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ルノワール『大いなる幻影』の復元プリント

復元プリントで 初めて明らかになる、ルノワール『大いなる幻影』の真実   水原文人


 ジャン・ルノワ-ル自身がもっとも愛着を持っていた自作『大いなる幻影』(シネフィルは『ゲームの規則』を誉めた方がオシャレだと思ってるらしいが)は、世界史の激動のなかで極めて不幸な運命をたどった映画でもある。ちょっと大袈裟に言ってしまおう、日本の観客は実は今まで、この映画を"見ていない"のだ。

 1937年に完成されたこの映画の語る、国境も敵味方を超えた人間たちの友情は、ファシズムが勃興しつつあるヨーロッパでリベラルで人間性を重んじる良心的な人々を中心に大きな支持を集め、アメリカでもニューヨーク批評家協会賞などを受賞した。その一方ですでにナチスが政権を握っていたドイツではヒトラーとゲッベルスによって危険視され、上映禁止になった(一方でイタリアのムッソリーニはこの映画がお気に入りで、スキャンダラスな『ゲームの規則』の失敗によってフランスで干されていたジャンにローマで『トスカ』を撮らせようとしたぐらいだから、何だかよく分からないのだが)。

 1939年、ドイツ軍は電撃作戦で瞬く間にフランスを占領。なによりも『大いなる幻影』の作家としてナチスに敵視されていたジャンにとって、アメリカに亡命する以外に生き残る道はなかった。映画のネガは占領軍に没収され、上映プリントもほとんどが破壊された――と思われていた。

 1944年、フランスは連合国により解放される。映画のプリントの何本かは占領下を生き延びたが、この映画の本当の災難はここから始まる。1946年に再公開した配給業者は、当時の検閲や、旧敵国のドイツへの憎悪に満ちた社会的・政治的な傾向の要請から、独房に入れられたジャン・ギャバンに看守がハーモニカを与える(そしてギャバンが奏でるフランスの歌のメロディに併せて、このドイツ兵は口笛を吹き始める)忘れがたく美しいシークエンスなど、ドイツ人が人間的に描かれているシーンのほとんどをカットした。脱走したギャバンとマルセル・ダリオをかくまうドイツの戦争未亡人ディタ・パルロが戦死した家族のことを語るシーンはもちろん、彼女がギャバンと恋に落ちる部分もなくなってしまった。当時ハリウッドにいて未だ帰国していなかったジャンはこれを聞いて激怒したが、大西洋の向こう岸にいては何もできなかった。

 1958年、ミュンヘンにあったドイツ軍の没収したフィルム倉庫を調べていたアメリカ軍の女性将校が、ハリウッドのジャンに電話をした。「あなたの映画『大いなる幻影』のネガがあったんです」。それはフランスでは再公開時のカットにより破壊されてしまっていた、映画のオリジナル版のほぼ完全なネガだった。ただし明らかにデュープで、それもかなりジェネレーションが低く、画質も万全とは言えないものだったが、それでもジャンの喜びは大変なものだった。アメリカでの公開にあたっては自ら予告編に出演、家族写真のアルバムを開くところから始め、『大いなる幻影』のモデルが、彼が第一次大戦に航空兵として参戦したときに何度も命を救われた戦友であったことなどを語り、さらに「私のもっとも大切な友人たち」としてジャン・ギャバン、ピエール・フレネー、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムらの写真を紹介していく。ルノワール映画のなかで商業的にも最も成功した"公の"最高傑作は、実はジャンにとって最も個人的な映画でもあったのだ。

 第二次大戦の悪夢はさまざまな傷痕を残した。アメリカに逃れることができたために命が助かっただけでもジャンは幸運だったとはいえ、渡米第一作として映画化を企画していた『人間の大地』の原作者にして共同脚本家アントワーヌ・サン=テクジュペリなどの多くのかけがえのない友人や、親族を失った。しかもそのアメリカ亡命と、戦争が終わっても帰国しなかったせいで、戦後は自らのコントロールの効かないところで『大いなる幻影』をカットされただけでなく、未完だった『ピクニック』を不本意な形のまま勝手に公開されたりもした。

