
boid日記 2008年4月
text by 樋口泰人
4月30日(水)
なんと、もう4月も終わりではないか。
あまりのスピードに、唖然とするばかり。
本日もひたすらあれやこれやの作業をし続けるのみ。
昨日はフランスから連絡があり、何年か前からもうすぐ出版と伝えられていた『恐怖の映画史』のフランス語版が、ついに5月に出来上がると。
黒沢さんがカンヌに行っている頃だから、出来ればカンヌで渡して欲しいと連絡をする。
boidもついに、会社化の前に国際化が成されてしまった、というわけである。
会社化、もう全く無理な状態となり、占い師三重野に泣きつくが、神様は非情。
今やらなくてどうするのだ、結局延ばしたところで無理矢理やらないと出来ないのだから、ならば無理矢理やるのだと。
今できないならboidは崩壊したも同じ、とまでは言わないが、それくらい言い出しそうな神様の勢い。
それに負け、とにかく泣きながらなんとか対策を練ることにする。
まあ、他人の資本を頼りに生きていくためには、ちょっとやそっとの覚悟じゃあやってられない、ということなのだろう。
帰宅後、食事をしながらテレビを見ていたら、とある自民党議員が本日のガソリン税の暫定税率の復活に関して、「道路を造る以外に地方を活性化させる方法があったら、誰か教えて欲しいものだ」と言うようなことを、本気で怒りながら語っていた。
しかし、それを考えるのがあんた方政治家の仕事だろうと、久々にテレビに向かって文句を言いたくなった。
それに、道路を造る以外に地方を活性化させる術をなくすシステムを作ったのも、あんた方だろう。
そうやって「活性化」された「豊かさ」を豊かさだと受けとめるような社会にしたのも、あんた方だろう。
私の実家がある山梨なんて、そこら中立派な道路だらけだが、それに乗って人々がどんどん流出してるけどねえ。
というわけで、多くの方々が『宇宙の柳、たましいの下着』や『作業日誌』を読み、月刊ヘア・スタを聴いて、この途方もない豊かさを味わってもらえたらと願うばかりであった。
4月28日(月)
月刊へア・スタ第3弾のうちの1曲が出来上がる。
珍しく、曲名もアルバム・タイトルもすでに決定。
仕上がりはギリギリになっているが、今回はいつもとは違うパターンでの進行となる。
アルバム・タイトルは『Hard Märchen』。
日本人でしかつけられないタイトルだが、その由来も、完全に空耳アワーのノリ。
その後は、ひたすら発送・連絡作業。
爆音映画祭のチラシを、松田さんが取りに来る。
篠崎作品『天国のスープ』が完成し、今回はテレビ放映がメインの作品なので、完成後の宣伝や上映といった更なる大変さがないため、久々にすっきりした気分なのだという。
確かに。
映画や本、CDは、出来上がってからがまた別の意味での過酷さの始まりでもあるのだった。
boidは今、敢えてその過酷さを自ら喜んで引き受ける態勢を作りつつあるのだが、やはり辛くないと言えば嘘になる。
宣伝のための宣伝ではなく、少しでも更なる動きを作り出していくための宣伝ができたらと思うばかり。
そういったことも含め、オフィス・シロウズでも本格的にHP活動を始めたのだという。
久々に編集者魂に火がついたとのこと。
詳細は、ここにて→
夜は、11時から爆音調整。
本日は、『ロスト・ハイウェイ』の予定が、プリント未到着で、『パリ、テキサス』に変更。
劇場で見るのは何年ぶりか。
カサヴェテスの特集をやっているというのでヒューストンに行ってから、もう20年くらいが経つ。
恐ろしい。
しかし久々の『パリ、テキサス』。
私にしては珍しく、各シーンの構図や台詞もかなり憶えてしまっているくらい馴染んだ映画だが、それでもこうやって久々に見ると、また別の感慨が湧く。
フィルムが相当痛んでいて、これがなければ音ももっと出せるかもとも思ったのだが、これはこれで良し。
当時は気がつかなかったさまざまなことに気付き、特にオーロール・クレマンのフランス語なまりの英語と彼女の悲しみに胸が痛んだ。
これと『ブラック・スネーク・モーン』の2本立てを夢想した。
しかし、boid会社化へ向けての準備が完全に停滞している。
というか、ほぼ会社化は無理、という状態になってしまった。
単に私が忙しすぎて準備が何も出来ていない、ということだけなのだが。
いずれにしても、どうするか、至急決断しなければならない。
なんということだ・・・
4月26日(土)
さすがに本日は午後出勤。
その後はひたすら発送と連絡作業。
毎月のCD発売と爆音映画祭が重なると、やはりハンパではない忙しさなのだった。
あと1ヶ月間のことを考えると、本気でドキドキする。
果たして無事やりきれるか。
せっかくの土曜日だから映画の1本くらいと思っていたのだが、そんな余裕はどこにもなかった。
そんな仕事の流れでひとつ告知を。
すでに「中原昌也情報」のコーナーには掲載されているのだが、5月6日の17時から、渋谷タワーレコード7階の書籍売り場にて、トーク&サイン会がある。
今回のトークは、スタジオボイスで連載が始まった、Monthly Hair Stylisticsのシリーズをネタにしたインタビューシリーズ「月刊中原昌也」の第3回の公開インタビュー。
つまり、月刊ヘアスタの第3号に関する話を、湯浅学さんのインタビューによって行うのである。
しかし3号目のマスタリングは5月1日で、しかもまだ曲が出来ていないという状態。
一体どうなるのか?
その上、2号目のジャケットビジュアルも未完成。
『作業日誌』を読まれた方はもう驚かれることもないかもしれないが、当事者はそうも言っていられない。
そうも言っていられないのだが焦っても仕方がない。
いずれにしてもなんとか形にはなる。
そんなギリギリの状態を経た上での、ダラダラとしたトークになるのではないかと思う。
そういったテンションの高まりと緩みを感じてもらえたらなあと思っている。
詳細は、「中原昌也情報」コーナーにて。
4月25日(金)
25日の金曜日、ということで銀行がめちゃ込み。
呆然とする。
というかまあ、昨日の疲れでぼんやりしていただけなのだが。
午後からはとにかくじっとしていると眠ってしまいそうなので、無理矢理仕事。
あーだこーだ言いながら、月刊ヘア・スタ第2弾『GRACIA A LA VIVA』の盤面デザインがようやく完成間近。
しかし、今回のジャケットが、諸事情にてかなり危機。
果たしてどうなるか?
