
boid日記 2008年5月
text by 樋口泰人
5月31日(日)
せっかくの休日なのにこんなに寒くちゃあどうにもならず。
寒さのためが頭痛も。
とはいえ久々にCD散策を。
先日買い損ねたT Bone Burnettの新作「Tooth of Crime」が、本日のメイン・アイテム。
直枝さんが「凄い」と言っていた意味が、よく分かる。
サム・シェパードの芝居のための音楽のようなのだが、とにかくカタストロフというか盛り上がり、爽快感のようなものはどこにもない。
ひたすら足下が揺すられ続けるだけ、というか、まさにルーツ・ミュージック。
すべてが焼き払われた後に残る骨組みが奏でる音楽。
その中に1曲だけ、ロイ・オービソンのスウィートな曲が入っていることがポイントだろう(この曲だけにジョン・ブライオンが参加)。
これ無しには生きていけないものとこれがあるから生きていけるものとが、このアルバムを作りあげている。
先日のユニオンでは、このT-Boneとジョン・ハイアットを見事に間違えて店員に尋ねてしまったのだが、実は、ジョン・ハイアットの新譜も出たばかりなのであった。
とはいえ、本日のHMVでは売ってはおらず、それどころかハイアットのコーナーには1枚のアルバムも入っていなかった。
新譜はこれ↓
本当はバルト9で『ランボー 最後の戦い』を観ようと思っていたのだが、寒さと頭痛のため断念。
5月30日(金)
事務作業その他、やり続けているうちに少し終わりが見えてくる。
土曜日は久々の休日ということもあり、帰宅後、送られてきていたDVDを。
クローネンバーグ『イースタン・プロミス』とビートルズの曲ばかりを使ったミュージカル『アクロス・ザ・ユニバース』。
『イースタン・プロミス』は、各方面からいろんな話が聞こえてきたが、かなり大きなシフト・チェンジがあったように思えた。
本来なら銃を使うはずのところで最終的には素手での闘いになるという物質的な部分での転換が象徴するのは、肉体のリアルさということではなくて、誰もが何にも持たない者としてそこに生きていることをはっきりと描き始めた、というようなことではないかと思えた。
あのような終わり方をすることをまったく予想することができなかった。
『アクロス・ザ・ユニバース』は、舞台を手がけてきた監督らしく、いかにもブロードウェイで上演されそうな構成になっていて、本来なら腹立ち紛れにぶつくさ言うところだが、曲だけではなく、演奏がなかなか良いんだよねえ・・・。
それに引きずられるように観てしまうと、やはりこういう映画は舞台をやってきた人でないと作れないなあと、結局最後はウルウルとしてしまう。
「アクロス・ザ・ユニバース」はビートルズの中で大好きな曲のひとつだが、この映画を観ると、邦題は『オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ/愛こそすべて』、くらいベタなものの方がいいのではと思える。
いずれにしても単にビートルズの歌を映画にしたのではなく、ビートルズの歌をベースに60年代アメリカを語る物語であった。
そしてまた、逆に、アメリカの60年代を背景に、ビートルズの歌を見せる映画でもあった。
言い方が難しいのだが、宣伝ビジュアルのような、おしゃれでセンスが良くて60年代テイスト満載の映画でもありつつ、骨太の音楽とはっきりした政治姿勢も観ることができた。
その意味で『アイム・ノット・ゼア』と共に観られるべき映画。
スコセッシのローリング・ストーンズの映画も近々公開される。
何処かで聞いた声だと思ったらジョー・コッカーが出演していて、あとは『地獄の黙示録』のデニス・ホッパーそっくりのボノも。
出演者たちの歌がみんなちゃんと聞けてしまうのは、やはりブロードウェイ作品から映画になった『RENT』のようでもあった。
T-ボーン・バーネット、ジム・ケルトナー、バーニー・ウォーレルなどなど、私にも判るお馴染みのミュージシャンたちも参加していた。
5月29日(木)
毎月最終木曜日は、ジュンク堂にて「中原昌也 12枚のアルバム」イヴェント。
アルバムを流し・聴きながらのトークなので、必然的にラジオの公開録音のような空気になる。
スペースの関係で音を大きくできないのが残念。
本日のお相手、松山晋也さんが持ってきて、最後に流した韓国のロックはかなり面白かった。
湯浅さんの解説によると、韓国ロックの父、みたいな存在の人らしく、その経歴を聞いただけで相当な人だということがわかる。
何を流したか、詳細は中根によるレポートを待っていただきたい。
しかし、松山さんとはなんと14年ぶりの再会。
この前会ったときは、ロクス・ソルス設立パーティで、今年中学3年の我が家の姫がまだ生まれたばかりの時だったのだった。
うちあげの席では、別の話題(中原の驚異の行動)でやはり10年以上前の話になり、ますます時間軸がこんがらがる。
途中参加で柳下君がやってきて、某映画祭で上映されるかもしれないクリスピン・グローバーの監督作についての話になる。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『チャーリーズ・エンジェル』に出演しているあの人。

そのグローバーさんは俳優だけではなく、映画も作ったり、音楽もやったりしている才人なのだが、その監督作は相当なものらしい。
これが本当に上映されたら素晴らしいのだが果たしてどうなるか。
で、グローバーさんがかつて出したアルバムを、柳下君がiPod に入れていて、それを聞かせてもらう。
これ↓
これがなかなか素晴らしい、というか、素晴らしく狂っている。
何処か大げさなピーター・アイヴァースみたいな曲から、原形を留めないナンシー・シナトラまで。
最初の方に入っていたオーケストラを使った曲など、膨れあがる妄想を押さえきれない感じが、一時期のスコット・ウォーカーを思わせもした。
これまで全く気にもしていなかった人だったのだが、映画が上映されたらとにかく観てみたい。
その他、今月中にしておかねばならない、会社の事務手続きがまったく終わっておらず、もはや諦め気味。
なんか、もっとシンプルなシステムに出来ないものか。
とにかく後から問題が起こらないように、という配慮なのか保身なのか、防衛のためのシステムが複雑になりすぎていて、これじゃあ誰だって逆に暴れたくなるよなあと思うばかり。
そんなこと思うのは、私だけか・・・
5月28日(水)
休む暇なく、いろんなことが次々に始まっている。
7月の爆音音楽映画特集、PFFのサーク特集、それから8月のオリヴィエ。
しかしその前にboid会社化後のさまざまな事務手続き及び経理手続きをしてしまわねば、足下から崩壊しかねない。
原稿の時間なし。
昼過ぎに、ニール・ヤングのオフィスにて映像編集その他を手がける大貫さんが遊びにやってくる。
諸事情あって、来日中。
カンヌでのクロージング上映となったニール・ヤング監督作「CSNY/Déjà vu」や製作中のアーカイヴスについての話を聞きつつ、諸々の映像を見せてもらう。
映画の方は、日本でも某社が買ったとの話が聞こえてきているので、いずれ公開はされるはず。
