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boid日記 2008年7月

text by 樋口泰人

7月31日(木)

本日はいろんなことがありすぎて、あまりここには書けず。
まずは信濃毎日新聞から「レディアサシン」の掲載お知らせで、次は、もう新聞にも発表された青山ブックセンター問題のお知らせ。
今回はまあ、営業をやめるわけではないので、boidとしては特に問題なし。
しかし、凄い負債額だねえ・・・
なんて事をしているうちに、北野武の新作「アキレスと亀」の試写に遅れそうになり、汗だくで試写室へ。
武よりサークだろうと思いつつも仕事の関係上、本日を逃すわけにはいかなかったのだ。
とにかく21世紀に生きる人には是非観てもらいたい映画だが、観てみるときっと「観るんじゃなかった」とだれもが思うような昭和の時代の呪いが、笑いの中に押し込められている。
だからこそ誰もが観るべき映画ではあると思う。

慌てて事務所に戻るとすでに中原が来ていて、8月発売の「30 Minute Panty People」のジャケ作りが始まっている。
今回はますますポップとユーモア全開。
12回終わったら、マジでジャケット展をやろうと思う。

気がつくと、「翼に賭ける命」に間に合わない時間。
どうにもならず。
しかもやり残した仕事満載。
その後湯浅さんがやってきて、秋に出す湯浅さんの本の打ち合わせ。
超豪華本になるのだが、とにかく値段設定と経費計算をまずはちゃんとやらねばという話になる。
その間に、妊娠・出産の知らせが2件と、急病で死にそうになったという知らせが1件、原稿の映画ネタが他の執筆者とかぶって私の分が全くなくなり更に土曜日に1本観なければならないという知らせ。

そして11時過ぎより、夕食を食す間もなく(とにかく無理矢理食しはした)バウスにて「デーモンラヴァー」爆音調整。
3年前にやっているのだが、その頃とはこちらの態勢も変わっているので、3年前のデータをベースにして諸々を確認していく。
結局、かなり音は変わったと思う。
そしてその音の変化とは関係なく、「デーモンラヴァー」自体の凄さにちょっと驚く。
これだけこちらがサーク態勢になって、新作をいくら観て戻れも物足りなく思えてしまうにもかかわらず、「デーモンラヴァー」は圧倒的に凄いと思えてしまうのは一体・・・
これまで何度も観てきているのだが、今回が一番グッと来た。
映画の持つ狂暴な何かがついに牙をむいたという感じなのである。
こちらの体調や3年間の変化の賜なのか。
よく分からない。
とにかく呆れるばかり。
3年前に観た方も、イメフォで観てしまった方も、あるいは初めての方も、とにかくこれを見て呆れて下さい。
しかも、パリの日本料理レストランでの主人公たちの地味な会話のシーンが本当にいいのだ。
単に会話を切り返しでとっているだけなんだけどねえ。
何だろうか、これは・・・

で、深夜3時近くに帰宅して、リニューアルしたboidページをじっくり確認すると、まだまだボロボロ・・・
週明けまでには直せるだろうか・・・
html で作っていれば、こちらでできちゃうから、こういう時もっと楽なんだけど。
いったん形が整えば、あとは楽になるはずだから、もう一踏ん張りなのであった。

こんな事で、明日の「悲しみは空の彼方に」には果たしてたどり着けるのか。

7月30日(水)

本日は朝から事務仕事があれこれあって、さすがに2日連続サークは無理かなと諦めていたのだが、あまりに仕事に身が入らず、バカみたいなミスを連発し続けるのでさすがに仕事は打ち切り。
『愛する時と死する時』を堪能。
いよいよこれからはすべて最後の上映、ということもあり、場内はほぼ満員。
ディレクターの荒木さんからも「いよいよ最後の上映に入ります」という挨拶もあり。
私はよく分かっていなかったのだが、そしておそらくみんな誤解しているはずなのだが、前売り券は前日まで売っているとのこと。
つまり、金曜日の上映の分の前売りは、木曜日中は販売。
さすがに最終日の金曜日は木曜日中に前売りを買いに行った方が楽かもしれない。
もちろん当日券も出すとのこと。
キャンセル待ち分はフリーパスの人の欠席者分がまわされるのだが、最終日は案外フリーパスの人は「混みそうだから」といって避けるのではないかと予想している。
したがってかなり混み合ったとしてもキャンセル待ちで入れるのではないか。

夜、帰宅してから原稿の関係で、某戦争絡みの映画を観ることになったのだが、これはもう、『愛する時と死する時』を観た後では、何とも言えずショボイものに見えてしまった。
アメリカのケーブルテレビ用のドラマ程度にしか見えないのは一体何が違うのか?
結局は全部が違うとしか言えないこの圧倒的な違い。
成立するかどうかはやってみなければ分からない「フィクション」というものをいかに強固に信じるか、そこに全人生を賭けた上で平気な顔をしていられるかという映画と向き合う姿勢と生きる狂暴さの違いといってしまっては身も蓋もないのだけど・・・
そういう意味では『ダージリン急行』とか『レディ・イン・ザ・ウォーター』とか、サークとは違うやり方だが同じ姿勢で映画と向き合っているように思える。
そういう新しい映画を観たい。
配給会社、宣伝会社は本来ならこの1週間は会社を休みにして、社員たちにサーク特集に通わせて、自分たちが今一体何を配給し、宣伝したらいいかをじっくりと考えさせるようなことをさせると良いのではないか。
そんなことも考えた。
でもまあ、世の中はまったく違うところで動いているからねえ・・・

7月29日(火)

製鉄所が燃えたりもの凄い雷雨があったり卒業生が元担任に3年前の恨みを晴らしたりと、何だかとんでもない1日。
そして私にとってはようやく、サーク初日である。
『天が許し給うすべて』と『いつも明日がある』の2本を心ゆくまで堪能。
もう、何も言うことなし、というか、とにかく絶望と希望の果てにスコンと投げ出されたような気分。
こんな顔↓をした子どもたちから、母親や父親が徹底してツブされる。

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Robert Gordon "Are You Gonna Be The One"

若者たちが未来を背負ったり、大人たちより柔軟だったり新しい考えを持っているなんて、そんなことは誰かが仕組んだ大きな嘘と罠に違いないと、これらを観ると思えてくる。
もちろんだからといって、大人たちが若者たちより柔軟だったりするわけではない。
もはや人類は全滅。
青山が、「サークVS人類」と書いたのは、まさにその通り。
恐るべし。
しかも面白い。
1日に2本映画を観たらもう目一杯な私が、これなら5本くらいは軽くいけると思うほどだ。
仕事はさぼるものだとあらためて思う。

しかも、「いつも明日がある」は、以前この日記にも書いたように、ユニバーサルスタジオの火災のおかげで(笑)、見事なニュープリント。
平日の昼間にもかかわらず300人収容の劇場がほとんど埋まるという状態ではあったが、もっともっと多くの人にこれを見てもらいたい。
プリントはすぐにアメリカに返さねばならないとのこと。
これを逃すともう2度と観られない。
こういう映画を文化村あたりでロードショーできないかねえ・・・
贅沢を言い出せばきりがないが、それくらいの無茶をいつも考えてないと。

いずれにしても、3月だったかに企画を聞いたときにはほぼ無理なんじゃないかと思われたこの特集を実現させたPFFの腕力に感謝。

それから、映画と同時に、是非、このインタビュー集も読んでいただけたらと思う。

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「サーク・オン・サーク」→

とにかく映画に負けず、壮絶且つ面白い。
更に映画が観たくなるはずである。

7月27日(日)

