
boid日記 2009年12月
boid日記
text by 樋口泰人
12月31日(木)
今日は日記も書かず、たらたらと夜を過ごし風呂入って寝る予定だったんだけど、風呂入ろうとしたらいきなり火事寸前なんだもんなあ・・・
いやあ、ほんと、老人の一人暮らしは危ないよ。
実家の風呂は、バスタブに水をためて、石油を使って炊いて沸かすという相当旧式のつくりなんだけど、母親が水を入れ、入れすぎたために少し水を抜き、釜のスイッチを入れたものの、どうやら、水を少し抜いたときに栓がちゃんと閉まらなかったみたいで、その後も水は抜け続け、しかし石油の釜は規定の時間まで炊かれ続け、一気に加熱してしまったという次第。
風呂中の煙。
バスタブは加熱され、プラスチックの部分は溶けてしまっている。
もうちょっとで火が出るところであった。
で、まあ、煙くさい中で新年を迎えたという次第。
いやはや、この先1年が思いやられる・・・
ところで、爆音映画祭のポスター・ビジュアルの応募作品が、ぼちぼちと届いている。
どれも、プロの方の作品ではない。
したがって、全体的な仕上げの技術はまだまだで完成度は低いのだが、しかし、「爆音面白い!!!」という雰囲気はガンガン伝わってくる作品である。
こういうのは本当にうれしい。
というか、こういうのが爆音映画祭であるということを再認識させられた。
これでいい、この勢いをポスターに活かしたい。
皆さん、一晩でえいやって仕上げたバランスの悪い作品でも全然OK。
「爆音面白い!!!」という感じが伝わる作品をどしどしお願いします。
12月30日(水)
山梨である。
さぶい。
昼はそうでもないのだが、日が落ちると一気に冷え込む。
まあ、冬っぽくてそれはそれでよし。
今年はかつてなく東京と山梨を行き来した。
母親の一人暮らしが始まっているので、来年も今年程度には行き来することになるだろう。
どうなることやら、という感じだが、まあ、こればかりは成り行きに任せるしかない。
まあそんなわけで明日は田舎の大晦日。
取り立てて書くこともないだろうから、今年はこれが最後の日記更新となる可能性大。
皆様良いお年を。
そうそう、本日は、ヘア・スタがリキッドルームとオンエア・ウェストでライヴをやっていたはずだが、どんなことになっていたのか。
来年は盛大にどーんと行きたいものなのだが・・・
12月29日(火)
本日は年末ということで風呂掃除などをやった。
明日は姫1号と実家に戻るため、今年の私の大掃除はこれにて、あとは省略。
まあ、あまりに今年は打ちのめされ続けてきたので、これくらいで勘弁を、という感じだろうか。
しょぼくれつつ『ワルキューレ』を見たらこれがあまりに酷くてさらにしょぼくれる。
空間と時間の使い方がまったくダメ。
テレビドラマみたいに、ただひたすら一生懸命に脚本をなぞって行くのみ。
でもまあ、事実の映画化って、大体こういうことになっちゃうんだよねえ。
しかし妻が見ていたテレビドラマを見るとさらに酷く、照明も、カメラの一も、余計なフィルターも、本当に酷い。
どうやら新聞には、今年一番のミステリーと書かれていたみたいだ。
うーむ。
でも年末だし、単にダラダラ見ていりゃあいいんだよね。
そういえば、昨日、川口敦子さんから連絡が来て、こんな記事を教えてもらった。
「夏時間の庭」ベスト1→
こういうこともある。
いい知らせがないわけではないのだ。
しかし気になるのは、この記事の中でオリヴィエご推薦のキャスリーン・ビグローの新作。
日本では『ハート・ロッカー』というタイトルで3月に公開とのこと。
試写は始まっているのだろうか?
年明けに、試写状を整理しなくては。
12月28日(月)
年内最後の営業日ということなのだが、まあ、あまり代わり映えせず。
書籍の打ち合わせを済ませ、あとはグズグズと。
長嶌から、ダウザーの最新録音が届く。
この日記からも、boid.net のダウザーのコーナーからのリンクが貼ってある、マイスペースのダウザーページには既にその音源もアップされているから聞かれた方も多いと思うが、1枚のcdに焼かれてまとめて聞くと、ダウザーの音が「サウンドトラック」ではなくなってきたことがよりはっきりとする。
映像的なものから音楽的なものへのシフトチェンジ完了、という感じか。
引き続きこの路線でいってもらいたいと思う。
これならライヴもガンガンできるのではないか。
決められた時間の中に、詰め込めるだけ音を詰め込んで、こちらを圧倒して欲しい。
夜は、コーエン兄弟の『バーン・アフター・リーディング』。
いやはや、これまた、圧倒的に小さな出来事と大きな出来事が織りなす物語。
アメリカ映画の現在はこの大小のスケールの直接的な出会い、ということなのか。
『サブウェイ123』を、再度見たくなる。
12月27日(日)
久々に姫2号の反乱にあう。
この1年、すっかり落ち着いていてもう大丈夫と安心していたのが大誤算。
本日は妻の誕生日で、誕生祝も兼ねた忘年会のため一家で深夜まで出かけていたのだが、こんなに夜遅くまで誰もいない状態というのはほぼまったくこの1年なかったことで、たぶんパニックになったのだろう。
しかしまあ、どうして私の布団でやるかねえ・・・
というわけで、寒い一夜を過ごすことになったのであった。
それはそれ、リンチ姫はなかなかなものである。
父プロデュースの『サベイランス』。
いかにも父デヴィッドのテイスト、といった感じの宣伝ビジュアルで、まあ内容も2世監督の中でおそらくもっとも親の映画に近いものをつくっているとは思えるものの、これがなかなか抜けがいいのだ。
その暗闇の先にも何もないですよ、あはは、みたいな感じ。
その空虚な恐ろしさは十分にある。
音楽の使い方も良し。
ロブ・ゾンビよりももしかすると面白いかもしれない。
空間の使い方がかなりいけている。
ガンガン作って欲しい。
12月25日(金)
先日の『ウディ・アレンの夢と犯罪』。
製作の順番でいうと、『それでも恋するバルセロナ』の前の作品なんだねえ。
何となく納得がいった。
しかし書き忘れていたのだが、本当に久しぶりにオリジナル音楽が流れるのである。
フィリップ・グラス。
アレンの映画でオリジナル音楽がつけられたのは何以来なんだろう?
