
boid日記 2008年12月
boid日記
text by 樋口泰人
12月30日(火)
事務所にて、年賀状送付作業&軽く大掃除&とりあえずの年内仕事の締め。
医者の風邪薬を飲むともう本当に1日中眠ってしまうので、本日は抗生剤のみ服用して風邪薬は飲まずに出社。
昨日よりは多少身体が軽くなった感もあり。
いずれにしても、年末気分はゼロで、どんよりと気分は淀んだまま。
気分がこうだから体調が優れないのか、体調が優れないから気分が塞ぐのか。
とはいえ、次善の策としてはとにかく体調を戻すのみ。
気分に関してはコントロール不能。
気にしてもどうにもできないし、医者に行っても治る気がしない。
夕方、月永が来て『大音海』打ち合わせ。
このままでは2月末発売はもってのほか、4月発売も危うい。
(実は、本日発送したboid年賀状には、2月下旬発売とはっきりと記されているのであった。)
ただ、ずるずると行くわけにもいかないので、とにかく4月8日の某イヴェントには絶対に現物ができている、ということですべてのスケジュールを組み直すことに。
『大音海』は、呆れるようなものになるのは間違いないのだが、果たしてこの苦労に見合う分だけ売れてくれるか、ということだけが心配ではある。
しかし、そこはもう、堂々といくしかない。
しっかりした値段も付ける(それでもかなり格安だと思う)。
多分、購入して読んだとしても、結局全貌が見えない音の海の底知れなさだけが実感されるような、そんな本になるはずである。
頭が良くなったり、物知りになったりすることはないかもしれない。
今は私自身が、そういう本しか興味がわかないことも事実である。
そしてその後に同様な書籍も待機中である。
まあ、これに関しては、1年がかりで多くの人が現場を体験中ではあるのだが。
それから、boid通販は、本日から1月4日までお休みです!
この間の注文は受け付けますが、発送は1月5日になります。
12月29日(月)
終日ほぼ寝たきり。
ううう。
12月28日(日)
まだまだ回復せず。
1年の身体酷使のつけが来た模様。
うむむむ。
『大音海』入力、索引作り作業も諦め、ひたすら休む。
12月27日(土)
午前中、病院に行って薬をもらう。
インフルエンザではないので、熱はひどくないのだが、とにかく身体がだるい、喉、鼻が苦しい。
帰宅後はそのまま寝る。
夕方からバウスへ出向き、爆音映画祭09の第1回ミーティング。
次回は5月末から1週間と、その後にレイト1週間が追加されるかも。
スケジュールを立てていくと、年明け直ぐからブリブリと動き始めねばならない。
『大音海』作業は果たして大丈夫か。
夜は引き続き軽く忘年会という予定だったのだが、私がどうにもならないので、新年会をということで解散。
帰宅後、再度眠ってしまう。
12月26日(金)
風邪悪化中。
むむむ。
12月25日(木)
本日もまた、風邪薬を飲みつつの仕事なり。
当然、予定はこなせず。
あたふたしている間に夕方である。
夜は今年最後のジュンク堂。
今回が10回目で、次回はパリ篇だから、池袋はあと1回と勝手に思っていたのだが、今回は9回目だった。
確かに、アルバムもまだ、9号だからねえ。
10号を作り終えてしまったための勘違いなのか、いよいよへばってきたのか。
まあいずれにしても、1年間、延々とダラダラとやり続けるのもそれなりの力業なのである。
本日のゲストは、ひとりの人間が5時間をフルに使って何かをやるイヴェントも主催する虹釜太郎氏。
やる方も大変だが見る方も大変だろうと思う。
寝転んだりしても良いのかねえ。
というわけで、あれこれと話も広がり、アルバムもなし崩しにあれこれとなり、何と中原の持ってきたアルバムまでたどり着かないという、かつてない事態となった。
とにかく、今日、ここでしか聞けない、といってもそれが果たして「貴重」かどうかは謎ではあるが、その謎も含めて貴重な一夜であった。
で、その後は次回に持ち越しという、2回で1回分。
「あと1回」という私の勘違いは、こんな形でオチをつけたわけだが、次回は2月。
1月は中原がパリに行っているため、パリのジュンク堂主催で行なわれる。
今、映画・音楽の批評家で、『作業日誌』にも何度か登場しているフィリップ・アズーリにお相手を交渉中。
いやあ、こんなダラダラなイヴェントがついに海外進出です(笑)。
今年後半のboidの目標はまさに「海外進出」ではあったのだが、こんな形で実現することになろうとは・・・
しかしまあ、これは「実現」と言って良いもものかどうか・・・
いずれにしても、決定したら、お知らせします。
パリに住む友人その他にご連絡ください。
したがって、2月は今回の続きとなります(多分)。
今回来場できなかった方でも、全く問題なくお楽しみいただけると思います(笑)。
しかしまあ、一体誰が悪いのか、回を追うたびに最初の決めごとがグズグズになっていく、というか、毎回全く決めごとなどなかったかのように進行してしまうのであった。
何ともたまらなく素晴らしい。
12月24日(水)
メリー・クリスマス!
