
boid日記 2009年6月
boid日記
text by 樋口泰人
6月30日(火)
ビヨンセがエタ・ジェイムズをやり、モス・デフがチャック・ベリーをやるという、シカゴのチェス・レーベルの物語、『キャデラック・レコード』を見に行く予定が、やはりあれこれしているうちに間に合わず。
ロードショー公開時なら、多少遅刻しても途中から見るのだが(でも、最近のシネコンでは、こんなだらしない楽しみ方もできない)、試写だとそうはいかない。
それに、元々不便な場所にあったソニーの試写室がさらに馴染みのない、ホテルオークラのそばになって、もう面倒くさいったらありゃしない。
というのは言い訳。
試写に行くのは何だか本当に大変である。
みんな、いつ仕事しているんだろうねえ・・・
どうしたって、原稿料と試写通いの時間とのバランスはあまりに悪いはずなのに・・・
そんなだらしないオヤジのグダグダなどとはまったく関係なく、自らが日本に紹介したい音楽や映画の上演や上映を何とか実現させようと、地道な活動を続ける若者(某社のA&R)が、とある映画に関しての相談もかねて、事務所にやって来る。
まだ25歳。
ものすごくしっかりしている。
非常に現実的で、しかも、自分のするべきことを知っている。
今の日本で、果たしてこの試みが成功するかどうか、ある程度は何とかなるだろうが、それ以上の広がりを持たせることができるかどうかは謎だが、やるだけの価値はある。
そんな気になった。
グダグダしながらも、こういう若者のあとならついていっても大丈夫、という感じ。
しかしまあ、肝心なのは映画なので、とにかくそれを見てからの話である。
帰宅後、一時預かり仔猫の体調が良くなったとの知らせ。
実は、預かってからずっと食欲がなく、前回の預かり仔猫のことがあるので心配していたのだが、どうやら原因は鼻づまり。
それで、臭いと味が分からずにちょっと食べてはすぐにやめてしまっていたらしいのだ。
しかしそんな状態だったので、まだやせ細っていて何とも心もとない。


6月29日(月)
ついに今年の秋に公開になる、イエジー・スコリモフスキの『アンナと過ごした4日間』を見た。
もう、驚くくらい地味で暗い映画で、この映画を一体誰が好き好んで見に来るのかと、我が身を差し置いて思ってしまうのだが、だが、気がつくと、滅茶苦茶ゴージャスな味付けと音の配置に目を見はる。
特に、光と音だけでヘリコプターの不意の飛来を印象づけ、主人公ばかりではなく見ている方をもドキドキさせるシーンは、ああ、たったこれだけのことでこんなにも映画は面白くなるのかと、呆れた。
その上、斧やチェーンソーまで出て来るは、死んだ牛が川を流れて行くは、一体なんなんだこの映画はと、そこかしこで驚かされてしまった。
事務所では中原が来て、この夏のへア・スタTシャツのデザイン作業。
これは私でも着たい! と思わせる2点のデザインが完成。
お楽しみに。
そのTシャツと同時に、アルバムも発売で、しかしまたこのタイトルがねえ・・・(笑)
それから、またもや私の勘違いというか、単なる書き間違い。
先日の日記で、『国道20号線』の定例上映会の最終が8月と書いてしまったのだが、これは間違いで、7月25日が最終回。
8月は新作の撮影です。
6月28日(日)
そうそう、7月25日といえば、『国道20号線』のとりあえずの最終上映の他、池袋シネマロサでは、nobodyのオールナイトがある。
ゲストは青山と斉藤陽一郎。
久々の『軒下のならずものたち』や、スコリモフスキの『出発』など。
スニークプレビューは一体何か、というのに注目は集まるが、boidと中原みたいにそりゃもう、スタローンでしょ、ということにはならないだろうし。
では一体何か?
今後爆音でも、オールシークレットの上映を行なおうか、という話も出ていて、例えばこのように1本だけタイトルの明かされない作品がある場合、そのイヴェントを見に行こうという気持ちはどのように変わるのだろうか?
ただまあ、さすがに、オールシークレットだと、見に行くのには勇気がいるだろうねえ・・・
本日は『サンシャイン・クリーニング』という映画を見た。
ニューメキシコでロケされたという、いかにも時間の止まってしまったアメリカの田舎町を舞台にした物語である。
『国道20号線』のような荒み方とはまた違う、どうしようもない退屈と未来のなさが、主人公たちを蝕む。
しかしそこでもなお人間らしく生きていこうとする女性たちを見つめる視線は、ジョニ・ミッチェルの『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』を思わせる。
マイケル・ペンの音楽のせいだろうか。
だとすると、ジョニ・ミッチェルというより、ペンのパートナー、エイミー・マンの視線ということになるのだろうか。
いずれにしても、誰からも振り返られることなどないような、彼女たちが生きていたことなど誰も知らないような、世界から忘れられてしまった場所で生きるふたりの女性たちの無意味かもしれない奮闘を、それでも生きていることには意味があるのだと語る、エコロジカルな映画であった。
主人公たちの仕事が、自殺や殺人現場の掃除、という設定は良かったのだが、その死の先へと視界を広げる過ぎて映画のバランスを崩すようなことをしないバランス感覚に不満が残る。
いや、映画のバランスを崩してしまいそうなギリギリのところでそれを回避する大胆な仕掛けを用意することを回避していることへの不満。
もうちょっとのところなんだけどねえ・・・
6月27日(土)
いやあ、土曜日の夜の渋谷なんて、一体いつ以来か。
もう、そこにいるだけでドキドキですよ。
こんなことじゃあいけないんだけど、もうとにかくそこから逃れたい一心。
イヴェント会場のアップリンクまでたどり着くのに、いたずらにエネルギーを使ってしまった。
本日は、『国道20号線』の定例上映会があり、そのゲストで参加したのだった。
話を聞くと、もう1年以上もかけて、毎月最終土曜日に上映をやっているという。
1本の映画を作ることと上映することが同じラインの上に立って、ひとつの軌跡ともなり未来への道しるべともなる。
そんな映画のあり方を、当たり前のように実践していることと、しかも上映している映画がそういった清々しさとは何の関係もないような、地方都市の空虚が丸ごと伝わって来るような作品であること、しかもその映画の構成や演出など技術的な側面がその空虚を支えていること、といった振れ幅の広さというか懐の深さが、何とも面白いのであった。
上映後のトークでは、あの映画を見たときに私が感じた、新しい時代の集団性、あるいは、映画と監督の関係性みたいなものが、具体的にあれこれ明らかになり、非常に面白かった。
その後、8月から撮影に入るという新作の主演女優のいる店にて、軽くうちあげ。
何ともニコニコしてしまうような、見事なまでのルックスをした主演女優。
舌のピアスも隠さずに是非映してくれとリクエストしてきた。
『国道20号線』の定例上映会は8月で最終回となる。
新作に入ることもあり、その製作発表もかねてのイヴェントとなる予定。
7月25日、同じくアップリンク・ファクトリーにて。
新作のタイトルは「サウダーヂ」とのことだが、その元になる50分のドキュメンタリーも併映するとのこと。
渋谷の土曜日の夜に出かける元気があれば、私も何とか駆けつけたいと思っている。
そしてさらに、その新作への寄付も募集しているとのこと。
寄付なので、領収書とかそういうものもたぶんでない。
単にあげるだけである。
そういう奇特な方がいるかどうかは分からないが、新作の製作発表の際に、もし金銭的余裕があったら。
50分のドキュメンタリーというのをDVD−Rにして、1枚3000円くらいで売って寄付代わりに製作資金にする、みたいなやり方はどうかなあ、とも思うのだが、まあ、それより堂々と寄付を募った方が潔いか。
いずれにしても、今後のboidイヴェントでは、寄付金箱を置いておくようにしますよ(笑)。
いや、まじで。
そうそう、会場に行く前にせっかくなので本当に久々に渋谷HMVに寄ったのだが、何だかいっぱい出過ぎていて一枚も買えなかった。
バスタ、モス・デフ、カニエ、ブラックアイド・ピーズなどなど。
こりゃもう、タワーのナップスターに加入するしかないかなあ・・・
6月26日(金)
マイケル・ジャクソンのニュースで目覚め、一体死因は何だとネットを検索していたら、ファラ・フォーセットの死亡記事を目にし、昼過ぎにやって来た湯浅さんにより、スカイ・サクソンの死を知らされる。
そんなわけで、当然、帰宅後は追悼スカイ・サクソンとなったわけである。
詳細は、こちらのオフィシャル・ページにて→
といっても、私の貧弱なアルバム・コレクションの中には、もはやこの2枚しか残存せず。

Red Planet → The Seeds/A Web of Sound →
4年くらい前に出た『RED PLANET』の方は、いい曲もあるのだが、さすがにもう本人の歌が弱っていて、悲しい。
一方、シーズのファーストとセカンドのカップリングの方は、まあ、1曲目の「Can't seem to make you mine」からもう、ウルウルであった。
もう、こんな感じですよ。
Can't Seem To Make You Mine
Pushin' Too Hard
一般にはガレージ・バンドの先駆という風にとらえられているけど、その割にきれいな音を出すんだよねえ。
アナログ盤を買い直したくなる。
ああでも、こうなってくるといよいよロッキー・エリクソンのXデーも近いのか。
いつかあのドキュメンタリーをと思っているのだが。
それから、8月22日の真夜中の湾祭りが大分具体化してくる。
