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boid日記 2008年11月

boid日記
text by 樋口泰人

11月30日(日)

久々に掃除とか片付けとかやっていると、ちょっと平和な気持ちになる。
とはいえ、ガンガンとあれこれを捨てる。
恨みがあるわけではないのだが、目の前にモノがあるのが耐えられないのであった。

夜、安井君から久々に電話。
ようやくネットが復旧したとのこと。
あれは、オリヴィエ特集の前の頃だったからもう4ヶ月くらい前になるだろうか。
どうやら皆様のメアドその他が全部消えてしまったようなので、安井君に連絡を取りたい方々は、とりあえず以前のアドレスにメールしてみてください。
これからは繋がります。

安井君によれば、ネットに繋がっていないと、身近な人たちの近況がまるでわからなくなる、とのこと。
確かに。
みんなブログで繋がっていたりするんだよねえ。
おかしなことになったものである。

それから、いよいよ『シネ砦』第2号の完成間近。
ギリギリ年内には発行できるのではないだろうか。
あとは安井君がコラムを書けば完成、というところまで来たらしい。
昨年の日本映画101本が、今年の年末に出るというものすごいタイムラグだが、これはこれでよし。
年末のお楽しみがひとつ。

11月29日(土)

一体いつから時の人になったのかよくわからないのだが、仕事を終えて事務所から戻ると、本日話題の例の通知が届いている。
いやはや全く。
日本などさっさと滅びてしまえと何度もこの日記で書き付けているのは、まだお役所には見つかっていないようだ。
さて、どうしたものか。
しかし本当にどうしてこう、次から次へと思わぬことが飛び込んで来るのか。

夜は、昨夜の梅本さんの助言によりジョニー・トーの『エグザイル/絆』を見直す。
といっても前回は最初の10分で生理的な嫌悪もあり、見る意欲を失い、そのままにしてあったのだ。
本日、とりあえずこれはこういうものだと思い直しつつ見ていくと、おおこういうことだったのかと納得。
もはや誰もいなくなった場所で、銃声だけが響いている。
この空虚は、『アンダーカヴァー』にも通じる。
こちらはマカオが中国に返還前夜、あちらは東欧の崩壊直前の物語なのであった。

11月28日(金)

朝というか昼、起きてメールをチェックすると、篠崎から、日記にもっと昨夜のチェックのことを書いてくれという連絡あり。
本来なら日記など書かずに寝るところを、そうも言ってられないよなと、最後の力を振り絞って呼吸困難になりつつ書いた日記だったのだが、まだ不満だったようだ。
なんと非情かつ過酷なことか。
女子供を容赦しないばかりか、ヨレヨレのオヤジも狙い撃ちである。
逆に言えば、まさにこれこそ映画の掟。
昨夜バウスで映されたのは、ただひたすらそんな映画の掟に従事する篠崎の非情さ溢れる短編集であったのだった。
原理主義というのともちょっと違う。
生まれながらにその血が流れているというか、本来なら目覚めるはずではなかった血が映画によって呼び起こされてしまったというか、何か無意識のうちに映画の掟をドンとぶつけて来る、そんな映画が集まっている。
一度はそういう場に身をさらしてみるのも良いのではないかと思う。

こうやって一連の篠崎作品を見てみて思ったのは、1作1作のセルフ・プロデュース能力がすごい、ということである。
その作品で何をやらねばならないか、何をやったらいけないか、という区別が見事についているように思えた。
しかもそれが似通ったジャンルの作品ばかりなのではなく、多ジャンルに渡る作品のそれぞれがそうなっているのだ。
逆に言えば、それこそが、これまで篠崎がコンスタントに長編を撮ることができていない原因なのだろうとも思った。
例えば、プロデューサー篠崎誠の命に反して監督篠崎誠が一本の作品にすべての映画、すべてのジャンルをぶち込んでしまうようなことができないだろうか?
つまり、『殺しのはらわた』の中に『子供の時間』を入れてしまうようなことが。
『霊感のない刑事』の長尺版は、長尺になった分だけその「全部感」が出ていたように思う。
まあ、だからといって果たしてそれで長編の以来がくるかどうかは別問題だが・・・
破綻を嫌うプロデューサーたちからは、更なるひんしゅくを買うだけか・・・
うーむ、結局前向きな結論にはならなかったが致し方なし。

本日もひたすら働き、夜は、デプレシャンの新作『クリスマス・ストーリー』へ。
日仏までに20分かかるかどうかという地の利のおかげでギリギリたどり着く。
いつも市ヶ谷は全く方向がわからなくなり迷うばかりなのだが、本日は迷いなし。
これは社長仕事の成果であるような気がする。
無理矢理な結論ではあるが。

『クリスマス・ストーリー』は、日本語字幕付きで見て、ようやく全貌を把握。
とはいえ、その物語や会話を堪能というより、めくるめく映像の転換と終始鳴り続けるさまざまな物音・音楽のアンサンブルに酔う、といった感じ。
とりあえずこれだけきつい、というか自分勝手というか、日本人である私には全くついていけそうにない人間関係と状況設定の中でのあれこれを、いとも簡単に軽々しく巧妙に語り、しかもその中に前世紀の映画のさまざまな要素をがんがんとぶち込んでやろうというような覚悟がみえる。
映画だけではなく、音楽も同様な扱い。
すべての歴史が全面に浮上する。
いかにもヒップホップ好きのデプレシャン全開、と言ってしまったら身もふたもないが、いずれにしてもこの2時間30分は長くない。
これだけの長さの物語が2時間30分で収まってしまったいる方が不思議、そんな時間の短さである。