なのだが、boidは特に代わり映えなし。
昨夜の風邪がひどくなり朝から風邪薬を飲んで出社のため、1日中ぼーっとするなり。
夕方からはバタバタと人が来て、『大音海』索引作業進まず。
まあ、そんなものだろう。
一方、爆音映画祭2009の準備はあれこれ進む。
助成金が当てにできなくなった分、自力あるのみ。
いくつかのアイディアを思いつく。
帰宅後、到着していた会社用に使っているカードの請求を見て愕然とする。
しばらく会社の経費の支払いに、カードを使うのをよそうと思う。
忘れていた頃の決済とかあるからねえ。
確かに11月は結構使ったなあとは思ってはいたのだが・・・
とはいえ、そうなったのは私のせいばかりではない、ということだけは言っておきたいと思う(笑)。
数日前、1年がかりでようやく『エルヴィス伝』を読み終わった。
70年代半ば以降のエルヴィスの毎日は、ドキドキの連続であった。
何時死んでもおかしくない状態で、数年を生き続けていた。
70年の世界中継ライヴで初めて動くエルヴィスを見た私は、リアルタイムではどんどんと死人になっていくエルヴィスを見続けて育った、ということになる。
もちろん当時はそんなことがわかるわけでもなく、私にとってエルヴィスはしばらくの間単に嘲笑の対象でもあったように思う。
若いということは何と残酷なことかと、今になると思う。
エルヴィスとは直接は全く関係ないのだが、今こうやって『大音海』で苦闘しているのは、せっかくリアルタイムでエルヴィスを見ていながら取り返しのつかない扱いをしてしまったことへのお詫びというか、その重荷を『大音海』の物理的な重さ(厚さ)に変えようという試みでもあるような気がしている。
大切なものがそこにはあるのに、それが伝わらないもどかしさや悲しさを、『大音海』という物量によって視覚的に示すことができたらと思っているのである。
どうやら湯浅さんは大竹伸朗さんから、「とにかく糞みたいな文章も、くだらない文章も、何でもそこにあってこその『大音海』なのだ」とサジェスチョンされたらしい。
全くそのとおりである。
ジョン・レノンのように「入隊以降のエルヴィスには興味なし」と突き放してしまうのは簡単だが(実際ジョン・レノンが本当に突き放したかどうかは分からないが)、70年代のエルヴィスが生きてしまった壮大な空虚もまた、裏側から私たちのやるべきことを示してくれていると思うし、あるいはそれを「空虚」と思うのも単にこちらの言い方でしかないわけだから、「入隊以降」のエルヴィスの姿をひたすら物量としてのみ伝えるだけの、おそらくほとんどの人にとってはどうでも良いと思われる10数年間のエルヴィスのどこか散漫で虚ろでしかし突如として熱情ほとばしる行為の数々を綴った2段組み約700ページの『エルヴィス伝』は、その虚しさとともに読み終えたときに、実体のない質量のみを読者の体内に鈍く沈殿させるような書物であったように思う。
というか、エルヴィス自体がそのようなものとして見えて来るといえば良いのか。
『大音海』の目指すのも、まさにそのようなところではないか。
とはいえこの『エルヴィス伝』、私が言うのはちょっと気恥ずかしくもあるのだが、誤植と固有名の間違いや不親切な表記、不統一が多く、それから翻訳も粗訳のまま掲載されてしまったのではないかと思われる箇所が各所にあった。
翻訳の三井徹さんの訳文に対しては、グリール・マーカスの著書の時も賛否両論あったように記憶しているが、私は案外あの文体が気に入っていた。
今回の『エルヴィス伝』は、その「三井文体」になる前の段階の文章が掲載されてしまったように思えるのである。
あれだけの長文の書籍なので致し方なしとも言えるのだが、もう一度チェックする時間はなかったのだろうか。
何か、編集作業がなされぬまま、準備段階のものが世に出てしまったような、そんな感じなのだ。
まあ確かに、それもまたエルヴィスの70年代のある側面のようでもある、とも言えないこともないのだが・・・
12月23日(火)
ウーム、まだ完全復活とは行かず、昨日の日記の日付はすでに2月。
2月までは、このグッタリした状態が続くということなのか。
