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boid日記 2010年1月

boid日記
text by 樋口泰人

1月31日(日)

あまりにぱっとしない日が続くので、本日は部屋の片付けをしてみた。
しかしまあ、ちょっと気を抜くと、いろんな資料の山である。
この「山」状態に耐えられなくなって年に何度か使わないものを処分してしまうのだが、資料をちゃんと手もとにおいておこうと思っている方は、一体どのようにして整理しているのだろう。
まあでも、整理の仕方を伝授されたとしても、やはり増えてくると耐えられなくなって処分してしまうんだろうけどねえ・・・

何はともあれ、本日の整理で、机の周りにはほぼ何もなくなった。
ただ、だからといって美しく整理されたデスク周り、という感じじゃないんだよねえ・・・
あーあ。

昨日見たDVDのひと言コメントは、ツイッターにて。
しかしもう、1月も終わりである。

1月30日(土)

昨日のツイッターの件は、あっさりと解決がつく。
iPhone用のアプリケーションがいくつか出ているんだねえ。
連絡くれた方々、どうもありがとう。

しかしこんなに簡単に解決がつくのもまた、腹立たしい。
結局アップルは他人任せ、ということだから。
業務が細部に別れて苦情を言ってもそれはこちらの部署へとたらい回しさせられる現代社会のシステム構成がそのまま現れている。
いやはや。

本日は原稿を書きDVDを見て原稿を書きDVDを見る。
一日中籠っていると血流が滞り、エコノミークラス症候群に近い状態になる。
うーむ、ヨーロッパまでの長旅はもう無理かも。
まあ、行く予定もないんだけどね。

それから、ツイッターにも書いたけど、爆音映画祭のリクエスト・コメントの中で1本引っかかるものあり。
すぐに各所に連絡を始める。
うまく上映出来るといいんだけど。
私も見たことない作品だから、大いに楽しみ。

1月29日(金)

いよいよツイッターを始めた。

https://twitter.com/bakuonbb

これはもう、何はともあれツイッターだなという感触は得た。
もう、一気に加速してブリブリ呟きまくる気満々だったのだが、なんと、わたしのiPhoneからは何をどうやっても「文字数オーヴァー」になってしまうのであった。
例えようのない悔しさ。
全世界を敵に回しても人類皆殺しにしたいくらい腹を立てる。
だからITは嫌なんだ。
出来る人と出来ない人を、簡単に分けてしまう。
iPhoneをその場で捨てたくなったが、まあ、私も大人である。

しかし何がいけないのかねえ。
ツイッターってパソコンでやるものじゃないでしょ?
あの手軽さと早さは絶対にモバイルなものなはずで、140字という制限があるからいいのに、1文字入れただけでも「too long」という表示なんですよ。
うーむ、うーむ、うーむ。
電車の中でずっとあれやこれややってみたがダメ。
思い出しただけでも腹が立つ。
たぶんほんのちょっとした何かを私がやり損ねているか、見逃しているかだけなんだろうけどねえ。

とはいえ誰か、この修正方法を教えてくれないだろうか。
ほんと、誰でもいいので、boidまで「こうやればいい」と連絡をお願いします!
いや、どうしてこんな単純なことが出来ないのか情けないことこの上なし。
これが出来ないとしばらくboidの作業すべてがストップしそうなくらいイライラしているんです。
今は、ツイッターなど始めたやつを呪い殺してやりたいくらいには十分怒り心頭なのだけど、「短気を起こすな」と某所から止められているので素直に指示に従います。
しかしなんかこんなことをブツブツ書いていると、普通にiPhoneで出来ている人から見ると、単なるバカにしか見えないだろうねえ。

で、まあ、ツイッターの方を見ていただければ分かるのだけど、ついに『ハート・ロッカー』を見たわけである。
30分前でも補助椅子ですよ。
どうなっちゃったんだろう。
『リダクテッド』の評判の良さと似た何かが世界的に流通しているのだろうか?
とにかくあの映画とよく似た画面作りで、現場にいるような緊迫感が延々と続く。
ただ、さすがにキャスリン・ビグロー、本当にその緊迫感が絶えることがないのである。
つまり一本調子。
そこが好きなんだけど。
抑揚のない緊迫感で押しまくる。
さすがに音にはメリハリつけて、というかつけ過ぎでそれが逆に一本調子な印象を与えるという、その構造は『ハートブルー』『ストレンジデイズ』『K-19』と同じ。
心臓の弱い人はご用心。
ああ、『K-19』と同じようなふと違う空気が流れるスポーツ・シーンがちょっとだけある。
ああいう空気の変化は相変わらずいい。

その後、バウスへ。
『レッツ・ロック』最終日である。
超満員ではなかったがほとんど客席も埋まり、いい感じ。
最後には拍手も起こる。
うーん、あと1週やりたかった。
でもきっと、あと1週やっても「あと1週やりたかった」と思うだろうから、もうこれは諦めるしかない。
再び権利を買うことの出来る日まで、しばしお別れである。
この作品にも本当にお世話になった。
何度見ても、さまざまなことを教えられた。
気がついたら、ジョー・ストラマーが亡くなった年齢をすっかり通り過ぎてしまったよ。

いずれにしても今後、新鮮なニュースは爆音ツイッターにて。

1月27日(水)

本日はバウスに、ジョー・ストラマーの等身大ポップが届けられる。

joe.jpg

映画の中にも出て来たTシャツを作ったスズキ君製作なり。
いやあ、ありがたい。
爆音レッツ・ロックは相変わらず地味ーにジワジワジワジワ盛り上がってます。
たまにはこういう映画を見て背筋を伸ばすのもいいのでは?