その後、梅本さん、黒沢夫妻と食事。
カイエ・ジャポン時代に1、2度行ったことのある、神楽坂の某中華屋にて。
香辛料たっぷりの、うまい火鍋を堪能。
黒沢さんの、5月頃のあれこれの大変さを聞き、ちょっと呆然とする。
とはいえ、少しは落ち着き始めているのも確からしいので、いよいよboidの企画の本格始動の準備をしてもらおうと思う。

しかし、金曜の夜の終電間際の列車の混みようといったら!
新宿-高円寺間、腕と背中がぶち切れるかと思った。
もはやモノ以下の扱いである。
こんなことして詰め込まないとJRも儲けが出ないのだとしたら、それは、絶対に社会全体のシステムが狂っているからだとしか思えない。

11月27日(木)

バウスでの音調整が終わって帰宅するともう深夜3時過ぎである。
寒さがこたえる。

本日は午前中からあれこれやっていたはずなのだが、すでに忘却の彼方。
原稿も書いたが、まだ、あと2本。
しかし完全にネタ切れ。
明日までに作品を決めないとアウト、という連絡もくるが、さてどうするか。
時間を作ってそこそこ見たにも関わらず、結局書けるものがないという状態なのだ。
身体が3つくらい欲しい。

夜はジュンク堂にて「12枚のアルバム」の8枚目。
今回が2回目の登場となる大里氏。
いつになくアカデミックな話となる。
というか、この企画の当初のもくろみはこんな感じではあったのだ。
とはいえ、まあ、話が横道にずるずるとそれていくのもありだと思うので、毎回、それぞれのゲストと中原との関係の中で大きな振れ幅を持つ12回であってくれると良い。

今回は、人生にいかに絶望するか、ということがメイン・テーマとなった。
これは実は、月刊へア・スタの8号目とも繋がっていて、1曲目「Back to the Funeral」から最後の曲「Welcome to the Future」という曲の流れは、まさに絶望的な未来への1歩のための音楽ともなっているのである。
なんてまあ、こじつけでもあるわけだけど、それでもあることないことあれこれ考えながら聞くことのできる音になっていると思う。

その後、バウスにて『殺しのはらわた』レイト&オールナイトで上映する8ミリ作品など、短編をあれこれ。
篠崎の高校時代の作品でゾンビものの『デストラル』他。
しかしよくまあ、高校のときにこんなものを作れたと感心するばかり。
その他の8ミリ作品、ビデオ作品も、篠崎の監督作以外のものも含め、いやあ、映画監督になろうとか思わなくてよかったと思うのもだらけであった。
しかし、終わるともう3時近くという作業がまだ今後も続くかと思うと、さすがにこういった特殊(いや特集)上映、それから爆音上映のやり方を考えなくてはと思う。
身体が持たない。

それは多分、boidのサイズをはっきりと把握した上で、ときどき無理をしたり、あるときは身の丈にあったものをやったりという、そのバランスを保つことでもあるだろう。
ベースになるのは、boidはいわゆる宣伝をやらない、ということだと思う。
boidが何かをやること自体が何かの宣伝にもなってしまうようなやり方でやるのみ。
それがどういうことかは実はすでに結果が出ていて、あとはやるだけ。

そうそう、池袋からバウスに向かう山手線の中でアメリコのアルバムの話をしていたら、そこに牧野君から電話がかかるという不思議。
で、新宿で総武線武蔵小金井行きに乗り換えようとしていたら、アメリコのドラマー、大谷さんがいるという不思議。
一体これは何なんだろう。

アメリコ、面白いです。
一緒に歌えます。
歌いながら変な視界が開けてきます。
是非、お試しを!

americo2.jpg

11月26日(水)

引き続き全速力の一日。
昼には某ギャラリーのスタッフと、来年の中原の個展についての打ち合わせ。
マンスリーのシリーズが完結後、そのジャケットの原画を中心に、これまで描いてきた書籍の表紙用の原画、金沢映画祭ポスター用のもの、それから新作などなどを展示・販売するのである。
また、期間中、現場ではワーク・イン・プログレスな展示も行い、ネットでも中継、などなど企画は盛りだくさん。
まあでも、どこまでできるか。
詳細は追ってお知らせします。
3月末から4月あたりを予定。
1ヶ月くらいの期間で行ないます。

その後、税理士とともに、来年のためのboidの今年の財務整理。
もうちょっとで何とかなる、というところまではやってきた。

そして原稿書き。
その後、夜の渋谷へ出向き、篠崎の8ミリをビデオ変換する現場へ。
その前に、文化村内のナディッフ・モダーンに顔を出す。
9時前(つまり閉店前)のカフェ・ドゥマゴと広場には人っ子一人おらず、しかしギリギリ営業中で、何だか変な感じ。
渋谷駅から文化村までの喧噪と人ごみが嘘のようである。
今後、夜8時くらいにちょっと食事とかお茶でも、といったときにはドゥマゴにくることにしよう。
まあでも、そんな時間に渋谷に出ることなんて、年に1度もないか・・・

などなど、帰宅して食事を済ますとすでに11時30分過ぎで、さらにそれからバスケ本の入稿前最終チェック。
さすがにもう直しは出ないはずだったのだが、やはりそうは簡単ではない。
うーむ。
日仏もフィルメックスもまだまだ遠い・・・

それから、先週末3連休だったこともあり、そしてオールナイトもありで、月刊へア・スタ年間予約の方々への発送が、昨日(25日)になってしまいました。
早い人は本日、遅い人は明日か明後日の到着となってしまいます。
お待たせして大変申し訳ありません。
もうしばらくお待ちください。

11月25日(火)

昨日の日付が一ヶ月先を行っている、という指摘を受けた。
確かに。
すでにクリスマス・イヴである。
年越しに向けてうきうきし始める気分でこれから1ヶ月過ごせたら良いのだが、いやはやどうなることやら。