『バルセロナ』ではまた元通りだから、深い意味はないのだろうか?
これに関するインタビューとかあるといいのだけど。
夜、『消されたヘッドライン』。
これといって見るべきところはなかった。
ひとつの事件の周りにある設定がてんこもりで、物語をどう語るかというよりも、その設定をどう繋ぐかというところに力が置かれているように見えた。
訳の分からぬ背景が次第に競り上がってきて、そのことに愕然とするような展開とは逆の物語作りだった。
ただ、最後、CCRの「光るある限り」が流れ、新聞が印刷されていく過程が延々と描写されるシーンは良かった。
『マラドーナ』も見た。
最近のクストリッツァの映画は、どれもガシャガシャと煩くて、あまり乗れない。
まあ、爆音やってる人間に言われたくはないだろうけど(笑)。
ただこの映画のマラドーナは良かった。
出演もしているクストリッツァも言っているように、本当にかつてのアメリカ映画の主人公のような感じなのだ。
パブリック・エナミー・ナンバー1、というか、スカーフェイスというか・・・
映画の中での汚い言葉が本当に良く似合う、まれに見る逸材、なんて今更マラドーナに言ったらこれまた大変失礼な話であるのだが。
だから本当に、そこをもう一押しして欲しかった。
あの、アニメーションさえなければ・・・
まあ、そこがクストリッツァらしくて面白い、ということでもある。
映画の中でマラドーナがカストロについて語っていて、ふたりが会った時の映像も流れるのだが、これがまあ、本当に、近年のアメリカ映画ではまったく見ることができなくなったような、本当の「ボス」同士の面会として映されていた。
でも、「ボス」の不在こそ現代映画の特徴でもあるわけだから、そんな風に見てしまうのは単なるノスタルジーなのかもしれないのだが。
12月24日(木)
昨日の姫1号のプレゼント問題は未解決のまま、クリスマス・イヴである。
どうやら明日、妻と一緒に吉祥寺に出向いて物色、ということに落ち着きそうではあるのだが。
どうやら妻からは、「親というものは子どものやることにいちいち文句をつけるものなのだ」という説明があったようだ。
姫1号がそれに納得したかどうかは分からない。
本日は爆音映画祭ミーティング。
いろんなことが決まって行くが、まだ発表はできない。
それから、1月15日に渋谷HMVにて、ヘア・スタがインストア・ライヴを行なう。
これは、ブッダマシーンという小さなサンプラー(というより、ループ音源入り小型スピーカー、といったほうがいいか・・・)と、そのブッダマシーンにスロビンググリッスルが音源を提供した「グリスリズム」というマシーンを使ってのライヴで、まあ言ってしまえば、マシーンの発売記念ライヴ、みたいなものである。
とはいえ、機材が変われば当然のように音楽も変わるヘア・スタ。
一体どんな展開を見せるのか、とりあえずは直前のバタバタを越えるまで誰にも分からない状態でのライヴとなるはずだ。
ライヴ自体は無料だが、その整理券をもらうためにはHMVにてヘア・スタ、中原関係の商品を買うか、ブッダマシーン、グリスリズムを買うか、いずれか。
詳細はここ→(ページの下の方にあります)
で、今そのための特集コーナーがHMV渋谷に出現中。
渋谷での時間つぶしに是非。
12月23日(水)
しかし一体クリスマスって何なんだろうねえ。
と、今更ぶつくさ行っても仕方ないのだけど、「クリスマスプレゼントを買ってくれ」という姫1号の要求により、午後から新宿に行って姫1号の洋服探しにつきあったのだが、もうあれこれありすぎて分け分からず。
とりあえず私は近所のカフェにて食事をしながら待ち、姫1号を野放したのであった。
で、しばらくすると電話があり、ブツを決めたと。
これで一件落着なりと、現地に出向くと、何と15000円のものがふたつ。
いや、これは私の財布の容量を完全に超えているし、大体高校生が一気に3万円も洋服を買ってどうするのかと却下すると、では、自分ためた小遣いで2万円出すから1万円をカンパしろと言い始めるので、いやいやそういうことではなく、高校生の分際でそんな買い物をするのはいかがなものか、一度頭を冷やし、家に帰ってお母さんがバイトから帰ってきたら相談してOKが出たら1万円のカンパということで何とかしようと言ったのだが、お父さんからのクリスマスプレゼントなのにどうしてお母さんの許可が必要なのかと食い下がり始める。
向こうも必至である。
しかしとにかく高校生がこれだけの買い物をするのが簡単に出来るはずがない、面倒な手続きが必要なのだ、金があるからかえると思ったら大間違いである、まずかお母さんをクリアしてから相談に乗ろう、それ以外はあり得ないと、その場をまとめてしまったのであった。
当然姫1号は不満たらたらなのだが、一体こういう場合はどうしたらいいんだろうねえ。
質素に暮らすことを今から教えるべきか、それともどうせ自力で生活し始めたら質素に暮らさざるを得ないのだから、今くらいは望むものを買い与えてやる方がいいのか・・・。
とはいえ、である。
現実に、この時期私にそんな金があるはずないじゃないか。
自分の買いたいものも我慢して地味に暮らして何とかやってきているのに。
理不尽きわまりなし。
かつてなく不機嫌になる。
姫は家に戻し私は渋谷OnAirWestへ。
カーネーションのライヴである。
昨年のリキッドルームから既に1年以上が経った。
矢部さんが抜け、サポートメンバーとともに演奏するライヴは初めてである。
会場は超満員。
相変わらずシナトラ「夜のストレンジャー」が開演の合図である。
途中、おそらく30分近く、直枝さん、ギター弾きまくり。
