
黒沢清『アカルイミライ」インタビュー Vol.2
東京 - デジタル・イメージ 黒沢清インタビュー Vol.2
インタヴュアー 樋口泰人 梅本洋一 志賀謙太
ゲバラ
樋口 こうやって黒沢さんのお話を聞いていると、『アカルイミライ』はいままでしてなかったことを色々やっていますよね。
黒沢 まあ僕は同じことを二度三度やるのはむしろ苦手で、違うことをやっていこうという傾向がいままでもあったんですが。今回は特に可能な限り今まで自然に自分がタブーにしていたことや、それをやったら失敗すると避けていたことをあえてやってみることが多かったですね。といってもいままでやってきたことの延長も混じるわけですから。さて完成したものがどうなるのか、それはそれで興味深いという感じです。
樋口 それでラストで表参道を歩く若者たちがみんなゲバラのTシャツを着ているじゃないですか。「東京」というのもそうかもしれませんが、いままで黒沢さんの映画で、あんな形で、つまり、それが何らかの意味を背負っているとも受け取られかねないような見せ方で固有名が堂々と出てくることはなかったですよね。
黒沢 あれは……、言い訳してもしょうがないんですけど、あれはスタイリストの方が「ゲバラのTシャツを着せたい」と非常に積極的に言ったのですね。北村道子さんという方なんですが、彼女は脚本を読んでいただいた時点で、まああきれるくらい深く脚本を読みこんで、その裏になんとなく流れている意図を的確に掴んでくれたんですね。でその北村さんが最後のシーンの歩く若者たちはゲバラのTシャツでいきたいと。「それすっごい意味を持っちゃいませんか」と思ったのですが、「間違ってますか?」と聞かれると「いや間違ってはいない」。
(笑)
黒沢 でもすごい誤解を受けてしまうかもなあとか思いながら、しかし、北村さんはひじょうに魅力的な方で、かつ決して間違った解釈はしていない。どうせ今回いままでやってなかったことをやってやれというのもあるし、たかが映画だし、誤解を受けたり色々言われるかもしれないけど、まあそれもよかろうという気持ちで、ゲバラを着せましたね。で結果としてそれがいいのか悪いのか僕はわかりません。今回衣装がかなり強烈で、特にあの若者たちは、あれは見てわかるのかなあ、あれは高校生の制服なんですよ。白いシャツに黒いズボンで学校の制服を着ている。それを自分なりにおしゃれに着崩して、中にゲバラのTシャツを着ているという設定なんです。
樋口・梅本 (笑)わかんなかった。
黒沢 そうなんですよ。日本の人もそうですし、多分海外の人はあれが高校の制服だとは100%わからない。で撮ってる時はそのつもりで撮ってたんですけど、映像を見るとあれはゲバラを着てないとほとんどの人はナショナリストの制服、ファシストの制服に思うぞっていうね。ゲバラがあるからまだ混乱で済むのかと。そこまで北村さんが読んでゲバラを着せたのか、そこは謎ですが、「意味持っちゃうからゲバラは止めましょう」といって、あれを単純な高校生の制服にしていたら、多くの人はあれをナショナリストなりファシストなりの集団として認識したと思う。ゲバラを着てるぶんなんだかわかんない、みたいなね。
(笑)
黒沢 たいへんな誤解を受けることだけは免れたかと今は思うしかないですね。あれそう見えちゃうんですよね、下手したら。撮っている時は「高校生、高校生」って思いこんでいたから全然わからなかったけど。
樋口 最初に彼らが出てきた時は、ゲバラのTシャツは見えなかったじゃないですか。でもあの時も服は揃ってたし、ファシストとまでは思わないにせよ、異常に訓練された集団のように。
黒沢 見えちゃうんですよねぇ。だから映画って怖いなあと思いますけど。衣装ひとつで見え方ががらっと変わってしまう。もう結果としてどう見られるかはどうとでもなれと思ってます。まあ奇妙な若者たち、何らかの力を持った、謎めいた若者たちと見てくれればまだいい。たんに高校生なんだというのがこっちの狙いなんですけど。
志賀 僕はちゃんと高校生に見えましたよ。制服を着崩して、集団で歩いてる高校生に。でも街でそういう子を見るとだいたいカッコ悪い。だから『アカルイミライ』の高校生がめちゃくちゃかっこいいことにびっくりしました。僕も一緒になって歩きたくなったりして。僕があれを見て連想したのは、68年の学生運動なんですけどモチーフとしてあったんですか?
