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ロバート・クレイマーを語る part5

樋口泰人-諏訪敦彦 (2000年11月7日 BOX東中野)


樋口 僕は土曜日に、青山真治監督とここでと対談をしたんですけど、そのときは、相手が青山監督だったということもあって、ロバート・クレイマーとアメリカというテーマで、話していたんです。今日は、諏訪監督なんですが、ご存じの方もいるかもしれませんけれども、諏訪監督は、クレイマーさんと、映画を一緒に作るという話があって。だからその話から始めようかと思います。一緒に映画を作りましょうと、諏訪君から持ちかけたんですよね。

諏訪 そうですね。かなり一方的というか、強引なことだったんですけれどね。
僕も、まあロバート・クレイマーの映画は、今日御覧になっていただいた『ルート1』と、あと短編、それから、山形で『ウォーク・ザ・ウォーク』が公開されたのと、『ディーゼル』ですか、それくらいしか見ていない。だから、彼の映画の全貌がどういうものなのかというのが僕自身もちょっと分からないところがあるわけです。ただ、『ルート1』を含めて、僕自身にとっては、個人的に、彼自身に出会ったことというのがすごく大きかったんですね。自分の『デュオ』と言う映画を最初に撮った時に、山形国際映画祭で会って、その時に、ちょっとしたきっかけで、長い時間話すという機会があったんですが。そのときに、かなり人そのものに、映画で生きている作家というか、人間というような、迫力がありましたね。

 その時には、もうクレイマーの作品を見ていたんですか?

 いや、『ルート1』とその年の山形で、『ウォーク・ザ・ウォーク』を見たという感じでしたね。だからそれぐらいしか、彼自身の作品については知らなかったんですけど。

 一緒に監督するとか、一緒に映画を作ろうと思ったというのは、どういうことなんでしょう?

 そうですね。まあ、これは僕自身の問題として言えばね、1本目、2本目と映画を撮っていく中で、共同作業をするということに幻想を描いていったんですね。ひとりで、監督として、監督作品として、映画を作るということが、ちょっとつまらないというか、退屈であるというかですね。自分の映画づくりが、共同作業として行われるようなことのなかに、映画の別の可能性みたいなものがないだろうかと考えていた時だったんですね。ひとりというのは、どこまでいってもひとつの視点、ひとつの体系に閉じられていく、それでは"世界"に出会えないと思ったんです。それで、コラボレーションという言葉がありますけれど、要するにコラボレーションするということを積極的に考えられないかなあというのがあって。それで、ひとつには、『ルート1』の中でも語られてますけど、あれは友人のエピソードとして語られてるのかなあ、父親が被爆調査団で広島を訪れて、帰ってきた時に、人格が変貌し、あれは自殺だったのかよくわかりませんが、死んでしまうという。でも、それはクレイマーの父自身のことですし。で、ロバート・クレイマーという人のお父さんは実際に、被爆後の広島、長崎の軍の医療調査団というかたちで、訪れているんです。帰国後、全くそれについて触れなくなって、自閉的な性格になってしまったということがあった。それはクレイマーにとって、晩年、大きな謎というか、広島というものを撮らねばならないという思いとしてあり続けた。『グラウンド・ゼロ』という企画をずっともって歩いていたんですね。それはかなり予算のいる企画で、誰もプロデュースする人間が見つからなかった。ちょっと、落ち込んでた時期だったのかな。そういうこともあって、僕自身は、自分が広島で生まれたということもあって、広島について話す機会もあって。ただ、僕自身はひとりで広島/ヒロシマを撮れるとは思ってなかったので、クレイマーが撮るというのは特に意味があるんじゃないかと思ってですね、一緒にやりましょうということで、とにかく彼に広島を撮らせようというか、そういう気持ちだったんですね。