 それにフランスに残ったマルセル・カルネの『天井桟敷の人々』がいわば"国民映画"になった(筆者自身は相当な愚作だと思うが)のと較べ、ルノワールの評価の低下は著しかった。彼を支持したアンドレア・バザンやその弟子筋の若手批評家たち(後のヌーヴェルヴァーグ)ですら、ジャン自身がアメリカ時代でもっとも愛着のあった『この土地は私のもの This Land Is Mine』(1942)に関しては礼儀正しく無視するような姿勢を取った。ナチス占領下のヨーロッパを描いたこの映画でも、ジャンは『大いなる幻影』の精神を引き継いでドイツ軍人を悪役ながらも人間性を持った人々として描く一方、占領された人々の中にも事情によっては占領する側に協力した者が少なくなかったことを見せている。現代でこそそのジャンの見方が当時のフランスの現実とそう違っていなかったことが明らかになりつつあるが、占領を体験し、祖国を解放されたばかりのフランス人たちにとって、ジャンが見抜いていた人間の真実は、指摘されるのにも耐え難いものだったのだ。

 一方でジャンの方にしても、戦争中はナチスの非人道的な支配をかなり知っていたとはいえ、アウシュヴィッツなどのシステマティックな虐殺収容所の存在までは想像していなかっただろう。『大いなる幻影』の1959年再公開予告編で、ジャンは「あの戦争(第一次大戦)は今から見れば紳士の戦争でした」と言っている。

 以後40年近く、このときのヴァ-ジョンが『大いなる幻影』の完全版として広く流通していた。デュープネガ(もしかしたら16ミリだったのかも知れない)のため画質は著しく不鮮明で、タイトル部分も残っていなかったせいか――あるいは配給会社が変わったせいか――差し換えられていたし、もしかしたら幾つかの短いショットも欠けていたかもしれない。それでもジャンはこの映画に深い愛着を持ち続け、政治的なカットによってそのメッセージ(敵国の軍人であっても、人間は人間であり、理解しあうことは可能なはずだ)を歪められた形でなく残ったことに満足していたようだった。

 1970年代のこと、ジャンはカリフォルニア大学ロサンゼルス校映画学部の授業での『大いなる幻影』の上映に招かれたという。挨拶と映画の簡単な説明の後、ジャンは「私自身もこの映画を長らく見ていなかったので、今日はみなさんと一緒に見ることにします」と言って教室の最後列の席についた。映画がラストに近付き、ギャバンとダリオがスイスへの国境を超えようとするシーンで、突然教室の後方から激しい怒声が轟いた。脚が不自由(第一次大戦で搭乗機を撃墜されたときの怪我のせい) な老人とは思えぬ速さでスクリーンの前に駆け寄り、呆気にとられた学生達を前に、烈火のような怒りも露に熱弁を振るった。ギャバンの台詞の字幕はとんでもない誤りだ。彼はダリオに「あばよ、汚いユダ公」という。この字幕ではそれを訳していない。だがこの言葉がなければ、この映画には何の意味もない。それがジャンの主張だった。

 ジャンがハリウッドで亡くなって十数年が過ぎた90年代後半、突然ある奇跡的な出来ごとが起こった――ナチス占領軍に没収され、破壊されたと思われていた『大いなる幻影』のオリジナル・ネガが、ほぼ無傷の状態で発見されたのだ(その出所は詳らかではないが、もしかしてベルリン占領時に大量の映画フィルムを持って行ったソ連の戦利品?)。映画の権利を保有していたカナル・プリュス・インターナショナルではさっそくこれを基にマスターポジとインターネガを作成し、98年に再公開した。今回日本で上映される『大いなる幻影』も、この新しいバージョンである。

 映画の復元や完全版というと主に話題になるのは上映時間のこと、すなわち欠損していたシーンが元に戻っているかどうかだ。だが今回の『大いなる幻影』を見れば、それが単純化された一面的な理解に過ぎないことが分かる。映画などの写真映像は、ネガからポジ、ポジからネガへと複製を重ねる毎に画質が劣化する。粒子は荒れ、コントラストはきつくなり、細部のニュアンスは失われる。我々がこれまで見ることのできた『大いなる幻影』は、この細部の潰れた『大いなる幻影』の幻影のようなものでしかなかった。

 映画の映像が最も良質な画質で記録されるのは、撮影時にカメラの中にあったネガ・フィルムを繋いだオリジナル・ネガと、そこから起こされた第一ジェネレーションのオリジナル・ポジである。『大いなる幻影』の再公開プリントの場合、さすがに貴重な、それも1930年代の可燃性ベースで取り扱いが危険ですらある新発見のネガそのものから起こしたものではないにしても、今回上映される復元版は驚くほど鮮明だ。

