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『ピクシーズ/ラウド・クァイエット・ラウド』
2月3日より、吉祥寺バウスシアター他にて公開

History of THE PIXIES

1966  6月10日キム・ディールがオハイオ州デイトンに双子のケリーと共に生まれる。
     12月6日デヴィッド・ラヴァーリングはマサチューセッツ州ボストン生まれ。

1965  4月4日チャールズ・トンプソンはマサチューセッツ州ボストンに生まれる。
     6月10日ジョーイ・サンティアゴがフィリピン、マニラに生まれる。

1985  チャールズは大学の交換留学生として、プエルトリコに行きスペイン語を学ぶ。

1986  チャールズ・トンプソンはジョーイ・サンティアゴをバンドに誘い、ピクシーズを結成する。
しばらくしてキム・ディールとデヴィッド・ラヴァーリングがバンドに加入。

1987  ゲイリー・スミスのスタジオ、フォート・アパッチ・スタジオでデモ『ザ・パープル・テープ/The Purple Tape』を収録。
     イギリスのレーベル、4ADがピクシーズと契約。
     デモから8曲をEP『カム・オン・ピルグリム/Come On Pligram』としてリリース。

1988  ファースト・フル・アルバム『サーファー・ローザ/Surfer Rosa』をスティーヴ・アルビニのプロデュースによりリリース。
     初シングル「ジャイガンティック/Gigantic」をリリース。

1989  セカンド・アルバム『ドリトル/Doolittle』リリース。
     「セックス&デス/Sex & Death」ヨーロッパ・ツアーをスタートさせる。
     このツアー中にバンドはアメリカのElektraと契約。
     「ファック・オア・ファイト/Fuck or Fight」アメリカ・ツアー開始。
     キム・ディールはブリーダーズを結成。

1990   ブリーダーズは『Pod』をスティーヴ・アルビニのプロデュースでリリース。
      ピクシーズは再びギル・ノートンのプロデュースで『ボサノバ/Bossanova』をリリース。

1991  『トゥロンプ・ル・モンド/Trompe Le Monde』をリリース。

1992  U2の「ズーTV/The Zoo TV」アメリカ・ツアーに前座で参加。
     ピクシーズは休養に入り、ブリーダーズはEP『サファリ/Safari』をリリース。

1993   ブラック・フランシスはBBCのラジオ番組でバンドの解散を発表。
     フランク・ブラックの初ソロ・アルバム『フランク・ブラック/Frank Black』発売。
     ブリーダーズにキムの双子ケリーも参加し『ラスト・スプラッシュ/Last Splash』をリリース。

1994  フランク・ブラックの『ティーンエイジャー・オブ・ジ・イヤー/Teenager of the year』発売。
     ケリー・ディールの薬物治療のためブリーダーズは休止状態に。

1995  キム・ディールはアンプスを結成し、アルバム『ペイサー/Pacer』をリリース。

1996   フランク・ブラックのアルバム『カルト・オブ・レイ/The Cult of Ray』リリース。

1997  フランク・ブラックはフランク・ブラック・アンド・ザ・カソリックスを結成。
     ピクシーズ「ディベイサー/Debaser」シングルが4ADよりリリース。
     ピクシーズ『デス・トゥ・ザ・ピクシーズ/Death To The Pixies』発売。

1998  ピクシーズ『ピクシーズ・アット・ザ・BBC/Pixies At The BBC』発売。
     フランク・ブラック『フランク・ブラック・アンド・ザ・カソリックス/Frank Black and the Catholics』リリース。

1999  フランク・ブラック『ピストレロ/Pistlero』をリリース。

2000  デヴィッド・ラヴァーリングがマジシャンとしての活動を始める。

2001  フランク・ブラック『ドッグ・イン・ザ・サンド/Dog in the Sand』をリリース。
     ピクシーズ『コンプリート「B」サイズ/Complete ‘B’ Sides』発売。

2002  ブリーダーズが『タイトルTK/Title TK』をリリース。スティーヴ・アルビニのプロデュース。
     ピクシーズ『オリジン/Pixies』発売。
     フランク・ブラック『ブラック・レター・デイズ/Black Letter Days』と『デヴィルズ・ワークショップ/Devil’s Workshop』をリリース。

