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boid日記 2009年11月

boid日記
text by 樋口泰人

11月30日(月)

本日は、来年の爆音映画祭に向けての、それまでのスケジュール確認と作業確認。
まだ半年先のこととはいえ、その準備を考えるともう、すぐにでも動き出さねばならない。
あっという間なんだよねえ。
助成金、あるいはスポンサーの獲得が望まれる。
いずれも簡単には行かない。
そういうのとは違うやり方で、ということでここまで来た訳だが、それでも資金はあるに越したことはない。

夕方からは黒岩が来て、諸々の打ち合わせ。
その後新宿に出て安井君と会う。
黒岩も参加して、ひたすらダラダラとなるのだった。

黒岩からは、「エイベックスに入社してやりたい放題やってやる」という趣旨の問題発言も。
いや果たしてそんな趣旨だったかどうか。
既に記憶の彼方になってしまったが、半分くらいはあっているかもしれない。
その他あれこれ問題発言多発だったような気もするが、思い出せず。
安井君が黒岩に、音楽に関する文章をもっと書いてくれと、しきりに口説いていたような気がする。

11月28日(土)

本日は横浜である。
芸大の馬車道校舎のホールにて『TOCHKA』上映にあわせてのトーク。
初めての芸大は、滅茶苦茶きれいでびっくり。
まあ、馬車道あたりの風景自体が抜けが良くて、それだけでもう十分という感じなんだけどねえ。
boidの事務所も横浜に引っ越そうか、という気分にもなる。
家から1時間の通勤時間か・・・
気分を帰るにはいいかもと、真剣に思った。

トークは無事終了。
途中、昨日見た『This is it』の話になり、監督には、マイケル・ジャクソンを越えるつもりで映画を作って欲しいと要望する。
冗談ではなく、こういった映画祭のような場所ではそれぞれがセレクションされた特別の映画として取り扱われるが、いったん町場の劇場に出てしまえば、隣では『This is it』をやっているかもしれないのである。
しかも同じ入場料金なのである。
では、『TOCHKA』の入場料金を下げればいいかというと、絶対にそういう問題ではない。
マイケル・ジャクソンがその人生と音楽の歴史と莫大な資本をかけてひとつの作品の中につぎ込んだ世界のすべてと同じだけの果てしない広がりを、この小さな映画の中に込められるかどうか。
昨夜、『TOCHKA』を見直していてふと思ったのは、松村君はオーソン・ウェルズみたいなことをやると面白いんじゃないか、ということであった。
全くの思いつきなので、まだどうしてそうなのかという説明はつかないのだが。
ただとにかく、オーソン・ウェルズならこのシーンはここでカットしてここへ飛ばすだろう、みたいなことを突然思ってしまったのである。
『マクベス』と『フォルスタッフ』を経て、再度『TOCHKA』へたどり着く、みたいなことが出来たら。

トーク終了後、久々に堀越(ユーロスペース社長&芸大教授)さんと会う。
私の社長業について、苦手なことをよくやってるねえ、と励まされる。
いやほんとに。
いつ投げ出そうかと、そんなことばかり考えてるんだけど、来年は横浜に事務所を、というのを目標に頑張ろうと思います。

その後、せっかくなので横浜映像祭での別の展示を。
BankARTという芸大のそばの倉庫を改造した巨大スペースで行なわれている、映像のインスタレーションあれこれを見る。
中でもクリスチャン・マークレイの、さまざまな映画の音楽の演奏シーンや爆発シーンなど、映像の中に音が予め埋め込まれたシーンをカットアップして、4つのスクリーンに映し出したものが、分かりやすいというかサーヴィスも満点で楽しめた。
何台ものモニタが並んだシャンタル・アケルマンのも結構面白かったので、並べられたモニタの間に入っていって、そこに映されている人々と同化してみようかと思ったら、モニタの間はものすごい電磁波で、いきなりはじき飛ばされた。

そのためか、横浜駅で迷子になる。
会場から何故かぶらぶらと夜道を歩き桜木町の駅にたどり着いて横浜から東横線に乗ろうとしたのだが。
東横線に乗れないのである。
入り口が見つからない。
監視カメラで私の動きを追っていた人がいたとしたら、大笑いするかあまりの挙動不審に警察を呼ぼうとしたかもしれない。
いやはや。

とはいえ、何とか渋谷へ。
そしてイメージフォーラム『冷たい水』。
爆音の枠を外れて単独のレイトショーなので、相当厳しいことは覚悟していたが、本当に厳しいねえ、世間は。
来年のboidは、営業・告知・宣伝活動に今年の何倍も力を入れねば。
当たり前のことなんだけど、結局そこが一番難しいんだよねえ。

しかし、違う劇場で見る『冷たい水』はまた別の表情をしていた。
最後の空白の置き手紙が広がり、川の音が静かに消えていくラストショットは、爆音の時よりさらに冷え冷えした感触で、その冷たさが胸に染みる。
前半部分で、雑貨店というか道具店のようなところに入ったヴィルジニ・ルドワイヤンを映し出すシーンでは、おそらく店内に飾ってある何かなのだろう、小さな金属音を立てていて、その幽かさと、彼女の孤立感が共鳴して、何とも言えない気分になった。

パーティでの音楽が流れるところで、後ろのスピーカーから少しノイズが漏れていたので、明日から、そこを修正してもらうことにした。

いずれにしても今日から2週間です。
お見逃しなく。

11月27日(金)

本日はついに『This Is It』行ってきましたよ。
夕方4時30分からの回だったのだけど当然のように満員。
それも昨日のうちに売り切れだから、何のことはない、映画を見たいと思っている人はまだまだいる訳なんだよねえ。

というかまあ、映画を見てみるとさすがにこれだけのことをやられたら見ないわけにはいかなくなるよなあ、という当たり前の感想。
映画自体は特に何もしている訳ではないのだが、ひとつのステージを作るまでの時間と資本のかけ方、そしてそのすべてを一身に担うマイケル・ジャクソンの姿勢、その指示の的確さなど、とにかく音楽を作り上げていく時の洗練のさせ方が半端ではないのである。
社長としては一体このステージを作り上げるのにいくらかかっているのか、どれだけの人が入ればツアーは黒字になるのかなど、下世話なことを思わず考えてしまったよ。

しかしそれはそれ、とにかくこれを見てようやく分かったのが、マイケル・ジャクソンのダンスの面白さであった。
ダンスは見るものだけど、マイケル・ジャクソンのそれは聴くものである。
音楽そのものの姿がそこにあるというか、あのダンスから音楽が生まれてくるというか。
つまり70年代から現在までの40年弱の音楽の歴史がそこで踊っている、というふうな感じ。
こういう風になったのはいつからなのだろう?
つまりマイケル・ジャクソンが本当に死んだのはいつなのだろうということを真剣に考えた。

メンバーチェンジしたアメリコの西岡さんから、「こんな音になりました」という最新録音のCD-Rが届いた。
驚いたことに、同じ3人組でもギター2本とドラムという組み合わせがギター、ベース、ドラムという組み合わせに変わっていて、ドラムも完全に生ドラムになっている。
本格的な3ピース・ロックバンドの体裁だが、もちろんその「本格」ぶりはアメリコ的なもので、確かな音の周りを幽かな音が覆い尽くし、もしかするとその幽かな音の方が確かな音なのではないかとさえ思えるような様相を呈している。
マイケルのダンスはマイケルが踊っているのではない。
そんな感じの音。
遥か未来の誰かが遠い昔のサーフ・ロックを演奏している。
いつか訪れる、あるいはかつて訪れたかもしれない幻のビッグウェーヴの地鳴りを聴く、幻聴者たちの音楽であった。