終日原稿に追われる。
サークにも行けず、しょんぼり。

気がつくともう今週末からは『レディ・アサシン』とオリヴィエ特集である。
今回の特集は、『レディ・アサシン』がDVDスルーで上映もされずに発売されてしまうという情報を聞いたところから始まっているので、相当無理矢理な企画である。
とにかくDVD発売元に電話をして上映権の有無を確かめ、権利料の交渉をしてバウスにお願い。
短期間での告知のため、それから宣伝予算などというものは皆無なため、上映自体の盛り上がり感を出してそれを宣伝にしてしまおうという思いと、再度『CLEAN』をという要望もあって1ヶ月の特集にしたのだった。
『CLEAN』は、テレビ放映権を持っていて字幕付きのビデオを持っているイマジカに連絡してみると何と7月で権利切れという状態。
厳密に言えば、権利切れと同時にマスターのビデオも破棄しなければならないはずで、慌ててイギリスの権利元に連絡して、こちらの事情と状況とを伝えて、権利切れ以降の8月でも何とかマスター・ビデオをと使用させてもらうことをOKしてもらった。
しかしその分、上映権利料は安くはない。
果たしてその分をカヴァーするだけの、多くの動員はあるだろうか。
不安にはなるが致し方なし。
そんな事情で、『CLEAN』を劇場で観ることは、今後限りなく不可能に近い。
イギリスの権利元に交渉すれば上映はできるので、最初の段階でチラシに入れておいた「最終上映」という文言は外したのだが、字幕問題が解決しない限りやはり本当に最終上映になってしまう。
というわけで、前回見逃した方、そして再度みたいと思われている方、今回ばかりは是非。

また、『レディ・アサシン』もテレビモニタで見るのとスクリーンで観るのとは本当に大違い。
音と編集との絶妙な関係を始め、とにかくこういった作品が大きな画面と大きな音で観られる喜びは何物にも代え難いと思う。
DVDが発売されるからいいやと思わず、物は試し、とにかく一度バウスまでお出かけいただけたらと思う。
まあ、原稿が書けずサークに行けなかった人間にそんなこと言われてもあまり実感が湧かないかもしれないが、それはそれ、これはこれ。
実は、本来なら昨日からスタートさせることができたこの特集だったのだが、サーク特集に通う人たちのことも考えて、無理矢理1週ずらしたのだった。
昨日から始めて、最初の上映を『CLEAN』にしておけば、交渉もそんなに面倒ではなかったはずなのだが。
とにかく、できる限りの誠意と無理矢理とを注ぎ込んでの8月の4週間である。

7月26日(土)

そろそろいくら何でもサーク特集へ、とは思うものの子供との約束で渋谷を通り過ぎ大井町経由でしながわ水族館へ。
夏休みの宿題のためにどうしても行っておかねばならないのだった。
しかしまあこの暑さじゃあ、たどり着くまでにへこたれてしまうのだが、館内も、区の施設のため他の役所と同じ温度設定なのだろう、相当熱気がこもり、さすがに夏休み最初の土曜日ということもあってそこそこの人出だから余計に暑さが増しているようにも感じられ、汗だく。
でもまあ、これらのものを観てしまうと、まあ、それなりにニヤニヤしてしまうのだった。

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とはいえすっかり疲れ切って帰宅。
夜は、12月に公開予定の「The Heart of the Game」というハイスクールの女子バスケット部のドキュメンタリーを観る。
boidで宣伝ではなく、チラシやポスターなどを作るのであった。
配給が、サーフィン映画をメインにしているグラッシィということもあってか、全体の感触はサーフィン映画を観たときと全く同じ。
そのままフィクションになってしまいそうな、逆に言うと取材対象者たちのその後がどうなってしまってもOKな、クールな距離感とともに作られていて、これはまあ、バスケット好きなら熱くなること間違いなしという作品になっていた。
うちの娘もバスケ部で、とうとう中学3年間で練習試合・公式試合通して1勝もできずに終わったという弱小チームなのだが、学校側がこの映画のコーチの10000分の1でも何かをやろうとしてくれたら、大きく状況は違ったのにと思うばかり。
公立中学の事なかれ主義教師たちの「逃げ」のツケは、すべて子どもたちに回ってくるのだった。
というようなことを思わせるシンプル且つストレートな映画なので、教育に携わる方たちには是非一度見ていただきたいのであった。
日本バスケットボール協会も分裂騒ぎをしている場合じゃないと思うんだけどねえ。
まあ、いろんな利権が絡んでいるのだろうけど・・・

7月25日(金)

昼の打ち合わせで、今年後半のboidの思わぬ展開が。
まだ決定ではなく、また、決定したとしてもこの日記を読むほとんどの方にはまったく関係ないところでことが進んでいくはずのもので、だからこそ思わぬ展開なのだが、この路線もまたたまには良いのではないかと思える。
うまくいくと、来年の展望も見えてくるのだが。
まあ、そんな世の中甘くはないだろうけどねえ。

午後、ようやく、ショーン・ペンの『イントゥ・ザ・ワイルド』。
約2時間30分という長さに驚いたのだが、確かにこの長さが必要というか、「時間」の粒子の輪郭が崩れながら広がりだしてしまったような映画なので、普通時間の「2時間30分」という長さの基準があてはまらないような作られ方をしていた。
何なのだろうか。
主人公と関わるあらゆる人がすべて、そうなるかもしれなかった主人公のその後の姿として見えてくる。
個体としての輪郭の崩れ方と時間の輪郭の崩れ方のバランスが絶妙なのかもしれない。
エリック・ゴーティエの撮影がそう思わせるのだろうか。
ちょうど本日送られてきた雑誌「真夜中」(リトルモア)に蓮實・黒沢・青山鼎談が掲載されていて、その中で「ショット」についての話がかなりの長さで語られているのだが、ゴーティエのカメラは、まさにその画面が「ショット」となろうとした瞬間その脇に逃げてしまうような、あるいは「ショット」からこぼれ落ちてしまうもののみを追いかけていくようなスタンスで、主人公が入っていこうとする野性の世界を我々に伝えてくれる。
この映画のあとに、オリヴィエの「夏時間」を撮ったんだよねえ。
何かもう一度「夏時間」を観たくなってしまったのだが、そのうちまた、日仏でやってくれるだろうか。

『イントゥ・ザ・ワイルド』の方は、個体や時間の輪郭だけではなく、フィクションとしての物語の輪郭もまたグズグズになって気がつくとこれは本当に本気で俳優がやっているのではないか、ほとんど冗談で撮影した部分まで入れてしまったのではないかと思えるような、フィクション=ドキュメンタリーともなっていた。
主演のエミール・ハーシュは、この映画の後はしばらく腑抜けのようになっているんじゃないだろうか。

ただ、物語自体には、あまりのめり込めなかった。
というか、もはや物語などそっちのけの場所に時々映画が暴走する、そんなところにドキドキした。
音響に関しては、まるでスタジオで撮影した映画のような、必要な音しか入っていない部分と、逆にドキュメンタリー映画のような現場の生音を強調している(かにみせている)部分とが混在していて、不思議なバランスを作り出していた。
別の場所で観たら、かなり違った印象を持つのではないか。
本日の試写会場の音を私はまったく信用していないので、時間を観て、9月にはシャンテに行ってみようかと思う。