 ということは、諏訪君の中での、内的な欲求というよりも、ロバート・クレイマーって人がいてはじめて沸きあがってきた企画だったということですね。

 そうですね。まあ実際その後、クレイマーが亡くなって、ひとりになってしまった。ぼくはひとりで広島/ヒロシマを撮れるのだろうかという問いだけが残ったわけです。今回僕は広島で映画撮りましたけど、去年の五月にクレイマーにパリで会って、この話を持ちかけた時に、じゃあお前にとっての広島に対する感情ってなんだと、すごい短刀直入にパッと聞かれたわけですよ。答えがなかったのね。言葉がなかったわけですよ。お前にとって広島っていうのはなんだと。そのフィーリングを言ってみろと言われた時にぼくにはない。しかし、彼には非常に明確なあるビジョンがあったと思うんですよ。ここに視差がある。クレイマーと私という。私には答えようがなかった。彼にはあるビジョンがあると言う。この誤差というか、視差を映画の動力にして、映画を撮れないかなという風に思ったわけですよね。だから、僕自身がすごく広島で撮りたかったというわけではなくて、ふたつの視点の交点として広島があった。その"ふたつ"ということに興味の中心があったんです。もちろんクレイマーありきで始まったことだと思いますね。

 今の視差っていう意味でいうと、それまでのいろんな出演者達と一緒に映画作るっていうことと、クレイマーと作ることとの違いっていうのはどこにあるのだろうか。

 まあ単純にいうと、人間の眼のように2台カメラがあるということですよね。クレイマーが広島で何かを撮る。クレイマーも僕を撮るかもしれない。僕も映画を撮る。僕もクレイマー撮るかもしれない。そうやって、2台のカメラが、見つめ合うというようなふうにしたらどうだというのが、クレイマーの提案だったわけです。

 すごい分かりやすいといえば思いっきり分かりやすいですね。

 だから、非常に具体的ですよね。で、内容に関するイメージというのは、ものすごい抽象的なもので、それに関してのアイディアはほとんどないに等しい。行ってみなきゃ分からんということだったんだけれど。最後の手紙で、何度かファックスのやり取りはしていたんですけど、とにかく今もうヨーロッパを出たいと。で、自分でも敷かれたレールから外れてしまって、自分でももうどうしていいか分かんない状況の中にとにかく今は飛び込みたいと。そういうところで、痛みを伴う映画づくりというものを、いまやりたいっていうふうに書いてましたね。この言葉には、何か大変切実な響きがありました。

 ヨーロッパを出たいっていうのは、何かヨーロッパの状況的なことが影響していたんでしょうか。

 それはね、僕もちょっと具体的に分からなかったですけど、確かにやっぱり、去年あたりのクレイマーはちょっと閉塞した感じというかな。その自分の企画『グラウンド・ゼロ』も実現しそうになかったしね。ヨーロッパで生活するために学校で教えたりとか、出演したりとかしながらね、なんとか実現したいと思いつつもこれは無理かもしれないという。なんか今までやってきたことをもう一回やり直さないといけないみたいな、ムードといのがありましたね。もしかすると、こういうかたちで去年亡くなってなければね、なんらかの形で、彼は広島を撮ったでしょうし、また、クレイマーの次の映画の始まりみたいになれば、良かったなという風に思ったんですけど。

 映画史的に言われているのは、クレイマーはアメリカに決別するような形でヨーロッパに拠点を移したということなんですが。そうやって彼がアメリカからヨーロッパに移った時と、今度ヨーロッパから出たいと思っている状況というのは、彼の周りの環境がどんな意味で変わってきているのか、それとも同じなのかっていうのを考えちゃったんですけど。

 そうですね、それはどうなんでしょうね。死者の代弁はできないけれど、とにかくアメリカにいられなかっていうのは、多分我々から見れば、ああいうスタイルで映画を撮ろうとすることはやっぱり、難しかっただろうなっていうことが単純にあるんですよね。もちろんインディペンデントの作家はアメリカにずいぶんいましたけれど、やっぱりハリウッドなのか、非ハリウッドなのかっていう選択を迫られる中でね、彼自身は自分の場所っていうのを失っていったのかなと理解してたんですけどね。そういう意味では、彼にとっては、ヨーロッパというのが、精神的にやりやすかったのかなとは思うんですけどね。じゃあその彼がヨーロッパに対して感じた閉塞って一体なんだろうかと考えた場合、それはちょっと。