そうそう、昨夜の爆音調整で思ったのは、自主製作のビデオ作品の爆音は、いろんな意味で面白い。
失敗していても成功していても、それらの音がどうしてそういうことになってしまったのかを考えることが出来るからだ。
通常の商業作品だととりあえずはひとつのパッケージとしてのまとまりだけは確保するために、結局何となくとっかかりのないそれ相応の音になってしまっている場合が多い。
ところが自主製作の場合は音の細かい部分までまとめる時間と資金的な余裕がないためなのだろう、あるいは、編集の時点でシーンの並びなどに大きな変化があることも基本的にOKな緩いスケジュールと構成で作られているためなのだろう、ひとつのエピソードの流れの中でも音にかなりのばらつきがあったりする。
爆音だとそれらのばらつきが如実に伝わってくるのである。
これはどうしてこんな音になってしまったのか、あるいは意図的なものなのか、だとしたらどのように録音されどのように処理されたのか、などなど、そんなことを考えてみるだけでも面白い。
また、これから映画を作ろうとする人たちにとっても、大いに参考になるだろう。
あるいはまた、こんなにバラバラな音が繋がれていても、それもまた映画なのだという、ある親密さと共にそれを見ることができる。
非常に不思議な体験であった。
夜になって、いよいよ『グリーンデイル』上映権利切れ、という連絡が入る。
詳細は月曜日に、ということなのだが、5月中に切れてしまうようなら、爆音映画祭の23日の最終回の「シークレット上映枠」が、必然的に『グリーンデイル』日本最終上映ということになってしまうだろう。
7月まで引っ張れるなら、7月の爆音にて。
このときは『キャンディ・マウンテン』とか『ワイト島フェスティバル』とかタウンズ・ヴァン・ザントの『ビー・ヒア・トゥ・ラヴ・ミー』などを予定している音楽三昧の爆音。
バウスもboidも映画祭疲れでグッタリしていなければ何とかやれると思う。
4月24日(木)
ちょっと落ち着いたのは昨日のみで、本日は再び嵐の1日。
とにかく夕方までに発送作業その他を済ませ、夜7時からはジュンク堂にてヘア・スタCD発売記念のトークセッション。
12ヶ月連続アルバム発売にあわせて、12ヶ月連続で、中原が選んだ1枚、そしてゲストが選んだ1枚のアルバムについて語り合う、という企画である。
とはいえ、一体どのアルバムを選ぶか、というのは大問題。
今回は両名共に複数のアルバムを持参して、最初はまず、どれにしようかという話から入ってそれぞれ1枚に絞り、それらを聴きながらあれこれ話を広げていく、という構成になった。
聞きようによっては非常に緩くダラダラとしたものでもあり、しかし一方では1枚のアルバムでどれだけの話が出来るかという緊張感溢れるものでもあった。
大里氏が選んだのは、中原の作る音の源とも言えるようなオムニバスアルバムで、こういった音の質感に対する厳密な姿勢と思考によって中原の音楽が作られていることを、解き明かすための1枚。
中原が選んだのは、私も聴いたことがなかったフランスのバンド、というか、ユニットのアルバム。
アナログ・シンセ時代のなんともヘンテコかつ意味と無意味すれすれの音が垂れ流される。
こういう音は、全てのものは等しく無駄であり、それ故にかけがえのない価値を持っていることを教えてくれる。
多分、そんな意味の発言を繰り返していたように思う。
まったく違う言い方ではあったが。
それらがどんな音楽だったかは、やってきた人にしか分からない。
次回は5月の最終木曜日。
ゲストは、「めかくしプレイ」でお馴染みの松山晋也さん。
本日は、打ち上げに向かうご一考様を尻目に我々はバウスへ。
爆音調整である。
『granité』『emerger』『爆撃機の眼』『月へ行く』『狂気の海』。
まともな夕食も食せず午前2時30分くらいまでやったので、フラフラで感想を書くことも出来ず。
とりあえず、当日をお楽しみに。
しかし、高橋さんは、まともに狂っている(笑)。
さらにその後、今後の音調整のスケジュールを決める。
やはりとんでもない事になっていた。
多分、これからこうやって調整後の感想を書くこともほとんどできないだろう。
いよいよ、週2回から3回の爆音調整となるのであった。
この調子でやっていくと、5月に作る、月刊ヘア・スタの第3弾のジャケット周りの作業が果たして出来るのか、それから第2弾の告知宣伝が出来るのか、などなど一気に不安になる。
まあこれは、やり方次第でなんとかなるはずだと、どこまで行っても楽観的な私であった。
とはいえ、他の仕事やお付き合いは、基本的に全て断る覚悟も出来ているのだが。
それで、ちょっと前からboidで告知すると約束していたにもかかわらず、あまりの忙しさにページを作れなかったイヴェントの告知を。
じゃがたら、生活向上委員会、パンゴ、コンポステラなどで活躍した、サックス奏者の故篠田昌己さんの1987年の活動のあれこれを記録した作品『篠田昌己 act 1987』の上映と、関係者によるパフォーマンスなどが行われる。
今度の土曜日と日曜日。
という、急なお知らせである。
詳細は、http://cmcmc.hp.infoseek.co.jp/ms.html にて。
もっと早くしておけよ、というところだが、すぐにやろうと思っていたのだ、私だって。
私の撮影した映像も入っていて、先日見直したのだが、当時のあれこれが甦ってきたというか、まるでビデオの撮影時点と今とが時間差なく繋がっているような感触を覚え、それはおそらくこの作品の構成にもよっていると思うのだが、かなり動揺した。
したがって、またしばらく見ることはないと思うが、いわゆるドキュメンタリーのようでもありまったく違う質のものになっていて、それはおそらくビデオの映像が持つ大いなる力のなせる業でもあるように思えるし、それがまた、篠田さんの演奏にも繋がっているはずなので、気になる人は是非見に行っていただきたい。
しかし爆音映画祭は本当に開催されるのだろうか?