CSNYのツアーを取材したドキュメンタリーとなっているのだが、そのツアー自体が完全な「反ブッシュ・キャンペーン」ともなっていて、それを敢えて、ブッシュの地元やブッシュ支持者の多い地方で公演したのだそうだ。
映画の一部を見せてもらったのだが、ライヴにやってきたファンたちの中にも多くのブッシュ支持者がいて、政治的な歌になると、彼らからは中指立ててのブーイングの嵐。
インタビュー・シーンでも、ブッシュ支持者、反ブッシュの立場の人などなどが、激しい応酬。
もの凄く面白いのだが、果たして日本でこの映画をどのような形で公開できるだろうか。
『グリーンデイル』『ハート・オブ・ゴールド』、そしてこの映画という3本をちゃんと上映すれば、ニール・ヤングだけではなく、アメリカの現在の様々な姿がはっきりと見えてくるように思えるのだが。
その『グリーンデイル』だが、とりあえずboidがフィルムを管理して、上映の度ごとにアメリカに報告する、ということで今後の上映は大丈夫な気配。
したがって、「CSNY」公開の際には、再上映ができると思う。
また、地方などで上映希望の方も、boidにご一報を。
それから7月の音楽映画特集では、ちょっとした朗報あり。
今後の上映も含めて、少し可能性が広がるかもしれない。
来週の打ち合わせで、展望が見えてくる。
オリヴィエの『レディ・アサシン』は、8月に2週間のレイト上映の予定が固まる。
全然時間がないが、まあ、こういうことはバタバタと、勢いを付けながらやるのが良いのだろう。
5月27日(火)
さすがに疲れ果てている。
土曜日は、超満員でビックリしてしまった。
あの状態であの2本立ては相当きつかったのではないかと、ハラハラしながら朝を迎えたのだった。
ただまあ、その中でも、『プライベート・ライアン』と『ワイルドバンチ』のとんでもない音響を堪能していただけたのではないかと思う。
しかしもう、オールナイトはきついねえ。
いずれにしても、ご来場の方々、協力していただいた方々、本当にどうもありがとうございました。
そうそう、オールナイトで『ココロ、オドル。』や『殺しのはらわた』の黒沢さん出演部分が上映されていたちょうど同じ頃、カンヌでは『トウキョウソナタ』の審査員賞受賞が発表されていたのだった。
単なる偶然にすぎないのだが、バウスでは満員の観客たちが受賞を祝福していたのだと、思えなくもない。
映画祭の準備で最初の試写に行けずに見逃したままなのが、何とも口惜しい。
というわけで、その後は廃人となりつつ、会社化以後の事務整理その他であたふた。
書かねばならない原稿にはまるで手を付けられず。
しかも夏以降のboidの展開の具体化を考えていかねばならない。
といったところに、思わぬ動きあり。
『CLEAN』の後に作られたオリヴィエ・アサイヤスの「Boarding Gate」が日本では『レディ・アサシン』というタイトルで8月にDVD発売されることになったという情報があり、あまりにもったいない話なので慌てて発売元のタキ・コーポレーションに連絡を取ると、何と、上映権も持っているとのこと。
フィルムはなし。
それでもとにかく、DVD上映でもかまわないから1度は劇場上映させてくれとお願いしたのだった。

8月バウスでの爆音レイト上映を目指し、この2,3日であらゆる事を決定することになる。
『CLEAN』というよりも、おそらく『デーモンラヴァー』に近い路線の作品だと思うのだが、とにかく先日の『CLEAN』の上映に来場して下さった方々、知人・友人たちに「8月にオリヴィエをやる」と言いふらしておいてください。
できればその時に、再度『デーモンラヴァー』や『CLEAN』や『冷たい水』までできたらいいのだが。
果たしてどうなるか、この1週間でおおよそが決まってくると思う。
しかしその前の7月の音楽ものの爆音上映の雲行きが滅茶苦茶怪しい。
うーん、これはあっさり、と思っていたのだが、やはり甘かった・・・
全てがうまくいくわけではない。
5月23日(金)
いやあ、盛り上がった。
『スクール・オブ・ロック』を最後にもってきたのは本当に大正解。
音の方も昨夜の苦労の甲斐あって、というか更なる小嶋氏の苦労もあって、ブリブリのロケンロールな音になった。
熱気ムンムンの場内の人々も、きっと泣きながら笑っていたことだろう。
そして最後のライヴ・シーンの音がガンガンと響いてきたときには私もほとんど泣き笑い。
まさに爆音上映の醍醐味。
ロックの魂が爆音と共にやってくる。
単に音が大きいだけではない、魂のこもった音なのだ。
こういう音を、他の劇場の関係者たちにも聞いていただきたいと、心底思う。
こんな音が日本中の映画館から聞こえてきたら、日本はもっといい国になる。
『スクール・オブ・ロック』の前の牧野君の作品も凄かった。
結局ジム・オルークが作り直したという音を使っての新作も、後ろの端の方で見ていたのだが、劇場の壁を伝わって音が聞こえてくるような感じにもなり、意識と無意識の間を魂が彷徨うような感じになる。
などなど、予想以上の大勢の方々の来場によって、本当に良い最終日となった。
映画祭自体の運営その他、反省点は多数あるが、トータルでは大成功と言えるのではないかと思う。
ただ、これを次につなげていけなければそれはすぐに「大失敗」となる。
明日のオールナイトが終わったら、「次」を形にしていく準備が始まる。
それから、昨日の日記に掲載し損ねた写真を。
大友さんの初の著作集『MUSICS』が6月27日、岩波書店から刊行される。
税込3150円という、単行本としては決して安くない値段だが、ライヴDVD付きである。
大友さんが持っているのがその表紙。
まだ、完成版ではないらしいが、6月末、本屋さんでこの表紙を見かけたら、是非手に取っていただきたい。
同じ音楽がこれまでとはまったく違う聞こえ方をしてくる、そんな新しい人生の扉を開けてくれる本になっているのではないかと思う。
いずれにしても、皆様お疲れさま!
明日は『プライベート・ライアン』と『ワイルドバンチ』にやられながら、楽しい一夜を過ごしましょう!
5月22日(木)
いやあ、もう完全に朝です(23日)。
思わぬところで躓いて、最後の音調整がなかなか決まらず、気が付くとそんな時間。
大友さんと須川さんのレクチャーは、昨日帰国した大友さんの発熱にもかかわらず、たっぷりと盛りだくさんの2時間。
その後の『風の又三郎』の上映は、大友さんも、録音の郡さんも場内で鑑賞してのものだったので、ひたすら緊張しまくる。
大友さんも郡さんも同様に、テレビでは聞こえない音が聞こえてしまう爆音上映に、私とは違う意味での緊張をしながら見ていたとのこと。
とはいえそんな当事者たちの緊張を他所に、見終わった知り合いたちは「面白かった」と口を揃えて言う。
大友さんは、帰国したばかりだというのに、明日からはまたツアーなのだそうだ。
すごい。
で、その後、オールナイトに上映する某作品の冒頭部分の調整から始まり、牧野作品の続き。
ジム・オルークの20日のライヴ演奏を合体した『Seasons』。
一体ライヴでこの音をどのようにして出していたのだろう?