 そこは何を思っていたのか、生きていたら聞いてみたいところではありますよね。

 やっぱりかなり孤独を感じてたのかなあという気はしますけどね。そのヨーロッパの映画なんかもね、かなりサロン化していくしね。ある意味で、クレイマーなんかは、人の中に入っていきたいというかさ、そういうものがベーシックにずっとあるわけじゃないですか。だから、ヨーロッパにおいてもかなり異質な存在ですよね。でも、彼はそんな風に状況に追い込まれたんじゃなく、どこにいても異和を持ち続けて、共同体からズレていく孤独を自分で選んでいったんだろうと思いますね。定住することによって生まれる習慣や居心地の良さを、徹底的に疑うという哲学者のような姿勢があった。だから逆に失われた故郷としてのアメリカとか、ヒロシマがあったのかもしれないですけど。

 『ウォーク・ザ・ウォーク』を見た時に思ったのは、やはりヨーロッパにいても、いろんな意味で彼はアメリカ人だなっていうことでした。ロマンティックに言っちゃうと、あくまでもフロンティアに立っていたというか。

 そうですね。最初合った時も、なんか山形寒いのにねえ、裸足にサンダルはいてるんですよね。この人はもうどこでも歩いていくだろうなあっていう。とにかく自分で歩いて、人のいるところに行くっていうね、そういう感じはありましたよね。やっぱり、そういう作家っていうのは、ヨーロッパであろうがアメリカであろうが、かなり孤立せざるを得ないだろうなっていうふうには感じましたけどねえ。でも、やはりフランスには数少ない彼の理解者がいるという感じでした。

 『ルート1』でも、いろんなところに入り込んでいきますよね。こんなところまで、っていう場所も映っているし。『ウォーク・ザ・ウォーク』なんかほら、ドラッグの売り買いしてるところが映ってるでしょ。普通ならそういうとこにカメラなんか持っていくと、基本的に殴られるか、カメラ壊されるかっていうところがあるじゃないですか。で、そういう部分を、かいくぐる術っていうか、映画として出来上がってしまった以外の部分、映画にするまでの部分での、現地の人とのやり取りの中で映画を作って行く作り方っていうところで、しっかり身につけるものを身に付けているんだなあっていうふうに感じましたけどね。まあこれは、クレイマーにとってみたら、ごく当たり前の話で、そんなことで驚くな、というようなことだとは思いますが。

 やっぱりカメラって、すごく暴力的じゃないですか。だから撮影者が何か一方的に持って帰ろうと思って、カメラを構えてそういうところに行くと、分かっちゃいますよね。態度で。多分そういう撮影をする時とか、あるいは劇映画撮る時なんかでも、どうやって町中でカメラ隠そうかっていう時とか、そういうことを考えれば考える程、うまく行かなくなるわけですよね。堂々とカメラを人目にさらして、映画をとっているんだという風にやれば、誰も気にしないわけですよ。そういうところは態度だと思うんですよ。人間が持っているカメラとともにある態度。こそこそと自分を隠そうとするのは"盗み"の態度ですから、"盗人"はコテンパンにやられます。やっぱり基本的にクレイマーはいつも自分で撮りますよね。だから、この俺が、おまえを撮っているんだというカメラアイっていうのがすごくはっきりしてますよね。

 そういう意味でいうとクレイマーの映画は、一応作品として形になったものだけを見ていくと、現実世界に何かいろいろなものがあって、基本的にそこに出向いて映していますよね。で、諏訪君が今までやってきたのは、一応それが現実だったにしても、ある場所を設定して、役者さんに演技をさせているわけじゃないですか。大雑把に言っちゃえばふたりは逆の方向から現実に向かい合っているというか、現実と、作ったものとの境界を両側からなし崩しにしているっていうことになるのでしょうか。