明日からは渋谷イメージフォーラムで『冷たい水』のレイトショー2週間が始まる。
しつこいようですが、本当に是非。
『夏時間の庭』と比べてみるのも面白いと思います。
宣伝材料が全然ないので、バカみたいだけど、相変わらずのYouTubeの動画を貼付けておきます。
レナード・コーエンからCCRへの流れの部分です。

11月26日(木)

周囲でかなり評判のいいマイケル・ジャクソンの『This is it』が明日までなので何とか本日と思っていたら、もう、予約は一杯一杯である。
すごい。
明日の分も、妻と電話で話しているうちにどんどん埋まっていく。
大ヒットとはこういうことをいうのだと思い知り、増々見たくなり、とにかく明日、ギリギリ予約可能な隅の方の席を予約した。

その一方、某劇場で上映中の某作品は、観客ゼロの回が今日もあったとの話も聞いた。
映画は恐ろしい。

夕方、フィルメックスで上映する『堀川中立売』を見に行く約束をしていたのだが、グズグズしているうちに時間切れ。
申し訳ない。
ただ、たぶん、今日行っていても寝ていた。
その後仕事をしていたものの、耐えられなくなって早退。
帰宅し仮眠。
気づくと10時である。

本日は、爆音ソクーロフの音調整が10時過ぎから、という予定。
あわててバウスへ。
既に始まっている。
『ロシアン・エレジー』の、肝心の冒頭を見逃すが、その後もとんでもない。
フィルムもボロボロで傷だらけ。
その傷から出て来るノイズも全部活かすことにする。
フィルムは生き物である。

しかも、20世紀初頭の写真を使ってのシーンと、当時の戦争の記録フィルムと、おそらくそれに似せて作った新しい撮影による映像とがミックスされるこの映画では、実はもう、どれが本物でどれが偽物で、どれが最初からつけられていたノイズでどれが後から加わったノイズなのか、まるで分からなくなるしその区別もどうでも良くなる。
例えていうなら、10月の爆音でやった牧野貴君の映画と前回の爆音の『デス・プルーフ』の、可能性としての中間地帯、みたいなものがあるとすると、その場所から現れた映像。

ソクーロフは難しいと思っている人には是非見てもらいたい。
タランティーノ的なサーヴィス精神満載である。
思わず爆笑する、戦闘シーン。
いやあ・・・
映画を初めて見る人には大受けするのではないだろうか。

そして『静かなる一頁』。
こちらは『ロシアン・エレジー』とは逆の音作りを。
ノイズは出来る限り消す。
その静けさの中に埋め込まれている音を明るみに出す作業。
この映画の英語タイトルは「Whispering Pages」である。
静かなる一頁の囁きを聞くための爆音。
こちらもたっぷりと堪能する。
どちらも狂っているといえばとことん狂った映画であるが、音が大きくなったためかとにかくポップで楽しい映画になった。
アメリカ嫌いのソクーロフさんには怒られるかもしれない。
でも、こういう音で作られているんだよ。
日本映画の若手作家たちには是非見てもらいたいなあ。
自分たちがいかに限られた可能性の中でしか映画を作っていないか、ということがよくわかると思うのだけど。

深夜過ぎに帰宅したのだが、寝ていたために夕食を抜いていたことに気づく。
うーむ。
そして、昨日発売になったカーネーションの新作『Velvet Velvet』を聴く。

carnation_velvet.jpg
Velvet Velvet →

どれもこれも体よくパッケージ化されていくばかりの日本の音、日本のシステムを押し広げ、そして突き破り、その先の気の遠くなるような風景が広がっていた。
ヴェルヴェットの向こう側の風景をヴェルヴェットの肌触りとともに聴く、といった感触。
突き抜けた明るさに溢れている。
直枝さんは「絶景」と書いているが、まさに21世紀の絶景がここにあった。
12月のライヴが何とも楽しみである。
しかし私についていけるか、という不安もある(笑)。

11月25日(水)

地味に仕事をしたというしか書くことのない1日だったが、夜は、湯浅湾ツアー「湾夜港路」反省会(笑)。
次回は何とか黒字ツアーをと、今回の補填も含め次に繋げるためのあれこれのアイディアも出る。

その中のひとつに、湯浅湾カヴァー・アルバム、というのがある。
これはもちろん、カヴァー曲ばかりの湯浅湾のアルバムになるのだが、日本語以外の曲を「訳詞:湯浅学」、つまり湯浅さんの言葉で歌ってもらおうというもの。
で、中学時代に聴いていた思い出の曲、女性歌手による曲、そして映画音楽のテーマ曲などの歌のない曲に無理矢理湯浅さんが歌詞をつける、という3つのテーマのアルバムを1枚ずつ。
しかも、上記の3つのテーマで大々的にリクエストを募り、収録曲を決める。

果たしてこんなことが出来るのか、誰もリクエストしてくれないのではないかとか、今後の課題は多いのだが、何やらちょっと面白そうでもある。
誰もがやりたくてなかなか出来ないことでもある。

となるとやはり、むずむずしてくるという訳なのだが、果たしてどうなるか。

そうそうそれから皆様、今週土曜日からはオリヴィエ・アサイヤス『冷たい水』の2週間限定レイトショーが始まります。
既にバウスの爆音で見られた方も多数おられるとは思いますが、未見の方、もう一度見たいと思われている方は、是非イメージフォーラムへ。
この作品は、上映のたびにboidがフランスの権利元と交渉して日本での上映の権利を取得しているわけですが、これで大体おしまいかなあという状況。
これを見逃すとしばらく見られないかもしれません。
そういう映画ばかりで本当に嫌になってしまうのだけど、でも映画はやはり生もの。
上映のたびに蘇ったり死んだりするわけだから、上映する側も見る側もその「生死」につきあうつもりで関わるのも時にはいいのでは?
『冷たい水』はまさにそんな映画だと思う。

11月24日(火)

自業自得とはいえさすがに疲れが出てぼんやりとしている。
ぼんやりながらも地道に作業は進む。

原君からついに出版された初の単行本『音楽から解放されるために』が届く。

hara.jpg
詳細はこちら→

かつてboid企画で出版したファスビンダーの批評集のタイトルが『映画は頭を解放する』というものだったが、70年代から経ること30数年、映画や音楽は見る人や聴く人を解放するものではなく、ある意味で何かに縛り付けるものになってしまった、ということなのだろうか?

いや、そうではなくて、映画や音楽が結びついている「産業」が消費者にすり込んでいる「映画」や「音楽」から解放されるための本、ということになるだろうか。
つまり、批評集というよりも、消費者である我々がいかにして「消費者」から逃れ出られるかという、個人的な政治闘争の指南書・紹介本みたいなものであるわけだ。
また、それは単に外側に出るというベクトルを持つものではなく、内側に居ながらにして「解放」を目指す運動である訳だから、当然、終わりなき試行錯誤の連続となる。
その現時点での中間報告みたいなものととらえることが出来る。

それは21日から始まった Into Infinity の動き(詳細はこちら→)へと繋がるものだろうが、おそらくこういった試みにはさまざまな反応がつきまとう。
いい反応ばかりではないはずだ。
更なる修正が必要となることもあるかもしれない。
しかしとにかくそれらいろんな反応を組み込みつつさらに自らを変容させていくことが、この本の副題にもある「リサイクル」ということなのだと思う。
この本もまた、「リサイクル」される。
さまざまな場所で変容が始まる。

そういった運動する書物として、この本が読まれていくと面白いなあと思った。
ただまあ、そういった私の読み方自体は新しい時代の読み方ではないと思うので、ジワジワとこの本を読みつつ、こちらの読み方自体も「リサイクル」させてみたいと思う。

夕方、中原が来て、来年の年賀状のための原画作成作業。
といってもboidのものではない。
この2年間、boidの年賀状は中原画伯の手によるものだったのだが、今回は喪中につき、どうしようか判断停止状態。
そうこうしているうちに、某所から画伯に年賀状原画作成依頼が来たのであった。
さてその「某所」とは一体?
皆様お楽しみに。

