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boid日記 2008年1月

1月31日(木)

引き続きいろんなことがあって、起きているのがやっとか、という状態。
こんなに怠け者の私がどうしてこんなにいつもあたふたしているのか、理不尽極まりないのだが、もしかするとどこかでしっかり怠けているためにこうなっているのかもしれない。
いずれにしても、今日は午前中から事務所に行ってあれこれしたはずなのだが、いったい何をしたのかもよく憶えていない。
おそらくいろんな所にいろんな連絡を次々に入れていたんじゃないかと思う。

そうこうしているうちに夕方。
渋谷のショウゲート試写室にて、ようやく『ノーカントリー』を。
「このコーエン兄弟は結構いける」という話は各所から聞いていて、何しろ原作が原作だから一体どうなっているのか楽しみにしていたものの、全然時間が合わずにこんな時期まで見逃してしまっていたのだった。
しかしそれでもやはり、私はコーエン兄弟は苦手だった。

カメラポジション、画角、人の顔の写し方、誇張した表現方法などなど、どれも、ギリギリのところで、「苦手」の方に触れてしまうのだが、今回もかなり微妙。
主人公の顔とか、確か『ゾディアック』のクロエ・セヴィニーの姿について、こういう人を見たくないからアメリカ映画を見ていたのにねえ、という話を青山としたように記憶しているのだが、まさにこういう主人公の顔を見たくないからアメリカ映画を見ていたはずなのに何故かそういう男が目の前に現れて堂々と主役を演じているのだった。
主人公は3人いるのだが、3人とも、ということではなく、冷酷な殺し屋役のバビエル・バルデムのこと。
だがこの主人公に関しては、顔はともかく、コーエン兄弟はこの声でバルデムさんをこの役に抜擢したのではないだろうか?
ひとつの個性として表に出てくるような声ではなく、それもまた個性には違いないのだが、とにかく個体としての自身の身体全体に声を響かせてから表にそれを出すような声。
「声」というより「響き」として聞こえてくるような声。
見ている間中、ずっと、誰かの声に似ていると考え続けていたのだが、結局分からず。
思いつく限りでは、同じくコーエン、つまり、レナードさんなのだが・・・
リー・ヘイズルウッドかもしれない。
ポップソングを歌うときではなく、カントリーをやるときのヘイズルウッドの歌の多くには、前振りとしての語りが付いているのだが、あの時の声。
要するに、西部の声(響き)、ということなんだろう。

そういう抽象的な存在としての、彼の顔、ということでは十分納得できるものではあった。
その意味で、「ビッグマウス」なだけのウディ・ハレルソンのあっけない扱いも、ファンとしては非常に悔しいのだが、意味ある扱いだったように思う。
何というか、『今宵フィッツカラルド劇場で』のハレルソンを、単なるバカ扱いするだけではなく、本気で殺してしまうような、いったい何のためにそこに彼を出したのか、まさに殺されるためだけにそこに登場するばかりか、その死が何の意味も成さず、しかし嫌らしいことに、彼が死んだという事実だけが観る側の心にとまるように、どこかで仕組まれている、そんな扱いが、ハレルソンに対してなされていると言ったらいいだろうか。
いずれにしても、ハレルソンの「ビッグマウス」ぶりが殺し屋に追われる主人公(ジョシュ・ブローリン)の現実主義者ぶりと対をなしているはずなのだが、しかし、あるところでそれが正反対にひっくり返る(本当は具体的に書かないと意味は通じないとは思うが、公開前なのであまり具体的なことを書くのは控えておく)。
その捻れがコーエン兄弟の個性であったはずで、もちろん今回もそれは十分に個性となっているものの、どこかである強力な必然の力によってそれが成されているようにも思えたのだった。
おそらくその強力な力は、原作には書き込まれていないものではないだろうか。

その後、9時過ぎから、某監督の本の製作その他について、某社との打ち合わせ。
まだはっきりとはしないのだが、うまくいくと、非常に刺激的な本になるだろう。
ただ、とにかくスケジュールがあまりにタイトなので、いったん保留。
来週いっぱいかけて、どうすればうまくいくか、また、果たして採算は取れるのか、などなど「社長として」(笑)検討することに。

1月30日(水)

爆音映画祭の上映作品リクエスト募集チラシの入稿があり、昨夜からその仕上がりの待機。
月末締め切りの原稿をやりつつ、明け方まで待ってみたものの送られてこず、6時前に我慢できず仮眠。
9時過ぎに送られてきたものをチェック、修正。
その後、原稿の続きをやって夕方からは、バウスに行き、バウス西村さんと、爆音ビールの製造元、石川酒造まで。
福生市にあるこの酒造、到着するまでまったく甘く見ていた。
めちゃくちゃでかい。
こんな感じ。
01.jpg03.jpg11.jpg04.jpg
石川酒造のHPのスナップ集より)
樹齢700年とかいうばかでかい木もあり、中にはイタリア・レストランと和食レストランもある。
爆音映画祭のための営業だったのだが、仕事の話終了後は、レストランにて美味しいピザ、その他をご馳走になった。
私が酒飲みだったら、もう、たまらない状況だったはず。
せっかく酒造のレストランでご馳走になったのに、アルコールを一滴も飲まずに帰る二人組であった。

その後、バウスに戻り、爆音映画祭ミーティング。
大枠は決まってきたのだが、では具体的にどうするかということになってくると、上映権の問題、上映料の問題などなどで、やりたくてもプリントがなかったり、上映権もプリントもあるのに上映料が高すぎて、たとえばそれを借りるとどこにしわ寄せが行くのかとか、パズルのような状況になってくる。
確定するまでは、まだまだ時間がかかりそう。

また、チラシ配布、ポスター貼りのボランティアを募集する。
詳細は、もうすぐオープンする爆音映画祭のHPにて発表するが、単にチラシ配布、ポスター貼りということだけではなく、ある種の条件を満たした方々には、映画祭内の上映枠ひとつをプレゼントする。
つまり、自分たちの見たい爆音映画を1本上映できるというシステム。
大学の映研仲間でチームを組んで、ある程度の数のチラシとポスターを引き受けてくれたら、例えば自分たちの作った映画を爆音上映、ということでもOK(ただし、上映素材のフォーマットには制限あり)。
そんなボランティア枠を3枠程度設けようか、という話になっている。
公募自体は映画祭HPオープン後になるが、すぐにでもお願いしたいことはあるので、公募前の問い合わせ、質問はboidまで。

1月29日(火)

ついに椅子を購入。
何のことはない、一番最初に目を付けていたやつが結局条件に最も近いものだったのだった。
ネットで購入したすぐ後に青山からメールが来て、いくつかの椅子を推薦してくれたのだが、その中の一番最初に書かれていたのがその椅子でもあった。
だからまあ、これで良かったのだ。
まだ到着もしていないのに、何となく晴れやかな気分になる。
不思議なものだ。