さらにそれをリミックスしたものらしいが、泡立つ音のアンサンブルと何かを見るという意識を無意識に変えていくような映像とが交わって、私はそこにはいない人を二人ほど、自分の両脇に見た。
どうやらその間、牧野君から私の携帯に連絡が入っていたみたいなのだが、運悪く携帯の電池切れで全く使えない状態になっていたのであった。
携帯も、その持ち主も、ほぼエネルギー・ゼロなのである。
それらが終わってから、さらに『スクール・オブ・ロック』。
これであれこれ苦労した挙げ句朝4時を迎えることになった。
とはいえ無事終了。
これで音調整も全て終わり。
あとは最終日と、そしてオールナイトを迎えるだけである。
でも、昼の仕事も山ほどあって、それを考えるとまだ全然喜べない。
5月21日(水)
昼は月刊へア・スタ2号の発送その他で目一杯。
作業をのやり残したままバウスへ。
すでに夕方の、ハナレグミ永積さんのイヴェント直前。
『RIZE』を見終わった永積さんはハイテンションのままトークに突入した。
すごい。
終了後、何故か『ヴァンダの部屋』及びペドロ・コスタの話で永積さんと盛り上がる。
トークでは、映画はあまり見ない、というようなことを言っていたみたいなのだが・・・
佐々木君のトークは、『カルメンという名の女』や『エレファント』それから、ジャン=クロード・ルソーの作品へ、という流れ。
『ヌーヴェル・ヴァーグ』の、東京ではこれが最終上映(チラシ製作時点では日本最終上映だったのだが、その後、京都みなみ会館での上映が決定。多分今週末くらいから)ということもあり、満員となった来場者の方々も新たな発見をされたことではないかと思う。
そしてその後、いよいよ『ワイルドバンチ』の音調整。
しかしこれがまた、ちょっと呆れるような音になっていて、頭をかかえる。
はっきり言って上映中止も考えた。
考えたというか、もう、8割方そのつもりになっていたところに、ミキサー小嶋氏より提案があり、5.1チャンネル仕様の現状の「ディレクターズ・カット」を、オリジナル版にならってモノラル仕様に変換することにした。
完全なモノラルではなく、5.1チャンネルに振り分けられた音を再度ミックスして、左右とセンターのスピーカーから同じ音を出すようにしたのである。
つまり、後付の5.1チャンネルの音を疑似モノラルに変換したというわけである。
そしてこれが大正解。
あまりに適当な具合に振り分けられて焦点が定まらなくなってしまっていた音がピタッとスクリーンに定着し、そして炸裂。
小さな音でやる場合は、この「ディレクターズ・カット」版のような音でもあまり気にならないのかもしれないが、しかしこれでは台無しである。
DVDでは、音はどんなふうになっているのだろうか。
とにかく、爆音映画祭の『ワイルドバンチ』はほぼモノラルで上映。
まさにかつてあった映画の音とはこれだという具合になった。
しかしさらにその後に問題発生。
『ワイルドバンチ』ではなく、明日のレクチャーの参考上映のビデオ。
バウスのDLPでは、VHSの信号が上手くインプットされていかないのであった。
頭をかかえた結果、バウス2の方で使っている液晶プロジェクターを一時的にこちらに持ってきて、それを使っての上映で切り抜けることに。
深夜の液晶プロジェクター大移動となったのであった。
というわけで本日も終了は3時過ぎ。
こういった苦労が報われる日が来ることを願うばかり。
5月20日(火)
本日は、昨日に増して、全力疾走。
さすがにもう、詳細を書く余裕なし。
『夜よ、こんにちは』は、皆さん満足げな表情。
これを見逃した方は本当に不幸であると言いたいくらいの豊かな時間であった。
取材に来た東スポの映画担当者も、大いに喜んで帰ってくれた。
深夜12時から始まった『プライベート・ライアン』の爆音調整は、結局誰もが期待する最初の30分の戦闘シーンではなく、最後の30分くらいの橋を巡っての戦闘シーンがポイントとなった。
戦車の地響きにびびるなよ! という具合の出来。
バランスも良く、迫力も充分。
しかも耳に痛くない戦闘シーン。
足下から腹、そして胸にブリブリと振動がやってくる。
でも、静かなシーンの空間の広がりも絶品なのだ。
終わったのは3時過ぎ。
本日から連日、深夜の爆音調整が続く。
5月19日(月)
ただでさえ月曜日はあれこれの事務作業に追われる日なのに、本日は、月刊ヘア・スタ2号の『GRACIA A LA VIVA』のパッケージ作業があり、皆さんとにかく働く。
私は無駄口をきく時間もなく、必死に作業をこなすが、本日の映画祭1回目の回終了にも間に合わず。
ボランティアで参加してくれた監督たちにお礼も出来なかった。
多くの方たちに参加・協力してもらっているイヴェントだからこそ、半端な態度ではやりきれないのであった。
来年への反省点がひとつ加わった。
しかしまあ、映画祭以外のところでトラブル続発。
何とか切り抜けつつあるのだが、どうしてこう、すっきり物事は進まないのか。
でも、そういうもんなんだよね。
とはいえ、少し明るいニュースも。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/05/19/02.html
これ。
しかし記事を読むと、黒沢さんが脳梗塞で入院していたと書いてある!
いやあ・・・新聞て、こんな適当で良いのか???
実際に入院しているのは奥さんの弘美さんである。
5月13日の日記を参照して欲しいのだが、このところの心配事は、とにかくこのことだった。
ずーっと頭が重く、気分が晴れなかったのだが、映画祭の前夜祭の日に黒沢さんからメールがきて、その文面が何となく晴れやかな気配が漂っていたのと、その後もう大丈夫という報告もあったことでようやく一安心していたのだった。
記者会見でのこのような報告を黒沢さんがしたのも、病状が山を越え復帰に向けての道を歩み始めたと確信したからだろう。
本当に良かった。
映画祭夜の部の梅田哲也&テニスコーツは、カウリスマキの『白い花びら』を上映しながらの演奏。
最初は場内の照明を少しだけつけておくか、演奏者たちにスポットを当てるというような事を考えていたのだが、結局映画メインで、通常の映画上映と同じ暗さでの上映=演奏となった。
こうなると半分は映画を見る態勢なので、わたしも座席に座り見ていたのだが、あまりに気持ちよくて眠りそうになり、音楽の演奏だけだとそれはそれで夢見心地に聞く態勢にはいるのだが、映画を上映していると何だか悪い事をしているような気分になって、半分過ぎから壁際に立って見たのであった。
上映と演奏をうとうとしながら見たり聞いたりするという贅沢を放棄してしまったのである。
悲しい貧乏性。
ただ、今回の演奏に関しては、演奏自体を見たかったと思った人がかなりのかずいたのではないだろうか。
上映終了後、ほんのちょっとだけ続いた演奏の間場内のライトがついたのだが、そのとき、多くの人たちが中腰になり前屈みになったのである。
視線がステージに集まったそのほんの一瞬が、本日のライヴを象徴していたように思う。
つまり、音楽は一体どこからやってくるのか?
