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boid日記 2009年3月

boid日記
text by 樋口泰人

3月31日(火)

本日は、今度は湯浅さんから、社長に断りもなくシリーズ第2弾。
まあこれは、いきなりでき上がったものをもってきたわけではないのだが。
しかし一体皆さんほんとに、何を考えているんだか(笑)。

ただ、この湯浅さんや中原の行為を見ていると、仕事とは探すものではなく作るものなのだということがよくわかる。
職探し、ではなく、職作り。
ちょっとしたことだが、労働に対する視線をちょっと変えてみるだけで、思わぬ世界が広がったりするのではないか。
考えてみればboidだって、「定職」はなし。
誰に断りもなく仕事を作り出し働いて、何かを得る。
勝手に荒れ地を耕して種をまいて実らせてそれを食べる。
その繰り返しである。
世の中には「荒れ地」は結構広がっているものだ。

とはいえ本日は決算。
この1年が数字となって現れて来る。
うーむ。
うーむ。
うーむ。

なんかもう、来年、再来年実るはずの種をまいているのだと思うしかない。

夜は湯浅さんが来て、アルバムの帯のチェック、封入するおまけ作り、そしてコメント・チラシの準備。
作業をする大塚・湯浅を残し私はバウスへ。
鬼太鼓座のスタッフに会うためである。
もちろん、爆音映画祭でのライヴの下見。
となれば、何を上映するかもうお分かりでしょう。
残念ながらプリントではなくデジタル素材での上映になるが、おそらく音はこちらの方がいいのではないか。
お楽しみに。
ライヴ付きです。

そのついでに、今年後半に、もしかするとマンスリーでの発売となるかもしれない『大音海』の発売に会わせ、例の「爆音でモノラル・レコードやSP盤を聴く夜」イヴェントの話を。
第1回は9月か10月くらいか。
不定期のイヴェントになると思うが、『大音海』と同様1年か2年がかり。
「荒れ地」を耕すのも楽ではない。
やはり、仕事は探した方が楽なのかもねえ・・・

ああ、それから、個展カタログを、会場にて発売中。
こんな感じ→
今回の個展の全データと、中原へのインタビュー、ゲストにも来ていただいた椹木野衣さん他の原稿。
表面は、爆音映画祭のポスターにもなったあの絵がドドーンとB全サイズにて。
ご来場の際は是非ご購入を。
原画は買えなくても、とりあえずこれを買っておけば、画伯の絵を一通り楽しめます。
マンスリー・シリーズをより面白く聴くためのヒントが隠されているかもしれません。

しかし私は地方にいるのだ、とか、あるいは東京にいるが忙しくて行けない、とかいう人のために、boid通販でも販売を始めます。

3月30日(月)

本日は、昨日ほぼ仕上がった中原の絵の方の出来上がり具合をお届けするはずだったのだが、写真が届かず。
このところ、これに限らず私の頼み事は、なかなか思うにまかせず。
へこたれるばかりである。
もちろんへこたれてなんぼ、なのではあるのだが。

午後からは月刊へア・スタのセット購入者のボーナスである「ミステリー・ディスク」のマスタリング。
音源は「made in Paris」。
どんなことになっているかお楽しみに。

そしてさらにもう1枚。
これは社長に何の断りもなく勝手に販売計画を立てた中原による、月刊へア・スタ13号(笑)。
これが何と、大いなる問題作となった。
これを耳にした人誰もが、いろんな意味で虚をつかれることになるだろう。
大いなる空虚の出現というか、空虚との対話というか。

とはいえ、である。
売る方の身にもなってほしい。
問題作である故に、何とか世に知らしめたいのはやまやま。
しかし、12枚が完結したばかりで果たして、ファンの方々にはさらに続けて買ってもらえるのかという不安ばかりが先立つ。
というか、雑誌だと考えれば「別冊」ということにもなるのか・・・。

・・・というわけで、月刊へア・スタには「別冊」がつきます。
セット購入者の方もこれは単独での購入をお願いします。
ただ、発売は、boidがあまりに忙しいため、早くて5月、遅れると6月。
いずれにしても忘れられてしまってはまずいので、それまでは「問題作、問題作」と言い続けます。

明日は年度末決算日なので、その他の仕事はストップして、数字と格闘。
皆さんへの連絡も、明後日になります。

3月29日(日)

昨日は昼前に『NOISE』の予告編作りのための打ち合わせ。
その後出社して仕事となったのだが、出社すると、エアコンも加湿器もつけっぱなしで、事務所中がもわーっと、温室状態。
貧乏会社のやることではない。
金曜日の混乱ぶりが伺える。

本日は昼過ぎから青山ブックセンター本店へ。
湯浅さんの小説『あなのかなたに』発売記念の、いしいしんじさんとのDJとトークのイヴェントである。
チラシとポスターとでき上がってきた湯浅湾のジャケットの見本を届けるためだが、当然のようにそのまま居残ることになる。

ただ、開場までしばらく時間があったので、ご近所のオン・サンデーズへ、個展の様子を見に。
目の前の大通りをまっすぐ行って左に曲がればいいだけなのに、案の定迷子になる。
この辺りはヤバいとものすごく気をつけて、何度も確認したはずなのだが。
気がついたら、オン・サンデーズのある外苑西通りを反対側に来ていたのである。
青山墓地に引き寄せられるように、と言うべきか・・・
とにかくめまいくらくら状態で引き返しオン・サンデーズへ。
しかし一体何度来たらこの辺りで迷わなくなるのだろう。

個展会場では、いよいよ中原の作業が始まっていた。
といっても壁に掛けたでかいキャンバスではなく、別の小さなキャンバスでの作業。
まあ、まずは助走、という感じか。
本日のところはこんな感じ(実際には昨日の作業)。

nakahara01.jpg nakahara02.jpg

さっきメールが来て、本日中にこのひとつをほぼ完成させたとのこと。
明日の日記ではそれを。

オン・サンデーズを出てとぼとぼ歩いていると見覚えのある顔が。
大学時代の友人である。
3年ぶりくらいか。
六本木に住んでいるのだが、一家で散歩の途中とのこと。
おお、六本木と青山とはそんなに近いのかと、今更ながらに驚くが、そういえば以前中原が六本木から信濃町まで、歩いて帰って行ったのだった。
あのときはそんなことをするのは中原だけだと思っていたのだが、そんなことはない、一般人にも歩けるくらいの距離だったのだ。
青山墓地のせいではなく、単にこの辺りの地理感が、私にはまったくないのだという事実だけが浮かび上がる。
友人とは、近々別件にて会う約束をして、ブックセンターに戻ると開始直前。
おそらく100人くらいは入る会場がほぼ満員である。
女子率がそれなりに高いのは、いしいさんの力によるものか(笑)。