夕方、タイミングが合わず見逃し続けていた万田さんの『接吻』の試写に向かおうとエレベーターに乗ったところで篠崎からの電話。
今、そばにいるから事務所に寄っていいかと。
昨年末から、篠崎の電話のタイミングが妙に悪くて、ずっとすれ違いだったので、本日は『接吻』に泣いてもらうことに。
『接吻』も同じようにいつも直前で何かが起こって行けないことが続いているので、次回は、直前で起こったことに泣いてもらうことにする。

篠崎は、今度WOWOWで放映予定の『天国のスープ』という原作付きのTV映画を、3月にクランクインするのだそうだ。
その打ち合わせで、boid事務所そばのオフィスシロウズ事務所に寄っていたのだった。
原作を読んだ方にはおわかりのように、物語はいい意味でも悪い意味でも心温まる癒し系の家族の再生の物語。
これを、『殺しのはらわた』(だっけ?)の監督が撮るわけだからねえ(笑)。
ただ篠崎のことだから、きっと必要以上に立派な作品にして、黒沢さんから「刑事まつりとか言ってるくせにねえ」と嫌味のひとつももらうに違いないのであった。
でも、そういう過剰な立派さをどこかのプロデューサーが見てくれれば、いつの日かまったく時代錯誤の大メロドラマを撮ってくれるのではないかと。
まあ、勝手な妄想が広がるのであった。

その後、中原がやってきて、月刊CDなどの確認その他。
さすがに2月3月は中原の出版ラッシュで慌ただしくもなり、また月刊の音作りのネタが途絶えるといけないということで、CDの発売は1ヶ月遅らせることに。
初回の音は、マスタリングをするばかりとなったにもかかわらず、boidとしては非常に慎重かつ先を見据えた決断(いや、普通の会社としては当たり前のことなのかもしれないが)。
したがって、『中原昌也 作業日誌』が3月末発売、月刊CDは4月発売となる。
ただまあ、最初を送らせたからといってその後が続くかどうかは、結局やってみないと分からないんだよね。
ハラハラしながら待っていていただけると、嬉しい。
1年間で、そこに記される音がどのように変わっていくか、そんなパースペクティヴで聴いていただけたらと思う。

1月28日(月)

このところの慌ただしさのおかげでさすがにへばっている。
本日も、予定していた試写を、このまま行っても寝てしまうだけという理由でパス。
社長の私としては、物書きとしての私は完全にクビなのであるが、仕事は続いている以上何とかやりくりしていくしかない。

とはいえ、神のお告げは厳しい。
社長椅子が全然決まらない。
黒はNGということだけだったら良かったのだが、メッシュもNG。
最近の、腰に良いと言われている椅子のほとんどがメッシュなのである。
黒とメッシュを除くと、長時間の座り作業に耐えられる椅子を探すのは至難の業。
椅子に座っていないで外に出て自ら営業をやれ、ということなのかもしれない。
いずれにしても何とか今月中に決着を。

本日は、各所に電話を入れたりメールを出したりしつつ、爆音映画祭その他の準備あれこれ。
残された時間は少ない。

それから、今度の日曜日、西荻の「toki」というカフェにて、カサヴェテスを巡っての小さなイヴェントがある。
日本未公開のドキュメンタリーを上映しつつ、私もカサヴェテスについてちょっとだけ話す。
カサヴェテスについてというより、カサヴェテスのおかげで人生をどう変えたか、みたいな話になると思う。
おそらく20名ほどでいっぱいの空間。
19時スタートで、1ドリンク、1フード付きで2000円とのこと。
予約と問い合わせは、infotoki(アットマーク)wwpp.jp へ。
一昨年は松田さん、昨年は篠崎がゲストだったらしい。
松田さんや篠崎のように、ネタの素材がない私は、ひたすら「現在」を語るしかないかなと思っている。
興味ある方は是非。

1月26日(土)その2

最近は歳のせいか物忘れがひどくていけない。
またもや、書き忘れ。
ジム・オルークのソロ・ライヴが横浜国大で行われる。
その情報を、トップページの右下の方に載せておきました。
時間がある人、ちょっと遠いけど、今度の土曜日は横国へ!

1月26日(土)

恒例の3ポイントデーにより、HMVへ。
そのついでに、いや、「ついで」はHMVの方で、目的は東急ハンズにて「社長椅子」を。
どうもしっくり来ない。
一昨日青山に教えてもらった椅子にしようかと思いつつ、何も決められぬまま事務所に。

事務所は、本日、大レイアウト替え。
テーブルや棚の足の塗り替え。
塗り替え係の大塚に諸々の説教をうけつつ、手伝いをしつつ、大きな作業は無事終了。
結構きれいになった。
最初からこうしておけば良かった。
写真を撮って載せようかと思ったが、元の姿を知らない人には意味はないのでやめた。

あとは椅子、それからサイケデリック仕切り布、緑の門(ほとんどの人には意味不明かと思うが)。

しかしちょっと色塗りを手伝い、荷物を移動させただけで、腰がボロボロ。
今や普段でもちゃんと胡座さえかけないからねえ。
ヨガとかやった方がいいのかも(と、いつも思うができないので、きっと一生できない)。

そうそう、昨夜遅く海外からちょっといい知らせが届く。
まだ確定ではないのだが、もしかすると爆音映画祭でようやくあの作品を上映できるかもしれない。
ただまだ、いくつかはっきりさせないと確定できない。
来週中にははっきりするだろう。
また、映画祭の宣伝のためのちょっとしたアイディアを思いつく。
既成のメディアを頼るのではなく、boidの活動やこういった映画祭の運営自体が宣伝になり、しかも世のためになるような、小さなアイディアではあるのだが。
来週末にはこれも発表できるはず。

1月25日(金)その2

書き忘れ。
寝て起きるとほぼ完全に忘れているだろうから、追記。

今度のベルリン映画祭では、スコット・ウォーカーのドキュメンタリーも上映されるようだ。
映画祭ではなく、マーケットの方かもしれないが。

予告編はここ→

どこか買ってくれないだろうか・・・
音楽ドキュメンタリーには食傷気味でもあるのだが、さすがにこれは見たい。
映画としてどうだ、ということではなく、単純に興味の問題として。

1月25日(金)

寒さのせいか、やたらと眠い。
昨日は半分眠りながら、ジョン・セイルズの新作「Honey Dripper」を見る。
といっても、日本ではまだ買い手が付いていないらしく、字幕なし。
試写にも行かず、こういった未公開作ばかりを立て続けに見ているのは、おそらく、雑誌に原稿を書くという行為にすっかり嫌気がさしているからなのか。

ケンカ別れした幼なじみのブルース・ギタリストのトラウマを抱えるピアニスト兼クラブ・オーナーの物語。
ブルースの歌詞そのもののような物語を映画にしているところは『ブラック・スネーク・モーン』と同じ。
ただ、ジョン・セイルズの場合は、基本的には脚本家なので、英語をするすると理解できない人間にとっては字幕がないと、今ひとつさっぱりしない。
画面の切り取り方が小さい。
本当は大きな話なのに、どうもこぢんまりしてしまう。

