
『セリーヌ・アンソロジー』
『セリーヌ・アンソロジー』をめぐる覚え書き 彦江智弘
ここに『セリーヌ・アンソロジー』(以下『アンソロジー』)と題された一組のCDがあり、私たちはこれからそこに収録された音響資料に耳を傾けようとしているのだが、作家自身の声にふれるとはいったいどんな経験なのだろう。あるいは何が私たちを作家の声へと向かわせるのだろうか。そこには作者のパーソナリティの片鱗を垣間見たいという心理が抗いがたく働いているのかもしれない。また、テクストに木霊する声が作家自身に引き受けられ、テクストの外側でその声がこちらの耳に実際に語りかけてくるのを人は期待するのかもしれない。あるいは、私たちの読書を導くプロンプターを作家自身の声のうちに求めることもできるだろう。またあるいは、作家の声がテクストの隠された真実を明かすのを待ち受けるのかもしれない。
しかし私たちがテクストから出発して作家自身の声へと遡らなければならない理由などどこにもないはずだ。私たちはテクストから発して何か別のものにたどり着くこともできるし、テクスト自体がそれを望むことさえあるだろう。例えば、何らかの形でテクストと関わる人物たちの声にたどり着いてもいいはずだ(モデル、証人……)。あるいは逆に、テクストがその外延を辿りながらも決してその声を響かせなかった人々や出来事を召還し、その声ないしはその沈黙にあえて耳を傾けることもできるだろう(これはセリーヌの晩年の作品について言える)。さらには、テクストと必ずしも接点を持たない声の方へと、あるいは未だ場を持たない声へ向けてテクストから彷徨い出ていくことも私たちにはできるはずだ(そもそも読者とテクストの関係がそのようなものかもしれない)。
それでもセリーヌのような作家が問題となるとき、作家その人の声に耳を傾けるのは興味深い経験かもしれない。ましてや、作家が歌うシャンソンまで残されているとすればなおさらである。もちろんそれはセリーヌが口語あるいは「話し言葉」に全面的に依拠する文体を創案し、その音楽性をとことん重視した作家だからだ。したがって、場合によって私たちは作家の声の抑揚やリズムのうちに彼の文体にアプローチするための鍵を求めることもできるだろう(そういう研究はすでに存在する)。また、作品の朗読を聞きながら、話し言葉で書かれた作品が実際に声に出して読まれることである完成をみる、あるいはその潜在的な力が解き放なたれると考えることもできるだろう。
実際、これは『アンソロジー』の解説の中で監修者であるポール・シャンブリヨンが自身の経験として報告するものである。また、CDケースの裏側に掲載されているコメントに従えば、テオフィール・ブリアンもまたミッシェル・シモンによる『夜の果ての旅』の朗読のうちに同じような積極的効果を認めている。(ブリアンはブルターニューの文学者でセリーヌの友人。セリーヌにおける北方的想像力の由来を知る上では重要な位置を占めている。)
またセリーヌのシャンソン──「歌」と言うよりも「シャンソン」とする方がより正確だろう──にしても、作家自身が自らの文体について 「"感情的表現"は叙情的だ」(『Y教授との対話』)と言い、その叙情の発露をシャンソンに見ていることを考えれば、やはり無関心ではいられないだろう。
悲嘆するようなことなんか何一つ起こりゃせんよ、大佐! 何だって話し合おうじゃないか! 手当たりしだいに…… そうは思わない? ざっくばらんなインタヴーヴーだろ! そうさ! ざっくばらんなね…… ちっぽけな公園で愛と恋の歌について話し合うのはどうかと持ちかけていたんだっけ? どうだねわたしにひとつ歌ってもらいたくはないかね? 民衆の叙情の実例を?…… わたしは歌で生計を立てたことがあるんだ! この我が輩は! (『Y教授との対話』)
