
追悼・佐藤譲
追悼・佐藤譲
新聞には掲載されなかったので、この場を借りて一応お知らせしておこう、と思う。
八〇年代からさまざまな日本映画においてその照明を担当し、九〇年代後半以降、海外でも賞賛を得た数々の作品を支えた照明技師・佐藤譲氏が、さる二月二十四日、逝去された。
佐藤氏の携わった作品としては、『ヒポクラテスたち』(80)『さらば愛しき大地』(82)『逆噴射家族』(84)『千年刻みの日時計 牧野村物語』(87)『Helpless』(96)『2/デュオ』(97)『蛇の道』『蜘蛛の瞳』(98)『ワンダフル・ライフ』『M/OTHER』(99)『EUREKA』(01)『美しい夏キリシマ』(02)『沙羅双樹』『月の砂漠』(03)などが有名。
昨年の『誰も知らない』でも照明応援としてクレジットされている。
つまり今世紀に入って以降の、日本からのカンヌ出品作、並びにキネ旬ベスト1の多くは佐藤氏が照明を担当した、ということになる。
最後の作品は、公開中の『カナリア』である。
以降は、僕の個人的な、ゆずるさんへの追悼の文章である。
といっても僕は、すでに二週間以上経過しているのにまだ、ゆずるさんがもうこの世にいなくて、もう二度と会えない、という実感をまったく持てずにいる。
ゆずるさんもきっとそうにちがいない。
そうでもないかな?
きっとゆずるさんは、どっちだっていいじゃん、と笑っている。
ゆずるさんとの出会いは、僕の最初の劇映画『Helpless』の準備開始と同時だった。
いそやん(美術デザイナー・磯見俊宏氏)の紹介でたむたむ(キャメラマン・たむらまさき氏)と出会い、たむたむの紹介でゆずるさんと出会った。
以来十年間、多くの拙作をゆずるさんとともに作った。
ゆずるさんは、たんに照明技師として現場にいたわけではなかった。『さらば愛しき大地』以来、たむたむのよきパートナーとして、現場のあらゆる側面……撤収後の酒席に至るまで……を良識あるオトナとしてサポートしてくださった。持ち込む機材は極少、どんな予算の乏しい作品でも柔軟に対応し、かつ作品を豊かにしてくださった。僕らの仕事をまるで憧れのヌーベルバーグのようにしてくれたのは、ゆずるさんだった。
……で、どうした?
そんなことを書きたいわけではないのだ。
正確に言えば、書きたいことなどなにもない。
僕らのことは僕らだけのことなので、他人様になにかをお伝えする気にはならない。 ただ黒沢さんや諏訪さん、是枝さん、そして僕なんかの作品でのゆずるさんのお仕事を好きでいてくださる方々のなかにまだそれを知らずにいる方にだけ、そっとお知らせしておきたかっただけだ。
「そんな事情で当面、ゆずるさんとはお仕事できません」と。
当面、というからにはいつかまた、ゆずるさんとは出会えるはずだ。
というか今後も、ノン・クレジットという形ではあるが、いつもずっとゆずるさんと仕事をし続けるのだ。ゆずるさんはどう思うか、とか、ゆずるさんならどうするか、とか。
照明のことだけではなく、現場の運営、ひととのつきあい、酒の呑み方、などなど。
僕は、ゆずるさんから「自由」というものの、ひとつの形を教わった。
「ひとつの形」であってすべてではない。
「ゆずるさんの求める自由の形」である。
それと僕のそれとでは、ちがった形をしていることもあった。たむらさんともちがう形をしていることもあった。そんなことでお二人から離れたこともあった。
でも、それでいいじゃん、とゆずるさんは言った。
それでいいのだ。
それがまたゆずるさんの「自由の形」で、それやあれやと自分とをつき合わせて考えることが僕の映画の作り方の一部をなしている。これからも基本的にそうだ。
だから、ゆずるさんは現実にはいてもいなくても、いつもいる。
ただ、でも、そういうひとはいまのところ、ゆずるさんだけだ。
他にはいない。
……てことで……カンパーイ。
2005年3月14日
青山真治