思わぬところで中止命令が下る可能性もあり、今後ますます慎重に行動しなければと誓う。
あと、ついでに月刊へア・スタの年間購入予約のお薦めを。
値段のことだけではなく、このシリーズは1年間付き合ってこそ、その真価が見えてくる、聞こえてくるものだと思う。
例によってマスタリングギリギリまで苦しみながら音を作り出す中原の1年に付き合う事は、例えば誰にとっても非常に価値のあるお言葉をありがたく聴くようなこととはまったく違う、それこそどうでもいいことすれすれのどうでもよくないことを聴いて、そこにぼんやりとはしているが確実に存在する音楽を自ら見つけ出しているようなことになるはずだ。。
こういう事は、現在の日本の社会システムの中で動いているとついうっかり忘れてしまったり本当にどうでもいいことだと思わされてしまいがちのことで、それは必然的に自分たちの首を絞めることにも繋がる。
そんな避けられない自縛作用からふと身を解き放つ思わぬやり方を、このシリーズは示すことになるのではないかと思っている。
今回は、マジで超格安価格なので、関係者の方々にも、boidからはほとんど配布しない。
媒体にも、要請がない限り、送付しない。
これを聴いた方々の、ブログその他への書き込みだけが頼りである。
というか、boidのサイトを見に来てくれる方々がみんな買ってくれたら、それでギリギリやっていけるようなバランスになっている。
boidと中原を信じて、1年間付き合っていただけないだろうか。
濃密な1年が過ごせるはずだと思うのだが。
4月23日(水)
本日はようやく少し落ち着きを見せる。
地味に、各所に連絡・発送。
篠崎からは、今、下北沢のシネマアートンで上映中の『桜の代紋』が凄すぎとの連絡。
昔観ているのだが、もうすっかり記憶の彼方だし、三隅研次=Tレックス説をかつて友人が唱えたこともあり、また見直したいなあとは思ったものの、さすがに昼3時からの上映では、簡単には行けず。
以前この日記でも紹介した牧野琢磨君の『Suberbs』というアルバムを聴きつつ、ジョン・フェイヒーの音を体内に注入されてしまった人とそうでない人とでは、アメリカ音楽の深度の質が全然違うんだろうなあとか思いながら、地味な午後をやり過ごす。
昨年の夏くらいに、牧野君のバックで中原が歌を歌うという企画が動き出しそうになったのだが諸事情で頓挫したまま。
なんとかならないかなあとあらためて思った。
しかしさすがに夕方は疲れ果てて、本日は強引に仕事を切り上げ、『クローバーフィールド』の最終回へ。
先日、青山から、とりあえず観ておいた方がいいと薦められていたのだった。
いよいよアメリカ映画で何かが起こり始めている、その変化の極端な形を観ることができる、というような論旨だったと記憶している。
例によってバルト9。
文句を言いつつついここに来てしまうのは、単に事務所と家の中間地点ということ以外になし。
本日は、19時10分の回に20分ほど時間があったので、その隙にディスク・ユニオンへ。
本来なら前回の反省(シネコンは時間ギリギリに行くと入場券売り場の行列のためにチケット買えない可能性有り)から、先にチケットを買っておくところだが、その時間も惜しい。
ギリギリでダメなら潔く諦めようというわけである。
久々のユニオンに入ってまず、手に取ったのがこれ。
ジョン・フェイヒーがかつて出していた7インチのCD化。
薄い箱型の変則ジャケットに加え、ビジュアル・ブックも付いた豪華盤だが、値段は2000円そこそこと安い。
どうしてこれがこんな値段で出来るのか、日本では全く考えられないことなのだが、出来れば、ヘア・スタの年間予約者向けのミステリー・ディスクはこれくらいのものにしたいと思う。
紙問屋、印刷所、プレス工場などなどの社長が、みんなジョン・フェイヒーのファンなのだろうか。
いずれにしても、これはどうしたって手に取らざるを得ない1枚。
だがもちろん、音を聴いてそれを後悔することになるのだが(最大級の賛辞)。
もはや深度の質とか言ってる場合じゃない、というようなパニックに陥れられること必至。
アメリカの表層性にぴったりと貼り付いた恐怖がここにある。
3曲目「You Can't Cool Off In The Mill Pond, You Can Only Die」というタイトルが、その「深度」の質を言い表していると思う。
深みに落ちたらお終いなのだ。
真実も真理もなく死があるだけ。
その表層をサーフする音楽への望みだけがかろうじてある、最強のホラー・サウンドであった。
それはそれ、『クローバーフィールド』。
さすがに平日はチケット売り場もガラガラで、無事入場。
青山からの話以外、物語については全く知らぬままだったのだが、手渡された注意書きには、「まったく新しいアトラクションタイプの映画です。特別な手法による映像はご鑑賞時の体調によっては車酔いに似た症状を引き起こす可能性がございます」などなどと書かれている。
確かに。
たとえて言えば、『宇宙戦争』の殺戮シーンを人間の側から、すべて手持ちカメラで、『ブレアウィッチ・プロジェクト』のような感じで描いた映画、というような感じだろうか。
『ブレアウィッチ・プロジェクト』の場合は、敵が見えないというところにポイントがあったと思うが、こちらは、ばかでかくて滅茶苦茶強い怪獣や、でかい蜘蛛みたいなこれまた強い生きものがちゃんと目には見えるのだが、全く見えた気がしない、というのがポイントではないかと思えた。
もしかしてあれはそこにはいないのではないかと思った。
不在のものが暴れている感じが、そのヴァーチャル感を超えて現実になってしまったという感触。
意識しているのは『宇宙戦争』ではなくオーソン・ウェルズのラジオドラマの方の『火星人来襲』ではないか。
まあ、私の勝手な思いつきではあるのだが。
いずれにしても、音はでかい。
充分でかい。
スピーカーがでかければもっといいのにと思った。
爆音オーソン・ウェルズとかやると、どんな感じだろう。
『クローバーフィールド』からジョン・フェイヒーへと、ハードな夜を過ごしてしまったので、少し平安を取り戻そうと、カレン・ダルトンのファーストを聴いた。

