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  • 爆音サーフ・フィルム・フェスティバル

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boid日記 2008年2月

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text by 樋口泰人

2月29日(金)

ただでさえバタバタになる月末なのに、boidの財政も考えあれこれ仕事を入れてしまったため、今週はなんだかまあ、日々全速力、という感じだった。
ホッとするネタは、昨日の昼食事件くらいだったか。
いや、あれはホッとするというようなものとも違うんだけどねえ。
遊んでくれ遊んでくれとみゃーみゃー鳴いて近寄ってくるジーナを振り切るのに、胸が痛む。

夕方、吉祥寺に行って、大友さんがやっているスペース、GRIDにて、爆音映画祭の大友レクチャーに関する打ち合わせ。
聞き手となってくれる須川さんと共に。
今回の映画祭では、夜の部は、基本的にライヴとレクチャーがメインになる予定。
大友さんには、今回はライヴではなくレクチャーを、というのがこの映画祭のポイントでもあると、密かに思っているのだが。
でもいずれ、大友さんのライヴ付きのオールナイト爆音を、とも思っている。

打ち合わせの途中、大友さんに、聴力検査をされる。
1万ヘルツ以上の高音が、どれくらいの高さまで聞き取れるか、というテストである。
こういう数値は残酷なのでドキドキしたのだが、私は、1万5千ヘルツでギブアップ。
須川さんは1万8千ヘルツくらいまで行った。
我々の年齢では、まあ、これくらい聞き取れれば十分とのこと。
その時の音の感触から言うと、私の耳鳴りは大体1万ヘルツくらいの音ではないかと、想像された。
ヘッドホンや爆音は、やはり鼓膜を弱らせるらしい。
まあ、バウスの爆音は耳で聞くのではなく体で触る感じ、ということで理解していただきたい。

その他、映画祭絡みでいろんな動きがあった。
通常の爆音上映と違い、いろんな人の力を借りつつ爆音上映を多くの人に知ってもらうための試みでもあるので、そこには力を貸してくれる方々のさまざまな思惑もまた、絡んでくる。
こちらの思惑と、それらとのバランスをいかにとるかが難しい。
良い着地点を見つけられると良いのだが・・・

2月28日(木)

本日のクライマックスは昼に訪れる。
事務所の近所に、「健康定食」とかいうちょっと怪しげな看板を出す、どう見ても健康そうではない地下へ続く階段の先にある定食屋があって、いかにも胡散臭そうな匂いを発しているためこれまで眺めるだけで入ったことはなかったのだが、なぜか本日は玄米が食いたくなって、ついフラフラと階段を下りてしまったのだった。

なかはまあ、普通にみすぼらしい定食屋の雰囲気。
トイレの芳香剤の匂いが漂い、ああやはり「健康」とは違うなあと思いつつも気を取り直して、玄米定食を注文。
しかし、「すみません切らしています」と。
店内の壁の各所に「玄米定食」の貼り紙がしてあって、この店の売りはこれしかない!、という雰囲気であるのだが・・・
でもまあ切らしているなら仕方ない。
せっかく「健康」につられて入ったので、やはり「当店の人気NO.1」という貼り紙の豆腐ハンバーグ定食を頼んだが、これまたやはり「切らしています」と。
さすがに一体これはどうしたことかと周囲を見回すと、みんなショウガ焼き定食を食しているのである。
まさかと思い、「カキフライ定食はありますよね」と弱気になって注文したところ、「はい」との答え。
やはりさすがに「まさか」はなかった。
しかしやってきたカキフライ定食がどうもおかしい。
カキフライではないのである。
いや、でかいカキなのかと思い、おそるおそる噛み付くと、何とアジフライ。
どう見ても食してもアジフライ以外の何ものでもないのだ。
こういう場合、「私がたのんだのはカキフライであってアジフライではない」とはっきりと言うべきかしばらく迷ったのだが、さすがにここで問い質しても、さらに混乱は増すばかり、こちらとしても玄米定食がなかった時点でもう何を食べても同じという態勢に入ってしまったこともあり、そのまま食すことにした。
もちろんそのまま食しつつも、このアジフライはカキフライ定食のおまけで、残りのフライはカキフライかもしれないと、有り得ない妄想を逞しくしながら食したのだが、有り得ないものは有り得ない。
見事にすべてがアジフライなのであった。
まさかこの店には、ショウガ焼きとアジフライしかないのだろうかと思いつつ食していたところ、次に入ってきた客も、私と同じくこの店が始めてな様子だったのだが、やはりショウガ焼き定食を注文していた。
一体、入り口にもでかでかと、「健康定食」の看板があり、メニューのトップにも玄米定食があって、いかにもここは健康に気を使う人たちが集まる店という主張をしているにもかかわらず、人はどうしてショウガ焼き定食を注文するのだろうか?
店主たちはそれに腹を立て、看板やメニューを変えぬまま、実際のメニューはショウガ焼き定食とアジフライ定食の2種類にしてしまったのではないだろうか?
などなど考えなくても良いことを考えていたら、すっかりグッタリしてしまった。

午後は、頼まれ仕事を含むあれやこれや。
気がつくと、まったく時間がない。
頼まれ仕事作業が目一杯で、『作業日誌』校正作業がまるでできず。
夜の、赤字付け合わせにまったく間に合わず。
月永、そして助っ人S君に頼るばかり。
さらに月末締めの原稿が残り2本。
書籍の流通をお願いしていた会社からは、タワーレコードの書店など、音楽関係の書店への流通ができないかもしれないとSOSも入る。
しかも来週早々には、その会社の営業担当の方々に、『作業日誌』をどのように書店営業したらいいのか、この本の売りは何なのかを説明しに行かねばならないことになる。
社員が全員集まるのは朝しかないとのことで、朝9時からの説明会。
「健康定食」の謎に踏み入っている時間はなかったのであった。

2月27日(水)

連絡事項があったのにいつも書き忘れてしまうので、まずはそれから。

爆音映画祭のボランティアの件で連絡をいただいた志田さん
こちらから何度返信しても、メールが戻ってきてしまいます。
再度、別のアドレスから連絡をいただけないでしょうか?
よろしくお願いします。

本日は朝から税務署。
確定申告だけではなく、今後のことに関しての諸手続を行う。
しかし、確定申告の受付で並んでいるのは、私でも若い方ではないかと思えるくらいの高年齢層。
確定申告をした方がいいとか言うつもりはさらさらないのだが、必要以上に支払われてしまったものに対しては、ちゃんと取り戻しておいた方がいいと思う。

午後は事務所にて、マスタリングが済んだヘア・スタイリスティックスの2枚のアルバムを確認。
スタジオでの作業時には、後半にやった方がかなり盛り上がったため、前半部分のものはどちらかというと地味な印象のままだったのだが、こうやって聞いてみると、当初1枚目として予定した、ダンスのための音楽その他もまた、聞き応え十分。
どれも、それぞれの音がみんな優しいのだ。
だから、そこに散りばめられた音の動きが作り出すグルーヴに、思わずニヤリとしてしまう。

その後中原もやってきて音を確認。
同時に、『作業日誌』の方の、表紙の絵も決定。
徐々に作業が進む。
形になるまであと一歩。

夜はヘアスタの月刊アルバム発売記念Tシャツ作りのための、デザイナーとの打ち合わせ。
今回は、予定ではすべて手刷りで、1枚ごとが微妙に違うものにできたら、というような話で進んでいる。
その分、値段もそれなりになる。

そして、恒例の爆音映画祭会議。
某作品の上映に関し、ちょっとした問題が起こり、それをどう扱うかを検討。
また、ズルズルと横に広がり続ける映画祭上映作品リクエストに決着をつけるべく、以下のような方法をとることにする。

・締め切り1週間前(3月8日)までは、これまで通りのリクエストを受け付ける
・その時点で、投票数上位で上映可能な作品10本、そして、投票数下位作品の中で映画祭事務局推薦の映画数本、合計10数本を選出
・最後の1週間(3月9日から15日)は、その10数本の中での「決選投票」とする
・決選投票の上位3作品を上映

とまあ、大ざっぱにこんな感じ。
ただ、上映可能かどうかを確認する時間などを考えると、一般投票の受付締切を3月7日にして、3月8日は、確認のための日、そして9日から決選投票、という流れになるかもしれない。
そのあたりの詳細は、映画祭HPの方で、順次お知らせしていく。

ただ、決選投票は別に、横に広がり続けるリクエストも、今後の爆音上映のためには非常にありがたい資料となるので、一般投票締め切り日までは是非あれこれとお寄せいただけたらと思う。
映画祭ではなく、いつか何処かで思わぬ形で、その一票が形になるかもしれない。

そしていよいよ3月からは、毎週の爆音調整がスタートする。
5月まで、こちらの体力は果たして保つだろうか?