帰宅後、ようやく本日最初のまともな食事。
考えてみれば今週は、ほぼ全日、夕食しかまともに食っていない。
この時間の使い方のまずさを何とかしなければ。

その後、送られてきていた9月17日発売のZAZEN BOYSの4枚目のアルバムを堪能。
偶然観たアメリカ映画の主人公がカーステレオで聴き始めた音楽として使われていたりしたら滅茶苦茶はまるのではないか、私が音楽監修を仕事にしていたら、そういうときのためのストックとして常に持っておきたい1枚となるだろうと、変な妄想を膨らませながら聴いていた。
個人的には、アナログ・シンセみたいな太い電子音がお気に入りである。

7月24日(木)

本日はいよいよ月刊ヘア・スタ4号「Electric Success in the Ghetto」のパッケージが完成。
ジャケットの怪しさが増す。
思わずジャケ買いとかしてくれる人はいないだろうか。

夕方からはジュンク堂にて恒例の12枚のアルバム。
今回も中原ダブルブッキングにて、前倒しの6時30分から。
スーパーデラックスでのリハを終えた中原も無事到着。
今回のゲストは三田格さん。
三田さんは、ちょっと前に中原がリミックスした赤塚不二夫トリビュート・アルバムの監修もやっていて、まずはその話題から。
そして三田さんの持ってきたノイズ系の一押しCDをネタに、三田さんの好むノイズと中原の好むノイズの違い、そして、いろんな工場の側に住んできた三田さんの思い出話。
チョコレート工場の側にはすむものではない、という結論に。

それから中原の持ってきた、今やどこでも手に入らないに違いない、80年ドイツの超前衛(笑)バンドのレコード。
三田さんの絶句ぶりが、大いにウケる。
いや、まあ、これは絶句するよなあ。
でもこのとんでもないユーモア(笑)が、今の中原の音の中に確かに入っているという三田さんの指摘は正しい。
この12枚のアルバム・トーク・セッションもまた、こういった絶句をユーモアに変えていく試みだと言えなくもないのである。

終了後、中原たちはライヴのためにスーパーデラックスへ、我々はバウスへと向かい、本日は「冷たい水」爆音調整。
以前の日記で、YouTubeにアップされていた「冷たい水」の一部を紹介したので、この日記を読んだ片には何となく雰囲気は感じてもらえていると思うのだが、とにかくまあ、何度でも観たくなる映画。
映画を作ることはこんなに自由なのだと教えてくれる。
オリヴィエの映画が嫌いでも、フランス映画がいけ好かなくても、これから映画を作ろうと思っていたり、現在映画作りに関わっている人なら、絶対観て欲しい映画。
それまで自分が囚われていた「映画」という枠組みを、すっかり解きほぐしてくれる。
見ているうちにこちらの心をいろんなしがらみから解き放ってくれると共に、しがらみに囚われることもまたあっても良いのだとも思わせてくれる。

黒沢さんがジョン・カーペンターの映画について、「映画はこれくらいで良いのだと教えてくれる」というような発言をするのを何度か聞いたことがあるのだが、この映画もまた、カーペンターとは違う形で、「映画はこれで良いのだ」と教えてくれる。
何かを解きほぐしてくれるのである。
その意味で、とにかく映画に関わっている人は、何があっても是非。
映画に関わっていなくても、とにかくこれを観たら、たき火をしてそこに椅子を放り投げて窓ガラスを割りたくなるはず。

というわけで帰宅してからまた、CCR「コスモス・ファクトリー」を聴いてしまった。

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Cosmo's Factory →

そういえば映画の最初の方で主人公たちがレコードを万引きするシーンがあって、ディープ・パープルの「マシン・ヘッド」をはじめ10枚くらいがゴソッと抜き取られるとき、CCRの「ヨーロッパ・ライヴ」の前までで、「ヨーロッパ・ライヴ」は棚に残されるのだった。
まあ、ただ、それだけのことなんだけど。

しかし、終了後にバウスの若手スタッフも言っていたのだが、オリヴィエの映画は本当に爆音にフィットするねえ。
本人がこの上映を聴いたらどう思うだろうか。

7月23日(水)

某誌の書評原稿のために、このところずっと蓮實さんの『映画崩壊前夜』を読んでいた。

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映画崩壊前夜 →

相変わらず本を読むのは本当に苦手で全然先に進まなかったのだが、ちょうど100ページをすぎた辺りに置かれているちょっと変わった文章が気になって、結局そのことについて書評は書いてしまったのだが、一体あれはどんな理由からこの本に収録されたのだろうか?
そのことの真意は編集者かあるいは蓮實さんに直接尋ねれば分かるのかもしれないのだが、敢えてこちらの思い込みだけで書評は書かせてもらった。
だって、ほぼ全てが21世紀に入ってからの時評で成り立っているこの本の中で、それだけ1970年に書かれたものだからねえ。
最初、初出の年代を見落としていて、私はこれが一番最近に書かれたものだとばかり思ってしまったのだった。
これまでの記憶の堆積量が増えすぎて、現在にあふれ出してしまったような文章のように思えたからだ。
歳をとっていくとはこういう事なのか、ついに蓮實さんもこんな風な文章を書くようになったのかと不思議な感慨を覚えたのである。
しかしそれこそが、おそらく私がこれまで読んだ蓮實さんの文章の中で最も早い時期に書かれたものなのであった。
それだけでも愕然としたのに加え、本当に他の文章とは全くかけ離れてこれだけがポツンとここにあるのである。
これについて、もう何処かでインタビューなど成されているのかもしれない。
これだけ歴然と際だっていれば誰だってこの文章について尋ねたくなるだろうから。
いやほんと、不思議な構成になっている本であった。

7月22日(火)

昨夜、寝るのに失敗して、思い切り眠いまま、しかし昼頃の出社。
もう、やたらと、効率悪し。
というか、大人のやることじゃない。
でもまあ、こういう事がちゃんとできていたら今頃こんなことしていない。
そんなことで開き直っても何の慰めにもならないのだが・・・

午後から、廣瀬と青山がやってきて、11月にパリで行われる青山のレトロスペクティヴのカタログのためのインタビューを延々。
映画をめぐる話ではなく、青山がどんなふうに映画を観てきたか、どんなふうに映画と関わってきたかという話がメイン。
結果的にどんなものになるのか、フランス語でしか読めないのが残念。
廣瀬が日本語訳をboid.netに掲載してくれると助かると思うものの、公的な資金で動いている企画だから、簡単には掲載できないのだろうが。

で、そのインタビューを行っている間に、某所から思わぬ知らせあり。
こういう思わぬ良い知らせというのは、本当にあるんだねえ。
まあ、それをちゃんとboidのためにも活かさねばと思うばかり。
夜はちょっとしたお祝いのため、とにかく急いで帰って寝ようという目論見は外れるが、まあ、それはそれで良し。

7月20日(日)

土曜日のオールナイトは、毛皮のマリーズの頑張りのおかげで救われた。
動員面ではかなり物足りなかったものの、そして、映画館での「ロックバンド」の演奏というやりにくさにもかかわらず、タイトでエッジが効いた演奏。
70年代末から80年初頭くらいのRCサクセションがこんな感じだったなあと思い出した。
やっている曲のジャンルは少し違うが、コドモの頃憧れた外国の曲を今自分たちがやっているという、憧れと現実がそのステージで見事に一致している面白さというか。
さまざまな音楽を聞き続けてきた者からすれば、「オリジナルを聴いた方がいい」という言い方をされてしまうのかもしれないが、実際、RCの時もそんな声が聞かれたのだが、そういうものではない。
こういう音楽は必要なのだ。