オールナイトの夜食用に、なんと、渋谷から「なぎ食堂」の出張が決定。
爆音映画祭のときにやろう、と言っていたのだが考えてみれば昼は渋谷の店舗の方をさぼるわけにはいかないからねえ。
真夜中なら大丈夫。
それから、当日のゲストもほぼ決まる。
リハなしでぶっつけ本番、いきなりやって来ていきなりステージに上がって演奏、というようなことはどうかという知らせも届くが、これはたった今(深夜)届いた知らせなので、湯浅湾メンバーも誰も知らない。
したがって、本当にそうなるかどうかは当日まで秘密。
いずれにしても、俄に「祭り」の様相を呈し始めてきた「湾祭り」であった。
それから本日で、爆音オリヴィエ・アサイヤスが終了。
『デーモンラヴァー』最終日には、4月14日付の日記で『シャーリーの好色人生と転落人生』を見たあとに、冨永のミューズになるに違いないと思わず書いてしまった瀬戸夏実さんも見に来てくれていて、思わぬ出来事にあたふたしてしまうという、しまらぬ終わりとなったのであった。
しかし、バウスのスタッフの皆様、来場された皆様、ボランティアの皆様、本当にありがとうございました。
爆音はしばしお休み。
といっても7月11日からは『NOISE』なので、まあ、まだまだ続くよ、ということなのか・・・
『冷たい水』や『デーモンラヴァー』を見てしまった方は、『NOISE』も見ざるを得ない状態になっていることと思います(笑)。
6月25日(木)
寝坊する。
というか、寝たのが朝になっていたのであった。
こんな日もある。
しかし気がつくと、『NOISE』の公開まであとわずか。
普通の映画ではないし、ライヴ・ドキュメンタリーといってもひとつのバンドを追いかけたものでもないし、フェスティバル自体が有名でも画期的なものでもないから、とにかくまずは見てもらうためにどうするかということがとても難しく、あれこれしてみたのだが、不安は増すばかり。
見てもらえば、バンドを知らなくても多くの人に満足してもらえる作品であると確信しているが、とにかくその一般的な窓口としては、ソニック・ユースのメンバーが出演している、ということくらいしかないのである。
来週には、YouTubeに、演奏の一部を予告編の別ヴァージョンとしてアップするので、これを爆音で見ることができるとしたら、という妄想を広げつつ、確認していただけたらと思う。
ただ、あの映像と音楽との関係性は、やはり映画を見慣れた人の方がすんなりと入って来るのではないかと思っている。
どうしてあんな近くから対象を捉えているのか、アップの多さは何故か、しかもどうしてそこではなくここをとらえているのか、といった疑問や不安を抱きながら見る楽しみは、映画好きの方の方が慣れていると思うんだよねえ。
だから、ソニック・ユースのファンの方ばかりではなく、オリヴィエ・アサイヤスの映画を少しでも気に入った方には、何はともあれ、オリヴィエ作品の映像と音楽のあり方をこちらの身体感覚として受け取る意味で、とにかくご来場を。
パンフに掲載されているオリヴィエの書いた文章、そしてboidペーパーのオリヴィエ特集(1〜3)とともに、どうぞ。
オリヴィエ特集3号は、7月1日から各所にて配布予定。
世界中のどこの雑誌にも掲載されていない、オリヴィエ・インタビューを掲載しています。
音楽のことばかりを話したものです。
何だか本日は『NOISE』への不安ばかりが胸をよぎり続けたので、とりあえず宣伝日記となりました。
6月24日(水)
夏だと思ったら、再度梅雨。
深夜になって酷く降り出す雨ほどつらいものはない。
寝ていると気分が悪く、目が覚めてしまうのであった。
いい迷惑である。
とにかく寝ていたって低気圧のおかげで耳の中のリンパ液が暴れ出して船酔い状態になるのだから始末が悪い。
そんなわけで本日は、天候回復を待ってようやく出社。
しかし、これまで以上に低気圧の影響を強く感じるのは、実は普段の日の体調が少し良くなっているせいかもしれないと考えている。
つまり、その落差がこれまでより大きくなって、これまでなら「今日も調子悪い」と思えたものが、「今日も」ではなくなりつつあるような、そんな気がしているのである。
妄想だろうか・・・。
まあ、なんとなくそう思いたいだけかもしれないが。
夜は、佐向が監督した、つまり佐向の劇場用の映画(というのも変な言い方だが)デビュー作の試写へ。
爆音映画祭の準備でまったく試写に行けない日が続き、ようやく少し試写にも行けるようになったと思ったら、何だか知り合いの試写や上映ばかりとなっていて、実は知り合いの試写に行くのは緊張するので本当は何とか逃げ切りたいのだが、そうも言ってはおれぬ。
しかも、どうして知り合いの試写や上映ばかりになってしまうかと言うと、それくらいしか映画を見に行く動機が今のところ出てこないからでもあった。
映画祭の疲れなのかもしれないが、どうもそういうわけでもない気がしている。
つい先日、8月は3週間ほどboidは夏休み宣言をしたのだが、それもまた、単に休みたいだけではなくて、この欲望の減退としばらくつきあいたい、という気持ちもあるのだった。
そんなわけで、その後のためのいろんな作業も遅れるが、致し方なし。
しかしもちろん8月22日の「真夜中の湾祭」(オールナイト湯浅湾)はしっかりやるので、こちらは是非。
湯浅湾の時間を忘れる演奏だけではなく、レコードを聴くという体験がこんなにも人生を揺るがすものだったのかと、誰もが驚くはず。
まあそれはそれ、『Running on empty』と題されたこの佐向の映画は、一体どこに向けて作られたのかまったく分からない、すべてがマーケティングとリサーチによって成立しているだけではないかと思ってしまう近年の多くの映画とも、作家の力量によってある意味力業で映画を成り立たせてしまうような映画とも違う、無理矢理例えてみるならデ・パルマの『ミッション・トゥ・マーズ』のような、それから映画をとってしまったら後には何も残らないような、奇妙な空虚を充満させた映画であった。
タイトルにまで入れられているくらいだから、その空虚は織り込み済みのものなのかもしれないが。
たとえば、街道沿いの工場脇だったか、トラック置き場のようなだだっ広い空き地なのか駐車場なのかに沿って歩いている主人公に電話がかかってきて、その会話は街道を行き交う車の騒音でほとんど聞き取れないが、この映画で語られている物語と深いつながりのある電話のようにも思えず、単にそういう場所で彼らは生きているのだとしか言いようのない風景をとらえたシーンがあって、しかもそれ自体、特別なものでも何でもない、いわゆる廃墟の風景とも違う、あくまでもそこで誰かが生きていることを感じさせる何気なさ。
その風景の感触は、主人公たちの部屋の中にもあって、街道を行き交う車のように、その部屋にいる人間たちは同じ物語(街道)を生きているのは確かさをあくまでも確保したまま、それぞれが違う世界を抱えながら走っているのだった。
予算と撮影期間の制約が主な理由だったはずなのだろう、丁寧なカット割は諦めて、ひとつの画面の中に複数の人間を入れ込んで、しかもワンシーンワンカットのようなことをやるわけでもなく、適当にカットを繋ぎながらも、とにかく登場人物たちを少しも安定させないで、つまり同じ話題を話しながらも画面に映るそれぞれの視線が交錯しなかったり、別のことをやっていたり、かと思うといきなりぶつかり合ったりしながら会話を進行させていく演出は、まるでそれこそがこの映画のテーマでもあるかのようになっていた。
そのおかげで、誰もが画面の隅々にまで目を配らずにはおれないのだが、しかし目を凝らしたところで何があるわけではない。
だから逆に、もっと映画っぽくなくても良かったのではないかとも思える。
いや、映画であったからこそそう思うのかもしれないが。
たぶん、街道沿いの音が良かったためだろう、いつもながらのミサイルズの音楽さえ余計に思えた。
6月23日(火)
梅雨だと思っていたら、いきなり夏になった。
姫2号もこんな感じで、

近寄ってみたら、熱さにうんざりしつつ、微妙な憤りも感じさせるお姿。

まあでも、元気に育ってくれて何より、である。
昼は、オフィスシロウズ松田さんとご近所ランチ。
相変わらずの不景気な話ばかりである。
まあこれは致し方なし。
映画業界自体が完全に機能不全に陥っているのである。
たまたま午前中にも、元ケーブルホーグの根岸さんから電話がかかってきて、似たような話をしたばかりなのであった。
その後、中原がやって来て、いつものように冴えない話。
とはいえ、来週から、7月に向けてのプチ作業を行なうことが決定。
7月18日にスーパーデラックスにてライヴを行なうことが急遽決まったのだが、そのときにニュー・アルバム、及び、画伯描き下ろしによるTシャツ発売、当日限定CD−Rなど、まあ、全部可能かどうかは分からないが、当日その場でないと買えないものも含めて、さまざまなニューアイテムを発表、発売する予定。
まずは来場あれ。
バウスでは本日から『デーモンラヴァー』。
映画ファンはすでに見てしまっているかもしれないが、ソニック・ユース好きの方々、是非これはお見逃しなく。
映画を見るというより、ソニック・ユースの音を聴く、というつもりで来場していただけたら。
それだけで十分満足してもらえると思うというか、単に唖然とされるのではないかと思っているのだが。
バウスのスピーカーを表に出して、全世界に向けて音を出したいくらいの、ものすごい音響作品になっている、この音について、一体どうやって音楽ファンに伝えたらいいのか、未だそれがうまくいかず、もどかしい限りである。
道は遠いなあ・・・
6月22日(月)
朝からバタバタと入稿作業。
レイアウトや内容の修正をしつつ、それなりに目一杯テンパリながら、解説などを書き、何とかギリギリ間に合った(はず)。
