウスでの直枝さんのソロ・ライヴは見事だった。
ギターの音、歌声の繊細な変化が会場全体に広がる。
いつかたっぷりとライヴを聴かせられるオールナイトを。

そして、『ROCK LOVE』『サン・ラー/ジョイフル・ノイズ』『ヘリウッド』『マルホランド・ドライヴ』という上映に。
一件統一感のないタイトルの並びだが、続けて見てみるとそれらが壮大な宇宙を成す。
まさに「宇宙の柳」がバウスの上に垂れ下がったかのようなオールナイトであった。

というわけで日曜日の朝、奇妙な充実感と共に9時過ぎに帰宅。
さすがに夕方近くまで寝てしまう。

それから、安井君の原稿にあるように、それぞれの「勘違いの音楽史」の投稿受付中。
気が向いたら、ということで問題なし。
気長に待ち続けます。

11月29日(木)

午後からバタバタして夕食も取れないまま深夜の爆音調整。
詳細を書きたいが、とにかく、私の時間が半端ではなく、まったくない。
サン・ラー、爆音で宇宙を語る。
ラモーンズは、何はともあれ、耳鳴りして帰ってください!(笑)。
凄いです。
これを聞かねば見たことにならないでしょう!

しかし、このままでは、土曜日のオールナイトにも参加できず、ということに今になって気付いた。
完全に時間切れ。
深夜3時過ぎに夕食など食べたくないねえ・・・

11月28日(水)

夜、『宇宙の柳、たましいの下着』のうちあげを。
映画にしても、音楽にしても同じことだが、ひとつのものを作るのには、本当にエネルギーが要る。
一人ではとてもじゃないが、支えきれない。
こうやってワイワイやりながらエネルギーを循環させることで、費やしたエネルギーを少しずつ充填させていくわけだ。
しかし、終わってしまうとあっという間ではあったのだが、もの凄く充実した半年間だったと思う。

友人たちのブログでにも、感想が載り始めた。
荻野洋一→2月27日付
青山真治→2月28日付

この本は、読む人それぞれの人生と音楽とに深く関わり合いをもてたら、という願いも込めて作られている。
自分が見捨ててきたこと、忘れてしまったこと、まったく見たこともなかったことなどに、この本を読んだことでふと思いを馳せてもらえたらと思う。
そうやって人は、それぞれの人生を膨らませていけるはずだ。
だから、上記の友人たちの非常に個人的な感想はとても嬉しい。
それぞれがそれぞれの想い出や未来と重ね合わせながら、読んでもらえたらと思う。

この本作りを通して、少しずつboidの態勢が整ってきたような気もしている。
もう若くはないので「若者たち」と言わないでくれと本日、うちあげの席上で指摘されたのだが、とにかくまあ、私よりはだいぶ若いスタッフが揃い、やりようによってはいろんなことができる。
ただ問題は、彼ら全員が生活していくだけの稼ぎがboidにはない、ということだ(笑)。

映画パンフレットの編集、英語・フランス語の翻訳、映像編集、写真撮影、デザイン、宣伝などなど、困った時にはboidに連絡を。
いざとなったら音楽製作も引き受けます。
ただし、「全然予算がないんですけど」という仕事は、こちらの資金繰りをふまえ、お断りさせてもらう時もあります。

それからいよいよ、ダグラス・サークのボックスセット第2弾が出来上がってきた。

sirk2.jpg
ダグラス・サーク・コレクション2→

発売は12月5日。
『愛する時と死する時』のマスターを作り直してもらっていたため、予定より時間がかかってしまったのだが、その分、ニューマスターでの『愛する時と死する時』をご覧いただけます。
こちらの方も、『サーク・オン・サーク』から始まって、まるまる2年がかり。
その前の構想期間も含めると10年近い年月がかかった。
本当に、よくここまでたどり着けたと思う。
ただ、とにかく『宇宙の柳~』もサークも、ちゃんと売ってこそのもの。
まだまだこれからである。

11月27日(火)

具合が悪い時は、いろんなことを諦めるに限る。
物心付いた頃から諦め続けているような気もするが、諦めても諦めても諦めることが尽きないのは一体何故か?