黒沢 僕はそれと重ね合わせるつもりはまったくなかったんですが。これも北村さんが、彼女はもろにその世代の方で、「あの時の気分をちょっとでも表現したいんです、このゲバラで」と(笑)。「そうすっか、わかりました。まあフライシャーの映画でもあったしいいか」といいかげんな納得の仕方をしてしまっていた。僕自身は取りたててその時代の何かを再現しようとしたわけではないんですけどね。僕はその運動というものを実際体験したわけではない。僕が大学生の時にはそういうものは終っていましたから。まあ残滓のようなものはありましたよ、やってる人いましたし。でもまあ終ったんだよねと言うことだけははっきりとわかる。だから次に何をするんだってことがスタートでしたねぇ。何をしていいかはわからなかったですが。
いちばん嫌なのは、日本だとこの程度の会話で済みますが、もし海外で見た場合、ある種のアメリカ人は激怒する可能性がある。ゲバラ、と言っても僕もゲバラのことよく知りませんけど、つまりキューバですよ。キューバってアメリカにとって様々な意味を持っているわけです。そしてゲバラってある種の象徴としてのテロリストですから。『アカルイミライ』は完全にテロリスト擁護映画に見えてしまう。いやまたまずい時期にこんなもの作ってしまった。それにはなにやら暗澹たる思いです。そういう反応を考えると。
樋口 クラゲが増殖して、流れていくじゃないですか。その増殖するクラゲと若者が重なる感じがしました。もうひとつはおしぼり工場の社長さんが60年代の話をしますね。そういったことが前半にあるんで、最後にゲバラとなると、これは一体どういうことなんだって、混乱しつつ引っかかる。
黒沢 そうですね。
梅本 そりゃそうですよ。僕はおしぼり工場の社長(笹野高史)が68年ごろ自由劇場でしていた芝居を見たことがあるから。
(笑)
梅本 いや今のアメリカ人だけじゃなくて、日本人が見ても怒ると思うよ。
黒沢 そうですよね。そういう人を抹殺してしまったんですよね。ひどいよね(笑)。でもおしぼり工場の社長は僕よりは年上ですけど、僕自身とダブらせてもいるんですよ。まあそれが唯一の逃げ道で。僕は終った後に大学に入った世代ではありますが、僕なんかがだらしなくて何もしてこなかった、ほら今になってそのツケがみんな回ってきたでしょ。だから殺されるのよ。そう見えますよね、はあ。
梅本 浅野忠信の「行け」と「待て」のポーズってどうやって思いついたんですか? うちで子供に教えてすごく流行っている(笑)。
黒沢 あれはふと思いつきました。まあわかりやすく。図式としては浅野忠信がオダギリジョーを制御して正しい方向に向かわせるというのがありましたから、それをどう伝えるかというのを考えて。これは映画だから言葉じゃなくてかたちで見せるということで思いついたんですけど。
梅本 でもそれが浅野忠信の自殺のところまで使われますよね。あれはすっげぇかっこいいじゃないですか。
黒沢 思いついてみたらこれ結構行けるってことでひっぱったんですけど。そんなに深い思想が裏にあるわけじゃないんです。僕なりに今までのものを否定したりですね、壊したり、そうやって先進んで行こうという、非常に素朴では在りますが、正直なところを出していきました。最初に物語を作っている時は、素朴なイメージとして「実はこれってテロリストなんだよねぇ」と言ってはいたんですよ。これは昨年の夏以前の話です。実はテロリストだから、そうすると警察に捕まったりするのよね、なんて言っていて。その後昨年の事件があったりして、「テロリスト」なんて言葉は迂闊に使えなくなり、それで世界中がいろめきたつということもあり、考えてた頃は無邪気だったなと思います。
一歩踏み出した
梅本 いままでは所謂「映画に守られた映画」を撮ってきたことが多かったじゃないですか。一歩踏み出そうって相当勇気いったんじゃないですか?