2月26日(火)

昨日、マスタリング・スタジオに行く途中のブックオフでなぜか売っていて、驚きもしつつ手に入れたティム・バックリィのライヴを聴きながら、1日をスタート。
さすがに昨夜の疲れでヨレヨレだったのだが、久々に聞くティム・バックリィの声は「疲れ」とは無関係の懸命さがあって、力が出る。

その続きで、帰宅後もティム三昧。
若い頃は、セカンド(『Goodbye and Hello』)の1曲目の雷みたいな音にガツンとやられていたのだが、今は、その次に出た『Blue Afternoon』の危うい静謐さにドキッとする。

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Live at the Troubadour 1969 → Goodbye and Hello → Blue Afternoon →

『告発のとき』も見た。
『ノーカントリー』に続き、トミー・リー・ジョーンズである。
自身の監督作『メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬』といい、これらの映画といい、今やトミー・リーが弱ったアメリカの象徴となっているのだろうか。
良くも悪くも脚本家の映画であった。
ただ、アメリカの現実は、「良くも悪くも」とか言っていられないものとして、人々の生活を蝕んでいるのだろうということはよく分かった。
しかし例えば、ティム・バックリィが『Blue Afternoon』の最後で8分ほどの時間をかけて、「I don't stay here no more」と歌ったことの意味を、この映画のトミー・リー・ジョーンズのような人が聞く耳を持っていたなら、事態は少しは変わっていただろうにと思うばかり。
だから今更そんな年寄りを主人公にするより、16歳の妊娠少女を主人公にした『JUNO』の方が、余程潔いのではないか。
なんてことも、つい思ってしまう。
もちろんこの映画は、もっとシンプルにアメリカの今を描いているわけだから、それはそれでまったく問題ないのだが。
しかし、ならば『ノーカントリー』がアカデミー賞を受賞したということは、一体どういうことなのか。
小説ではなく映画の方は、敢えて殺し屋を目立たせていたから、コーエン兄弟としてもそういった配慮はあったのだろうか。
ここで年寄りをフィーチュアしてはならないと。
あくまでも、これは俺たちの映画だという意味での「ノーカントリー」であったのかもしれない。
ならば、それも潔しなのだが、それにオスカーを与えるアカデミー賞とは・・・?

まあ、それらすべて単に私の考えすぎ、だけなのかもしれないが。

2月25日(月)

たった一晩でも田舎に戻って老人たちとのやりとりをすると、都会でのペースに何となく戸惑ってしまう。
こちらもいい歳になってきたので、都会のペースに慣れなくなってきているのだろう。
ただ、これからかなり頻繁に実家に戻らなければならない事情もできて、ますます私の混乱も深まるのではないかと思われる。

本日は夕方から、いよいよ12ヶ月連続発売となるヘア・スタイリスティックスのアルバムの、第1回目のマスタリング。
調布にある、ピースミュージックにて。
『AM5:00+』でお世話になったというか、ご迷惑をかけたというか、めったにないマスタリングに付き合っていただいた中村さんに、再びお願いすることにしたのである。

今回はまあ、前回のように、スタジオ内で曲を作っていくというような大変なことにはならなかったが、まあ、そこそこ大変かつ、冗談のような展開を見せながら、作業は進んでいった。
当初、第1弾と第2弾を続けてマスタリングしてしまおうという算段で、まあ、作業はそのように行ったのだが、第2弾分としてマスタリングしたものがなかなか凄くて、これまでのヘア・スタイリスティックスのイメージから微妙に飛躍し、しかもポップでキャッチーな曲まであるという、結構な盛り上がりを見せたため、急遽、こちらを第1弾にすることにする。
果たしてこういった曲がどうとらえられるのか謎ではあるのだが、もはや「ノイズ」ではまったくなく、しかも、通常のポップミュージックでもあり得ない何かが詰め込まれたアルバムとなった。
しかもユーモアたっぷり。
こういう曲が世界各地でみんなに聴かれるようになると、世界は平和になると思うのだが。
アルバム第1弾は4月28日発売。
お楽しみに。

こんなに早くマスタリングが済んだとはいえ、このあと、タイトル決めやジャケット問題など、まだ作業は終わったわけではない。
マスタリング終了後、食事をしながらそれらについての作戦を練る。
12枚すべてを購入された方には、何らかのプレゼントをしようかという話も出る。
とにかく、毎回、それぞれのアルバムに「応募券」をつけてそれを12枚集めて送ってもらうという、まあ、よくあるやり方にするのではあるが、「応募券」かと思ったら・・・、というのがオチとなるバカなアイディアが中原から発案され、果たして12枚買ってみないとどうなるかは分からない。
現状では「ミステリー・ディスク」プレゼントとなる予定。
とはいえ、「ミステリー・ディスク」って何だ?

2月24日(日)

土曜日、諸事情あり、実家に戻った。
そのついでに、山梨で先行公開された『休暇』(脚本を佐向が書き、西島君が死刑囚役で出演)の舞台挨拶つき上映を見に行く。
佐向も壇上に上がるのかと思ったら、当日は脚本家ではなく、現在の本業である宣伝担当としてあたふたしているので笑ってしまった。
山梨で、このような映画館での舞台挨拶など本当にめったにないことらしく、3つの劇場でやった挨拶はどれも満員売り切れで、私の運転手として一緒に行った従姉妹も興奮気味。

映画の方は、おそらくこんな機会でもないと絶対に見なかっただろう物語でもあったのだが、そういった物珍しさも手伝って、案外普通に見ることができた。
おそらく、ひとつのシーンをじっくりと最後まで見せようという監督の生真面目なゆったりとしたリズムが、そんな「普通さ」を生み出しているのだろう。
ビデオからフィルムへの変換が悪かったのか、画面の暗さやノイズがかなり気になって仕方がなかったものの、従姉妹にそのことを尋ねると全く気づいていなかったので、マス・レベルではこれくらいでもOKなのかもしれない。

しかし驚いたのは、舞台挨拶の中で話題になった、スタッフ・キャストが宿泊していた宿は、何と私の実家のすぐ近くだったということだ。
どうやら地元では、「あそこに映画の人たちが泊まっている」というのが相当話題になっていたらしい。
まあ、みんな退屈してるから、ちょっとしたことでも話題になるという話をしていたら、本日の山梨日日新聞を見てさらにビックリ。
何と、新聞の1面に舞台挨拶の様子がでかでかと載っているのである。
やはり地元の新聞社と放送局が出資した映画となると、こういう扱いになるのか。

ただ、両親やその兄弟たちと話していると、そういったことがそこそこ刺激になっていて、うちの両親など、『敦煌』以来20年ぶりに映画館に行くとのこと。
その兄弟たちも、同じようなもの。
だから東京にいるとよく分からないのだが、こういった地方を舞台にした地方企業出資の映画は、とにかく作られるべきなのだろう。

2月22日(金)

1日のうちにいろんなことが起こる。
壊れたiMacは、大塚がアップルストアに持っていったのだが、何と、ストアでは快調に立ち上がり、検査をしてもまったく異常なし。
すごすごとそのまま持ち帰ってきたものの、事務所で立ち上げると、すぐにシャットダウン。
何度やってもダメ。
電源ケーブルかキーボードに異常があるのかもしれない。

そんなところに、爆音聴力破壊のオールナイトで上映を予定していた某作品の上映不可、との連絡が某社からはいる。
あんなに苦労してチラシのレイアウトを、某社の要望通り(すべてではないものの)に何度も変えて、やりとりしたのに・・・
すべてが水の泡である。
本当にひどい。
映画の「権利」とは、映画を上映させないための権利ではないかと思えてくる。
日本の洋画系(メジャー)の配給会社は、かつて音楽業界で同じようなやり方をしていた洋楽が、今や邦楽に圧倒されて見る影もないことを、しっかりと胸に刻みつけておくがいい。

というわけで夜はバタバタになる。
中原もやってきて、『作業日誌』の疑問点の確認。
月刊ヘアスタのジャケットのアイディアも決まる。
そしてお土産というかサンプルとして持ってきてくれた、新方式のCDをいくつか聴く。
ジミ・ヘン、マーヴィン・ゲイ、ボブ・マーリィなど、ユニバーサルから出た、スーパー・ハイメタルCDというやつ。
詳細はここ→
確かにかなり凄い。
確実に音のレンジが広がっている。
空間の余裕がかなり違うのではないか。
驚いたのは、ジミ・ヘンの『アー・ユー・エクスペリエンスト?』に入っている「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」を聴いたとき。
この曲は、ベルトルッチの『ドリーマーズ』の冒頭に使われていて、その時、これまで聴いてきた「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」と全然違って聞こえたのにビックリして、でもどう調べても、映画で使われたのは、CDと同じ音源。
いったい何がどうしたのかと、青山とも話していたのだが、それと同じ響きなのだった。
なーんだ、元々そうだったんじゃん、ということなのである。

で、まあ、そうこうしているうちに、何とかとりあえずの解決がつく。
帰宅は12時近くになってしまったのだが、な、な、なんと、ジーナが・・・

 

結局は別の名前に決まったのだが、本日だけは、ジーナと呼ばせていただいた。

2月21日(木)