たまたま読んでいたアラン・ローマックス選集の中に、以下のような文章があった。

「アメリカのほら話のヒーローたちは、当時の平均的なアメリカ人の行動と能力をみな誇張したのである。彼らはハリウッド的な意味で、みな途方もなく大きいのだ。これは典型的なヨーロッパのおとぎ話のヒーロー、たいていは超自然的な障害に何とか打ち勝とうとする小さな男、とは対照的である。」

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アラン・ローマックス選集→

ジョン・セイルズは、アメリカのほら話を語りながらヨーロッパ的な小さな男の物語を描いてしまうと言ったらいいか。
例えばティム・バートンの『ビッグフィッシュ』は、小さな男が結局大きな男になる物語であった。
その大きさに、映画そのものも狼狽えていたようにも思う。
だが、「Honey Dripper」は、そんな「ほら話」の国で「小さな男」がいかに生きていくか、ということに視線が向けられている。
良くも悪くもそれがジョン・セイルズの映画ではないだろうか。
ただ、ブルースをネタに、それはやって欲しくないと思った。
カメラマンも変えた方がいい。
どうも画面が狭苦しくてせっかくの南部の空気をダメにしていると思い調べてみたら、マイク・リーのカメラマンだった(ディック・ポープ)。

いずれにしても『ブラック・スネーク・モーン』は、こういったアメリカのほら話の大きな男と、格闘している。
大きな男であることを怖れている小さな男が、しかしやはりその大きさを受け入れざるを得ない状況に追い込まれる物語を、もの凄く生真面目に描いた映画であった。

本日は、青山が土産付きでやって来る。
某CD(マイナーリーグのブログ参照→)。
ついでに爆音映画祭のイヴェントその他の相談もし、そしてそこに、同じく爆音映画祭イヴェントとその後の本作りの相談にやってきた青土社の宮田君も参入。
企画の骨組みが決まり、あとは私がとにかく各所に連絡をするところか、現実化が始まる。
それらの相談やら馬鹿話やらをしているうちに、コーエン兄弟『ノーカントリー』の試写の時間が過ぎる。
なんということだ。

その後、中原日記の整理に取りかかったところで、これまで整理してきた分の中に私の整理ミスがあることが発覚。
ないと思っていたデータが、実はほとんど揃っていたのだ。
うーん、各所に迷惑をかけてしまった。
私のメール処理の仕方が悪かったのが原因。
慌てて再整理の作業に入る。

夜、テレビで『ロケッティア』をやっていた。
夜食とも言える夕食をとりながら、ちょっとだけ見た。
90年代初頭のスピルバーグは、編集のタイミングが今とだいぶ違うように思えたのだが、これは見比べてみないとよく分からない。
若き日のジェニファー・コネリーは、なぜか今とあまり見分けが付かなかった(そんなことを思うのは私だけか・・・)。
ジェニファー、当時はあまりピンと来なかったが、今の時点で見ると、なかなかいい。
というか、今のジェニファー・コネリーが好きなだけなのだが。

1月23日(水)

本日も雪の中、ケーキ屋の前には列が出来ていて、これはいくら何でも変だと思い、帰宅後、子どもに尋ねたら、「めちゃイケ」の中で、矢部・岡村の二人が実際に店に行って、矢部の方はクリスマス時期に実際に厨房にも入って「めちゃイケ」特製のケーキを考案し、それをこの1週間限定で発売しているのだと。
そこまで聞いて、ようやく謎が判明。
どうやらそこそこの美味しさらしい。
そこまで聞くと、一度食してみたくなるのだが、あの列では・・・

その後、バウスに行って「爆音映画祭」ミーティング。
毎週水曜日の夜のレイト開始後から深夜まで、特別な議題はなくても集まってワイワイやろうということになったのである。
とはいえ、さまざまなアイディアが出たり、ちょっとした企画も生まれたり。
そういったことがちゃんと決まっていくと、かなり面白いものになりそう。
ただまあ、それを実現させるのが、本当に大変なのだが。
いずれにしても来月からは爆音映画祭用のHPもオープンし、皆様に映画祭で上映して欲しい作品のリクエストを募ることになる。
どんな映画を爆音で見たいか、見たら面白いか、妄想しておいていただけたらと思う。
また、チラシ配布、ポスター貼り、それから、上映作品や特集のアイディア出しなどのボランティアも募集することになる。
詳しくは爆音映画祭HPにておしらせします。

1月22日(火)

この寒さで風邪を引いたのか、朝から頭痛がするので、風邪薬を飲んで事務所へ。
おかげで例のケーキ屋の様子を見るために、駅までの行き方を変えるのをすっかり忘れてしまったのだが、銀行によりがてらわざわざケーキ屋のそばまで。
まだ開店前で人は並んでいなかったのだが、整理係みたいな人が2名、準備中。
パチンコ屋の開店前みたいな感じ。
整理係が必要なくらい並んでしまうのか・・・
改めてテレビの力を思い知る。
これじゃあ、我々みたいな人間など、いないも同然。

午後から、占い師三重野登場。
本来なら事務所開設直後に来てもらう予定だったのだが、ついに年を越してしまったのだった。
で・・・・・・、デスク、荷物などなどの配置、椅子の色、私のパソコンの色などなど、ボロクソ。
金をいらないと言っているも同じという評価。
お土産の鏡の位置どころの話ではなく、あまりの最低ぶりに、突然近所のケーキ屋(ここは本当に美味しいケーキ屋なのだ!)に走り、赤と黄色のケーキを買ってきて、とにかくふたつ丸ごと食えと言う。
何でそんなことをしないといけないのかと問うと、占い師にケーキまで買いに行かせるほどの体たらくで、文句を言うなとにかく食わねばダメだ、薬を飲むのだと思え、これは応急処置なのだと。
まあ、美味なので食うことに異存はない。
噂のケーキ屋に並ぶ時間があったら曙橋まで来た方が美味しいのに(ちなみに新宿高島屋にも出店していた)、とか思いつつ、ケーキをふたつ食す。

その後、事務所内のデスクその他の配置転換と棚などの色塗りについて具体的なお言葉を頂く。
でもとにかく急いでやらねばダメだと。
徹夜してでもやれ、それくらいの努力をしないと金は入ってこない、金がなくて自分の椅子を新しくできないなら金がある人間にすぐに買ってもらえ、そういうことをするのに照れたり後ろめたく思ってはダメだ、法人にして株を買ってもらった上についでに椅子も買ってもらうのだ。
などなど、神様の暴言は続く。

あと、窓際に黄色の花を、というわけで、「蝋梅」も買ってくれたのであった。

帰宅後、中原から借りていたロブ・ゾンビ監督の「ハロウィーン」を。
カーペンター版のリメイクと言うよりも、それを原案にした新しいストーリー。
全米では1位になったものの、どうやら日本公開は見送られるらしい。
一体この日米の落差は何なのかと思いつつ見てみたのだが、その理由がなんとなく分かるような、なかなか面白い作品になっていた。
こういうのが1位になるような国だからこそ、『ロード・オブ・ドッグタウン』みたいな物語、そしてあのZ-boysたちが生まれるのだと思えるような(あるいは逆で、『ドッグタウン』みたいな物語が生まれる国だからこそ、このような映画が生まれる)、危なっかしさ。
逆に言うと、こういう映画が公開されない国が日本であり、そういう国に我々は住んでいるのであった。