It's So Hard To Tell Who's Going To Love You The Best →
1曲目(フレッド・ニールの曲で『Bleecker and MacDougal』に入っている曲)がいいんだよねー。
キャット・パワーの新作は、かなりこのアルバムを意識しているんじゃないだろうか。
4月22日(火)
朝一で歯医者に。
実は日曜日の昼に例によって前歯の差し歯が取れて、昨日は歯抜けのまま営業に行ったり打ち合わせをしたりしていたのだった。
マヌケな1日だったが致し方なし。
だから昨日は、この差し歯をゴールディみたいに金にしたら良いんじゃないかとか、いやダイヤモンドがいいのだとか、まあ、出来もしない話題に花が咲いたのだが、とにかくそれくらいギンギンにならないとboidに資金が巡ってくる事はなしとのこと。
というわけで、このピンナップがデスク前に貼られたというわけなのだった。

本日はこれを見ながらせっせと仕事。
CDの発送やら、チラシの発送やら、CDのパッケージ作業やら。
ギンギンではないが、ガツガツと朝から夜までよく働いた。
4月21日(月)
朝のサラリーマンは足が速い。
本日は朝8時には事務所に行ってその後の準備をしなければならなかったため、早起きしたのだが、さすがに身体は目覚めてくれずノタノタ歩いていたら、ガンガン抜かれる。
OLさんたちにも抜かれる。
朝からムッとするが、対抗力なし。
9時から神保町の書籍流通の会社にて、『POP BOTTAKURI』の説明会。
今回は、CDショップだけではなく、『作業日誌』の流れをうけて書店でもこのアルバムを売ってもらうのである。
しかしここで問題発生。
CDには、商品流通のためのJANコードなるバーコードをつけているのだが、書店で流通させるためには、さらにISBNコードをつけないと、という話。
バーコードをつけるのは致し方なしといったところなのだが、何やらこうやって、各所で管理されてがんじがらめになっていくのかと思うと、ちょっとどうなんだろうと思う。
こういう事は一体誰の得になるのだろうか?
パスワードとバーコードだらけの世の中にして、喜んでいるのは一体誰なのだろう。
今度、バーコードだらけのアルバムジャケットや本の表紙を作ってみようかとも思うのだが、流通を通してくれないだろうねえ・・・
午後、廣瀬とインターコミュニケーションの編集者、柴さんがやってきて、某企画の相談。
廣瀬から、トニ・ネグリの来日中止になってしまったイヴェントの話などを聞く。
廣瀬の文章を含めてのキャラの場合、人によっては非常に生意気なヤツだと思われて、とにかくガツンと言っておかねば、というような男の子な闘争心をかき立ててしまうのかもしれない。
もう、そういう男の子の時代ではない、というのが廣瀬の前提なのに、そういった肝心なところは伝わらないのは腹立たしい。
いずれにしても、次回は湘南の海辺にての打ち合わせ、ということを約束。
その後、占い師三重野が、20年以上ぶりに再会する寺崎圭太郎くん(公的には作曲家ということになっているのだろうか)と共に現れる。
三重野が爆音映画祭で『RIZE』を選んでくれたハナレグミの永積タカシ氏のファンだ、ということで、ゲストでやって来る日の整理券を確保しておくことを約束するのだが、私も寺崎くんもハナレグミの曲をほとんど聴いたことが無く、YouTubeにて鑑賞。
その時、寺崎くんの音楽家としての分析あり。
これが非常に的を得たというか、このところ私がずっと腑に落ちなかったポイントをすっかり解決してくれる分析で、どうして私がいつか中原のボーカル・アルバムをとずっと言い続けているのかが分かった。
ますますその気になる。
といっても私がその気になったところで、そう簡単にはボーカル・アルバムは作れないのだが。
月刊ヘアスタの12枚目くらいで、ついに! とかならないだろうか。
とはいえ、本日の三重野来襲の目的は、5月に控えたboidの会社化に向けての最後のチェック。
ほぼ合格だったのだが、私のデスクのところに未だにジーナ・ガーションの写真があり、これにNGが出る。
まあ、単に片づけるのも面倒だったのでそのままにしておいただけなのだが。
したがって、これを外すのはなんの問題もなし。
ふたりの帰り際、何となく寂しかったので、じゃあこれなんかはどうかと、某女性シンガーのアルバムを見せると、これがどうやら三重野のつぼにはまったらしく、間髪入れずにOKが出る。
というわけで、ポスターになっているそのジャケットが私のデスク前にはられることになった。
その写真を撮ろうと思っていたものの、慣れぬ早起きのため疲れ果てていてすっかり忘れる。
明日の日記をお楽しみに。
しかしこれでOKなら、私はガンガン行きますよ(笑)。
4月18日(金)
さまざまなことが重なり合い、あわただしさが加速。
本日は、『POP BOTTAKURI』パッケージ作業。
例によって、企画どおりの作り方が出来なかったため、最後まで手作りとなるのだった。
これで1500円という特別価格は安すぎなんだが、まあ、売れてくれることを祈るばかり。
また、12枚セットの年間予約の受付も開始した。
このプロジェクトのイメージを伝えるのはなかなか難しいのだが、雑誌に連載される音楽、というような気持ちで付き合っていただけたらと思う。
その意味での年間予約。
かなりお得な料金に設定して、不定期にプレゼントも考えている。
予約者全員への特典は「ミステリー・ディスク」。
これも含めての13枚が入るボックスも作れたらと思うのだが、こればかりはさすがに経費がかさむので、よほどのことがない限り無理。
ただ、あわよくば、とも思っている。
映画祭の方のチラシ、及び前売り券でいくつかのミスと大ポカも発生し、結局大塚とバウススタッフは連日の深夜作業となってしまう。
まあ、これだけの人数ですべてをうまくやるのは無理なので、これからも各所にご迷惑をかけ続けるかもしれない。
ただまあ、あまりにきっちりやろうとすると、それはそれで更に大変なことになってしまうと思われるので、「失敗あり」のプロジェクトということで歩を進めて生きたい。
4月17日(木)