手伝ってくれているフェアウェルの若者たちにとっては、この2日間くらい、相当きつい作業となったはずだ。
まあ、こういうこともある。
ただ、最終手段としては、あくまでも自分たちの身近な物で勝負する、という態度であることを分かってもらえたらと思う。
それができていれば、例えば公的な手続きを踏めなかったり、公的な文章を書くことができなかったり、公的なパッケージを作れなかったとしても、ギリギリ何とかなる。
というか、その「ギリギリ」が勝負所。
その極端な例が「気刊ノーコン」だったり、へア・スタのCD−Rだったり、phewのカセットだったりということになるのだが。
boidの爆音やオリヴィエ特集だって、まあ、そのようなものだ。
本日の最終的な修正、構成の変更もまた、その意味で、私にとっての身近なものによって困難を切り抜けた、というものであったわけだ。
そうそう、中原は、昼間連絡しても応答がなかったので、もしや昨日崩れた棚の荷物に埋まったままかと、冗談で言っていたのだが、まあ、さすがにそんなことはないよねえ。
夜になって連絡あり。
しかしこう湿気がひどくちゃあ、棚だって崩れたくなるだろうから、とりあえず今後も十分気をつけた方がいい。
まあ、気をつけたからってどうにかなるもんじゃないけどね。
これを機に、一気にすべてを片付けるとかした方がいいんじゃないかとも思うけど、それは私のような中途半端な人間の考えることにすぎない。
夜は『冷たい水』最終日のバウスへ。
月曜日のレイトと考えると驚くほどの来場者があり、びっくり。
やって来ていた、佐向、そして斉藤陽一郎と、お茶&ビール(私と佐向はまるで酒が飲めないのだった)。
陽一郎はまだまだ朝まで飲みたそうだったのだが、さすがに私も佐向も明日があるので、終電にて帰宅。
家では、またもややって来た一匹の仔猫が待っているのだった。
やはり生後1ヶ月経つか経たずで、虫みたいなものである。
また、いつどうなるか分からない状態ではあるのだが、とにかくこういうことはひたすらバカみたいに繰り返して、元気に育ったら喜び、途中で力つきたら泣く、ということしかないのだろう。
不憫だが、こちらもそれ以上はどうすることもできない。
できる限りのことはする。
今後考えは変わるかもしれないが、今はそれでいいと思っている。
まあ、いずれにしても、私が世話をしているわけじゃないからねえ。
6月21日(日)
とにかくこの天候ではすべてお手上げ。
メニエル持ちに取って低気圧は天敵。
終日、グラグラゆらゆらと、酩酊状態なり。
とはいえ、明日午前中に入稿しないと7月最初の週末に間に合わないboidペーパーのオリヴィエ特集3号が、なかなかはかどらず。
原稿を頼んでいた冨永からも送られてこず、滅茶苦茶焦って連絡したら、私の返事待ちだったとのこと。
うーむ、こちらは勝手に、もう、土曜日には送られて来るものだとばかり思い込んでいたのだった。
いやはや、思い込みは怖いねえ・・・
夕方、中原からSOSの電話あり。
部屋の棚が崩れ落ち、CDやDVDなどが散乱中とのこと。
しかも電話中にも他の棚が崩れ、どうやら思い切り大変なことになっている模様。
とにかく崩壊中の棚たちをどうにかするため、電話どころではないとのことで途中であっけなく電話は切られたので、その後どうなったかはまったく不明である。
しかし本日はスーパーデラックスでのライヴがあるはずだから、果たしてライヴまでたどり着けたのだろうか?
かつて、ジョン・フェイヒーの初来日のとき、最初の公演を吉祥寺のマンダラでやったのだが、当日の午後になって本人が倒れて病院に運ばれ、時間ギリギリになって病院から到着。
血まみれのズボンのままものすごい演奏をやった、ということがあったのだが、果たして本日の中原は、まあ、それほどの命がけだったかどうかは本人でなければ分からないものの、相当なテンションでの演奏となったに違いない。
いや、そこまでたどり着けなかったか・・・
いずれにしても、みんなギリギリ過ぎ。
さてどうしたものか。
一旦一休みして出直すことはできないだろうか。
ああそれから、ついに『冷たい水』を見ました、という感激のメールも、かつての爆音ファンから届く。
吉祥寺からは慣れた場所に住んでしまうとなかなか爆音にも通えなかったとのことだが、たとえ何年かに一度でもこうやって便りがあると、何だか嬉しい。
『冷たい水』の上映は、あと1日のみ。
権利料の問題で、たぶんもうしばらくはできないと思うので、見逃している方は是非。
また、地方での上映も予定しているのだが、何せ地方での動員数と、フランスの権利元が要求してくる金額とが折り合わず、交渉は難航中。
とりあえず、10月に山口情報芸術センターでは確実にやります。
その他はまだまだ地道な交渉が必要である。
6月20日(土)
さすがにダビングまで自前でしているわけないよねえ(笑)。
いやあ、ひどい勘違い。
phew & bikke のカセット・アルバムの話。
昨日の日記で、ダビングもと書いてしまったのだが、あれは、発送作業の間違い。
まあそれでも大変なことなんだけどねえ。
そういえば、6月4日の中原の「お誕生会」の時に売ったCD-Rはすべて中原の手焼きで、なおかつ盤面その他も1枚1枚手描き。
これはお得な1枚だったのではないかと思う。
今後、こういったライヴでしか買えないCD-Rを作っていこうかという話もしている。
本日は、友人の墓参りに。
すでにあれから2年が過ぎた。
私は、墓が近いということもあって、そこそこまめに墓参りをしているのだが、ときどきこうやって気持ちを元に戻す、というのもいいものだと、最近は思っている。
2年前の時点から現在を見直す自分のための機会、という意味で、友人の死を自分の生のために利用しているのであった。
こういうことを、死者とともに生きる、というのかどうかは分からないけれど。
でもまあ、周りがバタバタと死に始めたら、そんなことも言ってられないんだけどね。
あとはグッタリの相変わらずの土曜日であった。
6月19日(金)
出社前にヨドバシカメラで買い物をしたついでに、ディスクユニオンに。
久々に立ち寄ると、やはりあれやこれや出ていて、逆に何も買えなくなる。
中原からはニール・ヤングのブルーレイ盤ボックスを勧められていて、一気値下げの3万円には心惹かれるが、私は中原ではないので、生活を投げ出して3万円を支払う度胸はない。
まあ、3万円で「生活を投げ出す」というのも何とも小さな話ではあるのだが(笑)。
で、ピーター・アイヴァースの未発表音源集などを。
ただ、事務所は本日バタバタで、聴くことできず。
昼過ぎには、湯浅さん、山口君がやって来て、湯浅湾の今後のライヴや物販計画をあれこれ。
とりあえず、8月22日に、バウスにてオールナイト・ライヴやります。
ライヴ2時間ちょっとと、残りは、湯浅さんのレコード爆音鑑賞会。
湯浅さんと山口君は、あれこれサーヴィスやおまけを考えるのだが、私はどちらかというと、湯浅湾のライヴががっちりできれば、それでレコードまで爆音で聴くことができるのだから、それが一番、堂々とそれだけで勝負、3000円は高くない、という態度。
まあ、両方あれば大満足、ということで、またもやあれこれおまけがつくことになりそうだが、詳細は追って。
でも、たっぷりとあの音を堪能できる一夜になると思います。
地方の方々も、いかがでしょうか?
宿泊代も浮くし、一晩思い切り楽しんで、朝の列車で帰っていくのもいいかと思います。
基本的に前売り券は発売しない方向で考えているのですが、地方の方のための予約券みたいなことを考えようかなあと思っています。
ただ、お金のやり取りが本当に難しいので、はっきりとはいえませんが。
しかしあのアルバムを聴けばどうしたってライヴが見たくなるというものだと思ってすでに安心している私は、やはりどこかやたらと楽天的なんだろうなあと、我ながら感心する。
まあ、そんな私を見て、湯浅さんと山口君は、そんなに人が来るわけはないと、焦っていると言う、どちらが社長なのか分からない、boidの午後であった。
それはそれ、phewの新作がついに発売された。
bikkeとのアーントサリーのコンビによる録音である。
4月の終わりだったか5月の初めだったか、「録音しにいってくる」という連絡が来ていて、一体いつ仕上がるのかと思っていたら、本当に予定通り。
しかもカセットテープである。
今時カセットを聴く人が一体どれだけいるというのか。
デッキを探すのさえ難しい。
でもカセットテープである。
CDやダウンロードでしか音楽を聴いたことがない人をあざ笑うかのように、カセットテープである。
いや、あざ笑ってはいない。
何しろこんな感じなのだから。

私の写真だとあまりに分かりにくいかもしれない。
詳細はこちらへ→
とにかく今時魂を込めないとこんなことはできない。
こういうものは、カセットデッキを持っていようがいまいが、今すぐ聞くことができようができまいが、とにかく買っておくのが人の道、というものである。
何年かすると伸びたり縮んだり、あるいはテープが貼り付いてしまったりしてどうなるか分からぬ代物だが、その年月とともに生きる音楽がここに詰め込まれている。
どうやら、phew自身がカセットをダビングして、パッケージしているとのこと。
ダニエル・ジョンストンのドキュメンタリーの中に出てきたテキサスのカセット・レーベルのオーナーみたいだねえ、とメールしたのだが、そういう手作業がいいということではなく、いい大人に手作業を厭わずさせてしまうような何かが、ここにあるのである。
湯浅湾の手書き歌詞カードみたいなものだろうか。
バブルがはじけた音楽業界は、少し健全な道を見出しつつあるように思えた。
果たして日本映画界はどうだろうか?