 そうですね。NHKの番組で対談したことがあるんですよ。そのときは、あらかじめドキュメンタリーとフィクションというテーマが提示されていたんです。そしたら、始まる前にクレイマーが、このテーマはやめようと、つまんないよこれはって言ったんですね。彼自身全く感心がないって言ってましたね。ドキュメンタリーとフィクション。それは、敵側の論理だという言い方しましたよ。それは、カテゴリーの問題。カテゴライズすること自体、要するにドキュメンタリーかフィクションかという問い自体が間違っておるということを言ってましたね。そのことについて話そうと思っていたので、直前にそう言われて、何を話せばいいんだろうという状況になりましたけど。彼にとっては、もちろん自分が最初に持った感情とか、彼の場合伝えたい感情というものがあると思うんですよ。自分が世界に対して抱いた感情、それをこう伝えるんだっていう。そのへんが、あの年代の強さ、主体的な強さを持っているし。そのためにはどんな方法でもいいんだっていうのがありますよね。ドキュメンタリーでもフィクションでも、役者が必要なら役者でいいと。で、役者がダメなら役者を壊して、お前自身が出てこいみたいな。そういうことはありますよね。そういう意味で『デュオ』なんかは、お前の映画は戦いなんだぞというようなことを言われましたね。壁にかけて鑑賞する絵画のような生易しいものじゃない。これは戦いだって言ってくれたんですけど。逆に言うとお前ほんとに戦い続ける意志があるのかって問われてるような気はしましたけれども。

 じゃあ、クレイマーがフィルムではなくて、ビデオでも、撮ったりするっていうのは、その映画かビデオかっていう分け方自体も、要は、敵の論理だっていうことになるのかな。

 うーん。だから、彼は、ベトナムとか、いろんなところに行ったりしますよね。そこで若い映画人なんかと交流しています。そうすると、要するにこれしかなければこれで撮るでしょっていうようなことは絶対あると思うんですよね。まあ、我々の仲間なんかでも、ハイビジョンになっていたりとか、そのなかで、ビデオとフィルムと、フィルムでも35ミリと16ミリどっちがいいだろうかというような話するけれども、それはかなり贅沢な話で、そういう美学的な問題ではなくて、そのDVがあるんだったらそれでしか撮れんよっていう状況の中でも映画は生まれるだろうと。で、こういうのは多分やっぱり、ジョナス・メカスとかね、あのへんのニューヨークのニューシネマと呼ばれたアンダーグラウンドの出てきた時期の気分というのはまさにそこにあったわけでね。それは大前提として、彼の中にあるんじゃないかと思いますね。映画は自立した表現であるとか、映画の純粋な表現とか、そういう美学的な価値判断は特権的で、実際には何の役にも立たないじゃないか、という感じがありますよね。「私は、日々の生活を語るのと同じ言葉で映画のことを語りたいんだ」と言っていました。映画史的な言説を嫌っていたと思います。

 ただ一方でね、『ウォーク・ザ・ウォーク』にしろ『ルート1』にしろ、すごい風景を撮ってくるわけですよね。すごい風景っていうのは、要するに、見るからに絵葉書っぽいとも思えるんだけれどもでも現実の絵葉書には絶対あり得ないような風景っていうようなことなんですが。誰もが撮れそうだけど、誰も撮れないっていうような風景を取り出してくる。これは、まず最初に美学的見地からこのような風景を撮りたいという思いがあったわけでは絶対無いと言えるんですが、ただ、そういった風景に対するクレイマーなりの思いはあったんではないかというふうに思えちゃうような風景が、そこには映っていると思うんです。