どこかがDVD発売をしてくれたら、その時には爆音上映の交渉をしてみようと思った。

そうそう、久々に見たブラッド・ダーリフはだいぶ年とっていたが、つぶらな瞳の危なっかしさは、主演のマルコム・マクダウェルや同じく共演のウド・キアーにも負けていなかった。

1月21日(月)

ex湯浅湾、Americo、etc.の牧野琢磨君から2月に発売になるCDが届く。
あくまで個人的な見方なのだが、ジャケットの表面はPere Ubu、裏ジャケはBOX TOPS。。

1曲目、アコギのゆっくりとしたリフから始まったかと思うといきなり、「こんなタイミングでこの音が」というエレキギターの音と、その引っかかり気味のテンポに驚く。
演奏シーンが見えるような演奏。
アコースティック時代のジョン・フェイヒーを思わせる究極のアメリカ音楽でもあり、半透明のマクの向こうから聞こえてくるような微妙な音の配置の引きこもり感は、あくまでも現代の音として、この音楽が今作られなければならなかった何かを指し示しているように思えた。

しかし、これが1500円。
しかも2月後半発売なのに既にこうやってジャケットまで出来上がっているという手際の良さ(いや、音楽業界では当たり前のことなのかもしれないが)。
大友さんがやっているGRID605からのリリースになるのだが、boidがこういったいい意味でのオートマティズムというか、システマティックな佇まいを見せられるまでにはどれだけの時間がかかるだろうと、深く反省。
しかも、ジャケットの表裏ともに全部英語表記で、これはカッコつけてやっているのではなく、大げさに言えばあくまでも世界マーケットを視野に入れたものであることが、人名表記の方法を見ても分かる。
野望としての世界制覇ではなく、日常として、目の前に世界(日本&海外)があるというスタンスの軽さ。

しかし、他人の作業に関心ばかりはしていられない。
こちらも午後からは、3月発売の中原「作業日誌」、月刊CD、そして、文藝春秋から発売される『映画の頭脳破壊』の発売記念爆音2週間&オールナイトの構成を決める打ち合わせ。
中原からさまざまなアイディアとしょうもないダジャレが次々に出る中、内容が次第に見えてくる。
あとは、実際に上映できるかどうか、というところまで内容が決まる。
上映権、プリント代、などなど、物理的な条件がはっきりしたところで、決定となる。

その後、黒沢さんがやってきて、年内におそらくシネマ・ロサで行われるだろう連続企画に関する打ち合わせ。
こちらはまだ、漠然としたものではあるが、何とか形に出来たらと思っている。
この1,2ヶ月は、あーだこーだとあれこれ言いつつ黒沢さんを、いい感じで刺激できたらいいのだが。

その後、近所のジビエ料理レストランで食事。
黒沢さんの奥さん(弘美さん)に、社長としての資質を問われる。
そして時間が経つに連れ、完全に弘美さんの独演会となる(笑)。

帰宅途中、昨日のケーキ屋が気になったのだが、さすがに深夜では、電気も消えひっそり。
明日は、出かけるときに青梅街道のルートで駅に行ってその後の様子を見てみようと思いつつ、なんとなく甘いものがほしくなりコンビニに立ち寄りチョコレートを買ったら、500円も取られた!
値段を見ずに手に取ってしまった私がいけないのだが、しかしコンビニのチョコレートで500円とは・・・
確かにいかにも高級そうな金ぴかのパッケージではあったのだが。
一体、コンビニでこんな物が売れるのだろうか?
私のような、チョコレートの値段なんて大体同じ、とか思っている者がだまされて買ってしまうのだろうか?
高円寺の若者は結構金を持っているのだろうか?
謎は深まる。

1月20日(日)

昨日から延々と昨年度の経費計算と今年の予算、試算をやっていた。
昨年に関しては、これはもう、いろんな人から指摘されていたように、まったくのデタラメであった。
これで法人化を望むなど、呆れるばかりである。

とはいえ、だからこそ法人化、という意図もある。
このままズルズルとやってはいられないのであった。
パズルのような計算の果てに、ようやく本年度の計画と、その見込みがたったのだが、問題はその資金繰りと売り上げの回収。
昨年の穴を取り戻すには、おそらく2年から3年はかかる。
恐るべし資本の罠。
とはいえとにかく、来年と再来年のおおよその計画と見込みを立てねばならない。

気合いを入れるためにCCRを聴いた。

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グリーン・リヴァー →

CCRは、3枚目のこのアルバムが、一番フィットする。
しかし68年から69年にかけてのCCRの量産体制はいったい何なのだろう。
まあ、当時はアルバム収録時間が短かった、ということもあるのだけど。

本日、事務所帰りに、たまたま電車の中で一緒になった松井と新高円寺駅から青梅街道沿いを家に向かって歩いていたら、向かい側のケーキ屋に長蛇の列。
松井によると、テレビで紹介されたらしいのだが・・・
どうやら朝はもっと凄い行列だったらしい。
時々その店のケーキを食してはいるが、そこよりうまいケーキ屋は高円寺にもいくつかある、程度の、よくある町のケーキ屋。
恐るべし、メディアの力。
家に帰って調べてみたら、「めちゃいけ」とかいうお笑い番組での紹介だったらしい。

1月18日(金)

本日も終日「作業日誌」整理。
本来孤独な作業であるのだが、日記を読んでいると思わず笑ってしまったりして、いわゆる「孤独感」とはほど遠い気分を味わう。

昼は、松田&佐向のご近所仕事仲間とのランチ。
boid法人化へ向けての話をあれこれ。

夜、帰宅間際になって、「爆音映画祭上映作品リクエスト募集」チラシを作っていた大塚から、「今日は女性ボーカルばかりですね」という指摘。
全く意識はしていなかったのだが、言われてみると、延々と女性ボーカルものばかりを流していた。
一体これは何を意味するのか、いくら考えても謎。
まあ、あまり意味はないのかもしれないが。

というわけで、帰宅後はこれにて本日の締め。

honeys.jpg
The Honeys →

これまた特に意味はなし。
フィル・スペクターに憧れたブライアン・ウィルソンの夢の跡、といったところか。
さらにこれが、90年代にウィルソン・フィリップスとして結実する大きな時の流れと共に聴いたのだった。

1月17日(木)