11月23日(月)

土曜日、ぐったりと寝ていた夕方、仙台に集結中のやくざな旧友のオヤジたちからの悪魔の電話あり。
どうせ来るなら一晩早く来いとの至上命令が下り、夜7時の新幹線にて仙台に向かう。
まあ、そこから一晩と一日、果てしなく空虚な時間を過ごすことになる訳だが、私が一番年下という近頃あり得ない年齢構成の、つまりいい歳したオヤジたちの無軌道ぶりにひたすら呆れるばかり。
どうやら高円寺の地元では大火事あり。
アルコール・アレルギーの私でも、80年代には1度や2度は行ったことのある、明け方になったらこの店、という夜明けの定番店であった。
いずれにしても、東野さんのBaby-Qのダンススタジオ劇近。

それはそれ、本日は、朝8時過ぎから音響調整である。
とにかく映画館ではない場所の完全にライヴ仕様の中での爆音なので不安一杯であった。
ただ、主催者の配慮により、フロアの後ろ半分には椅子が並べられ、センターのスピーカーの代わりに、ライヴ用のモニタースピーカーをフロアに向けて、それからも音を出すことにした。
おかげで、台詞がメインのこの映画も落ち着きを取り戻すことになった。

ただ、台詞の出し入れやスピード感、時折入る左右のチャンネルでの別テイク(?)の同じ台詞の重なり、それらと音楽の作り出すグルーヴ感で見せて行くこの映画は、地方での初めての爆音上映としては、少し難易度が高すぎたかもしれない。
映画自体を楽しんでいただければそれ以上何も言うことはないが、もし、「一体爆音上映って何だ?」と、爆音上映自体に興味を持った方には、非常に分かりにくい上映ではなかったかと思う。
最後のピアノの断絶音とも言うべき強い音には反応していただけたかもしれないが。
爆音映画祭で、いろんな映画をやる中の1本としてはうってつけの作品なんだけどねえ・・・。
「ああ、爆音上映にはこういう面白さもあるのか」、という具合に、爆音上映自体を横にずらしてくれる作品なのであった。

調整後、本番までは時間があるので、せんだい短編映画祭のスタッフの方々と会って昼食。
近況報告。

そして、仙台で唯一、boidの商品を取り扱ってくれている「15 NOV」の青山さんを訪ねる。
書籍はほとんど扱ってはいないが、雰囲気はガケ書房によく似たレコード&CDショップである。
ここ→

こういうショップを見ると、boidもショップをやりたくなるんだよねえ。
でも東京じゃあ家賃高いし、かといって山梨じゃあ、人口密度低すぎだろうし。
で、営業ついでに、仙台で湯浅さんの爆音レコード鑑賞会を企画してくれないかという話をする。
来年、爆音上映&レコード鑑賞会ができたりするといいのだが。
今回のイヴェントの主催者であるGIPの菅さんも、とにかく継ぎに繋げていきたいと言ってくれているし、もういっそのこと、爆音映画祭仙台版、みたいなことを企画出来ないかなあとか、相変わらずの妄想がむくむくと。

それやこれやで本番も無事終了。
本日はさすがに疲れもあり、ライヴは見ずに帰京したのであった。

しかし最近は何故かイヴェントでやたらと相対性理論づいていて、本日も一緒。
そして12月8日の渋谷AXでは中原も共演する(一緒にはやらないとは思うが)。
その日の中原のライヴはこれまた準備がすごすぎで、どうやらマーシャルのアンプ10台くらいを繋げて音を出すらしい。
10台ではなく5台だったか?
いずれにしてもかつてない音が出ることは間違いなくて、風景としてもグレイトフル・デッドなみのステージが見られることと思う。
その音に相対性理論のファンたちがどれくらい反応してくれるだろうか?
おもしろがったり、驚いたりしてくれると嬉しいのだが。
こんなことをやれるのはこの日限りだと思うので、これはもう、中原ファンは全国から駆けつけるしかないんじゃないか。

11月20日(金)

昨日はお通夜、本日は告別式。
こういうことは何度もしたくないなあといつも思うのだが、年齢的にもこれからどんどん増えていくに違いない。
それを避けたいなら自分が先に死ぬしかないのだが、それもまたどうか。

ただ、行くたびに思うのは、やはりどんなにエネルギーが必要でもこういう場所には来るべきだ、ということである。
本日は、何と、黒の上下を父親のお別れ会の後にクリーニングに出してそのままになっていたということが判明し、取りにいってからの出席となったためかなり出遅れてしまったのだが(まあ、もっと早起きしろよ、ということではあるのだが)、それでもいろんな意味で今後の励みになった。
死者の痕跡を体内に注入しつつ生きていく、といったらいいか、とにかくそのための儀式であるような気がする。
でもやっぱり辛いんだけどねえ・・・

明日からは仙台である。
23日に『パンドラの匣』がらみのイヴェントがZEPP仙台であって、その中で『パンドラの匣』を爆音上映するのである。
とはいえ、スクリーン中央にあるべきスピーカーはなく、ライヴ仕様の2チャンネル。
しかもその後のDJとライヴのために、オールスタンディングという、もはや映画を見るとは言えない厳しいアウェー状態。
爆音とはいえ、やはり基本はその映画の隠れていた音を呼び出しつつ、その可能性の広がりを「見せる」というのが目的の爆音上映にとって、果たして出来ることはあるのか、という状況なのだが、だがそれでも思わぬことが起こるかもしれない。
映画は座ってみるものだというこちらの思い込みを揺るがすことが出来るかもしれないと、今はひたすら自分を励ますのみ。
さてどうなるか。

しかも、仙台在住の旧友のところに偶然この連休中に集まることになっていたオヤジたちからの悪魔の誘いも待っている。
うーむ。

本日は1日これ↓を聴いていた。

lavette.jpg
アイヴ・ガット・マイ・オウン・ヘル・トゥ・レイズ →

ベティ・ラヴェットの05年の作品。
このとき既に60歳。
キャリア40年だが、シンニード・オコーナー、エイミー・マン、ルシンダ・ウィリアムズ、フィオナ・アップル、ドリー・パートンなどなどの曲を驚くようなアレンジと歌で、極上のソウル・アルバムに仕上げている。
ジョー・ヘンリーの一連のプロデュース・ワークの割と早い時期のもの。
そのせいかちょっと、エコーがかかり過ぎな気もするのだが、それはそれ。
ヘッドホンで聴くと、曲の終わりの楽器がたてたノイズなんかも消さずに残っていることがわかる。
まだまだやれることはある。

11月18日(水)

昨日の『悲しみは空の彼方に』の件。
実は私の大いなる勘違いで、「総合1位」ではなく、「泣ける家族映画」の1位だった。
総合は3位だったかな。
いやはや。
もうちょっと落ち着いて物事を見て行かないと。
よくわからないのだが、もう自分にも残された時間があまりないと身体が感じているのか、このところとにかくいろんなことに対して急いでいる。
前にも増して。
まあ、落ち着いたとしても同じような勘違いばかりしているだろうということも容易に予想がつき、それもまた情けない限り。

本日は試写2本。
『ライヴ・テープ』と『イエロー・キッド』。
1本目の『ライヴ・テープ』は、10月30日のクアトロで湯浅湾とも共演した前野健太主人公。
今年の元旦に、吉祥寺の武蔵野八幡宮から井の頭公園の野外ステージまでを、前野健太が歩きながら演奏して行くところをワンカットでとらえたもの。
ビデオでワンカットで、移りゆく町並みと歌と主人公とを追いかけ続けたその映像が話題になっているように思うが、そこに映されるリアルな風景と姿と対照的に、聞こえて来る音は極めて人工的なものだ。

