
boid日記 2008年9月
boid日記
text by 樋口泰人
9月29日(月)
我が家では温泉行きたい運動が始まっている。
いや、一家で疲れ果てているだけなのだが。
boidの方も大塚がぎっくり腰で、とにかく回りに病人けが人続出。
パソコン関係も、本日はロクス・ソルスのマシンが壊れたとの知らせもあり。
一体どうしたことだろうか。
本日も地味に、『大音海』索引作り。
延々と続く。
ようやく「K」の所まで終わった。
まだ先は長い。
1週間、どこかにこもらせてくれとつぶやくが、まあ、つぶやいてみてもどうにもならず。
でも、明日からでもいいからこもって、索引作りに専念した方がいいような気がする。
時には思い切らないと。
一方ゆっくりと進んでいるエルヴィス本は、エルヴィスがハリウッドにうんざりしているあたりまで来た。
60年代半ばのエルヴィスのうんざりの仕方は読んでいてなかなか面白い。
私など、まだまだうんざりが足りないのだと思い知らされる。
うんざりするにもやはり度量というものがあるのだ。
それから、このところ、事務所で聞こうと思うCDがいくつか見当たらない。
心当たりの人は、連絡を。
9月27日(土)
本日もボチボチと仕事をした。
やり残したことが多すぎ。
その上、樋口担当分CDのひどい発送ミスもいくつかしていて途中で気がついたものの、気づかず発送した分のやり直しという事態にもなったのだった。
こういうひどい間違いをやるときは必ずその後ひどい病気をしているので、いよいよ本気で休養を検討し始める。
boidとしては動いているが私は完全休養、という状態にもっていけるとベストなのだが。
まあそんなことができたらとっくにやっているよねえ・・・
そんな訳で相変わらず気分も優れぬまま帰宅途中に新宿駅ビル内のHMVに寄る。
いつもは高島屋の中のでかい方に行くのだが時間もなかったし、この半年くらい全然こちらを利用していなかったので、たまにはいいかと思い立ったのだった。
で、6階に着いてびっくり。
以前はエレベーターを下りるとどーんとHMVが広がっていたのだが、今や雑貨屋とブティック。
その端の方に、こちらもまるで伊勢丹地下のボンジュールレコードのような佇まいの、まああれほど贅沢な印象はないが、とにかく、おしゃれな文化発信基地として、衣替えしていたのだった。
在庫もほとんどがJ−POPで、これじゃあもう、買うものはないよなあとぼんやりするばかり。
ブライアン・ウィルソンの新作が目当てだったのだが、それさえ売っておらず。
私の見方が悪かったのかもしれない。
とはいえヒップホップ関係は、いくつかめぼしいものがあり、こんなものを買ってみた。

The One "Superpsychosexy" → Soul Vibrations →
ほとんどジャケ買いに近いのだが、ともに過激にメロウな音作り。
The Oneの方は、レコードだったら回転数を間違えたかと思ったかもしれない。
時間が引き延ばされたと言ってしまえば簡単だが、引き延ばされ方が一定ではなく、それがめちゃくちゃ気持ち悪く、怪しいのであった。
しかも音数は相当少ないにも関わらず、その隙間もびっしりと何かで覆われているような音作り。
音が煙となって世界を覆っているのである。
Cee-lo に近い音のうねり具合なのだが、こういった音の詰め込み方は全然違う。
こういう音こそ、パソコンやiPod なんかじゃあまともに再生できないと思われるのだがどうなのだろうか。
変なボーカルばかりが際立って、結局際物扱いされておしまい、みたいにならなければいいが。
『Soul Vibrations』の方も、相当な手の入り方。
特にダブっぽい曲なんかは、『Superpsychosexy』ともダブって、もう、どうしていいかよくわからなくなる。
とにかく背景に入っている音の変化の繊細さに聞き入るばかり。
新聞のサイトにはポール・ニューマンが亡くなったと載っている。
9月26日(金)
バタバタと時間が過ぎて行く。
息つく間もなく金曜日である。
疲労感はかなり極限に近い。
昨日は、夜はジュンク堂のイヴェント。
リミックス編集長の野田さんから、音楽系の流通の老舗でもある原楽器の倒産についての話を聞く。
7月の倒産で、そのときも相当騒がれたのだが、さまざまな出版社やレーベルが相当数の委託をしていたため、やはり各社とも影響は半端ではないようだ。
トークはジュリアン・コープの著書『ジャップ・ロック・サンプラー』の話題から。
中原が京都で盗まれたバッグに入っていた書籍でもある。
本の内容の面白さやそれにまつわる話ももちろんだが、この日の焦点は日本でのジュリアン・コープに対するリスペクとのなさについて。
いくら何でも、彼がこれまでどんなことをしてきたかが語られてもいいのではないかと野田さん。
本題のアルバムの方は、野田さんの大いなる勘違いで、今年になってのお気に入りの5枚を。
一体どこでどうなればそういうことになるのか(笑)。
まあ、私の説明もいい加減だったのだが。
いい加減同士が交わるともう、まったく収拾がつかない。
とはいえこれはこれで面白く、来場された方々も十分堪能されたことと思う。
考えてみれば、これまでのどの回も皆さんいろんな勘違いの中で、1枚のアルバムを選んできたのだった。
その後、バウスにて爆音調整。