多くの人がそれを探しながら映画を見ていたはずだ。
そしておそらく『白い花びら』の主人公たちの悲しみの彼方からやって来るのだという事を人々がはっきりと体感したところが映画の終わりで、その後ステージ上に残る悲しみの跡の風景に、多くの人が目を奪われたと言えるのではないか。
まあ、単純に、梅田哲也&テニスコーツの音が映画の後景となり前景となるような大きな広がりを見せていた、という事なのだが。
今夜でライヴの3日間が終わり、明日からはレクチャーと上映の3日間。
明日上映する『夜よ、こんにちは』は、おそらく今回の映画祭の中で、爆音によっても最も印象が変わった映画。
それだけのためにでも知人・友人かき集めて見に来て欲しいくらい。
つまり、我々が普段映画を見ているときにいかに語りのシステムに絡め取られながらそれを見ているかと言う事を思い知らされる映画であった。
そのことの意味を、赤坂君のレクチャーが解きほぐしてくれるはずだ。
とにかくある意味で、この映画祭の白眉。
もっと早くこういう事を書いておかねばならなかったのだが、とにかく昼間会社などでこの日記を読んだ方たちは、無理にでも仕事を切り上げて駆けつけていただけたらと思う。
映画の豊かさと面白さを、こんな形で見せてくれる映画であったという事実に、たっぷりと打ちのめされるだろう。
5月18日(日)
さすがに疲れが出て、頭痛と吐き気で目が覚める。
仕方なく、苦手な頭痛薬のお世話になる。
いつもは子ども分だけでなんとかなるのだが、本日はダメで、結局大人分を服用。
『CLEAN』にも間に合わず。
本日12時から上映の『バンド・オン・ザ・ラン』は、爆音の鬼門のサーフ映画で下手をすると20人以下か、とハラハラしていたのだが、その倍以上の動員。
そして『CLEAN』『パリ、テキサス』は満員。
何とも嬉しい日曜日であった(頭痛を除けば)。
夜は、トクマルシューゴ・ライヴ&『コープス・ブライド』。
こちらもほぼ満員での演奏で、変幻自在のギターの音色が心地よく、MCのときに、「昨日かえる目を見に来ていたのだが、座席に座って見ていると心地よすぎて眠くなってくる」とトクマルさんが語ったその言葉が刷り込まれてしまったのか、たってみていたのにスーッと意識が遠のいたり戻ったり。
まあ、頭痛薬の影響もあるのだけど。
しかし不思議なのは、一体あのような音をどうやって出せるようになったのか、ということ。
有り得ないような想像もつかないような音、という事ではなく、しっかりとある種の歴史に根ざした音故に、その音の持つ歴史を身体化させない限りその音は出てこないはずで、しかもその歴史は日本人である者にとって外側から取り入れた歴史であるはずの音なのだ。
つまり元々身に付いていたのに気付かなかった者を意識化させたのではなく、ある訓練というか何らかの意識的な方法によってアダプテーションして、自らの身体と時間の感覚を作り替えなければ出来ない音ではないかと思えたのである。
まあ、大げさすぎるかもしれないが。
いずれにしても、あの音を出すためには、他人の音を「聴く」ということが相当な役割を果たしているように思えた。

トクマルシューゴ『EXIT』 かえる目『主観』→Amazon
map store →
それから、この映画祭を気に多くの方に爆音上映の存在を知っていただいたのだが、今後の爆音上映のためにもアンケートを行おうという事になった。
通常、劇場への入場時にアンケート用紙を配布してそれに直接書き込んで劇場内のポストに入れてもらう、という方法をとるのだが、今回は、番組の入れ替え時間がタイトで、アンケートを書き込んでもらっているとどんどんスケジュールが押していく事になるため、ウェブ上でのアンケートの実施、という事になった。
爆音映画祭のHPにて行っています。
どんな一言でもかまいません。
是非。
こちら→
5月17日(土)
爆音映画祭本格始動。
その様子の写真を撮ろうと思っていたのに、バタバタしてその余裕なし。
何しろ、boidの方は、月刊へア・スタ第2号がいよいよ発売で、その準備で大わらわでもあるのであった。
したがって本日は、劇場には行けぬまま、事務所にて数字の報告をきくのみ。
『花様年華』『ヴァンダの部屋』『台風クラブ』どれもが予想の倍以上の動員あり。
バウススタッフの高揚も、電話口から伝わってくる。
それでバウスに到着できたのは『台風クラブ』が終了した時刻。
劇場からぞろぞろと大量の人々が出てくる風景は良いものだ。
かえる目のライヴは初めて見たのだが、絶妙のトークと、その絶妙さを支える高度な技術と知恵と懐の深さ。
私にとって特に感動的だったのは、チラシのコメントの校正ミスを、そのまま歌にしてしまってくれたこと。
まあこれは校正ミスというか、細馬さんの入力ミスを我々校正側がすったもんだした挙げ句そのまま活かしてしまった部分を細馬さんがチラシを見て気が付いて、さらにそこから妄想が広がりそれが歌になってしまった、という経緯。
「歌子の歌」というようなタイトルだったと思うが、このタイトルとチラシのコメントを見比べれば何が問題のミスだったかは分かるはず。
一体我々がそれに対してどんな「すったもんだ」をしたのかは、各自妄想していただきたい。
いずれにしても、ひとつの間違いが横滑りしながら転がっていってひとつの歌にまで行き着いた、というわけである。
何とも楽しい話ではないか。
常日頃勘違いと記憶違いの連続で生きている私にとって、こんな希望のある歌はないのであった。
しかも、それはその後に続く『とんかつ一代』のための歌でもある。
そして『とんかつ一代』のための歌はもう1曲披露され、これはもうどうしたって『とんかつ一代』で盛り上がらざるを得ない状況が、静かに作られていくのであった。
『とんかつ一代』は、爆音上映というより、面白い映画をいい音で上映したという状態ではあるのだが、まあ、面白さが尋常ではないため、これはもう、上映してしまえばこっちもの。
大らかな音の中で、たっぷりと映画を堪能していただけたと思う。
とまあ、爆音映画祭の始まりとしてはかなり奇妙な夜となった。
こういう夜も良い。
そしてさらにその後、取材のために『プライベート・ライアン』を上映。
冒頭の銃撃戦のあまりのうるささに呆れる(笑)。
まあ、まだ音調整前だから、余計にそう感じるのだろう。
で、その取材が終わったのが午前2時前。
その間、明日のトクマルシューゴ・ライヴの入場整理の問題であれやこれやの準備。
明日はかなり混乱しそうだが、とにかくこういう混乱はありがたい混乱でもある。
バウス・スタッフはこの1週間は相当大変なことになっていて、明日の朝、10時前からトクマルさんの当日券の販売整理を行っている男性スタッフは、本日も深夜2時過ぎまで働いていた人間でもあるのだ。
まあ、だからどうした、という話でもあるのだが、いよいよ本番の現場作業になってくると何が出来るわけではない私は、なんやかんや言いながら皆様を励まし続けるしかないのであった。
5月16日(金)
いよいよ本日は爆音映画祭の前夜祭、『CLEAN』の上映である。
起きてからも全然落ち着かず。
もう20年くらい前、当時の雑誌の名物編集者(女性)にインタビューしたことがあり、外側から見れば最先端の売れ線の雑誌をバリバリ編集しているやり手の編集者としか思えない彼女が、「今最もやりたい雑誌は何か、どんなジャンルのものか」というような質問に対して、「売れ数を気にしないで良い、飛行機の機内誌みたいなもの」と答えたことを思い出した。
当時の私には、彼女の答えはやり手編集者のイメージにまったく合わないネガティヴなものにしか思えなかったのだが、今となってはその気持ちはよく分かる。