まず、最初に演奏の音が聞こえて来るとき、カメラの視界には主人公の姿は映っていない。
主人公は境内の外側の道路沿いで演奏を始め、カメラは人込みを縫ってようやく境内の出口近くに来たところなのだ。
だから、リアルな画面に寄り添う音としてはその人込みと道路を走る車の音とともに微かに演奏が聞こえ始めるということになるはずなのだが、この映画はそれをしない。
いきなり、間近で演奏が始まるのである。
それ以降も、音と映像は常に乖離し続ける。
映像はリアル、音はフィクション。
それがこの映画の唯一の決めごとだったのではないかと思われる。
それくらい、音はどれもすべてが現場で録音されたものであるにも関わらず、常にねつ造され続ける。
リアルな画面とねつ造された音が融合するようなことはない。
どこまでも居心地悪い距離感を保ったままであった。

しかしそれが、ラスト近くの監督と主人公との、父親の死を巡る話の後、ふたつの距離がなくなる。
それまでは日常の風景しか映っていなかったリアルな画面には「野外ステージ」という非日常の空間が映り込み、加工されてもなお歌と演奏はクリアな音質で処理され続けてきた音響には、ステージのアンプから出て来る音のひずみ(リアルなノイズ)が紛れ込むのである。
乖離と融合という大いなる物語がここに完成するという訳だ。
未見だが大ヒットしたという『童貞。をプロデュース』にもまた、このような古典的な物語が紛れ込んでいるに違いない。

2本目は、数年前、京都国際学生映画祭で審査員をやったとき、グランプリ作として推薦した『真利子三十騎』の監督真利子哲也が芸大の仲間たちと作った初長編。
宣伝用のメイン画像を見るたびに、「怒れる若者の映画か、年寄りには関係ない」と思い、監督の名前も見ずにほとんど無視していたのだが、ようやく数日前に、監督名と映画とが一致したのであった。

見てみるとこれがまた、誰にも感情移入出来ない映画であった。
つまり、人が動き音が鳴り人が喋り画面が変わる、それだけでこちらの心をがつんと揺さぶる映画であった。
それでいて、気がつくと主人公とともに呼吸しているような臨場感。
どうして? 何故? という疑問には応えてくれないが、彼らがやってしまったことの取り返しのつかなさだけは痛いほど伝わる映画であった。
そしてその取り返しのつかなさを、さらに別の地平へと広げる回路を探ろうとする、この地球のどこかにあるかもしれない「救い」へと繋がる道へと一歩を進めるガス・ヴァン・サントの近作にも似た構造を持つ映画であった。

しかしあのナレーションは一体誰が語っているのだろう。

しかし2本立て続けに見ると、腰に悪い。
しかも2ヶ月ぶりくらいなのだ試写は。
威張れることではないが、とにかく呆然としたまま、事務所に戻った。

そうそう、告知してくれといわれていて忘れていたことがひとつ。
カサヴェテスのHDリマスター版DVDが発売される。
詳細はこちら→

その発売記念のイヴェントもある。
詳細はこちら→

カサヴェテスに関しては、80年代末から日本でもほとんどの作品が見られるようになり、そのことで日本映画の状況も少しは変わったように思うが、ただ時折、カサヴェテスの悪影響、というような発言も耳にしてきた。
リアルな映画を求める力が強くなりすぎたということになるのかもしれない。
ただ、今回、何度目かになるがカサヴェテス作品をあれこれ見直してみて、やはり日本の若い監督たちは何度もカサヴェテスを見直す必要があるのではないかと感じた。
その度に打ちのめされる必要があるというか、「悪影響」というより、影響をまるで受けていないからそうなるのだということなんではないかと思う。
もちろんそんな必要のない人もいる訳だが。
いずれにしても、カサヴェテスの「リアル」を打ち砕く強靭な映画が見たいと思うばかりである。

11月17日(火)

『12枚のアルバム』にも参加してくれた大里俊晴君の訃報から、1日が始まる。
随分容態が悪いのは聞いていて、その連絡の内容からはとにかくこれは大変とは思っていたのだが、どこかでまだ大丈夫だろうと高をくくっていた。
不意をつかれた。
何かが起きる時は決まってそうである。
いろんなことが思い出され、心残りもいくつかあるが、取り返しはつかない。

しかし一方で日常は続く訳である。
今後の企画の準備や、やり残していたことの整理や、中原もやって来てあれこれの大変な話も聞き、そしてロサへと向かう。
とにかくこちらは講演企画最終日。
この日さえなければと、黒沢さんが何度もこぼした4日目である。

もちろん私は、いやいや、そんなことを言ったってだからこそこの日が面白いのだし、何ごともなかったかのようにしかし思わぬ展開を見せてくれるに違いないと、高をくくっているのであった。
弘美さん(奥さん)によれば、この1ヶ月、家でも相当苦しんでいたとのことなので、もちろんこちらの勝手な思いの外側で、大変な労力が使われていたのであるが、とにかく本日は、当然のように面白く思わぬ展開の中で不吉な空気と幽かな光とに包まれて、思わず涙腺も緩むということになった。
具体的な内容は省略。
来場された方々には、今映画を作ること見ることの確かな手応えをそれぞれ持ち帰っていただけたのではないかと思う。

ただひとつだけいわせてもらえば、過去から未来に向けての直線的な流れとして捉えられていた映画の時間ももはやどこかで渦を巻き、ひとつの視点から四方に伸びていたはずの空間の広がりも実は、いくつもの層が折り重なりいびつな広がりを見せているということが、いよいよ現実にカメラによっても捉えられ始めてしまった。
そんな認識から作り始められる映画を、黒沢さんは21世紀の映画と呼んだ、ということである。

時間や空間の上記のようなあり方の説明は特に目新しいものではないのだが、カメラが映し出してしまった世界の姿がいよいよ誰の目にもそのようなものとして見え始めている、というところが問題。
例えばデヴィッド・リンチの映画に80年代のような輝きが失われてしまったのもうなずける。

この4日間で参考上映された映画の半分は20世紀以前の映画だった訳だが、それらは「過去」のものとして「現在」や「未来」を説明するために取り上げられたのではなくて、それらの中に21世紀の映画が紛れ込んでしまっているという意味でそれらもまた、21世紀の映画だったのだと思う。

いずれにしても、『ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス』のラストシーンでは、暴力と殺戮の世界に行ってしまった主人公の男が再び家庭の食卓に戻って来る訳である。
当たり前のように、それは戻ってくる。

そうそう、本日送られてきた雑誌ブルータスの「泣ける映画」特集では、何と総合1位がダグラス・サークの『悲しみは空の彼方に』であった。
私もその1票を投じさせてもらった訳だが、しかしまさかこんな日が来るとは、という思いと、こんなことでいいのか、という思いとが錯綜した。
サークのインタビュー集『サーク・オン・サーク』の出版を今まで待っていればという思いと、いや、待っていたら昨年のサーク特集はなかったかもしれないという思いとが絡まり合い、まあ、いずれにしてもboidが儲かる日は当分来ないなあと天を仰ぐばかりであった。

もしまだ『サーク・オン・サーク』を読んでおられない方、『悲しみは空の彼方に』がそんなに泣ける映画なのか興味をもたれた方、是非下記にてご購入、ご一読を。

sirkonsirk.jpg
→『サーク・オン・サーク』

しかしサークのDVDボックス、すごい値段になってる・・・

11月16日(月)

土日連続のイヴェントの後の月曜日というのもなかなかしんどいものだが、まあ、それを言ったら一体黒沢さんはどうしてこんなことが出来るのだろうかと、依頼しておきながら、あまりに無茶な依頼だったことをあらためて知ることになる。
まあそれはそれ、昨夜寝るのに失敗したため、本日も一般サラリーマンなみの時間からせっせと働く私であった。

夕方、黒岩が来て、boidの次の出版物の打ち合わせをしていたところで、大問題が発生。
私がやるならともかく、今回は編集者として以来した黒岩の、編集者にあらざるべき大ざっぱさが露呈し、責める。
うーむ、スケジュールが大幅に狂うが致し方なし。
まあ、おかげで少し、私もやる気が出た。

夜はロサにて、連続講演3日目。
本日は「人間」というテーマだったのだが、まずは、昨日の続きである「持続」について。
参考上映は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のいくつかのシーンだったのだが、これを見ると、今のゼメキスが3D映画を作り続けている理由がはっきりと分かる。
ゼメキスは既に80年代から3Dだったのだ。
キスしようとするふたりの前に突如として出てくる募金箱なんか、3D映画の演出そのままではないか!