しかしどうしてY教授(=「大佐」)はセリーヌが歌おうという「民衆の叙情」を前にして、ためらい、怖じ気づいてしまうのだろうか。また『アンソロジー』にはセリーヌが愛好したという30年代のシャンソンが収められているが、作家その人の手になる暗く攻撃的なシャンソンに比べるといかにも牧歌的な「去り行くはしけ」という曲も、セリーヌのシャンソンと並べて聞くといささか趣が変わってきはしないだろうか。ことはセリーヌ自身のシャンソンにとどまらず、同様のことが広い意味でのシャンソン全体にも関わってくる。なぜならセリーヌがリリスム=叙情について次のように語ることがあるからだ。
この国民に信頼を、リズムを、音楽を取り戻させてやること、ユダヤ人どものピーチクパーチクから彼らを救い出すリリスムを。神を! いずこより来たらん! 魂を! 肉体は後から着いてくる! 肉体に意見を求めたりはせんよ。こいつはやるかやらぬか、どっちかにひとつなんだ。(『死体派』)
[ラビの]ミスター・モンテーニュはこれっぽちも叙情的じゃないんだが、こいつはわたしから見れば大犯罪なわけで、彼はたちの悪いタルムードを、ぶあつい「完全ユダヤ生活」教本をでっち上げ、なまるくて、しぼんじまって頭もふらふら、その臭いこと、もっともらしくああだこうだとくだくだと…… おぞましい!…… (『苦境』)
もちろん、セリーヌのシャンソン「A noeud coulant つるしちまえ」と「Reglement 果たし合い」は、先の引用にあるような「恋の歌」でもなければ、また必ずしもユダヤ人迫害を(直接)歌っているわけでもない(後者については、セリーヌは「階級の歌」と言っている)。しかし問題は必ずしもシャンソンの内容そのものにはないのだ。これは『アンソロジー』所収のインタヴューにも見られることだが、ちょうど戦後のセリーヌが自作を語るときに執拗に強調したように、さしあたり──あくまでもさしあたり──重要なのはメッセージよりもむしろスタイル(文体)、つまり「リズムや音楽」の方である(セリーヌが『またの日の夢物語』に「果たし合い」の楽譜を引用していることをここで思い起こしてもいい)。もちろんだからといってすべてのシャンソンがただちに反ユダヤ主義と結ばれるわけではない。しかしここで問われなければならないのは、シャンソンというスタイルに固有の叙情性が民衆=民族=国民の心性と重なり合うとき、この「フランスの大衆歌謡」(岩波国語辞典)が私たちを最悪の政治的空間へと引きずり込むことがあるということだ。
したがって『アンソロジー』に収められたセリーヌの歌声、いや、そればばかりでなく彼の作品の朗読や彼自身の声を聞くとは、いつ地滑りを起こすとも限らないある危険な地帯に接近することでもある。そしてこのことを本CDに収録されたセリーヌの声は語らない(もっとも『アンソロジー』の解説に掲載されたジャン・ドルメソンの一文がセリーヌの反ユダヤ主義そのものにはふれている。ちなみに、ドルメソンはオットー・アベーツ宅でセリーヌがヒトラーの物まねをしてみせたとしているが、伝記によれば、セリーヌは確かにヒトラーもユダヤ人に買収されていると言いはしたが、物まねをしたのは同席した友人で画家のジャン・ポール)。
もちろん私たちは何も知らずに、あるいは何も知らされずにセリーヌの「歌=声」を聞き、それはそれとして済ませることもできるかもしれない。しかしそうでなければ、私たちの立場はセイレーンの歌を前にしたユリシーズのそれに似てくるだろう。それではこの危険な海を私たちはどうやって渡りきるのだろうか。もちろんセリーヌの伝記ないし作品の背景を知るということがある。しかしここではあえて、セリーヌの作品をめぐるパラドックスのうちに身を投じることである、と答えてみたい。私は先ほど、朗読されることでセリーヌのエクリチュールの潜在的な力が解放されるかもしれないと書いた。セリーヌがいわゆる話し言葉の文体を駆使していると主張する以上、このような考え方はむしろ自然なものだろう。しかしセリーヌ自身はそうは考えなかった。
──お分かりかな、大佐、わたしの小説はどれをとっても、声に出して読まれたところで別に得るところなんかない!…… おお、とんでもない! そんなことしたら魔法がみんな失せちまう! わたしの小説はソファーに座ってしごく静かに読まれるために書かれている…… これなら魔法も作用するというわけさ! (『Y教授との対話』異稿)
