
湯浅湾『港』によせて
このニューアルバムはほんと踏み込んだ感が心根に染み湯浅氏の歌詞が今までと全く異なる角度でグググイッとTバック式にクククイッと食い込んできます。
=大竹伸朗
何かとんでもないことになってますね。
なんか有難い声明のようだと思いました。
=山本精一
湯浅湾に吹き巻いた巨大暴風雨は前線の移動に伴って止み港の岸壁には雑多な漂着物が残された。何気なくやって来た誰かが何かを拾って叩きはじめ、別に、何かを口に当てて吹き鳴らしたり、長細い何かだったらビンビンはじきだす者もおり、港町の者は総出で埠頭に走ってきて足をヒョイヒョイ交互に上げて踊りだした。日が沈んで月が高く昇っても踊っていた。夜中に虹色の津波が港に押し寄せ朝が来ると後に何もなかった。了
=いしいしんじ
「『ノイズ系の作品ではありません』なんて湯浅学に念押されてもねえ……。まあ、ノイズって言っても、色々あるわけだから」と、全然信用してなかった俺――CDの再生ボタン押す瞬間までは、思いっきり身構えてました。(でも、ほんとにこれっぽっちもノイズじゃなかった。)この純粋で、本気の伝わる日本語ロックのアルバムは、『港』と言うより、川原の土手に咲くたんぽぽだ。「東京にもこんな河が流れていたの か!!」という嬉しい驚きが、俺を素直にしてくれる。(そう、川原の土手こそ、河を見送る『港』なのだ。そして、遙か彼方の海は、空の雲に渾々と注ぎ込む、倒立した見えない滝を擁する広大な河だった、一滴の雨粒と同じベクトルを持つ……。だから、《湾》っていうのは、時の流れをしばし淀ませ、繋ぎ止める力さえ有する、宇宙としてのトロ場のことなのかもな。そんな、ささやかではあるが底の知れない淵から産まれた、『港』という川原の土手は、妙にぽかぽかしているぜ。)忌野清志郎は、4曲目「豚は悪くない」に嫉妬すべきだ。5曲目の「傷口は傷口でしかない」を、イズミヤがカヴァーしないんだったら嘘だ。6曲目「あの人は何?」を聴きつつ、初期エレカシの、名前を忘れた(Vo)の人を思い出したりしてると、さっきまであんなに聴きたかったCOP SHOOT COPがどうでもよくなってる。はっぴいえんどのCDの再発中止に愕然としてる人、「サイキック青年団」の不可解な打ち切りにムカついてる人、「BURST HIGH」の休刊でクサッている人、みんなひとまず、このアルバムを買い、川原に寝そべっているつもりで聴こう。湯浅学は、とてもいい声をしている。
(注:このCDの中に入っている良質のロック・ミュージックと未だそれを知らない多くの人々との邂逅のチャンスを阻害してる最大の障壁は、きっと、「湯浅湾」という、《湾》のくせに自ら攻め込んできそうな、軍艦っぽい大仰なバンド名と、「湯浅学」という固有名に対する先入観だけなのです。)
こんな時代に、こういう素敵な音楽を、ありがとう。息子と一緒に、末永く聴かせてもらいます。(なので、湯浅湾がニール・ヤングの来日公演をサポートする際には、前から5列目までのイイ席を俺にください。よろしく。)
=モブ・ノリオ(作家)
ボブ・ディラン初来日の武道館公演を観た美空ひばりは、
「岡林のほうがいいじゃない」と言った。
累々たるロックの屍がルイルイを忘れてしまった今、
「岡林よりも、湯浅湾のほうがいいじゃない」
と、私は言う。
=安田謙一(ロック漫筆)
象徴的言葉とエモーショナルな歌、宇宙的ギター、宇宙的悲泣。
=野田努(リミックス)
え、ユマ・サーマン?
好きだなあ……
=中原昌也(ヘア・スタイリスティックス)
広大な精神のフィールドノーツである。
湯浅湾は真空管の妖精たちとどんな会話を交わし、
その頭上に星をいくつぶらさげようとしているのだろうか。
溢れる夢がこうも皮膚を這う幻想の字余りとなった例は他に見当たらないのだが、
歌と演奏は濃厚すぎる生命のかけがえのないサウンドトラックとなった。
動物を思い、土塊に触れ、喧嘩を売っては大いに泣く。
人間はミミズのようにふにゃふにゃとしているがじつの中味はこうだと いわんばかりに
鉄のような歌心を震わせて、船頭はぐいっとこっちを睨みつけているから
一時も目をそらすことができない。
指板を這う指がイカのように動いて光っている。
演奏がずんずんと煙を吐いて心に迫ってくる。
湯浅湾は荒波を調弦する。
「めざす港?それはお前自身だ。違うか?」そんな意志が心に届いた。
…脳天で火山が噴火した。
こんな不思議な体験はビートルズをはじめて聴いた日以来だ。
=直枝政広(カーネーション)
このアルバム持って、一九六七年にタイムスリップしたい!!