『イマジン』と『シックス・エレメント』。
さすがにもう十分ヘロヘロな状態の上に、深夜に2本の調整はきつい。
『イマジン』は真性のトリップ・ムーヴィー、というかサーフィンというトリップへと誘い続ける「旅』のドキュメンタリー。
台詞が多いので爆音はちょっとした味付け、ということになる。
生き方としてサーフィンを選んだ人たちが大勢でてきて、これはサーフィン好きの人にはたまらないだろうと思う。
『シックス・エレメント』は、デニス・ホッパーのちょいワルというよりこれもまた真性のワルの声とイントネーションが何ともいえず。
後半は、ハウスの4つ打ちのビートのせいで劇場が海、ではなく、ワルのたまり場のクラブのようになるのであった。
という訳で、そのビートを目一杯強調すべく、低音を上げられるだけ上げてもらったのだった(笑)。
こういうのがあると、やはり疲れが吹き飛ぶねえ。
まあ、そのためにこそ、この映画を選んだ訳だし。
本日は、『Wild Hair Style』発送作業、そして、『大音海』の索引作りを延々と。
ようやく6分の1ほど終わったところなのに、すでに500項目を超えている。
1ページに100項目詰め込んだとしても索引だけで軽く30ページを超えるのであった(笑)。
そう言えば昨日中原が、最近買って面白かった本として、デイヴィッド・トゥープの『音の海』を挙げていた。
これまた、「音海」だという話で笑ったのだが、デイヴィッド・トゥープにはずいぶんお世話になった身としては早速手に入れなくてはと思う。
『ロックンロール・コンフィデンシャル』誌に掲載された、彼が初めてNYのヒップ・ホップ・シーンを目にしたときの鮮烈な記事は収録されているだろうか。
あの記事のおかげで、ヒップ・ホップを聞き始めるようになったのだった。
9月22日(月)
月曜日は事務作業や発送作業があれこれあって毎週慌ただしいのだが、月末の原稿のこともあり本日は試写にも出向いたため、更にバタバタ。
見たのは『そして私たちは愛に帰る』というトルコの映画。
資料をすべて事務所においてきてしまったので、またもやタイトルに自信なし。
でもこのタイトルだと、いいオヤジは口ごもります、照れます、はっきり言って。
「自分が無理行って買ってもらった映画だからとにかく見に来てくれ」という友人の言葉がなかったら、絶対に見に行かなかったですよ。
ただまあ、行ってみると冒頭いきなりガソリンスタンド。
やっぱりこうでなくっちゃね、ということなのだが、音楽はあくまでもドメスティック路線で押し通す。
ヴェンダースやジャームッシュに限りなく近づきつつ、彼らにある「アメリカ」への視線がそこから一切排除されている。
そう言えば、画面の切り取り方も、彼らに比べてどこか狭苦しいというか何となくぎこちない感じがして、これはもしかするとこの物語と深く関わっているフレームのようにも見える。
つまりヨーロッパ共同体という国境のない一つの世界に向かいつつある社会の中にじつは様々な形で残されている国境が、何かやりきれない形で人々をその中に押し込めている、その狭苦しさ。
すっかりおばちゃんというかおばあさんに近くなってしまったハンナ・シグラも出演していることからヴェンダースの『まわり道』を思い出したりして、それだけでなくいくつかのヴェンダース映画を思い出させるショットも散見するのだが、テーマとしてはEU発足後に作られた『リスボン物語』の続編、ということになるだろうか。
あの映画の最初の方では、国境の検問のなくなったドイツからリスボンまでを一気に走り抜けるのだが、その際のブツ切れのカットとそれに伴う音楽の変化は、それまでのヴェンダース映画独特の時間の持続感を台無しにするような切断面が際立つ編集だった。
スピードと滑らかさの背後にある断絶が、そこからはっきりと浮かび上がってきたように思う。
確かあの映画も、フレームは空間の問題から時間の問題へとずれ込んで行ったのではなかったか。
この映画もまた、個人や国家という空間の枠組みを決めている「歴史」から、それぞれが解放されてそれぞれの時間が相手のそれへとじわじわとオーヴァーラップして行くのであった。
一カ所、これは私のまったくの見間違いなのだとは思うが、そこにはいないはずの人が小さく幽霊のように映っていて、それが気になって仕方なかった。
あとは、夜になって中原が現れて、今後の打ち合わせなど。
こちらは時間の問題より空間の問題が現在の最大の課題。
9月21日(日)
以前、前売り券をなくしたとこの日記にも書いた『ダークナイト』を見に新宿ピカデリーへ。
実はなくしたと思った前売り券が出てきて、しかしそのままだらだらしているうちにロードショーの方はもう終了寸前。
そして、上映の時間もレイトか朝か、昼のみという変則なものになってきたので、昼食も食さず、しかもあの新宿ピカデリーへと出向いたのだった。
普通の劇場ならまあ、5分くらい遅れてもいいやと思い、まずは食事をしてから行くのだが、シネコンだととにかく受付を済まさねばならず、ぎりぎりに行くと既に受付終了ということにもなりかねないので、致し方なし。
なんだか「義務」で映画見てる気分になって、さもしい限り。
などなど、ブツブツと言いながら到着すると、既に満席受付終了であった・・・
うーむ。