6月18日(木)
いろんなことが落ち着き始め、いよいよ今年後半期のイヴェントや刊行物の準備に入る。
boidのイヴェントの後半のメインになりそうなのが地方への出張爆音。
いくつか要請があり、そのための準備が始まってもいるのだが、何しろ爆音は金がかかる。
だって、普通のホールや劇場に、バウスのような音響設備はないからねえ。
それを何日か借り、こちらから人材が派遣されると、数日で百万近くになってしまうというわけである。
簡単には行かない。
したがって、本当に出張爆音が実現するかどうかは謎。
果たして本当にできるのだろうか?
『NOISE』の地方公開がボチボチと決まり始める。
『冷たい水』も『クリーン』のお供のようにしていくつかの都市で公開されることになると思う。
夜は、バウスではなく池袋シネマロサへ。
水戸短編映画祭の東京版が開催されているのである。
本日は、以前この日記でも紹介した田中羊一君の『そっけないCJ』と、さらに新作が上映されるというので、一体どんなことになっているかと思ってほぼ何も予備知識なしに出かけたのだが、何と新作は『CJ2』であった(笑)。
まあそんなことはチラシやスケジュール表を見ればすぐに分かることではあったのだが。
一体なぜ続編など撮ろうと思ったのかと言えば、上映後のトーク中の監督の発言によると「1作目のナイーヴな感じを払拭したかった」とのこと。
その言葉通りの、スケールの大きな作品となっていた。
ちょっと前、というか中原の個展のときだからもう2ヶ月くらい前になるのだが、『DVU』という自主出版の雑誌の2号を渡されて(ブログはこちら→)、2ヶ月も経ってようやく読んでいると、現ユニジャパン、元PFFの西村さんのインタビューが載っていて、まとめると、「いつの頃からか「すごい映画」ばかりが作られ始めて、まあ、この程度でちょうどいいくらいの映画が少なくなって、映画を見る欲望が減少した」というような発言があり、いかにも西村さんらしい言葉なのでにやりとしてしまったのだが、「CJ2」はまさに私にとっての「ちょうどいい映画」であった。
しかもスケールだけはでかい。
ただ、このちょうど良さは誰にとってもあてはまるものじゃないので、どちらかというと、監督が意識的に取り組んだと思われるスケール感の方がこの映画のポイントだろう。
1作目でレジデンツを引き合いに出した手前、2作目も続けると、1作目が『エスキモー』や「ディスコモー」あたりの勢いを武器に作られたとすれば、2作目はいきなり「アメリカ作曲家シリーズ」へと飛躍したような、歴史の広がりとともに作られた、ということになるのかもしれない。
しかも、トークの中でケン・ラッセルやジェームズ・アイボリーのようなイギリス映画が好きなのだと、照れもなく言うあたりの堂々とした態度は何ともうれしい限りであった。
しかし悔しいのは、爆音映画祭に比べて、どう見ても女子が圧倒的に多かったことだ。
うーむ。
爆音『眺めのいい部屋』とかやると、こういった男女比になるのだろうか?
トーク終了後、急いで帰らねばならず、帰りの電車の中で今夜のトークのゲスト、佐々木君に変なメールを送ってしまった。
ソフトバンクのSMSで、名前も書かずに送ったのだが、もしかすると佐々木君には私の電話番号の変更の知らせをしてなくて、そうなるとおそらく佐々木君は一体誰から送られてきたのか分からず、狼狽えるか怒っているか。
ごめん、あれは私です。
普通の携帯メールで送れば何のことはなかったんだけどねえ・・・
何だかなあ・・・
6月17日(水)その2
仔猫ショックですっかり忘れてしまった。
明日からは『冷たい水』である。
昨年も貼付けたが、見逃した人のために再度これを。
『冷たい水』のパーティ・シーンである。
ディランからレナード・コーエン、そしてクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル。
お見逃しなく。
6月17日(水)
病院で点滴を受けてきた仔猫が死んだ。
残念だし悲しいが、もはやどうすることもできない。
捨てられて弱ってしまった猫たちを保護して介護している以上、こういう問題は避けられないことだが、やはり起こってしまうとどうしようもなく悲しい。
ずっと世話してきた妻の悲しみはさらに深い。
ただ、でも、こういうときは「悲しい」と泣くしかないのだと思う。
以前、友人が危篤になった病室内で、見舞いに来ていた友人がいつ息を引き取るかという友人をネタにひどく残虐な冗談を言ったとき、病室内にはひんやりとした空気が流れるどころか爆笑に包まれたことを憶えている。
映画に求められるのは、おそらくそんな過酷なユーモアではないかと思っている。
それが映画の軽さであり豊かさではないか。
昨夜の『パンドラの匣』もまた、「軽さ」「豊かさ」がテーマであったわけだが、冨永はそういった過酷なユーモアを映画で発揮できる希有な存在だと思う。
誰もが身を引いてしまうかと思われるその瞬間が爆笑に変わるような一瞬を、果たして『パンドラの匣』は持ち得たか?
それは見てのお楽しみ。
映画祭終了後、さすがに疲れてもいて、昨日の日記もしょぼくれていたもので、友人やこの日記の読者の方からも励ましのお便りをいただいた。
いやほんと、毎度ご心配おかけして、申し訳ないです。
とりあえず、本当に倒れてしまわないよう気をつけつつ、次を画策していこうと思っております。
目眩の方は、何とか乗り切れそうな感じ。
6月16日(火)
昨夜のオリヴィエ作品2本があまりにいいんで、逆にこういう風に私が思うようなときはまったく誰にも受け入れられないんだろうなあと、誰からそんなことを言われたわけでもないのにしょんぼりと目覚める。
この、世界とまったくかけ離れてしまった感じは、一体どこから来るのだろうか。
というか、生きていくということはそういうことなのだと、あらためてこの2本から教えられたような、そんな気がする。
とはいえ、とにかくこれらの映画を多くの方に見ていただかなければやった意味はないわけだから、あーだこーだこうやってグズグズと書いたり愚痴ったりするわけである。
この何年かの自分の生活を振り返ると、もう、よほどのことがない限りレイトショーには行かないし、ライヴにも行かないし、試写にも行かない。
外に出るのが本当につらくて仕方ないし、出てしまえば妙に元気にもなったりするわけだけど、結果的にその後にグッタリするばかりである。
だからこうして、多くの方に見てほしいとかいうのも本当は心苦しいところでもあり、いい大人としてはその辺りはクールにとも思うのだが、でもまあ、この音は一度聴いてほしいとつい、思ってしまうのであった。
ただ、いずれにしても、バウスのレイトの1週間とか2週間の話なので、10万人、100万人という単位ではかられる映画の興行世界の数字から見ると、誤差にもならないレベルである。
道は険しいなあと思うばかりなり。
夜は冨永の新作『パンドラの匣』。
時間ギリギリになり、慌てていると声がかかるので誰かと思ったら、斉藤陽一郎。
久々だが、はて、陽一郎はこの映画に出演しているのか?