ニュー・アルバムのパキッとした音作りはこういうことだったのかと納得がいくグルーヴが会場を包み、先ほどのかつてない不機嫌が反転してかつてないご機嫌状態になる。
会場の広さとカーネーションの演奏が、ちょうどいい感じでフィットしていた。
しかし私は本日、バウスの爆音ソクーロフにフランスから客人が来ているため、とりあえずの演奏終了までで、アンコールは聴けないまま会場を後にする。
渋谷から吉祥寺へ。
『ロシアン・エレジー』の終了には何とか間に合い、客人たちとあれこれ。
パリで動き始めている企画案の作成のため、わざわざバウスまで来てくれたのである。
それから、ちょうどバウスには別の知り合いも来ていて、彼女の友人は沖縄からわざわざ見に来たとのこと。
爆音ソクーロフ、沖縄からパリまで、しっかりと根付いてくれることを願うばかり。
しかし、2時間30分を立っていたため、激しく足腰が痛む。
今年に入って、相当体力が弱ったことを実感することが続いているのだが、本当に辛い。
もう、ライヴには行けないかもしれないと、マジで思う。
でも、なんか同じようなことを毎回思っているような気もする。
というか、次回は2階の椅子席に入れてもらって座って見ればいいのか・・・
12月22日(火)
午後、帰国中の大貫さんがやって来る。
ニール・ヤングの事務所から、例のボックスセットをのオーサリングなどをしている会社に移ったとのこと。
関連会社への転職、ということなのだろうか。
ボックスセット第2弾の準備もあれこれ進んでいるらしい。
来年中には発売されるだろうか?
気長に待つしかない。
その後、『ウディ・アレンの夢と犯罪』。
ユアン・マクレガーとコリン・ファレルがロンドンの労働者階級のダメ兄弟になる。
現代は「カサンドラズ・ドリーム」といって、これはふたりが無理矢理買った小型クルーザーの名前だが、その名前は、ギャンブル好きの弟(ファレル)が当てたドッグ・レースの犬の名前という設定。
まあ、そんな設定から大体推し量られるような内容なのだが、当然のように、その結末までのあれやこれやのドタバタは冴えまくっていて、もしかしてウディ・アレン史上最高の冴えを見せているのでは? と思えるほど。
しかも、あの、コリン・ファレルがいいのだ。
アレン映画には何とも不似合いな無骨な身体を持て余し気味に、しかし、なんと、ウディ・アレンの分身とも言える神経症の男の役柄を普通に演じてしまうのである。
アレンの演出も冴え渡っている。
そしてさらにいいのは、兄弟が金のために嫌々やらねばならない「仕事」に向かう車を、正面からとらえたショット。
ああ、引き返すことの出来ない場所に向かうというのはこういうことなのか、と思えるような暗鬱なショットが突如として現れる。
単に運転席と助手席のふたりを、フロントグラス越しに正面からとらえただけのショットなんだけどねえ。
ついにウディ・アレンも黒沢清的な車のショットを撮るようになったのか、なんて書いてしまうとアレン・ファンに怒られてしまいそうだが、とにかくそんな絶望一直線なショットがあるのであった。
そんなニコニコ状態で事務所に戻り、2月の爆音のラインナップを決定。
帰宅後は『G.I.ジョー』。
しかし今年は本当に全然映画を見ていなかった、ということがよくわかる。
まだまだ未見の作品だらけ・・・
で、『G.I.ジョー』の方は、まあ特別どうのこうのという感じではなかったが、ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』やタランティーノの『インクレディブル・バスターズ』が、身近で親密な世界にいきなりワールドワイドなでかい話を無理矢理接合して物語を成り立たせていたのに対し、こちらはその逆。
国家レベルの設定の中で、それぞれの個人的な愛憎のぶつかり合いとなる。
映画におけるこういった、大きさと小ささとのバランスが、今のアメリカ映画を成り立たせている、ということなのだろうか。
『プライベート・ライアン』は、そのことを物語のテーマとして取り上げてはいたのだが・・・
12月21日(月)
年末だということで、郵便局もめちゃ込みである。
こういう世間の動きを敏感に感じ取れるようになれたら、少しはboidも儲かったりするのだろうか。
全然無関係に動いてるからねえ・・・
来年2月の爆音上映企画の1本として予定していた作品が、プリントの都合で上映できなくなる。
愕然とするが致し方なし。
そのため、早めに帰宅して、候補作2本を再見。
共に見るたびに面白くなってくるのはなぜか。
見たのは『3時10分決断の時』、『夏時間の庭』。
前者では、最後、主人公の長男が父を助けるために牛たちを暴走させるシーン、後者ではもうどこということなくそこかしこで、涙腺が緩む。
『夏時間』は、とにかく良い音で見たら、劇場のそこかしこから虫たちや鳥たちの声が、まるで部屋中の骨董品の声のように聞こえてきてそれだけでもうたまらない映画になるはずだが、残念ながら今回の爆音ソクーロフがまだまだ動員が足りないことを見ても、その静かな音の面白さは簡単には伝わらない、ということで、爆音上映は見送り。
あまりに『夏時間』が面白かったので、ビノシュつながりで、ホウ・シャオシェン『レッド・バルーン』も。
こちらも、色や音の作り方がオリヴィエ・アサイヤスとはまったく違うが、やはりめちゃくちゃ面白い。
何しろ、何だか水中にいるような感じの、皮膜を通して聴こえてくるような音作り。
あのパリの風景と音は一生忘れることはできないだろう。
これもそのうち爆音でできたらと思うが、やっぱり静かな映画だから、誰からも相手にされないだろうねえ。
とまあ、変なストレスがたまるばかりの夜明けであった。
さぶい!