本日は諸事情あり早起き。
世間並みに一般的会社員の方々とともに出社である。
出社後は脇目もふらずに働くものの、予定の半分くらいしかはかどらず。
というか、予定が多すぎなのだが・・・

夜は、ジュンク堂の田口さんが早稲田大学文学部で毎週1回行っている授業のゲストとして教壇に。
boidの活動を通してみえて来る、業界の話しをあれやこれや。
でも学生たちがものすごく静かなので、ちょっと刺激してやろうと、「君たちが就職しようとしている出版業界はお先真っ暗」という話をしてみる。
が、やはり目立った反応はなし。
田口さんによれば、だいたいいつもこんな感じで、この雰囲気に慣れるのに時間がかかったとのこと。
いずれにしても、いつの日かこういった刺激が役立つことを願うばかり。

そうそう、ためしにブルース・スプリングスティーンを知っているかと尋ねたところ、25人ほどの受講生のうち2名が手を挙げた。
まあ、「ボーン・イン・ザ・USA」の後に生まれた人たちばかりなので、こんなものかなと思う。

12月24日(月)

ひたすら原稿に追われる一日。
原稿に追われているだけだと少しは集中できるので、普段よりはまし。
予定のものを仕上げ、さらに原稿のためにセドリック・クラピッシュ『パリ』やらジョニー・トーの『エグザイル/絆』やらを。
初めて見るジョニー・トーは、そこそこの評判を各所から聞いていたのだが、あのスローモーションと俯瞰ショットが生理的にフィットせず。
デ・パルマのスローモーションや俯瞰は特別好きということではないが、ごく普通に見ることができるのに、不思議だ。
クラピッシュの方は、物語だけ見るといかにも優等生が作りそうな(ソダーバーグという名前を出しても良いのだが)、パリで生きるさまざまな人々の関係とその姿を慎ましく描いた優しい物語なのだが、所々ハッとするようなシーンを入れることによって、均整がとれるはずだった全体像に不吉な風穴が空く。
というかそれこそがこの映画の核心でもあるわけだから、その意味でよく作り込まれている洗練された映画ということになるのだろう。

とはいえ、日仏ではカイエ週間が始まり本日はデプレシャンの『クリスマス・ストーリー』が上映されていたはずで、フィルメックスもまた、土曜日から始まっている。
フィルメックスでは、ブラジルのジョアキム・ペドロ・デ・アンドラーデ作品が何本か。
これは勧められていたのに結局未見のまま。
何ということかと思うが致し方なし。
しかしとりあえず一度は見ておきたいと思う。
だが果たして私は今週、朝日ホールや日仏学院までたどり着くことができるだろうか。

11月23日(日)

世間は3連休だが、boidは休みなし。
オールナイト疲れを引きずったまま、バスケ本の仕上げ作業である。
マジで疲れているので、細かい直しひとつひとつにどんどんと意気消沈させられる。
その上、今後のスケジュールの過酷さを考えると夜も眠れず、明け方になってこんなことではいけないと、あわてて健康食品を通販するなり。
なんだかねえ。
まあでも、これだけつらいと、今後はもうこれだけは絶対やらない、というような方針がきまってくるから、それはそれでよし、という前向きな気持ちで寝ることにする。
早起きの、というかいつも勝手に寝たり起きたりしている姫2号がもうすでに起きてきて、バタバタと暴れ回っている。

11月22日(土)

満員の来場者の方々、お楽しみいただけたでしょうか?
こんな形でないと見ることのできない作品をあれこれ、珍しいものから思わぬものまで上映し、中原はオートハープまで弾き始めたわけですが、この一夜が次への刺激になってくれることを願うばかり。

今夜は特に何のアナウンスもせず、いきなり物事が成されていくばかり、という無愛想なことに終始した。
日本のイヴェントは、いろんな意味で親切すぎる気もして、自ら嗅覚を働かせてそこに赴き、その上で感覚を全開にしながら何かと対峙するような、そんなイヴェントがあっても良いじゃないかと思っていたのである。

調子に乗って、またときどきやろうか、という話しになったのだが、だがまあ、調子に乗りすぎてひどい目に遭うのはもう懲り懲りでもあるので、その辺りは慎重に。
いずれにしても次回をお楽しみに、ということで。

11月21日(金)

さすがに本日はグッタリ。
午後から、キングレコードの人々と、オリヴィエ・アサイヤスがらみの打ち合わせ。
何とか来年は、オリヴィエの年にできたら良いのだが。
まあ、その前にboidの年にする! くらいの勢いでいたいものである(笑)。

その後は、月刊へア・スタ8号のパッケージ作業。
今回のジャケットは、ちょっと笑っちゃうようなかわいらしくも残酷なものになっていて、当初、このシリーズの企画段階では、ジャケットはすべて同じスタイルで、例えばハンコだけでできてしまうような簡素なものを想定しての予算・値段設定だったのだが、もう、そんな思惑からは遥か遠い。
ひたすら暴走と逸脱あるのみだが、それが奇妙なバランスで成り立ってしまっているところが本当に不思議だ。
明日のオールナイトでは先行発売します。
例によって、急遽、サイン会となる可能性もあり。
いずれにしても多くの方々のご来場、お待ちしているわけですが、イヴェント前夜というのは本当に不安になるんだよねえ・・・

整理券は19時からバウスのチケット窓口にて発売。
レイトのボアダムスの映画とセットで見たら、堪えられない一夜となるはずです。

それから給湯器は無事復帰。
蛇口をひねるとお湯が出るって、やはりすごいことだねえ。
こういう便利さに慣れてしまっていることが、逆に生活から豊かさを奪っていくようにも思えるのだが、とりあえず本日は風呂を堪能。

11月20日(木)