終日、「中原昌也 作業日誌」の整理と固有名表記のチェック。
本人にはそんな意図はないのかもしれないが、全編に溢れたユーモアに脱帽。
そして本日は、ついに我慢しきれなくなって、1枚のアルバムをアマゾンに注文。

darkside_mirrors.jpg
Darkside Mirrors →

「ジャケ買い」である。
クランプス・ファンとしては、とりあえずどんな音をやっているのか、どうしても気になってしまったのであった。

とはいえ帰宅後は、Sandy Poseyを聴いて和んだ。

sandy_posey.jpg
Sandy Posey →

このアルバムに収められた曲のほとんどは、チップス・モーマン・プロデュースのアメリカン・スタジオでの録音もの。
音質と言うより、音と音との隙間に流れる時間の緩やかさにひたすらうっとりするのであった。
チップス・モーマンは、フィル・スペクターやジョー・ミークに比べ、薬物に狂っていなかったのか、それとも逆に狂いすぎていたのかどちらかなのではないかと思われる。
しかし、『宇宙の柳、たましいの下着』のインタビューと注、解説の作成をしてくれた中山さんに言わせると、アメリカン・スタジオの音は、「まだ甘い」とのこと。
南部の奥行きは果てしなく深い。
そういえば事務所の朝一の音はダン・ペンだったから、本日はダン・ペンの一日、でもあった(どちらのアルバムにも、「I'm Your Puppet」収録)。

あと、これまた諸事情あって、JASRAC、そしてe-License(JASRACとは別に作られた音楽著作権管理団体)と、やりとりしている。
まだ実際に金銭問題が発生したわけではないのだが、ざっと調べたところ、boidのような小さな団体や個人が契約するには、e-Licenseの方がお得である。
何しろ契約料が無料だし。
ただやはり、放送やカラオケなどでの使用の場合、これだけデータベースが整っていれば絶対にいつどこで誰がこの曲を使ったかをはっきりさせることが出来て、それによる使用料を確実に計算できるはずなのに、非常に大ざっぱな計算方法となっているのは何とも釈然としない。
そのシステムを作るのに、莫大な予算がかかるのかもしれしれない。
JASRACが儲けすぎ、ということを言いたいわけではなく、もっと明解に事実関係を見せることの出来るシステムを作って欲しいだけなのだ。
妻のレーベルはJASRACともe-Licenseとも契約してないから、CDにも、放送などでの使用の場合はレーベルに許可を取るようにと明記してあるのに、これまで何度も放送で使われて(NHKをはじめ!)、その度に放送局に電話して使用料を支払ってもらっているわけで、放送局だっていい加減なだけで権利料を支払わないというわけではない。
小さなレーベルとメディアとを繋ぐシステムを整備しさえすれば、貧乏レーベルの多くは本当に助かるはずなのだ。
まあでも、放送局のいい加減さと、絶対自分たちの責任にせず、製作会社の責任にしようとするNHKの態度には、毎度妻は腹を立てているのだが。

1月16日(水)

諸事情あり、boid法人化に向けて動き出す。
・・・ものの・・・、やはりあれこれ調べれば調べるほどいたずらに手間と経費がかかるようにも思え、しばし保留、という結論に。
と同時に、私の生活パターンも完全に変えて、これまでとまったく違う日々を送らねばという思いに囚われ、この2日間深夜12時過ぎには床に入る。
しかし1日目は寝付けず、朝5時過ぎまで布団の中で悶々とし、2日目は寝付いたものの5時前に目が覚めてその後悶々の挙げ句9時くらいに再度寝てしまうという不覚。
社会人としてはやはり全く使い物にならぬということばかりがはっきりしたのであった。
しかし諦めるつもりはない。
それくらい、あらゆることにうんざりしているのだが、とはいえ生活パターンを変えたところでこのうんざりがどうにかなるものかどうか。

昨日はたむらさんが8ミリを回し、菊地さんが音響を作った『砂の影』という映画を見た。
8ミリで撮影したものをデジベ(だったかベーカムだったか)にブローアップして、編集、上映。
そこで語られている物語をさらに増幅させ、あるいは別の物語を付け加え、脇道をつくり出すたむらさんと菊池さんの作業に感服。
2チャンネルとは思えない音の広がり、音量としてはそれほどでもないのにもかかわらず鼓膜を圧迫する扇風機のモーターの低音の音圧にニヤリとする。
特に、主人公の部屋にやってきた一人の男が「車で待ってる」と言って外に出て、その低音が始まったときにはてっきり車のエンジン音かと思い、ならば次のカットはそのまま車のシーンになるはずのところ、実は扇風機のモーター音で部屋のシーンがそのまま続き、別の男がそこにいるという、繋がり。
そのふたつの世界の切断と持続によって、この映画の世界が一気に広がった。
ただ残念ながら、物語自体には、あまり興味を持てなかった。

本日は、中原日記の整理をひたすら。
読み返すと、唖然とするくらいのCD、レコード、DVDの購買日記となっていて、聞き逃しているもの、見逃しているものの多さにも驚く。
ただ、それらをすべて見たり聞いたりしなくては、というような神経症的な脅迫感がないところが凄い。
ありがたいことに我々の代わりににこれだけ酷い目に合いながらもそれらを見てくれている人がいる、だから我々はこうやって生きていける、そんなふうに思えてくるのである。
とはいえ、いくつか「これは聞いておかねば」というアルバムもあったのだが既に忘却の彼方・・・

夜、ハイファッションの2月発売号の原稿打ち合わせの後、バウスに行って爆音映画祭の打ち合わせ。
この10日間くらいで大体の構成をフィックスさせないと次に進めない。

1月13日(日)

シネセゾンでのドキュメンタリー特集、音楽の日。
湯浅さんと2回のトーク。
DVDは発売されてるし、もう1本のタウンズ・ヴァン・ザントは日本ではほぼ全く知名度ないし、へたすると観客20人くらいじゃないかと話していたのだが、そこまでひどくはなかった。
50名くらい。
タウンズ・ヴァン・ザントの方はもうちょっと多かったか?

『ざ・鬼太鼓座』『MOOG』『テルミン』という3本立て、『Be Here to Love Me』『アイム・ノット・ゼア』『You're Gonna Miss Me』『アメリカン・ギャングスター』という4本立て、というふたつのセットが作り出す広大な時間と空間を妄想しながらのトークだった。

帰宅後、『フリーダム・ライダーズ』を見る。
これも、気になっていて見逃してしまっていた作品だが、見始めてすぐ、なんだかテレビドラマみたいな分かりやすい構成、高校生の演技みたいな主演のヒラリー・スワンクの演技(実際に高校が舞台なのだが)に唖然とする。
だが、しばらくすると、何故そうなのかがよく分かった。
要するに、本も読まず、ホロコーストが何だったかをも知らず、しかし日々の現実はある種の戦場という高校生たちに、何をどうやって教えたらいいのか、というのが物語のテーマとなっているのだった。
とにかく一方で命を危険にさらされ続け、それ故に動物的に生きるしかなくなってしまった者たちと、どのようにコミュニケーションを取っていくか。
これは実話でもあり、ホロコーストを生き残った実在の人物たちも登場して、高校生たちに当時の出来事を語り聞かせる。
物語が進むに連れて、アメリカの現実と映画の内容、形式とが強く結びついてくるのである。