そして「人間」。
これはもう、黒沢さんならではの展開と迂回による映画論となっていたのだが、黒沢ファンにはお馴染みの『悪魔のいけにえ』の定番ともいえる解説は、本日の話題の中では飛ばしても良かったのではないかとも思えたのだが、それにつづいて『ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス』の解説が始まり、ラストシーンのあの何とも言えないいやーな食卓の場面になると、いや、このふたつの映画の差異こそが今回の確信でもあるのだ、だからこそいささか語り尽くした感もある『悪魔のいけにえ』が、今日こそ絶対に必要だったのだと思える。
21世紀の映画はあの食卓、映画への確信も高揚感もまるでない、ただひたすらそこに動揺するばかりの人がいるだけの食卓からはじまる。
そう言うのは簡単だが、では一体何をどうやって始めたらいいのか?

本日の終わりはフェリーニの『道』のラストシーンであった。
愛するものを失った男の、混乱と涙であった。

本日は、「人間」というテーマで、どこか「黒沢清」という人間をたっぷり見せられたような気もした。
というよりも、「今」何故「私」がこうやって壇上で喋り、映画を作り続けているかというそのことを、さまざまなやり方で見せられた気がした。

明日はいよいよ最終日である。

11月15日(日)

黒沢清連続講演2日目である。
本日は脚本についての話から。
脚本に書かれている事柄と、実際に映画として映されているものとの具体的な違いの検証から、映画における時間と空間とアクションの飛躍について。
つまり20世紀の映画とは何だったか、という話である。
そしてまた、映画の持っている本質的な自由についての話でもあった。

そうなるとやはり、ゴダールの映画が見たいと猛烈に思う訳である。
この話の流れの中でゴダールを上映すると、どの作品がいいだろうとか思い始めたところが大体本日の終わりあたりで、黒沢さんの選択は『探偵』であった。
そう、すっかり忘れていたのだが、金曜日に参考上映作品の上映する箇所を決めていた中に、確かに『探偵』も入っていた。
一体どうしたらこうきれいさっぱり忘れることが出来るものかと自分でも呆れたが、とにかく話の流れを見失ってはいなかったと一安心。

いや、でも、『探偵』ももう、通常の上映は不可能なんだよねえ。
一体、映画の権利問題が解決する、というか、権利料を支払うシステムが世界的なレベルで画一化されるのはいつの日のことだろう。
実際の映画ではなく、そういったシステムの変化こそが、新しい映画を生み出していくのではないかとさえ思っている。

とはいえ、明日のテーマは「人間」。
一体どんなことになるのだろうか?

帰り道、11月にしては相当暖かかった昼の気温が下がってきて、冷えた空気が気持ちいい。
見上げると空からジェット機が近づいて来るような気配を感じたのは、本日の『キル・ビル』『女の都』のジェット機シーンを見たからだろうか。

11月14日(土)

いよいよ、4夜連続講演の初日である。
その前に事務所にて発送その他。
忙しさもひと山越えたとはいえ、この間、あまりの忙しさに連絡を途切れさせてしまった各所へ連絡したり、請求書その他の確認を怠っていた劇場その他にも連絡多数。
貧乏なんだから請求や物販の売り上げくらい、ちゃんと把握しておかないとねえ。
いずれにしても、遅まきながら通常営業へと近づきつつある訳だ。
こういうのを土・日じゃない日にやれるようにならないと。

それはそれ、池袋シネマ・ロサ。
本日のキーワードのひとつでもあった「淡々と」という言葉はまさにこのためにあるのではないかと思われる、落ち着いた雰囲気ではじまる。
しかしそれもまた、別のキーワードとなった「演出」なのではないかと思わせる、見事な時間配分と構成によって、講演を聴いているというより一本の映画を見ているような、そんな気分にさせられた。
実は、6月くらいに一度、話すだけではなく、話すように撮った映画を作ってそれを上映するのはどうか、という提案をしたことがあり、ただそれは、黒沢さんの忙しさや、boidの忙しさや資金不足もあってそれきりになってしまったのだが、まさに本日の講演こそ、それに限りなく近いものだったような気がする。
話すように撮った映画の上映ではなく、映画を作るように語られた講演。

テーマは「リアルとドラマ」ということで、そのふたつは映画の中では決して相容れず、リアルであったりドラマであったりしながらその居心地悪さとともに映画は語られて行くものだという内容が、映画監督として映像と言葉をどう扱うかという問題ともリンクして、参考上映の映像とその前後の話の共振を呼ぶのだった。
それに乗せられた私は、悔しいことにキアロスタミの映画の中ではあまり気に入っていなかったはずの『そして人生はつづく』こそ、まさに映画そのものであると思わされてしまった。
うーむ、再見しなければ。

というわけで、後3日間、講演でもなく映画でもない、黒沢清の新作としかいえないものが、池袋シネマ・ロサにて日々更新されて行きます。
これは完全にその場限りのものです。
1日だけでもたっぷり堪能出来ます。
明日は、「持続と切断」というテーマ。
その前に映画にとっての脚本の問題が語られます。

いつか活字になるだろうとか思っているあなた、活字は活字で面白いですが、そうではない、思わず自分の存在自体を疑ってしまうような決定的な一瞬が、ここにはあります。
とはいえ、自分のことを考えてみても、夜の9時からのイヴェントに出かけるのは本当につらい訳だから、時間と体力ある方、どうしようかなあと迷っていたら是非、ということで。

11月13日(金)

気がつくと例えようもなく疲れていて、昨日は、バウスでの『バニシング・ポイント』の試写が終わるともう、それっきりだった。

本日もそのままの勢い(笑)。

昼過ぎからは黒沢さんがやって来て、明日からの4夜連続講演の準備である。
参考上映する作品の場面チェック。
これでだいたいの内容が見えてくるのだが、まだ、4夜目は微妙なのだとか。

とはいえ、4日分のテーマというか、タイトルも決まる。

1日目 リアルとドラマ
2日目 持続と切断
3日目 人間
4日目 21世紀の映画

いかがでしょうか?
4日連続で聞いていただければそれにこしたことはないですが、1日だけでも今後の映画人生にとって十分参考になるものになると思います。

一体何を参考上映するかはお楽しみに。
まあ、作品名より、その作品のどの部分か、というのがポイントだから、あまり作品名を気にする必要はないのだけど。

「人間」の日の参考上映は、いや黒沢さん、本当にもう・・・、という内容だったが、一体それをネタにどんな話が聞けるのか。
ちらっと見たノートには、もうびっしりと書き込みがしてあった。
当日までにはさらにそれが整理されてくるのだろう。
明日からは私も、一人の観客として、たっぷりと黒沢さんの講演を楽しみたいと思う。
こういうライヴなものは、その場にいてなんぼ、だからねえ。
全部忘れてしまったとしても、どこかで何かが身体の中にたまって行く。
それでいいんだと思う。

11月11日(水)

ヨレヨレのまま昼過ぎに起床。
これじゃあ仕事にならん、とは思うものの、何とか夕方まで。
ひと山は越えたものの、ぼちぼちとあれこれある訳ですよ。
それにまあ、この間やり損ねたこともまだまだ。
せっせと働いて、ボチボチ儲けないとねえ。