そうだ。迷わずに、この音を信じてつき進めばいいだけなのだ!
=佐野史郎
祝・アンチ東京五輪アルバム完成! あいつらがね、浄化したいのはこういう世界だよね、きっと。
=水越真紀(ライター)
だれもまねできない希代の音楽解析家であり、漫画評論家であり書評子であり、自分の締め切りは決して守らず人の締め切りにはすげえシビアな、最近は小説まで書きくさった無銭飲食・無銭宿泊家の湯浅氏は、あまつさえ歌まで歌うのだ。もうサードアルバムになりやがった。でもって、あろうことかこれがいいのである。美メロ。「煙粉」なんか耳から離れやがらねえし、「お前の名前を忘れたい」のはこっちの方だし、あちこちで書いているからもう書きたくなかったが「ミミズ」はエバーグリーンに残る資格のある超絶名曲なのだ、やっぱり。歌い手はともかくも。妬みも不安もないミミズの性(さが)が、何であんたには分かるんだと、おれは妬み心で書きつづる。
=近藤康太郎(おこりんぼ)
現在日本最強の音楽批評家はメイヨさんの親戚だった、とは!
しかもラモーンズも真っ青の、爽快なワンパターンが繰り広げられる、とは!
湾は抉っているのか、それとも包まれているのか、そんなことを想いながら、Jポップとは徹底的に無縁な、正義を貫く素晴らしい日本のロックバンドにまたひとつ出会うことができて心から幸せを感じました。
=青山真治(映画作家)
ゎ、こいつはケモノ道だなぁと覚悟していたら、いつも同じような足形で踏みならされている。有り難や有り難やと思いつつふと目を上げれば、遙か遠くでニヤニヤ鼻歌交じりで血の轍を踏みしめている男の影がふたつ、それが湯浅湾の湯浅さんであり本レーベルboidの樋口さんだったりする。こんなド阿呆なおっさんたちがいてくれるから、世の中は思ったよりずっとずっと気楽で、途方もなく楽しい。
=小田晶房(map構成員/なぎ食堂店主)
湯浅湾のみんなは自信があるだろう
世の中の集金システムみたくなっちまったマッチョな音にムカついてるだろう
だけど音楽の美しさと、人間VS悪魔だったら人間を、その性と業を手助けするしかないと考えてるだろう
アルバム聴いてすんげーうれしくなった
うっそくせえロックなんかボッコボコにしてくださいよ。
=山口隆(サンボマスター 唄とギター)
人生2度目の成人式を迎えたような気がしました(ウソ)。
=三田格(ライター)
「猿に似たおばさん」せつないですね~。名曲だと思いました。
=坂本慎太郎(ゆらゆら帝国)
湯浅学は歌うべきことを持っている人である。それは勉強せず漫画ばかり描いている中学生や平日の昼間にそこらをぶらつくおっさんにしても同じことで、誰しも歌うべきことのひとつやふたつはあるものだが、しかし実行する人は滅多にいない。五十面さげて色がどうしたこうしたと歌える人は偉大だ。平生の湯浅を知る者なら驚くほどに若々しく艶やかな声で豚の優位を訴えるその囀りに耳を傾けるうち、プアホワイトが延々と「ルイ・ルイ」を演りながら乱痴気騒ぎに興じる夜のデトロイトに意識が飛んだ。こんなの初めて!