願わくば、あと1週間上映出来たら!
無理な願いなのだが。
ツイッターでも胸を打つつぶやきが各所で書き込まれ中との報告も来る。
残すはあと2日になってしまいましたが、未見の人も見てしまった人も、是非。

1月26日(火)

午前中の「かいじ」に乗って山梨へ。
午後から、山梨県庁にて何やら表彰されるのである。
といっても私ではなく、当然父親。
故人の業績をたたえてとか何とか、そのようなものである。

昨年、「表彰を受けるかどうか」という打診が来たときには特に何も考えず、「貰えるものは貰っておけば」みたいなことを言って、気軽に受けてしまったのだが、あとから考えてみると別に貰ったからといって何がどうなるわけでもなく、こうやって仕事を休んで山梨まで出向かねばならないし、怪しい記念品業者からは「受賞記念の品を親戚・知人たちに配りましょう」みたいな感じでサンプルやらカタログやらが送られてくるしで、どうにも厄介なことになってしまったのであった。

まあ、記念品など相手にもせず、とりあえず表彰式だけは、みたいな感じで無事終了。
その後は実家に戻って、風呂場の改修の手続きその他。
そして身延線に乗り、スーパーあずさに乗り、帰宅。
ほとんどの時間を乗り物に乗っていたような1日であった。

そうそう、昼食のために甲府駅周辺で何か食べようと思ったのだが、時には観光客みたいになるのもいいかと思い、山梨名物「ほうとう」屋に入った。
地元にいる時は「ほうとう」など家で食すものでわざわざどこかに出かけて食べるなんて考えもしなかったわけで、だから何だか不思議な気分だったのだが、しかし、普通のほうとうに「きんぴら」が入っているのはいただけない。
せっかくの味噌味が台無しになってしまう。
というわけで「きんぴら」の入っていない「鴨ほうとう」を注文。
普通にうまいのでホッとするが、しかし1500円という値段はねえ・・・
観光客相手の値段ということなのかねえ・・・

しかし店内は観光客というより、地元の人も多く、斜め前の既に出来上がりつつある男性はどうやらその筋の人らしくしきりに各所に電話をかけあれこれベラベラと危ない話をしている。
聞いていると、同じその筋でも組関係ではなく役所関係。
つまり、刑事ということになるのだろうか。
いずれにしても『国道20号線』な空気がムンムンの駅前ほうとう屋であった。

そんな旅のお供にはこれ。

syl.jpg
syl johnson →

今ここで何が起こっても不思議ではない、そんな空気に満ちたアルバムである。

1月25日(月)

ようやく試写室に入場出来る。
とはいえギリギリで補助席なり。
オリヴェイラの『コロンブス 永遠の海』。
この試写室の人口密度の高さは、やはり、国内上映される作品の数が激減しているからに違いないと思わざるを得ない。

それに加えて本日の試写の年齢層の高さ!
たぶん私が、若い方から数えて5番目くらいではなかったか。
いくら何でもこの年齢の偏りはおかしい。
オリヴェイラが今年101歳というようなことで、シニア向けの媒体に大量告知をしたのだろうか?
あるいは、平日の昼間の動員のことを考えると、これくらいの年齢層をしっかり獲得しておくことが前提になりつつあるのかもしれない。
とにかく40代、50代の成人男子など、最も映画館から遠い年齢層に違いない。

確か土曜日のバウスでも、こちらはアニメだったのだが、普通の映画では考えられないような動員となっていた。
若者はアニメかアイドル、あとは平日のシニア向けと主婦向け、という確実なターゲットに向けて映画は選別され区分けされ、企画が練られていくことになるのだろうか。
まあ、悲観的すぎる見方かもしれないけれど。

しかしオリヴェイラの作品は、そんな小さなターゲット訳などものともしない、壮大な時間のスケールを持つものだった。
そんなことはオリヴェイラ作品にとって前提ではあるのだが、それでも今の日本のような状況の中でこれほど見晴らしのいい作品を見ることが出来るのは、それだけで何と爽快なことか。
しかしこれはデジタル上映されていたのだが、果たして撮影もビデオだったのだろうか?