12月19日(土)
グッタリの1日。


姫2号とともに引き蘢り、ひたすら原稿整理。
外に出られず。
メンバー・チェンジ後の初ライヴとなったアメリコ@円盤にも行けず。
申し訳ない。
次回は必ず。
12月18日(金)
本日も入力オーヴァーなり。
こういうのって、中毒みたいなものだから仕方ないねえ。
寒さも加わり、頭痛と目眩もやって来る。
昼は映画美学校にて、諏訪君とイポリット・ジラルドの『ユキとニナ』。
ここにも扉の向こうの暗闇が現れてびっくり(昨日の日記参照)。
母の記憶が娘の中へと逆流し、ユキとニナというふたりの子供たちの物語は、その母たちの物語であることが暗示される。
そういえば冒頭は、祖父母たちが孫たちに絵の描き方を教えているシーンだった。
デッサンする鉛筆とが用紙の擦れる音が、何も映っていない黒味のシーンに響くのだが(この音だけの時間がもっともっと長い方が良かったのではないかとふと思った)、このとき既に、祖父母の記憶が孫たちに注入されていたはずだ。
つまりこれは、子供たちの姿を借りた祖父母の物語ともなり、たぶんそのせいだろう、親たちの影が薄い。
そこが何となく気になった。
夜は『ウォッチメン』。
単にアメコミの映画化かと思っていたら、まあ、確かにそうなのだが、ありがちといえばありがちではあるものの50年代アメリカの呪いを引き受けた、しかもアメリカがベトナム戦争に勝ち、ニクソンが5期連続の大統領就任中の80年代という設定。
『イングロリアス・バスターズ』とともに、歴史のねつ造の物語2本立て、というのはどうだろうかと思った。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』の冒頭でジョニー・キャッシュを見事に使ったザック・スナイダーは、ここでもディランやジミヘン、レナード・コーエン、ジャニスなどなどを巧みに使って盛り上げる。
アニメ特有の「神」みたいな人や『神』になりたがる人が出て来るのはちょっと食傷気味だが、なんだかんだ言って結構熱くなるのだった。
うーむ、どうしてこれを劇場で見なかったか・・・
何しろまあふんだんに資金をつぎ込んだ挙げ句、「ファック・アメリカ」みたいな映画を平気で作ってしまうんだから、それだけでもテンションはあがろうというもの。
日本での公開時に評判はどうだったのだろうか?
12月17日(木)
この10年間の自分の原稿をまとめる作業を続けている。
結果的に失敗し続けた痕跡と直面し続ける作業である。
それでも少しはそれなりのことをやって来たように思ってはいたのだが、まあ、簡単ではない。
時間がかかる。
ただやっぱりあまりに時間と根気が必要なので、時にはこうやって過去も振り返っておかないとこちらの足下を見失いそうになる。
しかしまあ、これも鬱々とした作業であるには違いない。
そんな作業と来年の爆音映画祭に向けてあれこれ映画を見まくっているために、完全に入力オーヴァー。
日々の出来事をほいほいと日記に書くのがしんどくなったのであった。
この2日間で見たのは『サーチャーズ』『ブッシュ』『ヘルライド』『スピリッツ』という今年公開されたアメリカ映画と、以前この日記でも「誰か買ってくれないか」と書いた、スコット・ウォーカーのドキュメンタリー『30世紀の男』(1月にアップリンクからDVD発売になる)。
『スピリッツ』は全く期待していなかったのだが、見てよかった。
エヴァ・メンデスが出ているだけでもOK、という個人的趣味は抜きにして、かつてのフィルムのワールを漫画として読み替え、その暗黒部分を増幅させたアメコミを、さらに読み替えることで映画にしたというような意味で、見応えはあった。
ペル・ユビュの新作『Long Live Pere Ubu!』が、ブラザーズ・クエイとの作業を通して行ったような同じ作業が、ここではもうちょっと能天気にやられている。
その能天気さに救いがあるような気がする。
空間の旅から時間の旅へと、ジャケットも含めて一気にシフトチェンジしたペル・ユビュは、一体今後はどうなるのかとハラハラさせられる。
その暗闇に閉ざされた視界のその先の展開はあるのだろうか。
スコット・ウォーカーのドキュメンタリーは、期待以上でも以下でもなかったが、何しろスコット・ウォーカーなので、「以下」でなければそれで十分。
彼のことを全く知らない映画好きの方には『ポーラX』の音楽をやった人だといえば分かってもらえるだろうか。
ドキュメンタリーの中にもその撮影シーンも入っている。
これを見れば、どうしてカラックスがスコット・ウォーカーを音楽に使ったかを考えるヒントになる。
その前にまず、『ポーラX』が見たくなる。
とにかく音楽好きの人も映画好きの人も、一度は見ておきたい作品であった。
昨日は、通夜にも行った。
こういう場所に行くのは本当に辛いのだが、行った後は「やはり行ってよかった」と思うのは何故だろう。
長い時間ではなかったけれど、久々に友人に会えたせいなのか。
しかし、今後、ご無沙汰している友人たちと、こういった機会にしか会えなくなるかも、などと思うと増々鬱々とするのだが、ただ、だからこそやはりこういう機会には行くべきなのだとも思う。
まあでも、普通の人は、何はともあれブツブツ愚痴を言っていないで、さっさと行くよね。
本日は爆音映画祭のミーティングあり、諸々が決まる。
その後、映画美学校に行って筒井武文さんの新作『孤独な惑星』を見る。
前半は疑問符だらけ、どうしてこの音なのかどうしてこの俳優なのかどうして彼と彼女はこういう関係になるのか・・・
それが後半に入って次第に分かっていく。
おおそういうことだったのかと、ほとんどが室内劇で、扉や窓で区切られその先には行けない、閉ざされた空間に押し込められていた意識が一気に広がったのは、最後の方で、彼が自分の部屋に戻っていく時。
半開きになった玄関のドアから見えるその先が、真っ暗なのだ。
だからというわけではないのだが、自分の彼女から追い出され、隣の部屋の女のところにいついてしまうダメな若者と、それを何となく受け入れてしまう悲しい女の物語は、まあ、妄想も含めていうと、幽霊映画としてそこにあったのであった。
映画から聞こえて来る音もまた、幽霊としての音であった。
ゴーストでもありニューゴーストでもあるような音、それらがさまざまな形に変容しよりゴースト度があがるに連れて、物語は確かなものになるような音。
その他、あれこれ書きたいこともあるのだが、これ以上書くと最初に見る時のニュートラルな視線が失われてしまいそうなので自粛。
誰もが私のように、明日になったらすっかり忘れて、2度目3度目でも初めて見るように同じ映画を見てしまう間抜けなら話は別なのだけど。
しかし公開はいつなのだろう?