とにかくこういったイヴェントの初日ほど、胃の痛くなるものはない。
どんなにこちらが篤い思いをこめようとも、そのためにどれほどの力を使おうとも、ここまでくると結果が全てなのだ。
残酷である。
まあでも今回の爆音映画祭に関しては、本当に良く、ここまでくることができたと思う。
多くの方々の協力に感謝。
そしてこの映画祭に協力することが、それぞれの人にとって更なる広がりを見出すきっかけになってくれることを願うばかりである。
とはいえ、『CLEAN』である。
開場1時間前の時点ではまだあまり整理券も捌けておらずちょっと焦ったのだが、40分前くらいから人が集まり始め、結局、4分の3以上の座席が埋まることになり、一安心。
順調な滑り出し。
しかも、上映後に多くの人から声をかけられ、皆さん本当に『CLEAN』に魅入られた様子。
日曜日の上映の時には絶対に見に行けと友人達に声をかけると、興奮気味に語ってくれたりして、本当に嬉しくなる。
やはり『CLEAN』を前夜祭にやって良かった。
あの映画の、何かに向かって一歩足を踏み入れる感じと、爆音上映は常に共にありたいと思う。
上映前の挨拶の時は、4年前の時点での上映権利料が高すぎて誰も買うことが出来なかったという説明をしたのだが、逆に言えば、何とか粘って交渉し、日本での上映可能な金額まで落として配給しようという熱意のある配給会社がなかった、ということでもある。
だが本日これを見た多くの人の反応を見れば、映画の配給を職業とする者なら、なんとかしてやろうと思うはずなのだ。
それがどうして出来ないのか・・・
日本の映画買い付け・配給の現場と観客の実態がどんどん上っ面だけの繋がりになっているように思えてならない。
いずれにしてもそんな思いを、結果に結びつけられるクールなスキルを身につけていかねば。
そのためにもまずはとにかく日曜日の午後1時45分からの、2回目にして最後になるかもしれない『CLEAN』へご来場を。
私も一緒に2時間を堪能したいと思っているのだが、それが出来ないくらいの混雑になって欲しいと願う。
そしていよいよ明日からは、昼も夜も連日の爆音である。
この間にも深夜の爆音調整は続く。
果たして身体はもつだろうか・・・
5月15日(木)
9時に起きる予定がなぜか7時に目覚めてしまい、30分ほどグズグズしていたものの再度の眠りにつくことも出来ず、仕方なく早起き。
やることがないわけではないので事務所に行ってあれこれの作業を済ませ、その後、打ち合わせと昼食を兼ねて新宿に出て、帰りにUNIONに寄る。
というのも昨夜、直枝さんからT-Bone Burnett の新譜『Tooth of Crime』が凄い、というメールがきて、これは是非手に入れねばと思っていたのだった。
しかしである。
恐ろしいことに、UNIONに入ったときにはT-Bone Burnettがなぜか私の中でジョン・ハイアットにすり替わっていて、延々とジョン・ハイアットを探し続けた挙げ句見つからず、店員に「ジョン・ハイアットの新譜はないのか?」と尋ねると「未入荷です」と答えられ、やはりHMVに行けば良かったかと後悔したのだったが、それからタワーやHMVに行く時間もなく、ふと棚に目をやると、この2枚が飛び込んできたのだった。

Donnie Fritts "One Foot In The Groove" Don Nix "Passing Through"
共に最新録音版。
特にドニー・フリッツは病からの奇跡の復活。
その奇跡がどんなものかは、このページの写真を見れば分かる。 ここ→
ダン・ペン、スプーナー・オールダム、トニー・ジョー・ホワイトなどなど、旧友達が集うのも分かるし、しかも、デジパック・ジャケットのCD盤に隠れた部分にレイアウトされている集合写真の狂った眼の光の群れを見れば、それが単なる「お祝い」ではないこともガツンと伝わってくる。
事務所に戻って聞いてみると、2枚ともCDなのに、完全にレコードの音がした。
最新技術の賜なのか、彼らの狂った眼光によるものなのかは分からない。
などなどバタバタしているうちに夜になり、今夜もまた、爆音調整。
『コープス・ブライド』『とんかつ一代』。
前者は、ほとんど調整もせず、センターのスピーカーと左右のスピーカーの音のバランスをとって、真ん中からの音を少し分厚くしただけで充分。
やはりアメリカ映画は、もう爆音が前提になっているのだろう。
レンジの広いオーケストラの演奏に包まれるのは本当に気持ちいい。
これを見ると、再度『レディ・イン・ザ・ウォーター』も見たくなる(聞きたくなる)。
フルオーケストラの演奏を爆音で聞く、という特集もいつかやってみたいと思う。
これはもう、絶対に面白いと確信する。
『とんかつ一代』は、まあ、ほとんどギャグのようなもので、これが初日ではなく、最終日の上映だったらベストだった。
ホントに、最後の一瞬のための爆音だし、それもまあ、爆音というか・・・(笑)。
まあ、たっぷりと川島雄三の世界を堪能していただきたい、とだけ言っておこう。
あの短さが、川島雄三の「粋」なんだと思う。
いよいよ明日は、前夜祭、『CLEAN』の上映である。
どうしてこの映画が日本未公開なのかと、今見ても腹立たしくなるような映画なので、爆音も何も関係なく、とにかく是非見ていただきたいと思う。
あのマギー・チャンの悲しみと決意が、それを見る人のその後に大きな影響を与えることは間違いない。
とにかく人はそうやって生きていくのだ。
そのことを爆音と共にはっきりと見せてくれる映画。
5月13日(火)
ついに株式会社boid設立の日である。
しかし、出社早々、某所からの衝撃的な知らせに慄然とする。
もう若くはないのだ。
いつどこで誰に何が起こっても不思議ではない。
とにかく無事の復帰を祈るばかり。
その後、ちょっとした良い知らせと、見事なダブルブッキング発覚という、笑ってしまうしかない事態もやって来る。
波乱の幕開けであるが、まあ、それもまた良しとして行くしかないのだろう。
とにかくしばらくは諸々の事務処理に大混乱のboidとなる。
皆様にはいらぬご迷惑をおかけするかもしれません。
予め、ここでお詫びしておきます。
5月12日(月)
『クリスタル・ボイジャー』の爆音体験試写である。
先日の日記にも書いたように、フィルムに焼き付けられている音声のデジタル信号がはげ落ちてきていて、通常の劇場ならまだ大丈夫でも爆音の場合はその信号エラーもまた増幅されるため、もしかするとプリントでの上映はこれが最後になるかもしれないという、貴重な試写。
ただ、現状では、エラーが起こす音の揺れもまた、「エコーズ」効果の一部、というふうに聞こえなくもなくて、案外気持ちいいのであった。
本日は、会場内ではなく、ロビーで待機していたのだが、ロビーで聞く「エコーズ」は、会場内で聞くより遥かに暴力的で、ちょっとドキドキした。
場内だと、レンジの広い音に包み込まれるように聞いてしまうから、音が大きいと言うより何か別の世界にスーッとずれ込んでいくような感覚となるのだが、ロビーだと、そこは単なる日常だから、劇場の壁を通してなおこんな音が聞こえてくるなんてとても信じられない状況となり、何かとんでもないことがすぐそばで起こっているような気持ちになるのであった。
しかし、上映終了後、本日の試写イヴェントでとんでもない大ポカをしていたことが判明し、愕然とする。
愕然とするというかただただ非常に腹立たしく、こんな事をしていては明日はないと思うばかりであった。
boidもバウス・スタッフも、全員猛省するべし。
私が何のことを言っているのか分からないスタッフは、明日にでもこの仕事を辞めた方がいい。