本日は、世間は休日ではあったがboidは出勤。
このままでは湯浅本が2月どころか4月くらいになってしまいそうな勢いなのである。
というわけでせっせと入力作業やら索引作りやら。
夕方、吉祥寺タワーレコードに出向き、来年の爆音映画祭に向けての営業。
次回もまた、タワーが協力してくれることになった。
もしかすると今年とは違う形での協力、ということになるかもしれない。
しかし、世間は休日、というか完全にクリスマスなんだねえ。
タワーの店内もものすごい混みよう。
レジに並んだ列を見ただけで、購買欲を失ってしまった。
実は本日、ヒカシュー30周年記念ライヴというのがあって、初代マネージャーであるうちの妻は当然行くわけだが、私もまた同行しようかとも思いつつ、さすがに人ごみは本当につらい。
姫1号にデザートを買って家路に着こうとしたものの、吉祥寺ロンロン内の洋菓子売り場もまた、完全にクリスマス仕様で普通のケーキなどほとんど売っていない状態。
何だかよくわからないまま、世間様のきっぱりした動きを思い知らされたのであった。
でまあ、疲れ切って帰宅。
夕食後は気がつくとぶっ倒れて寝てしまっていたのだが、案の定すっかりのどをやられ、イガイガの夜なり。
2月22日(月)
病は何とか回復。
漢方薬と同じくらいする値段のサプリメントに思い切って変えてみたのが良かったようだ。
姫2号も無事避妊手術を終え、落ち着きを取り戻し、布団も枕もようやくすべて揃って睡眠も通常通りに戻った。
いやはやお騒がせしました。
とはいえ、今後、このサプリメントをずっと続けていけるだけ稼がねばならないのであった。
『殺しのはらわた』レイトも無事終了。
結果的に目標をかなり上回る動員となり、夜遅くの吉祥寺までこれだけの方々に集まっていただいたことにひたすら感謝。
金曜日の山根さんのお話は、オールナイトで朝まで聞いていたくなるくらいの面白さであったが、まあ、実際にそんなことをしたら、私が真っ先にグッタリしてしまうのは目に見えている。
事実、その後の打ち上げでも、途中で「具合悪いから帰る」と何時言い出しても不思議ではないくらいの状態になってしまったのであった。
本日は、奇妙な天気であったが、午後からはオリヴィエ・アサイヤスの新作『夏時間の庭』字幕付き初号試写なり。
ちょっと前、日仏学院で無字幕ヴァージョンを見てはいたのだが、そのときはまさかこれが日本公開されるとは思いもよらなかった。
5月に、銀座テアトルシネマにてロードショーとのこと。
配給会社の話によれば、オリヴィエ・ファンはもちろんのこと、銀座に出て来るような、人生も後半に差し掛かり「その後」の人生を生きているマダムたちにおすすめの作品として売り出していきたいのだという。
確かに一見非常に地味な、年老いた母と、その死語に残された中年の兄弟たちの物語だが、まさにそれこそ40代、50代以上の人たちが見たら、オリヴィエのことなど知らなくても自分の人生と重ね合わせてしまうこと間違いなし、という物語になっているのだった。
確かにそういう売り方を想定しての日本配給なら納得がいく。
などなど、というような裏事情はしかし全くどうでも良くなる、素晴らしい作品であった。
レンジの広い、奥行きのある豊かな音の出る良いスピーカーで、堪能したい。
音楽ばかりでなく、鳥の声、街のノイズ、部屋の中で響く人の声など、非情に繊細な作り方がされている。
4時間をこす大作『感傷的な運命』を思い出さざるを得ない。
まだ、日本に字幕つきのプリントがあるらしく、本国と権利の交渉をして、ちょっとややこしい手続きを踏めば上映可能とのこと。
6月には、boidとキングレコードとの共同配給にて、この『夏時間の庭』の前に作られた音楽ドキュメンタリー『Noise』も公開する予定なので、そのときには、『感傷的な運命』『冷たい水』その他、オリヴィエ特集を何とか実現させたいと思う。
しかしジュリエット・ビノシュを金髪にして、革ジャンを着させてパリの街を歩かせる、その風情はまるで、かつてのビュル・オジェのようであった。
