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ナント映画祭2003  Vol.3

ナント3大陸映画祭2003 レポート  Vol.3
Text by 橋本一径


12月1日

こよみは12月に替わり、映画祭の会期も残すところ今日を含めてあと2日。コンペティション作品の上映は今日で終わり、明日は午後から特集の中の作品がいくつかと、閉会式が夜にあるだけなので、実質今日が最終日と言ってよいだろう。開幕日になってもテンションの上がりきらぬままだった今年のナント映画祭であったが、気がつけば去年を上回るペースで映画を見続け、あっという間にこの日を迎えてしまった。昨日の夜から降り出した雨がまだ残る中、いつものように朝10時からのコンペ作品上映へと向かう。ラストスパートというわけでもないが、今日は全部で6本の作品を観るつもり。

『アンナとその他の面々Ana y los otros』 (Celina Murga監督、アルゼンチン、2003)
1973年生まれのアルゼンチンの女性監督Celina Murgaの作品は、派手さこそないものの、これまでのややあくの強いコンペ作品群の中にあって、その抑えられた演出がかえってじわじわと記憶に焼きつくような、好感の持てる一本であった。舞台は海岸沿いの静かな田舎町。ブエノスアイレスで暮らすアンナは、その故郷の町に久々に里帰りしている。年の頃は20代後半といったところだろうか。ビーチで新聞を広げていると、隣の少女が声をかける。「スポーツ欄だけ見せてもらえますか? 私の彼が出てるの! 彼、有名なサーファーなのよ。」少女のおのろけ話に微笑みながら耳を傾ける主人公。偶然出くわした昔の同級生たちには、かつての自分の恋人の消息をそれとなく尋ねる。女と暮らしているだの、いやもう別れただの、勝手な噂を口々に言いあう同級生たち。「でもどうして? まさか会いたいの?」「ううん、ちょっと気になるだけ。」そう答える主人公だが、映画の冒頭から電話したり以前の勤め先を探したりしていたのは、どうやらこの昔の恋人に会おうとしてのことらしい。友人のアドレス帳を盗み見て、隣町で新聞記者をしているらしいその男の住所を、どうにか手に入れる。さっそく車で訪ねて行き、家のベルを鳴らすも返事はなし。隣の家から出てきた男の子に声をかける。「あのお兄ちゃんの家、いつもいろんな女の人がきてるよ。」「あらそうなの?」この少年と仲良くなり、恋の手ほどきなどをしていると、少年が声をあげる。「あの赤い車、隣のお兄ちゃんのだ!」そこからはちょっとしたカーチェイス。余韻を残す幕切れもまた楽しい。同級生たちはすでに結婚したり子供ができたりしていて、もはや恋にうつつを抜かす年頃でもないと感じ、年下の人間の恋愛話に先輩顔をしたりもしてはみるものの、かつての恋をあきらめきれない気持ちを胸の奥に抱えた、おそらくは監督と同年代の女性の心情を微細に描き出した秀作。終映後、外に出てみると朝方までの雨はすでにやみ、青空が顔を覗かせていた。

『砂漠の巡視人Les baliseurs du desert』 (ナセル・ケミールNacer Khemir監督、チュニジア、1984)
夕方から見る予定の作品の席を確保するために、昼過ぎに第2会場のゴーモンへ。メイン会場のカトルザでは前日から予約を受け付けているが、こちらは当日の午後にならないとチケットが取れない。列を待つ間、前に並んでいた2人組みのマダムと談笑。2人は昨日観たという山下監督の『リアリズムの宿』が、いたくお気に召したご様子。彼女たちはこのあとすぐ上映されるチュニジア映画『砂漠の巡視人』を観る予定とのことだが、パリからやってきたというそのうちの1人は、以前観たこの作品の印象が忘れがたく、再び観に駆けつけたのだという。私はこの後メイン会場でやるドキュメンタリーを観るつもりだったのだが、さしたる根拠があって作品選びをしているわけでもないので、そんなことを言われるとあっさりと気持ちが揺らぐ。さんざん迷った挙句このチュニジアの作品を観ることに。25周年記念企画の中のこの作品は、1984年のグランプリ受賞作である。半ば廃墟と化した砂漠の中の村に、中央から教師として派遣された男。バスの運転手ですらその存在を知らないこの辺境の村に暮らすのは、年寄りと子供ばかり。聞けばこの村の男たちは年頃を迎えるとみな「巡視人」としてあてどもなく砂漠の中を放浪する一団に加わってしまい、二度と村に帰ることがないという。その呪縛から村を救う手助けを長老から頼まれる教師だが、逆に神隠しにあってしまい、調査にやってきた警官も匙を投げる。一方村のガキ大将として大人たちを撹乱する少年は、「巡視人」になる運命を呪い、異国に憧れ、祖母の死をきっかけとして村を飛び出す。かつてはオアシスだったという、今では砂にうずもれた村が、近代化と伝統、子供と大人、生と死、神性と人界、などの様々な境界の接点となる。肝心の「巡視人」たちがそれらの境界の媒介者となるには今ひとつ存在感が薄すぎるのは残念だが、ともかくこの美しい作品に出会うきっかけを与えてくれたマダムには感謝。