このところ、私にしてはかつてなくいろんな人に会いべらべら喋っているので、もう、夕方以降になるとグッタリ。
ただ、どうもメールでのやりとりがどんどんダメになってきて、その場その場で解決していかないと気がすまなくなっているのだった。
老眼のせいで、メールを見るのがますます面倒になっている、ということなのかもしれない。

本日も、爆音映画祭に関する 「nobody」のインタビュー、印刷所との打ち合わせ、『コロッサル・ユース』のシナリオ採録に関する説明など、ズルズルとあれこれ。
その間、『爆音聴力破壊』のオールナイトラインナップの最終調整でやりとり多数。
ようやく決まった、多分。
メジャー作品は、これからどんどん上映が難しくなってくるだろう。
だったらやらなければいいじゃん、という考え方もできるのだが、片足は確かにはっきりとそちら側に突っ込みつつ、それでもやるにはどうするかを考えていく。
しかしそれがなかなか難しく、本日はつい、某社に対して、「じゃあやらない」宣言をして、事態をさらに悪化させてしまったかもしれない。
まだまだ気を許すと、メジャーにツバ吐くジーナ・ガーションの悪魔の囁きが、耳元で聞こえてくるのだった。
ツバを吐くことの簡単さと気持ちよさに、つい、心が動いてしまう。

夜はようやく『コントロール』を見る。
ジョイ・ディヴィジョン、というかイアン・カーティスの物語である。
当時、ジョイ・ディヴィジョンなんて聞いているのは、大学のクラスで私ひとりだった。
まあ、大学自体にちゃんと行っていた訳じゃあないので、本当にそうだったかどうかは定かではない。
それが今では映画にもなる。
確かにイギリスでの知名度は日本とは比べものにならなかったわけだから、イギリス人にとって見ればあまり違和感はないのかもしれない。
だが、イアン・カーティスと同世代の日本人としては、当時を知らない多くの日本の若者たちにどんなふうに見られるのかなどと、余計なことばかりが頭をよぎる。
当時の自分と共に見るような、ふたつの時間もそこには現れてくる。
レコードは嫌というほど聴いたが、CDになってからは買ってもおらず、聴いてもいない。
ちゃんと聴くのはだから、20年ぶりくらいなはずなのだが、映画で使われていたのは、ほとんどが出演者たちの演奏によるもので、ジョイ・ディヴィジョンの演奏も、音源は2枚のアルバムからのものではないかと思う。
アルバムの音は、もっと、単調で、苦痛なものだったように思う。
映画の中では、イアン・カーティスが奇妙な痙攣的な踊りを見せるのだが、また、彼が本当に痙攣の発作を持っていることも語られるのだが、その痙攣的な部分がはっきりと示されるような音になっていたはずだ。
だから、おそらくイアン・カーティスのあの踊りを見るのはこの映画が初めてだったはずだが、まさにあの踊りを、ジョイ・ディヴィジョンの音楽に見ていたのだということを、はっきりと確認したのだった。

80年代、ずっと関わっていたレコード店を、もう辞めてもいいと初めて思ったのは、来店したひとりの若者に「ジョイ・ディヴィジョンて、どんなバンドですか?」と質問されたときだったことを思い出した。

その後、中原日記に出てきて気になって買っていたものの聴いていなかったTHINK TANKのアルバムを聴く。
この手のヒップホップのある種の単調な展開をすんなり受け入れられるのも、もしかするとかつてジョイ・ディヴィジョンを聴いていたからかと、そんなことをふと思った。

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THINK TANK →

2月20日(水)

午前中、銀行にて諸々の振込手続き。
その後、躊躇しているとすべてが後手後手になるということから、ヨドバシカメラにてMacを購入。
いまやMacの修理はアップルストアなど、特定の店でしかできないのだそうだ。
パソコンみたいにまだまだ壊れやすいものを、あんまり閉ざされた場所に囲い込んでしまうと、そのうちみんなが離れていってしまうと思うのだが。
まあ、あくまでも独自路線を行くことでここまでやってきたわけだから、こちらがこんなところで文句を言っても何がどうなるわけでもないだろうけどね。
動画編集以外、Macを使わなくなって、もう何年も経つ。

その後、ディスクユニオンに出来上がったばかりの『宇宙の柳、たましいの下着』コメント・チラシを持っていきついでに、ついCDを買ってしまう。
多分、ユニオンには今年になって初めてではないか。
2ヶ月ぶりくらい。
それくらい空くと、さすがに見たこともないものが多数。
しかし多数過ぎて、どれも買う気にならず、その中で目についた下記2枚を。

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I am an ape →         Wanda Jackson →

ほぼジャケ買いみたいなものだが、「I am an ape」の方は、それを見ながらとあるアルバムを思い出していた。
50年代にはアメリカ各地におかしな人がいっぱいいて、それぞれが結構マメにいろんな録音を残しているんだよなあ、などと思いながら買ったのであった。
もちろん、2月10日の日記に書いた、「Musics in the Margin」というアルバムのこともあったので。
で、このとき思い出していたアルバムというのが、下記のもの。

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Stone Age Woo →

この人は、さらに素朴に狂ったブライアン・ウィルソンというか、まったくどこも狂っていない冷静すぎるダニエル・ジョンストンというか、とにかく一度はその歌を聴いて欲しいとしか言えないような、絶妙に歪なロックンロール、ロカビリーを聞かせてくれる。
宇宙時代に突如侵入してしまった石器時代の人の捻れた時間の感覚が、こちらの生きている時間をも狂わせる。
「I am an ape」は、ああやはりそういう人たちがそのころは各所にいたのだと確認できるアルバムであった。
だが、それぞれの狂い方は、それぞれが作ったはずの楽曲の膨大な集積を聴いてみないと分からない。

ワンダ・ジャクソンは50年代後半から60年代前半までに録音した35曲。
いやあ、ロックンロールは偉大である。
これまでほとんど聴いたことがなかったのだが、聞き逃していて損した。
鼻にかかった硬質の声は、当時のカントリー特有の歌唱法なのだろうが、それがときに天使の笑い声のようにも、悪魔の囁きのようにも聞こえてくるのだ。
で、まあ、悪魔的な部分になると、やはりジーナ・ガーションが浮かび上がるという次第。
うーむ、このアルバムも事務所に置いておいてはまずいのか・・・

夜はバウスにて爆音映画祭ミーティング。
本日は、さまざまなチケットの料金設定など、非常に具体的なことについて。
おおよその料金設定が決まる。
3月からは、もう、爆音調整に入らねばならない。

2月19日(火)

占い師三重野来襲。
事務所の大改造に関して諸々のチェックを受ける。
まあ、おおよそ合格点を記録したのだが、壁に貼ってあったジーナ・ガーションの写真を見た瞬間に「0点」の宣告。
ガーションのその写真を元に、天上からたらした布の絵も描かれていて、その色合いなどは合格点だったものの、元がその写真なら、全部描き直しとのご意見なのであった。
私の好きなビッチ系はすべてNG。
「ゴージャスなものにツバを吐くような女性がboidに金をもたらすはずはない」というあまりに、きっぱりとした診断で、どんなに抵抗しても甲斐なし。
仕方なく、ブリジット・バルドーかナスターシャ・キンスキーで妥協点を見出したのだが、それでも何となく釈然とせず、ようやく『ファム・ファタール』『X-Men』シリーズのレベッカ・ローミン=ステイモスにて。
まあ、無理に女優にしなくても全然良かったのだが、ジーナ・ガーションをあんなに否定されるとは思わなかったもので、つい、こちらも意地になった。
そういえば、今週末、我が家に猫がやってくる。
最近の保健所は、捨て猫を3日くらいで殺してしまうらしく、あんまりだというので近所のペットショップがそれを引き取り、飼い主が現れるまでさらに1ヶ月くらいはそこで育てているうちの一匹を、引き取ることにしたのである。
で、その名前を何にするかという話をしていたときに、妻子が「キャサリン」とか「ルカ」とかあまりに適当な名前を言い出すので、じゃあ、私は誰が何と言おうと「ジーナ」と呼ぶ宣言をして、妻はガーションではなくローランズと勘違いしたまま笑っていたのだが、翌日ガーションであることを説明し、その画像を見せた瞬間に大反対。
各所で嫌われ者の、ガーションであった。
とはいえ、boid事務所に貼ってある画像の胸元と腕のタトゥーは、見るたびにドキドキさせられるのだが。
という話をすると、神様からは、「事務所は仕事をする場所である、個人的なお楽しみは家で勝手にやれ」とのおしかりを受けた。
などなど、なるべく早めに、事務所にはふたつの太陽を取り付けることになった。

で、占い師帰宅後、この数日余りに調子が変だったMacを直そうとしていたら、ついには起動することもしなくなってしまった。
電源のランプはつくもののそれだけ。
あとはどうやってもダメ。
各所に尋ねたところ、電源関係のトラブルが最も怪しい、しかしiMacだと勝手に電源を取り替えるのはかなり難しいし、はっきりと電源のトラブルかどうかも分からないので、店に持っていって直してもらうしかないとの判断。
Windows なら、安い電源を買ってきて取り替えれば済むところなのだが、Macはやっかいである。
しかも、仕事には至急必要。

