STAFF&CAST
監督:ディック・ルード
製作:ジョー・ストラマー、ルシンダ・ストラマー、ディック・ルード
編集:ディック・ルード、アルノード・ジェラルディ
音楽ミックス:ウォーレン・ハート
クラッシュ映像素材提供:ジュリアン・テンプル「グレート・ロックンロール・スウィンドル」「ノー・フューチャー」監督
出演:ジョー・ストラマー&メスカレロス
2004年/アメリカ/ビデオ/67分
2004年ニューヨーク・トライベッカ映画祭出品作品

※なお、本作はビデオ作品のため、劇場ではDVDマスターを使用しての上映となります。

(C) 2004 Dick Rude Productions


監督 ディック・ルード

1964年アメリカ・ロサンゼルス生まれ。15才の時にリー・ストラスバーグによる映画学校に入学し、そのキャリアをスタートさせた。1984年、アレックス・コックス監督のカルト・パンク映画「レポマン」や、キャメロン・クロウ脚本の青春映画「ワイルド・ライフ」などで俳優として活動を始める。ちなみに「レポマン」にはクリエイティブ・コンサルタントとしてもクレジットされている。1986年、アレックス・コックス監督の「シド・アンド・ナンシー」に出演、音楽を担当したジョー・ストラマーと初めて出会う。ジョーとすぐに意気投合し、家族ぐるみの付き合いとなる。1987年にはアレックス・コックス監督の「ストレート・トゥ・ヘル」にて俳優としてジョー・ストラマーやコートニー・ラヴ、ジム・ジャームッシュやデニス・ホッパーなどとの共演を果たした。
「ストレート・トゥ・ヘル」では脚本でも参加し、ソフィア・コッポラ監督の短編「HI OCTANE」にも脚本家として参加している。いくつかのミュージック・ビデオも手がけており、特にレッド・ホット・チリペッパーズとは交流が深い。
今は亡きハリウッドスター、リバー・フェニックスとは親友だったこともあり、本作のエンド・クレジットには「ジョーとリバーに捧ぐ」とのクレジットが入っている。次回作は友人のジム・ジャームッシュを製作総指揮に迎えた「THE ASSHOLES」。

ジョー・ストラマー

1952年8月21日、トルコの首都アンカラ生まれ。外交官であった父の仕事のため、子供の頃はイランやエジプト、メキシコなど外国で過ごし、その後イギリスの寄宿学校に入れられる。10代の頃にレゲエや初期のロックンロールに傾倒し’74年、R&Bバンド「101-ers」を結成。しかし、セックス・ピストルズのギグを見て、自分のやっていた音楽が過去の産物になったことを知る。76年、ミック・ジョーンズ、ポール・シムノンらに誘われ、「クラッシュ」結成に参加。77年の『白い暴動』を皮切りに次々とアルバムを発表するが、次第にメンバー間に不協和音が生まれはじめクラッシュは崩壊。86年正式に解散となる。その後、しばらくはソロとして映画に楽曲を提供したり、役者としても数本の映画に出演した。89年、初のソロ名義アルバム『アースクウェイク・ウェザー』を発表。92年には、体調を崩したヴォーカルのシェーン・マゴウワンの代理としてポーグスのツアーに参加。来日も果たす。90年代後半からは、フジロックフェスティバルに毎年のように参加し、ファンとの直の交流を楽しんだ。99年、満を持して新しいバンド「メスカレロス」を結成。本格的な音楽活動を開始し、久々に自らのバンドを率いての来日を果たす。翌年にはセカンドアルバムを発表し、メスカレロスとして2度目の来日公演を行った。
2002年11月、アクトンで行なわれた消防士のストライキを支持するコンサートに参加。このステージにミック・ジョーンズも加わり、約20年ぶりにミックと共にクラッシュの曲を演奏する。03年3月にはクラッシュとして『ロックの殿堂』入りが決まっていたが、心臓発作による突然の死がジョーに訪れた。2002年12月22日、享年50。長い迷いを乗り越え、これから再びロック・シーンを熱くさせるはずだったパンク・ヒーローのあまりにも早すぎる死だった。