一体もうこんな時期になって今更『ダークナイト』など見る人がそんなにいるのか、みんな私みたいに前売り券をなくしたと思ってそのままにしておいて気がつくと手もとにあって慌ててやってきたのか。
いやいや、何のとことはない、劇場側だって馬鹿ではない訳だから、この時期になったら座席数の少ない狭い劇場に移してますよ。
という訳で、ガラガラの劇場の中でだらっと見たいという私の欲望はもはや効率優先の現代社会では通用しないのであった。
確かに休日の昼間にガラガラだったら劇場だってやってられないものねえ。
しかしである。
なんとも納得しがたい理不尽な思いは消えず。
ユニオンでCD買って帰ることにするかとは思ったものの、それもまた釈然とせず、ならばアンジェリーナの『ウォンテッド』を見ようということになりピカデリーで見るのもしゃくだし、そりゃあでかいスクリーンの方がいいでしょうということで新宿プラザへ。
腹も減ったので昼食を済ませ、本編開始に5分遅れで劇場に到着。
1000人以上入る劇場が7割がた埋まっている。
スクリーン上は既にめくるめく展開となっていて、それについて行くのに一苦労。
とはいえ背中一面にタトゥーがばっちり入ったアンジーのサーヴィス・ショットも見応え十分で、私としてはそれだけで満足なのであった。
腕のタトゥーもいいアクセントで、アンジーが銃を振り回すたびにいいアクセントとしてチラリと目を刺激してくれる。
というわけでまあ、お話の方は、美人女優ひとりと演技派男優ひとりがいれば、あとはデジタル処理で一丁上がり、みたいな薄味のものであった。
銃弾がカーヴして標的を狙い撃ちしようが、大渓谷の鉄橋から列車が落下しようが、もはやそんなものはスペクタクルでもなんでもないということを、もしかしてこの監督はわかっているのかもしれないと勘ぐりたくもなるほどの薄味さ。
問題は銃弾のカーヴではなくそれを行うときのアンジーの腕のタトゥーをいかに見せるかであると、思っていたりしたら面白いのだけど・・・
なんてことを思ったのは、昨日、青山の日記(9月18日付け)に刺激され、無理を言ってソクーロフの新作『チェチェンへ アレクサンドラの旅』を見せてもらったからなのだった。
詳細は青山日記に任せるとして、あの、孫と老婆のシーンには本当にドキドキハラハラさせられた。
それにまあ、老婆が列車に乗るだけのショットがあんなに繊細に描写されるなんて・・・などなど驚いているうちに心地よくうとうとしてしまったのだけど。
しかしとはいえ、この新宿プラザ劇場も本作をもって閉館なのだとか。
再開発、ということなのだけど、とうとう東京に残った1000人超えの劇場も、あとはミラノ座くらいか・・・
そう言えば、『ウォンテッド』終了後、辺りを見回すと観客のカップル率は極めて低く、やさぐれたオヤジたちばかりが目についたのであった。
まあこれはこれでゲットーみたいで気分のいいものじゃない。
私も含め、世のオヤジたちもみんなこぞって清潔なシネコンに行ってだらだらと映画を見るすべを身につけた方がいいのだろう。
やはり座席はシネコンの方が居心地がいいしねえ。
それはそれ、ユニオンにて何枚かアルバムを。
本日は、この2枚。

The Norman Fishintackle Choir → David Arvedon →
The Norman 〜の方は、スワンプ・オヤジたちの最新作で、いやあまだまだこんな人たちが現役でやってるなんてと、新宿プラザの大スクリーンに果てしない沼地が広がるばかり。
そして、Davidさんの方は、多分何も知らずに聞いたらほとんどの人がメイヨ・トンプソンってこんな歌も歌ってたんだ、と思うに違いない。
同時代に似たような人があれこれやってたんだねえ。
とはいえこちらはタイプとしては、ダニエル・ジョンストンみたいなソングライターなんだと思う。
9月20日(土)
毎週恒例となってしまった寝たきり土曜日。
ひどいものである。
かろうじて歯医者に行った。
この2、3年、ことあるたびに抜け落ちる前歯の差し歯の土台を作り直すのである。
で、本日から1ヶ月くらいかけての作業になるのだが、まずは差し歯を外さねば。
しかしこれが、必要のないときにはいくらでも簡単に抜け落ちるのに、いざ外そうとするとなかなか抜けない。
これ以上土台と歯の根を傷つけないようにと、おそらく医者も手加減しているからなのだろうか。
仕方なく、すべてを削り落とすということになったのだが・・・
これはまあ、差し歯を削って行く訳だから痛くはないのだけど、その振動がガンガン頭蓋骨に伝わってきて、何と言うかノイバウテンやらホワイトハウスやらが直接頭の中で演奏しているような、そんな気分になるのであった。
さすがに冷や汗びっしょりですよ、もう。
とはいえとにかく、ノイバウテンやらホワイトハウスやらとのセッションの甲斐あって、無事土台修復の準備はできたのではあるが、これから1ヶ月はずっと前歯が仮歯になるわけだから、それこそいつどこで外れてしまっても不思議ないのである。
なんてヒヤヒヤしながら夕食を食していると、案の定・・・
これでますます外に出るのが嫌な秋なのであった。
ウトウトの合間にピーター・グラルニックの『エルヴィス伝』を読んだ。
もう半年以上前に買って以来、1日だいたい2、3ページずつというスピードで、ようやく200ページくらいのところにきたのだが、ちょうど、アリゾナの砂漠でエルヴィスが神に出会うところ。