井口奈己の『人のセックスを笑うな』を見る。
噂に違わず、傑作。
気の遠くなるような退屈な時間と瞬きもできない濃密な時間とが交錯している。
女子の視線と男子の視線との交錯、屋外ショットと室内ショットの交錯。
その中で、ジオラマボーイとパノラマガールが生きるレッスンを続けている。
いや、パノラマボーイとジオラマガールなのか・・・。

決定的なことは何も起こらないという決定的な時間を、彼らは生きている。
たとえ本当に決定的に思えることが起きたとしても、彼らの人生はそこで終わってしまうわけではない。
ちょっとガス欠するだけだ。
そのガス欠を、彼らはしっかりと受けとめているように思えた。

ちなみに、風景、自転車やバイクでの移動、世界の狭さと広さ、異性同性にかかわらず他人の家に勝手に上がりこんでのその親族との会話など、そのまま私の高校時代だった。
まあ、これは個人的な感傷なのだが。
今の大学生は、私の頃より更に低年齢化している、ということなのだろうか。
まあ、私の大学時代といっても、すでに30年前だからねえ・・・、ふう・・・。

11月26日(月)

週末の、ジュンク堂のイヴェント、バウスの初日、そして鈴木の写真展など、とにかく無事に終了、及び開始。
詳細は別ページにて。
ジュンク堂&初日舞台挨拶の様子→
鈴木写真展→

そして更に、今度の土曜日、タワーレコード新宿店でのトーク&サイン会が決定。
詳細はこちら→
ジュンク堂でのトークは『宇宙の柳~』にまつわる話を軸に行ったのだが、タワーでは、そこに選ばれなかったアルバムについての話が良いのではないかという案が出ている。
果たしてどうなるか。
こちらは、紙ジャケプレゼントはないが、サイン付きとなる。

本日は、それらイヴェントの疲れや、月末原稿締め切りなどなどがあり、地に足の着かないまま過ごす。
昼過ぎくらいまでは、比喩ではなく、本当に地に足が着いていなかった。
いつもは耳鳴りから来るのだが、昨年以来、ちょっときつめの耳鳴りが恒常化しているためか、耳鳴りではなくいきなり目眩から。
別の病気だろうか・・・

そうそう、ちょっと前に黒岩から教えてもらった「脳内メーカー」という変なサイト。
名前を入力するだけで、その人の脳の中が見えるというやつ。
黒岩から教えてもらった方は、とにかく私の頭の中は「金」一色。
詳細はこちら→
笑っていたのだが、同じ「脳内メーカー」でもどうやら別のものもあるらしく、そっちを見ると、「休」一色。
詳細はこちら→
どちらとも、現在の私に必要なものを、見事に言い当てている。
恐るべし。

11月23日(金)

昨夜の爆音の余韻を残したまま、昼過ぎに目覚め。
フラフラと事務所へ。
先日までの製作チームではなく、営業・宣伝チームが忙しく働いている。
作ったものを売るのは、本当に大変なのだ。
作る時は、自分がやったことがどんな形であれ、結果が残っていくが、宣伝・営業は売れなかったら何もしなかったのと同じ、という広大な虚無が常に貼り付いている。
とはいえやることはやらねばならない。
明日から3週間くらい、さまざまな営業イヴェントが待っている。
詳細はこちら→
今後、更に追加される予定。
いずれにしても、たった2800円で思わぬ世界の広がりを体験できる本。
是非、ご購入を!