 多分だから今回『ウォーク・ザ・ウォーク』は上映されませんけれど、『ウォーク・ザ・ウォーク』は、『ルート1』みたいにヨーロッパを旅していく話ですよね。『ウォーク・ザ・ウォーク』と『ルート1』をならべて見ると、どっちがヨーロッパでどっちがアメリカっていうのが判然としないようなところがあるんですね。ヨーロッパもどっからどこがヨーロッパのどの国かっていうのがさっぱりわかんないわけですよ。全部おんなじかもしれない。世界というのは本当にもう、困難であるっていうかですね。どこへ行っても、砂漠ですね。彼は、世界が均質化されていくことに対する非常な危機感がありましたが、同時に、その風景に対する愛着みたいなものがあるのかもしれないですね。ほんとにある均質さというか、は感じますね。

 だから、例えば『ルート1』は4時間あるんだけど、もしかすると同じ風景をずっと見てたかもしれないっていうような気さえする。でもやっぱりそれは、4時間でないと見ることのできなかったものなんですよ。

 そうです。だから、ロードムービーっていうより。形式的に非常にロードムービーなんだけど、とにかく彼にとって、歩く、移動するっていうのはすごく重要なファクターなんだけど、映画の空間としては、そんなに移動してるのかっていうかですね、どこに行ってもいっしょだ、世界は、というようなところなんかすごく底流のトーンとして感じるような気がしますよね。それは、どのような共同体意識にも回収されない、強靭な風景ですね。それを選び取る、それが彼の生き方だと思います。

 そうね。そこは、単に見ているだけだと不思議といえば不思議な感じもするんだけど。それは逆に言えば、共同体の中に納まりえない何ものかに彼が反応していると言うこともできるし、また、共同体意識のそこに沈んでいる淀みのようなものを彼がある種強引に浮かび上がらせているということだと言えるかもしれない。

 広島なんかでもね、広島に対する企画書なんか読んでると、彼が興味持ってるのはやっぱり港とかね、広島の港とか、まあ、広島電車走ってたりするんで、街中に電線がパーッとあるんですね、その電線だとかですね、そういうのに関心がいくのね。鉄とか、エレクトロニックな物とか、なんかこう似てる風景に。

 クレイマーの映画を見ていると、いったん人の手がはいって、その後、ある程度の時間をかけて朽ちていったものが、あからさまに目に付きますよね。そういった部分が、すごく面白いと思っているんです。
それで、実は土曜日の青山監督との話で、話題をふっておきながら、落ちを言い忘れたんですよ。まあここで落ちを言っても誰も分からないんですが、一応それに対するフォローをここでしようかなと思うんですけど……。
『ルート1』の中に、いろんな工作機械がでてきます。大きな船や、クレーン車やあるいは古びた工場などなど。そしてそれらが決まって異様な音をたてる。動いたり、何かがずれたりする時にギギギギギーって音があちこちから聞こえてきて、ああなんかすごい音だなあって思って聞いてたんですけど。ただ、これと同じ音というのは、クレイマーとは別の映画でも聞くことができるんですね。それが、クリント・イーストウッドの『スペースカウボーイ』にもありまして。核弾頭を積んだ旧ソ連の通信衛星がでてくるんですけど、それが壊れかけて軋む音にそっくりなんですよ。そこまでは土曜日にして、その落ちを言うのをすっかり忘れてしまっていたんです。
クリント・イーストウッドのほうは明らかにアメリカとソ連の2極体制の崩壊っていうものが物語の根底にあってですね、ソ連が極秘裏に打ち上げていた核弾頭つきの通信衛星が故障してしまい、でも更に酷いことに、その設計はNASAの誰かがソ連に流したもので、とにかく通信衛星を直せるのはその設計担当者しかいないんで、この期に及んでアメリカに助けを求めてくる、という話なんです。つまりもうかつてのアメリカとソ連の関係はどうしようもなくグズグズに崩れてしまっている。それで、設計者であるイーストウッドが宇宙に飛び出して通信衛星に近づいていくと、その通信衛星が侵入者に反応して動き始めるときに、クレイマーの映画と同じ、機械の軋む音が聞こえてくるんです。一方、この『ルート1』っていうのは、80年代末に東欧社会がいよいよ崩壊していくときに、クレイマーがアメリカに戻って撮った映画なんですね。アメリカから追い出されるようにして飛び出して、もう2度とアメリカには戻らないとかとさえ言っていたように思うんですが、それでも、クレイマーはアメリカに戻った。つまり、東欧がこのような事態になっているときに、アメリカの現在も映画に撮っておかねばならないと、クレイマーは絶対に思っていたと思うんです。だから、この無気味な音っていうのは、80年代末の世界の軋む音なんですね。それが、クレイマーの映画やイーストウッドの映画でこだましているんだと、そういうことを言いたかったんです。