あんな風にジュリエット・ビノシュを撮ることのできる監督は、オリヴィエ以外にあり得ないだろう。
しかも、ビノシュがアメリカから連れて来るフィアンセが、イーストウッドの息子なのである。
どうやら3月に開催されるフランス映画祭でも上映されるらしい。
それもあってか、初号試写だというのに、補助椅子まで出る盛況ぶりで、オリヴィエ作品でこんなことになるとはと、驚くばかり。
にわかには信じがたいのだが、来年の5月は、銀座のマダムたちがこぞって『夏時間の庭』を見に行ってホロホロと涙を流す、というようなことになるのだろうか。
とにかく、フランスの田舎の夏時間の夜9時頃だろうか、まだ明るい、でもどこかで夜の気配が空気を支配する、生と死の折り重なった時間の永遠が、この映画を包み込んでいる。
それを思い出すだけで胸が痛い。
とりあえず、映画の最後に流れるこのアルバムの5曲目をしっかりと身体の中に流し込んで、私も人生の夏時間の夜を迎えることにしたいと思う。

The Incredible String Band "The 5000 Spirits or the Layers of the Onion"
ちょっと前までは日本盤の紙ジャケが売られていたのだけど、もう在庫がないようだ。
店頭で、紙ジャケを見つけたら、即買いが正解。
12月18日(木)
何とか病は回復中だが、それ以上に急がし過ぎ。
目の前のことを片付けていくので目一杯。
他に何もできず。
明日は『殺しのはらわた』最終日。
山根貞男さんが、マキノのDVDになっていない作品などを見せつつ、そのアクションに突いて篠崎と語る夕べとなる。
お見逃しなく。
12月16日(火)
耳鳴りとめまいの日々。
こればかりはそのつらさが他人に伝わらないのでイライラするばかり。
もやもやした怒りとともに、この数日を過ごしている。
残念ながら、『殺しのはらわた』トークには、その後参加できず。
日々のレポートを書こうと思っていたのだが2日で中断してしまった。
いやはや。
土曜日のオールナイトの様子は、ここ→にて。
この日はちょっとだけ顔を出したのだが、爆音でもやった『要塞警察』のサイレンサーの音の小ささによるアクションの印象の変化、という話がなかなか面白かった。
爆音をやると、小さな音にも興味がわくのだ。
それからやはり爆音でもやった『シャウト』は、あの爆音の音を知っていると、とにかくあの人がシャウトしようとして身体をのけぞらせただけで身震いする。
不思議な感じだ。
というようなことを思いつつ見ていたら、やはり頭がくらくらしてきて、それっきり本日まで船酔い状態だったというわけである。
さて、明日はどうか・・・
12月9日(火)
近所の本屋、新高円寺で唯一の本屋が、気がつくとつぶれている。
確か先週末までは普通に営業していたはずなのだが。
今や店内もすっかりがらんどうで、きれいさっぱり夜逃げの跡、といった風情。
実際に夜逃げしたかどうかはわからないが、何とも殺伐とした風景で胸が痛む。
悲しいことだが、本を出版する側から見ると、もう書籍関係は皆でごめんなさいした方が良いんじゃないかとさえ思う。
もうすべてが目一杯で、ちょっと何かが起これば全部吹っ飛ぶような状況に思える。
限界である。
つぶれてしまった本屋のがらんどうが妙に悲しいのは、それが今の出版界の姿にも見えるからではないか。
いや、出版界というより今の日本の姿、ということなのだが。
そんな空虚を抱えながら、昼はせっせと銀行関係の書類作りと助成金の書類作り。
映画祭の収支計算書というのを作っていたのだが、役所によれば、それは収支の数字がぴったり合わないとならないのだという。
役人にとってはおそらく当たり前のことだが、こちらは赤字にはなりたくないし、やる以上は我々の労働対価も欲しいわけだし、その労働対価の分がまだまだ全く見合わないので、助成金で何とか補填しようという腹だったのだが。
こちらが世間知らずすぎなのだろうか。
役所としては、それは収支がぴったりと合っていることが必要かもしれないが、経費には事務所維持費も企画料もスタッフの人件費も含まれないわけだから、それじゃあ我々はどうやって生きていくわけ?