1月24日(日)

最近、猫であるにも関わらず、姫2号が棚から落ちる。
ちょうどエアコンの温風が当たる棚の上で呆れるくらいリラックスして眠りまくり、その挙げ句ズルッと落下するのである。
一体、猫というものはもうちょっと注意深いというか、疑り深いものではないだろうか。
いや、これまで猫など飼ったことがないのでよくわからないのだが、いずれにしてもあまりに無防備な状態のまま落ちるので、うらやましいやら腹立たしいやら、複雑な心境なのである。

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まあ、最初はこんな感じで熟睡に入り、

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寝返りを打ち、ズルズルと

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こんなふうになって、いよいよ落下、という具合。
いやはや。

本日は、午後から、新築なった友人のところのお宅訪問。
いやあ、新築の木の匂いはいいねえ。
しかも、我が家のような住宅密集地と違い多少周囲に余裕があるものだから、明るくて暖かい。
なんか久々に呑気な休日の午後を過ごしたのだった。
うーむ、猫まであと一歩である。

1月23日(土)

またもや私の勘違い発覚。
もう、珍しくも何ともないが・・・

夕方、新宿で中原と会って話していたら、『アバター』はやはりアイマックス・シアター用に作られた3Dであるとのこと。
通常の劇場で見る3Dは、やはり迫力不足は否めないのであった。
ただ、東京近辺だと、アイマックス・シアターは川崎にしかなく、土・日の予約を取るのは至難の業であるらしい。
『This is it』の時もそうだった。
平日を狙うしかない。
ただまあ、あの少し迫力不足の3Dは、案外あの映画の物語にあっているように思えたんだけどねえ。

中原は本日もさらにCD−Rを製作(これ迄とはまた別物)。
本日の裏窓でのライヴで売るとのこと。
ジャケットが相変わらずいい。
しかし一体、今月だけで何枚のCD-Rを作ったのだろうか?
本人も、訳が分からなくなって来ているのではないだろうか。
とにかくそのうち、せめてジャケットだけでも集めて本を作るか個展をやるか、まるで排泄物のように作り続けるこれらを一堂に集めてみようかという話をする。
相当面白いものになるはずだ。

久々のディスクユニオンでは、なんと、ビル・フェイの新譜というのが売られていた。

fay10.jpg
still some light →

70年の音源と、09年の新録の2枚組である。
いやあ、とにかくまあ、よくここまで生きてくれていた、という感謝でいっぱいになるアルバムである。

で、バウス。
『レッツ・ロック・アゲイン!』である。
超満員で盛り上がり過ぎ、みたいなことにはならなかったが、普段は映画なんか見に来るのだろうかと思われる髪の毛をツンツン立てた若者とか、家族連れとか、さらにはこの日のために静岡の掛川市から来場し、東海道線の夜行で戻るという方とかが集まり、本当にいい感じの暖かい上映となった。
こういうのがいいんだよねえ。
何年か経ったら、また権利を取り直して上映したいと思うものの、果たしてそのころはboidも果たしもどうなっていることやら。

しかしそんな弱気も、映画を見ると、何かまっすぐな芯を身体の中に入れられたような気分になる。
爆音上映を始めた頃、とにかく何とかして多くの人に爆音の面白さを分かってもらおうと必死だった気持ちを思い出す。
まだまだ、しばらくはこういった上映を続けて行かねば。
そのためにも是非、皆様のご来場をお待ちしています!

1月22日(金)

いやはや、本日もまた、試写に入れなかったよ。
キャスリーン・ビグローではなく、ヘルツォーク。
アベル・フェラーラの『バッド・ルーテナント』をリメイクして、しかもエヴァ・メンデス、という組み合わせなので、これは絶対見なくてはと、これまた鼻息荒かったものの、いつもの悪いクセで、しかしこの組み合わせで試写室が混んでいるはずはないと、つい、食事をしてから試写室に向かった挙げ句ギリギリになってしまったのだった。
というかまあ、試写室で30分ほど開始を待っているという時間の流れに耐えられないんだよねえ・・・

しかし絶対にこの試写室の混み方は変だ。
昨年後半から、公開される映画の数が一気に減って、その一方で有料の雑誌は減り続けて入るものの、ネットやテレビ・ラジオ、フリーペーパーの数はそこそこ増えているから、映画とメディアとのバランスがかなり崩れて来ているのだと思う。
かといって試写の数を増やせるほどどの配給会社も裕福ではないはずだから、この混雑を減らすためには、試写状の数を減らすしかないということになるはずだ。
私のような者は、真っ先に整理されてしまうだろうなあと、グッタリしながら京橋の交差点に向かうと、横断歩道の方角から声がかかる。

吉武さんと、アテネフランセの松本さんである。
またもや試写に入れなかったとブーブー文句を言うと、30分前に行って試写室で退屈しているのと、それが嫌でギリギリに行って結局入れなくてさらに時間をロスしているのとどちらが得かよく考えなさいとたしなめられる。
分かってはいるのだが・・・

かといって、最近各所で始まったように、わざわざ予約してから試写に向かうというのもねえ・・・

まあいずれにしても本日はどうにもならないので、そのまま新宿に出てヨドバシカメラで買い物をしつつ、近所のカフェで今後の作戦を練りつつ、事務所に戻り、大友さんや山川冬樹さんなど日本のフリーミュージック、ノイズ・シーンで活動する人々のライヴとその言葉を追ったドキュメンタリー作品を撮った日本在住フランス人及びフランス在住日本人の若者たちとミーティング。
今後、この作品がどうなるかまだ不確定な部分が多いのだが、とにかく今後に向けての第1歩。

で、帰宅するとアメリカから連絡が来ていて、ニール・ヤングのプロデューサー、L.A.ジョンソンさんが亡くなったとの知らせ。
心臓発作だというから、本当に突然のことだろう。
ニール・ヤングの映画やアーカイヴスなどのほとんどがジョンソンさんなしにはあり得ないプロジェクトだろうから、各所で大騒ぎになっているに違いない。
とはいえとにかくまずは、故人の冥福を祈るばかり。