2003  フランク・ブラック・アンド・ザ・カソリックス『ショウ・ミー・ユア・ティアーズ/Show Me Your Tears』をリリース。

2004  ピクシーズ再結成。
     ジョーイ・サンティアゴのバンド、ザ・マルティニスが『スミットゥン/Smitten』リリース。
     ピクシーズ『ウェイヴ・オブ・マルティレイション:ベスト・オブ・ピクシーズ/Wave of Multilation: Best Of Pixies』発売。
     フランク・ブラック『フランク・ブラック・フランシス/Frank Black Francis』リリース。

2005  フランク・ブラック『ハニーカム/Honeycomb』をリリース。

2006  フランク・ブラックのアルバム『ファストマン・レイダーマン/Fastman Raiderman』をリリース。
     フランク・ブラック『クリスマス/Christmass』リリース。


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ピクシーズ(THE PIXIES)
バンド結成は1986 年。ボストンで、大学を中退したチャールズ・トンプソン(後にブラック・フランシス/Vo., G)が同級生でルームメイトでもあったジョーイ・サンティアゴ(G)を誘ったのがきっかけ。ふたりは地元紙に〈ハスカー・ドゥとピーター、ポール&マリーが好きなメンバー求む〉と募集広告を掲載。それに応募してきたのが、キム・ディール(B)とデヴィッド・ラヴァリング(Dr.)だった。
1987 年、デモ・テープがイギリスの4AD レーベルの主宰者アイヴォの目にとまり、ミニ・アルバム『COME ON PILGRIM』をリリース。翌年にはフル・アルバム『サーファー・ローザ』を、ビッグ・ブラックやレイプマンのバンド・リーダーでもあり、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』やモグワイなどのプロデューサーとしても知られるスティーヴ・アルビニのプロデュースで発表した。同年、初のヨーロッパ・ツアーも行う。
1989 年にリリースされたセカンド・アルバム『ドリトル』はイギリスのインディー・チャート、およびアメリカのカレッジ・チャートで1 位を記録、アメリカでもようやく本国盤がリリースされる。翌年には、大ヒットシングル”Dig for Fire”を収録したサード・アルバム『ボサノバ』を発表、その後のツアーも大成功を収めるが、メンバー間の不和が噂され始める。キムがスローイング・ミュージズのタニヤ・ドネリーと結成したブリーダーズの活動を始めたのもこの頃である。
そして91 年、第1 期ピクシーズのラスト・アルバムとなる『トゥロンプ・ル・モンド』をリリース。オジー・オズボーンの影響を受けたとも伝えられるこのアルバムは、ピクシーズの中で最もハードなアルバムとなった。
同年、彼らの音楽に魅了されていたU2 のワールド・ツアーのオープニング・アクトを務め、バンドはさらに大きな飛躍を期待されたが、バンド内の不協和音は増幅して、翌年のラジオ番組での突然の解散発表となった。
解散後、フランシスはブラック・フランクとしてソロ活動、キムはブリーダーズ、The Amps でのバンド活動など、それぞれの道を進んでいたが、2004 年2 月に再結成を正式表明。すぐに国内ツアーを始め、初夏にはヨーロッパ・ツアー、そして夏にはフジロック・フェスティバルにも登場して、多くのファンを湧かせた。
2004 年5 月に行われたコーチェラ・フェスティバルで、ピクシーズと同じステージに立ったレディオヘッドのトム・ヨークは、そのステージで、「ピクシーズとR.E.M.が僕の人生を変えたんだ」と語ったという。