で、夜は寝ちゃうんじゃないかとは思ったものの、せっかくのチケットがもったいなくもあり、オーチャードホールへ。
ライ・クーダーを見るのは、たぶん、16、7年前、中野のサンプラザ以来か。
ニック・ロウのライヴは初めて。

とにかく余裕のライヴというか、ふたりともいいあんばいに年老いて、いい音を出していた。
もっと小さな場所で見たかった、というのは一緒に見た人たちが口を揃えたから、やっぱりちょっと迫力には欠けていて、ただ、その音だけで気がつくと視線がギターを弾く手もとにクローズアップさせられているというのは、さすがであった。

ニック・ロウはライ・クーダーよりさらに「得」な感じになっていて、つまり、もう、そこにニック・ロウがいて歌を歌うだけでOK、その歌を聴けるだけでこちらも幸せ、みたいなありがたい雰囲気満載。

いずれにしても年老いても音楽をやり続ける、その生き方のひとつをしっかり見せてもらった気がした。

ただまあ、だからといってこちらが何か衝撃を受ける、というようなことはなかった。
ワイヤーみたいなライヴはそうあるもんじゃないからねえ。
ブルース・スミスももう、ワイヤーを脱退してしまったし。

しかし、ライ・クーダーの腹は一体・・・

その後、中原、荒井晴彦さんたちと、夕食。
荒井さん、ドニー・フリッツのライヴにも行ったとか。
うーむ。
これは悔しいねえ。
状況的にとてもじゃないが行けなかったのだが、やはり残念過ぎ。
行けば良かったと、遅すぎる後悔。

中原と荒井さんとのやり取りは、ちょっと録音しておきたかった。
例によって何を話していたかすべて忘れてしまったが。

11月10日(火)

ああ、原稿書き終えたらもう、すっかり朝ですよ。
目覚めた姫2号は暴れ出すし、姫1号は登校前の朝シャン中なり。
こちらはフラフラ。
まあ、腰痛にはタイ古式マッサージがよろしいという知らせを受け、それは気持ちいいかもと思ってではどこに行こうかと調べ始めたら、その半分くらいが風俗店らしくもあって、一体これはどうなってるのかとズルズルあれこれ見始めてしまったのがいけないんだけどねえ。
でも、なんと、事務所の向かいのビルに、一応普通のマッサージをしてくれる店舗があることがわかったのである。
うーむ、いつか行ってみよう。

そうそう、毎週水曜日の朝は資源ゴミ回収の日で、したがって火曜日の夜にそれらを出しておくのであるが、本日はそこそこの量があったために、帰るときに一気に出すのは無理なので少し早めに出しておいたのだった。
帰りがけに、最後の一袋を持ってゴミ置き場に行ったところ、何とちょっと前に出しておいた再生紙用の資源ゴミが既に持ち去られていた。
いやあ、宛名の書かれた封筒とかハガキとかも一緒に入ってるから、どこの誰が捨てたものかは丸分かりで何とも恥ずかしい限りだが、しかしそれはいいとして、持っていくなら、事務所に声かけてくれないかねえ。
だって、資源ゴミ捨てるのにも、それなりの値段のする事業者用のシールを買って、貼付けてから出してるんだよ。
声かけてくれればそのシール貼らなくても済む訳だから、こちらとしても大助かり。
その紙たちが何かの役に立つならさらに嬉しいし、必要な紙だけでもいいからさ。
それとも何か、声をかけられない理由でもあるのだろうか。

しかしそれはそれ、本日(11日水曜日)は、boid事務所は午後遅くからの営業です(笑)。
夜のライ・クーダー、ニック・ロウは果たして行けるのだろうか?

11月9日(月)

本日は杉山彦々もやって来てくれて、『トーチカ』CDや、ヘア・スタ『Live!』のパッケージ作業を。
大分片付く。
発送作業も本日でひと山越した感じ。
あとは焦らずじっくりと告知活動をしていけばいいか、という状態になる。

夜はバウスにて、来年以降の爆音上映会議あり。
とにかく爆音上映は、深夜の音調整作業を始め、バウス、boidともにスタッフへの負担が大きすぎて、それは経費がかかりすぎるということにも繋がり、そういった負荷をどうやって軽減していくかというのがメイン・テーマ。
おおよその方策は出た。

そしてその後に『バニシング・ポイント』の音調整である。
バウスの液晶プロジェクターが先週壊れ、そのためにDLPを移動させたりしているために、準備に時間がかかって、はじまったのは12時くらい。

『バニシング・ポイント』は、とにかく今回上映するイギリス・ヴァージョンで初めて登場するシャーロット・ランプリングのシーンが圧巻。
映画史に残る珍シーンではないだろうか?
まあ、大げさではあるが。
私はこのシーンがある方が好きだが、果たして皆さんはどう思われるだろうか?
すっかりヘロヘロの身体が一瞬、見事に覚醒された。

音の方は、迫力の点では『ダーティ・メリー クレイジー・ラリー』に劣るが、音楽とのからみ方や、それが作り出すグルーヴ感は相当いい。
まあそれは、こういった台詞の少ない映画を作ろうとした時点で、この映画を支えるのは何かという見晴らしがついていた、ということなのだろう。

しかし月曜からの深夜作業は身体にこたえるねえ。
木曜日だと、金曜日さえ耐えれば、土・日は少しは休めるのだが、月曜日だとまだまだ一週間が始まったばかり。
早く寝なくては。

11月8日(日)

原稿を書かねばならないかと思うと朝から気が重く、普段より早く起きたものの結局どこまでもグズグズしてしまう。
単に1日無駄にした。
原稿料は安すぎるといつも言っている中原の気持ちがよくわかる。
こんなことなら、ちゃんと休めば良かったと思うばかりなのだが、ちゃんと休んだにしてもでは明日、バリバリと原稿が書けるかといえばそうでもない訳だから、この胃の縮むようなグズグズを積み重ねていくしかない訳だ。
というか、そんな大げさなものではないんだけどね。
何だか前々踏ん切りがつかなくなっている。
疲れているのだろうか。

で、夜はバウスへ。
残念ながら動員は芳しくなく、まあ、日曜日のレイトにしてはまずまずといえばまずまずで、抽選会にも残っていただいた方々、本当にどうもありがとうございました。
皆さん全員に試写状をあげたいくらいなんですが、そうもいかず。
しかし本日は既に上映が始まってからバウスに到着したのだが、ナチュラルハウスの角まで来たところでもう、ガンガンと音が聞こえていたぞ(笑)。

一方、湯浅湾ツアー・ワゴンは渋滞に巻き込まれ、御殿場から東京に入るのに3時間以上。
バウスでの抽選会も終わり帰ろうとしていた11時過ぎにニッポンレンタカーから電話が入り、まだ返却に来てないがどうしたのかと。
予定では返却9時で、その時点で「間に合わない」という報告を入れていたはずなのだが、レンタカーの担当者の予測を越えて時間がかかっているようだ。
いやあ、本当にお疲れさま。
やはりあまりに無茶なツアーだったか・・・
いつの日かこの穴埋めは必ず。

そして一方、14日からの黒沢さんの連続講演の準備も、いよいよ。
当日、参考上映する予定の作品リストが送られてくる。
どれをどうするかはこの1週間で決まっていくのだが、黒沢さん曰く「3日間は何とかなる。でも4日目が・・・」とのこと。
こちらも4回連続、というのはやはり無茶な企画だったか。
しかし、何も語ることがなくなって、さて何をするかというところでまた、何かがでてくればと思う、他人事な私であった。
黒沢さんも本当に大変だと思う。
変に大きなテーマを掲げてしまったしねえ。
どうなるかドキドキだが、絶対に面白くなると思う。
ただ、こういう無茶な企画に一体どれだけの人が付き合ってくれるのか。
こういった企画は、やるたびにハラハラする胃が痛む。
皆様、今度の土曜日からです。
池袋シネマ・ロサにて、お待ちしております。
学校の授業とはまた全然違ったものになることは間違いないです。