これは現在の日本社会にも当てはまる物語だし、また、教育問題としてではなく、映画の問題としても置き換えられる。
「若者が映画を見ない」という話はもう、当たり前のようにあちこちから聞こえてくるのだが、一方で日本映画はかつてない製作本数を記録しているし、動員数だって全体数は減っているわけではない。
一本あたりの動員数が減っていたり、あるいは、映画好きの大人が若者に見ておいてもらいたいと思う映画を若者が見なかったりするだけなんだと思う。

この映画の物語では、主人公の教師の個人的な頑張りやかつてない教育の試みによって生徒たちがその生き方を変えたことが描かれているが、生徒たちが好んで聞いているスヌープ・ドッグやトゥー・パックによって大人が人生を変えるという物語は描かれない。
あくまでも大人の視点は変わらず、生徒たちの行動や発言に戸惑ったり怒ったりするばかりである。

とはいえ主人公は、生徒たちへの教育に熱心になるあまり、プライヴェートな生活は結果的に大きく変わる。
それも「人生を変えた」ということになるのかもしれない。

『天が許し給うすべて』の中で、ブルジョワの未亡人という立場を結果的に投げ捨てた主人公(ジェーン・ワイマン)、そしてそれに合わせて「森の生活」を捨ててちょっとだけブルジョワの暮らしに合わせようとした男(ロック・ハドソン)という二人の変化に対して、所詮ロック・ハドソンに「森の生活」を捨てさせることしかできなかった二人の愛、という見方をも示した(ボックスセット2のブックレット掲載インタビュー参照)サーク……。

さまざまな思いが駆けめぐる。

1月11日(金)

爆音映画祭に向けてのあれこれの準備の過程で、これまでの爆音上映企画の整理をする。
すると結局、爆音上映の企画自体は、いろんな意味で一昨年くらいが一番いい形でやれていたことが判明。
内容の面白さ、ということではなく、運営面での問題として。
多分、私の体力がどんどん落ちていることとも連動しているのだが。
そういったことも含め、今後の企画の具体化を考える。

その中で一番の問題は、私が何をするかということ。
これまで、私は物書きをやりながらboidを続けてきて、良くも悪くもそれがboidだったのだが、事務所運営をやり始めると、どうもそれが最大のネックとなっていることがよく分かる。
というわけで、今年は基本的に運営、つまり社長業に専念というのがいいのではないかと(ちょっと前、青山からも言われていた)、なんとなく心を固める。

それから、今、バウスにて発売中の「爆音ビール」のデザインを変えようという話。
そのサンプルとして大塚が持ってきた、アメリカからの輸入の「エンドレス・サマー・ビール」のデザインがかなりいい感じ。
あのサーフ映画『エンドレス・サマー』のモチーフにしたデザインなのだが、キャップにもそれがあしらわれ、これなら、とりあえず1本は買ってみたいと思わせる。
現在の爆音ビールのデザインもいいのだが、さすがに女子向けではない。
バウスの社長からも女子向けの爆音をという提案もあったし、ここはいろんな意味でこれまでのものを再考していかねばと思う。
それはともかく、「爆音ビール」は本当に美味しいのだそうだ(アルコールNGの私にはまったく分からないのが、こういう話を聞くと本当に人生を損した気がする)。
いわゆる「ペール・エール」という種類のビールで、時代を経て、次第に味わいが変わっていくシャンパンのようなビールらしい。
詳細はこちら→
バウスにて発売中なので、バウス来場の際は、是非一度お試しを。

夜、台湾土産をあれこれもらう。
そのうちのひとつ「太極鏡」というのをどこにどちら向きに飾るか、という問題発生。
ネットで調べるとあれこれ書いてあるのだが、同じ太極鏡にも色々あって、しかも細かい注意もいくつかあり、結局よく分からず、まあ、ざっくりとこのあたりで、といういつも通りの大雑把な結論に達する。
しかしこれは、近々、占い師に登場願って解決せねば。

帰宅後、土産の茶を。
美味。

1月10日(木)

ニコラ・フィリベールの『かつてノルマンディーで』を見た。
30年前に作られ、フィリベールも関わったある映画に出演した村の人々を再訪し、人々の記憶と現在、そしてかつての映画で語られたことが、まるでひとつの物語のように積み重ねられていく。
村の人々はもうすっかり老人になっているのだが、彼らの会話を聞いているとそのほとんどが、「映画に出演したときは16歳」とか「17歳」とか語っている。
ということは・・・ほとんどが私より年下なのである。
愕然としたが、何がどうなるわけでもなし、以降は私の30年前と共に観ることになった。

その後事務所にてあれこれ、boidの今後の計画その他。
BGMは某所から仕入れたトム・ウェイツの76年のライヴ。
トム・ウェイツに関してはフィットするものとしないものがあって、時々、あの酔っぱらい方はどこかポーズ何じゃないの? とさえ思うことがあって、まあ、こちらはアルコール・アレルギーなわけだから本物もポーズもまったく分からぬまま確たる根拠もなくそう思ってしまうのだが、この76年のライヴを聴くと、いややはりこれは本物、と思うばかり。
どうにも動かし難い「声」がどすんとそこにある、という感じなのだ。

夜はシネセゾン渋谷にて、加藤泰『ざ鬼太鼓座』。
本当に久々に見るそれは、すっかり退色していて薄いピンク色に染まってはいたものの、おそらく劇場の配慮により、最大限の映写状態で見ることができた。
いやあ、しかし、何度見ても凄すぎ。
あの堂々としたカット割り!
冒頭のダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドとの共演シーンでは映像と音は全くシンクロしていないし、シンクロしていないどころか、鬼太鼓座の映画なのに一柳慧のシンセサイザーもそこに絡まって、そこに出ている音楽自体が全く実体のないものになっていく。
それが数分間続く。
観客の踊りや手拍子とも、それはまったく合っていない。
合っていないことが何の効果ももたらさず、ただひたすら映像がそこにあり、音がそこにあるという関係がひたすら続く。
これでいいのだ。
それ以降のシーンでは、さすがに音と映像はシンクロし始めるが、もちろん「ドキュメンタリー」というジャンルは当たり前のように踏み越えられていくのである。
本当にたっぷりと、「映画」を堪能した。
しかし見るたびに思うのだが、映画の各所に入っているあの一柳慧のシンセを入れることを、鬼太鼓座の人々はどのように思っているのだろうか?
いずれにしてもそのおかげで、地中から天上までのすべての場所の音楽になっているのだが。
『アワー・ミュージック』と爆音同時上映、みたいなことをするといいのかもしれない。

今度の日曜日の午前11時から、もう一度セゾンでの上映がある。
見逃している方、是非ご来場を。

また、その日は、午後15時30分と17時30分の回の前に30分ほど私と湯浅学さんとの対談あり。
ウィルコやタウンズ・ヴァン・ザントの、今は簡単には観られないドキュメンタリーもやるので、こちらも時間があったらお願いします。
タウンズ・ヴァン・ザントの映画は、アメリカの音楽に興味がある人、アメリカ映画の背景をもつかみたい人には欠かせない何かが映っていると思います。

1月9日(水)