助成金といったって、役所の書類道理の経費計算をしていたら、いくら助成金が出たって我々のギャラはゼロかマイナスじゃないの・・・
というところを、大人な人たちは、形式的には立派にプラスマイナスゼロに収めるような書類を作って、もらうものはしっかりもらっているのだろう。
私も早くそういうことができるようになりたいと思うものの、いい加減ちょっとあほらしくなる。
夜、本日はギリギリで『殺しのはらわた』トークの時間に間に合う。
で、いきなり"ハプニング"。
昨日の日記で「明日はどんなハプニングが」とか書いたのがいけなかったのか、柳下君の持ってきた参考上映用のビデオが早回しになってしまって音も出ない。
後からわかったことだが、LPモードで作ってしまい、LPモードのないバウスのデッキでは上映できなかった、という次第。
トークの方は、剣で人を切る、突くというシーンのとき、最近の殺陣は、全然殺陣になっておらず、踊りになっているという指摘から。
つまりその場に、切られる身体という物体が存在していない。
切られた腕や足がごろんと転がる、それまで生きていたものが単なる物体になってしまったときの取り返しのつかない痛みがそこにはない、という話。
つまり最近の日本映画は、どれもつぶれた本屋のがらんどうのような痛みさえ持たないというわけである。
日本映画を見ているより、つぶれた本屋のがらんどうを見ている方がよっぽど生きている気がする、というのは、なかなか映画を見られない私の言い訳でもあるのだが。
殺陣が殺陣になっていないというのは切られる人の問題でもあると言う高橋ヨシキ君の発言は、切られたときにいかにあのがらんどうを見せられるか、という取り返しのつかなさに向けての言葉であるだろう。
アクションとは、その取り返しのつかなさを生み出す動きなのだと思った。
12月8日(月)
姫2号の件で、皆様にはだいぶご心配をおかけしてしまった。
とりあえず、心臓には雑音があるが、通常なら成長するにつれ区分けされるはずの心房の壁が、完全に閉じ切っていない状態とのこと。
ただ、大事には至らず。
手術も問題なくできるらしいのだが、念のため、大学病院で心臓のモニタリングをしながらの手術をすることにしたのである。
そのために通常の倍から3倍くらいの値段。
手術は水曜日に行なうことになった。
ちょっとドキドキだが、まあ何とかなるだろう。
後は私の布団一式と枕等々を揃えて、快適な睡眠を確保せねば。
『殺しのはらわた』の方は、本日よりアクション映画を巡るトーク1週間が始まる。
その初日は黒沢さん。
私は、boidの財務仕事が山場を迎えていて、トーク半ばになって、ようやくバウスに到着。
今週はほぼこんな感じでしか出席できない。
場内に入ると、マット・デイモンがエレベーターの中で緊張中。
このシーンは見たことがあるのだがタイトルが思い出せない。
相変わらずひどい健忘症である。
おそらく『ディパーテッド』だとは思うのだが・・・
で、そのシーンのCGの使い方や、それをいかに人力で行なうかという工夫について。
そしてその後の『ワイルド・アパッチ』や『ペイルライダー』の細部に於けるカットの早さや呆れてしまうようなシーンの演出の方法について。
それらが結局のところ、映画を作るという労働、それは荒れ地を耕して土を肥やし、そして種をまき、育て、収穫するという根気のいる作業にも似ている何かの存在をぼんやりと浮かび上がらせていく。