そして、明日から、ジュンク堂池袋本店3階、及びバウスシアター・ロビーでの、『宇宙の柳、たましいの下着』写真展を行う鈴木も忙しく準備中。
先日まではモノクロ写真ばかりだったのだが、本日はカラー写真を。
ジュンク堂がモノクロ中心、バウスはカラー写真を集めた展示となるとのこと。
鈴木の写真はいつもモノクロの方に目がいってしまうのだが、今回、焼き込んで引き延ばしたカラー写真を見ると、これが本当に良いのだ。
どこかで直枝さんの文章と共鳴しあっていて、「道を渡ればすぐそこに別世界」という風景における「道」とは何か、ということを浮かび上がらせているようにも見える。
ジュンク堂では12月半ば過ぎまで(もしかすると年内いっぱい)、バウスでは映画の上映期間中、展示される予定。

明日は、『ROCK LOVE』も初日を迎える。

11月22日(木)

ついに『宇宙の柳、たましいの下着』完成!
232ページというページ数だけ聞くとそれほどの分量ではないと思われるかもしれないが、本のサイズ自体がでかいので、通常の単行本サイズだと、軽く400ページは超えている。
したがって、重い。
男子でも30冊持ったら、ガツンと来る。
感慨ひとしお。
この本を頼りに音楽の森を散策する贅沢な日々を、多くの人に味わってもらえたらと願う。

とにかく皆で発送作業。
久しぶりの肉体労働である。
腹が減る。
減っても働く。

なんとか本日分を仕上げ、バウスに向かい、深夜の爆音調整。
『ROCK LOVE』は中音域をあげることで問題解決。
そして『マルホランド・ドライヴ』。
センター・スピーカーからしか出ていなかった音を左右のスピーカーに振ることで問題解決。
リンチ、恐るべし。

実は、イメージ・フォーラムにてリンチ特集が今週から行われていて、『マルホランド』も上映されているので今回は見送ろうかとしていたのだが、「いや、爆音でやるのに意義があるのだ」という直枝さんの一言で上映を決定したという経緯あり。
これが正解。
爆音でこそのデヴィッド・リンチ。
贅沢な一夜となる。

明後日はもう、『ROCK LOVE』初日である。

11月21日(水)

というわけで本日も歯医者に。
奥歯の虫歯はそれほどは進んでおらず、治療は案外簡単に済む。
とはいえ、既に詰め物がされていた状態なので、医者からは、麻酔もせずによくここまで治療したと呆れられる。
歯医者の麻酔がダメなので、抜いたりする時以外は基本的に麻酔無しでやってもらっているのだ。
麻酔で気分が悪くなるより、治療中の痛みの方がまし、というだけのことなのであるが。

事務所のエレベーターはついに開通。
6階までの道のりがこんなに楽ちんだったとは!

いよいよ明日は、『宇宙の柳、たましいの下着』が到着。
期待と不安が交錯する。
boidストアにてご注文の方々、明日の夕方にはメール便にて発送するので、26日には到着すると思います。
お楽しみに。

注文はこちら→

11月20日(火)

というわけで、朝から歯医者に。
差し歯も折れておらず、歯の根っこの方もいたんではいなかったので、接着剤をつけて差し込むだけ。
取れてしまった時のしょんぼりする喪失感と、取れた状態の情けなさに比べ、なんとあっけなく現状回復することか。
ただ、左奥歯も痛み始めたので、今後の治療の予約をして、事務所に。

本日からは、ようやくエレベーターが始動。
取り替え工事のため、10月から50日間、6階まで階段の上り下りだったのだ。
この間、昼食時の往復があるので、基本的に1日2回は6階までの階段での昇降をやっていたのだが、これが結構辛かった。
「いい運動」とも言えるのだが、それは、普段から鍛えている人にとっての話。
既に弱っている人にとっては、単なる拷問で、この間の昇降だけで、相当腰が悪くなった。
もううんざりなのであった。