それから、爆音映画祭ではポスターやチラシに使うメインビジュアルを急遽大募集することになった。
年内締め切りという、ものすごいタイトなスケジュールですが、いかがでしょう、皆様。
プロ、アマ問いません。
というか、賞金もでないのでプロの人は応募しにくいかもしれませんが。
もし何かひらめいたら、是非。
詳細はこちら →
12月14日(月)
誕生の知らせと死の知らせとがやってくる。
ようやくめでたいことが起こり始めたと思っていた矢先だったのだが・・・
まあ、そううまくは行かない。
いずれにしても、牧野君(湯浅湾)おめでとう。
子育ては本当に大変で、これから過酷な日々が待っているとは思うが、いい加減かつ賑やかに乗り切って欲しい。
本当に困ったときにはとにかく大騒ぎして他人に頼れば何とかなる、なんてもう今後の過酷な日々を予告してしまうのもどうかと思うが、まあ、いずれにしても最後は他人頼みである。
そういうことでいいんじゃないかと思う。
夜、見逃していたジョナサン・デミの『レイチェルの結婚』を見る。
デミ版『ウェディング』である。
めでたいのかきついのか全然分からないまま、多発する問題も解決不能で気分の落差は激しくなる一方だが、それでも結婚式は結婚式である。
和解はないが、お祝いは出来る。
祝うことで、互いの絆を見直すことも出来る。
だからといってもはやかつてのように分かり合える訳ではない姉妹の物語。
このどこにも解決も和解もない祝福。
和解しないということがどこかで和解と繋がっているような和解といったらいいか。
解決も和解もない地平を生きていくための祝福の映画であった。
姉の結婚式で指輪交換をするときに、夫となる男がニール・ヤングの「アンノウン・レジェンド」(『ハーヴェスト・ムーン』の1曲目)を歌う。
牧師は、「神とニール・ヤングの名において」と言いつつふたりの結婚を祝福するのだった。
そしてすぐにカットが変わり、庭ではパーティが始まっていて、お馴染みのロビン・ヒッチコックが「アメリカ」を歌っている。
パーティにはさまざまな人種が集まり、まさにアメリカ合衆国を一目で見渡せるという構成。
アメリカの抱える問題と一家の抱える問題とが一気にリンクしていくというわけだ。
特別すごいことをしている訳ではないのだが、いくら何でもこの映画を見逃していたことを反省した。
死去された友人の奥さんの冥福を祈る。
12月13日(日)
友人から女児誕生の知らせ。
最近は死亡通知ばかりで、久しぶりの知り合いからのメールや電話には結構ナーヴァスになっていたのだが、こういう知らせならありがたい。
今後の子育ては大変だろうが、まあそれは何とか適当かつ大胆にやり遂げてもらいたいものだ。
午後から、メガネを作りにいく。
右目がどうにも具合悪く、それを矯正してもらおうと思ったのだが、視力その他の検査をしても、前回作った時と変わらず、右目の度を強くすると左目が辛くなり、両方とも強くするとやはり左右のバランスは変わらない訳だから、やはり右目がしっくり来ない。
したがって、右目の方がよく見えないにも関わらず右目の度を弱めて、左右の度数を同じにしてみたら、何のことはない大分それで改善。
ただ、これまでのように遠近両用ではやはりまだダメで、結局、文字を見るためだけのメガネにすることにした。
架け替えが面倒だが、致し方なし。
その後、『パブリック・エナミーズ』を見に、新宿ミラノザに向かう。
久々にあのでかいスクリーン、という子で映画館に入る前から視界がどーんと広がっていたのだが、なんと、ミラノ座はミラノ座でも一番小さい「3」の方だった。
さすがに愕然とする。
昨日始まったばかりなのに、どうしてこの映画が「1」ではない訳?
バルト9でもピカデリーでも上映してるから、「3」くらいでちょうどいい、ということなのか・・・
まあ確かに、ばかでかい劇場で封切って、結果ガラガラじゃあ商売にはならないもんねえ。
当然の判断ではあると思うのだが、では、新宿ではミラノ座だけでやる、というような興行の仕方は出来なかったんだろうか。
でも、それも出来ない事情は多々あるはずだし、それが出来たらこんなにシネコンが乱立しないだろうし。
でもとにかく結果的に、すべてが適度で、収まりよく効率的に配置されていくばかり。
誰もが無意識のうちにそんなシステムに取り込まれていかざるを得ないこの日本の社会のあり方にささやかな抗議の意味も込めて、本日のところは見ないで帰宅。
平日の割引でバルト9で見ることにしようと思う(まあ、結局見るんだけどね)。
帰宅して『天使と悪魔』を見た。
このところ立て続けにDVD見たアメリカ映画の中では一番まともに見ることができた。
この物語じゃあ本当に大変だろうと、ロン・ハワードの苦労も伝わるが、でも全体の印象としては前作と同じ、もう字幕を読むのがやっと、といったところ。
しかしそれでも映画を見た気分になるのは、一体どこにポイントがあるのだろうか・・・
長嶌から連絡が来て、ダウザーに新メンバー加入。
といってもboidがらみのものも時々手伝ってもらっているデザイナーの宮川さん。
演奏する訳ではなく、ビジュアル面を担当するのだと思うが、果たして演奏もするのか?