『乾いた人生Vidas Secas』 (ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督、ブラジル、1963)
同じく25周年記念の特集から、ブラジルのいわゆる「シネマ・ノーヴォ」の巨匠、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントスの63年の作品を観る。ブラジル版『怒りの葡萄』とも評される、貧しい農民一家を待ち受ける不条理を描いた作品だが、安易に貧しい者に肩入れすることのない、文字通り「乾いた」キャメラが、製作から40年を経てもなお観る者に強烈な印象を与える。灼熱の太陽が照りつける中、よろよろと先を目指す、幼い子供2人を連れた夫婦。子供が力尽きる寸前で、一家は目指していた荒れ農場にたどり着く。やがて待望の雨が降り始め、また一家の父は農場主から牛飼の仕事を与えられる。だがこれが一家にとって最後のささやかな幸福のひと時となろうとは、いったい誰が想像しただろうか。重労働の日々の果てに、給料日を迎えてみれば、農場主は当然のように男の取り分をごまかす。だがこの映画の真骨頂は、そうした搾取する側のあこぎな姿の告発にあるのではなく、搾取される側のあまりにも哀しき人間くささにこそある。例えば祭りの日に、精一杯の盛装をして町へと繰り出す一家の姿。履き慣れない革靴に足を痛め、やっとの思いでたどり着くやいなや、父親はギャンブルの誘いに乗り、案の定全財産を巻き上げられる。果ては警官に因縁をつけられ、さんざん拷問を受けたあと拘置所にぶち込まれる。そんな夫に向かって妻は、これでまた今年も念願の革のベッドが買えなくなったと言ってなじる。「地獄って何? お母さん行ったことあるの?」子供の無邪気な問いかけに母は癇癪を起こして手をあげる。また飢饉の折に野ねずみを捕まえてくれば家族中から祝福を受けていた愛犬は、病気になるやあっさり見捨てられ、子供が泣きわめくのも構わず父親の手により撃ち殺される。冒頭に鳴り響いていた牛車の進むギーギーという甲高い音が、最後に再びけたたましく音を上げることで、この出口のない「地獄」がまた延々と繰り返されることを暗示するのだった。

『Baara』(スレイマン・シセ監督、マリ、1977)
再び25周年特集から、記念すべき第1回大会のグランプリを見る。監督はマリの大御所、スレイマン・シセ。上映には姿を見せなかったが、本人もナント入りしているようだ。長編第2作目にあたる今作品は、ある工場における階級闘争が物語の中心。傲慢な社長のもとで工場長として働く、外国帰りで進歩的な思想を持った男。彼がある日知り合った荷役が、自分と同姓同名であることを知り親しくなり、工場に口を紹介する。労働者とも分け隔てなく接するこのリベラルな男は、部下からも慕われているが、彼が労働者の集会を組織したことで社長は激怒、リンチの末に殺してしまう。その後この社長は妻の浮気を知りこちらも勢いあまって殺害。これらの犯罪が明るみに出て社長は破滅に陥るのだが、先ほど見た『乾いた人生』と違いこちらはうまく勧善懲悪の結末に落ち着いてくれてホッとする。撮影地はマリの首都バマコなのだろうか、活気ある街並みの息遣いが伝わってきて新鮮であった。社長の乗り回す初代モデルのトヨタ・セリカがアフリカの風景に映える。

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『ヴァイブレータ』の廣木監督(左)