陽一郎、電話中だったので聞くこともできず、私はあわててエレベーターに。
その後にバタバタと乗ってきた連中の中にやたらとうるさい人間がいる。
すげーテンション高いなあと呆れていたら、阿部君だった(笑)。
まあ、相変わらずと言えば相変わらず。
本日は完成披露試写ということで舞台挨拶あり。
だから、劇場内に入ると相当数のカメラマン、取材陣。
司会は何と杉山彦々で、映画を見てから思うと、もしかするとこの映画で、彼を知らない人にとっても最も心に残る役柄を演じた男がここでこんなことをやっているなんて一体どういうことなのかとも思えるのだが、それはあくまでも後から思うこと。
どうせマスコミなんて、映画を見なくても誰もが知っていることしか映さないし書かないわけだから、まあ誰も彦々のことなんて書くことも映すこともないだろう。
それでも映画はこういう「マスコミ」を相手にしないといけないのだろうか。
というようなことを考えてしまうこと自体、社長失格である。
そんなこと気にもせずひょうひょうと舞台挨拶をする冨永の方が、ずっと大人であった。
で、映画の方は、冨永によると90パーセントはアフレコだったということで、そこに映っている人間たちの声の重なりと連鎖が、舞台となる健康道場の隔離状態を際立たせている。
ある空気感の中に人間が生きているというより、彼らの声があるからはじめてその空間が成り立っているような、そんな隔離のされ方なのだ。
一方主人公によるナレーションは、何と言ったらいいのだろうか、映画というのはこういうものなのだとも言いたげに、ここに映されている場所のある意味不自然な隔離のされ方をあくまでも積極的に肯定するよう、矢継ぎ早に繰り出されるものだから一瞬目眩を起こしそうになるのだが、一体それは観客に向けてのナレーションだったのか、映画自身に向けてのものだったのか、未だに分からない。
いずれにしても、吹けば飛ぶようなというか、つつけば壊れそうなというか、危うい均衡によってこの映画の世界は成り立っていたように思う。
だが私は何よりもまず、この映画の物語がよくわからなかった。
何だかバカみたいな言い方だが。
もちろん分からなくたっていいということも十分承知の上で、この映画は物語を分からせないといけない映画ではなかったのではないかと、ふと思ったのだった。
いや、分からなかったのは私だけか・・・
その後、阿部君と出演者でもある川上美映子さんとその担当編集者たち、そして後からは冨永やプロデューサーも加わっての食事。
それぞれの局面で問題発言が多すぎて、詳細は書けず。
帰宅すると、一時預かりしていた仔猫が体調を崩し入院。
腸内に虫が寄生しているのが分かりその薬を飲んでいたのだが、それがあわなかったのか、もしくは虫が悪さをしているのか。
保健所での処分からは免れたものの、生の過酷さはあくまでも貼り付いてくる。
何とか生き延びてくれと願うばかり。
6月15日(月)
映画祭の熱気もこちらの高揚感も、雨とともにクールダウン。
バウスのレイトも古くからのバウス・ファンにはお馴染みの「荒くれた空気」となって、まさに『レディ・アサシン』上映にはふさわしい感じではあるものの、興行側としては、ああやはり次に繋げていくのは本当に難しいと天を仰ぐしかないのであった。
ただ、このおかげで、来年の映画祭へ向けてのちょっとしたアイディアは生まれた。
というか、もうちょっと早く気がついていれば、という悔しさもある。
今年のオリヴィエ・アサイヤスでそれをやらなければならなかった。
とはいえ私の身体もついに音を上げた。
昨夜からひどい頭痛で本日は昼過ぎまで床の中。
起き上がっても、メニエルの目眩症状が出ていて何とも不穏な感じを引きずったまま出社したのであった。
boidのギャラその他の振込は通常15日支払いなのであるが、よって、時間切れで本日中には振り込めず。
皆様、明日になります、申し訳ない。
資金切れではないのでご安心を。
まあ、そっちの方もギリギリではあるのでそのうち、いやはや申し訳ない、ということになるかもしれない。
うーむ。
夜は、バウスにて『冷たい水』『デーモンラヴァー』の音チェック。
すでにミキサーにこれまでのデータは残っているので、いつものように全編を通して見ながらのものではない。
ただ『デーモンラヴァー』の冒頭は、もう、それだけでもあっという間にこちらの身体の爆音スイッチが入るからすごい。
音楽好きの人は同じアルバムを何度も繰り返し聞くわけだが、それと同じように、何度もこの映画を見たくなる。
その度に違う表情を見せる。
boidペーパー、オリヴィエ特集の2号は、ジム・オルークがこの映画の音響製作時のあれこれについて語っているので、是非手に取ってみていただきたい。
それを読んで、この映画を見れば、さらに細部の音に対して自分の耳が開かれているのに気がつくはず。
その8年前に作られた『冷たい水』は、いろんな意味で若さに溢れていて、最初にこの映画を見たときにはこちらもまだ若かったから(といっても30代後半)、その若さがどうも気に入らなかったのであった。
しかし今や、それも含め、こういう映画を作ることのできる素晴らしさを体感してしまうのは、単に私もそこそこの年齢になったということのせいばかりではないだろう。
映画を見ながら、以前のインタビューのときにオリヴィエ・アサイヤスが言っていた「僕らの映画作りは廃墟の中から始まった」という言葉を反芻していた。
その意味で『冷たい水』は、映画を作る人も映画の話もまるで出てこないのだが、しかしそんなオリヴィエ・アサイヤスの映画作りのスタンスをはっきり示す。
何かの終わりと何かの始まりを、常にひとつのものの中に封じ込め、それによって解き放つ、そんな映画をオリヴィエ・アサイヤスは常に作り続けている。
その辺りが、単に音の使い方ということだけではなく、爆音上映にフィットする理由なのだろう。
爆音上映もまた、音によって私たちの身体を封じ込め、しかしそのことによって解き放つわけだから。
『冷たい水』は木曜日から、『デーモンラヴァー』は来週火曜日からです。
6月13日(土)
さすがに夕方までゴロゴロしていた。
ほとんど猫なみである。
致し方なし。
夜9時くらいにバウスから連絡が来て、整理券がすでに200を越えそうとのこと。
今回の2本立ては相当ハードなので、オールナイトでこれを見たいと思う人が果たしてどれくらいいるのかと心配はしていたのだが、まったくそんなことはなかったというわけだ。
というわけで、9時30分過ぎにはこのような状況に↓

その後もかなりの方々が来場されたり、あるいは問い合わせがあったという。
こればかりは本当に、「申し訳ありません」と謝るしかないのだが、来年は前売り券の販売など、やり方を考える必要があるかもしれない。
問題はそうするとさらにこちらの手間が増え、運営自体への影響も出てしまうことである。
そんなことも踏まえて、とにかく来年は何はともあれ助成金を、スポンサーをというのが、運営面での課題。
プログラム面では、平日の1回目の上映をどうするか。
オールナイト上映中、バウス事務室ではそのような来年に向けての話をあれこれ。
とはいえ、今回は本当にあれこれあったものの、終わってみれば大成功。
皆様どうもありがとうございました。
もしかすると音調整がやりきれないのではないかとさえ思った4月の時点が遠い昔のようである。
で、まあ、ここで終わらないのがboidとバウスのいい加減さというか、身の程知らずというか。
ホッとする間もなくオリヴィエ特集である。
これじゃあ、見に来る方も大変。
企画段階では「勢いつけていきましょう」みたいな感じだったはずだが、しかし企画者側がすっかりヘロヘロなのであった。
でも、そんなときにこそのオリヴィエ作品。
まずは、誰ひとり頼る人のいない香港でぼろぼろになり呆然とするアーシア・アルジェントと一体化してみてください。
しかし、この時期は夜明けが早いんだよねえ。
オールナイト終了時にはすっかり明るくなり、ちょっと湿り気を帯びているいかにもな梅雨時の朝の気配。
この時間に起きて活動を始めるような生活ができたらねえ(笑)。
6月12日(金)
昼、グズグズと起きると、妻が怒っている。
私に対してではなく、税金と保険料が高すぎると。
昨日、杉並区から、区民税と国民健康保険の今年度分の通知が届いたのである。
その金額を見て、さすがに呆れる。
だって、この年収でこんなに取られたら一体どうしたらいいの? って感じの金額で、普通の勤め人の方々はあらかじめ給料から差し引かれているから諦めるしかないのかもしれないけれど、こちらはそうではない。
もちろんそれくらい徴収しなければやっていけないくらい大変なことにはなっているのだろうが、ただそれってやはり、やり方がどこか悪いんじゃないの、としか思えない。
お役所の方々は、やり方のまずさはさておいて、とにかく予算と税収の帳尻を合わせればいいだけだから、そんなこと関係ないのかもしれないが。
まあ、世間的に見たら、いくつになっても好き勝手なことばかりしていないで、まともに働いて儲けてみなさい、ということなんだろうけどねえ・・・
夕方、衝撃的なニュースが入る。
あまりにショッキングなニュースなので、いきなり動揺する。
詳細、状況がまるで分からぬまま、とにかく今回の映画祭でお世話になった方の急死の知らせだけを聞いたのである。
まだ若く、とくに病気だという様子もなかったので、本当に何がどうしてこうなったのか、まるで分からない。
とにかく今は、冥福を祈るばかりである。
その同様のまま、映画祭のシークレット作品『アクロス・ザ・ユニバース』の上映へと突入。