今後の活動をお楽しみに、といったところ。
とりあえず、ダウザーのMySpaceのページ・デザインを宮川さんがやっているとのこと。
こちら→
それからソクーロフ。
爆音史上かつてない「微音」映画『セカンド・サークル』は、明日までです。
お見逃しなく。
微音を爆音にすると、更なる微音が聞こえてきて、耳の全開度がさらに高まるんです。
12月12日(土)
寒かったり暖かかったりで、まあ、体調は狂いっぱなしです。
地味に生きていけたらと思うばかり。
先日、我が家にやって来た姫1号の友人たちも、グースカ眠る姫2号の寝姿を見て、「いーなー」と皆さんが言っていたとか。
皆さん、今後の、おそらく大変なだけの人生を予感しているのかも。
本日は爆音ソクーロフ初日。
音調整の報告でも何度も書いたように、とにかく微音の爆音なので、果たしてどれだけの方がそれに反応してもらえるのか不安は一杯であった。
皆さん、どう感じられたでしょうか?
たとえば、今年の爆音映画祭でストローブ=ユイレをやった時のアンケートに、「ストローブ=ユイレがこんなに面白かったなんて!」みたいなコメントも書かれていたのだが、そんな感じでソクーロフも見ていただけたらと思うばかり。
ただ、さすがに動員は今ひとつ。
うーむ、『クリスタルボイジャー』だって最初はいくらやってもこれくらいで、3年がかりでやっと満員になったんだし地味に地味に、焦るな焦るなと、言い聞かせる。
しかし問題は、今後、もう「失敗」が許されそうにないこと。
1回1回が試験みたいなもので、何度かの失敗のあとに大成功という『クリスタルボイジャー』パターンは出来ないので、どうしても今回は皆さんのお力が必要。
騙されたと思って、是非。
本当に面白いんですよー!
帰宅後は、来年の爆音映画祭の準備もかね、今年のリクエストでもそこそこの投票を集めた『ダークナイト』を見る。
ずっと見逃していたのだ。
「ナイト」は「夜」じゃなくて「騎士」の方だったのね。
増々陰鬱な映画になっていたけど、どこかゲームっぽくってアクション・シーンが全然つまらなかった。
ヒース・レジャーも全然良くなかった。
というか、演劇っぽくって全然だめだった。
こういう演技を見たくなくって映画を見ているのになあ。
先日から『ターミネーター4』やら『スタートレック』やらも見ているのだが、『スタートレック』は少しは楽しめたものの、しかしどれも何だかねえ、という感じ。
明日は、『パブリック・エナミーズ』を見に行こうと思う。
姫1号は『ワンピース』を見に行くのだとか。
どうやらものすごい混んでいるらしく、午後からの回を見るのに朝10時にみんなで渋谷で待ち合わせなのだそうだ。
それから本日は、ようやくこれを買った。
ちょっと前に中原から聞かせてもらったものの日本盤。
こんなものまで日本盤が出るなんて、一体CDもDVDも全然売れない、という世の動きは何なんだろうと思わざるを得ない。
たぶん、違う回路が開き始めてきているのだろう。
あるいは最後のあがきなのか・・・
まあ、boidもそう思われているのだろうけどねえ(笑)。
12月10日(木)
来年の爆音映画祭に向けての準備が始まる。
本日は第1回のミーティング。
半年先のことではあるが、もう、半年しかないとも言える。
相変わらず助成金もなくスポンサーもないまま、すべて自力の映画祭なので、これから半年間、「絶対に失敗は出来ない」というプレッシャーの中での作業となる。
夜はようやく、というかついに試写。
イーストウッドの新作である。
なんて、まあ、これじゃあ忙しい時と同じじゃん、という突っ込みも入れられそうだが、とにかく本当に偶然なのだ。
今週4回目にして初めて入れた試写がこれだったのである。
『インビクタス 負けざる者たち』。
ネルソン・マンデラと、ラグビーの南アフリカ・ワールドカップの時の物語である。
『許されざる者』でイーストウッドと共演したモーガン・フリーマンがマンデラになり、「赦すのだ」と人々を説得する。
それが、一見もうベタベタな語り口でぬけぬけと語られるのである。
『グラン・トリノ』のあとにこんな映画を作られた日には、もう、唖然とせざるを得ない。
カメラの動きも人々の動きも時間の流れもすべてが微妙にゆっくりで姿勢正しく、つまり弾丸の中を歩くイーストウッドそのもののような正しい遅さが映画を包んでいる。
slowly going on。
ラグビーの試合ではスローモーションも多用される。
しかしダラダラしている訳ではない。
大統領とラグビーチームのキャプテンとの、大統領室での会話のシーンでは周囲の物音はほぼ完全に消され、ただひたすら二人の声だけが響く。
それまで意味もなく聞こえて来た電話のベルの音は、この静寂のためにあったとしか思えないのだが果たしてどうだろうか。
映画の最後は、南アフリカの優勝で興奮する人々が街に繰り出して大騒ぎする道路を、ゆっくりとしか進めない大統領車の中で、すいている道を選ぼうとするセキュリティたちに、大統領が「急ぐ必要はない、ゆっくり行こう」、みたいなことを言う。
こんな映画、今はもう誰も撮れなくなった。
時代遅れなのかもしれない。
そう思って見ると、ラグビーというスポーツもかなり時代遅れなものにも見える。
男たちがうなり声をあげながら全力でぶつかり合う。
そんな時代はもはや終わった。
そんな風にも見える。
そこにノスタルジーはない。
「負けざる者」とは、「私が我が運命の支配者、我が魂の指揮官」ということなのだそうだ。
誰にも支配されることのない単独者ということなのだろうか。
このとき「私」とは一体誰のことを指しているのだろうと思った。
その後、あわててバウスへ。
ソクーロフ『セカンド・サークル』の爆音調整である。
これがまた、おそらく爆音市場始まって以来の「微音映画」!