とはいえ、いきなりガンガン、フィル・スペクター・モノラル攻撃。
モノラル専用のカートリッジを使って出て来るレコードの音は、もう、何と言うか、本当にそこに音が実在することを思い知らされる。
実在しないものまでも実在するのだと言い切りたい思いに駆られる。
青山墓地からいろんなものがやってきてそこで演奏しているようでもある。
「ビー・マイ・ベイビー」には、まじで涙が出た。
世界の始まりから終わりまでを見通すようなスケールのでかい展開が、当たり前のようにコンパクトにまとまり3分間の中に詰め込まれて、しかし今にも爆発暴走しそうな気配を漂わせつつ、ポップソングの文脈に平気な顔して寄り添っている。
この歌のとてつもない表情が一気に目の前に現れてきたのだった。
こんな体験は初めてである。
これは本当に凄い。
もはやCDの音になれてしまった身体が、何か別のものに変わって行く感じ。
とりあえず『大音海』発売の際には、このイヴェントを是非バウスでと思う。
ただ、バウスのスピーカーではまた音が違って来ると思うので、爆音上映とは別の調整が必要でもあるだろう。

しかし、その後にかけたSP盤の音は何と太くてどっしりしていることか。
時を経るに従って、盤自体も軽くなり、音もそれにつれて軽くなってきたということがよくわかる。
人生の重みも同じだろうか。
それもまたよし、なのだが、何とかこのSP盤的な重さをダウンロードの音に注入することはできないだろうか。

いずれにしてもこんな機会は滅多にあるものではない。
単にレコードを聴くだけじゃないか、なんて高をくくっていたら大間違い。
なんてウルウルしていると予定の3時間を軽く越え、明日までに仕上げなければならない仕事が待っている私の時間の限界が。
その後はどこまで続いたのだろう。

家に帰って原稿を仕上げながら、本日のおまけのCD−Rを、最後から2曲目のジーザス・アンド・メリー・チェインまで聴くにあたり、本日の話のテーマは本当は80年代に亡霊として蘇ったウォール・オヴ・サウンド、みたいなことだったのではないかと、そしてそれこそ『あなのかなたに』のテーマではないかと、まだ一文字も読んでいないくせに勝手に妄想する。
亡霊として蘇るということは、ダウンロードの音の中にSP盤の音が間違って紛れ込む、みたいなことでもある。
その軽さと重さ。
『あなのかなたに』は青山の『死の谷'95』とセットで読まれるべき作品ということになるだろうか。

そうなると、本日のイヴェントはまだまだその序章の前くらいのところまでしか行かなかったはずだ。
秋以降、SP盤の時代から80年代、90年代まで、20世紀の音の歴史を一望しつつその向こう側に突き抜けるような音盤爆音シリーズを、『大音海』の発売にあわせつつバウスでやることを、相談もなく勝手に決意する私であった。
バウスの皆様、まだまだこれから困難の日々が待ち受けております(笑)。
というか、boidはますます貧乏になるばかりか、これでは。

とはいえ本日は一体どこまでやったのだろう・・・

3月27日(金)

昨日に引き続き中原デー。
オン・サンデーズでの個展、初日である。
いろんなことが重なって私もすでにヨレヨレだが、中原もさすがにばてたみたいで、何と、本来なら昼には来場して、会場の壁に取り付けた大きなキャンバスに最初に一筆を入れておくはずが、結局19時くらいに我々とともに到着。
したがって、キャンバスは見事に白い壁と一体化しており、おそらく本日の来場者にはまったく意識もされない『壁』としてそこに存在していたはずだ。
でも、明日からはきっと、そこに何かが生まれる。はず。

夜のトーク&ライヴのイヴェントのゲストは椹木野衣さん。
来場者のほとんどの方々はトークがメインのイヴェントだと思われていたと思うが、実は、ふたりの演奏が1時間ちょっと。
ちょっと驚いた方も多かったと思う。
しかもかなりでかい音だったしねえ(笑)。

こういう空間での演奏は、ライヴハウスやクラブの空間と違って、音の回り方が思わぬことになるので、それだけでも非常に面白い。
中原の音は1台のアンプから出されているとは思えない、広がりと奥行きを見せてくれた。
しかし途中40分くらいを過ぎたあたりで、もしかするとこのまま2時間をトークなしでやってしまうつもりかもと思えるような終わりなき演奏状態にはいったため、主催者としては非常にハラハラした。
もし本当にそうだったら、どうやってそこまではやらせず演奏を止めに入るか、どんな風な止め方がいいか、あれこれ考え始めたとき、中原が手もとの携帯を開いて画面を見たので、おお、そこまで暴走はしていないきちんと計算していると一安心。
そして1時間をちょっと越えたくらいでしっかり終了、しかも、出すべき音は出し尽くした1時間分の空虚をそこに残す。
たぶんその空虚は演奏中からそこいら中に漂っていて、それが演奏するふたりの背後に飾られている作品の数々と反応して、それらの作品たちがそれまでとは違った表情を見せ、その1時間分の化学反応が最後に残された、という感じ。
だから、本日来場して演奏を聴いた方たちだけが、中原の絵画の可能性を見たのだと、言ってしまってもいい。
実は、これまた本来なら、初日までに「音を聴きながら見る絵」というのをテーマにした作品を作って展示するはずだったのだが、やはりそれも出来ずこの個展のための「新作」は白いままの壁のキャンバスのみということになってしまったのだが、しかし本日の演奏こそ、中原の新作として予定されていた「音を聴きながら見る絵」であった、形には残らないがしっかりと新作を作り上げてきたこの絶妙かつ微妙な中原の製作姿勢には、毎度のことだとはいえ呆れるばかりであった。

とりあえず、来場者の方々、ギャラリーのスタッフの方々、どうもありがとうございました。
というか、これから1ヶ月、まだまだあれこれ続くのだけど。

それから、本日はまだ準備ができていなかったのだが、へア・スタの12枚のアルバムのジャケットがそれぞれデザインされたマグカップやトートバッグ、Tシャツなどの販売も、順次行なっていきます。
お土産にどうぞ。
ジャケットが印刷されたマグカップが12種類、自分の部屋の棚に並んでいる風景など、想像するだけで楽しくなると思われるのだが、いかがでしょうか。

あ、あと、昼間はバウスのスタッフたちと、爆音映画祭での上映作品の最後の選定をやった。
来週には上映作品を正式発表できると思う。
今年は基本的に事務局側で上映作品を決めていったため、昨年とはまたまったく違うセレクションになった。
フリーパスを買って全作品を見たりできる余裕があると、ものすごく楽しいのではないかと思われる。
というか、今後の人生が一気に変わるのではないかとも思える。
そんな力強い映画祭になってくれたらと思っている。

3月26日(木)