昨夜、寝たのが結局明け方になってしまったため、早起きの予定がすっかり狂う。
何とか10時過ぎには起きたものの、顔を洗おうとしたらお湯が出ない。
給湯器がぶっ壊れてしまったのだ。
あわてて修理を依頼するが、今日中ということだといつになるか分からないため、本日は自宅仕事に切り替える。
試写の予定もキャンセル。
しかし途中で、修理担当から連絡が入り、くるのが夕方になるのだが、そうなると部品交換になった場合、作業ができないという。
致し方なし。
作業は明日にしてもらい、本日の風呂を諦めることにする。
通常なら早めに帰ってきて近所の銭湯に行けば良いのだが、本日は22日のための爆音調整があるのだ。
したがって帰宅は深夜過ぎ。
銭湯などやっているはずもない。

というわけで、爆音調整は9時過ぎから始まり、延々と朝4時まで。
考えてみれば、オールナイトでやるすべての作品を一晩で調整しようというのだから、これくらいの時間がかかる。
中原もジム・オルークも、目をしょぼつかせて、最後のフィルム・チェックを前に夜の吉祥寺へ。

しかしとんでもないことになった。
かつてないオールナイトになることは間違いないが、驚喜する人、グッタリする人、果たしてどちらが多いだろうか。
いやその前に、これだけ「何をやるかわからない」ということだけを告知することに終始して、果たしてどれだけの方たちがやってきてくれるのだろうか。
これだけのものが見られたり聞けたりするのだから、絶対に3000円は安すぎとは自負するものの、何もわからないまま貴重な一夜を、しかも料金まで支払って過ごそうとする人がどれだけいるのか・・・
突然不安になるが、とりあえずこの一夜のイヴェントは、中原とジム・オルークが作ったアルバムであると思えば、このとんでもなさも納得がいくはず。
一晩かけて彼らのアルバムを聴く、というつもりでやってきていただけたらと思う。
もちろんライヴもやります。
最後は、音楽映画ではなく、堂々としたエンタテインメント映画です。
でもそれが、音楽(音響派?)映画に見えてしまうくらい、それまでの過程での視聴覚の変容を味わえます。

ということで、もう夜明けです。
ようやく姫2号の発情は治まりました。

11月19日(水)

昨夜も姫2号に攻められ続け、完全なる睡眠不足。
グダグダのまま、朝10時の六本木ミッドタウンにてソダーバーグ『チェ』の試写である。
合わせて4時間30分という前後編の前編なり、28歳前後のチェ・ゲバラ。
どうやら相当な長さの物語を撮影したもののあまりに長過ぎてようやく4時間30分ということらしく、その前半の物語の展開はやたらと早い。
『ダヴィンチ・コード』のスルスルと目的へと向かって進む、あの早さを思い出した。
何だろうか、この奇妙な感じ。
ゲバラの出自や、キューバの政治体制の実体は物語の大きな構図の中の一要素程度にしか語られず、つまりこの映画を見る人の多くはゲバラにも他の誰にも感情移入できないまま、でも何かただならぬものに導かれながらそこにやってきてしまう、というような語り口。
その意味では、『クローバーフィールド』や『ハプニング』とも近い説明のなさでもある。
とにかく目の前で、のっぴきならない出来事が次々に起きて、説明どころではないということなのだが、この映画の場合、そののっぴきならない出来事の最中にナレーションがガンガンかぶるので、何がのっぴきならないことなのかがよくわからなくなるのである。
すべてが平板化され、どこまで行っても出口が見えない。
だから、今から半世紀ほど前の事実の検証というより、離ればなれになった個が均一のシステムによってネットワーク化された今の物語としてそれはそこにあるとしか言いようがないのだ。
現アメリカのブッシュ政権内でこそ見られるべき映画というか・・・
もちろん28歳のチェは、そのネットワークから逃れようとしているように見えるのだが。

ブルース・スプリングスティーンが忘れられた今、ソダーバーグがアメリカ国民に向けてゲバラの映画を作る、という二つの事態のつながりを、無理矢理にでも見つけてやりたいと思ったのだった。

午後からは眠さと戦いつつ延々と社長作業。

帰宅後、相変わらずの猫の攻撃を退けつつ、月刊へア・スタの数々の音源が使用された映画『オカルト』(4月にDVD発売とのこと)の、できたてほやほやのサンプルDVDを見る。
聞いていたのにすっかり忘れていたのだが、黒沢さんが黒沢清役でかなりちゃんと演技(?)していて笑ってしまった。
内容が内容だけに、私は今すぐにでも見たことを忘れたいのだが・・・
怖い映画を深夜一人で見るのはもう、本当にドキドキである。

11月18日(火)

猫騒動が続く。
妻は不眠、私はすでに寝る布団なし。
腰のために2年前に思い切って買ったそれなりの値段のマットも、すでに何カ所かマーキングされ、いつまたやられても不思議ではない。
掛け布団も二つダメにされた。
とりあえず早く避妊手術を、という事なのだが、どうやら我が家の猫の心臓には雑音があるらしく、設備の整った病院で検査を受け、手術のOKが出た場合も心臓をモニタリングしながらの手術になるため、半端ではない額の費用がかかるようだ。
いったいどうしたものか・・・

昨日はその騒動で週明けからグッタリであった。
長嶌がやってきて、今後のboidページでの長嶌の音源公開の打ち合わせ。
これまで長嶌が作ってきた音で、結局どこにも使われなかった音楽を集めて、月に一度、数曲ずつくらいネット上で連続公開していこうという、まあ、言ってしまえば「Monthly Dowser」みたいなページ(正確にはDowserではないのだが)を作る事に。
12月半ばか下旬を目安にスタートする予定。
というようなことを話しながら、まあ、あれやこれやをグダグダと。

本日は、とにかく昨日分を取り戻すため、怒濤の仕事。
珍しく集中力あり。

そんなところに、これ↓が届く!