なんてことをしていると、既に夜中である。
明日は朝一で銀行に行かねば。
いよいよ、爆音映画祭での上映のため、あの作品の上映権利料を海外に振り込むのであった。

2月18日(月)

昨日は、さすがにあまりに疲れ果てていて、完全休養をとった。
昼から、『スウィニー・トッド』を見に行ったのだけど(夫婦50割引だと一人1000円なのだ!)、ほとんど寝ぼけながら見てしまった。
ミュージカルふうに語られていくときの曲調が意図的にか、かなり単調なので、その単調さに耐えきれなかったのかもしれない。
夢を見ながら、さらに夢のような映画を見ていたというわけだ。
それが製作者の意図なら、見事にはまったということになる。
しかし、これはたまたま、ポール・トーマス・アンダーソンの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を見たからなのだが、かつてのハリウッド映画の音楽が、一つか二つの決まったパターンを変奏しながら微妙に物語にシンクロさせていくのとは違う、奇妙な単調さを映画に付け加えていく音楽のあり方は、果たして彼らの意図したものなのだろうか?
単なる偶然なのだろうか?
そうした単調な、ひとつの決まった形式に頼らざるを得ないほど、彼らの映画はギリギリの場所にたたされているということなのだろうかと、余計なことまで考えてしまった。

夜は少し元気も出てきて、ようやく「桃まつり」のDVDを。
どの作品も、昨年よりさらに洗練度が増している。
そしてさらに、より個人的なものになっているような気がした。
これは、良い意味で。
自主製作の短篇というジャンルの持つ親密さを、徹底した公的な洗練によって作り出している、といったらいいだろうか。
ひとつの映画の形式に向けての洗練と、私はこういうことがやりたいのだ、今の私はこうなのだというあくまでも個人的な立場とが、自主製作の短篇という形式の中で見事にシンクロしているように思える。
年に1度、私たちはこういうものを作る、そしてそれを見る人がいる、という幸福な出会いがそこにある。
その出会いのバランスがうまく取れている感じ。
それぞれの作品については、いろんな言い方ができると思うが、この「桃まつり」という企画に関しては、それぞれがそれに参加する態度のとり方が、明確なものとなっていているのだと思われる。
その気持ちよさをまず感じた。

本日は朝から、昨年の確定申告の件で、妻から諸々の説教をされ、まさにその通りであるので深く反省の意を表明。
とにかく今年は、昨年のようには一切しない、ということも表明。

その後事務所にて、3月の「爆音聴力破壊」の最後の交渉。
本来なら本日にて、チラシ作成作業の終了となるはずだったのだが、『ブラック・スネーク・モーン』上映できずのおかげですべてが振り出しに戻り、予定を組み直し。
ようやく、プログラムは完成。
急遽上映することになった某作品の、権利問題その他の確定を待って、チラシも完成、告知解禁となる。

午後からは、某仕事のために「『JUNO』という映画の試写。
何と、アイヴァン・ライトマンの息子であるジェイソン・ライトマンの監督作。
これが2作目なのだそうだ。
といってもこれは監督の映画ではなく、脚本の映画。
『イカとクジラ』みたいな、青春映画とホームドラマを現代アメリカの諸問題が襲う滅茶苦茶面白い脚本をとにかくそのまま映画にした、という印象。
80年代なら、多少のノスタルジーの中で、ジョン・ヒューズやハワード・ドイッチが描いていたような作品が、今やきっとこのようになるのだ、ということを再認識させられた。
映画としては全然大したことはしていないにもかかわらず、アメリカ中西部の荒涼の中で見事に生き抜いていく高校生やその親たちの、全然理想化されていないが故に、ある種の理想ともなり得る姿が、そこにあったように思う。
日本では『人のセックスを笑うな』がかなりの評判を呼んでいて、確かに映画としてはあちらの方が断然突き抜けているとは思うのだが、一方で主人公たちの暮らす環境は、遥かにこちらの方が厳しい。
もはやこちらには、ノスタルジーはない。
だから敢えて言わせてもらえば、『人のセックスを笑うな』なんて、単に映画好きとインテリが喜んでるだけじゃないかと、そんなことも言える。
もちろん私も喜んだ一人ではあるのだが。

しかもこちらの映画が抱える厳しさは、例えば、多くのドキュメンタリーが伝えてくれる劇映画など作られもしないような地域の厳しさとは違うしょうもなさも十分に含まれた厳しさで、だからこそ分かりにくいとは思うのだが、そのなんだかんだ言っても結局は経済大国でしかない国の持つ厳しさの中で生きていく知恵を身につけつつある若者たち、その親たちの姿はなかなか良い物ではないかと思った。
ただ、最後の主人公二人のアコギでのデュエットだけは、ちょっといただけなかった。
あそこは嘘でも良いから、ど派手にガツンと行くべきだったと思う。
イギー・ポップやフーやパティ・スミスが大好きで(実際、主人公の部屋には『ホーセズ』だったか『イースター』だったかのジャケット有り)、しかしソニック・ユースに対しては「ただの雑音」と言い切る16歳の心意気は、果たしてあの歌で伝えることができたのか?

ちなみにサントラには、元モルディ・ピーチズのキミヤ・ドーソンの歌が何曲も使われていて、アメリカのSSW系の音の豊穣な広がりを堪能させてくれる。
それらと一緒に、キンクスやフーの音楽を聞いている16歳が主人公なのだった。

その後、芸大の卒業制作で、昨年『A Bao A Qu』という35ミリ作品を作ったチームと会って、あれこれの話をし、夜は、『中原昌也 作業日誌』の仕上げについての打ち合わせ。
仕上げに関しては、ひとり、頼もしい助っ人の参加あり。
デザインと構成が固まる。
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モルディ・ピーチズ→

2月16日(土)

昼から某監督の本についての打ち合わせ。
果たして無事出版できるかどうかの瀬戸際。
その際、4月に来日する監督に、爆音映画祭の音響調整をやってもらうことを依頼。
こちらもどうなるか。

これまでの爆音上映は、爆音でやるということではなく、映画は観る側のものでもあるという意味で、徹底して制作側の意図を無視してバウスの会場で聞こえる音を中心に据えた音作りを行ってきた。
その意味で、自作の音響調整を依頼するのは爆音上映の意図に反するものでもあるのだが、「祭」でもあるのでこういったお楽しみは有りではないかと思う。
まあ、実現したら、という話なのだが。
監督たちは、基本的に自作のプロモーションのために来日するのであって、爆音調整などしている時間はない。
本来ならこちらが旅費などを負担した上での要請をしなくてはならないのだが、まあ、こちらにそんな予算があるはずもなく、とりあえずお願いするだけしてみよう、という図々しいお願いなのであった。

その後、boidの会社化に向けての会計士との打ち合わせ。
義弟である。
まだ30代前半のいかにも今風な若者なのであるが、職業柄故か考え方は非常にしっかりしていて現実的で、私の仕事ぶりや経済観念など、ただひたすら呆れられるばかり。
完全なる生活破綻者として見なされてしまったかもしれない。
一体この先どうなるやら。
しかしまあ、そこはとりあえず「親族」故、今後会社化とその後の経理に関して、大いに面倒を見てもらうことになった。

その後、久々にHMVにでもよろうかと思ったのだが、力尽きる。

2月15日(金)

朝からジャック・ブラック主演の『Tenacious D』の試写。
8時過ぎに起きたので、余裕で支度をしていたら、見事に5分遅刻。
映画の方は、『ビルとテッドの地獄旅行』の、デブなオヤジ版、であった(笑)。
その2本立てで見たいねえ。
まだ、邦題も未定なものをなぜ見たかというと、可能なら爆音映画祭で、プレミア上映できないかという目論見有り。
はたしてどうなるか。

午後からは大問題発生。
結局、一部のチラシで軽く告知していた3月の爆音聴力破壊のレイト上映予定だった『ブラック・スネーク・モーン』が上映できなくなる。
昨年からの念願の企画だっただけに、ショックは甚だしい。
こんなことなら、昨年、できるうちに無理矢理やっておけば良かった・・・
期待してくれていたみなさま、申し訳ない。
レイト2週間は、『デス・プルーフ』と『レディ・イン・ザ・ウォーター』ともう1本、という組み合わせになるかと思われます。
最終決定は月曜日。
オールナイトのラインナップは決まったので、それも月曜日にお知らせします。

夜、試写帰りの中原と、その件で軽く打ち合わせ。
いくつかのアイディアが出る。
月曜日に各社に問い合わせ、その状況を見て決定することに。
こうやって爆音上映のために旧作を掘り起こすことが、見捨てられて動けなくなったものたちを揺り動かすことになってくれればと願うばかり。
かつて、安井くんから、「映画の再生工場」とも言われた爆音上映だが、今や「再生」の意味がまったく違ったものになりつつあるのを実感する。
ほとんど、亡霊を呼び起こすのに近い。