しかしまあ、本当にこういった辛い話が続く。
人は毎日死んでいるわけだから、その意味では誰が死んでも不思議ではないのだが。

それとはまったく関係なく、爆音映画祭の準備は続く。
公募したメインビジュアルも決定した。
ただ、予想外に多くの方たちの暖かい応募があったため、それらの作品を爆音映画祭期間中のバウス・ロビーで展示したらどうかという話になった。
応募された方々の同意が必要なのだが、せっかくの作品をいい形で世に出せたらと思っている。
作品の良し悪しの問題ではなく、爆音上映を巡る不思議なエネルギーの集積場を、それらが作り出してくれるように思えるからだ。
そういったパワーを、それぞれが持っている。

あと、明日からいよいよ爆音上映リクエストのネット投票が始まる。
今年も多くの投票をお待ちしています。
例年のように、最初のネット投票で決定というわけではなく、その中の上映可能な上位作品、事務局推薦の映画などで、最終決選投票を行ないます。
それが3月中旬。
まずは決選投票のためのエントリーを目指して。

それから、チラシにも書いてあるのだが、今年は投票数だけではなく、あまりに素晴らしすぎるコメントをいただいた方の作品を、その1票だけでも上映してしまおうかという企画もある。
素晴らしすぎるコメントを選ぶのは事務局だから、投票なら負けるかも、と思われている皆様は、私やバウススタッフなどの顔を思い浮かべながら、コメント作りに精を出していただけたらと思う。
絶対に1本はコメントを採用して上映、というわけではないが、本当に面白かったら絶対にやります。

あとは、そうです、明日から『レッツ・ロック・アゲイン!』です。
実はもう契約上の上映期限は切れていて、単に私がうっかりしていただけなのだが、これは大変ということで監督に連絡を取り、1週間だけ最後の上映をやらせてもらえることになったのである。
こういう映画は何年かに一度見て、気持ちを入れ直したいよねえ。

1月21日(木)

いやあ、3Dは疲れるねえ。
ようやく見ましたよ『アバター』。
さすがに平日だと予約もスムーズ。
とはいえ、バルト9に行ってみると、最終的に結構客席が埋まっていて、周りはほとんどがカップルで、ひとりで来ているのは私くらいという、何とも言いようのない気恥ずかしさ。
で、隣のカップルの話を聞いていると、どうやら『アバター』という映画よりも、どちらかというと3Dの方に興味がある模様である。
3Dの映画を見る、しかもかつてのような中途半端なものではなく本格的なものである、ということが来場のきっかけになっているようなのだ。
先日も、テレビのニュースで、電機メーカーの方たちが、「これからのテレビは3D」なのだとはっきりと宣言しておられた。
案外あっさりと、映画は3Dで見るもの、というふうにシフトチェンジしてしまうのかもしれない。

で、肝心の映画の方はというと、3Dに関しては、数年前にキャメロンが作った海底に沈むタイタニック号の3Dドキュメンタリーに比べると、全然迫力なし。
まあ、あちらはアイマックス用のものだったから、スクリーンやメガネが違うから、仕方ないんだけどね。
ただその分、映画っぽくはあった。
スクリーンと座席との距離感はかろうじて保っていられる。

ではどうしてこんなに疲れたかというと、物語自体が単純で分かりやすく、まるで黒澤明の映画を見ているような感じになったからだ。
要するに手に汗握ってしまうのであるが、それが3Dであるために余計に増幅させられる。
物語に没入するのには適度な3Dだったのである。
だから、この3Dは、タイタニック号のドキュメンタリーからの後退ではなく、あくまでも物語を見せるための進化、みたいなものではないかと思った。
なんて言うか、例えばディズニーランドみたいに、同じアトラクションであるにも関わらず何度も行きたくなる人が大量発生、というような感じだろうか。

しかしこうなると、『クリスマスキャロル』を見逃したのが非常に悔やまれる。
うーむ、何とか見る方法はないだろうか。

ああ、それからいよいよ週末からは『レッツ・ロック・アゲイン!』最終上映。
在庫わずかの、パンフレットとポスターの販売もあります。
増刷はないので、お早めにどうぞ。

1月20日(水)

本日が試写初日のキャスリーン・ビグロー『ハート・ロッカー』へ。
しかしいきなり都営大江戸線にて、六本木とは逆方向の列車に乗ってしまう。
すぐ気がついたから良かったものの、到着はギリギリ。
で、見事に満員御礼にて入場不能なのであった。
それも、ギリギリどころか30分前に行かないと入れそうにないとのこと。
いやはや。

こんなことを防止するために、各所で予約システムが始まっているのだが、それもまた何だか面倒なんだよねえ。
だって、その日になって行けなくなったり、急に時間ができたりとか、いろいろあるじゃないか。
なんて、ブツブツ言っている間に、自分のスケッジュールくらいしっかり管理しろ、ということなんではあるが。