というくらいの、酷いポカであった。
一体何のためにこの試写をやったのか、私も含め誰もそのことに気付かないとは・・・
というかどうしてこんなに当たり前のことが出来ないのか。
気付くとか気付かないとかいう問題ではなく、これは単なる普段通りの行いとして処理されるもので、ほとんど無意識にやってしまっておかねばならないことなのだ。
boidもバウスも商売人としては0点(以下)。
まあ、ポカをしなかったからといって結果がどうなったかは分からないのだが、しかし結果がどうあれ、やるべきことはやっておかなくてはと、ひたすら反省の夜であった。
とはいえ、終了後は、牧野貴作品の音調整。
この映画祭の中では唯一の、ストーリーのない作品。
ひたすら、映像と音の乱舞、戯れ、せめぎ合いが続く。
ジム・オルークが音をつけたふたつの作品は、とにかく大きな音から小さな音まで、呆れるくらいさまざまな音が入っていて、驚く。
DVDで見てはいたのだが、やはり全然違った。
こういう音が当たり前のように通常の映画にも入っていたら、多くの劇場の方々も映画の音の大切さに気付いて設備投資を考えてくれるのだろうが・・・
牧野君の作品は、21日ににしか完成しない作品がある。
それは、20日に京都で行う、30分の作品を流しながら行うジム・オルークのライヴを録音して、それを当日流した映像と合体させるというもので、それを22日の夜中にバウスにて音調整をやって23日に上映というスケジュール。
まさにできたての爆音上映となる。
逆に言うと、この間に何かトラブルがあったら上映はできなくなるかもしれない。
そのライヴ感と共に、お楽しみいただけたらと思う。
まあ、それやこれやで夜も更けて、ついに株式会社boidの設立日となる。
5月にしては異例の寒さで、異例の台風も接近し、中国では大地震で多くの方々が亡くなった。
設立日前日に、ダメな部分を一気に露呈させて大地震とまでは行かぬまでも爆音なみの怒りに駆られたのは、今後のことを考えると「吉」というふうにとらえたいと思う。
ただ、なぜこれほどしつこく大ポカのことを書くかというと、私だけでなく関係者全員に心底反省してもらいたいからだ。
多分これは、基本姿勢がなっていないために起きたことで、これはboidもバウスも解体するくらいの本気さでそれに対処しないと、何度もおなじ事を繰り返す。
もちろんそこに、boidとバウスの良さもあるのだが、こういう事は日常のたしなみ程度に軽くクリアした上で、呑気に爆音上映をやりたいものだと思うのであった。
ああ悔しい。
『台風クラブ』のような激情に胸震わせる、誕生日を迎えた私であった。
5月10日(土)
こういう雨模様の日は心も体も頭も重い。
諦めるしかない。
仕事も片付かず。
さらに明日へ持ち越す。
夜は爆音調整。
『花様年華』と『台風クラブ』。
爆音でやってどうなるか心配な映画2本である。
もしかするとかなり面白くなるんじゃないかと思っていた『花様年華』は、元々入っている音数が少なくて、爆音にしたことによって映画自体が変化する、というような醍醐味はなかった。
トニー・レオンが書いている小説のためのリハーサルとして主演の二人が演じるカップルの現実と、実際と二人の境遇とが重なり合いながら描かれるという2層の物語のハーモニーとそのシンプルな音作りとが絡み合って、そこにはないさらに別の物語を妄想させる。
あくまでもここにあるのは偽物であり、仮の姿であり、本来の物語はその先にあるのだが、しかしそれは永遠にたどり着かない場所にあるものだといういかがわしくもありそれこそ本質的でもあるウォン・カーワイの映画の骨組みがはっきりと見えるものになった。
永遠の予告編作家。
マギー・チャンの悲しみは、ここにいる私が常に予告編でしかないが故にようやく形になっている危うい存在でしかないことから生まれてくるのだろう。
オリヴィエ・アサイヤスが『イルマ・ヴェップ』でマギー・チャンをボディ・スーツでくるんだのも、つまりそのような危うい存在自体をここに繋ぎ止めるためであったのではないか。
そんなマギー・チャンが、予告編の悲しみを受けとめつつ、その悲しみと共に本編へと一歩足を踏み入れるドラマが『CLEAN』なのだと言えるだろう。
『台風クラブ』は、さすがに音調整には苦労した。
かなり特殊な音域に音が固まっていて、ミキサーの小嶋氏も悲鳴を上げる。
だが、あれこれやっていくうちに音が決まりだし、最後には台風の音も台詞も十分なものになった。
三浦友和のカラオケ・シーンも、侯孝賢にも負けないものになったはずだ。
しかし、今こうやってこの映画を見てみると、その後20年間の日本映画を丸ごと飲み込んでいるというか全てを予感している映画であることが分かる。
だからこそこれは今見られなければならないと思うと同時に、今この映画を目指したら絶対にダメなのだとも強く思った。
この次をやるために、爆音上映をやっているのだ。
もちろん『台風クラブ』などなかったかのような風景が日本映画の上に広がり始めているのも、一方の現実なのだが・・・
それからお詫びを。
チラシと映画祭HPに記載されていた『台風クラブ』の上映時間が間違っていました。
96分と記されていますが、実際は115分。
したがって、上映のタイムスケジュールも変わってきます。
17日の初日は、ライヴの開始時間が若干遅れます。
また、23日は、『バンド・オン・ザ・ラン』の開始が10分遅れ、『ワイルド・バンチ』の開始が5分遅れになります。
ご注意ください。
大変申し訳ありませんでした。
5月8日(木)
いよいよ何が何だか分からなくなる。
映画祭最後の追い込みチラシ作りから、月刊ヘア・スタ第2弾のジャケット、6月3日のイヴェントのチラシや構成、原稿に会社作りのための税理士との打ち合わせやら資本金集めやら、物販類の各所への発送作業などなど。
しかし多分、今は私より大塚の方が死ぬほど働いている。
ただ、これを軽くこなせるくらいにならないと、プロのデザイナーにはなれないわけだから、とにかく死ぬほど働いてもらうことにしている。
本日も、第2弾ジャケット裏面のデザインで、中原から非常にシンプルかつ、パソコンで処理しようとするとかなりやっかいな要望が出る。
当然、このギリギリのスケジュールの中では、それなりの使い手でないとその作業はすぐには出来ないわけで、それを切り抜けるためにかなりの荒技で処理をする。
印刷所のスケジュールと自分の力量をしっかりと把握しつつ、今できる限りのことを組み合わせながら対応していくしかないのだ。
多分これは、技術が向上したところで同じことである。
どこでどう決断するか、という問題。
その判断が遅れると、結局全てが台無しになったり、何処かでそのツケがまわってくる。
死ぬほど働かないと、そういった決断のタイミングは体得できないことでもあるから、しばらくは大塚には死ぬほど働いてもらうしかない。
本日の爆音調整は、『ヌーヴェル・ヴァーグ』『夜よ、こんにちは』『クリスタル・ボイジャー』。
『ヌーヴェル・ヴァーグ』は2年くらい前にやっているので、簡単な確認のみ。
しかし、やはりいつ聞いてもこの音の際だち方は尋常ではない。
これがもうしばらくは上映できなくなってしまうなんて、本当に不幸だ。
豊かさとはいったい何なのかと考えてしまう。
ガソリンの値段が上がったからと言ってぶーぶー言ってるんじゃねえよ、とか思ってしまうが、まあそれが死活問題となる人もいるわけだからあまり極端なことも言えないが、ガソリンの値段と、『ヌーヴェル・ヴァーグ』の上映権がなくなるのと、同じレベルで大変なことだと思ってしまうのは、一部の人たちだけなのか・・・
『夜よ、こんにちは』はもう、単純に面白い!