11月7日(土)

最期まで迷っていたのだが、やはり、ここは東京に戻らねば、ということで、身延線静岡方面ではなく甲府方面に乗り、東京へ。
事務所では、発送作業その他。
そして、夜はバウスへ。
爆音『デス・プルーフ』初日なのである。
それに本日は、木曜日の試写のプレゼント抽選会もあったのである。
ノリノリの上映終了後、バウス井手君が舞台に上がり、一人抽選会。
写真を撮ったのだが、手ぶれが酷く載せられず。
こんなことなら、抽選を手伝えば良かった。

そうです、すっかり書き忘れていたのだが、本日と明日、『デス・プルーフ』来場の方には抽選で、木曜日に行なわれる『バニシング・ポイント』と『ダーティ・メリー クレイジー・ラリー』の試写状をプレゼントするのでした。
『デス・プルーフ』をいつ見ようか迷われている方、あるいは、『バニシング・ポイント』あるいは『ダーティ・メリー クレイジー・ラリー』をでかいスクリーンで見たいと思われている方、明日は8名様分のプレゼントがあります。
今更書いても遅いのかもしれないけど、まあ、お知らせしないよりまし。
こういうことをもっとちゃんとアピールしないといけないなあと、反省ばかりの日々である。

しかし本日は、関西からは何の連絡もなし。
たぶん、無事、終了したのだろう。
そう思うしかない。
まあ、心配なら自分から連絡しろよ、ということなのだが・・・

11月6日(金)

本日は、役場、銀行、農協、社会保険庁めぐり。
とりあえず、大物は何とかなった。
しかしまあ、何度同じ文字を書いたことか。

役場に母親の戸籍抄本をとりに行ったとき、以前の日記にも書いた「原戸籍」というのを取りに来ている方がいて、すでにいくつかの役所を回ってこの町の役場にきたらしく、しかしそれでも戸籍に穴があることがわかり、さらに別の町の役場に行かねばならないと、すでに涙声であった。

夜、大塚から、実家に電話がある。
ここまで追いかけてくるのだからきっと悪い知らせだろうと、どきどきしながら電話に出ると、悪い知らせでもなく良い知らせでもなく、ありがたい知らせだった。
横川シネマ、溝口君、このお礼はまたの機会に!

とにかく湯浅湾の今回のツアーは、アウェイ街道まっしぐらなので、各所でいろんな方々の協力、力添えに甘えている。
本当にありがたい限り。
いつの日か、日本中が「ホーム」になる日を目指し、歩み続けるしかない。
明日はついに最終日である。
大阪・淀屋橋、芝川ビルへ!
とってもいい空間です。

それから、アマゾンで、『12枚のアルバム』が品切れとなってしまった。
月曜日に再出荷だから、おそらく来週水曜日には通常購入できるはず。

あと、アテネフランセで、万田さんの『再履修 とっても恥ずかしゼミナール』発売記念イヴェントが行われている。
私もこんな上体でなければ是非駆けつけたいところなのだが、結局大人になると自分のことで目いっぱいになるだけで、その他のことへのエネルギーがどんどんなくなるばかり。
悔しい限りだが、まだエネルギーのあまったいる人、時間のある人、映画を見たい人はとにかくアテネに。
アテネHPの該当ページ→
出版社の該当ページ→

そして結局、私は明日、東京に戻ることにした。
大阪には行けず。
事務所直行である。
ああ。

11月5日(木)

実家である。
さすがに山梨はさぶい。
顔が冷たい。

夕方まで事務所で、もろもろの作業をやっていたのだが、本日の発送物の多さに、さすがのヤマトのお兄さんもびびっていた。
デザイナー河村康輔君も手伝いに来てくれて、タワーその他での『12枚のアルバム』展開のためのポップ作りなど。
boidのような小さな会社にとって、各店舗からのこういった申し出はありがたくもあり、しかし許容範囲を超えると負担ともなる。
このバランスが難しいのだが、やはり少しでも皆さんの目に触れてほしいし読んでほしいからねえ。
あれこれ無理をしてしまうわけである。
その分売れてくれ!と願うしかない。

とはいえ、まだまだ作業山積みのまま、20時のあずさに飛び乗ったわけで、予定では7日は山梨から湯浅湾ツアー最終日の大阪に駆けつける、ということになっていてその準備もしてあるのだが、やはりどう考えても無理。
しかも、実家のほうで処理しなければならない書類もあれこれ。
明日1日ではやりきれないことも判明。
ふー。

しかし、もうちょっとうまく乗り切るやり方があるはずなのだが・・・
どうせやりきれなくて、最終的には適当に、いい加減に、ということになってしまうのだから、最初から適当でいい加減にしていりゃいいんだけどねえ。
それのほうが、周りもやりやすいはずだろうに。
いやはや、皆さん、すみません。

11月4日(水)

本日も相変わらず発送作業と営業なり。
まあ、書籍とCDの発売直前で発送作業が慌ただしくないよりはずっとましなのだが。
というか、年中こうならいくらでもその後を考えられるのだが、ともいえる。
忙しいことを感謝しながら作業を続けなければならないねえ。
まあ、いずれにしてもそのために人を雇えるほどではない訳だから、こうやって自力で何とかするしかない。
どうせならもう、忙しくて人を雇わずにはいられないくらい、ガツガツと注文が来て欲しい物だとも思う。
そうそう、アマゾンでも発売が始まったので、どうせならアマゾンで他のあれこれと一緒に、と考えていられる方は、こちらにてどうぞ。
アマゾンでの購入ページはこちら→

なんてまあ、あれこれ一生懸命やってる訳ですよ、皆さん。
とりあえず、ご購入、お願いします。
それから、うちのメディアで紹介したいとか紹介してもいいとかお考えの方々、是非boidまでご一報を。
できる限りの対応をします。

それやこれやしているうちに夜も更けて、帰宅。
京都のライヴに行った若者からは、「今日参加した人はみんなすごい体験したと思ってるんじゃないでしょうか。」という報告も来る。
対バンのイノウラトモエさんたちも、がつんと気合いを入れてやってくれたはずである。
明日は神戸、そして広島、大阪。
神戸と大阪は、音量的には京都よりずっと静かで、「凪」状態の「港」をゆるりと味わうことができると思います。
つまり、京都とはまた違う風が吹くはず。
波は日々違う。
その違いこそが湯浅湾の音の源でもある。

それはそれ、今夜は『レザボア・ドッグス』を。
今回もまた、マイケル・マドセンがらみで記憶にあったシーンがまったくなかったので愕然。
人質につれてきた警官を椅子に縛り付け、ぼこぼこにした後、ひとり残ったマドセンが、警官に向かって詩の朗読を聞かせる、というシーン。
絶対あったはずなのだが・・・
マドセンが詩人でもあり、朗読もやっているという事実が、いつの間にか映画の記憶の中に滑り込んでしまったのだろうか。

車の中でのギャングたちの会話のシーンで、クリス・ペンがしきりに何かを話そうとしているときに、脇から仲間たちがあれこれ茶々を入れる、その他の映画でもお馴染みのシーンがあって、その中でふと挿入される、彼らの茶々を聞いて笑うティム・ロスの笑顔がすごく良かった。
これがタランティーノの映画のポイントではないかとさえ思った。

というわけで、今週末からは再び『デス・プルーフ』です。
詳細はこちら→

ああ、それから書き忘れたことがひとつ。
今週末から、高円寺にて、高円寺祭り、というのが行われます。
ライヴを始め、いろんなイヴェントが行なわれるのですが、そのなかで、高円寺文庫センターが出店を出します。
そこで、『12枚のアルバム』を思い切り売ってくれます。
その際のご購入者の先着15名様には、boid通販のオマケと同じ、ライヴCD−Rをプレゼントします。
お近くにお寄りの際は是非。