本日はついに池袋ジュンク堂の「中原昌也12枚のアルバム」最終回。
あまりのバタバタの中で、直前まで「忘れてはならない」と言っていたポータブル・レコード・プレーヤーを見事に事務所に忘れる。
したがっていつもはゲストの持ってきたアルバムから先に流して話を始めるのに、本日は、中原がCDをもってきたのでそのアルバムからスタート、という事態に相成った。
その間に、プレーヤーを用意するという綱渡りの最終回。
まあそれもまた、この企画の最終回らしい。
言い訳ではあるのだが。

中原・湯浅両名の話は、なぜかふたりが持ち寄ったアルバムではない、スライ・ストーンの話で盛り上がる。
昨年の来日時のステージの話。
この話を聞くと、やはり見に行けばよかったと後悔。
いいものを見たり聞いたりするだけでは、何かを見たり聞いたりしたことにはならないということを改めて実感する。
ダメなときもある、どうにもならないときもある。
それをどう見せるかという見せる側の問題と同時に、それをどう見るかという見る側の問題もそこに生じる。
そこから何かが生まれることもある。
もちろん何も生まれなくてもOK。
スライ・ストーンはもはやそういうことさえ考えていないかもしれないが、ふたりの話はその空虚もまたよしとする懐の深い生き方を示してくれたように思う。

終了後は軽く打ち上げをして、中原・大塚はオン・サンデーズに明日の個展初日の準備へと向かい、私はバウスで爆音『サスペリア』音響調整。
昨年、爆音『ゾンビ』を見た方は大体想像がつくかと思う。
いやあ、ドカーンと来たり、キーンと来たり、チリチリチリと来たりと、とにかく飛び交う音。
すでにプリントが日本にはなく、特別な許可をもらってのDVD上映であるのだが、プリントでは確かモノラルである作品がDVDでは5.1チャンネルとなって、ぐるぐると音が回ったりするのである。
考えてみれば、70年代後半のイタリアはまだアフレコの時代だったのかもしれず、こうやってDVD用に新たに音を作ったりする、という場合には非常に都合が良いのだった。
あえて5.1チャンネルに変えたというより、出来るからやったというのに近いノリで、このDVDの音は作られたのではないだろうか?
オリジナルを忠実に再現しようとするのではなく、そのとき最も面白そうなことをやるという極めてラジカルかついい加減な姿勢が何とも頼もしくもある。
いや、私が勝手にそう見てしまうだけなのかもしれないが。
しかも見ていると、呆れるくらいな不自然な音作りを平気でやってもいる。
オリジナルの時点で、鮮明に作られてしまった音の人工性が、爆音によって増幅される。
一体これはどうしたことかと驚く。
しかしそれでも、こうやって映画は出来るのだ。
乱暴であればすべてよし、というわけではないのだが、何なのだろうか、このおおらかさは。

こういった音作りの面白さを見ることができただけでも、今回DVDでの上映を決めた甲斐があった。
その分、画質に関してはご勘弁を。

しかし明日はいよいよ中原の個展の初日である。
原画の販売もする。
このイヴェントが、次への第1歩になってくれることを願うばかりである。

3月25日(水)

本日より通常営業。
というか、一気に緊急非常事態態勢となり、台湾なんて行ってる場合じゃなかったなかったなかったと泣きながら何度もつぶやくなり。
いよいよ自分の身を守らねば生きていけない、という状況にあることをひたすら実感するばかりの本日であった。
今更遅すぎるんだけどねえ。
それにまあ、自分の身を守るためにboidを作ったわけでもなし。
ただ、物事には限界がある。
その限界状況で、さてどうするか。
しかも、いろんなことが予算オーバーしている。
ううう。
こちらはこれ以上ずるずるやっていると本当にboidの命がなくなるので、マジで「これ以上は無理」宣言をしないとならない。
残念だが、boidがなくなっては作るものも作れず。
しかしなんとか別の道はないものかと頭をひねるものの解決策がすぐに浮かぶようなら今更悩まず。
したがってそのような対処法ではなく、一体なぜ、自分はこのようなことをやっているかという根本をしばし見つめ直す深夜であった。
いずれにしても、物事を出来る限りシンプルに、最小限のことを全力でやること。

爆音映画祭のリクエスト上映決選投票が、かなり危ない状況になっている。
不正が行われているのでは? というメールも届いた。

『デトロイト・メタルシティ』の投票数が半端ではなく、『彼方からの手紙』の投票も映画の規模を超えている。
『デトロイト』の場合はどうやら2チャンネルでの呼びかけがあったようだ。
『彼方から』は自主制作故の身内からの投票だろうか?

とはいえ、2チャンネルで投票を呼びかけようと、身内が知人・友人にお願いして投票しようと、それはこういったネットでの投票である以上、まったく問題のない、誰もがするであろう行いであると思っている。
私としては、投票された方に少しでも爆音上映に興味を持っていただけたらそれで十分。
自分の投票した作品の爆音上映を見に来て、爆音の面白さを知り、その他の映画も見てみようと思ってもらう、というのがこのリクエスト上映の目的でもある。
だからその他の作品を見たいと思っている方々にも是非「組織票」を組織していただき、上記のふたつを超える投票をしていただけたらと思うばかりである。

とはいえ、それが加熱して、得票数に比べて遥かに少ない動員しかなかった、というような事態になった場合は、このリクエスト投票のやり方を考えなければならない。

実はそのための代案はすでに考えてある。
今回の結果によって、来年は少しやり方を変えることになるかもしれない。

いずれにしても、世知辛い世の中なので、せめてこの爆音映画祭は、どこか長閑で呑気でラフでいい加減な部分を残していきたいと思っている。

3月24日(火)

無事台北より帰国。
事故があった翌日の成田だけに、予定通りの自国に到着できるかどうかは心配されたが、特に何の問題もなし。
とはいえ、飛行機のストレスは、もう二度と乗れないかも、と思えるほどで、疲れは極限。
しばらく飛行機に乗っていなかったため、飛行機嫌いが完全に復活してしまった。
そんなことを言っていては社長として何も出来ないのだが、でも本当は本当に何もしたくないのにとぶつぶつとつぶやくばかり。
とりあえず食い物がうまかったのはよかった。
塩と油が優しい国はいい。
本来は日本もそういう国だったはずなのだが・・・

山のように仕事はたまっているが、本日はとりあえず休息。

3月21日(日)

これまで「忙しい」だの「つらい」だの思い切り書き続けてきて、しかし気がつくと台湾旅行もないものだとは思うのだが、これは家族との約束だったので致し方なし。
昨日はとりあえずぎりぎりまで仕事をし、午後7時発の便で台北へ。
飛行機嫌いの私にとって、もう考えたくもない時間ではあったが、無事到着。
ホテルに着いたときには深夜。
妻の計らいにより、かなりとんでもないホテルになったのであった。

