
「AA-音楽批評家・間章-」撮影日誌 Vol.3
ユーロスペース・映画美学校製作
青山真治監督作品 「AA-音楽批評家・間章-」撮影日誌
Vol.3 2002 April
Text by 製作スタッフ
2002.4.13(土)
『時代の未明より来たるべきものへ』という本がある。間章の著書としては、一番最初に出版されたもので1982年、間章が他界して4年後にイザラ書房より初版が出版された。『ジャズの死滅へ向けて』という一連のシリーズ(雑誌『JAZZ』で1975年~1978年まで連載され、後に雑誌『morgue』で終了)がこの本の中で核となっているのであるが、このシリーズは間違いなく間章の批評活動の中で一番重要な仕事と位置づけられる。その『ジャズの死滅へ向けて』の中で間章は、ルドルフ・シュタイナーを選び取ることを宣言する。付け加えるならば、ルドルフ・シュタイナーとデレク・ベイリーを。私にはこの『ジャズの死滅へ向けて』は、初めからルドルフ・シュタイナーというポイントを持ち、それに向かい、選び取る過程を描き、その過程からデレク・ベイリーというミュージシャンを選び取る、間章の告白と読めた。ルドルフ・シュタイナーは19世紀後半から20世紀前半に活躍したドイツの神秘主義者である。もともとは、数学者であり、ゲーテ研究、ニーチェ研究、また、人智学協会の設立者であり、教育、思想、芸術面でも後世に大きな影響を与えている。
高橋巌氏は現在、日本人智学協会の代表でシュタイナー研究者として様々な活動をなされている方である。また、『時代の未明より来たるべきものへ』のあとがきや、タンジェリン・ドリームのライナーで対談するなど間章との交流も深かった。氏には是非、なぜ間章はルドルフ・シュタイナーを選び取ったのかという問題に答を頂きたく、またそれを核にして、インタビューをおこなった。
三鷹市芸術文化センター会議室でインタビューはおこなわれた。その部屋は3面大きなガラスで囲まれた自然光がたっぷり入った明るい空間であった。毎回、大まかなセットアップをスタッフが済ませ、細かい微調整を監督と打ち合わせるのであるが、その日青山真治が切り取ったフレームの中では、背景の窓から見える木々のグリーンがデジタル特有の色味で揺らいでいるのが印象的であった。高橋氏は真っ黒いニット地の上着を着てインタビューを受けた。
氏の言葉を借りれば、氏が間章から学んだことは、霊的であるということの態度についてであったという。それは、命がけになるという態度であったらしい。霊的という言葉自体はシュタイナー研究者特有の言い方なのだろうか。高橋氏が間章と接して最も痛切に感じたのが、命がけで何ものかに向かっているという印象であったようだ。ここでいう、何ものかとはシュタイナーであったり、間章の書く批評などを指していたのであろうが、これは極端なものの言い方に聞こえた。命がけという表現をなぜ高橋氏は使ったのか、そこをもう少し具体的な理由としてお聞きした。氏は、間章の知人から伝え聞いたというエピソードとして間章が新潟の海である女性を助けたという話をした。その女性と共に自らドラッグを体験した、という話であった。そのことを高橋氏は、普通はそうは出来ない、目の前にいる人やものにすっと入っていってしまえると語った。その態度が命がけと彼に言わしめたのだろう。間のライナーノーツに関しても、自分を守らないさらけだしている文章に感じていると言っていた。その時の高橋氏の表情は、今まで穏やかに話していた様子とは違い何か切実なものをはらんでいて、質問しているこちら側が圧倒されてしまう迫力があった。但し、そこで疑問になってくるのは、なぜそうまでして命がけであらんねばならなかったのかということである。それは、間章の中の何ものかに対する欠乏感が存在してその重力が彼を命がけにならしめたのであろうが、その欠乏感とは何だったのであろうか。『ジャズの死滅へ向けて』は『廃墟論』という章から始まるのであるが、間章が使う「廃墟」という言葉を高橋氏は「自分の中に無をかかえる」ということを前提に個人が生きてゆくものであると解釈したと言っていた。間章の欠乏感の根幹は、恐らくどれほど取材しても見えてこないかもしれないと私は思った。ただ、そこには廃墟という空洞が明らかに存在していたであろうことは高橋氏の話を聞いて、以前よりはより生なましく感じ取れた。
なぜ間章はシュタイナーを選び取ったのかという最終的な問いに対して高橋氏は恐らくと断って、直感ではなかったのでしょうかと答えた。それを聞いて、私は間章はやはりルドルフ・シュタイナーに共鳴したのだなと感じた。間章はルドルフ・シュタイナーを知る前からシュタイナーの理念に近しいものを自身の中で形ずくっていて、シュタイナーの理念に触れた瞬間急速なスピードで振れていったのではないかと想像した。
間章は高橋氏に10年待ってください、10年経ったら一緒にやりましょうという手紙を書いたらしいのだが、もし間章が1978年に他界せずにいたら一体、高橋巌氏と何をやっていたのであろうか。
井土紀州監督の『百年の絶唱』の中で『時代の未明より来たるべきものへ』が一瞬映るのであるが、家主のいない木造アパートの散乱した一室の中の間章本、または主役の平山が自室で「時代の未明より来たるべきものへ」と連呼するあのシーンに対して、我々が間章を通して映像を記す時にどのようなものを提起できるかというのがこれからの課題になりそうである。