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photo by Jonathan Furmanski

チャールズ・トンプソン (Charles Thompson, Black Francis, Frank Black)
本名、チャールズ・マイケル・カートリッジ・トンプソン4世。1965年4月4日、ボストン生まれ、ロングビーチ育ち。父は酒場を切り盛りし、父の仕事の関係で子供のころは10回以上転校をしていた。幼いころから両親の影響でウディ・ガスリーやボブ・ディランを聞いていた。また12歳の時に両親がペンテコステ教会に入信し、クリスチャン・スクールで過ごしていた時期もあった。花屋でバイトしていたときに、店長のいとこがタイのロック・ミュージシャンだったことから、彼を通じてビートルズに親しんだ。こうした環境により子供のころからギター、ベース、ピアノ、ドラムなどをマスターしていった。
その後一家でボストンに戻り、マサチューセッツ大学人類学部に入学。大学の寮のルームメイトとしてジョーイ・サンティアゴと出会う。2年生のときに大学の交換留学生としてスペイン語勉強のために半年間プエルトリコで過ごすが、バンド結成を決意し、アメリカに帰国。バンド活動を始めると同時にイギー・ポップやビリー・アイドルに憧れ、ステージ名ブラック・フランシスを名乗り始める。ピクシーズ存続中からソロ活動をフランク・ブラックとしてスタート。1997年フランク・ブラック&ザ・カソリックスを結成。長年連れ添った前妻と2003年に離婚、最近ヴァイオレット・クラークと再婚し、彼女との間に二人の子供(ジャックとルーシー)をもうけ、オレゴン州ユージンに暮らしている。


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photo by Jonathan Furmanski

キム・ディール(Kim Deal)
1961年6月10日、オハイオ州デイトン生まれ。双子のケリーとデイトンでフォーク・デュオ、ブリーダーズを結成。ステッペンウォルフと共演するなど地元では有名な存在だった。そもそもふたりが音楽に興味を持ったのはケリーがレッド・ツェッペリンの映画『狂熱のライヴ/The Song Remainds The Same』を見たことがきっかけ。大学卒業後、弟の紹介で知り合ったジョン・マーフィとの結婚後(1988年離婚)、彼の地元ボストンに移住する。1986年新聞のベーシスト募集の広告(ハスカー・ドゥとピーター、ポール&マリーが好きな人)を見てピクシーズに応募。しかし当時キムはギターしか弾くことができなかったという。またピクシーズの最初の2つのアルバムでキムは「ミセス・ジョン・マーフィ」としてクレジットされている。
1989年スローイング・ミュージズのタニヤ・ドネリーらとブリーダーズを再結成。その後ケリーも参加して製作された2枚目のアルバム『ラスト・スプラッシュ/Last Splash』は大ヒットし、発売後1年以内にプラチナ・レコードとなった。しかし1994年ケリーが薬物リハビリプログラムに参加したことにより、ブリーダーズは活動休止。その間キムはジ・アンプスを結成し、1996年にアルバム『ペイサー/Pacer』をリリース。そして2002年にブリーダーズは再びアルバム『タイトルTK/Title TK』をリリースした。現在はブリーダーズの次のアルバムを準備中で2007年にリリース予定だという。


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photo by Jonathan Furmanski

ジョーイ・サンティアゴ(Joey Santiago)
本名ジョセフ・アルバート・サンティアゴ。1965年6月10日、フィリピン、マニラ生まれ。麻酔医の父を持ち、7歳のときにフィリピンの政情不安によりニューヨークに家族で移住。しかし子供時代の大半をボストンで過ごし、マサチューセッツ大学アムハースト校に入学。そこでチャールズと出会う。70年代パンクとデヴィッド・ボウイに傾倒していたジョーイは大学時代にチャールズにそれらを紹介したという。またピクシーズのバンド名はジョーイが辞書を適当に開いたところに「ピクシーズ」という言葉があったことに由来する。バンド解散後、妻のリンダ・マラリとマルティニスを結成し、2004年に初アルバム『スミットゥン/Smitten』をリリース。最近では映画音楽やテレビ番組の音楽の制作も行っている。またフランク・ブラックのソロ作品にもいくつかギタリストとして参加している。


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photo by Jonathan Furmanski

デヴィッド・ラヴァーリング(David Lovering)
1961年12月6日、マサチューセッツ州ボストン生まれ。大学でエレクトロニック・エンジニアリングを学ぶ。電気店働いていたときにキムの夫ジョン・マーフィと同僚だったことから、彼らの結婚式でキムとも知り合う。それがきっかけでピクシーズのメンバーになった。ピクシーズ解散後はジョーイと共にマルティニスのドラマーとして活動していたが、クラッカーのツアードラマーになったことで脱退。スローイング・ミュージズのタニヤ・ドネリーのCDにもドラマーとして参加している。また2000年よりサイエンティフィック・フェノミナニストとしてマジック、パフォーマンス・アートなどを融合したステージ・パフォーマンスを行うようになった。マジックのショウでフランク・ブラックやブリーダーズなどの前座も務めている。