つまりセリーヌ自身は彼の作品が声に出されて読まれることを望まなかった。あるいは少なくともそのようなものとして書きはしなかった。セリーヌにとって小説とはあくまでも読まれるものなのだ。
また彼のシャンソンについても偶然めいてはいるが似たようなパラドックスが存在している。これは解説でシャンブリヨンが明かしていることでもあるのだが、セリーヌのシャンソンはたまたま録音されたものにすぎない。アルレッティによる朗読を録音した際に、シャンブリヨンがセリーヌにシャンソンは書いたことはないのかと何気なく水を向けたところ、セリーヌが自作のシャンソンが2曲あると答え、その場で無伴奏で歌ったものが録音されたのである(アコーデオンの伴奏はオーバーダビング)。ところが実はセリーヌがこの二つのシャンソンを作曲したのは30年代半ばで、著作権事務所に登録までしたものの、これまで公式に歌われることはなかったのだ(セリーヌは友人の歌手に働きかけてはいる)。
こうしてセリーヌのシャンソンは30年近く歌われなかったのだが、その間まったく隠されていたわけではない。なぜならセリーヌは自作のシャンソンのひとつ「果たし合い」を自作に引用しているからだ(『メア・クルパ』『またの日の夢物語』)。つまりセリーヌのシャンソンもまた声に出して歌われずに「しごく静かに読まれ」てきたというわけだ。あるいはこういってよければこのシャンソンはセリーヌ自身によってサンプリングされていると言ってもいいだろう。確かに、実際の引用を見る限り、曲の一部が切り離され数度にわたって反復されることもしばしばである(もちろんそこでは歌詞も重要になってくるのだが、その音楽性が捨象されているわけではない。『またの日の夢物語』における楽譜の引用をここで再び思い起こしておきたい)。こうしてセリーヌのシャンソンは作曲者の声から切り離されるだけでなく、自作のコンテクストからも引き離され、エクリチュールという意味作用の無限の揺らぎの中にとらえられることになる。
しかしだからといってセリーヌのシャンソン、あるいはセリーヌの音楽の政治性がそこで中和されるというわけではない。むしろ事態は逆で、それはより緊密な音楽の政治の場に参入することになる。実際、セリーヌについてバフチンを参照しながら声の複数性ということが言われるが、同様のことはセリーヌの作品における音楽についても言える。なにも引用されるのはセリーヌ自身のシャンソンばかりではないのだ。当時のシャンソンも多く引用され、他にも第二帝政期に遡るオペレッタ、ジャズ、童歌、イギリスの流行歌、軍歌、アフリカのタムタム等々が言及され、場合によってはその断片がテクストにちりばめられていく。(この限りにおいて、セリーヌの声だけでなく歌声も聞かせる『アンソロジー』は貴重な原資料を提供していることになる)。
もちろんこれらの音楽がセリーヌのエクリチュールにおいて必ずしも整合した関係を保っているわけではなく、そこには亀裂が走ることもしばしばである。またその亀裂においてそれぞれの音楽の政治性が定められた方位から微妙にそれていくことさえあるだろう。よい方向にせよ、悪い方向にせよ、である。もちろんセリーヌ自身の音楽もこの磁場にとらえられていく。例えば、一方で「ニグロ・ユダヤ・サクソン音楽」(『夜の果ての旅』)としてジャズを退けながら、どうしてポール・モランに「フランス語をジャズ化した」功績を認め、彼を自分の師のひとりと名指すのか(47年6月11日付けヒンダス宛て書簡)。
あえて強調しておくが、逆にセリーヌのエクリチュールが生み出す音楽の政治学の磁場がセリーヌの音楽をさらに偏狭な排外的ナショナリズムの方に引きずっていくこともあるだろう。しかしこれこそが、『アンソロジー』に収められた音響資料から出発しながらも、私たちが一度は経なけれなならない試練である。つまり、結局は政治的悪の方に雪崩をうって滑り落ちることがあるとしても、作家その人の声に塗り込められた一枚岩の空間から多声的でパラドクシカルでさえある空間に一度は身を置くことが。そしてセリーヌにおいてもこのような浮遊的な空間こそがテクストと呼ばれなければならないのだ。