dreambabydream.jpg
dream baby dream →

何と、スーサイドのアラン・ヴェガの70歳記念ライヴにて、ブルース・スプリングスティーンが登場して「Dream Baby Dream」を歌った、そのライヴ・シングル・レコード、10インチ盤なり!
中原に教えられて、アマゾンに注文したのだけど、本当にスプリングスティーン。
アラン・ヴェガの70歳にも驚きだが・・・
しかもである。
なんと大塚はブルース・スプリングスティーンを知らないと言う。
いや、私も特別好きでもなんでもないのだが、とはいえ来日公演には行ったりもしたが、いくら何でもこの世にスプリングスティーンを知らない人間がいるとはと、なんというか、私がこれまで生きてきた基盤が根こそぎ崩れ落ちる思い。
だって、80年代、90年代のアメリカ音楽シーンの代名詞みたいな人だよと、説明しても、あまりピンと来ていない様子。
私とあまり年齢差のないという大塚母にも電話してみるが、やはり母も知らない。
別件で電話のあった、バスケ本の宣伝を手伝ってもらっている小倉も知らないと言う。

いったいこれはどうした事か。
世の中80年代ブームとか言ってるくせに、もしかして誰も本当に80年代に何が世界を席巻していたか伝えてないんじゃないか?
自分の好きだった音楽の事ばかり伝えて、それはそれでいいにしても、当時そこかしこから流れていた音楽で、ニュース番組でもアメリカそのものの音みたいにして、取り上げられていた音楽についてまったく伝えようとしていないという事なのか。
好き嫌いや良い悪いという事ではなく、とにかく「こういう人がいて80年代アメリカはこの人に代表された」というような、バカみたいだけど、たったそれだけのことでもいいから伝えておく必要があるんじゃないか。
だって、80年代アメリカ白人音楽のスピルバーグやジェームズ・キャメロンみたいな人だからねえ。
今も現役で活動しているその人がこれほど知られていないなんて、音楽業界どうかしてるよ。
CD売れないのも当たり前。
やることやってないんだから。
などなど、世の中すべてを敵に回しても良いくらい、私にとっては衝撃的な出来事だった。
今更聴き直そうなんてまったく思ってもいなかったけど、とりあえず全然聴いていない90年代以降のものからそろえてみるしかないか。
しかしこれではまあ、boidのアメリカ企画あれこれが全然人が来ないはずだと、改めて実感。
マジでやり方をまったく変えていかねば。

実は今朝、滅多に夢を見ない私が、クレイジー・ホースのビリー・タルボットが登場する夢を見て、何となくロックな始まりをしたわけだが、それの結果がこれとは、あまりなことに呆然とするばかり。
いや、夢とは全然関係ないかな。
それにつけてもホースではなく、キャットのクレイジーぶりには、完全にお手上げである。

11月15日(土)

昨夜、寝ようとして布団に足を踏み入れたら何やら冷たい。
というか、明らかに濡れているのである。
ゲゲッと思い臭いを嗅ぐと、やはり・・・
一昨日から挙動不審であった我が家の姫2号(二匹目の猫ではないです)の仕業であった。
仕方ないので掛け布団を持って1階に下り、旧仕事部屋のソファにて睡眠。

で、まあ、寝心地も良いはずもなくぐずぐず昼近くまで寝ることになったのだが、起きようとすると、手に冷たいものが触れる。
まさかとは思ったのだが、そこに水たまりが。
姫2号があわてて部屋から飛び出していく。

というわけで、猫のおしっこまみれの一夜となったのであった。
姫1号(人間の方)の反乱ではなく良かったと思うしかない。

 

午後、出社。
やり残している細かい作業、及び湯浅本の打ち合わせ。
このところ、バスケ本が山場を迎えていたので、湯浅本が置き去りになっていたのだ。
何だかもう、遠い昔のように感じられるのだが、高々10日くらい前の事にすぎない。
来週からは、こちらも一気に山場を迎え始める。
12月末までに文字データだけはほぼ完全版にしなければ、2月末の発売に間に合わない。
何しろその後さらに、ジャケット画像収集と索引の仕上げがあるのだ。
今後のスケジュールの事を思うとちょっと気が遠くなる。

だが来年のプロジェクトもいくつか動き始めているし、昨日、一つ更なるプロジェクトがほぼ決まったから、とにかく呆然としている時間はないというか、呆然としつつも手足は動かし、という状態に入るしかないのであった。
うーむ、猫の手も借りたいところなのだが・・・

11月14日(金)

さすがに本日は午後出勤。
中原の12枚のアルバムを収納するオシャレなCDケースを制作してもらおうと、某有名インテリア・メーカーとやりとり。
まあ、あまりにイメージが違いすぎるので、さすがに先方は戸惑い気味。
でも、あのCDのケースに中原の絵が入ったら、かなり面白くなるはずなんだけど。
boid独自でそれをお願いして作ってもらう事は可能だが、相当なコストがかかり、そこまではちょっと厳しい。

ジム・オルークからも連絡が来て、某日に行なう爆音調整に参加とのこと。
22日は、演奏の他に、ふたりが選ぶ映像作品をいくつかやるのだが、商業映画のフィルム上映が1本(これは誰もが知っている作品にも関わらず、そして公開されてまだそれほど時間が経っていないにも関わらず、おそらく当日の来場者のほとんどは未見の作品。さてなんでしょう?)と、音楽メインの短編DVD上映がいくつかという構成になるのだが、それらの上映作品はすべて、中原とジム・オルークが音の調整をやることになる。
さて、どんなことになるか、私も楽しみで仕方がない。