一夜明けるともう、すっかり疲れ果てて、本日は、こんな感じ↓

river.jpg
Terry Reid "RIVER" →

テリー・リードの73年のアルバム。
『宇宙の柳~』で直枝さんは、このアルバムについて、「ニール・ヤング『渚にて』が延々つづく感じ」(214ページ)と書いているが、本当にその持続感は凄すぎ。
特別長い曲があるわけでもないのに。
ティム・バックリィのライヴなどでもこういった持続感を聴くことができるのだが、こちらはスタジオ録音だから、一体どうやってどこからこういう「空気」を持ち込めたのかと思う。
今回の特集では上映しない、オリヴィエの新作「夏時間」にも、こういった持続感が流れている。
あちらで最後に流れるのは、イクレディブル・ストリングス・バンドだが。

7月18日(金)

爆音調整の翌日は、大抵仕事にならない。
昼過ぎに東京芸大の森永君(爆音映画祭でも上映した『A Bao A Que』の音響もやっている)がやってきて、完成したCDの話。
世界の各所でフィールド録音した音源を元に作られた70分ほど。
風景の中の音から音の風景を作り出しそれを聴く者の視覚へとフィードバックする、という回路の中にあるアルバムだが、では果たして、これまで数多く作られてきたサウンドスケープと呼ばれる音楽とどこが違うのか、同じなのか?
具体的なことはよく分からないのだが、通して聴いてみると、収録地の風景の中にいる収録者(森永君)の物語が、かなり具体的に語られているように感じた。
だから逆に、これをまた別の物語の中に入れてしまうと面白くなるのでは、という気がした。
つまり、まったく別に作られた映画の、もうひとつのサウンドトラックとしてその映画全編に、微かに入れ込んでしまうようなやり方なのだが。

その後、デザイナーの河村くん、京都帰りの中原がやってきて、もうすぐ受付を開始する『Wild Hair Style』Tシャツの打ち合わせ&雑談。
Tシャツは結局、税抜き3800円(税込3990円)での発売。
月刊へア・スタの年間予約者は1000円引きという超お得価格にて販売することに。
すでに皆さんお気づきのように、まあ、あのグラフィティ無しにはあり得ないものになっておりますが、まさにこれはヘア・スタイリスティックスのためにこそあったのだと思われるものになっています。

帰宅後は、ゲイリー・ウィルソンのDVDを。

g_wilson.jpg
you think you really know me →

一体日本でどれだけの人がゲイリー・ウィルソンを聴いているのかよく分からないのだが、まさにワールド・ワイドなアングラ、というか、何かに対するコンプレックスから出発しているのではない、真のアングラ。
前向きで明るい音と映像が、いつもこちらの足下を照らし出してくれる。
何処かで何かが狂っていれば、ポール・マッカートニーみたいになっていたに違いないとさえ思う。
77年にリリースした同タイトルのアルバムもついていて2000円代で買えるのは、滅茶苦茶お得である。

7月17日(木)

あっという間に1週間が経ち、あっという間に1日が終わる。
本日は、猫のウンコ騒動から1日が始まる。
昨日の『TOKYO』のカラックス編が「メルド」というタイトルで、それに続くポン・ジュノ編の冒頭が主人公のトイレシーンで、「いやあ、糞繋がりですねえ」とか言って笑っていたのがいけなかったのか。
とにかく、私の部屋の中でしっかりとウンコをやられてしまったのであった。
この暑さでしかも湿気たっぷりの空気だから、もう、それはたまりません。
最近、機嫌が悪いんだよねえ・・・
いよいよ大人になりつつあり、いろんなことが分かってきたので、ちょっとこちらが相手にしないとみると、何かしら悪さをやらかす姫様なのであった。

本当は、猫のウンコもその臭さも顧みずバリバリと働かないとどうしようもないスケジュールだったのだが、まあそうも言っておれず成り行きに任せてしまったので、本日は大幅にやり残しあり。
ハイファッション、それからディスクユニオンとの打ち合わせができたのが救いか。

夜は、爆音調整『レディ・アサシン』。
これはもう、テレビのモニタで見るのと大違い。
ただひたすら滅茶苦茶面白い。
空間のいろんなノイズをしっかり拾った上で音響を作りあげているので、それを増幅させると当然、空間もドーンと広がる。
こちらも主人公と同様、全く見知らぬ場所でたったひとり見捨てられてしまった気分になる。
しかも主人公たちの危うい会話が交わされるシーンでは、アーシア・アルジェントの手に持ったグラスの氷がぶつかり合ってカチンという冴えた音を出す。
この音をしっかり拾って世界の中にさりげなく置く繊細な音作り。
ああ、こういう監督に巡り会えて本当に良かったと思える一瞬である。
字幕も読まずにひたすら画面を見続け、この音を聴き続けたいと思った。

ちょっと幸せな気分で家に帰ると、再び猫の襲撃にあったのであった。

7月16日(水)

一日の始めに何をやったか、俄には思い出せない。
そんな日が続いている。
ダラダラのグズグズではあるが、気がつくと相変わらず公私ともにいやになるくらい忙しく、呆れる。
しかも元気なわけではないので、できるだけ時間をとって寝るようにしているため、起きている時間は更に慌ただしくなる。
各所への連絡が遅れてしまったり、緊急の用事でないところには返事を出さなかったりしている。
お許しを。

本日は、午後からようやく『TOKYO』を見た。
カラックス、ミシェル・ゴンドリー、ポン・ジュノが東京を舞台に作った3本の中編の合体作品。
滅茶苦茶混み合っているので驚く。
まあ、そろそろ試写も終わりに近く、そんな頃になってのこのこ出かけていく方が悪いのだが。
隣の席に座った人が時々腕をぶるんとふるわせたり、腕時計をチェックしながら何度もアラームを鳴らしてみたりという謎の行動に気をとられつつの約2時間であった。
同じ試写を見ていた冨永は、東京での撮影でこれだけのことができるのは凄いとしきりに感心していた。
確かに、おそらく日本人監督だと何処かで遠慮してしまうようなことまで、スタッフには無茶な要求が告げられ、試行錯誤の果てに何とかその要求を満たしていったに違いない。
その意味では日本映画ではなかなか見られない東京が映っていたのだが、不思議なことにどれも、外国人が見た東京ではなかった。
まあ、カラックスのものは、どこで撮ったってカラックスの映画になるわけだから映画自体が予め無国籍であるにしても、とにかくこれができるなら、海外の監督たちにはどんどんと日本にやってきて映画を作って欲しいものであると思った。
日本のスタッフたちは本当に大変だろうが、しかしやればできる無茶はやった方がいい。
驚いたのは、ポン・ジュノの作品の某シーンは、冨永の亀虫シリーズの某シーンの編集と構成が全く同じだったことだ。
日本の若き才能が数年前に示してくれたことを世界の才能が今ここでそれを洗練させていると思えばいいのか、才能はこうやって消費されるのだと思えばいいのか。
いずれにしても冨永のビデオ作品を、今、再びまとめて見てみると面白いはずだ。

その後、試写室そばの某カフェにて、9月にやるかもしれないサーフ映画特集に向けての打ち合わせ。
爆音のサーフ特集は、爆音の音楽映画と同様、動員は寂しくてさすがにもう、簡単にはやる気にはなれないのだが、今回は少しなんとかなりそうな可能性もあり、可能性がある以上やり続けるのがサーフ魂(笑)。