11月3日(火)

とりあえずまずはTSUTAYAに連絡。
30倍ポイントにこだわる訳ではないのだが、やはり単に手数料だけを取られて黙っているというのも収まりがつかないのだった。
とはいえこちらは、無事解決。

なんて、世のシステムのややこしさをブツブツ言っている間に、boid通販のコンビニ払いの確認の面倒を惜しんだために、自分の足下でもいくつかトラブルが起きてしまった。
やっぱり銀行やシステム作りの人間の考えることなんて、こちらの行動パターンとはまったく違うんだよねえ、と、自分の怠惰を棚に上げて、怒りを募らせる。
しかし、ご迷惑をかけてしまった皆様、大変申し訳ありませんでした。

ただ、やっぱり、この通販のシステムはどうしても解せないんだよなあ・・・
と、いつまでも怒りともやもやを引きずる1日。

明日の税理士チェックを前に、せっせと9月分の経理の整理をしていたのだが、上記のこともあり、次第に気分は滅入るばかりであった。

夜、青山から電話あり。
発売中の映芸に掲載されている、稲川さんと梅本さんの文章がすごいという話。
私は未読なのだが、青山の話を聞くにつけ、このお二方にまたもやあっさりとぶっちぎられた感あり。
いやあ、滅入ってる場合じゃないんだよねえ。
青山は、これから立て続けに出版される小説その他の校正地獄からの逃避電話とのことだった。
ブログを見てもお分かりの通り、相変わらず激しく動いている。

その後『キル・ビル』『キル・ビル2』。
相変わらず物語はすっかり忘れ去っていたのだが、『2』の方が、記憶より大分雑に見えてしまった。
『ジャッキー・ブラウン』にも、『デス・プルーフ』にもあった、登場人物たちがふと素に戻るというか、俳優でも登場人物でもない何かになるような、映画の時間から逃れた時間が不意に訪れるようなことはなかった。
ナンシー・シナトラの「バン、バン」は、「2」の方の印象が強く残っていたのだが、しかしほぼまったく流れていなかった。
いわゆる映画音楽っぽいアレンジで所々に聞こえてきた、その印象が残っていたのだろうか?
だが、記憶では、冒頭のモノクロシーンで車を運転するユマ・サーマンのアップにかぶって流れていたはず。
しかしそんなシーンもちょっとしかなく、同じようなシーンは最後のところにあって、そこでは別の曲が流れている。
それに、荒野の中のキャンピング・カーで暮らすマイケル・マドセンが退屈しのぎに、キャンピング・カーの屋根に乗ってゴルフ・ボールをパコーン、パコーンと荒野に向かって打ちっ放すやたらと空虚なシーンもまったくない。
キャンピング・カーの中でのダリル・ハンナとユマ・サーマンのアクション・シーンで、ユマ・サーマンがゴルフバッグに刺さっていた刀を取り出すところがあるので、もしかするとそのショットが印象に残って上記のような妄想を抱いてしまったのだろうか。
何かの映画と混乱しているに違いないのだが・・・

それはそれ、本日の収穫は梶芽衣子の歌声だった。
『さそり』も『修羅雪姫』も映画は好きだが、梶芽衣子自体にはあまり興味はなく、それらの主題歌も、暗く日本的な印象を持ったままだったのだが、今聞くと、梶芽衣子の歌は全然感情が込められていないというか、確か「歌わされた」みたいなことをインタビューで語っていたような記憶もあるが(これまた酷い勘違いかも)、とにかく、歌詞の内容に比べて声がシャープすぎるし軽い。
いや、そこがいいんだよねえ、という状態なのである。
その、ちぐはぐな感じのまま歌い切ってしまうところは、ナンシー・シナトラにも通じるところがあって。
うーん、でも原稿のネタにはならないねえ。

湯浅湾は無事京都までたどり着き、ガケ書房は人口密度高し、という報告が来た。
中原も、帰京して、某所に、という未確認情報もあった。
こちらの心配を越えて皆さん何とかやっている。
素晴らしすぎる。
いや、それぞれが本当に過酷な旅なんです。
私にはできない。

いずれにしても、タランティーノ作品の中で流れるジョニー・キャッシュの歌は、どれもググッと胸に来てたまらんのだが、これはもう明らかに、タランティーノのマジックにかかってしまっているということなのだろう。

11月2日(月)

本日は妻にも出動してもらって、発送作業やら何やら。
細かいことが多すぎて呆れる。
こういったことを今後どうやって切り抜けていったらいいか、考え出すときりがない。

夕方、姫1号がファミマのTカードの30倍ポイントというのが当たったので、ついてはそのポイントを得るために、TSUTAYAでCDかDVDをレンタルして欲しいとの依頼あり(30倍ポイントを得られるのはTSUTAYAでのレンタルのみとのことなのだ)、ちょうど原稿のためにタランティーノ作品を見直さねばならなかったこともあり、姫1号と待ち合わせて新宿TSUTAYA。
しかし、その30倍ポイントを得るにはいろんなからくりがあって、姫のカードはTSUTAYAのレンタルには対応しておらず、そのための手続きをまずやってからでないとレンタルはできず、結局その手続き料に510円がかかるのだった。
まあ、ポイント30倍分の元はとる、ということなんだよねえ。
しかも姫が学生証も保険証も持っておらずというしょうもないことになっていて、そのすったもんだで時間がかかり、ようやく何とかなったのだが、帰ってみると、そのゴタゴタの中でTSUTAYAの受付担当者が30倍ポイントをつけ忘れたみたいで、通常のポイントしかついていないのである。
ふー。

もう、ほんと、こういう細かいどーでもいいことでうんざりすること自体にうんざりである。
まあ、こちらがそれについていけない、というのが悪いんだけどねえ。
TSUTAYAさん、どうにかしてくれないでしょうか。
確認を忘れるこちらも悪いが、店員さえもポイントつけ忘れるような面倒なシステムって、一体なんなんだろうと思うばかり。

それはそれ、まずは『ジャッキー・ブラウン』を堪能。
公開時以来久々に見たのだが、前半のアダルトな時間感覚にしびれる。
大げさにいえば『愛のそよ風』みたいな映画を、いつか作ってくれるんじゃないかとさえ思わせる。
エルモア・レナードの原作がそれを邪魔しているようにしか見えないのだが、小説を読んだこともない人間がそんなことを言ってはいけない。
どれか1冊、今度読んでみようかと思う。

いずれにしても、最後のボビー・ウーマックはやっぱり良くて、ついこんなアルバムをアマゾンに注文してしまった。

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Across 110th Street →

11月1日(日)

本日も発送作業の続き。
その合間に各所への連絡をあれこれ。
大塚からは、名古屋には無事到着したがすごい雨、との報告。
うーむ。

その後の湯浅さんからの報告によると、最後の「ミミズ」は中原も参加しての演奏となったとのこと。
かなり盛り上がり、何とアンコールまでやったという。

こういう報告を聞くと、ああやっぱり行きたいなあと思うのだが、どうやら、ツアー・ワゴンは機材で目一杯となり、皆さん自分の荷物を膝に抱えながらの道中だったと。
いずれにしても、私は乗ることができなかったということになる。

明日は、湯浅湾は金沢。
中原は京都造形大学にて、稲川方人さんとのパフォーマンス。
先日、中原が演奏するかと思ったらいきなり稲川さんの詩を読み始めるというのはどうか、とかいう話も出たりしたのだが、果たしてどうなるか。
というより、明日は中原は無事京都にたどり着けるのだろうか?

実は、京都往復の交通費を、既に使い果たしてしまっているのであった(笑)。

誰か中原のサバイバル京都往復を記録してくれると面白いと思うのだが。
まあ、今頃言っても遅いよねえ。