2月14日(木)

街角ですれ違う人が意味もなく微笑んでいたりすると、こちらが変なことをしていたのか、変なものが顔についているのかと、不安になる。
思い過ごしかもしれないのだが、時々気になって仕方がないことがあって、本日も朝からそんな不安にさいなまれた。
まあ、それだけのことなんだけど。
人にあったり打ち合わせが続いたりして、睡眠が十分取れていないため、何となくいろんなことに敏感になってしまっているのかもしれない。

午後から、佐向がやってきて、佐向が脚本を書いた『休暇』のことなど。
この映画、山梨日々新聞と山梨放送が予算を出していて、今度の土曜日から、山梨のみで先行公開となる。
一応地元ではあるので、正月に帰らなかったこともあり、初日の舞台挨拶の様子でも見がてら、実家に戻ろうかと思っているのであった。
たまたま実家からも連絡があり、新聞社や放送局が、まあ良くありがちが「チケット販売作戦」を展開している模様。
叔母も義理で買わされてしまったらしい。

その後、爆音映画祭での招待試写、及びプレミア上映のための打ち合わせ。
共にサーフ映画。
試写は、もちろん『クリスタルボイジャー』。
どのような招待になるか、これから決まっていくことになるのだが、もちろんボランティアの方たちはご招待である。
『クリスタルボイジャー』は映画祭内ではやらないので、ご覧になりたい方は、試写招待情報の発表をお待ちいただきたい。
やはり年に1度は爆音でこの映画を見ないとねえ。

その後、ようやくポール・トーマス・アンダーソン『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』。
まさにこの不吉なタイトルそのものの映画であった。
2時間40分の上映時間の間中、ソクーロフ『ロシアン・エレジー』冒頭の苦しげな息づかいが延々と聞こえてくるような息苦しさ。
これはおそらく、ワイアレスマイクと通常のマイクとのミックスが、もの凄く絶妙であるためではないかと思われる。
通常の映画ではカットしてしまうような音が、聞こえてくるのだ。
『宇宙の柳』の中で直枝さんが良く語っていた、スタジオの床鳴りの音、みたいな感じで、本来の音とは関係ないけれども確実にそこでは鳴っている音が、さも当然のごとく、しかしまったく別世界の音のように聞こえてくるのであった。
しかしこれは絶対に爆音では上映できない。
予め音がでかいからもうこれ以上はいらないとも言えるのだが、実はこれは無声映画として作られているからそう思えるのではないかと思った。
これを爆音でやったら、この映画が予め持っている「無声映画」の部分がより際だって、その残酷さに耐えられなくなってしまう、そんな感じがするのである。
爆音映画祭をやるのだと言ってちょっと前向きに動き回っているその高揚した頭を、ガツンとボーリングのピンで殴られたような気がして、頭蓋骨陥没状態で帰宅したのであった。
こんな状態なら、すれ違った人の微笑みもあまり気にならない。

2月13日(水)

本日は昼から、3月の爆音聴力破壊、それから爆音映画祭の上映に関する大問題が発生。
とりあえずの解決の方向はたったのだが、とにかく今の日本の状況では、ロードショーで見逃したメジャー作品を、劇場で見ることのできる可能性は極めて低いと覚悟しておいた方がいい。
そこには諸事情あって、一概にメジャー会社の責任とは言えない。
ロードショーが終わっても、旧作を上映する劇場が多ければ、話は全然違ったものになるわけで、多くの人が家庭に大きなサイズのテレビを持ち、音響システムも整え始めた今、いくらフィルムでの上映を訴えたところでそれは無理というものだ。
そしてこれだけ、機能優先のシステム化された社会が出来上がってくれば、役立たずは相手にされない。
社会全体のシステムが、劇場での上映を非常に窮屈なものにしているのだ。
もちろん我々もそこに、否応なく加担させられている。

まあ、そんな状況の中で、あれやこれや知恵を働かせながら、爆音上映は行われていく、というわけである。
そのことだけは、何処かで覚えておいていただきたい。

夕方、ロッテルダム映画祭への参加から戻ってきた牧野貴くんと、爆音映画祭での上映に関する打ち合わせ。
某氏の演奏とのセットで上映をできないかという話なのだが、果たしてどうなるか。
今回が無理でも、いずれ何処かで実現させたいと思う。

その後、バウスにて爆音映画祭ミーティング。
いよいよ話が具体的なものとなってくる。
大きな議題は、ボランティアの方たちによる上映枠をどうするか、というもの。
これは今後どれだけの方たちが、上映枠の希望付きでボランティアに応募してきてくれるか次第でもあるのだが、とりあえずの基準として、下記のようなことが決まった。
上映枠をも希望してボランティア応募する場合の参加条件は、現在の「リクエスト作品募集チラシ」を含め3回のチラシ配布を、それぞれ500枚、15箇所。
上映枠は、2枠つくり、そのうち1枠は、見たい作品の枠で、もうひとつは、自主製作枠。
つまり、ボランティアをやって見たい作品の枠をひとつ確保するか、あるいは、自分たちの作品を上映する枠を確保するか、そのどちらかに参加できる。
いずれにしてもひと枠ずつなので、希望通りにできるかどうかは分からない。
ただ、「見たい作品枠」の場合、今回がダメでも、今後の爆音上映の際に、それを反映させての特集を組むことも考えている。
こちらにとっては、チラシを配布してもらった上に、上映のアイディアまでをもいただく、という虫のいい話ではあるのだが、しかしそれも含めて、自分の見たい映画に爆音で再会できるとしたら、それはそれで十分に素晴らしいことではないかと思う。
特に、上記のような日本の状況の中では。
とにかくその実現に向けて、boidの方も、できる限りのことはするつもりである。

それから、自主上映枠の方は、複数のボランティアの方たちで、約2時間の上映枠を分け合う、という方法もある。
それは、今後の応募状況をみて、ある時期に応募者たちのミーティングを開くつもりでもある。
などなど、詳細は徐々に変わっていくかと思うのだが、爆音映画祭HPを使って、順次お知らせしていく予定。
また、疑問点は、爆音映画祭宛に、メールしていただけたらと思う。
何か動かし難い決まり事がある映画祭でもないし、boidとバウスのメンバーが中心になってやっているだけのことなので、その質問次第で、さらに状況が大きく変わって思わぬ方向に展開していく、ということになるかもしれない。
それはそれでいいのだと思っている。

また、単に、お手伝いしたい、という方、そして上映作品のリクエストも常時募集中。
爆音映画祭なのに音楽ものが1本もない映画祭になるかもしれぬ予感もあり、バカみたいにストレートなリクエストでもまったく問題なし。
ただまあ、来年も続ける意気込みでやっている訳だし、また、通常の爆音上映もあるので、そっちに繋がるかもしれないという長い目で見てのリクエストでもありがたい。
それにおそらく、リクエストをしようと思っただけで、映画の見方がちょっと変わるはず。
そういう部分も含めて、楽しんでいただけたらと思う。

2月12日(火)

本日は色々報告があるような気がしていたのだが、すべて忘れた。
まあ、思い出したときにまた。

しかし家で仕事するより、事務所で仕事した方が、精神的に落ち着くのは確か。
昨日まではあれこれ気持ちばかり焦っていたが、本日はまあ、割と落ち着いてひとつひとつ片づけていった。
さすがに中原日記の、私の分担である、音楽ものすべてのチェックを完了させるまではできなかった。
その他の作業をやってくれている月永の方は予定通り、私が渡した分はすべて終了。
徐々に形が出来上がっていく。

夕方、大里氏がやってきて、今後の企画についての打ち合わせ。
4月から1年間かけて、ヘア・スタイリスティックスの月刊CDに併せる形でちょっとしたイヴェントをやっていこうという企画。
これもうまくいったら面白いものになりそうなのだが、果たしてどうなるか。

日記整理作業に力尽き、帰宅後、『バンド・オン・ザ・ラン』という、82年に作られたサーフ・ドキュメンタリー映画を見る。
5月にDVD発売になるものの、まだ音が完全にミックスされていないヴァージョン。
これを爆音で上映するかどうかの確認でもあるのだが、さすがにミックス前だと何とも言えない。
しかし映画が持っているムードはなかなか良し。
当然のようにポール・マッカートニーの歌声によって始まるわけだが、それがまるで、ヴェンダースの『さすらい』のサントラのように聞こえるのだ。
『さすらい』を3時間の長さにしてしまった何かが、この映画の中にあるといえばいいだろうか。
いや、そういう当時の空気の中に、この映画も『さすらい』もあったのだということなのだろう。
ただ、この映画の方は80年代に入ってからのものだから、既にパンク/ニューウェイヴが断ち切ってしまっていたある種の時間感覚を、サーファーの人たちだけが引き継いでいたのだった、きっと。
ビデオ撮影以前のサーフ映画としては、かなりひとつひとつのショットが長いのも、そんなことを思わせる原因かもしれない。
80年代になっての海中での撮影技術の進化が、それを可能にさせたのだろう。
ヒッピーの思想とサイエンスとが、そんなところでも結びついている。