単に映画好きの対話でも映画作りを目指す人のための知恵となるだけではなく、映画を作るということがどういうことであるか、映画を映画たらしめている真の労働についての対話となり、さらにそれは、人はなぜこんなにも映画が好きなのか、映画をなぜ見るのかという答えのない答えにも繋がっていくように思えた。
こういった対話をぼんやりと聞くことのできる幸福を味わえた1時間(私はその半分くらいだったが)となった。
観客として毎日聞きに通えるくらいの余裕が欲しいねえ・・・
終了後、バウス事務所にいきなり嶋田久作さんが現れてびっくり。
観客として、見に来ていたのだった。
監督ふたりも、嶋田さんの来場を知らず。
対談の中でも嶋田さんの話は、確か出ていたから、ふたりとも本当に驚いたのではないか。
明日はどんなハプニングがあるだろうか。
12月6日(土)
『殺しのはらわた』初日である。
しかしまあ、この寒さでは辛抱たまらん、と思われた来場者の方々も多かったのではないか。
バウススタッフの井手君は、寒さの中での入場待ちの方々の「早く開場してくれ」視線にすっかりやられてしまったようで、青ざめていた。
というのも、昼間上映している『252』の上映時間が予定よりも若干長いらしく、その分、レイトの会場も遅れてしまうということになるのだった。
明日からは、開場20時55分、上映スタート21時5分となるはず。
とはいえ、まだ決定ではないので、詳細はバウスに問い合わせていただきたい。
というわけで、寒い中をお待たせして始まった『殺しのはらわた』レイトは、ゲストの唐橋充さん、川野直輝さんファンの方々が大勢駆けつけて、boidのイヴェントとしては本当に稀な、女子率80パーセントくらいの初日となったのであった。
あの陰惨な映画の後のトークは、しかし、思い切りアットホームな、なごやかなものになり、これまたboidのイヴェントらしからぬ女子たちの笑い声の包まれたものになった。
これはゲストの両名、そして篠崎の人柄によるところが大きい。
イヴェント終了後もしばらくバウスの受付前で待っていたファンの方たちのために、唐橋さん、川野さんともにサインをする姿が印象的だった。
その風景はこちらにて→
これから2週間、監督というよりもホストとして日々のトークを仕切ることになる篠崎は本当に大変だと思う。
ただ、通常のご挨拶程度のトークにしなかったのは、やはり時にはこうやってじっくり話してみることも今後のために必要ではないかと思ったためで、篠崎やゲストの方々だけでなく、来場者の方々の今後にとっての刺激になることを願うばかり。
月曜日の黒沢さんが参考上映として選んだものは、何だか相当とんでもないことになっているとのこと。
私もまだ詳細は知らず。
お楽しみに。
12月5日(金)
昨日の帰宅が午前3時過ぎになり、姫2号におつきあいし、日記をアップしたりして寝たのは7時。
したがって本日はグダグダ。
妻が姫2号を東京農工大学病院に連れて行き、心臓の検査。
どうやら心臓の雑音はそれほどひどいものではないらしく、手術も可能とのこと。
来週、避妊手術を行なうことになった。
検査料28000円、手術料50000円。
通常の避妊手術の倍ちょっとの値段で何とかなることになった。
しかし未だ、家に帰るとこれだからねえ・・・
メールを出すのも日記を書くのも一苦労なのであった。
明日はいよいよ『殺しのはらわた』初日。
濃密な2週間が始まる。
しかし私の身体は大丈夫か???
