
冨永昌敬最新作『コンナオトナノオンナノコ』撮影ルポ
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結城秀勇
五月のある晴れた日に牧場へ行こうと決めたのは、五月病の影響でも、都会の生活に疲れたからでもなかった。冨永昌敬監督最新作『コンナオトナノオンナノコ』の撮影を取材するためである。
ひとつ言っておくとすれば、この映画の原作である安彦麻理絵の漫画『コンナオトナノオンナノコ』には牧場など出てきはしない。幸せな結婚をしたはずが満たされない惰性の生活に埋没してしまっている主婦と、長年つきあってきた彼氏とも別れ実家の親からは結婚の催促をされ幸せな家庭に幻想を抱きながら働き続ける編集者の女性という、ふたつの側面から描かれるこの漫画は、主に主人公のふたりの女性が住む都会のマンションの部屋を行き来することで展開していく。
この映画で主人公ふたりを演じるのは、ミセス雑誌編集者・チアキ役のエリカさんと、元編集者であり今は専業主婦のマサミ役の桃生亜希子さんである。そこに桃生さんの夫・数彦役の斉藤陽一郎さんと、エリカさんの元恋人・淳一役である水橋研二さんが加わり、主要なキャストがそろう。
脚本を読んだ限りの理解では、この牧場は、久しぶりにあった友人の娘のかわいさに打たれ、また結婚をしようにもそれに相応しい男もいないことにショックを受けた主人公の女性の失踪先として登場するようだ。人づてに聞いた話では、脚本を執筆中の監督が、「こんな女は牧場へ行くに決まっている」と言い切ったのだとか。そしてこのシーンで初めて、桃生=斉藤カップルに対するもう一方の、エリカ=水橋というカップルが形成される。そういった意味でも重要な場面である、などという言い訳を用意して、内心「初夏といえば牧場に行くに決まっている」と思いながら、のこのことお邪魔させていただいたわけだ。もっとも実はその裏には冨永監督の作品の中にふと登場するヌケの良い空間についての興味もあったのだが。
初めに到着したのは、牧場のそばにある、河をまたぐ大きな橋のふもとだった。既に冨永組の面々は、その下の河原で撮影を始めている。この日の撮影は、すべてエリカさんと水橋研二さんのふたりの俳優のシーンになる。
ふたりの再会の翌日、東京へ向かう淳一の後をチアキが追いかけてくるという場面である。雲ひとつない空の下、淳一を演ずる水橋研二さんの声が鳴り響くのを聞く。そのやや高い声と独特の語りのリズムがあつらえたように冨永映画にしっくりときていて、驚く。
写真を見ればわかるように、彼がかけているゴーグルはこの映画の淳一という役柄のトレードマークとなっている。彼がゴーグルとマフラーと手袋をして、白いカワサキにまたがっている姿を見ると、原作では脂ぎった中年男性に成り下がってしまっている淳一という役柄に、この映画ではどこか(情けないながらも)ヒーローのような側面を与えているのだと気付く。
立ちションする淳一を後ろから抱きしめるチアキ。オシッコの勢いがなかなか丁度良い具合に決まらない。そんな中断の折り折りに監督は、役者各々に寄り沿い、何事かマイナーチェンジの指示を下す。
牧場へ辿り着く頃には陽もだいぶ高く昇りつめる時間帯となっている。ジリジリと照りつける日差しというには季節はまだだいぶ早いが、気付けば額や頬がだいぶ熱を持っている。
牧場へたどり着く淳一のショットを撮り終えたころ、遅まきながらこの映画は広大な緑の地平線とは無縁なことに気付く。この後撮影される牛舎も納屋もともに室内シーンではないか。消失点に向かって延々と隣り合いながら反復されていく牛たちの住まいの有様は、もはやハイパーモダンな眺めであり、それは都会からの逃避の場所にはなり得ないことが明らかだ。牧場は都会の対象物ではなく、同じ原理を背後に隠し持っている。