夜、渋谷のNHK傍の某所にて、最近の作品もジム・オルークが音楽を提供した、映像作家、牧野貴君に久々に会う。
ちょっとした作業をお願いするためだ。
牧野君のその新作は(あるいは旧作かもしれないが)、12月20日から2月15日まで、東京都写真美術館で上映されているとの事。
詳細はここ→

牧野君のところに行く途中、旧タワーレコード前(といっても、それがわかる人はもう、ほとんどいないだろうけど)を通りかかり、今まで全然気にもしていなかったのだが、あまりに久々に来たので、タワーだったところはいったい何になっているのかとふと見上げると、「サイゼリア」になっていた・・・
店舗の跡地が何になろうとたいした事ではないのだが、でもちょっとショックではあった。
とはいえ移転してもう10年以上も(いや15年以上も、か)経っているのに、今更そんな事に驚くなよ、という事でもあるのだが。
いや、こういう事に驚くタイミング、というのがあるのだ。

金曜の夜、渋谷駅の方に戻る気にならず、そのまま、やってきたバスに乗って新高円寺まで。
バス通勤も悪くはないなと思った。

11月13日(木)

朝、副都心線新宿三丁目駅ホームにて篠崎と待ち合わせ、『留守番ビデオ』『霊感のない刑事』などのビデオの受け渡し。
同じ朝でも先日の五反田に比べ新宿の方がずっとのどかな感じがするのはいったいなぜなのか。

とはいえ事務所では終日グッタリしながらも懸命にあれこれ。
昼食も夕方までとれず、夜になるにつれぐんぐん気分が悪くなり、手も震え、ついにはキーボードを打つのもままならなくなる。
普通なら帰宅しているところなのだが、本日はバウスにて爆音調整あり。

『殺しのはらわた』『留守番ビデオ』『霊感のない刑事』という3本立てである。
バウスに入る前に食事をとり、ようやく落ち着きを取り戻したのもつかの間、この3本立てでは落ち着くどころではない。
何だろうねえ、この篠崎の異様な迫力は。
自主映画でしかあり得ない粘りが生み出すものなのだろうが。

その一方で、『殺しのはらわた』は、どこか三隅研次の諸作品を思わせる外連味とスピード感が、自主映画とは思えない枠組みを映画に与えている、そのバランスが絶妙でもある。
『留守番ビデオ』の奇妙な現実感(例えば主人公がビデオを早回しするシーンは、映写の試験のためにそこだけバウスの映写の小嶋さんが実際に早回ししたように思えるのだ)といい、『霊感のない刑事』の怒濤の後半部分といい、この3本立ては、十分に興行価値ありと思える。
今更ながら、どうしてこの3本立てのみで堂々と勝負しなかったのかと思えてならない。
篠崎によれば、地方での公開は基本的にこの3本立てでまわすとの事。
映画の、最もシンプルかつ充実した興行となるだろう。

11月12日(水)

相変わらず慌ただしい。
社長業とはこんなものかもしれないとは思いつつ、何か腑に落ちない感じも常につきまとう。

友人から、ネットショップをオープンしたという知らせがくる。
ここ→
この日記を読む皆さんにはあまり関係ないかもしれないが、ちょっとした贈り物に困ったとき、日常の中に何となく暖かいものが欲しくなったときなど、のぞいてみてください。
思わぬものが出てきたりします。
そのうち音楽ネタのアイテムも出て来るはずなので、要チェックです。

本日は夜、『サーク・オン・サーク』の翻訳者でもある明石さんに会う。
一時帰国中。
1年に一度は会っていると、まあ、お互いあまり代わり映えもせず、考えてみると、東京に住む友人たちにも1年に一度会うか会わないか、というような事はままあるわけで、何だか不思議な感じだ。
一緒に会った中原は明石さんとは数年ぶりかもっと会っていなかったらしい。
来年は、ベルリンにて中原と明石さんの対談本を作成、みたいな本気と冗談すれすれの企画も持ち上がる。
しかしいったいベルリン行きの費用は誰が出すのか・・・

それからオリヴィエ・アサイヤスがらみでちょっといい話も飛び込んで来る。
オリヴィエに関しては別件でも深く潜行しつつ進行中の話もあって、この二つがうまく結びつけば、まあ、これまでのような事にはならないのではないか、というごくごく淡い期待がわき上がるのだが。

などなど、遅ればせながら、来年に向けての準備があれこれ始まり、さらに慌ただしさに拍車がかかりそうな気配。
うーむ、だからといって儲かるわけではないんだよねえ・・・

11月10日(月)

昨日は、午後から事務所にて月刊へア・スタ8号のジャケットのためのオブジェ作り&撮影会となったのだが、わたしは家でグッタリしつつ、バスケ本の修正に精を出し、いよいよ家作りに入った友人夫妻が諸々の資料収集にやってきたり、そしてその後は再び翻訳原稿校正作業とグッタリを繰り返していたため不参加。
どうやら深夜2時くらいまでかかったらしい。
いったいどんなジャケットになったか、発売までのお楽しみ。

本日も、右肩の異様な痛みを引きずりながら、先月末から今月初めにやり損ねた、社長仕事をひたすら。
boidのような本当に小さな、いわゆる零細企業でも、一月単位では結構な金額が出たり入ったりするので、ちょっと呆れる。
まあ、自分のやっている事がどういう事かを数字であからさまに知らされて、その上でさらに何をするか考えるために会社にしたわけだから、この作業は絶対に欠かせない。

とはいえ、試写。
試写に行く時間がないと文句ばかり行っていても時間は増えてくれないわけだしねえ。
イジー・メンツェル『英国王 給仕人に乾杯!』。
昔『スイート・スイート・ヴィレッジ』という映画を見ただけで、その後はまったくフォローもしておらず、この映画に関してもまったく予備知識のないまま、なんとなくそのタイトルからピーター・グリーナウェイみたいな映画を想像していたら、まったく違った。