しかしである。
入り口のドアに貼り付けてある紙を見ると、工事期間は「11月19日(月)まで」という部分に二重取消線が引かれ、「11月20日(火)」と書き直してあるのである。
ふー。
夕方、配送の荷物を集荷しに来た宅急便の配達員も、さすがにうんざりしている。
「明日も工事の日付が書き直してあったらどうしましょうねえ」と、お互い苦笑い。

夜8時過ぎに、エレベーターの脇の壁の修復部分の塗装の仕上げ作業が始まる。
その、塗料の臭いがガンガンはいってきて仕事にならず。
1時間ほど我慢したがたまらず帰宅。
ボーッとして夕食を食していたら、今度は奥歯の詰め物がとれる。
さすがにめげる。

11月19日(月)

月曜日は、各所に連絡を入れたり入ってきたりなどなどで、なんとなく落ち着かない。
しかも、25年ぶりに会う某誌の編集者が事務所にやってくる。
その間、流れた歳月に愕然とする。
本当に、まだ昨日のことのような気がする。
人はこうやって生きてきた年月を自分の物にしていくのかと思う。
そこには過ぎ去った日々があるのではなく、昨日のことのように思える日々があるだけなのである。
「現在」という時間がどんどん分厚いものになっていくのを感じる。
老人たちの時間感覚とは、そのようなものなのだろう。

その後、鈴木がやってきて今週末からのジュンク堂池袋店での写真展の準備。
鈴木の車での帰り道、カーステレオから流れる音楽があまりにいいので、これは一体誰かと尋ねると、ボビー・チャールズとの答え。

boby.jpg
ボビー・チャールズ→

おお、『宇宙の柳~』の推薦アルバムのひとつである。
恥ずかしながら、私はこれまで聴いたことがなかった。
鈴木も、今回の本のおかげで買ったのだという。
ザ・バンド、ドクター・ジョン他の参加による音響は、なんかもう、耳ではなく、身体全体から染み込んでくるような、優しいボディ・ソニックなのだ。
『宇宙の柳~』を読みながら、これまで聴いたことのないアルバムを、ボチボチと買い集めながら聴いていくのは、「お楽しみ」としては格別である。
特に私のように、自分の感覚でしか音楽を聞いてこなかったものにとっては、それはおそらく「他人の耳で音楽を聞く」という人生が2倍になったような体験となることだろう。
来週からは「読者」として、たっぷりとこの本を堪能しようと思う。

帰宅後、食事中にボーッとしていて前歯への意識を失い、何かの難い固まりを思い切りかんでしまう。
間もなく、前歯の差し歯が取れる。
うーむ、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の撮影取材で釧路を訪れた時にやってしまって以来。
昨日、ドキュメンタリー特集に無理矢理『エリ・エリ』をねじ込んだりした祟りなのだろうか。
でもまあ、悪いことした訳じゃないんだけどねえ・・・
明日は朝から歯医者に行かねば・・・

11月18日(日)

昨日はさすがにダウン。
原稿書きはあったのだが、すべて翌日回し。

本日は、午後からひたすら原稿書き。
音楽ドキュメンタリーを20本くらい選んであれこれ書く、というものだったのだが、久々に『ピンク・フロイド/ライヴ・アット・ポンペイ』を見ていたら、つい、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』まで選んでしまった。

11月16日(金)

朝、小田君から連絡があり、『宇宙の柳~』無事校了。
印刷に入った。
これであとは、出来上がりを待つばかりである。
ギリギリだったが、なんとかなった。
関係諸氏に感謝!