 その指摘は面白いと思うのだけれど、ただ、独断的に彼の代弁をさせてもらえば、彼はそのような、間テクスト性や、映画史的な符号によって映画を捉えることを否定するだろうと思うんですね。その辺はどう思われますか?

 そうですね。きつい質問だなあ(笑)。でもそれは、ふたつの映画を同時に見てしまった者にとって、紛れもない現実としてあるんですよ。たとえば、いくら現実を見ても物語しか見えない場合もあるわけで。だからクレイマーはそこにカメラを向けるのではないか、とも言えると思うんです。つまり、たまたまふたつの映画を見た私にとって、今時分が生きている世界の姿が耳障りな音の形をとして忽然とその姿を現わした。そしてそれは紛れもない現実としてある。そうなってしまうと私としては、そのことを言わざるを得ないんですね。ただ、イーストウッドがそれを意識してやっていたかどうかということに関しては、よく分かりません。というより、クレイマーの映画を見たことによって、僕がイーストウッドの映画の無意識を掘り起こしてしまったというようなことだと思います。それを「間テクスト性」というのかもしれませんが、ただ自分としては、クレイマーがさまざまな共同体の中にある砂漠を映し出すように、その音を指摘したかった、ということなんです。

 困らせるつもりはなかったのです(笑)。逆に、僕は今日とにかくクレイマーという具体的な人について話そうと思ってきたので、主体的な存在としての作者に縛られて彼の作品を不自由にしたかもしれません。ただ、素朴にその樋口さんの指摘がどこに向かうのかを聞いてみたかった。で、それは狭い意味での映画的現実というのではなく、「対話」ということですよね。樋口さんとクレイマーとの対話ですね。あるいは「私」と世界との対話といってもいいのかな。樋口さんは「世界の姿」「紛れもない現実」いわれましたけど、クレイマーは「私たちが見る映画では語られていない世界の現実を語ることが、私たちの仕事になるでしょう」と僕にいいました。考えてみれば、僕は彼に会う以前は「世界」や「現実」あるいは「人間」という言葉をそのまま使うことができなかったように思います。あまりに普通すぎて、その言葉を信じられなかった。でも彼は、まっすぐにそういう言葉を使います。「恐れるな、まっすぐに、正直に世界を見よ」といっていたと思います。だから、彼と対話するにはこちらも徹底的に正直になる覚悟がいります。「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」に書かせてもらった追悼文で、僕は「ある惑星の引力」と書きましたけど、その引力とはそういう対話を迫る彼の映画の力のことかもしれません。