=高岡洋詞(編集者)
俺は湯浅湾のファンなので、ギターの牧野君からコメントを頼まれた時に二つ返事で「光栄っす。」と答えてしまったがしかし、湯浅さんがリーダー且つフロントマンを務めるバンドのコメント文を俺が書くってどうなの?って冷静になってみりゃ、こりゃあ恐れ多いわな。いやしかし、何は共あれ日本語によるROCK 云々、とかROCK における唄、歌詞云々とか、色々言われて久しい今日、「日本語のROCK」で「唄もの」のこのアルバムは素晴らしい出来である。ライヴでおなじみの、あの名曲の数々がフツーにオンパレードしています。
もうとっくになくなってしまったはずの裏の空き地の土管の上で、ココロのボスとニャロメとケムンパスとベシが演奏しているかの如き(どのメンバーがどれにあたるかはコメントを差し控えます)のどか且つ超現実的な風景描写と 「粉と煙」まみれのブルーズ&精神拡張。ハっとさせられるその日本語の響きとバンド・アンサンブルで「ココロのケジラミ」を取りながら、このバンドにあだ名を付けてみるザンス。 「ひなたのラリーズ」。
=伊東篤宏( a.k.a.Optrum )
湯浅湾は随から涙が出る
=五所純子
オレにとっての世界三大歌手は山本精一、PHEW
そして他でもない湯浅湾のリーダー湯浅学なのだ。
3人とも永遠に手のとどかない憧れなのに、なんか
簡単に手がとどきそうなところがいい。他の2人は
とどきそうな手をばっさり切り落とすような存在でもあるけど、
湯浅さんの場合は、簡単に握手してくれそうで
さらにいい。でも実際の湯浅さんはそんな甘っちょろい
存在ではない。握手したら最後、湯浅湾とともに
無限アングラ地獄に落ちてしまうからだ。というわけでオレの
場合はもう手遅れ・・・というか末期症状。
なにしろオレも歌をうたいたくなってしまったからだ。
=大友良英(音楽家)
湯浅湾のうたは小さくて哀しい。
でも、その小ささは誰もが持っているもので(たぶん)何に対しても嘆いていないから(たぶん)普遍的で唯一無二(たぶんね)なんです。
ルックスもいいんですよ。イノセントという言葉がぴったりの素敵な人たち。
CDを買ってライブに行きましょう!
=Phew(ベレケット)
スナックもいろいろあるよ どの街でも
言ったらぁ幸子はカトリーヌ、エリザベスは京子、ベスは京ちゃん・・・・・・・ そんな江豆町でも富良逗伊でもないとある町で同じひとつの平面が生物にも無生物にも適用されるある時間、憎しみはただ娯楽でしかないといったときのトランスクリプトーム遠距離隣人感と場末の喫茶のピアノの上のメトロノームの律義な音場
空と海 米と麦 赤と黒 との間の干からびたしわくちゃの生命のエンジンからしたたり落ちるきれいな水のような男か女かという問いはそもそもありえない音楽
寒さのせい? 暑さのせい? 動物の勘違いからはじまったこの長い間氷期にふさわしい2塩基違い音楽
=虹釜太郎(360°records/薬草バーテンダー)
歌だ、歌バンだ。
かつてノイズ・バンドわかたけのツイン・ギタリストとして幾多のステージを共にし、轟音をぶつけ合い溶かし合った間柄。
その相方たる湯浅学の変容に未だ驚きを禁じ得ない。割れたわかたけより現われしかぐや姫をば遠く仰ぎ見るが如し。そういえば高校時代の彼はおすべらかし、五分分けのつややかな黒髪をまっすぐ背中まで垂らす平安朝スタイルだったよなぁ。
おっとっと。
歌、きちんと聴き取れ意味も理解できるにせよ、ノイズ。いわゆる生活者にとっては要らん詞でしかないという点においてノイズ。事なかれ主義の精神衛生上忌避すべき雑菌にちがいない。が、耳障りと感じたなら脈ありだ。とうに忘れてしまっていたアノ件を思い出させられ、見えなかったソノ面に気づかされ、心がブルッと震えたら幸いなるかな。まだ大丈夫、戻れますぜ。
すべてツッコミの歌だが、ことごとくボケている。ボケているように聞こえるところに湯浅学の歌唱力の魔(間)が潜む。引きこみ乗せるたゆたいがある。
やっぱりかぐや姫にあらず。わかたけで作った竹馬でそこらじゅう跳びはね、行きつ戻りつ、ぐるぐるぐるぐる。ころんで足をくじいたり、暴れた竹馬に蹴飛ばされたり。まるで地ならしに、この世に厳然と存在する(かのような)あらゆる凹凸の粉砕に躍起になっている趣。
何気ない日常も「何」「気」「ない」をバラして因数分解。竹筒の中でシェイクシェイクシェイク。スパスパッと切り取って差し出された竹グラスには叙情も叙事も愛も憎も身の内も外も幻も現実もないまぜ。胆汁ベースのそのカクテルをじっくり味わい飲み干すと、空の竹グラスを鉄火場の壷よろしく逆さにしてトンッ、「張った張った」とせかされる間もなく「勝負」と壷が上がるや否や丁でも半でもない賽の目があたり一面無数に広がり、にこにこにこにこ………
リード・ボーカルのみアンプラグドてな素ン晴らしいバンド・アンサンブルの全12曲、聴けばぐんにゃり、ふわふわ、世界は変わります。良薬は耳にも苦し。
=船橋英雄(わかたけ1stギタリスト)