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52年 8月22日
トルコの首都アンカラで生まれる。本名:ジョン・グレアム・メラー 外交官の父について、幼少期をトルコで2年、エジプトのカイロで2年、メキシコで2年、その後ドイツのボンで過ごした後、9歳で英国ヨークシャーの全寮制の学校に入れられる。この後、親に会うのは年に一度ほど。この間の生活について、本人は、「8年間、刑務所に入れられたようなもの」と語っている。
64年
ローリング・ストーンズのシングル「ノット・フェイド・アウェイ」(バディ・ホリーのカヴァー)を聞き、衝撃を受ける。以後、ビートルズ、フー、ジミヘンなどなど、次々にリリースされる刺激的なロックを浴びるように聴く
70年
1歳上の右翼(ナショナルフロント)だった兄が自殺(71年という説もある) セントラル・スクール・オブ・アートに入学するも中途退学
71年
タイモン・ドッグと出会う 二人でロンドンの地下鉄構内でバスキングしたり、ポーランド、ベルギー、フランスなどヨーロッパの通りで演奏する。後にタイモンはヴァイオリンで警官に暴行を働いた罪で逮捕される
70年代前半
移民女性の国籍取得のため「偽装結婚」し、その報酬として100ポンド得る。そのお金でフェンダー・テレキャスターを買う
その女性とはすぐに音信不通となるが、フェンダー・テレキャスターは永遠の伴侶となる
74年
・ロンドン北西部ウォルタートンテラス101番地を不法占拠 不法占拠地区にはパンクスとジャマイカンが集まり、そこで音楽の融合が行われ、クラッシュ、ジョーの音楽のベースが作られていく。「俺達みたいな白人小僧にとって、ジャマイカン・コミュニティは強烈な手本だった」とジョーは語っている。
・ 5月 R&Bバンド、「101-ers」を結成
75年頃
ジョー・ストラマーと名乗るようになる この時期のジョーの姿勢を、後にクラッシュのロードマネージャーになるジョニー・グリーンは、家族や社会から自分を切り離し、真に独立して生きることを目指す姿勢ととらえている。名前を変えたのもそのためだと。「彼は束縛を断って“ジョー・ストラマー”になったんだよ」
76年
・バンドマネージャー、バーニー・ローズに、自分たちのバンド(ミック・ジョーンズ、ポール・シムノン、キース・レヴィン、テリー・チャイムズ)のヴォーカルをしないか、と誘われる
・4月 ロンドンのクラブでセックス・ピストルズのライブを目の当たりにし衝撃を受けるが、他の101ersのメンバーはそれが理解できず。ジョーが101-ersを離れる要因のひとつとなる。
・その後「101-ers」を辞め、ミックたちに合流。クラッシュを結成する
・デイヴィス通りのスクワットにて、ジョー・ストラマー初のリハーサル。 ラモーンズのファースト・アルバムを皆で聴き、コピーする。
・キース・レヴィン脱退 レヴィンはシド・ヴィシャスらとフラワーズ・オブ・ロマンスを結成。
・7月4日 ブラック・スワン・シェフィールドにて最初のギグ ポールが緊張してベースをとちる。
・8月29日 ピストルズの前座
翌日の新聞(NME)のチャールズ・シャー・マレーの批評に「クラッシュは最低のガレージ・バンド。このままモーターの煙が充満した車庫へ戻るべきだ」と書かれていたのを読み、「ガレージランド」を作る。
・8月 ノッティングヒル・カーニバル(ジャマイカ出身の黒人たちが始めたカーニバル)/警官隊との衝突があり、そこに居合わせる。その経験から「白い暴動」を作る
・9月20日 ロンドンの「100クラブ」で行われたパンク・ロック・フェスティバルに出演
他にセックス・ピストルズ、ダムド、スージー&ザ・バンシーズらが参加
・11月 ポリドール・スタジオで、最初のデモ・テープを作る メンバーは不満
・12月 セックス・ピストルズ“アナーキー・イン・ザ・UKツアー” (セックス・ピストルズ、ハートブレイカーズ、ダムド)にサポートバンドとして参加
各地でパンク・ロックへの反発が起こり、ステージのキャンセルが相次ぐ。30回の予定が残ったのは9回
77年
・1月1日 ロキシーのオープニングを飾る
DJはドン・レッツ。以後このクラブが、ラスタとパンクとの交流の場となる
・1月25日 CBSと契約 契約金10万ポンド。しかし、レコード10枚の契約だった。この契約金やメジャーのレコード会社と契約したということで、クラッシュは言動不一致だと大いに批判される
・3月 デビュー・シングル「白い暴動/1977」発売 ザ・ストゥージズ「ロウ・パワー」が録音されたのと同じスタジオ(CBSスタジオ)にてレコーディング
・ 4月8日 デビュー・アルバム『白い暴動 THE CLASH』発売
プロデューサーはツアーでPAを担当していたミッキー・フット、もちろんフットにとっても初プロデュース作品
・4月 トッパー・ヒードン正式参加 200人以上のオーディションを経て選ばれる
・5月7日 フィンズビュリー・パーク・レインボーでライブ