いずれにしても何だかギスギスした世の中になって来たなあと感じるのは私だけなのだろうか。
爆音映画祭でも前売りで座席指定もできたら、みたいな話が出て来ていて、それはそれで非常に便利だと思うのでやれるならやりたいものだが、しかし、何となくダラダラとやって来てダラダラと見るという長閑な映画鑑賞はどんどん昔の世界のことになってしまう。
とはいえ、座席指定迄できるシステムを構築するにはおそらくとんでもない費用がかかるだろうから、ぜいぜいチケットぴあと提携する、みたいなことくらいしかできないだろうけど。
それくらいした方がいいのかもしれないねえ・・・。

本日は『ハート・ロッカー』しょぼくれで、何となく冴えない一日となってしまった。
ああ。

1月19日(火)

2日遅れて浅川マキ死亡を知る。
こういった情報の個人的な遅れの間抜けさも含めて、悲しい。
面識があるわけではまったくないが、本当にいろんな意味でお世話になりました。
御冥福を祈ります。

午後からは「ハイファッション」最終号の映画コーナー打ち合わせ。
人も雑誌も、気がつくとどんどん変わっていく。

夜、帰宅すると姫2号が反乱を起こしていた。
うーむ、確かに夕食が遅れてしまったのだが・・・
DVDを見るためのスペースに置いてあったソファが、これで使えなくなる。

しかし本日は、あれこれDVDを見なければならなかったのである。
まあ、ソファがなければ見れないわけじゃないしねえ。

何を見たかは秘密。
秘密にするほどのことではないのだが、爆音映画祭をお楽しみに、ということで。

もう1本矢崎仁司さんの新作『スイート・リトル・ライズ』も見た。
相変わらず主人公たちの肌触りが生々しく、そこが素晴らしくもあり、近寄りがたくもあった。
主人公のひとり大森南朋は大学時代にスキューバダイヴィングをやっていたという設定で、実際に海にもぐるシーンも出てくるのだが、その、どこか羊水に包まれたような柔らかい空気感が全体に漂う。
まったくできなくても気持ちはサーファーである私にとって、それはかなり微妙な距離感であった。

主人公たちの住む部屋の窓から見える風景は、東京ではこの部屋からしかこの風景は見えないという取替えの効かない風景として映されていて、おそらく実際に、まさにこの映画のためにあるような風景なのだが、この風景と海の中とが侵食しあっている感じにフィットできるかどうか。
2箇所に出てくるコーヒーサイフォンが、実はふたつの空間ではなく、ふたつの時間を繋いでいるのだというような、この映画の時間の穏やかな侵食にフィットできるかどうか。

1月18日(月)

しかしまあ、朝8時から植木職人の方たちがやって来て庭のいくつかの木の剪定とか始めるものだから、ついさっきようやく寝付いたはずなのにもう起きなくちゃならない、田舎の朝であった。
しかも、マイナス6度の気温がようやく0度くらいになり始めたばかりで、いやあ寒い。
眠い目をこすりながら法務局に行って土地の名義変更手続きの説明を受け、役場に行って必要書類をもらい、郵便局に行ってようやく凍結が解除された父親名義の郵便貯金を母親名義の口座に振り込み、などなどなどなど。

あれこれしているともう3時くらいになり、本日はバスに乗って甲府へ。
そして中央本線にて東京へ。
いったん家に荷物を置き、吉祥寺に出て、フランスから帰日中の吉武美知子さん、斎藤敦子さんたちと、新年会を兼ねての食事。
そしてバウスへ。

そうです、『レッツ・ロック・アゲイン!』の音調整。
4年ぶりくらいか。
しかし、相変わらずの場所でほろりとする。
のだったが、なんと、またもやスピーカーからノイズ発生。
諸々の再調整の結果、本日の時点では無事ノイズを回避できたものの、直接的な原因は不明。
初日はとにかく、全編通して再チェックするしかない。

音の方は、とにかく台詞の部分はギリギリこれくらいなら何とか聞き続けられるだろう、という程度迄音量を上げ音域を調整し、演奏部分にすべての力を注ぐ。
いつも通りのことなのだが、最後から2曲目の「1970」にてクライマックスである。
完全に最高潮に達するというのではなく、その最高潮の瞬間への予感を最大限に膨らませる音といったらいいか。
とにかく、いきなり聞こえて来るギターの響き、キックの振動、スネアの震えに胸ときめかせるような調整となった。
爆音初期のストレートな爆音上映を御堪能ください。
いやあ、胸が熱くなるねえ、やはり。
眠いとか寒いとか言ってられなくなった。
まあ、一瞬の元気なんだけどね(笑)。

1月17日(日)

金・土はどうにも具合悪く、予定をすべてキャンセル。
今にもひどいめまいが始まりそうな勢いで、どうにもならなかったのであった。

ようやく本日は回復。
しかし山梨である。
ひどく寒い。
田舎の家なので、家の中で手が凍える。
再び具合悪くなりそうである。

そんな旅のお供には、このアルバム。

oldam.jpg
スプーナー・オールダム →

スプーナー・オールダムのファーストとセカンドのカップリング。
2 in 1 のCDなのだが、なんと、盤面ひとつに対し、ジャケットがセカンド・アルバムの分も別に付いている。
つまり2種類の紙ジャケットと盤1枚がセットになっている。
どうせ紙ジャケで出すならこれくらいしないと、という配慮なのだろうが、果たしてここまでしてありがたいかどうかは人それぞれであろう。
ただまあ、良くぞここまで、という感じでもある。
とはいえ、オールダムのファーストまで日本盤になってしまうとは、CDが全然売れないと誰もが言うこの時代に、嘘のような話である。