またまたひどい勘違い(笑)。
『ハッスル&フロウ』と『ブラック・スネーク・モーン』の物語をすっかり混同していた!
下記、柳下君の最新刊での対談にて。
青山に指摘されて愕然。
いやまったく・・・
どこを勘違いしたかは読んでみて下さい。
立ち読みでも良いけど、出来れば買って下さい。
1600円で、この10年の、映画の大きな動きが分かる。

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シネマ・ハント→

本日は、午後から中原がやってきて、3月発売の単行本とCDの打ち合わせ。
単行本のタイトルが決まる。
雑誌「EYESCREAM」の連載時は、「親指王子~ケイタイ日記」というタイトルだったのだが、単行本タイトルは、「中原昌也 作業日誌」。
連載時は、誌面の関係上、かなりの部分をカットして、抜粋された日記だったのだが、今回は完全版。
ただし、現在、2年前のデータ捜索中(笑)。
果たして、完全な「完全版」が発売されるかどうかはギリギリまで分からない。

また、CDの方は、マンスリーで出すことに決定。
当初は3ヶ月か4ヶ月に一度の、音楽による中原日記のようなもの、というふうに考えていたのだが、それなら毎月がいいかと。
それぞれの月ごとに、何か新しい実験がそこで行われることになる。
CDには違いないが、果たしてそこに「音楽」が入っているのかどうかも、その時にならないと分からない。
気まぐれで短編小説のおまけなどが付くこともあるかもしれない。
活字媒体では絶対に出来ない「月刊の連載」というふうに考えていただけたらと思う。
定価は1500円くらいの格安価格。
音の出る雑誌を買うような感覚で買って欲しい、という期待。
いかがだろうか?

帰宅後、ずっと気になっていたのに見逃していた『ゴーストライダー』を。
いやあ、これが面白い。
オジー・オズボーンやZZトップがガンガン流れる大ざっぱな映画ではあるのだが、それはそれで良し。
ジョン・カーペンターが監督だったら、人間とゴーストとが作り出す、つまり光と闇とが作り出す大きなうねりを見ることができただろうが、そこは音量でカヴァーですよ、みたいなノリ。
ニコラス・ケイジ(!)扮するゴーストライダーが乗るバイクのデザインは、誰がどこから見ても、ZZトップです。
いや、ZZトップがその手のバイクデザインをまねたのか???
ZZ1.jpg ZZ2.jpg

映画のテーマ曲は当然「ゴーストライダーズ・イン・ザ・スカイ」。
いろんなサーフ・バンドがカヴァーしているけど、ここでやっているのは、スパイダーベイト。
ハードロック風「ゴーストライダーズ・イン・ザ・スカイ」であった。
このアレンジはさすがにもう一工夫欲しいところでもあるのだが、そういうことを思わせてくれることでこちらのテンションも上がるわけだから、こういう映画は常に作られて、そして見られるべきである。
音楽ファンにはもうひとつ、ネタがあるのだが、これは書かない方がいいだろう。

ああ、それから、相手役のエヴァ・メンデスは70年代のソフィア・ローレンやモニカ・ヴィッティを思い出させる野性ある風貌であった。
ライフルも撃つしね。
ホアキン・フェニックス、マーク・ウォールバーグと共演する、ジェイムズ・グレイ監督の「We Own the Night」というのは、どこか買ってくれているのだろうか・・・
と、書いたところで調べてみたら、ムーヴィーアイが買っているようだ。
こういう映画こそ、私の所にちゃんと連絡を入れて欲しいんだけどなあ・・・
『エディット・ピアフ』とか送ってこないで、「We Own the Night」です。
お願いします。
eva1.jpgeva2.jpg
『ゴーストライダー』のスチールです。

1月7日(月)

昨日の日記で、ひどい勘違いを書いてしまった。
まあ、相変わらず、ということなのだが・・・

浜崎あゆみではなく安室奈美恵。
あの歌詞はもう完全に浜崎あゆみ以外あり得ないと、勝手に思いこんでしまったのであった。
作ったのは小室哲哉だからまあ、同じといえば同じなのだが・・・
私にとっての安室奈美恵は、鈴木蘭々とやっていた「ポンキッキーズ」のままなので、どうしてもああいった荒涼とした歌詞のイメージがフィットしないのであった。
もちろんそれこそ私の勝手な思いこみに過ぎないのだが。

一方浜崎あゆみはといえば、左耳が極度の難聴になっていることを発表。
同じように左耳に障害を持つ身として、ますます親密度が増す。

勘違いのお詫び、というわけではないのだが、一緒に送られてきた『雲の上』という作品を見る。
『国道20号線』の前に作られた8ミリ撮影の作品。
これまたなんの前情報もなく、見始めたら8ミリの画質だったので30分程度の作品かと勝手に思いこんでみていたら、ちっとも終わらない。
140分を超す長さであった。
しかし傑作。
『国道20号線』で感じられた停滞する時間感覚は、ここにたっぷりと納められていた。
それぞれのカットの繋がりの飛躍感が、その時間感覚を生んでいるのだろう。
ちょっとしたことなのだが、車のエンジン音や話し声、周囲の物音の入れるタイミングが絶妙である。
映画美学校の映画祭で最優秀スカラシップを受賞したとのことなのだが、こんな映画があるという話は誰からも教えられなかった。
いや、私が忙しすぎて、誰の話も聞こえてこなかっただけなのだが・・・

ただこういう映画を作ってしまうと、今の日本の映画プロデューサーのほとんどは引いてしまうだろう。
この映画にかかった時間がそう思わせるのかもしれないが、2年や3年をかけて作られる映画は珍しくはないわけだから、単にそれだけが理由なのではない。
おそらく、結局はあるシステムを食い破ってしまう野性が、そのどこかに身を潜めているように感じられるからなのだろう。
しかも、分かりやすい狂暴さではなく、もっと穏やかな野性が。
いずれにしても、今後も自分たちで資金集めからその回収までをこなしつつ作り続けるしかないように思う。
グレイトフル・デッドやフィッシュのような、生活と音楽とが一体となった集団もある(あった)わけだから、そこに望みがないわけではない。

1月6日(日)

昨日から本日にかけて、グズグズしながらも見逃していた何本かのDVDを見た。

冨田克也『国道20号線』
吉田裕亮『ノゾミの冒険』
柴田剛『おそいひと』

『国道20号線』は、何人かから話は聞いていて、どうやら佐向の『まだ楽園』にどこか似た空気が流れているらしい。
見てみると確かに、東京郊外というか地方都市の、パチンコ屋とラヴホテルの看板だけで成り立っているスカスカな空気感は近い。
しかし、一体先に進んでいるのか後戻りしているのかよく分からなくなる『まだ楽園』の双方向への時間感覚に比べ、こちらは侯孝賢の『憂鬱な楽園』のような先のない場所での滞り渦を巻く時間。
浜崎あゆみの曲のカラオケシーンはなかなか良かった。
パチンコ屋とラヴホテルとカラオケボックスの風景には、本当に浜崎あゆみなのだ。
飛び交う甲州弁は、山梨以外の人にはどんなふうに聞こえるのだろうか?
山梨出身者としては、なんとなく気恥ずかしくオロオロしてしまったのだが、あの言葉によって映画の空間がさらに訳の分からないどこでもない場所へとジャンプする契機になっていただろうか?