で、いったん事務所に戻って各所に連絡をすませ、『フェスティバル・エクスプレス』の終わり時間にあわせてバウスへ。
某レコード店の店主が来場するとのことで、今後のチラシ広告の話をすることになっていたはずなのだが、現れず。
せっかくなので、バウス武川君とサーフ特集、及び10月の『殺しのはらわた』上映に関する打ち合わせ。
この1,2週でいろんなことが決まっていくはずだ。

というわけで慌ただしく一日が終わり、とぼとぼと歩いていると、前方から何処かで見た姿。
キャロサンプ野田君であった。
なんと、我が家のすぐ近所に、もう半年前から引っ越してきたのであった。
すでに深夜ではあったのだが、そのまま野田君の家にお邪魔してあれこれ世間話。
相変わらず様々な活動をしつつ、私生活を含めた責任をしっかり受け入れていこうとしている野田君の姿勢に、思わず我が身を振り返る。
野田君は大友さんの山口での大イヴェントのスタッフとしても参加していて、その様子などを尋ねつつ、9月くらいには山口に行くつもりになる。
ただ、boidの事情が許してくれるか・・・

帰宅後、その9月のサーフ特集のメインの作品となる『ダウン・ザ・バレル』を見る。
これが、面白いのだ!
台詞とナレーションが多いので果たして爆音の効果がどれだけ出るかは謎だが、まあそれでもOK、という気分になる。
これまで爆音で上映してきたライフ・スタイルとしてのサーフィンや波を追い続けるサーファーたちのドキュメンタリーと違って、これは「競技」としてのサーフィンを中心に、プロ・サーファーたちのコメントを繋いでいく、どちらかというとスポーツ・ドキュメンタリーに近いものだが、サーフィンという競技やその技術に対する彼らの話は、さまざまな局面で、それぞれの生き方へと広がっていく。
その意味では、ライフ・スタイルとしてのサーフィン映画ではあるのだが、ただあくまでも「競技」というフィクションを通してのものだから、逆に風通しが良いのだ。
サーフィン好きの人が見たら、もう、そのまま仕事辞めて海に出たくなっちゃうだろうねえ。
『ドッグタウン&Z-Boys』がサーフィンの裏面をも示しているとしたら、こちらは堂々と表面だけで勝負、といったところ。
裏面の支え無しで広がっていくところが良いのだ。
9月半ば、上映できたら是非。

7月14日(月)

しかしこの湿気はどうにかならぬものか。
あまりのむしむし感に朝6時前に目が覚めて、あとはグダグダ。
どうしようもないので、ひんやりシーとなる物を買うことを決意。
そこそこの値段がするので、全然役に立たなかったらどうしようとも思うのだが、とりあえず何もしないよりマシ。

本日は午後から本願寺へ。
お盆のための参拝、ではなく、8月23日に行われる「本願寺LIVE 他力本願でいこう! 2008」という年に一度の本願寺の音楽イヴェントに中原が参加するため、代理人として打ち合わせに行ったのである。
私はそのイヴェントについて全く理解していなかったのだが、どうやら1000人くらいは収容能力のあるあの本堂を使ってのイヴェントで、音楽だけではなく、法話、法要もついた半日がかりのもの。
しかし本当にあんなでかい本堂で、ヘア・スタの音を出してしまっても良いのかと何度か尋ねたのだが、それを承知でお願いしているとのこと。
しかも、知る人ぞ知る本堂内のパイプオルガンを使ってのパフォーマンスを、という依頼。
詳細は下記URLにて近々アップされるはず。
 http://hongwanji-shutoken.net/live2008/

入場は無料なのでどんなことになっているか、どんな音が出てくるのか、覗きに来てみて下さい。

しかし中原は、22日に京都でオールナイトのイヴェントに参加して朝一で帰京し本願寺。
boidスタッフは本願寺に参加して、引き続きバウスにてオールナイト。
過酷な8月下旬である。
おそらく最も過酷なのは、両日のドライヴァーとして予定されている鈴木淳哉で、彼は現在函館にて某映画のスチールを撮り続けつつ人恋しくて泣いているという話なのだが、8月にこんなことが勝手に決められているとは思いもしないだろう。

その後、映画美学校試写室にて『コドモのコドモ』。
小学校5年生の女子が妊娠・出産してしまうという物語。
現在の学校教育の問題や家庭問題、地方自治の問題など現代社会が抱える問題をふんだんに盛り込んだ上で、それをいかにフィクションとして作りあげるかがこの映画の使命でもあったはずだ。
最初はさまざまな状況設定を丁寧にみせながら、中盤辺りで一気に「フィクション」へと飛躍。
一瞬、『レディ・イン・ザ・ウォーター』を思い起こさせる。
登場人物たちそれぞれに「役割」があり、それらをそれぞれがいかに全うしていくか。
演劇的な閉じられた世界を作りあげることによって、子どもたちだけの出産というあり得ない事件を正当化させようという構成である。
しかしもちろん、いったんその役割を引き受けてしまった以上もはや後戻りはできない、この閉じられた世界には舞台裏はない、ということをはっきり示すことができるかどうかがポイントとなる。
この映画の中で頻出する「責任」という言葉がそこで問題になってくるのだが、非常にシリアスな物語にもかかわらず何処か楽天的に見えるこの映画が語るのは、いい意味で「責任」を回避しつつ新たな道を切り開く「無責任=責任」とも呼べるような立場がある、というようなことではないかと思われた。

ただ、親の立場としては、コドモと老人を主人公とするのはずるい、とも思えた。
あるいは、それくらい世の親たちは何かを放棄してしまっていると、訴えているのだろうか。
いや、放棄してしまっていても良い、放棄した親の実際に活きてきた時間=歴史=物語を、もう少しみせて欲しかった。
逆に言えば、その意味でも、多くの親たちに見てもらいたい映画でもある。
この映画を見ることで、それぞれの親が個別の物語を語り始めるとしたら、それこそが何かの始まりのようにも思える。

7月12日(土)

まずは、4号目のジャケット。
下記のような感じになった。

 

こうやってみると一体何を考えているんだか、というところであるが、製作時はやたらと盛り上がったのであった。
裏ジャケの、一見おしゃれ風なロケーションは、まあ、分かる人にはすぐ分かるように、boid事務所の窓際で、雑誌その他のイメージ写真なんて簡単にでっち上げられるなあ、というところ。
音の方もジャケットに負けずギンギンなので、お楽しみに。
7月31日発売である。

本日は暑さの中、昼まで爆睡。
結局なんだかんだ言いながら全然休めてなかったのでやはり疲れがたまっていたのだろう。
その後、ボーッとしながら、家の網戸の張り替え作業。
さすがに10年住んでいると網戸もボロボロになる。
これをすべて業者に頼むと相当な金額になるため、素人日曜大工となるのであった。
しかしまあ、凄い雷で呆れる。
高円寺・中野方面は雨は降らず突風と雷のみ。
あとからニュースを見たら、都心方面はもの凄いことになっていたみたいだ。
いずれにしても、雷嫌いな私は(静電気アレルギー、という病名があればそれなのだが)、ヒヤヒヤものの午後であった。
そしてそのせいもあってか体調は今ひとつで、更に猫と一緒に汗まみれになって寝る。
そんなグダグダの中、網戸作業は半分ほど終了。

夜はバウス。
ジミヘン初日。
今回の音楽ものは、映画祭のあとということもあって、あまり手をかけず、爆音でジミヘンやフーをやってるからちょっと見に行ってみるか、というような感覚で適当に立ち寄って適当に見て欲しい、という普通爆音のスタンスを今後のためにも作っていこうという試みであったのだが、さすがにそれだけだとそうは簡単に人は集まらないねえ。
本日の動員の倍くらいの動員があると大成功なのだが。
ブリブリの良い音が出ております。
ジミヘンはあと2日、その後は、キャンド・ヒート、フーなどなど。
フラッと寄ってみて下さい。