1月14日(木)

いやしかし寒いねえ。
まあ、東京の寒さでブツブツ言ってちゃあ、北国の方々に怒られてしまうだろうけど。

本日はアップリンクでのイヴェントのために、夜、渋谷に出向いたのだが、気のせいか街に出ている人も以前より少なくて、まあこの寒さじゃあ仕方ないか、というようなさびしい気分が増すばかりであった。

イヴェントの方は、さすがに5人よりは多かった(笑)。
例によって湯浅さん持参のレコードあれこれかけながらの話。
スコット・ウォーカーは100年が一単位という話で盛り上がる。
時間と空間のスケールが全然違う。
このドキュメンタリーを見たら、それも納得いくのではないかと思う。

明日はヘア・スタの渋谷HMVインストア・ライヴである。
中原は本日、明日の販売用の更なるCD-R作りをやっていたようだ。
明日のライヴの音源であるブッダマシーンとグリスリズムを使って作った曲を納めたものである。
たぶん、明日のみの販売。
お楽しみに。

家に帰ると、そのヘア・スタのCD−Rがテレビでオンエアされるかも、というお知らせが。
いやあ、なんだかもう、何がどうなっているのやら。
とりあえずしばらくは滅茶苦茶なまま進み続けるしかないのだろう。

1月13日(水)

ハイファッション休刊の知らせにて1日が始まる。
この2年くらいで、私が連載、及び定期執筆していた雑誌がことごとく休刊・廃刊となった。
長い間雑誌に原稿を書いてきたが、こんなことは初めてだから、本当に恐るべき不況なのだろう。
いずれにしても、映画のレビューや批評に対する読者からの需要は激減しているわけだから、これはもう致し方ないことだ。

しかし、この10年くらいの間にさまざまな大学に映画に関係する学部ができたり、映画関係の専門学校も増えたはずなのに、映画に関する文章を読むことへの関心の低さは一体どういうことなのだろう。
というか、雑誌がダメになっただけなのか。
boidの今後はどうなることやら。
何しろ私が関わっていた雑誌がこれだけ次々につぶれているということは、boidだって完全に世間の余計者、ということだからねえ。
まあ、そんなの最初からじゃん、ということでもある(笑)。
だらから、ここはヘラヘラとだらしなくやり過ごすのであった。

こんな日はやはりザ・レジデンツでしょう。
再発なったファースト・アルバムは、何とオリジナルのモノラル盤で、もやもやっとした空気感充満する濃厚な音になっている。

meetthe.jpg
ミート・ザ・レジデンツ →


1月12日(火)

エリック・ロメールの訃報にて1日が始まる。
85歳くらいだと勝手に思い込んでいたらもうすぐ90歳だった。
遺作となった『我が至上の愛 アストレとセラドン』は特に好きな作品だった。
冥福を祈る。

午後からは廣瀬と黒岩が来て、2月発売の私の本のまとめのインタビューを行なった。
自分のことについて話すのは、なかなかうまくいかない。
他人のことを自分のことのように話すのは案外得意かもしれないのだが。

しかし未だに本のタイトルを決めかねている。
こういうのは、あっさり決まらないと相当苦しむことになるのだ。
原稿のタイトルはすぐに決められるのだが、やっぱり余計なことをついあれこれ考えてしまうのがいけないのかねえ。
うーん。

昨日の日記に書き損ねていたことがひとつ。

phew から連絡が来て、いよいよソロ・アルバム作りに入るとのこと。
楽しみである。
boid.netでも順次お知らせしていくが、このアルバムだけは皆さんしっかり手に入れて、心の友にしていただきたい。
それに耐えうる作品になるのは保証済みである。

というわけで、phewのライヴスケジュールは下記の通り。

1/30(日) MOST
下北沢・BasementBar(w/core of bells,ライン京急)

2/21(日)PHEW+H.N.C
下北沢・THREE(http://www.toos.co.jp/3/3_news.html)

必見である。

昨年、80年代の日本のアンダーグラウンド・シーンに関する本がいくつか出たが、30年後の今、当時よりパワーアップして新たな動きを始めているひとりのミュージシャンの音楽を、何よりもまず聴いて欲しいと思う。
そうでないと80年代も浮かばれない。
自分の周りで今何が起こっているのかを確認する意味でも是非。

ああ、そうだ、自分の宣伝もしないと。
14日の木曜日、アップリンクにて、スコット・ウォーカーのドキュメンタリー『30世紀の男』の上映あり。
その後、湯浅さんとオマケのトークをします。
この日記でも何度か取り上げたドキュメンタリーがようやく公開、ということで、こちらも是非。
特に『ポーラX』をみてレオス・カラックスに興味を持った方は、どうしてあの映画がああなったのか、何故カラックスはあの映画でスコット・ウォーカーに音楽を依頼したのかがよくわかる作品になっているので、そういった映画的な興味からでも十分堪能出来ると思います。
でもまあ、本日湯浅さんとも話したのだが、当日は5人くらいしか来ないんじゃないかと、そんな恐れも十分あり。
まあそれじゃああんまりに報われないので。

1月11日(月)