今回は大サーヴィスの、大音量である。
こちらの同様を吹き飛ばす、歌と音楽であった。
明日のオールナイトが無事に終了できることを、この大音量とともに願ってみた。
終了後、久々に顔を出した安井君と吉祥寺駅近くの沖縄料理屋に。
安井君もここしばらくずっと調子が悪く、ようやく外に出ることができるようになったと言う。
私もまあ、外に出ずっぱりだったのだが、外に出れば出るほど鬱々とするばかりであったので、相変わらずのぐずぐずの一夜。
安井君からは、最近のboid日記にはちょっとぐずぐず度が足りないのではないかという指摘あり。
確かに、この1、2ヶ月、映画祭を成功させなければという緊張感もあって、意識的に公的な記述をしてきたように思う。
まあ、果たしてこれが「公的」と呼ばれるものかどうかは謎ではあるのだが。
私なりに、なれない役割意識もあってこの日記を書いたりしていたというわけである。
とはいえ、さて以前のような愚痴や泣き言をどうやって書いたらいいか、それもよくわからなくなっているような気もする。
ゆっくりともとに戻していくしかないのだろう。
それから大塚は病院での検査の結果、インフルエンザではなかった。
武蔵野市では、成蹊大学で新型インフルエンザが発生して大学が休校になっていたりするため、今度こそそうかもしれない、もしそうだったらどう発表しようか、発表すると明日のオールナイトやその後のオリヴィエ特集に相当な影響が出るだろうかと、大塚の体調より興行を心配する立派な社長となっていたのだが、とりあえず一安心。
boidはしばらく休み休み、今後の準備に取りかかる予定である。
6月11日(木)
上映を決める段階から苦労の連続だった『ざ・鬼太鼓座』も無事終了。
見に来てくれた知り合いたちは、皆、大喜びしてくれていたので、まだまだ不完全版だとはいえ、とにかくやってよかった。
でもやっぱりフィルムでなくちゃという方も多いと思う。
是非それぞれが、フィルムでの上映企画を立ち上げてみていただきたい。
boidはいつでも協力します。
いずれにしても、この上映が、今後の上映のためのいいきっかけになることを願うばかり。
その後、『レディ・アサシン』『アクロス・ザ・ユニバース』の音調整。
これらはすでに上映済みのものなので、今回はポイントになる箇所だけをチェック。
しかし、部分的に見ても『レディ・アサシン』は息づまる。
まるで見ているものの身体こそがスピーカーとなって、気がつくとこちらが爆音で、主人公と同じような荒い息をしている。
そんな感じ。
あと、人ごみの中を歩いたり走ったりする主人公をとらえるショットがいいんだよねえ。
こんなに多くの人がいるのに誰ひとり自分を知っている人間がいない、その不安や悲しみを一瞬にしてつかみ出す、というか。
いつか誰もがこうやって生きざるを得なくなる、そんな人生へのスタンスが明確に現れている。
そして『アクロス・ザ・ユニバース』。
映画としては、ここはもっとこうした方がとかちょっと説明的すぎるとか、あれこれ不満はあるものの、やっぱり最後の屋上シーンになると、ああやっぱり今年の映画祭の終わりはこの映画で良かったと思える。
「オール・ニード・イズ・ラヴ」。
そういうことだ。
2月にやった爆音上映のときは、それほど多くの方に見てもらえたわけではなかったが、だからこその再上映。
ビートルズが生きた60年代から70年初頭までをたっぷり旅して、歴史の凶暴さとそれ故の愛をたっぷりと浴びながら、2回目の爆音映画祭は終了する。
いやあ、でも本当に気持ちいいねえ、屋上ライヴ。
映画版の『レット・イット・ビー』を何とか上映できないだろうかと本気で思った。
それはそれ、大塚が再び熱を出す。
私もおそらく土曜日のオールナイトが終わったら、ボロボロだろう。
『レディ・アサシン』のアーシア・アルジェントほどではないので弱音は吐けないが、しかし誰かが助けてくれるものならすぐにでもすがりたい気分である。
6月10日(水)
昨夜は『マルホランド・ドライブ』上映終了後に、再度(というかこれで何回目か!)『ざ・鬼太鼓座』のチェック。
どうしても1カ所、ノイズが出てしまうのである。
デジタル・データ上で修正を入れてみたのだが、やはりどうにもならず。
元のDVカムにはいってしまっているので、やはりその後の処置は「処置」でしかない。
いつか行なわれるはずのフィルムでの上映を祈願し、今回はここで諦めることにする。
皆様、最後の方で一カ所、1、2秒ほどノイズが入ってしまいます。
深くお詫びを。
その後、中原と、深夜の企画会議(?)。
中原とboidの笑い事ではない経済危機を笑い話にするための企画あれこれ。
とはいえ結局、まあ、いろいろ企画はあってもどれもその場しのぎだよねえ、という身もふたもない結論で、朝を迎える。
でもまあ、湯浅湾がらみでも秋には渋谷某所にてちょっとしたイヴェントの企画があるみたいだし、その場しのぎも継続できれば立派な生業となる。
と、ポジティヴに考えることにする。
中原の音源もたまってきたので、今後様々な形でリリースしていく予定。
ここから1年は、マンスリーどころではないリリース・ラッシュになるかもしれない。
皆様覚悟しておいてください(笑)。
そして我が家では、またもや別の猫が。
今回は1匹のみ。

1匹だけのためか、やたらと声がでかい。
それから、土曜日のオールナイト。
7時から整理券付き当日券の発売です。
『地獄の黙示録』『2001年宇宙の旅』というハードな2本なので、今回は座席数220席のみの販売になります。
フリーパスの方がどれだけ来場されるか次第ですが、200席程度は当日券発売可能。
フリーパスの方も、開場時間までに来場をお願いします。
フリーパスで、後半の『2001年』だけを見たい、という方はとにかくバウスまでご一報下さい。
いずれにしても、そんな心配をせざるを得ないくらい多くの方の来場をお待ちしております。
しかし、明日はもう、『レディ・アサシン』の音調整。
この映画祭をいかにしてオリヴィエ・アサイヤスに繋げていくか、できる限りのことをしたつもりだが、果たしてどうなるか。
どうやら『夏時間の庭』は、ついに大入り袋まで出る大ヒット。
3週目以降も、動員数があまり変わらないらしく、これはもう、口コミでもこの映画のことが伝わった証、ということらしい。
これがそのままその他のオリヴィエ作品に繋がるかどうかはまったく謎だが、とにかくオリヴィエ・アサイヤスをなんとかするには今しかない絶好の機会であることだけは確か。
昨年の特集を見逃した方、そしてすでに見ている方も、是非。
『夏時間』を見て、特集を見て、『NOISE』を見て、そして『クリーン』を見れば、映画を見ることと生きることとがどこかで深く結びついてしまっているのを感じるはずだ。
この映画をどう見るか、ということより、この映画を見てどう生きるかというふうにこちらの考え方をシフトチェンジさせられるような、そんな体験となってくれることを切に願うばかりである。
6月8日(月)
金曜日の牧野君の上映で使ったHDVデッキを返却するために、昼前に六本木へ。
俳優座裏のあたりには、うーむと唸るような高級マンションもあり、何だかもう、働く気をなくしてしまう。
しかも事務所に戻り、このところの財務整理をしていると、やはりboidは支払いが良すぎ、早すぎということが明らかで、おかげで今月の諸々の支払い分がおそろしく不足していることが判明。
さてどうするか。
とりあえず、今後はしっかり者社長宣言をすることにする。
まあ、今更遅いのだけど。
『デス・プルーフ』のレイトは順調。
ほぼ予想通りの動員でありがたや。
見終わって外に出ると、道ゆく車がおもちゃに見えるという友人からのメールも来る。
ふふふ、月曜の夜からブイブイぶっ飛ばしてください。
帰宅後は、実家の父親のためのベッド&マット探し。
もう、3週間くらい前から探しているのだが、さすがにそろそろ決めないと、父親もかなりつらそうだという、先週末に両親の様子を見に行ってきた妻からの報告あり。
だが、ベッドとマットは使った本人でなければ寝心地は分からないからねえ
しかも、本当に使い続けてみなければ分からないから厄介。
その上、結構な値段もして、決断には勇気がいるのであった。
でも、こういうベッド選びにおいても、2チャンにはちゃんとスレッドが立っていて、これはこれで結構参考になるから面白い。
今週中には決めなければ。
6月7日(日)
本日の『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』は、まあ、何と、というか予想通りというか、こんな感じ(↓)の方たちがわらわらと押し寄せ、日曜の夜だというのに大盛況で、当然の如くおおいに盛り上がったのだった。

画像が小さくて分かりにくいかもしれないけれど、HPに載せるという許可を得たわけではないので、なんとなく雰囲気が分かる程度、ということで。
しかし一方私は、またもや他作品で問題が起こり、それをどう解決するかで各所に連絡。
今回の映画祭は、本当に、終わるまで何が起こるか分からない。
たぶん、日本中がもう、ギリギリのところで動いているからだろう。
最後のひと手間をかける余裕がないのである。
気がついたものがやるしかない。
しかしテレビのニュースでやっていた、麻生総理大臣の演説。
あからさまに国民を好戦的気分にしていこうという、「戦わなければ誰がこの国を守るんだ」という口調。
これって軍人が言うことで、政治家はあくまでも「交渉」というのが前提のはず。
この口調もまた、北朝鮮への「交渉」手段のひとつ、ということなのか?