フィクションとしての映画の形式を強く踏襲しながら、その形式が生むばかばかしさやおかしさを大胆に描く、感触としてはイオセリアーニの映画に近いようにも思えるが、かつてあった映画の形式を意図的に取り入れているという点においては対極に位置する。
いずれにしても、フランス映画社配給の映画の中で、女性の裸が出て来る回数、その人数ともダントツ。
回数と濃密さだけならゴダールの方が上かもしれないが、とにかく人数が・・・(笑)
とりあえず、出演した女性たちのほとんどが脱いでしまっているのではないか。
とにかく、画面の隅にしか映らない人までみんな脱いでいたりするのであった。
しかもそういったシーン、そして裸ではないが非常に他愛無い、でもこの人のこういう顔は映したいよねえ、というような何でもないシーンに、それなりの時間をかけている。
単におふざけではなく、映画にはこういう顔が必要でしょうとか、こういう時間が必要でしょう、というようなことをその馬鹿げた一つ一つのシーンが伝えて来るのである。

また、それらのシーンを作るのに、かつてあった映画の形式を借りつつ、気がつくと各所でちゃっかりとCGを使うなど、現代テクノロジーもふんだんに取り入れ、さらに気がつくとほとんどの会話はアフレコではないか。
つまり、リアリティとフィクション、映画を見る事における映画と観客との近さと遠さを自由に行き来しながら物語が語られていくのだった。
物語自体も、戦前と戦後のチェコを行ったり来たりしながら、その時代時代に人間が収まってしまう形式=政治体制を横目で見つつ、映画だけがそこから自由である事を告げる。

あり得ないような物語をマンガのように語る映画と、あくまでもこの世界の現実を観客に突きつけて来るドキュメンタリー映画という二極化が進みつつある現在の日本の映画状況の中で、このような映画を見られる事は非常に愉快である。
というか、これくらいの映画、当たり前に見る事ができるようでなくてはいけないんじゃないか、と思った。

事務所に戻ると中原が来ていて昨日の続き。
裏ジャケ用の写真撮影。
しかしなかなかうまく行かず、本日分は諦める事に。
まあ、そんな事もある。

その後、松田さん、黒沢夫妻と食事。
どんな映画を今、どのようにどうやって作るのがいいのか、などなど、日本映画の現状を見回しつつあれこれ。
黒沢さんはこの1年あまり、耳鳴りやめまいがすっかり治ったとのこと。
未だに耳鳴りを引きずり、本日は首筋から肩から背筋にかけての鈍い痛みに苦しむ私は、うらやましい限り。

11月8日(土)

本日も昼過ぎからバスケ本『ハート・オブ・ザ・チーム』のチェックにて、ウルウルと涙ぐむ。
やたらと自分勝手だったり、その逆でまったく自分に自信を持っていなかったり、自らの強さ故にさらに強力な困難を招いたりするいろんなタイプの高校生たちが、バスケットを通しての著者との交流の中で、次第に彼女たちなりの生き方を見つけていく、その変化と、変化を引き起こすきっかけを見逃さない観察眼と、その際に一気にことを行なう野性とが、この本を形作っている。
著者だけでも彼女たちだけでもできなかった変化が、クールに語られているのだ。

その後、バウスに行って、『殺しのはらわた』他の上映素材を届け、そして22日のオールナイトの打ち合わせ。
中原、ジム・オルーク両名が爆音で上映したい作品を選んで上映の他、ふたりの演奏は、果たしてどのような形で行なわれるのか、当日まで不明。
まあ、何が起こっても大丈夫なように、バウスも準備はしておくことになる。
しかし、両名はいったいどんな作品を選んで来るのか、そろそろその手配にも入っているのだが、作品タイトルは当日まで極秘。
演奏、上映、ともに当日のお楽しみということで、当日になっても上映が始まるまではタイトルは発表しません。
夜明けには、おそらく当日来場する方々のほとんどが想像することもなかった作品が上映される、ということだけお知らせしておきます。

なお、11月22日は19時から整理券を配布します。

このところ、涙もろくなっているのは、バスケ本のおかげなのだが、実はこのアルバムのおかげでもある。

madam_owl.jpg
madam owl →

前作のようなヒリヒリとした空気感はないが、その分、「歌」として更なる大きさを獲得しているように思える。
そのためには個人的な痛みも悲しみもすべて投げ打つ覚悟をしたのではないかと、勝手な妄想を広げている。

11月7日(金)

我ながらboidはよく働いていると思う。
12月に向けてさらに厳しいスケジュールが待っている。
昨日も瞬く間に一日が終わり、本日は朝から五反田イマジカにてチラシやプレスの製作をしているアルジェントの『サスペリア テルザ』の初号試写。

朝の五反田は結構な人ごみでびっくり。
これだけの人が朝から毎日ちゃんと働いているのかと思うと、むちゃくちゃ腹立たしくなる。
やはり日本はつぶれてしまうがいいなどと、朝から働く方々には大変申し訳ないことを本気で思う。
こんなにみんなちゃんと働いて、こんなろくでもない国を作っているなんて、いい加減バカじゃないだろうかとしか思わないのだった。
というわけで、本日から、配給会社と宣伝会社の方々からの電話は一切受け取らないことにする。
「樋口は出ています」と言われても、居留守だと思っていただきたい(もちろん、その他の電話には出ます)。

いや、単に、今後のスケジュールを考えると試写に行けるときにしか行けず、いくら電話をもらってもまったく効果なしなので、配給・宣伝の方々も時間の無駄をせずに済むだろうという配慮でもある。
今はとにかく、抱えているいくつかのことに集中しないとならないのだった。