エルヴィスが見たキリストはなんとスターリンの姿をしていたのであった。
雲がいきなりスターリンの姿となり、それからイエスの姿に変わったのだという。
まあ、それだけのエピソードで本人たちにとってはとんでもなく大変な出来事であったようなのだが、どうもこの本を読んでいると、きょとんとしてしまう。
たしかに、当時神秘的なものへの興味をひたすら深めていたエルヴィスのことが書かれている章だから、どこで神に出会ったとしても驚かないのだが・・・
オリヴァー・ストーンの『ワールド・トレードセンター』の中では、がれきの中で死にそうになっている主人公のもとへ、ペットボトルを持ったキリストが現れるのだが、もはや人間的な感情ではとらえることができないような、そんな素っ頓狂な神様を思い出してしまった。
オリヴァー・ストーンは『ナチュラル・ボーン・キラーズ』では、砂漠の中でインディアンからペヨーテを飲まされてトリップしつつやはり神の啓示に会う、というエピソードを撮っているが、そのときはまだ、いかにもそれっぽい、誰が見ても神の啓示とはこのようなものかもしれないと納得できる程度のものであった。
オリヴァー・ストーンもいよいよエルヴィス化しているということか。
ブッシュの映画『W.』は一体どんなことになっているやら。
9月19日(金)
月刊へア・スタ6号のパッケージ作業や『大音海』原稿チェック作業やらの後、夕方からは某所にて、月刊ヘア・スタ12号完結の際の一大イヴェントの打ち合わせなり。
ようやく6号目が出来上がったばかりというのにもう完結後のことを考えねばならないのは気分としてはしんどいのだが、ただ、12号が出来上がった後の更にその作業の意味と今後の展開を考える試みとしては、非常に楽しいしおそらく世のためになるしみんな幸せになるだろうし、つまりいいことづくめである(笑)。
来年4月くらいに某所にて。
お楽しみに。
その後、打ち合わせ場所の近くだったこともあり、久々にまい泉にてとんかつの一夜。
まい泉のとんかつは3年ぶりくらいか。
さすがに値段も上がっていたが、腹もふくれ心地よさも増す。
気持ちよいついでに、更に来年の一大プロジェクトを思いつく。
来週は目を¥マークにして、銀行に行くのだった。
いや、まあ、まだ妄想の段階ですが。
そして更に事務所に戻り、パッケージ作業の続きを。
そこへ某社より連絡が入り、来年配給しようとしている作品の権利料その他が判明。
何とかなりそうな額。
ということはこれもまた具体化して行く作業に入らねばならない。
boidの仕事は仕事をやったからギャラがもらえるというものではなく、常に売り上げと動員とにかかっているから、本日何やらやたら景気よく来年の企画にいくつもの光が見えてきたとしても、それでいくらがんばって働いたとしても成功させねばそれでおしまいである。
まあ、どこの会社も大体そうか。
しかしいずれにしても、予断を許さぬ来年のboidであった。
台風も近づいている。
9月18日(木)
季節の変わり目ということもあり、低気圧が近づいてきているということもあって、地味に鬱。
連絡を怠り、迷惑をおかけしている方々もいる。
現実逃避でもあるのだが、来るべき湯浅学本(12月発売予定の『大音海』)の原稿チェックに没頭中。
しかしこうやって読み進めて行くと、『宇宙の柳』『作業日誌』『大音海』という流れはまるであらかじめ想定されていたかのような、見事な軌跡を描いていることがわかる。
つまり、音楽を聴くことと生きることがイコールでつながっていてそれこそが演奏となり文章となっていることを体現している3部作、というような意味で。
3冊ともどれもきっかけはあきれるような偶然にすぎなかったのだけれども。
いずれにしてもこの3冊、情報の嵐のように見えながら、実はこのうんざりするような情報の海の中で私たちが何にどうやって足をつけていればいいか、その態度を考えさせてくれるものになっている。
『大音海』はかつて出ていた『音海』の増補版なので新鮮味という点では薄いかもしれないが、更に情報が増えた結果更に見晴らしが良くなるはずだ。
情報を整理するとは一体どういうことかを、この本は教えてくれる。
80年代から90年代半ばにかけてのカタログか、などと高をくくるなかれ。
今だからこそ読まれるべき言葉が、ゴミのように山積みとなって輝いているのである。
月刊へア・スタ6号もいよいよ出来上がる。
今日・明日でパッケージ作業。
早速受け取りにやってきた中原も、やたらと具合が悪そうである。
いよいよこれまでのようにはやって行けない(体力的に)、という話になる。
9月16日(火)
日曜日のカーネーション・ライヴの余韻で朝からドクター・ジョンを。
南部気分に浸りつつ、続けてマスタリングが終わったばかりの(実際には本日再度修正マスタリング実施中)、アメリコのアルバムを繰り返し聞く。
大塚は既に西岡さんの代わりに歌えると豪語している(嘘)。
いずれにしても、耳についてはなれない、50年代、60年代テイストのスウィート・ポップが今でしかあり得ない音として詰め込まれている。
かつて確かにあったはずなのに絶対にあり得なかったものとしてここにある、というか。
改めて聞くと、曲順が絶妙なのに驚く。