本日の爆音調整は、『CLEAN』(オリヴィエ・アサイヤス)、『霊感のない刑事(長尺版)』(篠崎誠)、『風の又三郎』(黒沢清)、『ココロ、オドル。』(黒沢清)、というビデオ4作品。
ビデオの場合は巻き戻しができるので調整はやりやすい分、結局時間がかかってしまう。
案の定、本日は夜9時過ぎから始めたにもかかわらず、終了は3時。
『CLEAN』はフィルム上映できればやりたいところだが、やろうとすると一体いくらかかる事か。
boidが大もうけした挙げ句、フィルムを取り寄せ字幕を焼き付ける、というのが最終形態だが、今回はまあ、その予告編、ということにて。
とはいえ、何度見ても泣ける。
爆音であろうがなかろうがそれはまったく変わらないのだが、この映画の環境音の特異さが、爆音だと際だつ。
アクション・シーンでもない、通常の会話のシーンなどで、これだけの音数と音圧をもつ環境音が映画の中でつけられるのは相当珍しいのではないか。
しかも、台詞もはっきりと聞こえる。
この物音、そのとげとげしさや音量が主人公を傷つけもするだろうそれらに囲まれて、主人公はたったひとりである。
周囲は物や人や音に溢れているにもかかわらず。
この音の世界を聞いていると、映画館で映画を見る事とは、他者と何かを共有する事では決してなく、徹底して孤立するために他者の中に入っていく事なのではないかと思えてくる。
パリの中華料理店でウェイトレスをするマギー・チャンの姿とその時に流れるイーノの「テイキング・タイガー・マウンテン」の絶妙な組み合わせ。
今もパリの中華料理店にはマギー・チャンがいて、取り返しのつかない過去となにもない未来に怯え、しかしそのなにもなさの中に一歩踏み入れる最後の覚悟を固める準備をしている、そんな気がしてならない。
誰にもチャンスはあって、しかしそれはどんなに厳しいことかということを、あの中華料理店の果てしないざわめきの中を動き回るマギー・チャンの姿が語っていた。
どんなに痛めつけられても、人はさらにそこから踏み出す事ができる。
資本主義社会の事情があり、結局は日本公開されなかったこの映画だが、とにかく多くの方に見て欲しい。
何があっても見て欲しい。
5月16日夜9時からの前夜祭と、18日の昼1時45分からの2回限定上映である。
ただ、本当に、フィルム上映ができないのが、残念で仕方ない。
音もまた、だいぶ違って聞こえるだろう。
『霊感のない刑事』は、付け加えられた無声映画的な部分に驚く。
どんなにふざけているように見えても、基本的にこのクラシックな部分に根ざす篠崎の映画が全開している。
これは長尺版を作って完全に正解だったと思う。
最後のオチの部分まで、付け加えられたエピソードにかけられた時間が活きている。
音の方は、もう、修正のしようもないくらい、爆音仕様になっていた。
『風の又三郎』は、テレビで見たときも小泉今日子の声の使い方、周囲の物音の処理の仕方に驚いたのだが、爆音だとそれが突出する。
黒沢さんや大友さんの意図としては、それらはもう少し微妙なものとして見せたいのかもしれないが、今回は「爆音映画祭」でもあり、敢えて突出したまま。
これを見ると、黒沢さんがいかに過激な音の使い方をしているかが一瞬で分かる。
今後、映画作りを目指す人たちは、とにかく一度これを見て、映画とはこれで良いのだ、という事を体験していただきたい。
『ココロ、オドル。』爆音リミックスは、後夜祭オールナイトのおまけ。
これまで爆音上映では2回上映しているのだが、その調整データがなくなってしまったため、新しく調整をやり直す事になったのだ。
これはまあ、おまけなので、どうなったかは当日のお楽しみ。
ただ、ビデオ・テープがダメになりかけていて、途中で画面にノイズが入る。
それもまた、受け入れてしまうような作品だが、この分では、もはやリミックスしたときのデータがないため、爆音リミックスヴァージョンはこれが最後の上映となるかもしれない。
いつか、オリジナルの方の、爆音上映をやってみたいと思った。
などなど、本日はたっぷりと映画を堪能。
今後はさらに過酷なスケジュールとなっていくため、メールその他の連絡などに、たびたび支障を来すと思う。
お許しを。
4月16日(水)
地味な一日。
事務所にて、ひたすら原稿書きと諸々の作業。
そんな中、『POP BOTTAKURI』のCDが出来上がってくる。
まだディスクのみだが、とにかくプレス・ミスがないか小爆音で確認。
確認しながら、すっかり楽しんでしまう。
今の一般的なジャンル分けだとどこのジャンルにも入らない音楽である事は確かだが、音を聴いていると次第に頭が冴えてくるのが分かる。
昼過ぎにユーロスペースの大野さんが、爆音映画祭で上映するビデオを持ってやって来る。
ついでに今後の展開について、カラックス絡みの作戦を練る。
夜は原稿書きのために、これ(↓)で、テンションを上げる。

Movin' Along →
スターヴィング・アーティスト・クルーのリーダー、SPのソロ・アルバムである。
自らが作ったトラックに、70年代デトロイトを支えたミュージシャンたちを呼び集めて、実際に演奏してもらったものを重ねて作ったもの。
ネタにした曲に参加していたミュージシャン自身に上物の演奏を依頼して完成させる、というコンセプトである。
先日、長嶌の作った音がもう生音と区別がつかなくて、それは一体誰が演奏しているものかという話を書いたのだが、このアルバムは、生音の側からもそのような音楽的なスタンスが可能である事を示しているように思う。
演奏者たちの抱える歴史が、それぞれの固有名をもつ音を構築していくのではなく、未来に向けてあっさりと差し出されているような解放感があるのだ。
まさに「ムーヴィン・アロング」な音楽。
4月15日(火)
一体試写に行くのはいつ以来か、もう思い出す事もできないのだが、とにかく本日は久々の試写。
とはいえ、まだ日本の配給先も決まっていない、オリヴィエ・アサイヤスの最新作。
爆音映画祭で上映する事になった『Clean』の後、オリヴィエは、アーシア・アルジェントとマイケル・マドセン主演の「Boarding Gate」というのを撮っていて、それもやはり日本公開は決まっておらず、本日のものはさらにその後の、「Summer Hours」というやつ。