*引用はすべて拙訳。なお便宜上、原文表記におけるアクセント記号は削除した。
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(YTT, YTT009-1 原盤はANTHOLOGIE CELINE 1894-1961, FREMEAUX ET ASSOCIES, FA 187)
『セリーヌ・アンソロジー』は、わたしの知る限り、これまでに発売されたセリーヌ関係の音響資料を集めたレコードないしCDの中で最も網羅的な内容を誇っている。これまで別途に収録されていた12本の音源が2枚組のヴォリュームに纏められ、しかもなかには未発表の資料も含まれている。
内容は次のような三種類の資料から構成されている。まずセリーヌの作品の朗読。ジャン・ルノワールの諸作でおなじみのミッシェル・シモンによる『夜の果ての旅』の冒頭部の朗読(ちなみにセリーヌは反ユダヤ主義文書『皆殺しのための戯言』でルノワールの『大いなる幻影』を激しく誹謗している)。そして『天井桟敷の人々』で知られる女優のアルレッティによる『なしくずしの死』からとられた三つの抜粋の朗読。やはり俳優のピエール・ブラッスールによる『夜の果ての旅』の一節の朗読。また、ミッシェル・シモンとアルレッティはセリーヌの知己でもある。
つぎにセリーヌのインタヴューないし発言。以下の4編が収録されている。「セリーヌは語る」(1954年)、「アルベール・ズビンデンによるインタヴュー」(1957年)、「ルイ・ポーウェルスによるインタヴュー」(1959年)、「未発表インタヴュー」(CD付属の解説には年代等が示されてないが、内容からしておそらく1954年のもの)。ちなみに「セリーヌは語る」(1954年)と「アルベール・ズビンデンによるインタヴュー」(1957年)は日本語訳が存在するはずで、前者は『現代詩手帖』のセリーヌ特集号に、後者は『ユリイカ』のセリーヌ特集号(1994年)にそれぞれ掲載されている(『現代詩手帖』の特集が何年のものだったかはとりあえず不明)。
そして3番目の資料はシャンソンで、2曲がセリーヌの自作自演で、残る1曲はセリーヌが愛好したという「去り行くはしけ」なる30年代前半にヒットしたシャンソン。セリーヌによる2編のシャンソン"A noeud coulant"と"Reglement"の作曲者は公式にはジャン・ノセティとなっているが、実際にはセリーヌの作曲。セリーヌが作曲者として自作を登録する資格を持っていなかったため、友人のヴァイオリニストで作曲家のノセティの名義を借りるかたちとなった(採譜を行ったのもノセティ)。
なお収録資料のタイトルは基本的にCDに付された日本語解説に従った。ただし、"A noeud coulant"は「輪差」と訳されているが、"noeud coulant"とは縛り首にする際の紐の結び方。従って"A noeud coulant"は正確には「吊しちまえ」ぐらいの意味になる。また"Reglement"には「精算」という訳が与えられているが、「果たし合い」とするほうがより内容に即しているだろう。セリーヌ自身このシャンソンを「階級の歌」と呼んでいるが(『またの日のお伽話』)、つまり階級間の「果たし合い」というわけである。
また、付属の仏語ブックレットには、このCDを監修したポール・シャンブリヨンによる解説(50年代に本CD収録の朗読やシャンソンを録音したときの模様が主に紹介されている)、やはりシャンブリヨンによる当時のセリーヌの様子を伝えるエピソードの紹介、セリーヌ語録、ズビンデンによるセリーヌ訪問記、アカデミー・フランセーズのジャン・ドルメソンのエッセーが収められている。
(彦江智弘)