クラッシュとジャムで企画。ジョー曰く「パンクが業界の古臭いしきたりに勝った運命的な夜」
・5月 ホテルの枕9個を盗んだことと、公共の壁へ落書きしたことにより逮捕
78年
・ポールとトッパーが屋上で、空気銃でレース用のハトを撃ったため逮捕
・6月 英国で“クラッシュ仮出獄ツアー”展開 ・春 「反ナチ・コンサート」にトム・ロビンソン、シャム69らと参加
クラッシュが主催者であるかのように宣伝される。不満の残るコンサート。
・10月 クラッシュとバーニー・ローズ決裂 ジョーはバーニー・ローズの解雇に最後まで反対。その後、当時ポールの恋人でもあった、ロック・ライターのキャロライン・クーンがマネージメントを引きつぐ
・クラッシュのギグで後にポーグスを結成するシェーン・マゴウワンが大暴れ。新聞ネタになる
・11月10日 セカンド・アルバム『動乱(獣を野に放て)GIVE'EM ENOUGH ROPE』発売
契約のため、レコード会社に急かされて、ミックとジャマイカで10日ほど合宿して曲を作る。だがジャマイカの影響は、「セイフ・ヨーロピアン・ホーム」を除いてあのレコードにはまったくなかったと、ジョーは語っている。メンバーの中では最もレゲエに親しんでいたポール・シムノンはジャマイカに同行できず、その不満を抱えてロシア旅行へ。そこで、後のクラッシュのシンボルともなる星のマークを見つける。
79年
・アメリカで「パールハーバー'79」をリリース。“第2次真珠湾ツアー”をアメリカで敢行
・12月7日 アメリカ時間での真珠湾攻撃の日、サード・アルバム『ロンドン・コーリング LONDON
CALLING』発売
2枚組にも関わらず、英国では1枚分の値段で売る。「キッズのためにアルバムを出したいし、それには高い値段をつけたくない」という意図による。
後に米「ローリング・ストーン」誌で“80年代の最も重要なアルバム”に選ばれる。
80年
・映画『ルード・ボーイ』製作
メンバーは製作にまったくタッチせず、不満の残る出来。ギャラもひとりにつき、たった100ドルだったらしい
・ 1月 “16トン・ツアー”を英国で展開
・ 12月12日 4枚目のアルバム『サンディニスタ!SANDINISTA!』発売
3週間ほどのレコーディングで、3枚組。セルフ・プロデュース。
81年
・5月 ニューヨークのボンズにて16回連続公演
・78年に一度解雇したバーナード・ローズをもう一度マネージャーに迎え入れる
82年
・1月 極東ツアー クラッシュ来日公演
・トッパー・ヒードンのヘロイン中毒がひどくなり、バンド内の亀裂が修復不能に
・4月〜 5月 “ノウ・ユア・ライツ・ツアー”の直前、ジョー失踪
トッパー・ヒードン脱退、スコットランド・ツアーをキャンセルするため(チケットが売れなかったこと、それから、バンド内の分裂による演奏不能)、ジョーがフランスに逃亡
ジョーの帰国後、トッパー・ヒードンが正式に解雇される
・5月14日 5枚目のアルバム『コンバット・ロック COMBAT ROCK』を発表 トッパーが作った「ロック・ザ・カスバ」、ミックが作った「ステイ・オア・ゴー」がシングルカットされ、ヒットした。
・10月9日 最後のテレビ出演「サタデー・ナイト・ライブ」
モヒカンになったジョー、「ストレート・トゥ・ヘル」を演奏
83年
・マーティン・スコセッシ監督『キング・オブ・コメディ』にチョイ役で出演
・自ら監督・脚本を担当し、仲間を集めてモノクロ・サイレント映画「Hell W10」(約50分?)を制作
・4月28日 ミック・ジョーンズ在籍最後のショー「USフェスティバル」
20万人くらいのライヴ
・8月 ミック、クラッシュから脱退
ミックとの間に真のパートナーシップがなくなったのは、ファースト・アルバムとセカンド・アルバムの間だったとジョーは回顧している
84年
・初めての子が誕生。父親が亡くなる
・新メンバーを加入させ、5人組としてクラッシュの活動を続行
新メンバーはニック・シェパード(g)、ヴィンス・ホワイト(g)、ピート・ハワード(ds)
85年 11月4日
「カット・ザ・クラップ CUT THE CLAP」を発表
バーニー・ローズがプロデュースにクレジット、ミキシングも手がけた。後にジョーは「俺の生涯で最大の汚点」と語る
86年
・2月 クラッシュ解散
バンドはメンバー間の化学反応によって成立するとジョーは語っている。その化学反応がなくなったとき、それはもうバンドではなく、その後、いくらそこに修正を加えても同じことなのだと
・ディック・ルードも出演するアレックス・コックス監督の映画『シド&ナンシー』に主題歌"ラヴ・キルズ"を提供
87年
・アレックス・コックス監督『ストレート・トゥ・ヘル』に曲提供。役者として出演も
・映画『キャンディ・マウンテン』に出演
・アレックス・コックス監督『ウォーカー』で本格的にサントラを全曲担当
88年
映画『パーマネント・レコード』(キアヌ・リーヴス主演)で音楽監督担当 「ザ・ラティーノ・ロカビリー・ウォー」というバンドを結成し曲を提供