『サスペリア テルザ』は、DVDで見るよりは、当然のことながら迫力は大いに増す。
音もでかい。
ただその一方で、あまりにしょぼいシーンもしっかりとしょぼく映る。
その落差も面白かったりするのだが、それに乗れないと、つらいのかもしれない。
かつての様式美とはまったく違う、異様に即物的な部分やばかばかしい部分もあり、まだまだギラギラしているのは頼もしく思えた。

夕方からは中原が来て、月刊へア・スタ8号のジャケットのためのオブジェ作り。
だが、予想外に難航。
10時過ぎまでかかって、「この作業はかなり難しい」という教訓を得ただけで、結果は残せず作業は日曜日に持ち越し。
私はその間、ひたすらバスケ本の原稿チェック。
あまりに美しいエピソードが次々に語られるので、ひとりでこっそりと涙を流していた。
この本は、現在教職に就いている方々、若者たちを教えることを志している方々には是非読んでいただきたいと思う。
私が教えたことが今すぐ役に立たなくても、彼らが30代になった頃思い出して、そのときの人生のささえになってくれるといい、というようなことを、著者は語っているのだが、まさに思わぬところ、思わぬときにこの本の教えが役立つときがあると思える内容。
若者たちを教える教え方に関しては、異論反論あるかもしれないが、ただ、それをささえる著者の「ハート」が語られるとき、多くの読者の心をぐっと揺さぶるはずだと、妄想が広がる。
朝の五反田の風景には、どうしてもこのシアトルの女子校バスケット部コーチの「ハート」が感じられなかったのだ、というのが本日の結論。

11月5日(水)

本日も朝からよく働いた。
でもまあ、普通のサラリーマンはこんなことくらい当たり前かもねえ。
とは思うものの、ただこの状態に加えて「試写を見ろ」というのは、物理的に完全に無理。
どちらが重要か、急を要しているかという問題ではあるので、まったく拒否しているわけではないのだが・・・

夕方からはデザイナーの倉茂君がやってきて、『サスペリア テルザ』のチラシ、書籍『ハート・オブ・ザ・チーム』、それから『大音海』の打ち合わせ。
その後、来年の爆音映画祭のスポンサー探しをお願いしている栗田さんとの打ち合わせ。
中原もやってきて、今月発売のへア・スタ8号の曲名の決定と、ジャケットをどうするかの話。
ジャケットは、これまでのような絵ではなく、物体を作ることから始めることに決定。
といっても紙ジャケは変わらないので、その物体を写した写真を中心に、ということになるのだが、これまでとはまた違ったジャケットになることは確実。
これはもう、12枚並べておかざるを得ないでしょう。

そうそう、昼間、秋葉原に行った。
今月末からパリで行なわれる青山のレトロスペクティヴに便乗して長嶌を売り出そうという思惑にて、上映時に長嶌のサンプル音源を配布することにしたのだが、とにかくまず、配布用のCDをを作るため、コピー用CD−Rを買いにいったのだ。
いや、何も秋葉原まで行かなくてもヨドバシで買うとか、アスクルに注文するとかしてもいいのだが、実はさすがに秋葉原、行くところに行くとヨドバシの最安値価格(それでも相当安い)の半額なのだ。
大量の枚数が必要な場合、全然違う。
昨日、マスタリングの際に運転をしてくれた鈴木のギャラ分くらい浮いてしまうのだった。
いやまあ、鈴木のギャラが格安である、とも言えるのだが。

11月4日(火)

連休中はぐずぐずしつつ仕事もしつつでまあ、冴えない日々。
ジェームズ・グレイの『アンダーカヴァー』という犯罪映画を見た。
ホアキン・フェニックスとマーク・ウォールバーグが、はみ出しものの弟と立派な兄貴を演じる。
さらに立派な父親はロバート・デュヴァルという、とりあえずこの組み合わせだけで見に行かなくてはと思わされるキャスティング。
しかも、ホアキンの恋人がエヴァ・メンデスという私のためにあるような映画であった。
特別なことは特に何もしていないが、だからこそ、70年代から80年代、そして90年代へと至る理想と現実の大きなねじれがヒリヒリと伝わって来る、近年珍しい陰鬱な映画になっていた。
冒頭のブロンディの「ハート・オブ・グラス」一発で、大概の人は映画に引きずり込まれるはずだ。

一昨日は、帰国中の吉武美知子さん、それから斉藤敦子さんと地元の某ちゃんこ鍋へ。
うまいちゃんこ鍋をたらふく食った後、店の親方から高円寺裏世界の話をあれこれ伺う。
いやあ、これがかなり面白く、詳細は書けないが、今後その手の映画を作ろうと思ったら、是非この親方にも取材するといいだろう。

本日は事務所では朝から篠崎や黒岩もやってきて『殺しのはらわた』チラシの仕上げ。
私は調布にて、月刊へア・スタ9号のマスタリング。
果たして12号まで続けられるかと、数多くの人から心配されたこの企画だが、残すところ3号である。
よくここまできたものだと思う。
前回のマスタリングは途中からイケイケな感じになって、ハイテンションのまま、マスタリングというより次々に曲を完成させていったのだが、実は今回はそのときの名残を静かに仕上げるという、本来のマスタリング。
すべて自宅での一発録音。
聴いていただければわかるのだが、多重録音も、コンピュータも使わずにこれをどうやって一回で作ったのかと思うような多彩な音が、さも当たり前のようにそこにある。
その心地よさに耳を傾けていると、いきなり脳ミソをかき回されるのである。
それこそへア・スタならではの展開でもあるのだが、とにかくそれは聴いてのお楽しみ。

帰りに吉祥寺ユニオンに。
トロッグスのギターの人のソロ・アルバムというのが日本盤でしかも紙ジャケになっていて呆れた。

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Chris Britton “As I Am” →

しかもどうやら、もう何年も前から日本発売されていたのだった。
全然気がつかなかった。