本日はひたすら原稿書き。
自分の本業を忘れていた。
いや、いったい何が本業なのか、もはや分からない状態。
ハーモニー・コリンの新作の試写に行く予定だったが、諸事情のためキャンセル・・・
もう1ヶ月以上、試写に行っていない。

夜、子供の中学の、例の嫌がらせ書き込みやらなりすましメールの話を聞く。
学校としては、犯人捜しをしない、ということを決断したようだ。
その代わりに、どのような形でこの事件に対処するかというヴィジョンは示さず。
このようなケースの対応は難しいとは思うが、これでは親や子どもたちの不信感は増すばかり。
なし崩しに事態は泥沼化していく一方だろう。
まあ、教育委員会の顔色をうかがいながら動くことしかできない学校じゃあ、事態の改善を望むべきもないのだが。
もちろんそれは、我々の世界の縮図でもあるわけだから、根は深い。

11月15日(木)

昨夜は睡眠に失敗し、深夜のDVD鑑賞。
水戸短篇映画祭の伊藤君から、「冨永以来の才能」とのコメントと共に送られてきた、今年のグランプリ作『そっけないCJ』。
この軽さと惚けた間合いの向こう側にあるどんよりした暗さのバランスはどこかで見たことがある。
と思いつつ最後まで見て、ようやく思い出す。
レジデンツ。
『ジンジャー・ブレッドマン』とか『エスキモー』とか、あと、もろにアメリカをテーマにしたアルバムがあったはずだが。
冨永にしても、この田中羊一君にしても、70年代末から80年代の初め、「ニューウェイヴ」と呼ばれた音楽を浴びるように聴きつつ、ヴェンダースやシュミットやヘルツォークを見ていた我々の夢想した「我々の映画」を、なんと爽やかに現実化していることか。

朝になり、小田君からの最後の修正をチェックして、寝る。
これで、『宇宙の柳~』は校了。
なんとかなった。
明日の朝、小田君が印刷所に出向いて確認したらいよいよ完了である。
すべての意味において、boidでしか出せなかった本であり、直枝さんでしか書けなかった本になっていると思う。

午後からは事務所でラモーンズ・ナイトのチラシ作りや『宇宙の柳~』の営業などなどをやり、夜はバウスにて、いよいよ12月1日のための爆音調整。
『ROCK LOVE』は曲ごとに音質が違うのでどこを中心にあわせるか苦労したがなんとかなった。
ポイントは、カットが変わって音楽が鳴り始める時の第1音。
ちょっとうるさいくらいがいいかなと思っているのだが。
もう1本は、80年代テイスト全開。
これは、冨永、田中君には是非見てもらいたい作品。
ここまでやるか、更にこれを踏み越えていくか、あるいはこの手前で踏みとどまるか、いやこんなことはやらないか。
いろんな意味で、映画製作者たちの立ち位置を決める基準になる作品かもしれない。
12月1日は、ゴージャスでバラエティに富んだ、幸せかつ悪夢の一晩になると思う。

11月14日(水)

昨日で校正はほぼ終了し、本日は小田君に拍子やカラーページの刷り色を見てもらって、それらの調整。
という予定だった。
のだが。
最後の最後で、事故発覚。
印刷所の担当と連絡が付かず、それに関しては明日に持ち越し。
データの不具合なのか、印刷所の方の不具合なのかとにかく明日、確認修正を行わないことには本が出せない状況。
おそらくこれは、印刷所で対応方法を把握しているとは思うのだが・・・

11月13日(火)

ようやく終わりが見えてくる。
本日は必死に作業を続ける、というより、本当にこれで大丈夫か、あれやこれや確認する、という段階に入った。
まあ、それはそれで、ビックリするような間違いをしでかしていたことに気付いたりするから安心はできない。

家に帰ると、たむらさんの本が届いている。

tamura.jpg

酔眼のまち→

『酔眼のまち--ゴールデン街 1968~98』と題されたこの本に関しては、諸事情あって、青山には顔向けができない。
私より更に忙しく、体調も私とどっこいどっこいの状態で、この本を形にした労力、気力には、頭が下がる。
これはおそらく、何かの「ため」ではなく、青土社から出たばかりの黒沢さんの対談集にて青山が語っているように、「よいことをする」という(数日前に読んだはずなのに既にどんな言い回しだったか忘れてしまい、ページをめくってもすぐには見つけられないため、かなりあやふやな書き方になってしまっている)姿勢によって生まれ出た本なのだと思う。
しかしたむらさんの語りをこうやって読むと、「酔眼」である故の鮮明さに改めて驚かされる。
「街というのはレイヤーでしょう」という発言が印象的だ。
何年か前、横浜国大のプロモーションのための作品「海流から遠く離れて」の色調整の際に、大きな水槽で行っている波の実験のシーンで、「ここにはもっと何かが映っていたはずだ」とたむらさんが語りながら、色味や明るさなどの調整の指示を出していくと、確かにその水槽の底に何かが映り始めた、あの驚きに似た体験を、この本では味わえる。

