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フランス映画祭横浜2001 レポート vol.2,3

第9回 フランス映画祭横浜2001 レポート vol.2
Text by 大寺眞輔

『ロベルト・スッコ』。
傑作と呼ぶにはあまりに突出して素晴らしすぎるこの作品を、他の作品と同様に、単に映画祭で上映される作品の一本として見てしまったとするなら、それは完全に君が間違っている。

勿論、住宅地の中で奥行きと微妙な高低を含んだあのように素晴らしいロング・ショットを撮れる現代の映画監督なんて、黒沢清とセドリック・カーンくらいしか思いつかない、といった比較の仕方は許されるだろう。『倦怠』が「なんちゃって『やさしい女』」だったとするなら、刑務所の屋根のシークェンスは、「なんちゃって『抵抗』」みたいだ、とつぶやきたくなるかもしれない。あるいは、徹底的にこだわり抜かれた銃声の、乾いた音の魅力はどうだろう。ついつい「ヌーヴェル・ヴァーグ的な」と表現したくなってしまう様々な車が登場するシーンは、どれもが余りにも瑞々しく素晴らしい。

しかし、この作品が真の意味で現代的な映画として突出しているのは、そこに登場する人間が本当の意味で生活し生きているということだ。人々の生活が描かれているのでも、その風景が記録されているのでもない。人々の様々な人生の手触りが、本当にそこにはあるのだ。例えば、スッコがレアを夜の海岸に連れ出すシーン。「ボニーとクライド」のような甘ったるいロマンスを期待する観客は、その夜のあまりの暗さに驚愕するに違いない。そして、遠くから赤い光を周囲に放っている焚き火の炎は、一切の審美的造形に寄与することなく、ただひたすらダイレクトに、その周囲に人が生きて存在していることを私たちに示し出す。犬を殺し損なったスッコが、一度消え去った闇の中から再び顔を表すのを見るとき、私たちはこの映画の主題が既に完璧なまでにそこに表出されていることに気づくだろう。つまり、人は生きて生活し、様々な物語の断片を周囲に波及させる。ある一人の男の顔に、殺人鬼という物語が一瞬よぎることもあるが、しかし、重要なのは、そこに反社会的なモンスターがいるということではなく、また逆に、社会の真のリアルがそこにあるということでもない。ただ、明確な方向や目的を持たない力の固まりのようなものとしての様々な物語の断片が、その時々の人々をその固有の強度の中に連れ込む中で、恋愛が起こり、車泥棒が起こり、警官殺しが起こるという、ただそれだけのことなのだ。

これはしかし、犯罪の原因は人間ではなく、彼を取り巻く社会や状況にあるのだ、といった分かりやすい、もうちょっと言えば思考停止寸前の考え方では決してない。『ロベルト・スッコ』は、それぞれの人間とその関係性としての社会との間のどこかを動き続けている、様々な衝動についてのドキュメントであるのだ。例えば、スッコがバーから連れ出そうとする3人組の女性たちの佇まいはどうだろう。そのうちの一人が、スッコのアパートメントで彼がテレビを見つめる間、その奥のベットでただ黙ってじっと座っているのを見るとき、私たちはその顔の表層に、信じ難いほど様々な物語の断片と、そこに座っていることを選択するという奇妙な衝動がうごめくのを見なかったであろうか。スッコを追い続ける刑事の、写真に対する執着ぶりはどうだろう。「追う者と追われる者」にまつわる、様々なありきたりの物語とは全く無縁な、しかし同時にとてつもなく魅力的なシークェンスの連鎖を、私たちはそこに見たのではなかっただろうか。あるいは、スッコが誘拐する様々な人々との車中での会話。それぞれ固有のはっきりとした人生とその輪郭を力強く主張しながらも、ただそれらが分類されるべき場所、回収されるべき従来の文脈、同じ枠を共有しつつ同一の視野の内部に納めることの出来るような一つのパースペクティヴをどうしても見つけることの出来ない、これらの余りにも奇妙で余りにも魅力的なシークェンスの数々を見るとき、私たちは、自分が今まさに見ているこの映画が、もはや一言で傑作と呼び表される以外に表現のしようのない、途方もない作品であることを思い知らされることになるのである。

『ロベルト・スッコ』は、一見して奇妙な作品であるという印象を与えるかもしれない。それはしかし、この作品が真の意味で現代的な作品であるということの明確な証である。いや、私にはもはやこの言葉を使う以外、この作品を表現することが出来ないようにさえ思える。『ロベルト・スッコ』は、圧倒的に斬新で革命的な傑作である。セドリック・カーンの新作は、21世紀を代表する最初の傑作の1本となった。

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『ロベルト・スッコ』終映後は、勿論、『バルニーと彼のちょっとした心配事』なんて作品をさっくりパス。まあ、見ていない訳なので、本当は面白い映画なのかもしれませんが、『ロベルト・スッコ』を見たばかりの私たちにとっては、そんなこと、どうでも良いことである訳です。ロビーにて、今見たばかりの映画の衝撃に打ちのめされながらも、あれこれ雑談。ステファノ・カセッティがすごすぎる。イジルド・ル・ベスコみたいな不思議な顔の女の子を、あれほど魅力的に撮る映画的なセンスの良さには本当に脱帽。学校のシーンがめちゃくちゃ良かった、などなど、とにかく冴えに冴えまくった細部の豊かさに満ちあふれた映画なので、話の尽きることが絶対にない。