しかし台湾は、なまじ漢字が目に飛び込んでくるだけに始末が悪い。
わかりそうでわからない。
だが、各所で日本語が通用するので助かる。

本日は初台湾の初日ということもあり、市内散策。
蒸し暑い。
食い物はうまい。
しかも安い。
バスが乗りこなせるようになるともう少し楽になるかもしれない。
スクーターがすごい勢いで走っている。
いや、スクーターだけではない、バスもタクシーも一般車もぶりぶり飛ばす。

街は各所で工事中。
ちょうど10数年前にリスボンに行った時がこんな感じだった。
昭和30年代から40年代にかけての日本の変化にも近いものがあるのではないか。
まあ、初めてなのでなんともいえないが、とにかく、目くるめく一日ではあった。

しかし、旅行は疲れるねえ。
途中で昼寝とかできるといいのだけど・・・

3月19日(木)

朝からものすごく調子悪い。
こんなのは久々。
たぶんこの1年で最低の体調。
通常ならやすんで寝ているのだが、とにかく仕事は山積み。
吐きそうになりながら、何とか。
各所にあれやこれやと連絡連絡。

しかも夜は爆音調整。
どうしたものかと思ったが、どうなるわけでもない。
とにかくやる。
『拘束のドローイング9』。
ビョーク主演・音楽による、マシュー・バーニー作品。
ビョークのパートナーであるバーニーについてはほぼ名前しか知らず、作品はまったく見たことなし。
ただ、昨年、この映画の制作時のドキュメンタリーを見て、その中で一部引用されていたこの映画の音があまりに凄かったので、何があっても今年の映画祭ではこれをと心に決めていたのだった。

とにかく冒頭の10分の低音にのけぞっていただきたい。
なんだかんだ言ってもこういう音を聴けるからバウスの爆音なのである。
最初の調整のときはまだ音が決まる前だったのでそうでもなかったが、一度音が決まり、再度上映したときのこの10分間は、さすがに本日の体調の悪さも忘れにやにやするばかり。
いずれにしても、この映画の音のデザインは相当なもので、というか映画の音作りではなく、完全に音響作品としての音作り。
映画の音だとしたら、ここをもっとこうしてほしいというような部分もあるのだが、それはまあ、映画ではないのだからこれはこれ。
こういうことをやっても十分に成立するのだという意味でも、多くの映画好きの方に見ていただきたいと思う。
たぶんこれくらいの音がこの映画には適音。
とりあえず、一日、苦しいのを我慢した甲斐があった。

それからいよいよリクエスト上映作品決選投票が始まった。
私も1票を投じようと思うが、さて何にするべきか。
昨年、1票差で逃した『宇宙戦争』がずっと気になっているのだが、爆音殿堂入り作品でもある『マルホランド・ドライブ』『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』も何とかもう一度とも思う。
難しいところだ。

しかしこんなことで、明日は本当に台湾に行けるのだろうか。

3月18日(水)

この数日、各所から湯浅湾『港』についてのありがたいコメントが届いている。
ありがたすぎて泣けて来るが、ひどいことに、コメントをという手紙をつけて送付しておいたものの、コメントの宛先である私のメアドを書き間違えていたということが判明。
あまりのことに、こちらでも泣けて来る。
我ながら凄いなあと感心している場合ではないのだが。

本日は昼過ぎから、「チェーン・ミーティング」なんて言葉があるのかどうかはわからないが、とにかくミーティングが重なり合いながら夜まで続く。
人口密度高し。
詳細は省くが、私の断片化はさらに進む。
気持ちとしてはカタカナで「ダン・ペン」化していきたいと思ってはいるのだが、アメリカ南部に簡単にたどり着けるものではない。

それから、いよいよ爆音映画祭リクエスト上映作決選投票候補10作品が決まる。
実際には12作品になってしまった。
10位が3作品あったためである。

上位の中で、候補から漏れた作品にはそれぞれ理由があり、古い作品はすでに上映権がなく、プリントもない。
新しい作品は、どこかで上映中でプリントを貸し出せず、あるいは、これから上映が決まっていて、それより先に出すことが出来ない、というもの。

詳細は爆音映画祭HPにて20日に発表。
東京映画祭で上映したスコリモフスキの『アンナと過ごした4日間』に投票が集まっていたのは、おそらく今後の上映を見込めないため何とか爆音で、という思惑もあったのかもしれないと予想されるのだが、じつはこれは、秋に上映が予定されている。
それをお楽しみに。
爆音はその後出来たらと思っている。
あるいは、来年の爆音映画祭か。

でもまあ、「そのうちに」とか思っていると、気がつくと出来なくなっているから怖い。
いつか爆音でと思っていた『パンチドランク・ラヴ』もすでに上映権がなくなっていた。
いやあ、これはちょっとショックだった。
ジョン・ブライオンのあの冷静に狂った静けさとその奥の歪みを、爆音で全開できたらと思っていたのだが・・・
ままならず。

いずれにしても、明日中に、事務局推薦作品、それからそれ以外の枠の通常上映作品もほぼ決定しなくては。
だが、まだ来週にならないと分からない作品やら、微妙な作品やらがあれこれあるのだった。
しかも私は20日から4日間は留守にするし、その後はすぐに中原の個展は始まるし湯浅湾のアルバムは発売になるし、そうこうするうちオリヴィエ『NOISE』の試写まで始まって、boidペーパーのオリヴィエ特集号第1弾をそろそろ仕上げねばならないし、映画祭チラシはその前に作らねばならないし、『NOISE』に続くオリヴィエ特集で上映する作品の交渉もある。
さて、どこまでやれるか。

それから、中原個展のスペシャル・ゲストによるイヴェントの日取りがほぼ決まった。
これは来週明けに発表できると思う。
カタログの色校もあがってきた。
バタバタとはしているものの、少しずつ何かが進んでいる。

3月17日(火)

書き忘れていたのだが、へア・スタのマンスリー・シリーズのセット購入受付締め切り間近である。
当初の予想より3倍くらいの方々のご購入により、昨年のboidは何とかなったのだが、セット価格としては破格の値段であることも確か。
商品が出来てもいないうちに予約してくださる皆様へのお礼価格といったところだった。
直販だからこれができる。
なんて、テレビショッピングのタレントみたいな書き方になってしまったが、一体どうしたらモノは売れるのかという参考に、ときどき見てるんだよねえ。
でも、あまりにこちらとは関係なさ過ぎて、結局「関係ない」ということだけが分かるだけなんだが。

それはそれ、このセットがこの値段で買えるのはあと数日。
迷っているなら是非。
1枚だけ聞くより、この1年のうねりをたっぷりと聞いたほうがいいに決まってるし、そのことで、その1枚と全体との関係も見えて来る。
それは「作品」でもあり、どうしようもなくそこにとらえられてしまった生きている時間のたてる(た)音でもあるわけだから、ある長さ、幅のようなものとともに聞くことがベストだし、逆にそうすることでこちらも、いくつもの時間の層を身体に取り入れることが出来るのではないかと思う。
そんなアルバムなのだ。
つまりこれこそ真のLiveアルバムと呼べるものではないかと思っている。