黒沢 まあそうですね。勇気ってもんではないですが、結果としては時間がかかりましたね。踏み出すのも、それも一歩に過ぎませんが、ほんとにいいのかなと逡巡しました。自分に言い聞かせたり、プロデュサーにそれでいいと納得してもらうまでには、パパっとそれでいいや、いっちゃえというノリではなかったです。ほんとにこれでいいの?っていうのは何度も。第一項の脚本を書いて、プロデューサーが了承したのが昨年の八月末なんですよ。ですからその延長で作ったということです。
樋口 演出にしても、藤竜也さんが怒る、その時で怒る理由が観客にも明確にわかる。理由がわかって、なおかつ怒った芝居をはっきり見せるという演出なんかもいままで避けてきたことではないですか?
黒沢 それは、かなりわかりやすい感情を出す芝居っていうのを、いままでまったく行っていないわけじゃないのですが、それを判り易く撮ろうとはしてこなかった。多くの場合、それがそう判るように撮っていないという。後ろ向きで芝居しているのを遠くから撮ってたら、そりゃわかんないよね(笑)というのが多かったのですが。今回はそういう感情がはっきりわかる芝居も、見えない方向から撮るということは考えなかったです。
往々にして、良くも悪くも観客が注目してしまう芝居をすると、何が起こっているかが見えなくなっちゃう、と思っていたんです。で僕としては、何が起こっているかが重要で、その時人はどんな顔をしてて、どんな感情を表しているかなんて、わかりゃいいけど、わかんなくてもいいやと。まず第一は何が起こっているかだ。ただ今回は何が起こっているかも重要だけど、それだけじゃないというふうに撮ろうとしましたね。そのためにいままでやってこなくて今回初めてやったのは、カメラを二台使ったということです。二台目のカメラっていうのは家庭用のデジタルビデオなんですが、ほとんどのシーンでメインの24Pは一応何が起こったかを示す位置に置く。しかし二台目のデジタルカメラは感情がわかるところを撮ってくれと言いました。それは顔である場合が多いのですが、それだけではなくて手とか、アップのサイズが多い。その二台目がどこまで使えるかは撮っていてわかんなかったんですけど、編集では結果かなり使いましたね。全体の十分の一くらいかな。ホントの家庭用デジタルビデオで撮って、何の処理もしていないので、見れば違いはわかっちゃうんですけど。まあこれはもうかまわないと思って。これを編集であっちこっちに入れていったわけです。
樋口 それは二台で同時に撮っていたんですか?
黒沢 同時です。だから、よーいスタートで、大抵の場合カメラが2台回っているということですね。だからやったことは一回でも、アングルが違って二つ撮られているということですね。
相米慎二?
志賀 ラストの表参道を見て、『飛んだカップル』の最後を思い出しちゃって。
黒沢 『飛んだカップル』!いや全然覚えてないですねぇ。
志賀 『セーラー服と機関銃』かな?いや『飛んだカップル』だと思うんですが、あれも最後が表参道だったような気が……。
黒沢 『セーラー服と機関銃』の最後、……スカートがふらりと揺れるシーンですよね。あれは新宿なんですよ。これは僕は助監督で撮影現場にいたんで間違いがない。しかし……僕は全然憶えてないです。オマージュっていうのもさすがに意識していませんねぇ。相米慎二に対して、この映画で何かを捧げるっていうのは思いませんでした。
梅本 これは質問でもなんでもないんだけどね、『アカルイミライ』を見ていると、「系譜」っていうのを画面のどっかから探そうというのが、もうそういう事をしてもしょうがないという気がしましたね、私は。