フランソワ・デュペロンの新作は、最初から見るつもりだったので、そのままロビーでたむろしていると、どうにも辺りが賑々しく華やいだ雰囲気に包まれ始める。どうやらフランス代表団舞台挨拶が始まるらしい。場違い度が更に高まってきて、もはや手のつけられないようなことになってきた気もするが、手がつけられないんだから、それはもうそれで良いことにしてしまう。当日券を買った友人は、他の作品よりも高い2000円という値段に激昂。ただ全員がそろって壇上に上がるというセレモニーが付くだけで1.5倍の値段を取るってのは、ちょっとどうよ、とは私も思ったが、会場に入るときにナタリー・リシャールと手が触れ合うくらいの距離で一緒に歩けたので、そんなことはもうどうでも良いやあ。他人事だしね。

アニエス・ヴァルダが一際大きな拍手を全員から受けていた。やっぱり、格も世代も一つ上の人ってことなんでしょうか。マスコミの写真撮影時に、ナタリー・リシャールとパスカル・グレゴリーが緊張してコチコチになっている振りをしていたのには笑った。

『将校たちの部屋』は、戦争で顔に大きな傷を負った人々の、その後の人生を描いた作品。戦場が出てくるのは、ほんのワンシーン程度で、後は殆ど全編が病院の中で展開する。『エレファント・マン』に近いかもしれないし、デュペロンの『ザ・マシーン』同様、外見と内面の相違を主題に取った作品だと言えるようにも思う。大傑作ではないだろうが、悪くない作品だと思う。結構、良いかも。ちょっと見た日が悪かったので、また改めて別の機会にでも見直してみたい気がする


 


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Vol.3

電車の中でも、延々、友人とあれこれ雑談しながら帰宅した後は、ビデオに録画しておいたバルサ×バレンシアのリーガ・エスパニョーラ今シーズン・ラストマッチを見ていて、うっかり夜更かししてしまう。解説の金子さんが何度も繰り返していたように、最低のバルサの中で、リヴァウドだけが漫画的にものすごい活躍。たった一人の力だけでバルサをチャンピオンズ・リーグに送り込んでしまった。何せ、スーパーゴール3連発、それも最後はゲーム終了直前にバイシクルを決めて、3対2の勝利をチームにもたらしたんだから、こんな冗談みたいに出来すぎた話はなかなかない。ああ、それにしてもはクライフェルト。気まぐれな天才の受難に終わりがくることは、もはやないのだろうか。

軽く睡眠をとってから、この横浜フランス映画祭日記の執筆を開始。本当は、毎日その日のうちに書いてしまえば、その方がずっと良いんだけど、往復4時間もかかっちゃうとさすがに原稿を書くための時間がなかなか取れない。最近オークションで購入したPalm機のVisor Prismは、文章の推敲程度にはバッチリなものの、さすがに長文を書くのには向いていない。そのPrismを、マザーボードとCPUをアップグレードしたばかりのマシンに接続するための設定を行う。以前の環境では、PDA本のテストレポートのためにZaurusやらWindows CEやら、あれこれつないだり外したりしていたのが悪かったのか、どうしてもマシンが認識してくれなかったのだけど、今回はさくっと接続完了。DOC Readerも入れて、行き帰りの電車で原稿を読める環境を作り上げる。

今日の横浜は、『クリクリのいた夏』の甘ったるさが全く好みではなかったジャン・ベッケルをパスして、グザヴィエ・ボーヴォワの『マチューの受難』にだけ駆けつける。が、上映開始数分前に到着したところ、立ち見まで出る混雑ぶり。なんとか最前列最右端というパシフィコにあっては存在それ自体が不条理な座席を確保するものの、シネマスコープのスクリーンがひし形にしか見えないという大笑いな状態。と言うか、これ、ソクーロフですか?みたいな。いや、ほんまゴメン。かんべんしてください。単なるクロースアップでさえ、何か奇妙な意図がそこにあるんじゃないかと思えてきちゃいますよ。せっかくのカロリーヌ・シャンプティエによる超美麗な映像(親子の釣りのシーンでの海のショットなんて、信じがたいほどの美しさだった)もすっかり台無しな状態でしたけど、映画はかなり面白かったと思う。どこかアラン・ドロンの良くできた作品みたいだ、という感じもありましたけど、きわめて端正で、世俗的な話が次第に聖書的な雰囲気を湛えてきたりする辺り、やはり大したものだと思います。

上映前には、青山監督の推薦コメントが付き、上映終了後には、ブノワ・マジメル、グザヴィエ・ボーヴォワによるカラオケ大会が付くという豪華なイベントでした。あと、フィリップ・トルシェが何故か来ていたが、あんた、今日はJリーグの日なのに視察とか行かないで良いわけ?

終映後は、近場で食事の出来るところを探したものの、なぜかどの店にも行列が出来ていて大繁盛。あきらめて、渋谷まで出てから遅めの夕食を済ませる。『マチューの受難』以外にも、壮大な企画の話題で盛り上がる。全員、野望でパンパンに膨れ上がってしまったが、うまく進めば、これは面白いことになりそうな気がする。

最終日は全作品パス。要するに横浜には行かないので、今回はこれで終了することとなった。あの無闇にでかい建造物群の中を縫って延々歩くのも、中華街もラーメン博物館も、まあ、少なくとも来年のこの時期までの1年間は、私の生活と関わりを持つことはないだろう。