 画面の鮮明さは単に見ていて心地よいだけでなく、ルノワールのように複雑な演出を好む映画作家の作品を理解する上では致命的な違いになる。スター映画でもある『大いなる幻影』では主に前景に主人公たちが映るが、その映画のなかの世界がルノワールの望んだ生き生きしたものであるためには、後景に映る脇役たちも同じくらい重要なのだ。アンドレ・バザンがルノワールを評価した理由のひとつは、彼が画面を横方向にも縦方向にも使いこなす自在で複雑な演出において傑出していたからだった(バザンはそこに自分のリアリズム思想の具現を見い出した)。とりわけ『大いなる幻影』でジャンはジュリアン・カレット、ガストン・モド、ジャン・ダステといったお気に入りの俳優たちをギャバンとピエール・フレネーの捕虜仲間として揃えることができた。彼らの素晴らしい、個性あふれる演技も、この版ではしっかり確認できる。

 またそうして複雑に組み合わされた演技の総体を映像化するための複雑なカメラ移動も、ピントを微妙に前後させていることまで含め、はっきり確認できる。これは映画作家ジャン・ルノワールの、本人ですらヌ-ヴェルヴァーグによって評価が高まった以降はほとんど口にしなかった一面に気付くことでもある――"自然で生き生きした演技"を何よりも重んじたとされる一般的理解に対し、本当のルノワールは技術的にも極めて計算された演出を駆使する監督であったのだ。

 『どん底』で出会ったルノワール映画の最も重要な芸術的協力者、ウジェーヌ・ルーリエ(亡命ロシア人であった彼は戦後もアメリカにずっと残り、ハリウッドで活躍した)の見事なセットも、やっとその全体像や、緻密に作り込まれたディテールに至るまでちゃんと見ることができるようになった。戦前の"詩的リアリズム"の流れに属するルノワールにとって、セット・デザインも俳優と同じくらい重要だ。捕虜収容所の部屋の壁に貼られた複製画(ほとんどが美女の絵)や、とりわけ山上の城を改造した収容所のシュトロハイム演ずる司令官の部屋の調度や小道具などもまた、その人物について多くを語っているのだ。シュトロハイムの部屋は、実は城の礼拝堂を改造したもので、だから高い天井のすぐ下には大きなキリストの磔刑像がある。これも今までの『大いなる幻影』ではほとんど気づかれることのなかった重要な部分だ。

 一方で今回の『大いなる幻影』にも欠陥がないわけではない。ほぼ無傷とはいえ、幾つかのシーンではキズやフィルムの劣化・欠損がある。とりわけピエール・フレネーとシュトロハイムが、例の礼拝堂を改造した部屋で、貴族階級の没落について語り合うシーンが、かなり傷んでいるのはとても残念だ。他にこのクオリティの映像素材がない以上、別素材で差し換えるわけにもいかなかったのだろうが、今回の復元はあくまで暫定的なものとして、たとえば今後の技術の発展によってはデジタルで修復されることなども期待したい。

 と同時に、我々は以下のことも肝に銘じなければならない。映画はとても繊細でもろいメディアだ。新作映画でも、いつまでその本来の姿で見られるかは誰にも分からない。だが正しく保存され、あるいは復元されれば、"古い"映画でもその美しさを保ち続けることはできる。よく日本の映画館で古典映画がかかるときに出る「この映画は製作されて長い年月が云々」というテロップは、まったくの嘘っぱちである。ただそのフィルムが正しい扱いを受けていなかったり、たまたまそのプリントが複製を重ねた、ジェネレーションの低い、劣悪なものであるだけなのだ。

 ジャンが1959年に"紳士の戦争"と形容した第一次大戦と較べて、今では戦争までもが電子化され、ヴァーチャル化された、まったく違ったものになっている。敵と味方とはいえ人間同士が向かい合うものではなくなってしまった戦場では、お互いに良心の痛みすらほとんど感じることなく、凄まじい残虐な暴力が人々の命を奪っていく。だがだからこそ、ジャンの描いた、彼自らの個人的な体験に基づくこの戦争の記憶の持つ意味は大きいのではないか? 59年の予告編を、ジャンはこう締めくくっている。

  「これはあなたや私のような普通の人間が、戦争という悲劇に囚われたことについての物語です」