しかし、映画の途中、ハワイの波がいかに恐ろしく、誰もが恐怖と共に波に乗るか、という話があったあと、実際に彼らがビッグ・ウェイヴに乗り始めるシーンで、ヴァン・モリソン「Wavelength」が流れ始めるのにはちょっと驚いた。
70年代後半以降の一時期のヴァン・モリソンのポップな洗練はこういった恐怖感と共にあったのかと、「耳」から鱗が取れた。
ちょうどその時期のヴァン・モリソンはあまり熱心に聞いていなかったので、不意をつかれた感じだった。
明日は事務所で、朝から『Wavelength』を聞くことにしよう、確かアナログがあったはずだ。

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  Wavelength →

2月11日(月)

事務所緑化計画のため、中野某所の某格安ショップに観葉植物を買いに行く。
その途中の風景は、新しく建てられたビルと、その間に挟まられる戦後そのままの家屋とがデタラメに並ぶ、恐ろしく荒廃した東京の姿があった。
レトロ好きにも新しい物好きにも、単なる物好きにも見捨てられた風景、というか・・・
その先にある美しく整えられた某公園のそばにその格安ショップはあるのだが、そこでの格安ぶりにもショックを受ける。
多分、それらをネットショップや観葉植物専門店やおしゃれな小物店で買うと、その10倍はするはず。
これは、「誰も見捨てはしない」と受け取るべきか、「見捨てられた結果」と受け取るべきか。
とはいえまあ、見捨てられたとしても生きていくのは自由だ。
もちろんその「自由」の道がいかに残酷かは、10分の1の値段が示していて、当然収入だって10分の1なわけだから、その状況に置いてどういう態度で働くかを、覚悟しなければならないのだろう。
働かない、というやり方も絶対に有りだと思う。
10倍の物を買う奴等のためには働かない。

しかし、花粉には見捨てられたいねえ・・・
息苦しくて敵わない。

その後、ひたすら、今後の企画に向けての整理作業。
そして、中原日記の整理。
何しろ、全部で60万字くらいある(昔風に400字詰めの原稿用紙に直すと1500枚!)という、3年半の人生の集積。
簡単に整理できるわけはない。
いよいよなんだか自宅のパソコンが悲鳴を上げ始める。
仕事は事務所でやりなさいということなのだろう。
パソコンにつられてこちらの体調もも悪くなり、ぐったり。
文字もよく見えなくなってきた。
バレンタインデーのために子供が大量に作ったクッキーの匂いが家中に充満している。

ただ、これはちょっと、買っておかねば、という気になった。
しかし金欠のため、チェックのみ。
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Darondo "Let My People Go" →

2月10日(日)

終日、『作業日誌』の最後の追い込み。
気がつくと一歩も外に出ておらず。
さすがにこれではまずいと、夕食後、近所のスーパーまで買い物に行くが、まあ、それを「運動」と呼んでいいのかどうか・・・
しかし、自分が映画を見る時間がまったくないのに、他人の映画やDVDを見た記述やアルバムを買ったを延々と読んでチェックしていく、というのもなんだか調子の狂う話である。
多分、私の時間の使い方が悪いのだと思う。

そんな気分を紛らわすため、日記の中にも出てきたサンタナの『ロータスの伝説』を引っぱり出して聴く。
レコード時代は3枚組で、横尾忠則製作の驚異の22面ジャケットに驚かされたものだ。
それが日本盤のみ、そのままのジャケット付きでCDになったのは、もうだいぶ前のことだった。
さすがにすぐに買ったのだが、ロクに聴かぬまましまい込んであったのだった。
現在は、その22面ジャケット付き日本盤CDも発売されておらず、通常版のCD2枚組アメリカ盤のみ。
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ロータスの伝説 →

しかしまあ、今聴いても、というか今見てもというか、とにかくよくこんなもの作ったねえ・・・
サンタナの演奏は結構ゴージャスかつアヴァンギャルドでもあり、リズムセクションの音を取っ払って、ギターだけを別の音源にのせてもかなり面白くなるんじゃないかと、不埒なことを思った。

いずれにしても、こういった壮大な物作りは凄いとしか言いようがないのだが、一方で、この人たちがこんなことをやって儲けたおかげで我々は貧乏なのだ、というような、こちらの勝手な言い分もある。
結果的に彼らのやったことは失敗だったのだ、その世界の姿を映し出すことが映画の役割だと、そんな風なことをペドロ・コスタが、新作『コロッサル・ユース』のインタビューで語っていたのを思い出す。
もちろん、ここでの「彼ら」とはサンタナやこのアルバムの製作者たちのことではなく、20世紀後半の西欧主導の社会を作ってきた人たち一般をさしているのだが。

まあ、それやこれやで、やはり日記の中に書かれていた、こんなアルバムをアマゾンに注文してしまう。
「Musics in the Margin」というこのアルバム・タイトルに、『ロータスの伝説』とはまったく違う匂いをかいでしまったのだった。
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Musics in the Margin →

2月9日(土)

昨日のメタル・テープ問題。
思わぬところで解決がついた。
いやあ、ストックされているところがあるもんだねえ。
しかもこんなことがboid内で解決してしまうとは・・・
いずれにしても、今後しばらくは、安心して中原も音を作り続けられる(はず)。

夕方、先日誕生日を迎えた子どもの誕生祝いに義母がご馳走してくれるというので、都営新宿線「森下」駅そばにある「みの屋」という桜鍋屋に。

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久々に馬肉を食す。
近年の流行の油の多い「トロ」ではなく、赤身ベースのさっぱり系。
馬肉はこれでなくては。
鍋もなかなかの美味。
ただ、写真で見ての通り、広い座敷にそのまま座るスタイルなので、1時間で腰が悲鳴を上げる。

その後、事務所で諸々の作業を終え、外に出ると、世界がシャーベット状になっている。
うーむ、雪になるとは聞いていたが・・・
事務所の窓からは、なぜかその雪が見えなかったのだった。

帰宅後、久々にジェフ・ハンソンを取りだして聴いた。
あまりに寒かったので、こんな歌が聴きたくなったのかもしれない。

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ジェフ・ハンソン →

2月8日(金)

本日も打ち合わせ多数。
現在5月までに5つのプロジェクトが同時進行していて、それに派生する小さなプロジェクトもあって、いよいよ整理というか、記憶が追いつかなくなる。
とにかく、忘れてはならないことは各所に書き出して対応。
書き出した瞬間から、脳内メモリからは削除。

夜は、文藝春秋の単行本担当丹羽君がやってきて、今度、文春から出る『映画の頭脳破壊』、そしてboidからの『中原昌也 作業日誌』の出版記念イヴェントについての最終打ち合わせ。
チラシの概要と、イヴェントの内容をほぼ決めたところに中原も来て、すべてが決まる。
後はやるだけ。
3月22日からの2週間の爆音レイト、そして22日には爆音オールナイト。
そのタイトルだけお知らせしておくと「爆音聴力破壊 密室集団決起」。
詳細は追って。

その後、中原から、もう音楽用のメタル・テープが手に入らない、という話を聞く。
現在、ほとんどの音を、メタル・テープに録音しているのだが、いよいよ手持ちのテープも残り僅かとのこと。
どなたか、何処かで音楽用メタル・カセット・テープを売っているのを見かけたら、お知らせしてください。
まあ、探している人はいないわけではないと思うので、見つけた途端誰かが買い占めてしまっているはずではあるのだが。

それから4月発売のヘア・スタイリスティックスの月刊CD用の音を聴く。
25日にマスタリングするためのマスター。
まだ、音のバランスが今ひとつ、ということなのだが、「音楽」というものが一体誰によって「作られる」のか、ということをユーモアたっぷりに問いかけてくるような音。
スピーカーから聞こえてくる音と、それを聴く者の中間にあるような音楽、と言ったらいいだろうか。
昔黒沢さんが、ホラー映画の醍醐味を「みんなが画面の隅々にまで目をこらすこと」というふうな言い方で説明したように記憶しているが、そういった意味で、誰もがそれを聞きながら耳を澄まし、耳を澄ますことで生まれてくるような音楽。
それは聴く側の日々の生活や活動とも関わってくるように思うので、こういう音が毎月届けられるというのは、凄く正しいことのように思えた。
果たして月刊のCDなど、一体誰が続けて買ってくれるのかと、ちょっと不安にもなっていたのだが、この音を聴いて逆に勇気づけられた気がした。
ただまあ、果たして私の聞いたこの音が、そのままCDになるかどうかは、マスタリングの日を待たねば分からない。