しかし、700円という値段は、一体正当な値段なんだろうか?
新書で200ページくらいの商品、という意味では当たり前の値段なのかもしれないのだが。
これくらいの安さで出版できるということは、相当な数の販売が見込まれているということで嬉しいことなのだが、一方で、この軽々とした本の価値はそれくらいの軽さなのか? という気分にもなる。
とはいえ、では、いくらだったら正当な値段と思えるのかと問われると、返答には困ってしまうのだが。

11月12日(月)

昨日休んだおかげで、かなり復活。
最後の校正作業。

夕方、ちょっと抜け出して、今年のイメフォ映画祭で寺山修司賞を受賞した牧野貴君に会う。
大久保賢一さんの紹介にて。
彼の作品は、いわゆる「実験映画」と称されているものではあるのだが、その作り方、ポストプロダクションのあり方、デジタルとアナログとの共有の仕方など、今、音楽の世界で起こっているいろんな変化がそのまま映像にも反映されていることが分かり、「実験」と言うよりもそれこそがリアルな現実なのだ、という風なことを思う。
新作、それからイメフォでの受賞作はジム・オルークが音楽をつけている。
それらを含め、来年、機会を見て爆音にて上映予定。

その後、再び事務所にて、校正作業。
直枝さんが最終チェックの原稿を持ってきて、それらの赤字をまとめる。
その際に、12月1日のオールナイトの作品を決定。
なかなかゴージャスな組み合わせになった。
こういう組み合わせは、誰かに白紙委任しないとできない。
今後も、こういったことをやっていけると面白くなるだろう。

11月11日(日)

昨日は、終日索引作り作業。
もう少しで昨日分を終える、というところで、持病の発作がやってきて、緊急リタイア。

というわけで本日は廃人。
作業は若者たちに任せる。

今日できることは明日やる、というのが持病を引き起こさないための鉄則。
つい、無理してしまった。

タウンズ・ヴァン・ザンドのドキュメンタリー『Be Here to Love Me』。
出てくる人全てが、みんなすごい顔をしている。
来年、いよいよ日本でもDVD発売されるのだが、その前にちょっとだけでも劇場で上映できたらと思う。
townes.jpg

11月9日(金)

焦っても焦らなくても朝は来る。
というわけで、昨夜はboid事務所初のオールナイト営業。
boidの若い衆も大変だったろうが、こちらのさまざまな修正を手作業で孤独に変更していくmap小田君は更に大変だったと思う。
デザイン作業がデジタル化されて以降、最後の仕上げの際のデザイナーへの負担は増えるばかりである。
かつては印刷所や写植業者がやっていた作業を一手に引き受けねばならない。
しかも編集者は、ギリギリになったりある程度デザインが進んでこないと、あれこれの不備に気付かないと来ている。

ただ、昨夜は、差し入れにやってきた直枝さんのアイディアで序文のバックに置いていた写真を変更すると、この本のストーリーがはっきり見えてくるようになり、こうやってその場での変更がすぐできるDTPはやはりやめられない、ということになる。
特にboidがやっているようなフリー・フォームの製作では、こういったツールは命綱である。