1曲目の信じられないくらい深いエコーから始まってねっとりとした空気が全体を包み込む最後の曲までユルユルと滑らかかつ否応無しにアメリコの世界へと引きずり込まれてしまうのだった。
11月末の発売、お楽しみに。
そして、ヘア・スタイリスティックスが筋肉少女帯の「モーレツア太郎」のリミックスをやった赤塚不二夫トリビュートアルバム『四十一才の春だから』が届く。
おまけのシールと手ぬぐいも一緒。
このアルバムに、このシール、手ぬぐいというのはいい組み合わせで、全部持っていたくなる。
ヘア・スタ・リミックス「モーレツア太郎」は、とにかくイケイケ。
調子でない日の朝にはもってこいです。
9月15日(月)
結局3連休はほぼ何もせず。
ほとんど寝ていた。
子供の携帯を契約しにいった。
今、中3なのだが、同じ学年で持っていないのはうちの子だけか、もうひとりか、という状態のようなのだ。
まあ、致し方なし。
と思って行ったのだが、子供の使いたいような契約をすると今の私の携帯料金を大幅に上回る。
あまりの理不尽に憤慨。
子供には、絶対に音楽をダウンロードするな、メールで写真をやり取りするな、あれはするなこれはするなと脅しまくる。
こんなことなら携帯など持たない方が良かったくらいに思わせないと、という意思も込めて。
という訳で、月々私の料金を上回ったら、翌月は携帯を取り上げるという条件付きにて契約。
ほんとにまあ、通信産業ばかりにこんなに料金を支払って、あいつ等の作った巧妙に複雑なシステムのおかげでこんなにぎすぎすした世の中になったのにほんとにふざけてると、怒りのやり場なしにて、しかし眠気には勝てず再び寝たりもする。
しかし世間の親たちは、毎月そこそこの金額の子供たち分の携帯料金をしっかり持って行かれて平気なのだろうか。
とはいえ、いつiPhone に乗り換えようかとソワソワする私であった。
カーネーションのライヴに行った。
憤慨の名残がまだ頭の中で渦を巻き、頭痛が始まり、しかしどうやら風邪っぽくもあり、吐き気もしてめまいもする中、それはそれ、1年ぶりのカーネーションであった。
ビートが深い。
音楽的にはなんと言うのだろうか。
よくわからない。
とにかく南部のビートを地肉化した上での洗練という言い方しか私にはできない。
結成以来25年経って今、我々はここにいるのだというその時間と場所をはっきりと示してくれたライヴであった。
後はもう、やり続けるのみ。
そしてまた、まだ出会っていない音楽や聞いてきたはずなのに聞いたつもりになって忘れてしまった音楽が本当にいっぱいあることを思い知らされた。
携帯のダウンロードで音楽収集を始めようとしている我が家の姫も、こういうライヴに連れてきたら少しは考えを改めてくれるだろうかと思ったが、まあ、余計に嫌われるだけだろうねえ。
9月11日(木)
予想外のバタバタで、とりあえず寝る暇なし。
昨日は、『殺しのはらわた』上映の打ち合わせにきた篠崎にも『作業日誌』の帯の付け替えを手伝ってもらいつつ打ち合わせとなってしまった。
妻には、そんなに忙しく働いて、どうしてそんなに貧乏なのかと問われる。
答えは簡単で、働き方が悪いのと稼ぎにならないことをあれこれやりすぎているのと、両方。
さすがにもう、体力の限界でもあり、爆音上映は今年限り、とか、頻繁に思うようになる。
オールナイトをやるたびにそう思うのだけどねえ・・・
そして『作業日誌』の在庫が底をつき、いよいよ増刷、3刷り目となる。
書店の場合、注文がきて発送してもそれで売れた訳ではなく、しばらくして返品になるのはざらなので、弱小会社の場合は増刷の部数を決めるのが本当に難しい。
とはいえ、まあ、勢いでおおざっぱに決めてしまうのではあるのだけど。
とにかく、「戻ってくるなよ」と皆で本に囁きかけつつ送り出す。
本日もあっという間に夜になり、中原には書店のポップ用のひと言を書いてもらい、そしてバウスにて爆音調整。
『ステップ・イントゥ・リキッド』と『クリスタルボイジャー』の2本立て。
『ステップ』は、第1回のサーフ特集のとき以来。
音はそのときに決まっているので本日は確認のみ、という予定だったのだが、見ているとやはり面白いので結局最後まで見てしまう。
とにかくまあ、これを見ると、もし人生を2回やれるなら、そのうち1回は絶対にサーファーになろうと誰だって思うのではないか。
毎日海に入ってサーフィンをするといういい歳したオヤジの野生の表情や、波のないテキサス湾でのタンカーサーフィンを楽しむ大バカ野郎たちや、寒風吹きすさぶアイルランドで震えながら海に入る3兄弟などなどを見ていると、それぞれみんな大変な人生かもしれないがなんて楽しい人生なのかとウルウルしてくるのだった。
今自分がやっていることやいる場所から逃げたいとかは思わないけど、とにかく別の人生があるとしたら、これだよな。
という訳でこれは、爆音をたっぷり堪能しつつ別の人生が味わえる、サーファーじゃない人にこそ観ていただきたい作品でもある。
そして『クリスタルボイジャー』。
こちらは、後半の「エコーズ」の部分の音声のデジタル再生がまだ大丈夫かどうか、というテスト。
プリントに焼き付けてあるデジタル音声データは、何度も上映しているうちにだんだんとはがれてきて、小さな音だと気づきにくいが大きくするとその部分だけはっきりと音が違っているのがわかってしまうのだった。
ただ、本日の上映に関しては、問題なし。