あと、boid.netのトップページの右下には「Other Events」のコーナーがあり、現在は黒沢さんと梅本さんの対談情報、廣瀬のシネクラブの情報が、載っている。
今のレイアウトだと、この部分が隠れてしまっているので見逃してしまう。
近々レイアウトを変えて、boid以外の外部情報もあれこれ掲載していこうと思っている。
あれもこれも掲載できるわけではないのだが、こんな情報を載せて欲しいとか、せっかく面白いことをやっているのになかなか人に伝わらないとか、そんな情報があったら、とりあえずboidに送ってください。
気まぐれになってしまうかもしれないけど、力になれたらと思っています。

2月7日(木)

仕事絡みで、朝10時から六本木にてガイ・リッチーの新作『リヴォルヴァー』。
何かの記事を読んだら、作った本人でさえ50回見ても分からないと語っていた。
まあ、悪い冗談か、大げさな前宣伝だと思っていたら、結構本当だった。
確かに問題作(!)ではある。
音の方も、完全な爆音仕様。
ただこれは、あとから分かることなのだが、どうしてこのような音の作り方をしているのか、ちゃんと理由があって、あくまでも物語に奉仕するための爆音。
あと、レイ・リオッタ・ファンには、見逃せない、貴重な映画となっている。
ファンでない人にとっては、なんとも言いがたい姿なのだが・・・

その後、渋谷に出て、某CD-ROMマガジンとの爆音映画祭打ち合わせ。
そして、「なぎ食堂」にて、map 小田君との、やはり爆音映画祭の、こちらは映画部門ではなく音楽部門の打ち合わせ。
「映画祭」とは言いつつも、さすがに音楽もないとねえ、ということで、ライヴ付きの上映も考えている。
いや、映画と同時にライヴを行うのではなく(もちろんそれもいいのだが)、今回はライヴをやって、その後にそのミュージシャンが選んだ爆音映画を上映、というスタイルにしようかと。
突然ぐしゃぐしゃなものになるかもしれないのだが。
とにかくその仕切りをmapにお願いしようかと思っているのだった。
さすがにこちらだけですべてを仕切るのは限界があるので。

「なぎ食堂」は、前回に行ったときよりも、だいぶ食堂らしくなっていた。
また、mapの店舗らしくもなっていた。
看板もメニューも、店先にちゃんと出ていて、入り口付近には、お迎えのオブジェ(人形)までいた。
これなら、桜ヶ丘の郵便局前まで行けば、誰にもすぐ分かるだろう。
コーヒーも美味。
 

そしてその後さらに本郷に向かい、某誌との映画祭打ち合わせ。
これでおおよその映画祭参加メディアその他との打ち合わせが済んだ(はず)。
どのような結果になるか、みんな初めてのことなので、終わってみるまで分からない。
それも含め、温かく見守っていただけたらと思う。

さすがに朝から走り回っていると、帰宅後はグッタリ。
ただよく考えてみれば、通常のサラリーマンで残業10時まで、というような人はかなりいるはずで、そのような人たちは本当に毎日、ひたすら働いてお終い、ということなのだ。
これでは誰も映画など見るはずはない。
少なくとも映画に関わる自分たちだけでも暇にして、適当にフラフラと映画を見に行ったりしなければと、改めて思った。

それから、映画祭上映作品リクエストの中で、「勘がいい」というのか、実は、3月末に行う中原の選んだ爆音映画特集2週間のなで上映することになっている作品のリクエストをしてくれた方がいる。
3月22日のオールナイトで「それ」をやります。
お見逃しなく。
といっても、今のところは本人にも分からないことなのだが。
もうすぐ、リクエスト作品とコメントの掲載が始まり、3月の爆音の詳細も発表できるので、その時に判明。

あと、某作品は某メジャー配給会社が既にプリントをジャンクしてしまい、できるはずなのにできないとか、バカみたいに上映料が高いとか、いったんロードショーが済んでしまった作品を再上映するのは簡単ではない。
今後、もうしばらく作品選びの苦労が続く。

それから、昨日の日記で文字化けしていたという報告をした方からも、丁寧なメールをいただいた。
ありがとうございます。
本来なら、勝手に日記にまで使ってしまい、こちらが謝らねばならないところなのでした。
ただ、こういう謎解きみたいなリクエストでも(今回の文字化けは完全に偶然なのだが)いいですよ、ということも言っておきたいなあと、おもったという次第。
もちろん嫌がらせは、困るのだが・・・
まあ、そのあたりは、面白いやりとりができたらいいと思っている。

2月6日(水)

新聞を見ていたら、夕張映画祭のことが載っていた。
夕張市の破綻によって打ち切られた映画祭が、今年復活との記事。
読んでみると、これまでは予算1億円で行われていたのだが、今回からは切りつめて4000万。
手作りの映画祭になる、とのこと。

通常の映画祭にはこれくらいの費用がかかるのも、夕張市のような場所に大勢の人を集めるためにはこれでも足りないくらいだ、ということもよく分かる。
確かによく分かるのだが、今、我々がやろうとしている爆音映画祭のほぼ「ゼロ」と言っていい予算の中での動きを考えると、ひたすら呆然とするしかない。
夕張市の金や、夕張映画祭を再度盛り上げようという人々の基金が、単に広告代理店に流れているだけじゃないかとさえ思えてくる。
そうならないことを祈るばかり。
いずれにしても、爆音映画祭がどんなふうに行われなければならないかは、より明確になった。

昼過ぎから、某誌の編集者と、某連載についての打ち合わせ。
といっても私の連載ではない。
boidの今後の動きとも連動した連載。
boidが動くことで雑誌もそこに乗り、そしてその雑誌の動きがさらに別のものを動かす、というようなグルーヴを作れたら、という話なのである。
非常にシンプルな動きではないかと思う。
そういったことを一緒にやってくれる人たち、媒体が今後増えていってくれたらいいのだが。

その時に、その編集者から、原稿を書くこととこうしたboidの活動との間にギャップはないのか、というような質問を受けた。
元々、こういう風な動きは想定していたから、非常に自然な状態である、というような答えをした。
で、その編集者が帰ってから、一体いつからこんなことを考えるようになったのだろうと思い起こしてみたところ、一冊の本に行き当たった。

ume.jpg
『映画=日誌』→

これである。
梅本さんのこの本が発売されたときに、割とすぐに買って読み、何かをふと思い当たったのだった。
視界が開けた、というか。

この本が出版されたのが88年。
boidを作ったのが98年。
それで今年が08年。
10年周期、ということなのかなあ、という風なことも思った。

ただ、この本はもう発売されておらず、中古を手に入れるしかない。
誰もが私のように、この本できっかけを掴むのかどうかは分からないが、そういうきっかけさえ予めなくなってしまったのだ。

夕方、吉祥寺タワーに出向き、爆音映画祭の協力要請を。
協力要請といっても、単に宣伝その他をお願いするのではなく、もっと積極的に参加してくれないかという要請。
先ほどの某誌の連載ではないが、タワーレコードも映画祭に参加してその波を増幅させていきましょうというお願いである。
ただこれは、吉祥寺店だけの判断でできることではなく、本部の判断に委ねるしかない。
こういったことがすぐに何かの形になるとは思えないが、どうにかなるまで訴え続けるしかないのだろう。

その後、自宅に戻り、延々と続く中原日記整理作業。
ちなみに昨夜、今回の本がこのままのレイアウトだと700ページを超してしまうことが判明。
現在、慌てて代替レイアウトを模索中。

そして、9時過ぎに再び吉祥寺へ。
バウスにて映画祭ミーティング。
いよいよリクエストのメールが集まり始め、それらの整理、掲載をどうするかなど、実務的なことから、映画祭全体の役割、位置づけについての話。
ようやく、すっきりした形が見えてくる。

で、いただいたリクエストの中で、タイトルが文字化けして分からないものが1通。
下記のもの。

作品:イーストウッドの「??????・????」

コメント:イーストウッドの映画で唯一ドキッとした音。それがこの映画の冒頭、幼少時代の?????????が無理矢理二人組みの男に車の後部座席に乗せられて、助手席の初老の男が後部座席へと視線を向けるために上半身を振り返らせるとき、革張りの座席が発する音と、その初老の男が革張りの座席を鷲掴みするときの音。イーストウッドがその画面で語ろうとしたこと以上の過剰な何かがその音によってもたらされた。それを爆音で聞きたい。

ああ、あの作品だ、ということは分かったのだが、「一体このタイトルは何でしょう?」というようなクイズも映画祭ページでやってみようか、などという話にもなった。
一体これはどの作品でしょう?