牛舎の中では、一匹の白色レグホンが通路のど真ん中に陣取っている。牧場の人が、「あいつは自分がここの番人だと思っているんですよ」と語る。牛たちの住居兼仕事場に闖入して闊歩するレグホンの振る舞いは、「髪も長うして労働にはほど遠い都会の女」が「勤労奉仕に汗みずくになって」いる生活に牛舎の窓から侵入してくる淳一のシーンに相応しいといえば相応しいか。
育児に疲れ、着るものも顧みなくなったマサミとは対照的に、おしゃれな服を身にまといバリバリ仕事をしていたはずのチアキは、ここでは牧場のユニフォームであるツナギに身を包んで現れる。牧場の方の指導のもと、エリカさんが牛の乳を搾る。
映画上、淳一とエリカが初めてふたりで映るシーンであるだけに、監督もそうすんなりとはokを出さない。牛の気も立ってしまうというわけで、最小限のクルーだけを牛舎に残し我々は外へ。
無事撮影が済み、外へ出てきた水橋さんといくつか言葉を交わす。その中で、どういう感じの撮影現場がおもしろい現場ですかと問うと間をおかず、「この現場だね!」という返事が返ってきた。
陽もだいぶ暮れかかった頃、馬の厩舎の二階で、チアキと淳一のふたりが再会後一晩を過ごした翌朝のシーンの撮影が開始される。
既に山の空気はだいぶ冷えてきている。撮影の進行とともに、用意してきたシャツを羽織っても身体の芯の寒さは防ぎようがなくなる。そんな中、俳優のおふたりは下着姿での演技である。気付けば辺りは闇に溶け込んでいて、照明部の焚く明かりだけが煌々と灯っている。
干し草をベッドに眠っていたふたりが目を覚ます、というこの場面。当たり前だが、この干し草はなんのために置いてあるのかといえば、階下の馬たちに食わすためである。というわけで二階の真ん中に、干し草を掻き落とすための四角い穴が空いているのだが、その穴越しに階下の馬たちが眠りこけているのが見えるらしい。穴を覗き込みながら話すふたりを階下のカメラが仰角で捉えるというカットが追加される。
そんな成り行きを私は建物の外側から眺めていたのだが、なぜ外側からのぞけるかというと、二階の壁面にはこれまた干し草運搬用の大きな開口部があるからである。坂道に接したこの建物の二階にトラックから直接干し草を流し込み、それを階下に落とすという段取りになっているわけだ。この食料の流通の経路が視線の通り道にもなる。この日残すは食堂でのワンシーンのみとなった監督に、「変な建物ですよね」と声を掛けると、熱心にこの納屋の構造、ひいては牧場全体の効率の良さについて語ってくれた。
隣接した密閉空間の片方からもう片方を覗き込むというのは、これまでの短編『Vicunas』や「亀虫」シリーズなどにも頻出するイメージである。と同時に、具体的なあるシーンがというわけではないのだが、冨永作品はどこか、透明な構造体に囲まれた空間の中に入り込んだ人々を観察している、そんな印象を持ってもいた。その意味で、この納屋のある建物の構造はまさしく冨永映画だ、いや冨永映画とは牧場の営みなのだという根拠のない断言が思い浮かぶ。
ただ、たった一日の撮影を見学した印象以上のものではないが、今回は監督の視線がすごく俳優の側に近くあるのではないかという気がしてしまった。外側から開口部を通じて箱の中を覗き込むのではなく、むしろ箱の中の人々とともに開口部の外側を想像するような。無論、ただの比喩だし、勘違いかもしれない。
食堂のシーンで、ショウガ焼きをたくさん食べて、その日は帰宅した。
追記:初号試写には都合がつかず、送られてきたDVDにて完成した『コンナオトナノオンナノコ』を見た結果、あながち上記の主張も見当はずれではないことが判明した。いや、それどころか、誰に何と言われようとこれが冨永昌敬の新しい一歩なのだと、そう主張しなければならないことまでが決定してしまったのだった。
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右から、主演のチアキ(エリカ)と、マサミ(桃生亜希子)。マサミ宅キッチンにて。
写真、キャプション:鈴木淳哉
写真は全て©2007コンナオトナノオンナノコPartners