このまま上映、ということでもよかったのだが、もしかしてと思い立ち、アナログのドルビーSRでの上映も試してもらうことにする。
で、それが大正解で、まさにこれこそが『クリスタルボイジャー』であった。
画面との親和性、音の太さ、音の中心部分での揺れと変化など、なぜ最初からこれでやらなかったかと思うほどの充実感。
これはもう、バウスの爆音でないと観られない。
疲れきっていたのだが、完全に覚醒する。
「エコーズ」部分は、私の中ではもうほとんど3D上映となっていたのであった。
爆音で10回くらいは『クリスタルボイジャー』を観ているが、とにかく今回のパターンが一番。
身体の中心にずしんとくる低音と頭の中を駆け巡る高音の見事なバランス。
そしてスクリーンの中で音がユルユルと揺れつつ、波と一緒に画面から飛び出して目の前ではじける。
いやあ・・・
帰宅後にそんな余韻を楽しんでいると既に夜明けなのだった。
うーむ。
9月9日(火)
病院は、自分の病気でもないのになんだかドキドキするねえ。
いるだけで寿命が縮まりそうな気がする。
父親は結局、問題の肺がんは、手術から3年が過ぎて、何カ所かに転移はしているものの今のところ進行は遅く、まだ心配するほどでもなし。
それより問題は、肺気腫。
20才の頃から煙草を吸い続けてきたため、肺の各所にこれができていて、3分の1の肺を切り取った今となっては、これがあるおかげで肺機能に相当負担をかけているのだとのこと。
このところの入退院は、全部これのおかげ。
まあ、煙草を吸い続けて80才過ぎまで生きれば十分ととるか、80才になってこんなつらい思いをしたくないととるか、まあそれぞれ都合の良い解釈をして、煙草をやめたり吸い続けたりするのだろう。
ちなみにうちの父親は、肺がん手術の後も煙草を吸い続けていたのだが、ここにきての発作などで、もう2度と煙草を吸う気はしないと言っていた。
でまあ、午後3時過ぎの特急に飛び乗って、事務所へ。
あれこれ事務作業をやろうと思っていたら、某新聞社でしばらく地方支局に行っていた旧友のAさんが本社に転属になり、遊びにやってくる。
そこに中原もやってきて、ディスクユニオンのボーナスディスク用の音源を持ってきたのだが、さすがにこれはボーナスでユニオンのみというのはあまりに他の店に不公平だし、それくらい面白かったので、これはいつか公式のものとして日の目を見させることに。
昨日買った某機材で本日一気に1時間分くらいの音を作ったとのことなのだが、これこそ、12ヶ月連続の月刊アルバムらしい音作りではないか。
日記のように音を作るそのライヴ感が、見事に出ていた。
9月8日(月)
夕方までにバタバタと仕事を終え、実家に。
夏前から入退院を繰り返している父親の様子を見るためと、病院に行って病状の詳細を確認するため。
明日の作業ではあるのだが、さすがに日帰りはきついので、夕方の電車に乗ったのだった。
しかしこちらは涼しいねえ。
東京も本日の夜は涼しくなったのか?
いずれにしてもこれくらいだと、ぐっすり眠れる。
来年の夏は、涼しい別荘で仕事を、というくらいになりたいものだと思う。
さすがに私もこの土・日を目一杯働いてしまったので、すでにぐったりである。
父親の心配の前に自分の心配をしたほうがいいのかもしれない。
9月7日(日)
どうしたものかとあれこれ迷った末、結局 iMac を買う。
すっかり忘れていたのだが、今やMacでもwindowsが動くのだった。
ヨドバシカメラでたまたまそのデモンストレーションをやっていて、ああこれなら両方で使えると、即決。
しかしちょうどその頃空はぐんぐんと暗くなり、雷鳴が轟き、大粒の雨が。
ほんとにまあ、こう毎日だとうんざり。
でもさすがに手持ちではiMacだけで目一杯で、過剰電流防止の電源システムを買うことはできなかったのだった。
後はwindowsの方の、ハードディスクのデータを取り出すだけなのだが、電源をどうにかしないとねえ。
外付け用のハードディスクの箱だけを買ってマックにつなげばいいのか。
いずれにしてもなんだかちょっと面倒くさい。
ちょっと前まではこういう作業は割と平気だったんだけどねえ。
とにかくまあ、本日は、マックセッティッティングの後、細かいことは後回しにして明日までの原稿をせっせと仕上げたのだった。
ああ、ようやくアマゾンからの発注がきた。
あとは売れてくれるのを待つのみとなった。
とはいえアマゾンの在庫あり表示がされるのは、おそらく水曜日以降。
まだまだもどかしいねえ。
9月6日(土)
金・土と、終日バタバタ。
boidは今週は週末も営業。
あんまりなので、どこでも仕事が出来るウルトラモバイル・パソコンでも買おうかと、新宿ヨドバシカメラへ行った。
使い勝手はどれもよさそうなのだが、いかにせん、充電池の稼働時間が短すぎ。
基本的には、外での長時間作業用ではなく、その場その場での簡単な連絡や確認のためのものである。
長時間の作業を望むなら、やはり従来のレッツ・ノート最小モデルあたりにすべきなのだが、こちらは値段がネック。
というわけで何も決まらず、まずは目先の仕事。
原稿を半分ほど終え、爆音サーフのチラシ入稿作業を終え、深夜過ぎに帰宅すると、いきなり猫のうんこ臭い。