『ノゾミの冒険』は、生真面目な若者の自分探しの冒険の物語かと思ったら、『エノケンのとび助冒険旅行』をシリアスな物語に変えたかのような、ある意味で壮大なパロディであった。
もちろんこれは、見る人によって、全くそんなふうには見えないだろうが。
というか、ほとんどの人にはそういうふうには見えないかもしれない。
ただ、気になったのは、果たして監督は、主人公が「冒険」を行う「死後の世界」を信じているのかどうか、ということだった。
信じているかいないかはどちらでもいいのだが、例えば、死後の世界を信じて自爆するイスラム原理主義者にこの映画を見せ、監督として、自身の立場表明をしなければならないとしたら、果たしてこの映画はこのままでよいのかどうか。
ある物語を語る、ということだけではなく、ある現実を見せる必要が、映画にはあるのではないかと思う。

『おそいひと』はチラシのビジュアルしか見ていなかったので、最初の20分くらいまで、過剰に巧妙に作られたドキュメンタリーだなあと思いながらみていたのだが、そうではなく、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』以降の、現実とフィクションの境目を超えて語られるホラー映画であった。
ホラー映画といってしまうと語弊があるかもしれないのだが、とにかく、映画的な常識としてある日常と非日常の表現方法を徹底して混乱させながら、それを見ている方の「映画を見る」という保護膜を突き破る何かを見せようとする作品であった。
モブノリオ氏のコメントにあるように、最後には涙さえ流れるかもしれない優しい映画になっているあたりは、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』ではなく、ハーモニー・コリンの『ジュリアン』を思い起こさせた。
音の使い方(おそらくいくつかの音を逆回転させながらアンサンブルを構成している)も、よく似ていた。
となると次は、『ミスター・ロンリー』みたいな優しすぎる映画となるのかとも思えてしまうのだが、そんなこちらの予想を裏切るさらに狂った映画を作っていただきたい。


新聞報道によると、フランスのサルコジ大統領がカーラ・ブルーニといよいよ結婚するようだ。
昨年発売されたアルバムはルー・リードも参加して、イエイツなどの詩に彼女が曲を付けたものだったが、こちらはレオス・カラックスのPV付き(日本盤のみ)のデビュー・アルバム。
久々に取りだして聴いてみた。
ついでに、ビデオクリップも見直した。
テーブルの上のライトのみの光に照らされた薄暗がりの部屋の夜の窓辺でギターを弾くブルーニ。
その奥の窓の向こうにロウソクを持ったドニ・ラヴァン。
たったそれだけのビデオだが、別れた男がまだ私のことを愛していると誰かが言っていると歌われるその歌の内容を知ると、現在の状況もそこに加わってかなり恐ろしい。
いわゆるビデオクリップとしての機能を果たしているかどうかは、相変わらずよく分からないが。

carla.jpg
カーラ・ブルーニ「quelqu’un m’a dit」→


1月4日(金)

昨日のバルト9情報にちょっと誤りがあった。
入場料金が1200円の割引料金になるのは、平日の18時まで(昨日は17時までと書いてしまった)。

しかし、このシステムは、利用者にとってはお得なものになるのだが、たの劇場にとってはやっかいなものでもあるだろう。
特に、これに対抗することの出来ない小さな劇場は、どんどん置いてきぼりになるばかりである。
まあ、上映作品で勝負、ということしかないのだろうが・・・

本日は、事務所に行き、ボチボチと発送作業その他。
昨夜、酷い頭痛で目が覚めたりしていたため、ボーッとするばかり。
最も避けたかったこういうパターンに、仕事始めからいきなりなってしまった。
生活や仕事のやり方を徹底的に変えねばと、再確認。
簡単にできるものではないのだが。

その他、爆音映画祭のHP作りのための打ち合わせあり。
5月とはいえ、急ぎでやらねばならないこと多し。

1月3日(木)

謹賀新年。

いつもは実家に帰ったり、義母の誘いで温泉に行ったりしている年末年始だが、今回はひたすら自宅にて。
私も子どもも具合が悪かったりしていたので、特に何をするわけでも人に会うわけでもなく、グータラ三昧で、昨年末の最後の仕事となるはずだった、シネセゾンでの、『ざ・鬼太鼓座』の調整試写もキャンセル、冴えない年末となったのであった。

さて、本年のboidであるが、企画はあれこれあるものの、それを実現できるだけの経済力がまるでなし。
関係者には、近々大変迷惑なお知らせが回ることであろう。
新年早々申し訳ない。

本日は、そこそこ時間はあるし映画でも見に行こうかと新宿へ。
といっても見たい映画があるわけでもなく、『エイリアンズVSプレデター2』に。
おそらくガラガラであろうとの想定による選択であった。
開始10分前にバルト9へ行くと、確かに15時20分からの回には二重丸が付いていて、つまり、座席に余裕ありだったのだが、ここからが問題。
シネコン恐るべし。
チケット売り場は、そこそこの列。
チケットを買う人は、この映画だけじゃないのだ。
でも10分前だし、予告編もあるからそれが終わるまでにはなんとかなるだろうと列の最後尾に付けたのだが、ロビー内をグニャグニャと蛇のようにうねる列は、予想以上に長かったのであった。
結局30分かかり、当然『エイリアンズVSプレデター』には間に合わず。

とはいえそのまま帰ったのではあまりに悔しいので、『ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記』を。
席が十分に空いていて、しかもそれを見に来た人間が開始10分前にはその場に付いているのにその映画を見ることができないという理不尽に怒り、もう2度とシネコンには来ないと誓ったものの、『ナショナル・トレジャー』1200円なのであった。
どうやら平日の15時から17時までの回は、1200円均一というシステムらしい。
じゃあ次からは平日のその時間帯に、などとつい得した気分になってしまうのは、まんまとシネコンの罠にはまったということなのか?
だって『ナショナル・トレジャー』、前回のものを一緒に見たうちの子どもでさえ、次は見たくないと言ったくらいの映画だからねえ・・・

しかし、ジョン・ヴォイト、ハーヴェイ・カイテル、エド・ハリスという豪華キャストであった。
まあ、これを『豪華キャスト』と呼ぶかどうかは判断の分かれるところだろうが。

失敗したアメリカの中にかつての栄光を見出すという物語は、まさに今、アメリカが求めているとハリウッドが思っているような物語なんだろうと思った。

ロンドンの町の中での派手なカーチェイスというのは、最近の映画では見たことがないのだが、この映画でのそれは、本物なのだろうか?
ハリウッドのスタジオに渋谷のセットを作ってしまったという『ワイルド・スピードX3』のように、ここでもロンドンのセットを作ってしまったのかと、そのシーンだけは目をこらしてスクリーンを見た。
本物のように見えた。