その後、デザイナーの河村くんと、ヘアスタTシャツの打ち合わせ。
この数日間ですべてをこなし、今度の週末からは予約開始予定。
すべて手刷りで、つまり1枚1枚が完全にオリジナル、単なるTシャツではなく、中原の作品を着る、という感覚で買ってもらおうという話になる。
時には、中原自身の手刷り&サイン入り、という目論見も。
当然、年間予約者には格安料金、及び、サインもという大サービス付きとなるはず。
料金は、通常価格3900円予定。
どうやって販売するかは、この数日で決定。
つまり、来週もまた、私はハードな日々が続くということでもあるのだった。

7月11日(金)

ヘアスタ・ジャケットを本日も事務所に忘れる。
全く意味のない引っ張りになってしまった。
うーむ。

中原からはさらに、Tシャツのアイディアが。
8月中になんとかなると思うのだが、ヘアスタTシャツ第2弾で、今度は完全中原デザインのものをお届けできると思う。
月刊ヘアスタの第6弾発売記念、つまりついに半分まで到達記念Tシャツである。

夕方、篠崎がやってきて、10月にバウスでレイトショーする『殺しのはらわた』上映に関する打ち合わせ。
『殺しのはらわた』自体は30分と短いので、それを良いことに、8ミリ時代の作品も同時上映しようというような話になる。
秘蔵のゾンビものとか、留守番ビデオのオリジナル版とか。
あるいは、オールナイトにて、めったに見られることのない『浅草キッド』その他のテレビ用の作品も上映できないか、など。
『浅草キッド』の編集を我が家で延々とやっていたのは、もう10年くらい前だろうかと思って調べてみたら、02年の製作となっているので、6年前。
随分時間が経ってしまったように感じていたのだが・・・

7月10日(木)

昨日、中原からパナソニックのプロジェクターのランプがついに切れてしまったので交換用のランプを手に入れて欲しいという連絡が来て、あれこれ探していたのだが、ネット上をあれこれ調べてみてもすぐに手にはいるところはなくてメーカーへの注文になってしまうので、どうしても時間がかかる。
仕方がないのでその中のひとつの店舗に注文を出しておいたところ、本日連絡が来て、メーカーでも品切れで再生産の目処が立っていないとのこと。
製造中止ではなく、ある程度の注文が来たところで生産するようなのだ。
まあ確かにそれは製造側はそうしなければやっていけないのだろうが、20万くらいの金を出してプロジェクターを買った方からすれば、ランプが切れたら取り替えられないような物は売るな、ということである。
せめて買うときにそういうことを説明し、交換用のランプを必ず1点は附属しておくとか、それくらいの配慮は必要だろう。
まあもちろん、ランプの耐用年数からいって、通常の使用なら、ランプとプロジェクターと大体同じ時期にガタがくることを見込んでこういう事になっているのは分かるが、世の中には、あんたたちの考える「通常の使用」とは違う使い方をする人間もいるのである。
しかもそういう人間こそ仕事で使ってもいるから、ランプが切れたときの急ぎの交換は必至であるのだ。
いずれにしてもハードメーカーの思惑が、我々の知らないところで世界のシステムを作りあげてしまっているのだろう。

ランプの方は、ネット上を探し、電話をかけ、ようやく在庫のある店舗を見つけて注文。
とりあえずの解決はついた。
もちろんそれは、何の解決にもならない。

本日は、月末発売の月刊ヘアスタ4号「Electric Success in the Ghetto」のジャケ作り。
今日中に作ればギリギリ間に合うという綱渡り。
テーマは「怒り」だったのだが・・・(笑)。
今、手許に画像がなくて見せられないのが残念。
明日の日記をお楽しみに。

その後、バウスにて某紙の爆音取材を受け、そして音調整。
本日は、『フェスティバル・エクスプレス』と『ビー・ヒア・トゥ・ラヴ・ミー』。
『フェスティバル』の方は、最初見たときも思ったのだが、やはりジャニスのための映画。
男たちが、酒とドラッグでヘロヘロで演奏もそこそこなのに対し(バディ・ガイを除く)、ジャニスだけはますます生き生きとしてその歌声だけで世界わしづかみにする感じ。
アップばかりの映像なのも、カメラマンが彼女にどれだけ引きつけられたかの証でもあるだろう。
このツアーのジャニスだけのライヴ映画を見たくなったが、ただおそらく、背景に沈むダメダメな男たちの姿と共にこれを見るからいいのだろう。

そしてタウンズ・ヴァン・ザントの方は、特に爆音でなくてもOKな作品でもあるので音はすぐに決まり、音だけの調整ならそれでお終いにしても良かったのだが、やはりこれを見始めると途中で終われないんだよねえ。
「ビー・ヒア・トゥ・ラヴ・ミー」と言ってしまう男の弱さとずるさとを生んだ世界の空気がじんわりと伝わってきて、とにかくこれは最期まで見届けなければと思わされてしまうのである。
見るのはこれで、、3度目なんだけど。

というわけで、終了の時間がだいぶ遅くなり、皆さんヘロヘロ。
もう、今週末からは爆音週間が始まる。
とはいえ私は、果たして初日にバウスに顔を出せるだろうか、という事情も抱えているのであった。

7月7日(月)

いやあ、お騒がせしました。
といっても、何のことか分からない人も多数いるかもしれない。
実は、本日午後から夜12時くらいまで、リニューアル作業途中のboidページが公開されてしまったのであった。

夕方気がついたときは、あと少しなのでこのまま公開しながら修正すればいいかと思っていたのだが、やはりトップページがやりかけ、というのは良くないよねえ。
というわけで、元戻し。

数日後には完成版にてリニューアルである。
何も告知せずいきなりリニューアルして、「いやあ、boidも会社っぽくなったねえ」と言われたかったんだけどねえ。

本日は午後から青山がフランスで作った30分の短篇の試写。
日仏学院に向かう途中、この短篇はフランスを舞台にしたフランス語の映画なのだということをあらためて思い出す。
つまり、フランス語を解さない私には字幕がないと物語の詳細は分からぬまま、ということになる。
まあ、字幕があろうがなかろうが印象は変わらないのだが。

日仏学院にようやくたどり着くと(例によって苦手な市ヶ谷方面で実はあれこれあったのだが、秘密)、関係者勢揃い中。
黒沢さんの奥さん、弘美さんも元気になって出動している。
いやあ、良かった。
この映画が完成したこともめでたいが、弘美さんがこうやってみんなの前に出て来られるほど回復したというのも更にめでたい。

映画は、言葉が分からずこちらも日本語の規制から外れたためか、青山作品の中で最も自由で解放感のある映画になっているように思えた。
なーんだ、もうこれからずっと海外で撮ればいいじゃん、と思ってしまうくらい。
まあ、実際に監督する方にとったら「自由」も「解放」もないのだろうが。