89年
・ジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』に役者として出演
・10月 初のソロ名義アルバム『アースクウェイク・ウェザー』発表
・ジョー・ストラマー&ザ・ラティーノ・ロカビリー・ウォーでワールド・ツアー
90年
・アキ・カウリスマキ監督『コントラクト・キラー』にパブで歌うシンガー役で出演、2曲提供
・ポーグスのアルバム「HELL'S DITCH ヘルズ・ディッチ」をプロデュース
91年
・アルコール中毒が進んだシェーン・マゴウワンの代理としてポーグスに参加、ツアーにも同行
・英国でリーバイスのCMに「ステイ・オア・ゴー」が使用され全英ナンバー1を獲得
続いて「ロック・ザ・カスバ」もリカットされる
92年 2月 ポーグスのメンバーとして来日
93年
ジム・ジャームッシュのパートナー、サラ・ドライバー監督の『豚が飛ぶとき』全編のスコア担当
8ヵ月掛けてレコーディング
96年
・ブラック・グレープのアルバム「ステューピッド・ステューピッド・ステューピッド」に参加
・ブライアン・セッツァー・オーケストラ「Guitar Slinger」で共作
英国盤は、「Ghost Radio」1曲のみ収録。英国盤より3曲多い日・米盤には、アルバムタイトルともなった「Guitar
Slinger」も収録される
97年
・オムニバスアルバム「ジェネレーションズ1」にELECTRIC DOG HOUSEの名義(ダムドのラット・スキャビーズ、ベースは元ラッツのメンバー)で参加
・ジャック・ケルアックへのトリビュート・アルバム「ケルアック キックス・ジョイ・ダークネス」に参加
・7月 第1回フジ・ロック・フェスティバルにDJで出演するため来日したが、台風のため中止
・アニメ「サウスパーク」のサントラに参加
98年 フランス/チリ映画『ドクター・チャンス』に役者として出演
99年
・メスカレロスを結成
ギターのアンソニー・ゲンに焚きつけられバンド結成
バンド名は、アリゾナ州南西部にいるスー族の部族の名前からとられた
・8月 フジ・ロック・フェスティバル出演
・11月 ジョー・ストラマー&ザ・メスカレロスとしてのデビュー・アルバム『X−レイ・スタイル』発表
00年
・1月 メスカレロスとして来日
・9月 ロンドンの道端で、『サンディニスタ!』参加以来音信普通だったタイモン・ドッグとばったり出会う。
タイモン・ドッグがメスカレロスに参加することに
01年
・映画『ブラック・ホーク・ダウン』にアイリッシュ・トラッド「ミンストレル・ボーイ」のカバーを提供
・5月24日 第46回(2000年度) The Ivor Novello Award for their
"outstanding contribution" to British music. クラッシュとして受賞 (ロンドン・パークレイン)
・7月 セカンド・アルバム『グローバル・ア・ゴー・ゴー』発表。 ファースト・アルバムの核となっていたアンソニー・ゲンは脱退。
・9月〜 来日ツアー。
02年
・7月 MOVE Festival(マンチェスター)出演 ・フジ・ロック・フェスティバルに一般客として参加(出演なし)
・9月 朝霧 Jam 出演
・11月15日 ロンドンのActon Town Hallで行なわれた消防士のストライキを支援するイベントに参加。
アンコールでミック・ジョーンズが登場、およそ20年ぶりに共演
・12月22日 心臓発作にて死去
・12月30日 ウエスト・ロンドン斎場にて葬儀
03年
・3月10日 クラッシュ、ロックンロールの殿堂入りを果たす 授賞式での挨拶は、下記の通り。
「メンバーのポール、トッパー、テリー、そして 私の曲創りのパートナーであるジョーに感謝します。私達の絆はとても強く 影響しあい 真実そのものでした」ミック・ジョーンズ
「ミック、ジョーと私は「三銃士」であり、武装したブラザーで、メッセージを込めて戦っていました。 世界に認められた時に解散し、別々の道を歩みました。その時バーニーの貢献を改めて実感しました。バーニーがいなければクラッシュは存在しなかった。ビッグブラザーであるジョー。彼がいなくとても寂しいです。私の人生の変化を彼と共に経験しました。真のチームワークを持てた彼らに感謝します」ポール・シムノン
・10月 サード・アルバム『ストリート・コア』発売
04年
・5月 自ら製作した映画『レッツ・ロック・アゲイン!』がニューヨーク・トライベッカ映画祭にてワールド・プレミア
・6月22日 THE MOJO INSPIRATION AWARD クラッシュ受賞
・8月 フジ・ロック・フェスティバルにて『レッツ・ロック・アゲイン!』上映
・11月 ディック・ルードがさらに手を加えた『レッツ・ロック・アゲイン!』、日本でプレミア公開
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