当初、「Summer Time」というタイトルを聞いていたので、まさかジャニス・ジョプリンまで流してしまう『冷たい水』みたいなものになっているかと思っていたのだが、冒頭のシーンを見た瞬間から、ああそうではなかったと、一気に、8年前の『感傷的な運命』(これも結局ロードショー公開されずに終わった)の世界に引きずり込まれる。
木々に囲まれた一軒の家がぼんやりと薄明の中に浮かび、チェロの音がその世界を包み込む。
低音から高音まで、非常に鮮明な、しかも暖かい音が、この映画の映そうとしているものを音によって指し示しているように思えた。
物語の詳細は、フランス語と英語字幕故よく分からないのだが(英語字幕を読み始めるとほとんど画面が見られなくなってしまうので、最初から読むのを諦めていた)、まあ、日本語字幕があったとしてきっとよく分からなかったと思うのだが、とにかく、年老いた母の75歳の誕生パーティから始まり、その死があり、その後の子どもたち(もう決して若くはない)のあれこれがあり、最後はさらにその子どもたち、つまり死んだ老婦人の孫の世代のパーティとなる。
特に事件が起こるわけでもなく、決定的な何かが到来するわけでもない。
静かにフェイドアウトしていった母の薄明の時間が子どもたちのそれぞれに寄り添って、その「死と生の中間の光」の中を、人々が右往左往していくのであった。
かつて『回路』の中で黒沢清は黒のニュアンスを消して、映画史上稀にみる「真っ黒」な影を地球上のそこかしこに出現させ、つまり、生と死の境界線をはっきり示した上でそれを越境する者たちの姿を映し出したのだが、この映画では、生の中にある死、死の中にある生の微妙な気配と名残を映し出す事に賭けているように思えた。
その薄明の堆積が、ひとつの歴史となる。
したがって、この映画のための音楽の基本は生楽器の演奏によるものでなければならなかったのだろう。
生音が奏でられて死んでいく、その僅かな時間の中の永遠の移行が、ここでは映されていたはずだ。
その意味で、この映画のバックには、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」のような曲が微かに流れていると考える事もできるのではないか。
明滅する光の、「光」の部分にも「闇」の部分にもシャッターは閉じられていて、ひたすらその「移行」の部分にのみ解放されたシャッターを通して見られた世界……全く熱を感じない夏の時間……。
そんな事を考えながら家に戻ると、ピーター・グラルニックの『エルヴィス伝』が到着していた。
税抜き価格8000円という、とんでもない本である。
以前、ユーリーグという出版社から出ていた『エルヴィス登場』の続編。
だが、このタイトルだと、グラルニック(これまではずっとギュラルニック表記だったのに、本書からグラルニックになっている・・・カタカナ表記はやっかいである)渾身の評伝の一部という事は伝わらず、ましてや出版元も違うので、『エルヴィス登場』の事など誰も気にもしないのではないか、などと変な心配までしてしまうが、しかし売り方としてはやはり、この「決定版」的なタイトルしかなかったのだろう。
ただこの値段のことを考えると、もはやエルヴィス伝など読む人間は、日本では今や死に絶えつつある、という事なのだろう。
その意味で私もまた、薄明の中に生きている、という事なのかもしれない。
おそらく兵役から戻ってきてグレイスランドの中に引っ込んだエルヴィスも、規模はまったく違うが、同じような光でも闇でもない時間を過ごしていたのだと思う。
それからついでに、こんなのも届けられていた↓。

うーむ、ちょっとドキドキするが、完成披露試写の日は、ジュンク堂でのイヴェントなのであった。
残念。
4月14日(月)
週末が3日は欲しいと切実に思う今日この頃。
土・日は単にもう何も出来ず、へこたれていた。
HMVの3ポイントデーにつられて何枚かのCDを買った以外、グッタリしたまま。
病気じゃないかと疑うが、今さら病気だと言われても後戻りは出来ない。
チラシの仕上げは、黒岩・倉茂両名の頑張りによって完遂された。
とにかくもう、私は何も出来ないので、今後も他人をひたすら頼るのみ。
本日は、土曜日に買ったローウェル・フルスンで何とか気合いを注入。
このジャケットを見ても分かるように、もう、生まれも育ちも違う完全なる不良の血がアルバム全体に流れている。
その余裕が、音を作っているという感じ。
全然エキサイトしない、徹底した冷静さの中に滾る熱に、ドキドキする。
こういう人には、何度生まれ変わってもなれないなあと、ウルウルするばかりであった。
4月11日(金)
昼、病院検査帰りの青山と昼食。
青山の体調の悪さはまあ、これはもう、これだけ働いたらそうなるよ、というものなので本人にしか解決がつかない問題なのだろうが、今後のスケジュールを聞いてさらに呆れる。
もう、「業」のようなものなのだろう。
だとすれば青山の身体を心配するより、作品のできを楽しみにすることが筋ではないかと思った。
お土産にジミ・ヘンのボックスセット2組。
もらったわけではなく、借りる。
会わせて16枚組、という恐るべき音源。
ヘアスタ12枚シリーズも、最終的にこんなボックスに入れられるようにして、1枚1枚は必要最小限のパッケージにしておけば良かったかと思わず呟くと、青山から、「社長の発言だねえ」と笑われる。
事務所に戻り、早速それらを聴きながら仕事。
まだ最初の何枚かを聞いただけだが、万全の音楽になる一歩手前の隙間だらけの空間を、音が躍動する。
少し前、直枝さんから教えられた『グリンプス』という、60年代に完成されるはずだった幻のアルバムをタイムスリップする能力を持った主人公が当時のミュージシャンたちに接しながら実際に完成させてしまうというSF小説を読んでいたのだが、その中で最後に出てくるジミ・ヘンだけは、どうやってもアルバムを完成させることは出来なかった。
おそらく作者は、これらの音源を聞いていたのだろうと思った。