この3連休、何ともグダグダグズグズの日々であった。
このまま果てしなくグズグズしていたいと思ったが、しかしそれでは生きていけない。
明日からは一般社会人として生きていかねばと、新成人みたいな一念発起。
まあ、ちょっとだけだけどね。

しかし、その挙げ句、というか何という偶然か、iPhoneが壊れて、動かなくなってしまった。
電源も落とせず初期かもできず、マック本体に繋げても同期はするが、システムの修復は行なわれず。
一般社会人に簡単になれると思うなよ、ということなのであろうか。
まあ、それほどのことではないのだろうが。

仕方なく、籠ってせっせと原稿を書いていた。

というわけで、iPhoneが直るまで、私への連絡はパソコンのメールか、事務所へ電話を。

1月8日(金)

一昨日、昨日と、風邪ひきのまま連続して事務所にやって来た中原の風邪菌をもらったのか、本日は寒気もあり、気分悪し。
まあ、いつも通り、といえばいつも通りなのだが・・・
もはや、調子悪い時と通常の状態の区別がつかず。
こんなものか。

パラマウント試写室にて『ラヴリー・ボーン』を見た。
特に何の期待もなく見たのだが、前半は度重なる細かいカットバックに目がチカチカしてほとんどついていけない。
要するに飽きてしまったのだが、物語が進むにつれようやく編集も落ち着き始め、こちらもようやく物語に入り始める。
殺された少女の天国からの視線で語られる物語といってしまっていいのかどうかよくわからないのだが、とにかく殺された少女の「回想」ではなくて、現在形の語りによって進行していくので、そのことを分からせるための手続きがあれこれ必要で、まあ、どうしても前半はいろんな要素を詰め込まざるを得ないために、このようなせわしない編集になったのかもしれない。
『パブリック・エナミーズ』にも、どこかそのような忙しなさが、前半にあった。
ただまあ、こちらの方は、単純に編集センスの問題なのかもしれないが。

それはそれ、とにかく映画も登場人物たちも、あまりにもあっけなく終わってしまった少女の実人生を何とか取り戻そうと、奮闘に継ぐ奮闘。
でも消え去っていく人生は取り戻すことはできない。
When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.
というエリック・ドルフィーの言葉を何とか映像化しようとした物語、とも言える。
しかしとはいえ、映像化しようとしてもそれは無理だからドルフィーの言葉があるわけで、やってはいけないことというか誰もが手を出さない領域に慎みなく踏み込んだ映画とも言えるのだが、しかしその挙げ句、やはり音は捕まえられないという場所へと戻って来るあたりでだんだんと物語が生まれて来るわけだから、やはり無茶はするものかなあとも思う。

つまり、「音は捕まえられない」という否定的な結論ではなく、ある地点から、「音は消えていくからいいのだ」という肯定的な結論へと、物語自体が変化するのである。
その変化が記録された映画と言ったらいいか。
とはいえ、音の物語ではなく少女の物語であるのだが、どうして音の物語として考えてしまったかというと、この映画のために作られたブライアン・イーノの曲の音の構成がなかなか良かったからだ。
画面のそこかしこからさまざまな音が聞こえてくる。
イマジカの第1試写室で見たら、かなり興奮したのではないかと思われる。

だが、イーノの70年代の曲の使い方や、少女が天国に行ったらディス・モータル・コイルの「ソング・トゥ・ザ・サイレン」が流れるあたりは、何とも直裁的すぎて、これじゃあまるで学生映画じゃないかとも思った。
ただ、「ソング・トゥ・サイレン」が使われたのには理由があって、殺されなければ初デート間近だった少女のあこがれの少年が、どこからどう見てもティム・バックレイそっくりなのだった(映画の方ではアーリア系だったかな、白人ではないのだけど)。
バックレイが作ったこの曲は、確かに天国の少女が歌えばこんな感じになるかという、ディス・モータル・コイル版の解釈なのである。

tim.jpg thismortal.jpg
tim buckley 'Starsailor' →    this mortal coil 'It'll End in Tears' →

それから、この映画の最大の見せ場はやはり、人が落ちるシーン。
『回路』の進化版。
とにかくまあ、現代のCG技術は凄いんだねえ。
本当に落ちてる(ように見える)。
これの3Dヴァージョンとかあったら、本当に怖いと思うけど。

1月6日(水)

皆様、爆音映画祭ポスター・ビジュアル募集への応募、本当にありがとうございました。
賞金もなく、お礼もほとんどできないこんな募集に果たしてどれくらいの応募があるのか、もしかすると1通も来ないんじゃないかと、そのときのために内部でのビジュアル準備も何となく想定していたのだが、杞憂に終わった。
多すぎて対応出来ない、という驚くような数ではなかったが、しかし今後の活動を続けるのには十分過ぎるくらいの力をもらえるものだった。

いやあ、でもほんと、こういうのはたまらないねえ。
どれも楽しかったり、刺激的だったりで、思わずニコニコしてしまう。
初めての募集だからなんだろうか、どれも奇妙な勢いがあって、私のしょぼくれた毎日は一気に活気づけられたのであった。

ただ、これからこれらを1本にしぼっていくのは大変。
さて、どうしたものか。

いずれにしても応募作品全部をうまく見せられるアイディアをいくつか思いついた。
応募者の皆様には追って連絡します。
来年はもうちょっと余裕を持ったスケジュールでやれたらと思っております。
でもこれくらいのバタバタしたスケジュールだから、勢いが出るのかな?