昨日は、昼、いつもフランスでお世話になっているT氏が来日していることもあり、昼食を、という話だったのだが、まあ、それやこれやで、妻だけが行き、私はキャンセル(したものの、実は昼はまだ余裕があったということが昼になって判明)。
T氏が最近出したフランス音楽のガイドブックが何とも良くて、その話も含め、会っておきたかったのだが・・・

mukaikaze.jpg
ポップ・フランセーズ名曲101徹底ガイド→

この本、見かけはあくまでも通常のガイドブックだが、中身は別物。
というか、これまた真のガイドブック。
少しは知っているあの歌やこの歌やまったく知らないあの歌が、どんな背景の中から生まれてきてそれによって何がどうなったか、そして今それがどのような形で息づいているか。
そんなことが、伝わってくる。

『宇宙の柳~』は、本日無事入稿。
あとは索引のページ入れ作業を残すのみ。
しかしこれがまた・・・(笑)。

11月7日(水)

いよいよ明日は、『宇宙の柳~』の入稿である。
私の場合、校正作業は単なる無能力者となるので、足りない画像とかページのバランスとか、全体の進行具合を見るとか、大ざっぱなところを専門に受け持つ。
細かい作業は、中根、黒岩、それから本日はカメラマン鈴木も。
中根からは、「明日の入稿なのに全然焦ってないですね」と指摘される。
まあ、焦ってもできないことはできないし、そんなことで疲れたくはないので、あまり気にしない。
というか、今回は、君らを信用しているのだよ。
ということにしておく。

とはいえ、索引が2000項目近くあったりするので、まだまだ予断は許さない。

11月6日(火)

入稿直前にして、少しずつ形になってきた。
これも皆様の頑張りのおかげである。
レイアウトも大きさも内容も、普通の本とはちょっと違うものになっているので、出来上がりがいよいよ楽しみ。
とはいえ、果たして売れるかどうかという心配が、これからどんどんと大きくなってくるはず。
かつてカーネーションの音楽を聞いていた人、カーネーションのことは何となく知っていても積極的には聞いてこなかった音楽好きの人には、是非手にとってもらいたいのだが、そこまでの道筋をどうやってつけたらいいのか。
この日記の読者で上記のような方々、是非ご協力を。
天使なのか悪魔なのかよく分からないのだけど、この本には何かが居て、それがそっと囁きかけます。

本日も、朝も早くから(というか、通常のサラリーマンの朝ですね)、せっせと作業。
しかし、やって来ると言っていた黒岩が来ない。
まあ、それは織り込み済みだったのだが、織り込み済みの時間が来ても来ないので電話すると、今出るところだという返事。
常にこちらの予測を裏切り続ける大物ぶり。
まあ、起きていただけまし、というところか。

11月5日(月)

時間がどんどん過ぎる。
子どもが熱を出し休校していたのでおやつにと思い事務所そばの和菓子屋でおやつを買っておいたのだが、事務所を出たのが夜10時30分過ぎで、帰宅は11時過ぎ。
なんだか、酔っぱらって遅く帰ったオヤジの言い訳のお土産みたいになってしまった。
帰って夕食をすますともう12時近くで、例えば残業続きのサラリーマンの生活はいつもこんなものなのかと思ったりもするのだが、これでは食事を消化する前に寝ることになり、寝ている間にブクブクと太るばかりなり。

11月4日(日)

本日もひたすら、『宇宙の柳~』の整理、校正作業。
ジャケット写真やデータが多く、しかも索引を目一杯付けていたりするので、最後の整理がやはり大変なのだ。
地味な作業だが、これをやらねば終わらない。
デザインをやってくれているmap小田君が作ってくれた目次が、なかなか良い。
もう、これでもかと、情報が詰め込まれていて、こういった目次はあまりお目にかかれない。
この本をそのまま表しているように思う。
最後の辛い作業をみんな黙々とこなしていけるのは、誰もがこの本の面白さにどこかで触れているからではないか。
あともう少しである。