黒沢 まあ何かは何かに似ているでしょうし、まったくオリジナルなんてのはありえないんでしょうけど、今回とりわけ何かを思い浮かべて作ったというのはなかったですね。それこそホラーとかいうとね、かつてのホラー映画を僕だって思い浮かべながら、あれは失敗してるぞとか、あの要素いただきとか、なってしまいがちなんですけど。今回は意外なほどに「何かを思い浮かべて」というのがなかったですよね。ま、と言っても何かには似てきますよね。
梅本 だから相米さんが撮っていた当時のコンセプトと現在の映画のコンセプトっていうのは全然違うところにある。「何かに似ている」とかね、そういうことを思っても言うべきではないんじゃないかな。
黒沢 でも『セーラー服……』や『飛んだカップル』はさすがに思わなかった。憶えてもいないから。
樋口 なんでだろう。長回しだからかな。
梅本 (笑)だってあのシーンを何カットかに分けようって普通考えないよ。
黒沢 タイミング的に、「いかにも」ってことでしょうか。
黒沢夫人 あの高校生のシーンの前に本当はもっと長くオダギリさんと藤さんが別れていくシーンがあったんですよ。で、それをばっさり切ったんですよね。私はその切ったシーンを見て「もう終わりだな」と思ったんですが、完成したものを見たらそこがない。最初にオダギリさんが床をバリッと剥がして「あっ」と思うところから始まって、最後オダギリさんが力をつけてどこかに去っていくというラストをばさっと切った、隠しちゃったっていうので、高校生のシーンがよりいっそうインパクトを持っちゃったという気がしたけど。
黒沢 それはそうだね。これは生理的なものなのですが、どっちもは残せなくて。高校生をばさっと切ろうという意見も随分あって、そこをばさっと切ったバージョンも作った。でもそこはもう、……最終判断は僕がしました。オダギリさんのところで終わると非常にうまいこと終われるんですよ。でもなんかねぇ、うまいこと終わる感じが、なんか違うなあと。で高校生のところはゲバラだ何だと問題はありながら、でもこれいいんだよと。えーい、もうこっちに賭けたっていう決断でしたね。
志賀 相米さん云々は関係なく、あの高校生のシーンで感動して、突き動かされる感じがしました。突き動かされて、でもやることないから、とりあえず近所の川沿いを走ったりしてみたんですけど(笑)。
天候と色調
梅本 全体見ていて思ったのですが、快晴が嫌いなんですか?
黒沢 これはね、好き嫌いを言ってられないっていうのはあります。曇りだろうと雨が降っていようと、撮影はしなければいけない。日本で撮る限り、これは運命ですね。快晴は確かにいいんですよ。でも快晴を基準にすると曇天がすごく嫌ぁーに見えてくる。基本的なコントラストや色の出し方は曇天を基準にして、快晴の時は「しょうがないな」と言いながら、色調を曇天に合わせて補正しつつ、「これはこれでありだ、最高ではないけど」っていうふうに僕はしていますね。そうすると全体のトーンが合ってくる。快晴に基準を置くと、曇天のシーンがどうしようもなくなってくるんですよね。
梅本 見終わった後の印象として、グレーがまずあって、黒までのグラデーションがあって、クラゲだけがカラーというふうに感じましたね。
黒沢 あーなるほど。
梅本 だから衣装の色もその色調に合わせて決まってたんじゃないかなと思ってたんですけど。
黒沢 いや、そこまでじゃない。色調整は細かくしてませんが、あるライン以下は真っ黒にするというのがありましたから、幾つかの鮮やかな色は消えていきましたね。ただ、今出回っているフィルムは正直色が落ち過ぎているんですよ。もうちょい出ていてもいいところはある。今修正していて、もうすぐ最終完成版ができるんですけど。まだ未完成なものをお見せしている段階です。
梅本 いや、あの色調だからこそクラゲが沸き立つと思ったんですよ。
黒沢 それは狙ってましたね。クラゲはきっちり見せようと。
梅本 クラゲはひとつひとつライトを入れて作るんですか?