 それでね、「対話」ということでいうと、クレイマーはただ単に「対話」することだけを目的にしていたんじゃないわけですよね。これは、「映画芸術」誌上での青山と諏訪君の対談でも話題になった「何を語るかいかに語るか」という問題にも関わってくると思うのですが、やはりクレイマーは、映画を撮ることによって世界を変えようと思っていたと思うんです。それは、大きな意味でもそうだし、たとえば、諏訪君が、「世界」とか「人間」とかといった言葉をためらわずに使うようになったという変化や、あるいは僕がイーストウッドの映画に世界のゆがむ音を聞いたというのもそうだと思うんですが、いろんな意味での世界の変容のための対話だったのではないかと。もう少し『ルート1』の音にこだわって言うと、ああいった音は普段聞こえているにもかかわらず我々は聞いていないんですね。つまりそこには、我々にその音を聞かせない何かが作用しているんだと思うんです。じゃあそれは何なんだ、ということが「対話」の内容になってくる。そこから「対話」は始まる。そのとき、我々は自分のとる態度を決める必要がでてくるわけです。僕が、『ルート1』の音を世界の軋む音だと言ったのは、これはこの映画の音はそうであるという状況説明ではなくて、確実に僕の態度表明なんですね。クレイマーは、いやそんな音ではない、と言うかもしれない。でもそれでいいんじゃないかと思うんです。ただ、一方で、「対話」をするということそのものも、その内容に劣らず大切なことだと思うし、この「対話」という形式こそが世界を変えるための方法だとクレイマーは思っていたんじゃないでしょうか。だから、DVカメラにあんなに反応したり、ファックスじゃなくてメールだと言ったりするのも、単純にそれが便利だからということではない、もっと根源的なところでの変革の予感とともに、クレイマーはそれらのテクノロジーを取り上げたんだと思う。
ちょっと時間がなくなってしまったので、ひとつだけ諏訪君に聞いておきたいことがあります。クレイマーが企画していて撮れなかったていうその、『グラウンド・ゼロ』っていう作品に関して、クレイマーさんからは聞いてませんか?


 いや、僕が会ったときには『グラウンド・ゼロ』具体的な内容には、彼は触れませんでした。形式的には劇映画なので、予算もかかる。プロデューサーが見つかればいいが、ただ、もう自分は2年も3年も同じ企画にしがみついていられない。次だ、次のことを考えよう。という感じでしたね。我々の企画は、かなりゲリラ的で即興的なものだったので、その劇映画が何を実現しようとしていたのか期待もあったのですが、さっきの樋口さんの話に絡めて言えば、そのことで気になることがあって、『ルート1』や『ウォーク・ザ・ウォーク』などのロードムーヴィーの形式を持つこれまでの長編フィルム(ビデオではなく)では、彼の映像は先ほどの独特な風景とともに、人間の顔のクローズアップというのが印象的です。特に『ウォーク・ザ・ウォーク』ではその傾向が強まっていて、病的ともいえるくらいクレイマーのキャメラは人物の顔を肉薄して捉えようとします。「これは自分でもよく分からないが、どうしてもそうなってしまう」と、彼自身も言っていました。彼の言葉で言えば、そんなふうに「人々と共に」あろうとするキャメラがあるのですが、一方でDVなどで短編を作るときは(『ディーゼル』という長編劇映画でもそうですが)、テクノロジー、しかもかなりSF的なテクノロジーに関心を示しますね。樋口さんが今言われた「対話」そのものに関わる実践的な道具、あるいは武器としての先端的な技術に対する関心と同時に、一方で「人間」と「テクノロジー」についての内省的な考察を彼は続けてたと思うんですが、そういった近未来的なテクノロジーのイメージが『ウォーク・ザ・ウォーク』のようなロードムーヴィーでは、なぜか映像としては排除されているんですね。それはいったいなぜだったんだろう? また、その考察が、広島/ヒロシマという場所において、どのようなイメージを結んだのだろうか?と、思うのです。