このところ必ずと言っていいほど猫トイレの横にしてやってくれるのだが、本日もまた、何を訴えようとしているのか、猫トイレ横の床に。
まあ、それはすぐに片付けて、メールのチェックでもしようとパソコンの電源を入れると全く反応なし。
どうやら、電源がいかれてしまったらしい。
3年ほど前にも同様なことがあり、電源を取り替えたのだが、どうやら再び。
先日、知り合いたちのパソコンが次々に壊れてるという話を日記に書いたときに長嶌から、落雷のせいじゃないかということで、過剰電圧予防の電源を紹介してもらったのだが、確かにねえと思いつつそのまましにしておいてしまったのだった。
事務所にいたとき、西側でかなり雷が鳴っていたのだが、もしやそのせいなのか・・・
あるいは私が小型パソコンを買おうとしているのを知って、その前に自分の方が危ないのだとマシンが訴えたのか。
いずれにしても自宅では、しばらくは妻が使っているサブマシーンにての作業となる。
まあ、自宅に戻ったらもう何もするな、パソコンにも向かうな、という事かもしれないけどね。
そうそう、昨日、ドゥマゴ賞の事務局から、下記のような写真が送られてきた。
東急本店の写真である(笑)。
9月4日(木)
昨日の受賞発表のため、あっという間にアマゾンの在庫が底を付く。
しかも都合の悪いことに、先週からどうも発注のシステムの具合が悪いみたいで、CDなどもすべて売り切れ状態のまま、こちらに発注が来ないのである。
現在、「作業日誌」のページには「この本は現在お取り扱いできません」との表示。
月曜日から何度かアマゾンに連絡を入れているものの、「機械が発注しているので」というような、誰も責任を取れない、という返事しかこず。
開始時間近くに到着して、確かに劇場内は空いているものの、他作品の混雑のおかげでチケットを買えずイライラするばかりの休日のシネコン、みたいな感じである。
ムカムカしながらふがいない1日を過ごした。
あーあ。
一体この状態はいつまで続くのやら・・・
こちらには在庫はちゃんとあります!
などとここで書いても、この日記を読んでいただいている方々はもう、購入済みだと思われるので、まったく告知にならないよねえ・・・
とりあえず皆さん、アマゾンで、「中原昌也 作業日誌」を検索して(中原昌也だけだと、「在庫切れ」のため一番最後の表示になってしまいます)該当ページを表示させたら(というか、ここ→)、右側の「欲しいものリストに追加する」ボタンをクリックしてみて下さい。
アマゾンが問い合わせ電話も受け付けず、メールも無責任な返事しか返ってこない以上、こういうやり方で伝えるしかないのだろうなあと、何となく思っている。
まあ、気が向いたら、ということでいいです。
その他、原稿原稿原稿。
夜は爆音調整サーフ編。
本日は『ビラボン・オデッセイ』。
狙い通りのビッグ・ウェイヴと大音響。
まあ、とにかく爆音上映の醍醐味満喫。
昼間のイライラも、この地鳴りによって、だいぶ心地よくマッサージされた。
爆音ファンは、とりあえず、『クリスタルボイジャー』とこの作品を。
サーフ映画なんてどこがいいんだかよく分からないという方も、この2本は、別の意味でたっぷりと楽しめます。
9月3日(水)
何はともあれ、第18回ドゥマゴ文学賞である。
その打診が来たのはちょっと前だったので、今日になっての特別の思いのようなものはないのだが、やはりお祝いのメールがきたり、本の注文が入ったりしてくると、何となくざわめきたつ感じ。
もっと大きな出版社なら、もっと大きな販売展開をすることが出来て、中原も少しは楽な生活をすることが出来るに違いないと思うと申し訳ないばかりでもある。
だがまあそこは、とにかく出来ることとやるべきことをまずは地道に。
というわけで、本日もまた、コツコツと帯やカヴァーの取り替え作業。
その合間に原稿も、いや、原稿の合間に取り替え作業か。
そして、ついに手に入れたニルス・ロフグレンの『The Loner』を。
これが何と、もはや本人も自分が歌っているんだかニール・ヤングが歌っているんだか区別がつかなくなっているんじゃないだろうか、いや、そこにおいて初めて自分の歌を歌い始められたんじゃないかと思われるような、多層で多様でただひとつの歌が聞こえてくる。
こういう歌が聴きたかったんだよなあ。
で、それを手に入れる際に買ったのが、ビル・フェイのデモテープなどを集めた音源集『From the Bottom of an Old Grandfather Clock』。

From the Bottom of an Old Grandfather Clock →
音は悪いが、その部分も含めてグッと来るのだった。
この人、いつもアメリカ人と勘違いしてしまうのだけど、イギリス人なんだよね。
正規アルバム以外を買い始めるときりがないし、それは誰かに借りればいいと常に思っていて本当にそうしているのだが、時々こうやって買ってしまいたくなる人がいる。
あと、これもRhinoからの再発盤が1200円という安さで売っており、日本盤が出た時に買い逃してしまったものとしては本当にありがたい↓。

Tiny Tim "God Bless Tiny Tim"→
こんないいアルバムが1200円だなんて、ディスク・ユニオンもRhinoも一体何を考えているのやら、というか、ただひたすら感謝である。
(アマゾンでは1500円であった)