黒沢 クラゲは本物なんですよ。本物を合成してあるんです。本物もそんなに鮮やかに光ったりはしないんですけど、黒い覆いで囲った水槽に入れて、微妙なところに光を当てていくんですよね。それを何パターンも撮ってものを合成していった。
黒沢夫人 でも撮影の時はクラゲがいる位置に電球を置いてたよね。
黒沢 いやあれは、クラゲが光った時に壁にぼんやりと照り返しがあるはずだから、そのための光なのよ。
梅本 新宿の高層ビルが見えるところ、あれは神田川かな、あそこはほんとに綺麗だったね。
黒沢 あれはうまくいきましたね。合成スタッフは『回路』と同じなんですけど、ほんとに微妙なことを時間をかけて丁寧にやってくれた。
樋口 川の黒い色が、墨みたいな黒ではなくて、透明性があって、でも光っていて。
黒沢 あの色がデジタルだからこそ出たんですよ。まさに明暗のレベルをいじると、水面がどんどん変化する。いや面白いんですよ。変化させながらどの水面が良いか探っていく。水面って色んな露出の光が照り返しているじゃないですか。色んな見え方がしましたね。
梅本 普通にフィルムで撮っちゃうとライト当てちゃうから、絶対ああいうふうには見えない。逆にどっちがリアルかって、デジタルでいじった川の方が本物に見える。
黒沢 そうなんですよね。デジタルは使いようで面白くなるなっていうのを今回実験できましたね。
音楽
梅本 パシフィック231の音楽はどうだった?
黒沢 音楽もいままでは映画音楽を基調にして発想してきましたが、今回全然映画音楽とは違うものにしてみたいというのはありました。パシフィック231って本当に個性的な曲ばかり作ってくるんですよ。例えば、怖い感じにしてみましたって本人たちは言うんだけど、どっからどう聞いてもパシフィックの曲。
(笑)
黒沢 全然映画音楽じゃないけど、まっそこがいいんだよなと(笑)。
黒沢夫人 パシフィック231は元々肩の力の抜けきった独特な音楽を作るから。私はあの音楽で朝のラジオ体操しているんですけど(笑)。身体全部の力が抜けますよ。
黒沢 いつもは、僕は音楽が入っていないラッシュを見ると様々な音楽が浮かんできて、それを映画音楽を作る人に発注するんだけど、今回はまったくそれが浮かばなかった。で、パシフィック231に「好きな曲を書いて」と言って頼んだんです。「どこにつけるかは僕に任せて。どこにつけるかはわかんないけど、これを見て思い浮かんだ曲をかいてくれ」と頼みました。こっちからこんな曲にしてくれとは一切言わずに。
樋口 ということは、映像が出来上がってから音楽を作り始めたということですか?
黒沢 そうです。幸い時間があったんですね。パシフィック231って周りに岸野くんとかゲイリー芦屋とかいるんで、彼らに映画音楽作りのノウハウを聞いたりするのかなと思ってたら、全然違って。「普通の映画音楽にしなくていいんですよね」と訊かれたから、こっちも「しなくていい」と。変に気を使ってわかりやすい映画音楽を作られたらどうしようかとも思ったんですが、そこは彼らもガンコなミュージシャンで、彼らなりの映画音楽を作ってくれた。
梅本 ほんとに肩の力の抜けた人たちですよね。彼らのCDをもらったんで朝聴くんですが、「今日も一日頑張るのやめよっかなぁ」という気分になる(笑)。
樋口 リズムが変なんですよね。基本のリズムとは別のリズムがぽんぽんと入ってくる。
黒沢 そうなんですよね。非常に複雑、でも聞いた印象は単純なんですけど、実はとても複雑なことをやっている。
樋口 ただ、音をよく聞くととても映画音楽には思えないにもかかわらず、映画音楽的な画面への寄り添い方をしていたように思うのですが。
黒沢 まあ結果僕がつけるところは選択したんでそうなっちゃったのかもしれない。それにこれまではホラー映画で怖がらせるためとか目的がはっきりしないと音楽は使わなかったんですよね。昔はガンガン音楽を使っていたんですけど。ある時期からぴたっと音楽を使わなくなって、ほんとに最小限にしたんですが、今回はいままでよりは使ってやろうと。パシフィックの曲が、見事にどこでも合うといえば合う曲だったので、どこにしようかと積極的に使うようにしました。流さなくてもいいのだけれど、流れていたからといってマイナスになるわけでもないという。
梅本 それラウンジミュージックの定義みたい(笑)。
樋口 『ドッペルゲンガー』は派手につけてたじゃないですか。怖いところには怖い曲が流れ、しかしそれにしてもこれはやりすぎだぞ、こんな前衛的な映画音楽はないんじゃないかというくらいに。
黒沢 あれは派手につけましたね。『アカルイミライ』の反動です。「と言ってもこういうのもあるのよ」と(笑)。