青山からも疲労困憊、というメールが入る。
12月4日(木)
以前この日記でもちょっと紹介したハンドメイド雑貨のネットショップを始めた友人から手袋が届く。
一体何が送られてきたのかとびっくりしたのだが、めちゃくちゃ装着感(という言葉を使うのだろうか、手袋の場合)の良い手袋だった。

素材は、ポッサム(むささびみたいな有袋類)とウールの混紡で、カシミヤより暖かく、しかも丈夫。
洗濯機で洗っても、毛玉できません。
くつしたとかマフラーとかセーターとか膝掛けもある、とのこと。
クリスマスの季節、こんなプレゼントをもらったら、ちょっとニコニコだろう。
詳細はここ→
夜は六本木スーパーデラックスにてアメリコの1stアルバム発売記念ライヴ。
へア・スタ、蔦木俊二(突然段ボール)さん、湯浅湾、アメリコというラインナップ。
残念ながら動員的にはかなり厳しかったが、本当に良いライヴだった。
こういうのは主催者じゃなくて観客としてその場にいたいねえ。
ただ主催者としては、3年後は驚くほどの大観衆とともに彼らの音を聴きたい、という野望がむくむくと。
3年間やりつづけられる気力と体力をつけなくては。
もちろん一方では、最初は高円寺のUFOクラブくらいの広さの、身の丈に合った場所でやる、という選択もあったかと思う。
そうすれば、ちょっと賑やかでもっと暖かな一夜になったかもしれない。
ただアメリコも湯浅湾ももうそろそろいい歳でもあり、あまりに身の丈に合った場所でやるともうそこから広がる力を出せなくなるのではないか。
だから今回は身の丈以上の広さの場所でやって野望をたぎらせることは、いろんな意味で必要なことではなかったかと思う。
なんて余計なお世話より、彼らの素晴らしい演奏を大勢の人に伝えるのはboidの役目なわけだから、何はともあれ自らの力不足をなんとかしなければ。
そんなboidの今後も含めて、その野望を共に膨らませていきたいと思える、バンドの演奏であった。
終了は11時過ぎ、片付けも終えたら12時となった。
同時刻にバウスでは今週末からの『殺しのはらわた』レイトで上映する篠崎の短編やオールナイト上映の作品のチェックが行なわれていた。
身体がふたつ欲しい。
12月3日(水)
昨日から「郵便振替事件」というのがあって、その詳細が本日判明するのでことの次第によってはガンガン文句を書いてやろうと手ぐすね引いていたのだが、結局、ちょっとした勘違い、ということが判明してあっけなく決着。
金銭のやり取りは、うっとうしいようでもきちんと確認して入金がない場合は相手にちゃんと伝えるべし、という商売の基本を思い知らされたのであった。
そのかわり、助成金・後援・支援問題、というのが発生。
来年の爆音映画祭で国家からの助成金を得ようとして諸手続きを始めたところ、「あ、これはまずい、このままだと絶対に助成金はおりない」という項目があり、爆音映画祭のHPのトップから『殺しのはらわた』の画像を下げたのだが、実は公的機関の「公序良俗に反する行為」というのはもっともっとチェックが厳しくて、全く気にしていなかったものまで引っかかり、現状では8割がた、助成金の申請手続きすらできない状態であることが判明。
後は何とか、文化的にこんな意義があるのだということをアピールして乗り切るしかないのだが、boidのHPをチェックされたら、こちらには『殺しのはらわた』が堂々と載っているからその時点でNG確定。
うーむ。
しかしなぜこんなに公的機関のチェックが厳しいのか、よく考えてみると、これはおそらく『靖国』の公開中止事件が尾を引いているのではないかという結論に達した。
あれは、単に上映の問題だけではなく、一方であの映画に公的資金である助成金が使われた、という部分でも文化庁に多くの非難が寄せられていたと思う。
お役所としては当然、今後そのような事態を引き起こすことがないよう、あらかじめチェックを厳しくして、つまり自主規制の度合いを強くして、より安全な、何の非難も浴びないような映画やイヴェントへの助成を行うのみ、という方向へと行ったのではないかと想像される。
『靖国』問題は、実は今後思わぬところでその反響が聞こえて来るようになるはずなのだ。
これからが本番。
でもそういった部分には、新聞も雑誌も反応しないんだよなあ。
とはいえ現実問題として、来年度からは安全なものばかりが助成を受けて次々に作られたり公開されることになるわけだから、こちらとしてはなんとかしてそれらの一部でもそうではない映画やイヴェントへとまわすことができるよう、できる限りの対応をしなければならない。
爆音映画祭の来年度の助成は相当厳しいだろうが、毎年執拗に、そして丁寧に、公的機関に向けて助成申請を行なっていく必要があるだろう。
しかも、危険なこともしっかりとやりつつ。
気を長く持たねばと、珍しく殊勝なことを思った。