 ひとつには、クレイマーのお父さんの問題が、そこには浮かび上がってくると思います。かつて広島にも駐在して自閉症になったお父さんですね。これまでの彼の作品を見ても、これはお父さんだろうという人物が、姿を変えて出てきているように思えるんですが、ただそれは、一方で、彼とお父さんの個人的な関係の中から出てきているものであり、また一方で、お父さんが若かった時代、つまりアメリカの40年代50年代を象徴するものとして出てきていると思うんです。『ルート1』で映されている人や物というのは、多分、ほとんどが、40年代、50年代に若者の時代を迎えていた人や物だったのではないかと思います。これは想像でしかないのですが、クレイマーのお父さんが見た原爆後の広島の焼け野原と、その約半世紀後にアメリカに広がっている「夢の残骸」のような事物のある風景とが、『ルート1』では重ねられているような、そんな気がする。つまり、原爆を作った国と原爆投下後の広島の風景とが、ほぼ同じになってしまっているという。もちろんその一方で、繁栄を続けるアメリカというのもあって、でもその繁栄こそがこの荒野、この砂漠なのだと、あの風景は語っているように見えた。クレイマーはそんな中で育ち、それに反発してアメリカを出たけれども、実はアメリカだけではなく、世界中にそんな風景が広がっていて、だから広島で撮るというのはすごく重要なことだったと思います。それで、一方の「テクノロジー」に関しては、ちょっとよく分からないんですが、ふたつの見方ができるのではないかと思う。ひとつは、この「テクノロジー」も、40年代50年代のアメリカの夢見た未来がそうであったように、いずれ、廃墟化する、砂漠になる、という見方。もうひとつは、彼らが夢見られなかったような未来、つまりあらかじめ廃墟から見られたような未来を示そうという意図もあるようにも見える。どちらにしても、広島とお父さんが、それらの元にあるのではないかと思います。

 その意味で、僕はどうしてもクレイマーに見せたかった映像があって(もう見ていたかもしれませんが)、被爆後の広島・長崎を米軍が原爆の効果と影響について調査するために撮影したカラー・フィルムです。これは、ハリー三村が撮影したもので、米公文書館から返還されたものです。おそらくクレイマーのお父さんが調査に訪れた時期に見たのはこの風景なのです。撮影されたのは被爆後半年くらいの時期なので、市民生活は落ち着いていて、人々は日常生活を営んでいる。電車も走っているし、子供たちは笑っている。誰も被害に頓着していないように見える。しかし、当然そこは、廃墟なのです。すべてが破壊された風景と、そこで営まれる淡々とした日常が写っている。カラーであることもあいまって、この映像は歴史の記録というよりも時空を超えてしまうような感じがあって、クレイマーの映像にダイレクトに呼応するような気がする。このイメージを彼はどう見ただろうかと思うのです。
彼が、私たちの企画のために送ってくれたアイディアには、日本人に私の両親の役をやってもらいたいと書いてありました。彼のお母さんも三島に縁があったようで、広島、三島をめぐるこの個人史的な物語と、現代の、彼の言葉で言えば「宇宙のように足下に何も確かなものがない時空」を絡めたものにしたかったようです。ただ、やってみなければ分からないと。これは、少人数のスタッフと最低限の機材で、「クランクイン」もなければ、「脚本」もない、頭と心日本の少しの準備があるだけの「ゲリラフィルムだ」! と言ってましたけど、きっと我々が体験したことのない廃墟のイメージがそこに立ち上がったのではないでしょうか?


 ということは、今度は諏訪君が、クレイマーを仮想の父として対話しながら、広島で撮るしかないっていう。

 うんまあ、今回だけじゃなくてね、僕が彼と交わした限られた言葉だけれど、それは多分ずっと対話し続けなきゃいけない言葉だっていう、それほど重いものだったですね。単純に言えばね、自分が必要だからこの映画を撮るんだということ。金のためでも、有名になりたいからでも、映画の歴史を考えましたというのでもないんだと。自分の問題なんだっていうことが、映画の基本だよと。それで、もし孤独になってしまうようでも、それはお前がやるべき事をやっているという事だ。それは、単純なことだけれども、実際にその人が生きてきた重さでもって、彼自身の人生において、お前ほんとに戦ってられるのかっていう問いとともに彼の言葉が響いていくと思いますけどね。

 諏訪君のその映画はいつくらいに仕上がるんですか?

 わかりません(笑)。

 ということで、いつになるか分からないそうですが、完成したものにはどこかにクレイマーの影がでてるかもしれません。期待していて下さい。
今日はどうもありがとうございました。