この音源にある音の隙間は、確かに「完成」に向けての妄想を刺激するのだが、しかし、それは「完成」へと向かうことなくその妄想もまたひとつの音として隙間の中に投げ入れられていくような、無限の広がりと共にあるように思えるのだ。
しかし、妄想に浸る余裕なし。
全速力で各所に連絡&確認。
映画祭のチラシをどうしても月曜日朝一で入稿するため、各社が休みに入る前にすべての連絡と確認を取り終えてしまわねばならないのだった。
もっと早く済ませておけばいいのに、という話なのだが、そういうものでもない。
この最後の全力疾走が何かを動かすのだった。
で、まあギリギリすべての上映作品とそのスケジュールが決まったわけだが、19時スタートのカーネーション@クアトロに行き逃してしまう。
中根からの報告によると、アンコールでは、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」までやったという。
カーネーションは本気である。
今さら言うでもないことだが。
黒沢さんの新作といい、カーネーションのライヴといい、次々に見るべき・聞くべきものを逃している。
だがまあ、こんなときもある。
4月10日(木)
今週はもう、事務所にいる間は全力疾走。
人が来たり、各所に連絡を入れたりで、夕方になると頭がグルグルしている。
多分、各所に連絡し損ねていること多数。
これはもう、まったく悪気も他意もないことなので、どうかお許しを。
許容量を超えてしまった感じなのだ。
というか、これまでの忙しさとは質が違うので、それにまだ身体がついていってないのだろう。
おそらく世間の営業織、宣伝職の人たちは、日常的にこういった状態なのだと思われる。
彼らから見れば、全然大したことないのにあたふたしているだけ、ということになるはずなので、あまりここで忙しいとか書くのは、自分の無能さをさらけ出すようで悔しい。
とはいえ、本日は恒例の爆音調整。
本日はレイトがないので9時からである。
スタジオボイスのセレクションによる『3-4X 10月』。
見るのは、公開時の試写以来だから18年ぶり、ということになるのか・・・
爆音上映で一体どういうふうに見えるのかとちょっと心配していたのだが、何のことはない、前半の音の少ない部分は単にとても面白い映画に見え、後半、いろんな音が炸裂し始めるとさらにとても面白い映画になったのだった。
ポイントは、ジェット機の音。
戦後、沖縄の人々が常に聞いてきた米軍ジェット機の爆音が、結局はこの映画を支配する。
たけしのその後の政治姿勢がはっきりと分かる、音の使い方であった。
この音が聞けたことは本当に良かったと思うが、だからといってこの音とそこで描かれる行為に、私は賛成はしない。
このあとの北野武の映画を私がどうしても好きになれないのは、おそらくここに原因があるのかもしれないと思った。
それを見ることができただけでもこの映画を選んでくれたスタジオボイスに感謝。
この爆音調整はスタジオボイスが取材に来てくれたのだが、取材者である桑原さんに、アメリカの劇場でもこれくらいの音で通常上映しているところがあるのだという話を聞く。
爆発シーンなどでは、スピーカーからドーンと風が吹いてくるそうだ。
アメリカ人に生まれていれば、こんな苦労をして爆音上映をしなくても済んだ、というわけだ。
でもまあ、こうやって毎週あれこれやるのも楽しいのだが。
で、さらにその後、今度はCDジャーナルがハナレグミ永積タカシさんに委任して選ばれた『RIZE』。
まあ、これはもう、冒頭からそのまんま爆音。
打ち込みのべードラの音がブンブンと身体を直撃する。
座っているのに、ズボンの裾が、その音で揺れるのである。
桑原さんに、この揺れ方はアメリカ級かどうか判定してもらいたかった。
5月21日の夕方5時スタートの『RIZE』上映後には、永積さんがやってきてのトークショーもある。
ハナレグミ・ファンの方は必見でしょう。
また、いよいよ上映作品のほとんどが決まる。
5月21日の夜は、佐々木敦君がゴダールのソニマージュを巡ってのレクチャーをやるのだが、その際、レクチャー後の上映で『ヌーヴェル・ヴァーグ』を上映することになった。
というのも、5月末で、『ヌーヴェル・ヴァーグ』の上映権が切れるのである。
これがほぼ、日本最終上映。
4月、5月中の上映スケジュールで困っている劇場関係者の方、この機会に上映されては如何でしょう。
とにかく本当に、どんどん上映権が切れたり、フィルムがジャンクされたりするので、うっかりしてはいられないのであった。
あと、本日から、青山ブックセンター本店にて、『中原昌也 作業日誌 2004→2007』のブックフェアが始まった。
『作業日誌』に出てくる書籍を集められるだけ集めている。
どんなものが手に入りどんなものが手に入らないのか、それを確かめに行くだけでも面白いかもしれない。
本日から、先日のサイン本の残り半分も店頭に並んでいるので、気になる人は是非。
4月7日(月)
先週は、2夜連続の爆音調整。
ペドロ・コスタもやってきての『ヴァンダの部屋』であった。
しかしこれは、爆音の完敗。
どんな音で上映しても素晴らしさに変わりはない、という強靱な映画の力を見せつけられてしまった。
だから監督としては、どうしてこれをわざわざでかい音でやらなければならないのだろうと、疑問だらけのひとときだったのではないだろうか。
とはいえ世界が解体されていくあの破壊の音を、爆音で体感するのは必要だった気がする。
週末は、2夜連続爆音調整の疲れでひたすらグッタリする。
本日にも、疲れは持ち越し。
ぼんやりとしたまま、大量の発送作業を。
夕方、オフィスシロウズの事務所で打ち合わせを終えた篠崎と長嶌がやって来る。
篠崎の新作『天国のスープ』は、WOWOWで10月くらいに放映になるとのこと。
そのための音楽打ち合わせがシロウズの事務所であったのだという。
もちろんいつものように、長嶌は既に曲を用意していた。
その曲を聴かせてもらう。
ピアノの音が生々しかったので誰かに弾いてもらったのかと尋ねると、打ち込みなのだという。
ちょっと驚く。
こうなってくると、「演奏」とはいったい何かということを、再検討する必要があるだろう。
あのピアノ曲は、一体誰が演奏しているのだろうか?