耳をそばだてて聞く爆音(笑)。
とにかく、よくわからないまま既に死んでしまった父親が、本当に幽かな音で息子に何かを伝えたりしているのである。
そういえばうちの父親も、最期はもう、何かを言っているのは分かるが何を言っているのかまるで聴き取れない、単に空気の震えみたいな声になっていたっけ。
で、聴覚を全開にし、スクリーンに耳をくっつけるようにして見ていると、いきなり室内の会話シーンがやたらとうるさくなり、声にエコーもかかっていたりして呆れつつ、爆笑。
その他のシーンでは、主人公がちょっと口を動かしたときの、舌と歯茎が擦れる音のような本当に小さなノイズが、何かとても重大なことが起こっているかのように聞こえてきたりもする。
いやあとにかく、いろんな小さな音が聞こえて来るのである。
これが爆音なの? と思われるかもしれないが、これこそが爆音なのである。
呆れつつ、見ていただきたい。
今週の土曜日からである。
12月9日(水)
なんかあまりに続けて試写に行けない話を書くのもどうかと思うのでこれで最後にしたいのだが、本日は私のメモミスにより、1時からの試写だったのに3時30分のつもりでスケジュールを組み、試写状を見て唖然。
まあ、出かける前に気がついたのが、幸い。
とりあえず仕事に精を出した。
試写を見るのも仕事、なんだけどねえ・・・
それはそれ、夕方からは渋谷タワーレコード地下にて、カサヴェテス誕生日イヴェント。
その準備で、昨夜は帰宅後、『チャイニーズブッキーを殺した男』とDVDボックスについている特典ディスク収録のドキュメンタリーを見た。
『チャイニーズブッキー』は、この後に及んで衝撃を受けた。
ドキュメンタリーの最初に、「映画を作るときには何も恐れるな」という意味のカサヴェテスの言葉がまず字幕で示されるのだが、まさにそれが形になったような映画だった。
形式的には、70年代カサヴェテスと80年代カサヴェテスを繋ぐ作品という風にいえると思うのだが、その強引な繋ぎ方やそのために映画のバランスが崩れることもものともしないどっしりした落ち着きぶり、それを支える鍛えられた技術力・・・
とにかくアクション・シーンが見事すぎて。
しかもこの映画、いつものような細かい編集をしていないんだよねえ。
ひとつのシークエンスを1カットで丹念に見せることを基本としている。
楽屋の一番奥で話をしている人物をしばらくアップで捉えたあと、カメラがユルユルと引くとついに楽屋全体に視界が広がる1カットには、本当に驚いた。
本当にねえ、今更そんなことに驚いてどうする、ということでもあるんだけど。
でも、おそらく誰にとっても見るたびにいろんなすごい発見があるはずなので、このリマスター版、是非買って見てみてください。
ボックスの約2万円は、今後の人生を考えたら、安すぎる投資だと思うのだけど、いかがだろうか?
イヴェントの始まる前、中原から昨日の音の作り方についての話を聞いた。
あの低音はそうやって出ていたのかと納得。
やはり、アイディアとそれを実現する力が何ごとにも必要なのだと、当たり前のことではあるが、でもやはりそれこそがベースなのだと思った。
帰宅途中、家の近所の道路のマンホールから水が溢れていて、水道工事の車両が止まっていた。
嫌な予感もしたが、まさかと思って家の水道を出そうとしたのだが、水が出ない。
うーむ。
今夜は風呂にも入れず。
トイレの水は、バスタブのお湯を注ぎ足すことで何とかなった。
しかし、さまざまな災害で水道が止まったら、これは本当に大変だと、あらためて被災者の方々の苦労を思い知った。
それから、「水」がらみで、『冷たい水』。
残り2日となりました。
これこそ、今見ないと本当に見られなくなるかもしれません。
DVDの日本盤が出る可能性はほぼないのでは?
『夏時間の庭』の大ヒット記念でどこかがDVD権利を買ってくれないかと思ってはみるものの・・・
いずれにしてもまずは劇場にて。
本日も、昨夜見て来たという友人から「こんな映画を見逃していたなんて」というメールが。
今このときしかない、という切羽詰まった感じを、ちゃんと伝えることが出来たらいいのだが・・・
12月8日(火)
昨日の失敗を反省し、本日は早めに出発して試写会場に向かったものの、なんと、満員で入れず。
昨日とは違う映画だったのだが、私が試写を見るのを拒否されているような気がしてならない。
またしても虚しさが広がるが、めげそうになるところをいったん事務所に戻って仕事。
でも本当に、試写に行って入れないことこそばからしいものはないんですよ。
公開中の映画なら1回遅らせるとか、別の劇場にするとか出来るけど、試写の場合はその日はその1回きりだし。
やっぱり30分前に行けるようじゃなければとは思うんだけどねえ・・・
というか、原稿料が安すぎるのが一番の問題ではあるのだが。
夕方からは、渋谷AXへ。
ヘア・スタ、相対性理論、バッファロー・ドーターなどが出演するライヴである。
ヘア・スタの今回の目玉は、以前この日記でもお知らせしたように、マーシャルのアンプ。
ステージを見ると、2段重ねのセットが左右に3台ずつ、壁のように立っている(笑)。
すごい。
その見栄えもすごかったが音の方も、バカみたいにスケールのでかい、ゴージャスでグレイトな音だった。
低音は、『宇宙戦争』の殺戮マシンの雄叫びのようでもあった。
そのまま会場が爆発するかもしれないと、本気で思った。
まさに手に汗握るライヴ。
来年はフジロックにも出演させてくれないだろうか。
屋外で、この地響きとともに見たい。
しかし次はいつ、これだけのアンプを並べての演奏が出来るだろうか。
このスケールを演出出来るだけの財力が、boidに求められるのだが・・・
そうそう、本日はギターまで演奏(?)した。
先週末に、「アコギを使いたいのだが、誰か安く売ってくれないだろうか」と連絡が来て、一体本当にギターを弾くのだろうかと思っていたら、何と、こんな形での演奏だったとは。
まあ確かに、これだけのマーシャルのアンプを背にしたらそりゃあギター抱えなきゃねえ。
しかしそれが案外絵になるので、一緒に見ていた安井君もニコニコであった。
風邪気味なのと、先週からあれこれお疲れなので、本日はそれで帰宅。
しかし帰宅後、さめやらぬ耳鳴りの中、思わず『エレクトリック・ウォリアー』を聞いてしまったよ(笑)。
ただこれはマーシャルじゃないよね?