『ヴァイブレータ』(廣木隆一監督、日本、2003)
コンペティション部門全10作の最後の1作として上映された日本の廣木監督による作品は、テンポのよいロードムーヴィーで、観客の支持を集めた。トラックが格好の映画的被写体であることを教えてくれたのは、マルグリット・デュラスのその名も『トラック』という映画だった。その他の例をすらすらと思い浮かべることができないのがもどかしいが、スピルバーグの『激突!』とか。ヴェンダースの『さすらい』にも出てきたはずだがあまり記憶がない。『ニンゲン合格』では役所公司が黄緑色のダンプに乗っていた。あるいはデ・ニーロが自らの監督作『ブロンクス・テイル』で運転していたのは、あれはバスだったか。そういえば日本には『トラック野郎』シリーズなんてのもあったが。見たことはないけれど。イーストウッドの『パーフェクト・ワールド』にも、トラックのようなキャンピングカーのような、変な車が出てきたっけ。ともかくデュラスの映画の中をのそのそと走るトラックはしびれるほど格好がよかったが、この『ヴァイブレータ』のトラックも、なかなかどうして、空撮でその姿が捉えられるところなどは胸が躍った。映画はこの格好いいトラックに乗った格好いい男に恋をした女が、そのトラックに乗り込んで東京=新潟間の往復の旅に出るというもの。「シンプルなラヴ・ストーリーにしたかった」とは監督の弁だが、それ以外にも、トラック運転手の知られざる日常に「働くおじさん」的興味も惹かれるのであった。寺島しのぶ演じる主人公を終始語り手として、ナレーションに加えさらに字幕でも彼女の心情が語られるのだが、この字幕がよい意味で映画に軽薄さを与えて、過度にシリアスになることから救っていたように思う。時折流れるピアノの旋律は別として、音楽も映画にテンポを与えて心地よい。日本でもちょうどこの時期に公開の予定とのことだが、今映画祭で評価を得て弾みをつけることができることを願う。会場には監督と共に主演の男優、田口南朋も訪れた。

『一瞬の夢Xiao Wu』(ジャ・ジャンクー監督、中国、1997)
すでに今日は5本の映画を見て、もはや頭の回転は完全にストップしている。先ほどの『ヴァイブレータ』も、1日の締めくくりにするには悪くない作品ではあったのだが、最後の力を振り絞って夜10時からの最終上映へ。しかし当初はカメルーンのドキュメンタリーか中米の作品かのどちらかにしようと思っていたのだが、疲れからか保身に走る。ここは1日を気分よく終わらせてほしい。他では見る機会の少ない作品をできるだけ多く紹介するという、勝手に引き受けた使命を勝手に放り出し、無難なジャ・ジャンクーのデビュー作へ。ちょうど見逃していた作品でもあるし。結果は大満足。処女作の傑作というとビクトル・エリセの『みつばちのささやき』とかベルトルッチの『殺し』とかが思い浮かぶが、それらに並ぶ、いや上回るといっても過言ではない傑作なのではないか。1ショット1ショットに才能がにじみ出ている。火を点すと「エリーゼのために」が安っぽい音色で流れるライターなどの小物の使い方、あるいは主人公とバーの女が無言でカラオケの画面を眺め続けるシーン……。どれをとってもあきれるほど素晴らしい。まいった。ここまで一目瞭然だと、ここに私が様々なフィルムについて書き連ねてきたことが、すべて嘘臭く思えてくる。1998年のグランプリ受賞作だが、当然の結果であろう。逆に今年はこれほどまでに他を圧倒する作品が残念ながらなかっただけに、明日の閉会式で果たしてどのような受賞結果が出るのか、気にかかるところだ。

12月2日

昨日あたりから冷え込みがめっきり厳しくなり、12月を実感する。映画祭は本日がいよいよ最終日。今日は午前中の上映がないので久しぶりにゆっくりできる。午後から2本の上映に足を運び、夜は市内のホールで行われる閉会式である。