ただこの映画の自由さと解放感は、おそらく編集の賜でもあるだろう。
先日の新文芸座でのトークを聞いた方々は、想像がつきやすいかもしれない。
カットの厳密さがもたらす解放感といったらいいか。
まさにここしかないという場所で切り取られた断片がつなぎ合わされたとき、その厳密さは「堅苦しさ」をもたらすことはなくある持続と解放をもたらすことを、この映画のカットが教えてくれる。
特に前半。
自転車に乗った主人公が友人たちの周りを回る辺りとか、当たり前のように撮影されたものが当たり前のように繋がれているように見えるが、実はあれは、実際の彼らの位置関係や移動のスピードから考えると、まったく現実的ではないいくつかのショットが繋がれたものではないか?
あり得ない断片が軽やかに繋がれているのか、あるいは、当たり前の断片が繋がれている故にあり得ない断片が繋がれているように見えるのか。
何というか、ある厳密な当たり前さが通常なら決してあり得ないデタラメな場所へと導いてくれる、そしてその道筋もまたデタラメ差へとたどり着く唯一の道を選ぶ厳密さに支えられている、というような感じ。

で、後半は次第にひとつのショットの時間が長くなり(そう感じられるような構成になり)、「デタラメな場所」の緩やかさがジワジワと広がり出す。
その持続感にはそれがいつ終わるか分からないという緊張感と、いつ終わっても良いのだという楽天性が同居していて、それが何か、あり得ないような希望をもたらしてくれるのかもしれない。

しかも青山によれば、何とこの続編も企んでいたようなので、実際にそれを撮るかどうかはともかく、何とも頼もしい映画であった。
次回は、日本のスタッフたちも引き連れての多国籍スタッフによる海外ロケ作品とかできるといいなあと思った。

そうそう、この映画でついに、音楽でも世界一を目指さなくても良いのにとつい思ってしまうのだが、いずれにしても志は世界一のバンド「ヒマラヤ」がデビュー。
これもめでたい。
あのピアニカは、斉藤陽一郎なのだろうか?

7月6日(日)

せめて「スピード・レーサー」くらい見に行こうと思っていたのに、やはり動けず。
ダラッとしたままの日曜日であった。

昨日は昼から月刊へア・スタ5号のレコーディング&マスタリング。
今回はスタジオ・ライヴで行く、ということにして、調布にあるピースミュージックのスタジオに予定より早めに到着。
すでにその時点でタイトルはほぼ決まっているところが凄い。
機材のセッティングが終わり、音のチェックをしているうちに演奏に突入。
30cmX10cmX10cmくらいの、銀色の缶にマイクを貼り付けたものを音源にして、それを揺すったり叩いたりしながら、あとは複雑に組み合わされたエフェクター操作にて。
轟音の中で音が微妙に変化していく。
その音の揺れ、音質の移ろいが何とも言えず良いのであった。

しかし私は、ミキサー室にいればいいものをついスタジオ内に留まってしまったため、気がつくと完全に耳をやられていた。
私も中原もそのやられた耳のままでのマスタリング作業。
エンジニアの中村さんだけが頼りなのであった。
しかし、スタジオ内で聴くよりさらにはっきりと、音の変化が聞こえてくる。
いわゆるノイズのイメージに近い作品ではあるのだが、結果的にその音の中に浮かび上がってくるのは、轟音によってしか語り得ない音の物語と言えるようなものとなった。
まあ、呆れるようなギャグ、というか、冗談というか、まさに中原にしかできないお笑いも当然のようにあるのでお楽しみに。

隠しても仕方がないので発表しておくと、アルバム・タイトルは、「30 minutes Panty People」。
30分一曲。
相変わらず、目の覚めるようなタイトルであるが、まあ、ギャグの方はこのタイトルから想像してみてください。
8月末に、判明します(笑)。

さらに6号目用に(本来は5号目用に)作られたいくつかの音源を確認。
2,3曲、非常に素晴らしい曲がある。
このまま5号目として出しても良いくらい。
だが、この5号目の後に6号目のこの音、というのがまさに「現在」の危うさをとそのテンションを示すように思われる。
さらにその次へと踏み出す準備完了、という感じである。

その後、吉祥寺ユニオンへ。
ライ・クーダーの新作は、日本盤が出るまでまとうと思っていたのだが、特別版の方のライ・クーダー執筆による小説が果たして日本盤でも翻訳されるかどうかは怪しいと思われ、我慢できずに小説付きの方を買ってしまう。
ヴェンダースの短篇にも出てきた「トロナ」という砂漠の中の町が、その舞台のひとつにもなっている。
ニクソンやスペード・クーリーについての会話などもあり、まるで、ジェイムズ・エルロイの小説でも読むような感じもする。
そういえば、「チャヴェス・ラヴィーン」もそうだった。
しかしこんな贅沢なアルバム、というか本を出したいねえ。

flathead.jpg
Ry Cooder "I, FLATHEAD" →

もう一枚。
ナイジェリア70年代のロック・オムニバス。
中原によればこのシリーズはどれもかなり面白いのだそうだ。

nigeria.jpg
NIGERIA ROCK SPECIAL →

その後、新文芸座にて、青山とトーク。
失業と労働意欲との関係について、労働意欲と会社設立とそれに伴う社会システムの不条理について、それから音楽とカメラについて。
ヌーヴェル・ヴァーグの時代はカメラ=万年筆であったが、今やカメラ=ギターとでも言いたくなるが、果たしてそれがどんなことなのかは、青山の今後が示してくれるだろう。

あとは、編集の細部について。
青山からのお薦めは、「コッポラの胡蝶の夢」。
この編集の繊細さは本当に素晴らしいとこと。
私もちょっと前に見に行ったのだが、あまりの疲れで、ついウトウトしてしまい、この日記にも書かなかったという事情あり。
音作りの繊細さも相変わらず凄かったので、再度見に行ってみようと思う。

7月4日(金)

いきなりのこの暑さである。
当然、へばる。
胃腸の不調が酷く、仕事のため夜に予定していた試写もキャンセル。
しかしオリヴィエ・チラシの入稿もずれ込み、結局23時過ぎにようやく完了。
ブチブチ言いながらも、結局やたらと働いているような気がする。
オリヴィエ特集、多くの人に見てもらえると良いのだが。

明日は月刊へア・スタ5号のマスタリング。
本日のライヴを終えた中原から連絡があり、明日はスタジオ・ライヴ録音となる。
予定より2時間早く集合。

それを終えたら、夜は新文芸座にて、青山特集。
「Helpless」「ユリイカ」「サッド・ヴァケイション」の3本立ての前に、青山とトーク。
3本続けて見るのは相当ヘヴィで、多分終了は朝6時を大きくまわることになるはずだが、こうやって一気に見ると、その3本の連続と切断が手に取るように分かるはずだ。
しかし私は無事午後10時に、新文芸座にたどり着けるだろうか。

あと月曜日、ユーロの「狂気の海」レイトショーの上映の際、中原と高橋さんのトークが急遽決まったとの知らせ。
あの映画とこの二人の組み合わせなので、一体どうなることやらとドキドキするのだが、さらにこの日の中原のスケジュールを知っていると、別の意味でドキドキが加速するのであった。

7月3日(木)

呆れたことに、『冷たい水』の一部がYouTube にアップされていた。

まあ、音楽好きならこれを見たらもう何があってもこの映画は見に行かざるを得ないだろう。
そしてこの映画から一部を抜き出して誰かに見せようとしたらまさにここだろうという約7分間。
レナード・コーエンとCCRが流れる間、台詞は一言もなし。
ドンピシャのタイミングで窓ガラスが割られ、椅子が火の中に投げ込まれる。
世間知らずの高校生たちの不安や焦りや夢や野心や愛や憎悪がすべて彼らとカメラの動きの中に納められる。
通常の劇映画の中でこんな瑞々しいシーンを見たことがあるだろうか?
映画はこんなに自由で、そしてすべてを描くことが可能だということを、この7分間が教えてくれる。
8月の爆音では、その愛と自由をたっぷりと堪能していただけたらと思う。