でもまあ、生きていくためには、何とか稼がなくてはならないんだよねえ。
本日もboidは深夜までせっせとあれこれ。
夜はいよいよ間近に迫った個展の打ち合わせを終えた中原もやってきて、例の如く貧乏話となるわけだが、一体何がどうなれば我々はこの貧乏から抜け出すことが出来るのか、日々本気で考えてはいるのだが、全然光は見えず。
こんな無茶をやって生きていけていることだけでも幸せなのかもしれないが。

それから湯浅湾の試聴コーナーを作った。
ここ→
まずはさわりだけだが聞いてみていただきたい。
「爆音2008」に通われた方にはすでにおなじみの音が聴こえて来るはず。
4月8日の3時間ライヴは、爆音上映に行くような感覚で来場していただけると本当にありがたい。
ほんとに。
私としては一続きのものをやっているつもりなのだが、そのつながりを分かってもらうことは本当に難しい。
だが、実はとても簡単なことで、爆音上映を見て湯浅湾のライヴを聞けばいいだけのことなのだ。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』や『イースタンプロミス』の音のざわめきや『アクロス・ザ・ユニバース』の音の旅にすっかりやられたならば、それは「映画」のことだけではすまないはずで、気がつくとそこに湯浅湾やヘア・スタのアルバムがあったりする、そんな重なり合いの中で生きていけることはどんなに幸せなことかと思う。

3月16日(月)

本日は膝サポーター着用なり。
いよいよどうにもならず。
階段は上りより下りがつらい。
急遽、関節用のサプリメントを飲み始めるが、効果が出るのは大分先だろう。

爆音映画祭の上映作品もかなり決まって来る。
本日も、あやふやだったものがはっきりしたり、諦めていたものが大丈夫だったり。

ただ、音の面の不安があるものが何本かあるため、本日は、それらの音チェックをやった。
まずは、ミュージカルもの2本。
これは不安が的中。
悪戦苦闘したのだが・・・
で、1本は上映取りやめにすることにした。
2本続けて見ると、音の出し方の大きな変化や音作りの違いを見ることができて面白くはあるのだが、それは大学などの授業で、音に注目した2本立てを先生たちに企画してもらいたい。
爆音映画祭は1本1本をそれぞれ料金をとってみせるわけだから、そのレベルには残念ながら到達せず。
もう1本は何とかなった。
やはり音楽ものは、古い作品だと苦しい。
ゴダールの60年代作品を避けているのも、同じような理由からなのだが・・・

それから、『ヘアピン・サーカス』という70年代東宝の爆走映画。
これを上映するのは決定済みなのだが、今度発売になるDVDでの上映の方がいいか、プリントでの上映の方がいいかを見るためのチェック。
こちらは、DVDの映像も相当きれいだったのだが、動きの激しいところでDVD特有の乱れもあり、画面自体は相当きれいなので捨て難ったのだが、ここは素直にプリントでの上映にした。
この映画は、マニアの間ではかなり有名な映画だが、とにかくこんな映画が日本でも、しかも東宝で作られていたなんて、今の東宝からはまったく信じられない自由な映画で、やっぱり映画は何をやってもいいんだと力づけられる。
車の音と菊池雅章クインテットの音だけでぐいぐいと物語を引っ張るあの感じを、だまされたと思って見に来ていただきたいと思う。

それから、『国道20号線』の富田君の『雲の上』も試してみた。
私の家のヘッドホンで聴くと、高音がかなりビビってしまっていたので、果たしてこれを爆音上映して、このビビリがどうなるかと心配してのチェックだったがまったく問題なし。
それどころか、冒頭の列車の音がぐるっと回るところで思わず頭を回しそうになった。
これだから爆音上映はわからない。
富田君には、やるかどうかチェックをして決めると伝えてあったのだが、これはもう、冒頭5分で決定。
というわけで、この日記が上映依頼みたいなことになってしまうわけだが、お許しを。
富田君にはこれからメールします。
この映画の音は相当なことになるんじゃないかと思う。

深夜2時過ぎに帰宅すると、各所から連絡多数。
いよいよ身動きとれなくなりつつある。
膝の回復を願うばかりである。

3月15日(日)

昨日は終日『大音海』の日。
家で黙々と。
しかしこのところずっと不調だった膝が本格的におかしくなり、階段の上り下りがつらい。
笑い事ではなくなってきた。

本日は、友人の墓参りに行く。
本来なら来週のお彼岸に、ということなのだが、ちょうどその時期私は日本におらず、しかもつい1週間ほど前、2年前になくなったその友人が我が家にやってきて、妻が無理矢理引き止めて、気がつくと2階でお茶を飲んでいたのである(いや、夢の中の話です)。
これはもう一刻も早くと、焦っていたのであった。

そんなわけで、1週早い墓参りとなったわけだが、本日はいよいよ春の気配も漂い始め、掃除の方たちしかいない広大な墓の中で、ちょっと不思議な時間を過ごした。
こういう時間が必要だよなあと思い、本日はすべての仕事をさぼる。

そんなときは、こういうアルバムに限る。

wayfaring.jpg
Wayfaring Strangers: Guitar Soli →

ぐったりとしながら目の前に広がるアメリカを感じつつ猫のようにうとうとするばかりであった。
膝もあまり回復せず。

3月13日(金)

朝寝たばかりだというのに、朝一で起こされ、トラブルの連絡。
慌てて各所に連絡をするが、いろんなことが、思わぬ躓きを見せている。
いろんなことをやり過ぎとか急がし過ぎとか関係ない、単に偶然が重なったような躓きで、こればかりは防ぎようがない。
運が悪かったと諦める。

昼から吉祥寺に出向き、某店舗を巡り、爆音映画祭への協力願いの挨拶を。
しかしまあ、平日の真っ昼間だというのに若者たちが大勢集まり、次々にモノが売れ、挨拶どころではない。
儲かっているというのはこういうことかと実感。
薄利多売であるはずだから、これくらい繁盛していないとやっていけないのかもしれないが。

そして、『チェンジリング』公開中のバウスへ。
先ほどの店舗とは打って変わって、私がちょうど平均年齢くらいという高年齢層が大半を占めているという印象。
しかしここでも、「一般に広まるとはこういうことか」と実感。
夕方以降は多少年齢層が下がるのだろうか。

いや、『チェンジリング』を見に行ったわけではない。
映画祭で上映予定の某作品の権利元の方との打ち合わせである。
80年代に作られたその作品自体がこれまで諸事情でなかなか上映されず、とにかくこれを爆音でと思ってアプローチしているのだが、その諸事情のためにおそらく上映できるはずというところで最後の詰めを誤ると元の木阿弥。
そうならないための確認その他なのであった。
その席で、企画はさらに膨らむが、とにかくまずは上映を確定させるところから。
いよいよ大詰めである。