ここまでアップしたところで、バウスから送られてきたメールを良く読んだら、ネットに載せてしまっても構いません、という許可を得ての撮影だったとのこと。
うーむ、いつものことだが、本当に適当にしか文字を読んでいない・・・
というわけで、どーんと3点。
クリックで、拡大されます。
6月6日(土)
さすがに夕方までぼーっとする。
ぼーっとしながら『クリーン』を見た。
パリでもロンドンでもなく、サンフランシスコに行きたくなった。
映画の最後でマギー・チャンが呼吸したはずの、あの空気を吸いたい。
20年前行ったときは、初めての海外で舞い上がっていたから、今度はゆっくりと観光してみたい。
しかしオリヴィエ・アサイヤスは、『クリーン』の後の『レディ・アサシン』で、さらに主人公を限界点まで追いつめている。
そうまでしないと見えてこないもの、というか、人間を必然的にそこまで追いつめてしまう何かこそ、映画で描かれるべきものだと思っているかのようだ。
確か『クリーン』の中でも、子供のためにごく当たり前の人生を選ぼうとしていた主人公が、あるきっかけによってやはり歌手の道も諦めないと宣言したとき、義父のニック・ノルティが「そうでないとお前じゃない」とか何とか言っていた。
彼女に、母と歌手との両立を選ばせてしまう彼女の中の何か。
結果的には「思い切り良い」ということになってしまうのだがそうなるためには命がけとなるその一歩を、オリヴィエ・アサイヤスの映画は描く。
『クリーン』のロードショー前に、是非、『冷たい水』『デーモンラヴァー』『レディ・アサシン』を。
爆音映画祭で疲れ切っている余裕はないのだった。
オリヴィエ映画の主人公たちもまた、疲れ切って力を使い果たした後の一歩こそ、彼女たちの人生を決める一歩になっているである。
夜は『2001年宇宙の旅』。
画面に、ワックスの滲みなどが出ていないか、満員の客席の後ろにてチェック。
疲れていて集中して画面を見つめているのがつらい。
だが、画面はほぼ問題なし。
時折まだワックスの滲みが出てしまっているが、これは許容範囲内だろう。
しかしこういったフィルムの保存に関して、配給会社に苦情のひとつも言いたくなるのだが、今の映画界の状況を考えると、フィルムを保管しておいてくれるだけましなのかもしれない。
ただねえ、コピー防止のために上映直前にしかフィルムを送ってきてくれないというのは、どうにかならないか。
だって、直前に送られてきたフィルムがボロボロでは、映画館としても対処のしようがないだろう。
6月5日(金)
とりあえず、最初の1週間が終わる。
もうへとへとである。
とにかく反省点は山ほどあって、しかし逆に、それだけの反省点が出て来るくらい爆音上映も多くの方に認知されたということを確実に実感できる1週間であった。
明日からはレイトのみの上映となるので、ようやく身体に余裕ができる。
本日でライヴイヴェントも終わりなので、後は上映が無事進んでいってくれることを願うばかり。
そうそう、昨日の仲倉さんの件は、仲倉さんからの貴重な指摘と暖かい激励をいただき、それを私が自分への戒めとして非常に厳しく受け取った、という状況だと考えていただきたい。
『ざ・鬼太鼓座』はこれが第1歩でしかないという意味で、今後の爆音上映のやるべきことについての非常に重要なサジェスチョンを受け取ったのである。
いずれにしても爆音上映は非常に特殊な上映形態で、その分面白くもあり、危険でもある。
こちらが限度を失うと、いつか映画に逆襲される。
機会あるごとに、自分の足もとを見つめ直す必要がある。
私の場合すぐにいい気になるからねえ(笑)。
とにかくそんな自戒も込めて、昨日のサジェスチョンを、少し強い調子でここで書いたのだった。
分かっていただきたいのは、爆音上映がすべてではないということである。
普通の映画館で普通の上映を見るときに、爆音上映を見てしまった身体の反応をフィードバックさせてみていただきたい。
おそらく、自分の耳が、映画から出て来る小さな音に対しても開かれていることを感じられるはず。
そのことが大事なのだと思う。
つまり、「物語」という制度から身体が解放されるかどうか。
爆音上映はそのきっかけに過ぎない。
本日のライヴ&上映は場内整理のため大分開始が遅れてしまった。
皆様大変申し訳ありませんでした。
入りきれなかった方々にも、深くお詫びを。
もう限界でした。
私はステージのスクリーン脇からスクリーンを見上げるという状況で、見学。
すぐ脇で見るスクリーンは、やはり文字通り見上げるくらいでかい。
首が痛くなって休み休み見ることになった。
牧野君の映像は、「still in cosmos」「the world」というタイトルの変化からも分かるように、新作の方が具象性を増している。
それが今後どうなっていくか、興味深い。
音の方は、何しろスピーカーの後ろ側なので、場内に響いた音の反響しか聞こえないのだが、その状態で聞こえてくる音は、まさにひとつの「世界」のふくらみを作り出していたように思えた。
しかしそれで終わりではないのが、今回の爆音映画祭。
終了後からは、昨日の『2001年宇宙の旅』リヴェンジ。
あの映像の状態はあまりに変なので、本日は映写機の会社の技術者の方にも来ていただいて、映写機も調整、そして、プリントの状態も見ていただいたのである。
昨日と同様に上映しながら、映写状態のおかしなところを確認。
その結果、主な原因は、プリントに塗られているワックスであるということが判明した。
通常なら問題ない程度のワックス量だったらしいのだが、どうやらプリントの保存状態が悪かったか、長期間まったく使われなかったかで、ワックスの影が映写に影響を及ぼすような状態になっていたのであった。
で、まあ、そうなると、フィルムに塗られたワックスの拭き取り作業となるわけである。
しかも、ワックスさえうまく拭き取れれば本当に映写状態は大丈夫なのかどうかも確認しなくてはならない。
だがもう、みんな疲れ果てていてそこまではできないので、とにかく本日は一番ダメな状態の部分を拭き取ってみてその状態を確認し、それで改善されるなら、後の作業は明日ということで確認してみると、ようやくそれで無事解決。
これなら、元々フィルムについている傷以外は問題なし。
ようやく通常の状態で上映できることになった。
皆様、ご心配かけました。
その後、映写機会社の技術者の方と話をしていると、その方は明日、朝一で別の映画館の映写機の点検にいかねばならないのだという。
映画館の映写機は、劇場で上映していないときに点検せざるを得ないから、どうしたって夜中か朝一になる。
こういった技術者の方のたゆまぬ時間外労働によって、映画は成立しているのである。
本日も深夜遅くまで、本当にありがとうございました。
それから、昨日発表したシークレット作品。
何と、デヴィッド・キャラダインの壮絶死(警察の発表によると自殺ではなく、自慰の最中に誤って死んでしまったのだという)のニュースに愕然とするあまり、急遽『キルビル』上映を、とも思ったのだが、今回の映画祭の混乱をさらに増幅させることになることは明らか。
さすがに諦めて、予定通り『アクロス・ザ・ユニバース』。
当日は先着20名様ほどに、バウスシアターからささやかなプレゼントがあります。
boidからも何か出そうかなとも思っているが、まあ、こちらは期待せずに。
気が向いたら何か考えます。
6月4日(木)
今年の爆音映画祭はいろんなことが起こる。
昨年より少し規模も大きくなり、動員も増えたためなのかもしれない。
boidとバウスだけでやるにはもうこれが限界というギリギリのところまできたような気もする。
それに毎年こちらは歳をとるわけだし。
『ざ・鬼太鼓座』の上映には、その脚本家であり、メインスタッフの唯一の生き残りである仲倉重郎さんも来場され、上映終了後には、「音にこだわるならもっとバランスを考えなさい」という厳しいおしかりをいただく。
演奏をの音を活かそうとしたため、台詞や発言部分がどうしても大きな音にもなり、必然的に周囲の音まで拾ってしまっているのである。
こちらとしては、そこがギリギリの決断のしどころで、相当苦労したのだが、やはり音を小さくしないと台詞と発言の部分は普通にはならない。
でも小さくしたら爆音上映ではなく、この映画祭でやるという前提が崩れてしまう。
最善を尽くした結果がこれだったのだが、やはりこの映画は違うやり方の方が良かったのかもしれない。
また、どうしてフィルム上映でないのか、という質問もされた。
松竹からフィルムの貸し出し許可が出ず、鬼太鼓座が持っているデジタル素材と生演奏のセットということでようやく上映できたのだという説明をしたのだが、しかしそれは松竹への交渉の仕方が悪いのだという指摘もされた。
これにも相当苦労したのだが、しかしこちらの力及ばず。
ただ、上映しないよりは、デジタルでもいいからとにかくこんな映画があるのだということを多くの方に知ってもらうためにもここで上映した方がいい、という判断であったのだが、しかし確かにそれは、あくまでも「とりあえず」のものに過ぎない。
したがって、仲倉さん以外にも、ご不満だった方も多かったかもしれない。
私としては、この上映をきっかけに、さらに良い条件での上映ができるよう望むばかりである。
とにかく、これはきっかけに過ぎないことを、多くの方に分かっていただけたらと思う。
また、仲倉さんによれば、この作品の音のほとんどは同録で、つまり海を背にして演奏しているシーンなども、マイクはカメラの両脇にあって、海に向けられていたのだという。
つまり、あのものすごい波の音と演奏の音を同時に拾ってしかも演奏の音がしっかり聞こえて来るような録音は、今では誰もできないのではないかと。
そういった録音技術の紛れもない洗練について、しっかりと伝えてほしいとのことだった。
すべて同録でというのは加藤泰監督の一貫した手法でもあり、それが加藤監督の映画への向き合い方だったわけだから、それを見る私たちも、海と演奏にまっすぐに立ち向かったマイクが録った音を真っ正面から受け取れたらと思う。
それはそれ、本物の鬼太鼓座の演奏は、本当に見事だった。
まさに世界的スケールの演奏。
『雲の上』『国道20号線』も無事終了。
夜の『国道』は来場者も多く、いい感じで盛り上がった。
あの映画の中に出てきてもまったく不思議ではない若者たちも来ていて、帰り際はかなりワイワイと大はしゃぎしていたので、思わずにやりとする。
その後は『2001年宇宙の旅』の音調整。
フィルムが古いと言うか、おそらく字幕をつけたときのラボの問題なのだろう、フィルムに奇妙なクラゲのような影がところどころ出ていて、画面の変なところに透明の字幕が映っていたりする。
いずれにしてもプリントの状態が良くない。
というか、かなり悪い。
これはもう、お許しいただくしかない。
こちらではどうにもできないことだ。
その他画面での気になること多数。
『ゾンビ』だと、こういった劣化が実は進化でもあることになって、ものすごく面白いのだが、やはり『2001年』だとそういうわけにはいかない・・・
ただ、音は大丈夫。
冒頭から、おおこれはすごい、という感じ。
静かなシーンの音の分離がものすごくクリア。
ただ、これらは2001年のリバイバル時の処理であるはずなのだが、そのときすでにキューブリックはなくなっていたので、果たしてこれで良しとしたのかどうかは謎。
しかし、2001年のリバイバル公開時には、このプリントの状態で大丈夫だったのだろうか?