皆様、結果的にどんなポスターが出来上がるかお楽しみに!

1月5日(火)

失われた1年取り戻し作戦は続く。
本日は、昨日から熱と下痢の症状により寝込み中の姫1号の世話をしながら。
こちらも何だか移されそうで、あるいは、既に移されてしまったのか何となく気分が優れず、「作戦」とは言いつつ何ができるわけではなし。

もう1年以上前に篠崎から預かっていた『天国のスープ』をようやく見た。
ここまで全然たどり着けなかったのである。
しかし、父親の件があってからこれを見るというのも、なかなかきついものである。
奇妙な生々しさとともに見てしまった。
ただこの生々しさは、私の昨年の体験のためというより、この作品に予め含まれている生々しさであるように思う。
具体的には、正面からの顔の映し方と背景の音の少なさが影響していると思うのだが。
そしてこの端正な静けさには、「テレビドラマらしからぬ」と、どうしても前振ってしまいたくなるような過剰さが貼り付いている。

私が見たのは、最終的な放映版とは違う、音数の少ないヴァージョンだったはずだが、たぶんこの「テレビドラマらしからぬ」感じは、音数も増えた放映ヴァージョンでも根本的にはあまり変わっていないはずだ。
その辺りはいかにも篠崎らしい作品になっていたのだが、しかし果たしてこれをお茶の間で見るのはどんな気分だろう?
失った家族のためにバラバラになっていた人の心が次第に溶け合っていく物語であるはずなのに、現実のお茶の間の空気をどこか凍り付かせはしないだろうか?
もちろん、凍り付いた場所から、現実は始まるのだが。

ただちょっとだけ気になったのは、台詞が変わるごとに、録音時のノイズが入ったり入らなかったりするところ。
静かな作品だけに、いったん気になり始めると何となく居心地が悪い。
まあ、ヘッドホンで聴かない限り全然問題ない部分でもあるんだけど。

というわけで、1年以上前の宿題をひとつ終えた。
しかし篠崎は新作を撮り終えて、完成間近。
うーむ、こちらは何とかリアルタイムで見たいものである。

2010年1月4日(月)

謹賀新年。
今年もよろしくお願いします。

正月3日間はダラダラと過ごした。
ようやく『パブリック・エナミーズ』を見た。
昼から混んでるんでびっくり。
というか、新宿では150席くらいのスクリーン3カ所に、うまいこと振り分けられているといった方がいいのかもしれないのだが。
こちらの行動を測定されているようで何とも気分が悪い。

映画の方は、おそらく2時間以内に収めよという至上命令があったのか、あるいは、これは2時間以内ですという暗黙の了解があったのかよくわからないが、前半などかなり無理やり端折っていて過剰なスピード感をつけているのは、これは、そういった収まりのいいパッケージ化への抵抗なのかもしれない。
と、思うほど、バランスの悪い端折り方であった。

で、そこから見えて来るのは主人公デリンジャーの物語ではなく、彼を追いかけた捜査官の物語である。
おそらく端折られたに違いないその捜査官の物語を勝手に妄想した。

あとは、DVDあれやこれや。
呆れたのは『ウォンテッド』。
始まって20分が過ぎて、ようやく、「この映画は見た」ということを思い出した・・・
そういえば日記にも、アンジェリーナ・ジョリーのタトゥーについて書いたのだった。

『ザ・クリーナー 消された殺人』というのは、もっと面白くなるはずなのに何とももったいない。
『ドゥームズデイ』は、『ニューヨーク1997』やら『マッドマックス2』やらアダム・ジ・アンツやらフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドやら、80年代の映画や音楽のてんこもりなのだが、やはりぱっとしない。

その日に見た新聞サイトの記事の中で、『劔岳 点の記』の木村大作監督が授賞式だったかの挨拶をマイクを使わずに地声で行なったという記事があり、それによると、「マイクを使うとうまく話そうとかまとめようという意識ばかりが先走って、本当の気持ちを伝えることができない」から、というようなことが木村監督の言葉としてあったという。
その記事の地の文の中で、CGに頼ったアクションより本物の映像を、というようなことが書かれていたのだが、しかしこれはどうだろうか?
見る方としては、何かがそこから伝わってきたりすればいいわけで、CGだろうが本物だろうが、それは映画次第である。
木村監督だって、CGが本当に必要なら使ったのではないかと思う。
掲載されていた木村監督の言葉を読む限り、「本物」ということより、地声を観客席の遠くまで聞こえるようにするためには腹の底から声を出さねばならないということが重要であり、そのときには「うまく話そう」というような意識は消えてしまっていることが問題であったように思う。

いずれにしてもこの新聞記事のような「本物」を目指す記事を読んでしまうと、『ドゥームズデイ』のCGの徹底した残虐さは、それなりに爽快ではあった。
ただまあ、だからといって別にこの映画の面白さが増すわけではない。

しかしこうやってみると、本当に昨年は映画を見ていなかった。
私の仕事にとって、恐るべき事態であった。
今年は1年分のマイナスから、自分の仕事をスタートする、という気分である。