その後、事務所に戻ったが、もうヘロヘロで身動きとれず。
とりあえず本日は早く寝て、明日に備えることにする。

3月12日(木)

最近はそれなりに早起き態勢でせっせと仕事をしていたのだが、本日はさらに早く目が覚めてしまう。
昨夜、あまりの疲労感に早寝したためである。
早寝したから早く起きるというのは世間の人にとっては当たり前のことかもしれないが、私にとってはどこか身体が悪いのかもしれないと、余計な不安ばかりが先立ち、ろくなことにはならない。

とはいえ、少しは春らしくもなり気持ちも良さげな気配もするものだから、そのまま起きてしまう。
本日は爆音調整の日だから、早起きすると調整のときがつらくなるのは分かってはいたのだが。
不安を抱えて寝ていることも出来ず。

確かに今の私の仕事を考えると、午前中の時間はかなり大切で、昼までにどれだけそれがやれるかにもかかっているわけだから、事務所仕事としては本日のような状況は「不安」どころか好ましいことこの上なし。
で、そこそこ仕事も進みかけたところに、各所からあれこれとこちらの仕事が増えるばかりの連絡が次々に入る。
まあ、思惑通りになることなんてないとは常々言ってはいるものの、こう立て続けに問題が生じるのはいかがなものか。
私の身体はひとつしかないのだけどねえ。

夕方、湯浅さんが来て、湯浅湾のポスター作り。
そして中原もやってきて、個展に出品する作品へ、サインを。
わいわいと大騒ぎの中で、何とかいろんなことが片付いていく。
私は私で、この上さらに別の作品の上映を想定しつつ、某所に連絡を取ったりして、一体boidは今後どのような状態で動いていくのか。
状況を考える前に、相手に連絡してしまっている自分が怖い。

それやこれやで夕食をとる間もなくバウスへ。
ボランティアの方々も参加してのミーティング。
ちょっと漠然と広がり始めてしまった上映作品に、ひとつの核を作るべくあれこれ話す。
なんとなく方向が見えて来る。
とはいえ、残された時間はわずか。
果たしてどうなるか。

その後、爆音調整。
今回はついに、映画祭のための調整第1回。
何をやったかというと、まだ、上映作品を発表していない段階なので、大きな声では言えないが、ストローブ=ユイレの『放蕩息子の帰還/辱められた人々』。
実は私はこの作品を見ておらず、ではどうしてそれを決めたのかといえば、青山のブログ。
昨年のアテネでの上映を見た青山が、この作品についてあと3デシベルくらい音が大きければ、みたいなことを書いていたのを読み、じゃあ、映画祭でやろうと思ったという次第。
基本的には人々が本を朗読するばかりの映画を爆音にしてどうか、という不安もないことはなかったが、とりあえずこれはやっておかねばと、昨年ブログを読んだ時点で覚悟を決めていたのだった。
で、調整してみると、それがどういう意味か、よくわかった。
人の声と周囲の物音のアンサンブルとそのうねりが、そこで語られていることと次第に絡み合いながら、動かぬ画面とそこに映る人々の姿をさらに確かなものにさせる。
周囲のざわめきがざわざわと空気を揺らせば揺らすほど登場人物たちの言葉が塊のようになってこちらにぶつかって来るという感じなのだ。

映画祭のときは、おそらくこの作品の前後に、黒沢清・青山真治による「サイレント・モノラル・ステレオ・5.1チャンネル」という映画の音の歴史を検証する1時間くらいの対談を行なう予定。
青山のスケジュール次第なのだが、昨年実現できなかっただけに、今年は何とか実現できたらと思っている。
6月2日の予定。
その日の昼は、例の作品の一気上映もやる。
映画好きの方々は学校や仕事を休んでバウスに駆けつけていただきたいのだが。

3月11日(水)

本日はこんな感じ。

090311.jpg

宇宙人来襲、な空模様であった。
それもあってか、週半ばにして疲労困憊。
ため息も出ない。
出るのはクシャミと鼻水ばかりなり。

3月10日(火)

ようやく春らしい気温になり、そうなるとなんとなく気持ちもスッキリするから変なものである。
とはいえこの花粉ではスッキリとかいうのもつかの間。
花粉症、アレルギーのひどい人は地獄のような1日だったに違いない。

本日も朝から黙々と仕事。
それでもまったく追いつかないから、そんなことならしなければいいかというとそうでもない。
湯浅湾『港』サンプル送付のためのお手紙を書き、せっせと送付、それから各所へさまざまな連絡、爆音映画祭と中原の個展と湯浅湾とアルジェント関係とオリヴィエ・アサイヤス『NOISE』とその前後の特集がそれぞれ目一杯の状態で動き続けているので、一体今の作業がどのプロジェクトで何のためにやっているのかがどんどん混乱して来る。
誰に何を送ったのか、何を伝えたのかも判然とせず。
とにかく、忘れないうちに目先の用件を片付けることで乗り切っているのだが、目先の用件が次々にやって来るものだから、ひとつのことが終わらぬうちに次に移り、さらにまた次という具合で、やり残したことを忘れてしまうことになる。
で、1日の終わりに愕然とするという次第。

でもまあ、とりあえず本日は中原による爆音映画祭ポスター原画が完成。
大騒ぎの末に何とかなったと思う。
1週間遅れだが、致し方なし。
中原に頼んだ以上当たり前のことなのだが、普通の映画祭とはまったく違ったポスターになったと思う。
しかしどうして孤独に耐えて黙々と作業ができないかねえ(笑)。
画伯への道は遠し。

とはいえ、完成して良かった。
この数日は、完成しなかった場合どうするかをもあれこれ考えていたのであった。

しかしおかげで、本日も数多くのことをやり損ね、明日に持ち越し。
帰宅後、何をやり残したかを秘書君に報告するのも大変である。
すでにこの時点でやり残したことを忘れているから始末が悪く、そして何故か何時も風呂に入っているときにそれらを突然思い出し、しかし出たときには思い出したことは霞の向こう側にあってぼんやりとするばかり。
結局秘書君には何も報告できずめちゃくちゃさっぱりしないまま床に入るのであった。
ただ、寝ているときだけは、起きているときの異常な断片化と横滑り感からは逃れられているような気がすることだけが救いである。
ふー。

3月9日(月)

土・日は山梨の実家にて、老人問題と向き合う。
バリアフリーの老人用マンションに引っ越すか、今の実家をリフォームするかという選択が当面の課題である。
両親の具合が2月より大分よくなったのが救いだが、家問題を片付けるまでは頻繁に戻ってあれこれを処理しなければならない。

で、そうなるとこれまでは土・日に仕事をすることで帳尻を合わせてきたことがまったくあわなくなり、目の前は真っ暗。
実際、1ヶ月以上もまともに映画を見ていないというのはどうしたものか。
参った。