『アブジャッド』 (アボルファズル・ジャリリ監督、イラン、2003)
『トゥルー・ストーリー』(1996)と『少年と砂漠のカフェ』(2001)ですでに2度もナント映画祭グランプリを受賞しているアボルファズル・ジャリリの新作が特別上映された。自伝的要素も含むというこの作品は、まさしくジャリリ版の『大人は判ってくれない』であった。かけっこをさせれば一等賞、絵を描かせれば大人顔負け、レスリング大会にでれば優勝と、何をやらせても人並み以上の才能を発揮する少年、エムカン。しかしそのまっすぐすぎる性格が災いして、時として大人たちから煙たがられることにもなる。例えば友達から譲り受けたバイオリンをモスクに持ち込んだところ、楽器を禁じたイスラームの教えに反するとしかられ、そこでしていたコーラン朗誦のアルバイトをクビになってしまう。あるいは生徒から慕われていた校長が国の人事で交代させられると知るや、授業をサボタージュしてデモ隊の先頭に立った結果、見せしめとして放校処分に。息子にまっとうな道を歩んでもらいたい父親は苦労が絶えない。看板描きとして働き始めた少年だが、彼が思いを寄せる少女の父親である映画館経営主は、少年の数少ない理解者として、彼に仕事を与える。しかし時代はイラン革命を控えた70年代末、ユダヤ人である映画館経営主の一家は、暮らしにくくなった町を離れる。こうした時代背景を盛り込みつつ、映画は少年が数々の逆境に遭遇しながら、やがて8ミリ・キャメラを手にするまでを描く。これまでキアロスタミやモフセン・マフマルバフ(ジャリリは彼と同い年である)など個性の強すぎる作家の前にどうしてもかすみがちだったアボルファズル・ジャリリだが、この作品以後その堅実な演出によって評価を確固たるものにすることだろう。

『カイラートKayrat』 (ダルジャン・オミルバエフDarejan Omirbaev監督、カザフスタン、1991)
閉会式でも1本映画の上映があるものの、映画館ではこの午後2回目の上映が最後になる。いくつかある選択肢の中から選んだのは、92年大会の準グランプリ受賞作、カザフスタンのオミルバエフ監督の作品である。近年『ザ・ロードLa route』という作品がフランスでも公開されていた(日本でもNHKの主催するフィルム・フェスティバルで上映されていたようだ)監督の、長編第1作にあたる。白黒の画面に、冒頭から鉄道が登場し、昨年のグランプリだったキルギスの傑作『兄弟、シルクロード』を髣髴とさせる。投石を受けて割れた窓の席に座っていた青年が、この映画の主人公、カイラート。地方から出てきた大学生の彼は、テストでカンニングが見つかり留年、やけ気味になってけんかをしたり、映画館で知り合った鉄道乗務員の若い女との結婚を夢見たりする。主人公の顔がまるで往年の日活スターのようなので、『狂った果実』か何かを見ているような錯覚に陥る。フィルムの状態があまりよくなく、会話以外の音がすべてつぶれてしまっていたのは残念だ。
ところでこの時間には、初日に観たナイジェリアの恐るべきビデオ映画『Hostages』の続編、『Hostages 2』も上映されていたのだが、さすがに最後をあれで締めくくるのは腰が引けてキャンセル。しかしそんな甘い目論見は閉会式でいともあっさりと葬り去られることになるのであった。