この映画の音がこんなにも煌びやかで変化に富んでいたなんて。
惜しむらくは、プリントの音声トラックがかなり傷んでいて、すでにドルビー・デジタルでの上映は不可能。
ドルビーSRでの上映しかできないのだが、さらにその時に、音声信号を読み取るLEDの繊細さがあだとなり、トラックの傷まで拾ってそれがノイズになってしまうのだという。
例えば、『ゾンビ』のノイズは完全にOKなのだが、この映画のノイズはやはりどうしても邪魔である。
映画の作り方の違いもあるのだが、それ以上に、画面に傷が入っていないのに、音だけにノイズが入るというのは、どうしたって納得できない。
1本のプリントがさまざまな場所で上映されその度にいろんな傷が入っていくわけだから致し方ないことではあるのだが、なんというか、劣化のバランスが悪すぎる。
もちろん、音声信号を傷つけた上映技師さんを、ちょっと露骨に責めているのだが。
それに、ちょっとしたことで剥がれてしまうというデジタル信号の弱さも、充分責められるべきだ。
技術の進歩は一体私達に何をもたらしてくれるのだろうか。
それはそれ、当初、この映画を爆音にして果たしてどうなるかと不安に思っていたのだが、これはまったくそんなことはないどころか、これこそ爆音で見るべき映画であった。
『ヌーヴェル・ヴァーグ』『夜よ、こんにちは』『風の又三郎』とならぶレクチャー枠の3本は、今、映画を作ろうと思っている人は、とりあえず夕食を抜いても見ておかねばならないものとなっている。
映画における音の作り方を、根本から見直すいい機会となるだろう。
音がでかいだけが爆音上映ではないのだということをこれらは教えてくれるし、そのことによってそれまでの音へのこちらの感覚は確実に打ちのめされるはずだ。
とはいえ、『クリスタル・ボイジャー』を見てしまうと、とにかくいろんなことは全て忘れて、爆音はでかい音でなきゃ、と思ってしまう。
いやあ、こうでなくっちゃねえ(笑)。
もう、ニコニコが止まらず。
12日の試写で見られる人は幸福である。
このプリントも、デジタル信号がダメになってきているみたいで、無事にドルビー・デジタルで上映できるのは今回で最後になるかもしれない。
あー、もう、ずーっとサーフ映画ばかり上映していたいねえ・・・
・・・と、書いていたら、起きてきた猫が勝手に風呂場に行って遊んでいるうちに湯船の中に落ちて溺れる夜明けの大騒動となったのであった。
猫もサーフィンがしたかったのだろうか。
5月6日(火)
もうGWも終わりである。
一昨日は梅本家で久々の昼食会があり、この日だけは休日をたっぷり満喫した。
黒沢さんと中原との珍妙な対話に大笑いするが、何せ爆音調整明けだけに、梅本さんの手作り料理を食すほどに眠気だけが加速。
そして昨日はぼんやりしているともう夜で、爆音調整。
ボランティア上映作品の『A Bao A Qu』、『逃れがたし』『NOBNOBULUES』。
どれも爆音上映を意識して作られたという作品だけに、これまでの爆音調整と全く勝手が違った。
音の静かな部分と大きな部分との落差と、その音の出し方がやはり独特で、なんというか音を大きくするための触媒として私が入る必要がほとんどない形で作られているのである。
あとは出来る限りいい音にする、という調整。
ただ、これがなかなか難しかった。
通常の音響セットでの爆音上映用に作られた音がバウスの特殊な設備を通して爆音上映されるとき、これまでの感覚とは違う微妙な調整が必要とされたのである。
ただ、こういった調整ではっきりするのは、音の少ないシーンや小さな音をどれだけ繊細に作り込むかが、爆音上映のひとつの醍醐味であるということだ。
大きな音ではなく、小さな音の作り方次第で、映画の印象はガラッと変わる。
その意味では、デヴィッド・リンチの映画(今回の爆音映画祭では『ロスト・ハイウェイ』)や、爆音では未上映ではあるもののオリヴェイラの最近の作品の音作りが、非常に参考になるのではないかと思える。
また、昨日の3本の特徴は、特に『A Bao A Qu』と『逃れがたし』がそうだったのだが、参照する映画や参照する映画のジャンルがほとんどないところで映画を作っているところではないかと思えた。
製作者たちはどう思っているかは分からないのだが、例えば20年前の自主製作映画の作者たちに比べて「映画を作ってやろう」という意識がかなり違うものになっているのではないかと思えるのだ。
爆音仕様、ということでそんなふうに見えたのだろうか。
いずれにしても試行錯誤の末、調整が終了したのは深夜3時過ぎ。
というわけで本日もヘロヘロ。
しかし、爆音映画祭の夜の部のレクチャーとライヴのためのチラシを作らねばならぬ。
その準備をあれこれ。
事務所では大塚が、本日夕方からのタワー渋谷店でのイヴェントで配布するための仮チラシ作り。
タワー渋谷店7階書籍売り場での『作業日誌』発売記念の、スタジオボイス連載「月刊中原昌也」公開インタビューの様子は下のような感じ。
動画は、QuickTimeでは確実に見られるのだけど、WMPでは見られないかもしれません。
まあ、いずれにしても、こんな感じで、結構な盛り上がり。
立ち見の人も大勢出てしましまいましたが、充分楽しめたのではないでしょうか。
次は、29日(木)のジュンク堂池袋店です。
終了後、『作業日誌』の打ち上げ。
その席上で、タワーのイヴェントの時に配布した仮チラシの、6月3日の中原バースデイ・ライヴの日付が本当の誕生日の6月4日になっていたことが判明。
ううう。
6月4日ではなく、6月3日の8時スタートで、六本木スーパーデラックス、です!