映画祭ポスターは未だ完成せず。
湯浅湾『港』はジャケット、歌詞カードもほぼ終了して、後は帯ができ上がれば完成。
これから何度も書くことになるとは思うのだけど、4月8日のスーパーデラックスは、本当に貴重なライヴになると思うので、絶対にお見逃しなく。
これに金払って(ここがポイント)見に来なかった人は友達でもないし、仕事もしない、くらいな勢いでこれからはお勧めしていきたいと思う。
少なくとも、4月8日に来なかった映画宣伝担当者の宣伝作品は絶対に見に行かない。
って、元々見に行けてないから全然効果ないのであった・・・

3月6日(金)

爆音調整が終わり帰宅してあれこれしているともう朝で、姫2号があまりに腹を空かせて泣くものだから朝食をやろうとするともう狂ったようにむしゃぶりつき、焦る。
避妊手術以来、食欲が凄くて、こういうときだけミャーミャー言って近づいて来るのである。
腹立たしいことに。
まあ、猫に腹立てても仕方がないので寝る。

昼前に起き、事務所にて2月分の経理の整理を。
本日は2時過ぎから税理士がやってきて、毎月の経理チェックを行なうので、そのために準備しておかねばならぬことがあれこれあるのだ。
ギリギリ、間に合う。
しかし、こうやって毎月の売り上げやら支出やらを見ていくと、儲けるのは本当に大変である。
世の中小企業の社長の方々は、一体どうやっているのだろう。
たぶん、boidのやっているような仕事はしない、というか仕事と見なさないというのが前提であるのだろうが。

ただあれこれ「どうしたら」と考え続けたあげく、ちょっとしたことを思いつくというか、まあ当然だよなあということを発見。
爆音上映のやり方なのだが。
今更そんなことに気づくなよと思ったものの、まだ間に合う爆音映画祭。
というわけで、バウスにひとつの提案をする。
確証があるわけではないが、もしかするとこういったちょっとしたことで、爆音上映の見え方が変わって来るかもしれない。

夕方から6月にソニック・ユースの新作をリリースするレーベル、「ホステス」に行って『NOISE』との宣伝協力のミーティング。
中目黒の駅に降りると、『アイスクリーム』誌の編集長稲田君がいて、稲田君に会うのは中原の授賞式以来。
某所から『アイスクリーム』が休刊、という話を聞いていたので本当かと尋ねると、「あり得ない」という答え。
今、何が休刊しても廃刊になっても不思議ではないので、つい噂を本気にしていたのだが。
みなさん、『アイスクリーム』誌は続きます。

そのついでに某誌の休刊(廃刊)の話となる。
たぶんもう、公式に発表されたはずだとは思うが、もしまだだったらまずいので雑誌名は伏せておく。
私の関わっていた雑誌では最も原稿料がいい雑誌のひとつだったから、まあ、まともな原稿料を支払うような雑誌はまったく生き残っていけないということなのだろう。
物書きの人たちは、本当にメジャーの雑誌で書かない限り、安い原稿料の雑誌に食いつぶされておしまい、そんな状況がますますはっきりして来るだろう。

それで思い出したのが、最近boidでは、ものすごく早くて安い印刷所を使い始めて、その安さと早さは非常にありがたいのだが、逆にそのために、ギリギリまで作業を待てるとか、経費を押さえられるかがギリギリこれが出来るとか、そんな思考がむくむくと頭をもたげ、結局自分の首を絞めていることである。
やはり便利さは我々の敵であると、改めて思ったという次第。
ただ、でも、安くて早けりゃ、つい使っちゃうよねえ。

事務所に戻ると、ジャケット&歌詞カードのデザイン作業中の湯浅さんからアルバム・ジャケットの作り方に関して新たな提案がなされる。
確かに。
たぶん、印刷・制作費もあまり変わらないはず。
それを確認したら、その新アイディアで、ジャケットを作ることにする。

3月5日(木)

本日は珍しく来客のない日で、落ち着いて仕事が進む、とか書きたかったが、まあ、進むことは進んだが、積まれた仕事が多すぎるのであった。
やってもやっても整理しきれない年金記録の山にうんざりする厚生労働省の役人の方々もこんな感じなのだろうか。
でもまあ、あちらはやり残しても給料は出るからねえ。
やり終えなければ給料でない、くらいなことにしないと何も変わらないんじゃないかと思う。
こちらはまさにそのような状態で進んでいるわけだからねえ。

なんてブツブツ言っている間に吉祥寺方面では湯浅湾『港』のマスタリングが進む。
様子見に行きたかったがどうにもならず。

夕方、マスタリング終了との報告。
今日は大塚の誕生日でもあるし、マスタリング終了祝いもかねて夕食をという話になり、我々もどうせ夜はバウスでミーティングと爆音調整あるため、ちょっと早めとはいえ8時30分くらいに吉祥寺。
昨日の『大音海』のおまけの大ネタ話は、湯浅さんにきっぱりと拒否されてしまった(笑)。
まあ、そりゃそうだよねえ・・・
で、代替案が出る。
それもまたよし、だがこれも果たしてOKとなるかといえば、謎。
皆さん、アルコールも進み盛り上がり始めたところで、私はバウスへ向かいミーティングへ。
数々の報告と、スタッフに宿題を。
あれこれと話していると、『イースタン・プロミス』が終了し、見ていた長嶌がミーティングに乱入して、今回の映画祭のオープニングに予定している某作品の話になる。
まだ、上映できるかどうかはわからぬまま、妄想はあれこれ膨らみ始めているのが怖いのだが、こればかりは何とかなってくれることを祈るのみ。
しかし、今日ここに長嶌が現れるというのは一体どうしたことかと、実は私はかなりビビっていた。
ひとつは、吉祥寺に向かう電車の中で、オープニングのイヴェントとして長嶌に登場してもらおうと思っていたこともあったのだが、それより何より、先の『大音海』おまけの代案というのが、長嶌にめちゃくちゃ近い話だったのである。
まあ、こんな書き方では全然わかってもらえないだろうけど。
とにかく、一、二の、三で長嶌が現れたというわけなのだった。
こういうことってあるんだねえ。

