
『Americo』によせて(コメント集)
3 コードの懐かしいロックンロールは「明日の音楽」でもある。
スウィートでキュートでどこか物狂おしいその歌は、気がつくと昨日と明日がどこまでも不透明に混じり合うマーブルカラーの世界へと、私たちを連れて行く。
そこはアメリカではなくアメリコ。
スウィート・ポップとロックンロールが未来の音楽でもあった50 年代、60 年代のもつ永遠の「未来」がそこにはある。
=樋口泰人(boid主宰/映画批評家)
女の子はただ楽しみたいだけ。ただ、たい、だけ。たい、だけ。
西岡由美子と牧野琢磨と大谷昌功もジャストワナハブファン。ジャストワナ。
ドーナツの穴からエンド・オブ・ザ・センチュリーを覗けば。
砂に書いた文字化けラブレター。絵に描いたモチとロックンロール。
Americo は、食べられます。
= 安田謙一(ロック漫筆)
機敏な犬と猫のパンク・ロックである。恋の歌で心を切り裂かれる前に爪で引き裂く態勢なのだが、ハタ目にはただ寝ているようにしか見えない犬と猫。ライオンも熊も元々は猫の仲間だということをキュートに教えるロックンロールを西岡由美子、大谷昌功、牧野琢磨の3人は軽々とやっている。この軽々はしかし、たどれば根深く、枝葉広いポップ史をひょっこり伝えている。フィル・スペクターがなぜ人を殺したのか、その理由がAmericoを聴いていると、ある日ふとわかる。ジョーイ・ラモーンの霊ならばいつでもここにいる。西岡が「だめだよ」と歌うとき、俺は高校二年生のときの恋を思い出す。Americoはおまえらなんかにわかられてたまるか的パイ投げテロである。しかしAmericoはマーク・ボランの隣にいる。グラマラスな金魚にちょっかいを出す猫のグラム・ロックでもあるからである。
レスト・オブ・ライフのころの西岡は空気の薄い空間を漂いながら発光していた。音の渦の中で揺れるウスバカゲロウのように切実な言葉と音に身を切られながら、大地と交信しようとしていた。そこからふらりと立ち寄ったスナックで西岡はやとわれマダムとなると同時にロックンロールで世界にタトゥーを入れる道を歩み始めたのである。音楽は入れ墨だ。そんなことをふと思うAmericoの昼と夜。
=湯浅学(音楽批評家)