閉会式
『ストーリー・ビギンズ・アット・ジ・エンドArimpara』 (ムラリ・ナイールMurali Nair監督、インド、2002)
閉会式は中心部から少し離れたイベント・ホール「シテ・ド・コングレ」で行われる。ここは日本の県庁所在地ならどこにでもある県民ホールのようなところ。大きいホールが2つもあって規模は日本よりもかなりでかいが。ここでは毎年1月末に朝から夜中までクラシックのコンサートをやりまくる「Folle journee(クレイジー・デイ)」というイベントがあって、ナントの一般市民の認識としてはこちらのほうが映画祭よりも格が上という感じのようだ。映画祭だって朝から夜中までやっているのに、映画の場合はこれしきではクレイジーとは認められないらしい。
ともかく閉会式である。よい席を確保するために30分以上前に駆けつけるも、すでにかなりの列ができている。開場と同時に人の波に飲まれつつも、何とか1階の中ほどの席を確保。まずは映画の上映である。作品は今年のカンヌの「ある視点」部門でも上映された、インドのムラリ・ナイール監督の新作。男のあごにできたホクロが、日に日に大きくなっていく……というプレスの記載を目にしたときは、コメディだと思っていた。しかし蓋を開けてみれば、「恐怖の映画史」に名を連ねてしかるべき、かつて見たことのない驚異のホラー映画であった。始まりはいたって平穏である。とあるのどかな山里で暮らす地主の一家。伝統を重んじるこの家の主人は、先祖から受け継いできた作法を頑なに守り、稲の刈り入れも人の手のみで行わせ、機械に頼ろうとはしない。そんな頑固なところがあるとはいえ温厚な彼は、小作人からも慕われている。夕暮れ時になると学校から戻る息子を船着き場まで迎えに行き、一緒に寺でお参りをするのが、この男の日課。だがそんな穏やかな日々の中にも、すでに恐怖の伏線は張られていたのだった。発端は男がひげをそりながら鏡に映した下あごに見つけた、黒い小さなシミ。こすっても落ちないそれは、どうやら新しくできたホクロらしい。息子にもからかわれて気に病む男を、妻が励ます。「あなた、きっと幸運の印よ。」このあたりからいやな予感がしてくる。そんなことを言って実は不吉な知らせだった、というオチではないのか……。案の定、子供が高熱を出して寝込む。しかし決定的な不幸というのは訪れぬまま、「心理戦」はここで終わり。続いては物理的な恐怖が待ち受けている。髭剃り中に傷つけてしまったのをきっかけに、このホクロ、最初はゴマ粒大だったのが、みるみる大きくなり、おはぎ大になったあたりから、観客がどよめきだす。我を失った主人公がナイフを手にしたところで、客席からは悲鳴が。やがてそれはますます肥大し、芥川龍之介の「鼻」よろしく、しかしここでは鼻ではなくあごが、サンタクロースのあごひげほどの大きさにまで膨張していくのだ。しかも黒くてブヨブヨ、ちょっと湿っている。このホクロ、因果関係がまったく示されないところがすごい。男は本当に善良で信心深く、こんな不幸に見舞われるいわれはまったくないのだ。しかも驚くべきは田園風景の映像の美しさである。この映像美で、なぜあのホクロを……。だがもっとも恐るべきなのはこの作品を閉会式に選んだ、ナント映画祭主催者であろう。仮にも閉会式である。なにも子供が見たらトラウマになるのは間違いなしのこんな作品で締めくくらなくてもよいものを。なおこの作品、なんとNHKの共同制作で、折しも12月13日から21日まで恵比寿の東京都写真美術館で開かれる「NHKアジア・フィルム・フェスティバル」で上映されるという。見終わった後で自分のあごに手を当ててみずにはいられなくなる驚愕のフィルムを体験するチャンスである。

観客のざわめきの冷めやらぬ中、舞台には表彰式の準備がしつらえられる。去年は幕間に地元ダンスクラブのタンゴが披露されてあっけにとられたが、今年はなぜかサルサ。やはり是が非でも踊らせなければ気がすまないようだ。今年から始まったドキュメンタリー部門を皮切りに受賞作の発表が始まる。ドキュメンタリー観客賞はウー・イーフォン監督(台湾)の『生命(いのち)』(5日目の報告参照)、グランプリはワン・ビン監督(中国)の『鉄西区』。どちらも今年の山形映画祭の受賞作である。上映作品もかなりダブっていたが、ここまでくると二番煎じの感をぬぐえない。フランスにもマルセイユのドキュメンタリー映画祭があるのだし、こんな風にドキュメンタリー部門をおまけのように付け加えるのはどうかと思う。
続いてはフィクション作品の受賞作発表である。観客賞やヤング審査員賞に引き続き、審査員により選ばれる各賞が発表される。なお今年の審査員は小説家のジャン・ルオー、『ケン・パーク』(ラリー・クラーク)に出ていた若い女優ティファニー・ライモス、あとはベルギーやフランスの映画監督など。主演男優賞はカザフスタンの『小市民』(3日目の報告参照)に主演したErjan Bekmuratov。やさ男とハンサムのコンビの映画だが、受賞したのはやさ男の方。どうせならハンサムの方にあげるべきだと思う。続いての主演女優賞は、『ヴァイブレータ』に主演した寺島しのぶが受賞した。廣木監督が代わりに賞を受け取る。審査員特別賞には、Ho Yuhang監督(マレーシア)の『ミン』(2日目の報告参照)。この作品、私が観たのは確かに白黒だったのだが、その後「カラーで観た」という人に遭遇し自分の色覚に自信を失う羽目になった。私が観た初回の上映では間違って白黒で上映し、その後カラーに直したということなのか。
ナント市賞はナント出身のジャック・ドゥミの名が冠されている。この賞はツァイ・ミンリャンの『さらば、龍門客桟』(4日目の報告参照)へ。無冠で帰すわけにはいかないクォリティを備えた作品ではあったので異論はない。続いて準グランプリは、ザビハ・スマル監督(パキスタン)の『静かな水』(4日目の報告参照)が受賞したが、これも文句なし。グランプリでもおかしくはないと思っていたのだが。しかし続いてグランプリ受賞作を聞いて唖然とする。Joel Cano監督(キューバ)の『7日7晩』(五日目の報告参照)が勝ち取ったのだが、よりによって私がもっともよくないと思った作品のひとつだった。なんてこった。アルゼンチンの愛すべき小作『アンナとその他の面々』(6日目)は何ももらえず。客席の反応は上々だった山下監督の『リアリズムの宿』も無冠に終わった。つくづく賞レースというのは分からない。特に今回のように突出した作品が不在の場合は。賞を取るというのはなんて難しいことなのだろう。