そして、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』。
あの爆発シーンがあるために、絶対音は大きく出来ないだろう、爆音のための映画に見えながら実は爆音には出来ない映画なのではないか、というのが私の予感であった。
しかしそれは見事に裏切られたのだが、一方で爆発シーンの爆音の方も見事に裏切られた。
ロードショー時の映画館でおそらく誰もが驚いたはずの爆発シーンは、実はセンターのスピーカーに音が集められていて、バウスの爆音上映の場合は左右のスピーカーの音がメインになって来るため、こちらの記憶の中の衝撃とはかなり違うのである。
しかしその分、風の音や列車や車の走行音などが浮き出してきて、音があるところとないところの出し入れの感覚が手に取るようにわかる。
同じ音楽でも、左右に広がるときと、センターの奥から聴こえて来るときなど、シーンによっての使い分けが、主人公の生きる世界の空間を体感させるのである。
たぶん、ポール・トーマス・アンダーソンは、映画の音は真ん中からずどんと出てくればそれが一番、と思っているのではないだろうか。
左右のスピーカーがスクリーン裏にある通常の上映の場合はその音作りの輪郭が鮮明には見えてこないが、爆音のように左右のスピーカーがスクリーンの前に出てきているようなスタイルだと、この映画の音の核心がどこにあるかがはっきりと感じられるのである。
そしてその中で、一瞬の奇跡が起こることをポール・トーマス・アンダーソンは信じているのではないかと思った。
これまでの作品では、その奇跡が呆れるようなシーンとなってがつんと描かれたのだが、この映画ではそれが、こちらの見間違い聞き間違いではないかと思えるあっけなさでやって来るのであった。
いや、ほんとに見間違い聞き間違いかもしれないが。
でもそれもまた、それを見ながらこちらが勝手に奇跡に触れた、ということで、逆にそれの方がうれしい話でもある。

3月4日(水)

鍵を忘れる。
朝の寒さの中、事務所前で呆然。
昨夜、帰宅が深夜になり、そうなるとどうも眠りも浅く早めに目が覚めてしまい、やらねばならぬことは山ほどあるのでそのまま起きて、格安印刷所への入金もすませ、事務所へとたどり着いたわけだが、まあ、そんな状態でまともなことが出来るわけはなかったのであった。

大家がいてくれたために助かった。
無事仕事に。
爆音映画祭関係のことで黒沢さんに久々に連絡をしたら、飛行機嫌いの私にとっては呆れるような今後のスケジュールであった。
今より倍忙しくなっても、こんなスケジュールは嫌だと思った。
昼はオフィス・シロウズ松田さんとご近所ランチ。
相変わらず貧乏話に花が咲き、その後は須川さんと「NOISE」のパンフレットについての打ち合わせ。
その終わりに『大音海』と湯浅湾に関するかなりとんでもない話となり、実現したら本当に凄いが、実現の可能性1割もないか。
でも相当面白いと思うので、その1割に賭けることにする。
おそらくあっけなく玉砕、ということになるのだろうが・・・

夜になってようやく、爆音映画祭のライヴ関係に動きが出る。
とりあえず何とかなりそうな気配。
来週中にすべて判明することに。
しかしとにかく、こうやっていよいよ動き始めたあれこれを、しっかり黒字に持っていかねば次がないわけだからまだまだ全然まったく喜んではいられない。

3月3日(火)

本日もよく働く。
まあ、抱えている仕事の量を考えると、この倍くらい働かないと追いつかないのだが。
しかも今更雪まで降ったりするから、もう、身体はバリバリと音を立てている。
爆音映画祭は、いろんなところで宙づり状態が続くのだが、こちらの思い通りになるわけはないわけだから、ひたすらじっくりやるしかない。

とはいえ仕事をやり続けているとすこしは目の前の仕事が片付くものだ。
しかしそれにあわせるようにやらねばならぬことも新たに見えて来るからやりきれない。
いやあ、なんとしたことか。
このままいくとどこかで肝心なことを忘れて大変なことをしでかしそうな予感がひしひしとしている。
うーむ、そうならないためにはどうしたらいいか・・・
こうやって書くことで何とかそれを阻止しようという、小さな抵抗のつもりなのだが・・・
言い訳を先に言っているだけだよなあ、これじゃあ。

ただ、本日は、直枝さんからちょっとしたプレゼントもらい、ちょっとウキウキしたのであった。

3月2日(月)

本日は、これを。

donnix.jpg
ドン・ニックス『イン・ゴッド・ウィ・トラスト』→

ちょっと前に中原から日本版が発売されたことを聴いていたのだがすっかり買い逃していたもの。
もちろんごりごりの南部の音だが、細部がキラキラしていて、何故かそういった部分にドキッとする。
今日みたいに、昨夜遅くまでの仕事の疲れを引きずっての、しかも週が始まったばかりじゃないかなんてこった、なんていう日には何とも言えず、ウルウルしてしまう。
めくるめく一日が終わり帰宅後に、これをたっぷり堪能したのだった。

しかし、直枝さんの本のときもそうだったが、『大音海』もまた、作業をしているととにかくいろんな音楽を聴きたくて仕方なくなる。
世界の広がりは果てしないことを感じさせてくれる。
その遥か遠くからの風の幽かなそよぎを、それらは伝えてくれるのだ。
そんな皮膚感覚がある本を、これからも出していきたいと思うばかりである。

それから、明日で『クローバーフィールド』の上映終了。
たぶん多くの人が、この映画を、単にCGを使って、手持ちカメラでの一発芸で仕上げたお手軽だがふんだんに資本を使ったくだらないアメリカ映画と思っているかもしれないが、もちろんその手の大胆さを十分に取り入れつつも、この時代でしか出来ない、そして今映画を作るとしたら何をどのようにするべきかというヒント満載、しかも見ればやっぱり盛り上がる映画なのだ。
どうしようかと迷っていたら明日は是非、バウスへ。
身体が何かを感じ取ってくれるはず。
映画におけるそういった直感的なコミュニケーションのあり方を、あくまでも商業映画のスタイルの中で感じさせてくれる作品は貴重だと思うのだが。

3月1日(日)

なんかもう、こんなのまで紙ジャケ、最新リマスターによって再発されちゃったんだよねー。

upup.jpg magic.jpg
ビートでジャンプ →        マジック・ガーデン →

stoned.jpg
ストーンド・ソウル・ピクニック →

フィフス・ディメンションは私の最初期洋楽体験のひとつだから、つい買ってしまう。
しかも、余計なボーナス・トラックがほとんどついていないのがいい。
最近のCDはどれも長過ぎて。

本日は昼から原稿書きで、夕方にようやく終わり息抜きに新宿タワーに行ったら上記のアルバムを見つけ、とりあえず3枚のみにして、聴きながら『大音海』索引作業となったのであった。
途中、食後についうとうと寝てしまったのだが。

一方そのころboid事務所では中原と大塚の爆音映画祭ポスター作りが真っ盛りで、いくつかボロボロと新作がやって来る。
とはいえ、ねえ(笑)。
いっこうに問題は解決せず。
まあ、こればかりは頼んだ方が悪い。
どんなことになっているか、お楽しみに。
昨日はもうでき上がらないかと思ったが、これなら何とかなるかも。
とまあ、日曜の夜も深夜遅くまでせっせと働くboidであった。

索引作業はおそらく全体の半分までは行った。
あと3ヶ月くらいかかるだろうか・・・
しかし、いろんな原稿を読んでいると、次々にいろんなアルバムを聴いてみたくなるので我慢するのが大変である。
本当にいろんな音楽がある。
ただただひたすらそれを実感するばかりである。