アマゾンの通販部門から最初の注文が来て、まだ、最初の契約金を支払っていなかったことに気付く。
その手続きを中根にしてもらったのだが、なんだかやたらと面倒である。
根気がないとできない。
年寄りには絶対無理。
こうやって、人は選別されていくのだろう。
酷い世の中である。

11月3日(土)

本日は、直枝さんの自宅にて、レコード・ジャケットその他の最後の写真撮影。
今になってまだ撮影をしているなんて、本来ならあり得ないことなのだが、まあ、あり得てしまうわけだから仕方がない。
事務所では、中根、黒岩がせっせと校正&索引作り作業。
フランス帰りの松井が、夜になって顔を出し、ついでに作業を手伝ってもらう。
松井、帰国したものの、今後の予定がとんでもないことになっている。
とんでもなく金もなく仕事もない、というようなことなのだが。
まあ、それはそれで素晴らしい人生でもあるかもしれない。
予定されている某撮影現場の仕事がうまくいくことを祈るばかり。

11月2日(金)

気ぜわしくバタバタする日は結局実質的なことが何もできない。
あたふたして疲れるだけ。
もう少しドーンと構えていられると良いのだが。

そうそう、昨日の授業で、少年時代のジェリー・リー・ルイスが覗いていた黒人クラブのピアニストを演じていたのは、ブッカー・T・ローリー。
映画の設定の中では、そのピアニストの名前はピアノ・スリムとなっていて、これは、ブッカー・T・ローリーの旧友のメンフィス・スリムをモデルにしているらしい。
メンフィス・スリムはブッカー・T・ローリーと1歳違いだから、ジェリー・リーが子ども時代にあんなじいさんであるはずはないのだが、それを、旧友がこの映画の撮影時点の年齢で演じていて、しかもその撮影直前くらいにメンフィス・スリムは亡くなっているという、複雑な時間の重なり合いが、あのシーンの中にある。
で、質問をされた時に、確か後にパリに行って活動していた人なのだと答えたのだが、それはブッカーの方ではなく、メンフィス・スリムの方。
というわけで、ここにも、二人の人間の物語が組み込まれているのであった。

授業を聞いていない人にはまったく分からない話でした。

夜、パソコンが動かなくなり、こんな時に!と焦ってバタバタしたのだが、なんのことはない、マウスが壊れたのであった。

それから、某boid派遣員から連絡が入り、某映画のイヴェントにて、「映画と旅」について西島秀俊&塩田明彦対談が行われ、ほとんどが西島ファンのOLさん達の前で、西島君が爆音の話をあれこれしているとの報告。
ありがたい!
次回爆音は、西島ファンのOLさん達のための何かをしなくては。
でも、カーネーション、デス・プルーフと続く現状のラインナップでは、どうだろうか?
どうやら今度のboidペーパーに30代女子が反応してくれているという報告も入っているから、高校・大学時代にカーネーションを聞いていたOLさん達が、西島効果もあってバウスに詰めかけ、『宇宙の柳~』もガンガン売れる、という素晴らしいことが起こったりするだろうか。
うーむ、気持ちばかりが焦っていると、ろくなことを考えない・・・

11月1日(木)

昨夜は、本日の造形大学での講義の準備でいくつかの映画を観ていたら、結局途中でやめられなくなったりして、朝になる。
慣れると、90分ではどの程度で十分、という感触がつかめるのだろうけど、たまにしかやらないとつい盛りだくさんの準備をして、しかし実際にはそんな時間はない、という状況になる。

というわけで、相当楽をして準備を減らしたつもりだったが、それでもまだちょっと多すぎた。

しかし、相模原は遠いねえ。
遠足のような気分であった。
学校もきれいでなんだか不思議な気分。
写真撮ってこのページにアップしようかと思ったのだが、さすがに周りの学生達の目が気になり止める。

でもやはり、大学の授業、というのはよく分からない。
一体こういった授業を受けて、学生達は何を思うのだろうか?
6年も通って、授業にはほぼ出席していないので、全く感触がつかめないのであった。