12月7日(月)
週末は山梨で父親の納骨をしてきた。
今回のように「無宗教」のまま、「その後」を行なっていく場合、何にも決まりもないし、いわゆる儀式もないので、どうにも収まりが悪い。
こちらの身体にも、親族たちの身体にも長い間育って来た習慣もあるから、それを一気に取っ払ってくれといっても、形式的には出来るが、何となく気持ちの落ち着けどころがないのである。
何なんだろうねえ、この変な感じは。
これからもずっとこれを引きずっていくのだろうか。
しかし山梨の朝晩は寒い。
母親はその寒さに慣れているから平気なので、家の中も寒くて、すっかり冷えて体調を崩す。
したがって本日は昨夜の頭痛薬のおかげで、ボーっとしっぱなしであった。
夕方、安井君と宮田君が事務所にやって来てあれこれ。
その後、試写に行く予定だったのだが、時間を勘違いしていて渋谷まで行ったものの間に合わず。
虚しい。
仕方ないので、渋谷で映画を見ようと思ったのだが、何も見たいものがなかった。
見たくなくても適当に見ても良かったのだがさらに虚しくなりそうで止めた。
家に帰って地味に原稿でも書いた方がましと思い帰宅すると、家の方でも虚しさが充満していた。
内容は秘密。
うーむ、こんな日もある。
12月4日(金)
山梨である。
出来上がった墓を確認し、実家に。
夜は冷える。
さぶい。
それはそれ、このところ各所から新型インフルエンザ感染報告が来ている。
我が家のブームは9月だったからなんだか遠い世界の出来事のようだ。
しかし、その各所の感染者を勝手に線で結んでいくと、一体彼と彼女はどこで何をしていたのかと、ありえない妄想がむくむくとわきあがる。
インフルエンザにかかった上にこちらの勝手な妄想のネタにされるとは、本当にいい迷惑だろうが、まあ、こういった妄想は面白いからねえ。
勝手に捏造して言いふらしてやろうかとさえ思う。
まあ、さすがに大人だからそれはしない。
でもなんだか面白くて思わずにやりとしてしまう。
夜は、かつて書いた原稿の直しをあれこれ。
書いたときは気づかないが、あとから読み返すと、これは誰にもわからないなあという説明抜きの勝手な飛躍が各所にあり、戸惑う。
もうちょっと丁寧な仕事をしていたらと、いまさら反省する。
12月3日(水)
この日記の読者の方にこんなことを言ってもなかなか信じてもらえないかもしれないが、私の場合に根が怠惰なので、放っておくと何もしない。
したがって、ちょっと時間の余裕ができると日記もさぼりがちになるのである。
今後しばらく、日記の更新が途絶えても、いよいよ身体を壊したかと心配なされぬよう。
単に休んでいるのであった。
とはいえ本日は木曜日恒例の深夜の爆音音響調整。
ソクーロフ『ストーン』である。
しかし、まさか爆音調整をやっているとは思えぬ静けさ!
そこから、あり得ない音が聞こえて来て、あり得ない映像が見えてくる。
冒頭の、チェーホフの亡霊が現れるシーンなんて、あまりにすごすぎて、ソクーロフは絶対に『ターミネーター』を見ているに違いないと確信したよ。
あの映画を見て腹を立てたソクーロフが、ターミネーターならぬチェーホフが過去からやって来るという物語を思いつき、その冒頭に同じようなシーンを入れたなんてバカみたいな妄想がぴったりの、野心溢れる爽快な映画であった。
とりあえず現在映画を作っている日本の若手監督たちは、一斉に映画を作るのを辞めて、この『ストーン』をまず見るべきであると確信する。
プロデューサー諸氏も然り。
いったんみんなで頭を冷やしませんか?
90年代前半にこんな映画を撮っていた人がいるということをみんなで確認し合って、そこから何かを始めることは出来ないのだろうか。
まあ、そんなことが出来たら苦労はしないのだろうけど。
自分の力の足りなさに、酷く苛つく一夜である。
明日は父親の亡霊に出会いに山梨に戻る。
12月1日(月)
長嶌から連絡が来て、myspace に音源をアップしたとのこと。
先日(11月23日)の横浜映像祭@芸大でのライヴの模様。
是非聴いてみていただきたい。
http://www.myspace.com/1004614092
映画の中で聴くことの出来る長嶌の音楽とはまた違う音が聞こえて来るはずだ。
長嶌はしばらく、こういった形でライヴをやり続けていくのがいいんじゃないかとさえ思う。
まあ、それじゃあ生活出来ないからねえ。
本日はいよいよ日本最終上映となる『レッツ・ロック・アゲイン!』の告知準備に入る。
既にチラシの配布は始まっているので、お気づきの方も多いかもしれない。
いやはや、もう5年も経ってしまうんですよ。
あまりに早すぎて、上映期限が切れたのさえ気づかなかった。
慌てて監督に連絡を取り、許可を得ての1週間限定上映。
DVDも発売期間が過ぎてしまっているので、DVD買い逃した人は、見られるのは本当にこれが最後です。
思えばこの映画から、いろんなことが動き出し、多くのことを教わったような気がする。
再度ここで上映して、自分の足下を見つめ直したい。
我々boid、バウスにとっても、爆音を応援していただいている方々にとっても、非常にいい機会ではないかと思う。
1月23日からです。