それから、これら、リクエストにつけられたコメントを読めるようになるのは、今週土曜日くらいから。
映画祭サイトの「リクエスト」のコーナーに掲載予定。

また、今回は、コメントの内容からタイトルがほぼ断定できたので良かったが、断定できない場合、私の日記、あるいは映画祭サイトにて、確認のお知らせをすることになると思う。
まあ、こちらの受け取りのシステムを、文字化けが起こらぬよう調整できればいいのだが・・・

2月5日(火)

何とか爆音映画祭のHPがオープン。
諸々が決まってくるのはこれからなので、まだ「仮オープン」といったところだが、とりあえずこれまでの爆音上映の歴史はすべて分かるようになっている。
振り返ってみると、結構なラインナップになっていて、ちょっと驚く。
これまで参加された方もされなかった方も、一度見ていただけたらと思う。
また、上映作品のリクエスト、そして映画祭のボランティアの募集も、正式に受付開始。
これも映画祭HPにて。
www.bakuon-bb.net →

それやこれやで本日は、1日中全速力。
夕方からは某社に行って某映画のための打ち合わせ。
ようやく映画祭での上映の目処が立った。
いろんな映画祭に参加された方は経験済みのことだろうが、ひとつの映画を上映するまでにはいろんな苦労が必要とされる。
外側から見ていると、単に映画を上映しているだけのようにしか見えないのだが、しかしそうやって当たり前のように上映するためには、多くの人の血と汗と涙が必要とされるのである。
まあ、映画祭だけに限らないので、あまりえらそうなことは言えないのだが。

しかし、果たして今後のスケジュールは大丈夫か? という不安に駆られる。
明日には、上映作品のリクエスト大募集チラシが出来上がってくるのだが、多くの人に伝わるように、うまいこと配布できるのか?
知り合いの店に20枚くらい置いておきますよ、というような小さな手伝いでもまったくOK。
連絡をいただければ、すぐにチラシを発送します。
連絡先は、映画祭HPの方にあります。
boidに直接連絡をいただいても大丈夫です。

2月4日(月)

昨日のH・G・ルイスのその後を。
中原から連絡が来て、ハーシェル・ゴードン・ルイスは音楽もやるし歌も歌うのだそうだ。
ファンなら当たり前に知っていることなのだが、H・G・ルイスの映画をほとんど見たことのない私には、まったく見当もつかないことであった。
それなりに映画も見、80年代のほとんどはレコード屋勤務していた私でも、知らないことが次々に出てくる。
今回の日記のための、こういう細部の解説だけでも、相当な本ができそうな気がしてきた。
もちろん今回の『作業日誌』にはそういった解説は入れず、読んだ人それぞれが、目眩く宝の山の中で迷子になることを楽しんでもらいたい。
だがいずれ、解説本も出したいねえ。

というわけで、昼は延々と整理作業。
整理しながら、いくつか気になるアルバム、バンドが出てきたのだが、購入は控える。
あとで中原に借りることにする。

夕方以降は、いくつかの打ち合わせ。
ただ、どうも寒気がして、具合悪し。

したがって今日は早く寝ようと思っていたら、深夜になって、また、爆音映画祭絡みで卒倒するような大トラブル発生。
ただこれは、大事になる前に発見したので、咄嗟のアイディアでギリギリ危機回避。
こういうときの知恵は、すぐに働く。
それが分かっているので、普段のチェックが甘々になってしまうのであった。
良いことなのか悪いことなのかよく分からない。
いずれにしても、何事もなかったかのように、事態は進むはず。
何が起こったかは秘密。

2月3日(日)

雪なんだから寒いのは当たり前なのだが、それにしても寒い。
こんな日は心温まる音を聴く気にもならず、歌もメロディもほとんどないもの、ということで、久々にブルース・ギルバートのアルバムを。
というのも、昨日整理していた中原の日記の中に、「H・G・ルイス」のソロを買う、という記述があり、このH・G・ルイスとは一体誰だ、というのをあれこれ調べていたからなのである。
もちろん最初に思いついたのが、同じくワイヤー、そしてブルース・ギルバートとはドームを結成しているグレアム・ルイスだった。
とはいえ、グレアム・ルイスには「H」はつかないし、そうなるとハーシェル・ゴードン・ルイスくらいしか思いつかないのだが、さすがにこちらは映画監督だしねえ・・・
などなどグズグズ調べていたのが、頭の隅に残っていたのだろう。

ブルース・ギルバートの音の中にある「ユーモア」としか言えない何かのおかげで、寒さに強ばった身体がゆっくりとほぐれていった。

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Music for Fruit →  This Way to The Shivering Man →  AB OVO →

で、夜は、西荻にあるTOKIというカフェにて、カサヴェテスの夜。
19回目の命日である。
あれからもうそんなに時間が経ってしまった。
その間、自分は何をしたのか、何が出来たのかと、過ぎてしまった時間を振り返ると呆然とするばかり。
しかし本当に久々に見た、「I'm almost not crazy」(『ラヴ・ストリームス』の製作時をメインに据えたドキュメンタリー)は、さらにいろんなことを考えさせてくれた。
したがって見終わってからのトークは、ドキュメンタリーを見ながら思ったことをあれこれ喋ることになった。
その中で、カサヴェテス10年周期説、という話が出て、それからいくと、再来年あたりにはまた、カサヴェテスのリヴァイヴァル上映などあっておかしくない、ということになるのだが、それはもちろん黙っていてもそうなるわけではなく、こちらが動かないとそうはならないわけで、こういった催しをそのきっかけにしていけたらと、そんな前向きなことも思った。

その後、とはいえ今年のboidをどうするか、という話題になり、松田さん、須川さんから、今度の爆音映画祭の上映方法に関して貴重なアイディアをいただく。
確かにそれはその通り。
映画祭を行う側、そしてそれを見る側のいい意味でのバランスを大切にしないとこういうことは成立しないのであった。
当たり前といえば当たり前のことなのだが、こういうことは他人に言われないと分からない。
特に私の場合、無意識のうちにあれこれ詰め込みたがるところがあるので、それは自分ばかりでなく他人までも窮屈にしていることなのだと、常に胸に刻み続ける必要があるのだった。
ブルース・ギルバートのユーモアを!

2月2日(土)

月末の原稿の締め切りも終わり、これで中原日記とCDと爆音映画祭に集中できると思ったのだが、世の中そう甘くはなかった。
私の詰めの甘さによる事故が起こり、とりあえずすべて台無し状態。
ああ、もう、何てことだとしばしショックで立ち上がれなかったが、とはいえ立ち上がらざるを得ない。
再度やり直すべく、事務所へ。
とにかくもう、自宅・夜中の仕事はしないことだけは心に決める。
そのために事務所を借りたはずなのに、いつの間にかグズグズになってしまっていた・・・

午後から、爆音映画祭HPのオープンに向けての打ち合わせ。
上映作品、全体の構成は徐々に決まりつつあるのだが、まだまだ不確定要素も多々あるから、何か変化が起こるたびにこのHPで報告していけるようにしたいと思う。
いずれにしても、boidとバウスの人力だけが頼りの映画祭でもあり、どこかいい加減な部分も残しつつできないかなあと思っている。
まあ、それはそれで大変なんだけどね。

帰宅後、食事しながら見たのは、「何とかの福音」とかいう、KA-TUNの亀梨君がボクサーになってるドラマ。
これは、初回から何となく見ているのだけど、ついこの間見たばかりだったはずなのに、あれから既に1週間がたってしまった。
呆れる。
しかし亀梨君はなかなか様になってきた。
「ボンビーメン」の小栗旬と並んで、まだまだこれやら相当やれるんじゃないだろうか。
まあ、目的は亀梨君ではなく、共演の光石さんを見るのが楽しみ、ということだけなんだけどね。
光石さんの声の出し方は、やはり全然違うので、テレビで見ても非常に気持ちがいいのだった。

2月1日(金)

2月である。
とはいえ何事もなし。

昼過ぎにユーロスペース制作部の大野さんが、3月にユーロでレイト上映される、「桃まつり」のDVDを持って遊びに来る。
昨年から始まったこの「桃まつり」は、映画美学校出身の女性たちによって制作された短篇の顔見世興行といった感じのものだが、今回は昨年上映されたものもいくつか含めて、合計12本が上映されるとのこと。
boidも「桃まつり」も、あと3年続けられると案外いけるかも、という楽観的なのか悲観的なのか分からない話で盛り上がる。
詳細はまだアップされていないが、HPはこちら→

その後、原稿その他。
ようやく一段落ついたか。

帰宅後、食事しながら、放映中の『デスノート』を見る。
うまいたとえが思いつかないのだが、最近の日本のポップミュージックと同じ作り方をしているなあ、という漠然とした印象を持った。
ヒットするのは当然である。
そういえば正月くらいの朝日新聞で、高橋源一郎と渋谷陽一が対談していて、文学の未来を憂う高橋源一郎に対して、「日本の音楽はこの10数年で、どうやったらヒットするかというやり方を見つけた。それがプロというものだ」というようなことを渋谷陽一が豪語していて、凄いなあと思って読んだのだが、『デスノート』を見ると、それもあながち誇張ではないのではないかというような気がした。

口直しのため、久々にJAYLIBの「Champion Sound」を取りだして聴いた。
MADLIBはやはり、J DILLAと組んだときが一番いいように思う。
でももう、J DILLAはいない・・・

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オリジナル・ジャケット盤(既にプレミアが付いている)→

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ジャケ違いの再発盤→