その後、話が転がって、今度の爆音映画祭でも上映する、高橋洋さんが昨年美学校で作った『狂気の海』の予告編がYouTubeに載っているとのことで、とにかく見てみることに。
長嶌の音楽を始め、何かもの凄い映画のように見える。
大作の予告編。
爆音での上映が楽しみになる。
6月にはユーロスペースでの、正式な公開が待っている。
篠崎・長嶌が帰った後は、地味に仕事の整理。
しかしやはり疲れていて、適当に切り上げて帰宅して食事を終えると電話が鳴り、一体この時間に誰なのかと思ったら、高橋さんだった(笑)。
まあ、単なる偶然なのだが、あまりにタイミング良すぎ。
執筆中の脚本のネタに関するいくつかの質問と確認であった。
4月3日(木)
昨日は10年ぶりくらいで秋葉原に行く。
風景のあまりの変貌ぶりに唖然とする。
『ヴァンダの部屋』から『コロッサル・ユース』へ、という感じ。
現在は、アキハバラデパートも取り壊しに入っていて、ここもきっと近代的かつ清潔かつおしゃれな空間となるのだろう。
そんな中、駅前でチラシを配るコスプレ少女たちは、なかなか良かった。
ごく近い未来にそうなるであろう清潔な町にまったく似合わない。
ただそんな私の思いも単なるロマンティックなオヤジの戯れ言としてあっさり無視されてしまうほどの無関係さで、彼女たちは存在していたのであった。
その意味で、気持ちよかった。
本日は、木曜日恒例の深夜の爆音調整。
ついに映画祭上映作品の調整が始まる。
トップバッターは『グレン・グールド 27歳の記憶』。
しかし・・・
爆音にするとノイズばかりが増えて、まったくどうにもならず。
音のレンジが狭くて、低音をいくら上げても音が出てこない。
高音は会話だけがキンキンとするばかり。
ヒスノイズや、会話のキンキンした分を落とすために高音をカットすると、ピアノの音がどんどん籠もる。
最後までまったくダメで、ついに諦める。
というわけで、いきなり、上映作品の変更をすることにした。
今回は、リクエストを募ったり、さまざまなメディアの方たちに作品の選定を依頼したりして、爆音上映自体に広がりを持たせていく予定であった。
こちらの感覚とは違う思わぬ作品との出会いを期待してもいた。
だが、それは当然、こういう危険をも呼び込むことになる。
今回は、これだけではなくあといくつか危なそうな作品がある。
『グレン・グールド』の場合は、おそらく融通の利くはずの配給会社だったために、こちらから申し込んだものの上映中止をお願いしてもなんとかなるはずなのだが(もちろん希望的観測)、今後、いったんプリントを借りてしまった以上、上映料はきっちり支払わねばならなくなる事も出てくる。
これまでこういう事がなかったのは、運が良かっただけなのかもしれない。
ただとにかく、爆音で俄然面白くなる作品と、爆音が邪魔をする作品とがある。
どちらがどうだ、ということではなく、単にそういう違いがあるのである。
これは一体どういうことなのか。
元々の作品についている音の大きさや音の量にも関係ない。
静かでもうるさくても、爆音で面白くなるものとそうでないものとがあるのだ。
青山の『Helpless』なんて、モノラル録音で音の予算もほとんどなくて、本当に心配していたのだが十分に面白かったし、しかし、『ストレート・トゥ・ヘル』とか『イージーライダー』は、本日の『グレン・グールド』ほどではなかったが、調整は相当苦労した。
同じように音は相当ボロボロな録音でも、『ドリラー・キラー』も『13回の新月がある年に』も、爆音でやって良かった、という音になった。
どこがポイントなのか、まだうまく掴みきれていないのだが、たぶん、さまざまな環境音と音楽とのアンサンブルに対する繊細さなのだろう。
爆音上映は非常に繊細な上映であることを多くの人に分かっていただきたいと思う。
「爆音」という言い方をしてしまっているために、分かりやすくはなっているが、その一方、「音の大きさ」ばかりに注目が集まり、繊細さの方はなかなか分かってもらえない。
実はこちらの方が重要なのだが、そしてそれこそをアピールしたいための爆音上映であるのだが、これは本当に何度か爆音上映に通っていただかないと分かってもらえないことかもしれない。
明日まで上映中の『デス・プルーフ』だって、元々が非常に繊細な音の作り方をしているために、こうやって爆音上映をガツンとできるのである。
そして、繊細さとは、清潔さとは違うことをも分かっていただきたい。
『ゾンビ』はあくまでも繊細でタフな音作りがしてあった。
今度いつか、とにかく何でもかんでも爆音上映する、というイヴェントをやってみたらいいかもしれないと思った。
そうすると、映画にとってどんな音作りが必要なのかが、上映の失敗を通しても見えてくるかもしれない。
ただまあ、「商売」としては成立しないだろうねえ・・・
4月1日(火)
4月である。
呆れるくらい、時のたつのが早い。
致し方なし。
目の前の作業を地道にこなして行くのみである。
本日も大量の発送作業。
その後、4月10日くらいから『作業日誌』のフェアをやってくれる青山ブックセンター本店に、挨拶も兼ねて、サイン本作り。
10冊限定で、下の写真のような、超豪華プレミア・サイン本(笑)が出来上がる。
多分、明日から半分くらいが店頭に並び、残りの半分は10日からのフェアにて販売。
単にいたずら本のようにも見えるが、持っているだけで嬉しくなってくるようなものになっている。
その後、爆音映画祭の件で事務所にて、赤坂大輔君とあれこれ。
怠惰な私とは正反対の身軽な赤坂君から、まだまだ世界中には見るべき映画で日本ではまったく見られていない映画が多数あることを知らされる。
当たり前のことではあるが、しかしこうやって知らされると、やはり呆れる。
いかに私たちがフィルター通過後の映画しか見させられていないか、ということをあらためて思った。
音楽の場合はインターネットのおかげと、翻訳がなくても言葉も音として聞いてしまえるという持ち味によって、私たちはバイヤーの人たちのフィルターを飛び越えて自分の感覚だけを頼りに新たな音を探っていくことができるようになったが、映画はまだまだである。
それは単に欲望の問題ではなく、非常に政治的な問題である、ということを映画の中の音によって赤坂君に語ってもらおう、というのが爆音映画祭のレクチャーのひと枠になる予定。
爆音上映は爆音によって、ある意味でシステムの一部に飼い慣らされてしまっている我々の耳やそれに繋がる意識、身体を、いったんそのシステムから解放する試みであるのだが、赤坂君のレクチャーもまた、映画を見るというシステムから我々を解き放つための良き刺激になってくれると思う。
映画祭を何倍にも楽しむためにも、是非、聞きにきていただけたらと思う。
5月20日の夜。