(助監督 大田和志)
2002.4.23(火)
「ある朝、今日もコンサートがあるんだと思いながら紅茶を飲んでたら、あ、これが即興だと気付いたわけ」
本日のインタビュイーである近藤等則氏はそう言った。
つまり、即興演奏とは自己の内的自由を追求することで、それならばステージ上で紅茶を飲んでいても構わないということになる。しかし、当然のことながら、それでは聴衆は満足しない。即興演奏とは究極的には「他者」の存在を前提としないものであるということを、この時に気付くと共に、自分の目の前の聴衆の存在に気付いた。それまで演奏を自分自身のために使っていたけれど、今度は聴衆が使える演奏をやろうかと思った。そう思った時、インプロヴィゼイションとコンポジションが両方いっぺんに見えるようになった……。
近藤氏が即興音楽と作曲音楽との関係について語ってくれたことは大体このようなことだったと思う。しかし、この「気付き」はジョン・ケージを引き合いに出すまでもなく、いかにも初歩的で自明なことなのだろうか? あるいは、硬派な即興音楽信奉者ならば、単なる「転向」として済ませる話なのかもしれない。だが、事はそう単純ではないだろう。
著名なトランペッターである近藤氏の活動についての説明はここでは避けるが、氏がフリー・ジャズに熱狂するにはやや遅く、かといってエレクトロニクスに飛びつくには早すぎる、ちょうどジャズの過渡期だった70年代の中頃に登場したミュージシャンであることは確認しておきたい。そこではフリー・ジャズという「形式」の形骸化を始めとして、様々な葛藤や模索があったはずである。
それらを経て、80年頃に冒頭に記した「気付き」に至ったという。
ところで、近藤氏の背後には常にある固有名が付きまとっていたはずであると我々は予測していた。その固有名とはマイルス・デイヴィス、とりわけ「エレクトリック・マイルス」と呼ばれる時期のことだが、それに関しては、近藤氏は多くを語ってくれなかった。訳あってコンサートにも一度も行った事がないという…。
全ての質問に対して近藤氏は真摯に答えてくれた。それに加えて氏はユーモアの人であり、冗談をふんだんに交えた語り口のおかげで、撮影現場である氏のスタジオはしばしば笑いに包まれた。休憩中には勝新太郎とヘンリー・カイザーは仲良しで、銀座でよく一緒に飲んでいた、というエピソード紹介してくれる近藤氏。「じゃあ、ジョン・ゾーンの日本映画好きはヘンリー・カイザーの影響なんですかね」と聞く監督。「いや、あいつら二人は仲が悪かった」と近藤氏。すると監督が「ジョン・ゾーンが日活でヘンリー・カイザーが大映ってところですかね」と返す、不毛かつ興味深いやりとり。個人的にはジョン・ゾーンは松竹だと思うのだが…。まあ、そんなことはどうでもいい。
インタビューの終わり近くで、「70年代に自分たちがやろうとしていたことは自主活動です」と近藤氏は言った。「自主活動」という言葉の意味をあれこれ考えながら、スタジオを後にし、次の現場へ向かった。
(資料 原田健太郎)
2002.4.30(火)
今日は大友良英氏の撮影。ロケ場所の大友さんの家まで、井の頭公園駅から青山監督とスタッフ数名で歩いて行く。ゴダールの話などをしながら進んでいくと、突然、そういえばこの辺に石橋凌さんの家がある、と青山さんが言い出す。そうこうしているうちに現場に到着。セッティングをしているとインタビュアーの大里さんも到着し、撮影がスタートする。機材が所狭しと並ぶ大友さんのスタジオ兼自室に、大友さんと大里さんが入るともうスペースがないので、青山さんと質問作成者の私は部屋の入り口付近の床にあぐらをかいて並び、廊下から狙っているキャメラの周りをさらにスタッフが囲んで座る。助監督が入る隙間がないので、青山さんみずからカチンコを打つ。さすがに助監督歴が長かったせいか上手に打つなあ、などと妙な感心をしつつ、横目で青山さんを見やると、大友さんと大里さんの間にある机の下という妙な位置に置かれたモニターをじっと見つめている。質問はプロフィール的なことから始まり徐々に本質的な話題に移っていく。一応、質問を作成する手前、いろいろなインタビューを事前に読んだが、ここまで、大友さんが自己を語ってくれたものはないのではないだろうか。
それはもちろん、頭でっかちなこちらの質問案をしなやかな言葉に翻訳してくれた大里さんのおかげである。対する大友さんも明晰な言葉で答えていく。高柳昌行、阿部薫、ジョン・ゾーン、デレク・ベイリーへの敬意のこもった分析と、自分の創作活動に彼らから受けた恩恵など。特に高校時代に入り浸っていたジャズ喫茶で阿部薫と接したときのエピソード、さらに「音響」的な視点から語られた斬新な阿部薫論はかなり興味深かった。途中、バイクに乗った郵便配達のおじさんがガシャンと大きな音を立ててポストに郵便を入れたりしたのだが、青山さんはかまわずそのまま撮影を続けさせたりしたのも、例えば、フィリップ・ガレルの『孤高』のセッションの時に客席のきしむ音をも、自分の音楽の一部として取り入れてしまうこの音楽家にふさわしい振る舞いだったのだろう。とても充実した撮影だった。
(資料 葛生賢)