当然、boid事務所の午後は、『コスモス・ファクトリー』がガンガンと流れたのであった。
あのアルバムのB面は、本当に名曲揃いなんだよねえ。

夜は爆音調整、『ジミ・ヘンドリックス』と『ワイト島のザ・フー』。
ジミ・ヘンのモノラルの音がかなり良し。
音の太さが違う。
シーンごとに音質のばらつきはあるが、まあそれはそれ。
途中、テレビ出演時の演奏も何度か出てきて、それはもう全く低音が出ていない。
ほとんどギターだけが聞こえてくるという音の作り方がされていて確かにギターの音は良い感じで聞こえてくるのだが、しかしその後通常のライヴシーンになって低音がドーンと出てくると、いかに我々は選ばれた音だけを聴いていてそれにすっかり馴染んでしまっているか、ということを思い知らされる。
そういうことを知る意味でもこの音のばらつきは必要なのだ。

ザ・フーの方は、ジミ・ヘンと反対で、くっきりと美しく音が5.1チャンネルに分解されている。
いつもならそれをさらに混ぜたくなるのだが、今回はその分離を活かしたままで、音質を調整したのみ。
この分離のいい音もまた、フーの何かを伝えてくれる。
しかも、相当な音圧。
映画ではなく、ライヴを見たときの耳鳴りが残るのであった。
これはもう、盛り上がらざるを得ないでしょう。

その音響調整の途中に中原から連絡あり。
5日の土曜日に月刊ヘアスタ5号のマスタリングがあるのだが、今回ばかりはかなり苦しいとの報告。
実は数日前、某トリビュート・アルバムのための某曲のリミックスを中原が行ったのだが、これがかなり面白くて、本人も相当気に入っている模様。
我々も本日はそれを何度も聞いてニコニコしていたのだが、じゃあ自分のアルバムもこれくらいの完成度に、という風に思ったらそれはかなり大変だろう。
一体5号目はどうなるか、最悪の場合は1ヶ月遅らす、ということも考えている。
ただやはり、どんなときでもその時の状態のまま無理矢理出す、そこで何ができるか、というのもこのシリーズのコンセプトでもあるので難しいところである。
しかし恐ろしいのは、多分本人もそう思っているかもしれないが、調子が良いときに限ってこういう風な事態となることである。
まあ、そんなものかもしれない。

深夜の帰宅後、メールをチェックすると、友人から、6日の日比谷野音に来てくれとの知らせ。
これ→
一生忘れられないライヴになるとのことである。

こんなライヴである。
日曜日、野音で午後4時スタート。
お一人様6800円でペア券13000円。
最近はほぼ全くこういうコンサートに行っていないのでこの値段が高いのか安いのかよく分からないが、「一生忘れられない」としたら、圧倒的に安い値段であることは確かである。

で、思い出したのがもうすぐ始まるPFFのサーク特集のフリーパスの話。
どうやら発売とほぼ同時くらいで売り切れてしまったという。
私の周囲でも、フリーパスが買えずしょぼくれている人間が何人かいる。
確かにフリーパスで見るのと当日券、前売り券で見るのとでは金額的にかなりの開きがあるのだが、見られなくなったわけではない。
前売り券はちゃんと売られているし、当日券も出すとのこと。
フリーパスがあっという間に売り切れたことで、その他のチケットももう買えないのではないかとしょんぼりしているとしたら、それは間違い。
それこそ一生悔やむことになるので、取りあえずまずは前売りを買いに走ってみて下さい。

7月2日(水)

昨夜、キム・フォウリーを堪能してしまったためか、本日はすっかり頭がフニャフニャである。
しかも昼からは税理士と共に5時間くらいかけてboidの財務整理。
まあこれまであまりに適当にやってきたのが悪いのだが、しかし、個人であれこれやってきたものを引き継ぐ形で会社を作るのは、予想以上にやっかいなことであった。
会社にしてからこの一月半、会社の金か個人の金かろくに区別もつかぬまま運営してきたものが、ようやくここに来てさっぱりする。
そのために、思わぬ労力を使うことになったのだが。

あと、8月のオリヴィエ特集の詳細が決まってくる。
こちら→ にも掲載したのだが、ここに記されているものの他に、さらに2回のオールナイトも決定。
1度目は8月2日の23時から、オリヴィエ作品をメインに、ジム・オルークと梅本さんがゲスト。
中原も参加するかもしれない。
その3人による鼎談とオリヴィエ作品。
梅本さんとジム・オルークは共に「デーモンラヴァー」に参加しているので、その時の話になると思う(もちろん「デーモンラヴァー」も上映)。
そしてもしかすると、日本ではまったく見られなかったオリヴィエが作った音楽ドキュメンタリーを上映できるかもしれないが、その可能性は1割くらいか。
それがダメな場合は、やはり音楽ものの「冷たい水」を上映することになると思う。

もう1回は8月23日。
こちらは、「アメリカの友人たち」の作品を。
青山・黒沢による、「アメリカの友人たちとして映画を撮り続けること」に関する対談を予定している。
この対談も、この日記を書いているほんの1時間ほど前に確定した。
お楽しみに。
心配は青山のダブルブッキングではあるのだが、先ほど、「7月ではないよね、8月だよね」という更なる確認のメールも来たので、大丈夫だろう。

7月1日(火)

朝も早くから青山の電話で起こされる。
いや、「早く」というのは違う。
通常の社会人ならすでに働いているか通勤列車に乗っているくらいの時間。
とはいえ通常はかかってこないそんな時間の電話だから、またもや誰かが倒れたかと慌てたのだが、「生きもの」ではなく「もの」だったので一安心。
青山のパソコンがクラッシュして、データがすべてダメになってしまったかもしれないとの知らせ。
最初はシステムトラブルのようにも思え、ハードディスク内のデータは無事だろうという話をしていたのだが、詳しく症状を聞くとどうもソフトの問題ではなくハードの問題のようで、しかもハードディスクがやられた可能性も高い。
とにかく、素人が直そうとしても病は深まるばかりだから修理店にということでその場は収まるが、後からの報告によるとやはりハードディスクで、そうなるとこれまでのデータがほとんどダメになっている可能性が高い。
まあ7年も使い続けていたというから、寿命といえば寿命。
だが失われたデータは戻ってこない。
幸い小説類はほとんどが編集者の手元に渡った後、ということなので大事には至らず。

こちらは落ち着かない1日。
とにかく急ぎで、「レディ・アサシン」と、その後に続くアサイヤスを巡る小特集の爆音レイト4週間の告知・宣伝を始めねば。
チラシの制作の準備、スケジュールの詰め、などなど。
あと1ヶ月早くことを進められればと思うばかり。
だがそれはそれできっとまた別の問題が出てくるのだ。
事態は常に緊急である。
そこで何ができるか、何を考えられるか。
だが多分、それは、我々が考えるようなスピードとは違うスピード感を要求されるのだろう。

というわけで、先日のジュンク堂イヴェントで話題になったキム・フォウリーの『OUTRAGEOUS』を聴く。

outrageous.jpg
OUTRAGEOUS →

つまり、何というか、緊急事態の中でなお、いかにバカバカしく他愛なく生きられるか、ということでもあるのだ。
イヴェントに参加した人だけにしか通じない言い方で申し訳ないが。
ジュンク堂のイヴェント自体がまさにキム・フォウリー的なものとして、機能し始めているようにも思う。