中原昌也、ジム・オルーク、五木田智央の3名がそれぞれ組み合わせを変えた3バンドで順番に演奏、そしてスペシャル・ゲストとして湯浅湾が出演。
これが2000円(ドリンク別)、という破格の料金で見られます。
とはいうものの、いつも肝心な日付を間違うboidのチラシ(笑)。
もう、いっそのことboidのチラシの日付はまったくあてにならない、ということを一般化させた方がいいのではないかと発言したのだが、出席者からは大顰蹙を買う。
でもまあ、1日や2日間違えたって、来る人は来るし来ない人は来ない・・・・・と、思うのだが・・・。
ああ、それから、ようやくというかついにというか、月刊ヘアスタの2号目のジャケ画像が出来上がる。
これでギリギリ発売に間に合う。
中原画伯の、これまた極上のコラージュ画像。
本人は、「いい加減なものですよ」と言うのだが、それは本人の問題だからわたしは知らない、ということにしておく。
もちろん、もっと時間をかけてやれれば、というのはあるのかもしれないが、今回のシリーズはこういった「いい加減さ」も含めてのものでもある。
これが12枚揃うのは、かなり嬉しい。
5月3日(土)
昨日は夕方からバウス・スタッフと映画祭初日までのこちら側のスケジュール詳細その他を詰めるための会議。
それまでにやらねばならぬこと盛りだくさんで、結局やり残す。
会議での最大の問題は、やはりシークレット上映。
やるならこれ、という作品は決まったのだが、通常のやり方ではなく、フリー・スクリーニングにしたらどうかという提案が。
劇場の無料開放である。
無料上映ならどんな映画も上映できる、ということならやりたい作品は多数あるのだが、そう甘くはないだろうし、しかも、その枠を無料にしても大丈夫なくらいその他の作品が稼いでくれるかどうかはまったく分からず。
ただ、何とかやりたくもあり、結局またもや決定を持ち越す。
その後、バウスのサウンド・ミキサー&映写の小嶋氏を招いて大久保へ。
鶏鍋を囲みつつ、次第に酔っぱらい度が増していく。
しらふで酔っぱらい達に付き合うのは、本当にエネルギーが要る。
このところずっとこういう場所には顔を出さず、それでかろうじてなんとか健康を維持していたのだが、おかげで本日は、目覚めからグッタリであった。
グッタリしたまま家族と出かけた拝島は、なんとも言いがたく、時間の流れが狂っていた。
いかにも住宅地といった風情の建て売り住宅と、田園風景と、昔からの大地主の家と、完全に時間の流れから取り残された壊れた家屋とが、ただ単にそこに同居するばかり。
まあ、もうちょっとしたら清潔でこぎれいな町並みに変わってしまうのだろうが。
その後事務所にて、昨日のやり残しを。
しかしさらにやり残し、どうしたものかと思う間もなくバウスにて爆音調整。
二階堂和美とさや(テニスコーツ)のドキュメンタリー。
作品の構造はごく一般的な音楽ドキュメンタリーの形式で、2人のインタビューと演奏とが交互に積み重ねられていくスタイルだが、基本的にカメラのマイクのみで録音された音は、録音の場所によってかなり音質が違う。
最初はその違和が気になったのだが、音を調整していくうちに、次第にその違和が違和のままひとつの音にまとまり始める。
そしてそれが最後になって、「Harmony」になるという仕組み。
複数の和声が単数の和声になるというのではなく、あくまでも複数のままひとつの和声の中にまとまりつつ広がっていく、という感じ。
監督の元宮君も同席していて、音のばらつきをいたく気にしていたのだが、確かに一般的に見ればそれらはやはり「失敗」ということになるのだろうが、だがそのばらつきが、最終的に確かな手応えを残しているように思えた。
こういうのは絶対に、「プロ」の映画では有り得ない。
とはいうもののその次にやった『バンド・オン・ザ・ラン』もまた、「プロ」の映画にもかかわらず、音のばらつきも音質も、相当なものであった(笑)。
しかし、それもまた、サーフ映画の醍醐味。
今回の映画祭で初めて、爆音魂に火がつく。
可能な限りのでかい音にしてしまった。
ナレーションがきついと思われる方も出てくるかもしれない。
だがそれよりも、あのヴァン・モリソン「ウェイヴレングス」と大波のシンクロの迫力に、とりあえずこの映画を捧げることにした。
やはりサーフ映画は心躍るねえ。
この感じはいったい何だろう。
ある種のいい加減さというか、自分の力ではどうにもならないものに直面し続けている人たちのもつ大らかさみたいなものに惹かれるのかもしれない。
元々の音がそんなに良くないので、その部分も増幅されてしまってはいて、誰にもお勧めの爆音というわけにはいかないが、今回の映画祭を裏側から支える1本であることには間違いない。
その意味で、最も爆音らしい映画となっている。
それで結局、やはりどこかでまたサーフ特集を、という話になる。
5月1日(木)
事務所での作業の後、昼から調布のピース・ミュージックにて月刊ヘア・スタのマスタリング。
その後再び事務所に戻って作業をし、11時からはバウスにて爆音調整、というハードな1日。
マスタリングは、『Hard Märchen』の1曲目でまず、一気に視界が開ける。
誰のものでもない音楽がざわめきたち、それを聞くこちら側もどこでもない場所で誰でもないものになってしまう、そんな場所への回路を開く音になっている。
無理な願いなのだが、これをライヴでやれないかと、つい口走り、「そんなの出来ないですよ!」と中原に言われる。
だが結果的に、今回のアルバムは、「ライヴ」がキーワードになっているように思う。
いや、ライヴへの一歩を踏み出したアルバムというか。
これは単に演奏を人前でやるということではなくて、人前でやらないときこそのライヴ感も含めて人前で演奏する、というような、それ自体何かとオーヴァーラップした演奏、という意味での「ライヴ」。
今回の曲作りの最中、中原は「新しく使い始めた機材のせいなのか、結局どれも同じ音になってしまう」というようなことをしきりに語っていた。
これは我々がひとつのシステムの中で生きていく上で避けられない問題でもある。
そのシステムが洗練されればされるほど、こうやって我々の無意識が管理されていくとも言える。
結局ひとつの方向に向かわされてしまうそのシステムからふと身をずらすひとつの方法を、今回のアルバム作りの中で、中原は見つけ出したのではないだろうか。
まだ明確なものとして見えてはいないのかもしれないが、その音に残る「演奏者」の手の感覚、つまり、音を操作するつまみその他を動かす身体的な感触、そしてそれらが通常の楽器ではなくエレクトリックな機械を通した音として発せられるときの匿名感がミックスされ、システムの外側の風景がそこに展開されていく。
「ライヴ」というのは、もしかしてかろうじて残されているかもしれないそんな取り残された場所での演奏、というようなことなのだが・・・
中原と、スタジオのエンジニア、中村さんとの間で交わされた、今やほとんど使われなくなってしまったさまざまなエフェクターなどの機材話が、そんなことを思わせたのかもしれない。
深夜の爆音調整は『ロスト・ハイウェイ』。
これもまた、上記のような場所を目指しての疾走から始まる映画なのだが、中原の音に比べるとやや若作りというか、爆音上映としては十分過ぎるほど面白い音ではあるものの、やや人間ぽい。
音が狂っているのではなく、それを作った人間が狂っている、あるいは狂った音が好きな人間が作った音というような感触を得た。
音だけで言うなら『マルホランド・ドライブ』の方が、そこからさらに一歩抜け出した感じではないかと思う。
いや、若作りだからこそ面白い、とも言えるのだが。
いずれにしても、たっぷりと爆音の面白さは満喫できる。
しかし、パトリシア・アークエット、いいねえ・・・
調整終了後、シークレット作品のセレクション会議となるが、未だ結論出ず。
GWの関係で、そろそろ決定しないとプリントの手配が出来ないのだった。
『グリーンデイル』は3月で上映権が切れていたことが判明し、もしシークレット枠で上映しようとするなら、そのために権利をとらなくてはならず、そこで権利が取れるならいつでも権利は取れるので、ならばやりたいときにやれるわけで、敢えて今回やる必要はないかという結論。
というか多分、今から権利取得に動いても、間に合わない可能性があり、そうなったら本当に何も出来なくなってしまうので、それは避けねばならない。
しかし果たして何を上映するか・・・
未だ公開されない待望の1本があって、それの上映要請をしてみたのだが、残念ながら権利元から無視されてしまった。
まあ、いろんな事情があるはずなので、致し方なし。
そうそうそれから、青山ブックセンター本店での『中原昌也 作業日誌』フェアのためのサイン本があっという間に売り切れてしまったため、昨日だったか、中原がさらに10冊、追加のサインをしてきたのだそうだ。