本当は、助成なんて受けなくても勝手にやってやるよと思ってはいるんだけどね。
爆音映画祭だけの問題じゃあないからねえ。
12月2日(火)
昨夜もまた姫2号問題が発生し、ついに私は寝るものが全くなくなる。
仕方なく、姫の尿臭満載のソファベッドで寝るはめに。
寝たんだか何だかもう全くよくわからない。
ひたすら、心臓の検査の良結果と、避妊手術の成功を願うばかり。
しかし相当な手術費用をとられること必至。
我が家の財政は果たして大丈夫か。
布団も枕も仕入れねばならぬ。
まあ、というわけで本日は半分寝たまま出社。
午後からは篠崎とそのゼミ生がやって来る。
今後、boidの作業をあれこれ手伝ってもらうのである。
映画を作るのと違って仕事は地味だし、達成感もあるのかないのかよくわからないし、果たしてそれが将来に繋がるのかどうかも謎。
でもまあこんなやり方もある、という参考くらいにはなるのではないかと思う。
その後、湯浅さんが来て『大音海』打ち合わせ。
未だ全貌みえず。
すごいことになっている。
お土産に、湯浅湾レコーディングの第1回目分をいただく。
ザ・バンドのセカンドという噂通りの空気感あり。
ひとつの曲のシーンごとでの演奏の強弱のバランスが、曲を飾り付けるためではなく、結果的にそうなってしまったからこれで良いのだ、というような音の原初を指し示すような大人げない躍動感を聞かせる一方で、左右のスピーカーから別のテイクのボーカルが聴こえてくる人力
ステレオ処理は何ともソフトな音の広がりを作り出す。
これがどのように仕上げられていくか、楽しみは広がる。
いずれにしても、ものすごく正統派のロック・アルバムに仕上がりつつあることは確か。
『大音海』の後、boidからリリース予定である。
それから12月4日の出演順が決まる。
8時スタートで、ヘア・スタイリスティックス、蔦木俊二、湯浅湾、Americoという順番。
Americoには最後にたっぷりと、思う存分演奏してもらえたらと思っている。
そして本日もまた、姫2号に攻められっぱなしで寝ることができないのだった。
12月1日(月)
昨夜、再び姫2号の反乱があり、私はついに布団ばかりか枕もなくなった。
とりあえずどうにかしなくてはならないのだが、どうにもならず。
枕は、ソファのクッションで間に合わす。
とにかく今度の休みには、布団一式と枕を買わねば。
金曜日には姫2号の心臓の検査もしてもらうので、それ次第で我が家の今後が決まる。
安井君から再度連絡がくる。
結局、メアドも変更になってしまったとのこと。
安井君に連絡つけたい方は、とりあえず私のところに連絡を。
本日は月初めの社長仕事あれこれ。
来年の爆音映画祭のための助成金を受けるための書類作り。
とはいえ今回が初めての申請なので、まずは武蔵野市の後援・支援を得なくてはその資格がなく、武蔵野市に提出するための書類。
まだまだ先は長い。
その後、ソダーバーグ『チェ』の後半。
ボリヴィアで命を落とす38歳の1年間。
ただひたすら、憂鬱な行進が続く。
なぜゲバラがボリヴィアに入って革命軍を指揮しているのか、彼は何を考えているのか、相変わらず全く明らかにされぬままの、つらく苦しい日々の描写ばかりが続く。
これでは誰が見たって、こんなつらそうな革命なんてしたくないと思うのではないか。
アメリカ合衆国から援助でも受けての反革命映画ということなのか、とさえ思う。
だがそういった政治的立場も感じられず、ひたすら暗い未来への重い一歩一歩を体感するのみ。
ターゲットを決めて効率的に狙いうつことに長けた現代のコマーシャルな映画群の中にあっては異色の映画であった。
その後、事務所にて、中原もやってきての月刊へア・スタ9号ジャケ作り&月永がやってきての『ハート・オブ・ザ・チーム』校了前の最終校正作業。
ジャケは思わぬ展開を見せ、何というか、これまで積み上げてきたものすべてを台無しにする革命的(?)なものに。
『ハート・オブ・ザ・チーム』の方は、そんなことをしたら大変なので、反革命的保守作業。
そうこうしているうちに、すっかり夜も更ける。
帰宅後、夕食を済ますとすでに12時過ぎで、まあ今月はひたすら目の前のことをガツガツとやっつけていくしかないと思うばかり。
その先を見ると真っ暗闇なのでそこまでは見ない。
目先のことのみ、何も考えず、何も考えずと言い聞かせる。
まずはとりあえず12月4日のスーパーデラックスをお楽しみに。
昨日、スタジオに入って何曲かをレコーディングした湯浅湾のその音が、かなりいい感じにできたという報告もあり。
「ザ・バンドのセカンド・アルバムのような感じ」なのだとも。
そうまで言われたら聞かないわけにはいかないでしょう(笑)。
アメリコのライヴを見たことのない方々も大勢いるかと思われます。
是非この際に。