逆に言えば、日本盤を買い逃した私は何と愚かだったかと、今さら思うのだった。
まあ、いつもそれの繰り返しなのだが。
9月2日(火)
本日も慌ただしい1日。
諸事情あり、「作業日誌」の帯を変更することになり(諸事情に関しては、明日発表)、新しい帯が到着したための付け替え作業やら、流通その他に付け替えの依頼やら、明日の発表のための準備その他で、結局原稿は書けず。
某DVDをとりに来た松田さんにも、帯の付け替え作業を手伝ってもらうことになる。
80年代高円寺レコード屋時代とまるで変わらぬ一瞬となった。
(知らない人のために補足しておくと、樋口、松田は80年代高円寺の某レンタル・レコード屋での仕事仲間である)
その後は、おそらく12月には発売になるであろう、湯浅さんの初期~中期批評集「大音海」の打ち合わせと編集作業。
かつて「音海」として発売されていた批評集に更に100枚くらいのアルバム・レビューを加えた、大改訂版である。
これまた索引作りで死ぬことになるだろうが、ガイド本としても使えるようにするためには避けられぬ作業。
しかしこれを読んでいると、例えば、「とにかくもう、余計なものは聴かずに、ニール・ヤングとグレイトフル・デッドだけ聴いてればいい」、みたいな気分になってくるのである。
(上記の固有名は入れ替え可能)
つまり、より広い海を知ることにより、より深い海へと入り込んでいくような本。
知ったつもり、聴いたつもりになっていた音楽の新たな聴き方を教えられると同時に、まさにこれだけを聴くための耳を持てば生きていけると教えられる。
というわけで、偶然ではあるのだが、本当に久々にこれ↓を聴いた。
「I want you」「All along the watchtower」でのジェリー・ガルシアのギターは何度聞いてもクラクラする。
透明でもあり、何処か分厚くもあり。
まあ、ならば、デッドによるディランのカヴァー・アルバムの方を聴けばいいんだけど、実はこのアルバム、いよいよ高円寺のレコード屋も終わりかなあという、レコードからCDへの移り変わりの時期に私が初めて買った(あるいは借りた)CDで、そこそこ思い出深いのであった。
9月1日(月)
月初めの月曜日というわけで、経理絡みの事務作業山積み。
こういう作業は嫌いではないのだが、原稿や編集作業が次々に押し寄せている時には、さすがにどちらか一方だけにしてくれと音を上げる。
それに加え、銀行関係、通販関係、IT関係、とにかくどこに行ってもIDとパスワードばかり要求されて、本当に頭に来る。
これじゃあ「振り込め詐欺」は滅びないと思う。
だって、画面に向かってIDやパスワード入力してようやく私を確認してもらうくらいなら、赤の他人でも声を聞かせてくれる方がありがたいと思うだろうしねえ。
盗難や詐欺を防止するためのIDやパスワードを一斉にやめたら、詐欺は減るんじゃないかとさえ思うよ。
boidの通販も、近々、今回の月刊へア・スタと同じ要領での、直接のメールのやりとりのみにしようかと思っている。
どうしてもカードで、という方はアマゾンにて、という振り分け方にて。
とはいえそのアマゾンもまた、こちらへの注文はコンピュータがその数を決めて連絡してくるんだよねえ。
どこもかしこもまったく・・・
ワイヤーの新作を聴いた。
ブルー・ギルバートの脱退に関しては、「CDジャーナル」最新号のコリン・ニューマンのインタビューで触れていたが、基本的にあまり語りたくないことのようだ。
音の方は、ワイヤーの新作というより、コリン・ニューマンの新作という塩梅。
「Object 47」というアルバムタイトルの付け方だって、いかにもコリン・ニューマンである。
ソロのセカンド(確か)でも、曲名が「fish one」から「fish twelve」まで、ずらっと並んでいたはずだ。
まあ、それやこれやで、それらコリン・ニューマンのソロの延長として聴くとなかなか面白かったし、インタビューで語っているような音の広がりも、確かにポップミュージックの範疇ではほとんど無いような、奇妙な奥行きというか、マッタリした音の厚さが空間を押し広げていた。
「CDジャーナル」のレビューでは湯浅さんが「ヘッドホンではなく、スピーカーの中に頭を突っ込んで聴け」というようなことを書いていたが、まさにそうやって聴いた時のような不思議な音の広がりだった。
IDもパスワードも必要のない世界が広がる。
夕方、中原がやってきて、6号目「Wild Hair Style」の裏ジャケ製作。
今回は、表はTシャツ同じ、冗談みたいなデザインで決めていたのだが、裏ジャケも見事。
お楽しみに。
帰宅後は、遅ればせながらアイザック・ヘイズ追悼のため、『ニューヨーク1997』を再見。
見直すたびに面白くなってくる映画。
というか見るたびに私がその面白さを見落としている、ということでもあるのだが。
今から思うと、81年当時のアイザック・ヘイズをメジャー作品に重要な役で起用するというのは、カーペンターよる相当なリスペクトではないだろうか。
例えば、77年当時のデニス・ホッパーをヴェンダースが『アメリカの友人』に起用したような。
しかし、昨日、中原はスライ・ストーンのライヴを見てきたとのことなのだが、スライがまだ生きていてアイザック・ヘイズが亡くなってしまったというのも、何だか凄い話である。