クラゲのような字幕の跡は、確実にそのときから、つまり字幕付きのプリントを作った当初からついていたはずなのだ。
もちろんそれが出て来るのは時間にしてほんのちょっとのことではあるが、一体何がどうなるとあんなことが起こるのだろうか。
明日、牧野君に尋ねてみよう。
あと、来週金曜日上映のシークレット作品だが、『アクロス・ザ・ユニバース』である。
2月に行なった「爆音2008」でも上映して、それがあまりにすごい音になったので、この機会に是非その音を知ってもらえたらという願いから。
ビートルズの音楽をモチーフにした青春映画ではあるのだが、その甘美なイメージの中のものすごい野性が、爆音によって露になるのである。
今年の映画祭の最後にふさわしい、凶暴で甘い映画。
こちらも是非。
一方六本木スーパーデラックスでは「中原昌也お誕生会」が行なわれていた。
今年は映画祭と重なったため、スーパーデラックスにお任せになってしまったのだが、どんな感じだっただろうか?
『雲の上』の上映に大阪から駆けつけてくれた若者たちは、夜はスーパーデラックスと言っていた。
来年はもう、中原も湯浅湾もアメリコも長嶌も、映画祭時期に各所でライヴをやって、とにかくboid周辺の動きを見るために日本全国から若者が集まる、ちょっと早い夏フェスみたいな感じになるといいのかもしれない。
まあ、それをやったらもうboidは完全に崩壊するのだが(笑)。
6月3日(水)
いやあ、エレキギターってかっこいいねえ。
なんて、中学生みたいな驚きが思わずでてきてしまう直枝さんの、エレキギター弾き語りであった。
音のさざ波が風になって肌に触れる、そんな歌であった。
ひとりニール・ヤングともいうべき爆音エレキでの「愛のさざ波」の激唱。
ここにもまた「愛のそよ風」が吹いて、今この時をより濃密な何かへと変容させる。
西部の乾いた空気と南部の淀んだ空気とが一気に出会い渦を巻く。
もっと聴いていたかった。
昨日、黒沢さんとの対談の中で、黒沢さんから「映画には本当に音楽が必要なのか?」という問いを受けた。
あの場ではうまく応えられなかったのだが、というのもひとつには黒沢さんが言っている「音」とは、ホラー映画監督黒沢清における「幽霊」と同じような立場にあるような気がして、一方で青山が5.1チャンネルに踏み入れたのは別の「幽霊」を映画の場に引き寄せたかったのではないか、そしてそこからさらに一歩踏み出すための「幽霊」なのではないかという思いもあって、それを明解に説明できなかったこともあった。
というか、まだぼんやりとしか、考えられていないのだけど。
だが、直枝さんの弾き語りを聴いてしまった以上、その幽霊としての音ということとは別の意味で、映画には音楽が必要なのだと、素直に言える。
なぜなら音楽は風であり、風の中にはすべてがあるから。
答えはすべて風の中にある。
そんな風を『アイム・ノット・ゼア』は映し出していると思う。
リチャード・ギアの顔はアメリカの地図のようでもある。
その中には草原があり、犬が走っている。
犬は列車を追いかけているようだが、もちろん列車のスピードには追いつかない。
アメリカの地図は、「もっと速く、走ってこい」と口では言うものの、もはやそれが決定的な別れであることを知っている。
列車のスピードを緩めることは、もはや誰にもできないのだ。
そこにも風が吹き寄せる。
この肌触りこそ、アメリカ映画を見るということではないか。
その肌触りを伝えるためには、かつてのような方法ではなく別の、少し回りくどい方法が必要なのだと、トッド・ヘインズはどこかで確信しているのかもしれない。
いずれにしても、もし、その列車に乗るか乗らないかを問われているのだとしたら、私は乗る。
犬との別れは淋しいが、淋しかったら泣けばいい。
上映はもう1回ある。
5日金曜日の午前11時40分からという早い時間帯だが、列車に乗ってもいい、という方は是非。
そして本日はさらに深夜の調整。
金曜日にやる牧野君の短編。
HDVで作られているため、牧野君がデッキを借りてきてくれて、それを使ってのものとなる。
果たしてうまく絵と音が出るかという心配がかなりあったのだが、それらは無事。
音の調整もすぐに決まり、牧野君は終電にギリギリに間に合いそうなので、ライヴと合体して完成する新作のDVカムを置いて帰宅。
我々はそのDVカムのチェックくするのだったが、しかし。
スクリーンに映像が出ない。
デッキのモニタにはちゃんと映っているのでテープ自体は問題ないにも関わらず。
どうやってもダメ。
デジタルものはこういうときは本当にどうにもならないのであった。
というわけで本日は諦める。
明日、再度チャレンジということで終了。
しかし、昨日の件も含め、何事も簡単には終わらない。
みんな疲労困憊しているが、しかし列車はもう止められないのであった。
6月2日(火)
グズグズと家であれこれしているうちに昼近くなり、どうやらバウスで上映中の『国道20号線』の監督の富田君も来ているらしく、ならば事務所ではなくバウスに行ってしまおうということになりバウスへ向かったのだが、何故か富田君には会えず。
私がバウスについたのは『国道20号線』が終わってすぐの頃ですでに場内には富田君の姿はなく、ならばどこかですれ違っていたはずなのだが。
で、私より10分ほど遅れてきた大塚が富田君に呼び止められたと言っていたので、一体その10分間はどこでどうなっていたのか?
私はその間、何度かバウスをでたり入ったり、アーケードの中を別の友人に会うために駅方面に向かったりしていたのだが・・・
まあそれはそれ、本日はさすがに疲れた。
というか、まあ、本当に生ものは何が起こるか分からないねえ、というヒヤヒヤの1夜となった。
青山・黒沢レクチャー&『放蕩息子の帰還/辱められた人々』に来場された方々はすでにご承知の件。
4時30分過ぎに青山から連絡があり、のっぴきならない事情にてバウスに行けなくなったと。
確かにその状況なら無理、というわけで、ではどうするかということになった。
例えば、通常の上映のトーク・ゲストというようなものならたとえ青山目当てだったとしても料金は映画の料金だけだからまだお詫びのしようがある。
しかし今回は、二人の対談・レクチャーということで映画の料金以上の料金としているのでこの分をどうするべきか。
とにかく対談は私が青山の代わりに黒沢さんに質問したり黒沢さんの質問に答えることで何とかそれなりのことができたとしても、それは今回やろうとしたこととは違うものである。
さてどうやったらいいのか。
バウス・スタッフたちと緊急ミーティングとなる。
その結果、チケット購入者のキャンセルを受け付けてその方には返金する、対談は私と黒沢さんで行う、青山には今回の映画と音をテーマにした原稿を書いてもらってそれを来場者の方々に郵送する、という3点で対応することにした。
これで良かったのかどうかは分からない。
ただとにかく、それで何とか切り抜けることになった。
例えば来場者が30人くらいだったとしたら、これを利用してすごく親密な空間でのやり取り、ということができたはずだが、しかし何しろ会場は入りきれないほどの超満員。
この状況では、上記のようなことくらいしか考えられなかったのであった。
いずれにしても、郵送先の住所をご記入された方には、忘れた頃になるかもしれないが、まあ、それほど遠くないうちに原稿が届けられると思う。
しばしお待ちを。
しかしそれやこれやあったものの、9時からの『こおろぎ』も更なる超満員。
うれしい一日ともなった。
そうそう、『こおろぎ』にも出演している杉山彦々もやって来ていて、事務所にて撮影時の彦々秘話を暴露。
あまりにしょうもないと言うかほんとにもう、という問題発言過ぎて、ここには詳細を書けず。
というか、まあ、書いても誰も喜ばない。
明日は直枝さん、明後日は鬼太鼓座、金曜日はジムさんと、ライヴが続く。
何事もないことを祈るばかり。
もう明日になってしまったのだけど、直枝さんのソロ、本当にいいですよ。
聞いたことないけどどんな感じだろうとちょっと気になっている方は是非。
先日も書いたのだけど、『アイム・ノット・ゼア』とセットで見ると、目の前の風景が違って見えるはず。
ああそれから、『雲の上』『ざ・鬼太鼓座』『国道20号線』と続く木曜日も。
こちらはいろんな意味で、風景が歪む。
しかしまあ、時間と金はふんだんにあるわけではないからねえ。
本当にもし、どうしようかと迷っているなら、ここはちょっと一歩足を踏み出していただけたらと思う。
6月1日(月)
ああやっぱりというショックとおおなんとという喜びとがないまぜとなり全体としては終わり良ければすべて良し、みたいな1日。
ストーンズと『ヘアピン・サーカス』に救われた、というか。
まあしかし、来年に向けての多大な反省を残した1日であった。
帰宅後、イーストウッドの『愛のそよ風』。
7月に『白い肌の異常な夜』と一緒に、ついにDVD発売されるのである。
しかしおそらく、この映画の中のウィリアム・ホールデンが演じた主人公の年齢より、私はすでに年老いているはず。
そう思うと愕然とする。
その愕然とした心の隙間に、濃密な時間を注入されたような、そんな気がする。