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式が終わると、ロビーではワインやおつまみ、お菓子などが気前よく振舞われる。そこで大勢の観客が見知らぬ者同士互いに受賞結果についてああでもない、こうでもないと言い合うのである。地方の映画祭ならではの和やかな光景だ。もっとも小さな町ゆえ、すぐに知った顔に出会うことにもなるのだが。それにしても普通のおばさんが「毎日最低4本観たわ」などと言い合っているのだからすごい。グランプリのキューバ映画は、聞いてみるとさほど評判は悪くもない様子。また自分の趣味に自信をなくす。「あなた日本人? 私、『ヴァイブレータ』の女優もよかったけど、男優のほうがもっとよかったと思うの。賞がもらえなくて残念だわ。会ったら伝えといて!」そんな声を受けながら、まだまだ帰ろうとしない観客でいっぱいの会場をあとにする。

この映画祭が終われば、ナントはまたフランスの1地方都市に戻ってしまう。映画祭の期間中、市内の映画館のひとつが突然閉館してしまった。「フランスで一番安い」というのがうたい文句の、2ユーロ(約260円)で映画を上映していた、UGCアポロである。いわゆる二番館だが、時折なかなか趣味のよい古典もかけていただけに残念だ。いきなり閉館せずに3ユーロくらいに値上げして続ける道はなかったのだろうかとも思うが、シネコンを乱立させているUGCグループの端くれとしては、そういった経営は許されなくなっていたのだろう。若者たちが復活を求めて署名運動をしたりもしているが、ナントの映画環境がまた一段と悪化してしまったのは確かだ。
今月の『カイエ・デュ・シネマ』には、フランスの映画祭事情についての記事が掲載されている。そこにはフランスの全映画祭がリストアップされているが、その数は約170。ナントはその中でも重要な映画祭の部類に入るとは思うが、そこにも記載されているとおり、キアロスタミやエドワード・ヤン、ジャ・ジャンクーらが次々と「カンヌ・クラス」の監督になってしまい、かといって新しい才能が次々と出てくるわけでもないから、難しい時期にさしかかっているのかもしれない。アジア映画はここ数年でフランスに紹介される機会が格段に増えたように思うが、その役割を率先して担ってきた映画祭が、目的を達成するにつれて苦境に立たされるというのは、何とも皮肉な話だ。単に紹介するだけでなくプロデューサーを養成するプログラムを設けたり、今年のようにドキュメンタリーを加えたりと、様々な模索が続けられてはいるのだが。
私事ではあるが、フランスで暮らしはじめて1年以上が過ぎ、ようやく環境にも慣れてきた。来年はできればその170の映画祭の中から、近隣で行われる別の映画祭にも足を運んでみたいと思っている。そしてもちろん、26回目のナント映画祭にも。

受賞作品:
金の気球賞(グランプリ):
   『Siete dias, siete noches(7日7晩)』(Joel Cano監督、キューバ)
銀の気球賞(準グランプリ):
   『Khamosh Pani(静かな水)』(Sabiha Sumar監督、パキスタン)
ナント市(ジャック・ドゥミ)賞:
   『Bu San(さらば、龍門客桟)』(ツァイ・ミンリャン監督、台湾)
審査員特別賞:
   『Min』(Ho Yuhang監督、マレーシア)
最優秀女優賞:
   寺島しのぶ(『ヴァイブレータ』、廣木隆一監督、日本)
最優秀男優賞:
   Erjan Bekmuratov(『Malen'kie ljudi(小市民)』、Mariman Turebayev監督、カザフスタン)
ヤング審査員賞:
   『Bu San(さらば、龍門客桟)』
観客賞:
   『Khamosh Pani(静かな水)』

ドキュメンタリー部門グランプリ:
   『鉄西区』(ワン・ビン監督、中国)
同観客賞:
   『生命(いのち)』(ウー・イーフォン監督、台湾)